2020年8月25日、石井妙子著『女帝 小池百合子』(文藝春秋)を読み終えた。
新型コロナウイルスの感染拡大に伴う「緊急事態宣言」は、東京など首都圏1都3県と北海道が5月25日に解除。6月18日には、小池知事の任期満了に伴う東京都知事選が告示(7月5日投開票)された。その告示の直前の5月30日、本書の第1刷が発売された。
本書の”帯”にあるキャッチコピーは、次のようである。
「救世主か? ”怪物”か? 彼女の真実の姿。」「彼女は宿命に抗った。そのためには物語が必要だった。」
日本新党、新進党、自民党と「政界渡り鳥」と揶揄される一方、「女性初の首相候補」とももてはやされる。細川護熙(もりひろ)をはじめとして、小沢一郎、小泉純一郎らの時の権力者に近づき、そして離反し批判する。派手なパフォーマンスで国民を引きつけ、かき乱し、後片付けをせずに去って行く。カイロ大の「学歴詐称疑惑」。東京五輪の会場問題、豊洲市場への移転問題、2017年衆院選での「希望の党」結成によって、政界は混乱、小池の政治手法に疑問視する声は多い。しかし、新型コロナウイルスへの対応でテレビに出ずっぱりで、再び注目され、「時の人」となった。
●序章 平成の華
小池百合子は、平成を代表する女性。平成の始まりにテレビ界から転身して政治家になった。政権交代があっても、時の権力者に引き立てられ位を極め、更に男社会を敵にして、階段を登ってきた。ここまで権力を求め、権力を手にした女性はいない。なぜ彼女が、可能だったのか。
2016年の都知事選挙の街頭演説で、小池は「病み上がりの人」とガンを乗り越えて出馬した鳥越俊太郎氏を批判した。テレビ討論会でそのことを指摘されると、彼女は当初、笑いながら「言っていない、記憶にない」などとしらばっくれる。誰もがテレビで見て知っているのに。
著者はこのことが、選挙後も忘れられない。彼女の資料を集めて読み始めると、あまりにも話ができ過ぎている、辻褄が合わない、矛盾がある、腑に落ちないところがある。疑念が次々と湧き出てきて、当惑する。
●第1章 芦屋のお嬢さん
本書の第1章は、小池の生い立ちや、父親のことから始まる。口の悪い人は、父親・小池勇二郎を「あの詐欺師」、「山師」、「政治ゴロ」と呼ぶ。大言壮語、おおぼら吹き、評判の悪い実業家だった。衆議院選挙に1度出馬して落選する。常に、社会的地位の高い人物に取り入り、その懐に飛び込んでいく生き方を良しとしていた。権力者に取り入ろうとする、嘘をつく。娘にもそういう生き方で、人生を開くことを教えたのか。生れながらのDNAか、父親の背中を見て育ったせいか。
決して裕福ではなく、借金取りに負われる父親だったが、後年「芦屋のお嬢さん」だったと自分を美化する。甲南女子中・高校を卒業すると関西学院大学に進学。1学期だけで退学、カイロへ大学留学ためエジプトに行く。その頃、勇二郎が中東の石油の商売をしようと人脈を築いていたので、娘にアラビア語を習得させようとした。アラビア語は日本人にとって希少価値で、英語より役立つ。イギリスやアメリカに留学するより、日本の私立大学に通うより、エジプトなら金がかからない思ったのだろうか。
●第2章 カイロ大学への留学
1971年9月エジプトに渡るが、翌年カイロ大学に入学できず。しかし1973年10月父親の口利きで、カイロ大学文学部社会学科に入学、2年に編入した。カイロ時代は、早川さん(仮名)とアパートに同居した。著者は、同居人の彼女に、何度も取材を重ねている。カイロでは、小池は男性たちのアイドルだった。愛嬌の良さで周囲を使役する要領の良さ。学生結婚した夫を踏み台にし、うまく利用するだけして離婚。アラビア語は、英語で言うと中学生レベル。遊んでばかりで、1976年7月進級試験で落第。
カイロ大学 出典:ウィキメディア・コモンズ
1976年10月、サダト大統領夫人が来日。父親の勇二郎は帰国させた娘を、アラブ協会にアテンド役の末席にもぐり込ませる。そして「カイロ大卒の初めての日本人」「芦屋のお嬢さん」とマスコミに売り込む。いつのまにか「中退」が、「カイロ大を首席で卒業」という話が一人歩きする。
飛行機事故を2度回避という強運の持ち主、と言うのも嘘。「物語」を作るうまさ。一方で、同居人の早川さんにも言わない秘密も多い人だった。
●第3章 虚飾の階段
評論家・竹村健一に近づき、1979年4月テレビ番組の竹村のコーナーのアシスタントにデビュー。また「トルコ風呂」の名称変更で、小池の顔と名と行動力、中東通という経歴が広く宣伝された。
愛煙家の小池は、竹村健一とともに嫌煙活動を批判、話がわかる女だとの印象を、男性たちに与える。知名度はまだ低かったが、週刊誌の対談や座談会に招かれた時には、自分の嘘で固めた「物語」を猛烈にアピールした。
1985年に中川社長に気に入られ、テレビ東京に迎えられる。1988年春「ワールドビジネスサテライト」のメインキャスターに大抜擢。
●第4章 政界のチアリーダー
1992年5月「日本新党」から、参議院に出馬宣言。ミニスカート姿で党首・細川護熙に寄り添う。細川との交渉で、比例順位は細川に次いで2位。この順位を巡って、党内はもめる。ミニスカートとハイヒールを売りとし、カイロ大の首席卒業、芦屋令嬢、外国語が堪能のイメージが作られ、マスコミには彼女の「物語」を語った。学歴疑惑の噂は、彼女が国会議員になることでうやむやになった。エジプトはコネと金の社会。日本は、エジプトにとって最大のODA出資国。その日本の国会議員という立場は、エジプトにとってどんな意味を持つのか。
細川護熙 小沢一郎 出典:ウキメディア・コモンズ
小池は細川党首に次ぐ地位に見られたが、日本新党の綱領つくりや政策立案、国会対策には関わらず、目立つことが好き。政治のプロには考えもつかない発想で、党の広報を担う。
作家の島崎今日子は「美女の衣装を着けた野心家の青年」、田嶋陽子元法政大教授は「父親にかわいがられて育った娘は、父親の持つ価値観をそのまま受け入れてしまうので、女だけど男性の価値観を持つ。男性の中で紅一点でいることを好む」、社民党の福島瑞穂は「女性議員が超党派で一緒に解決しよう集まることがあるが、小池はさんはあんまり参加しない」と批評している。
1993年9月宮沢喜一内閣の不信任案が可決し、解散総選挙。日本新党の細川と小池は衆議院に鞍替え、日本新党は大躍進。細川政権が誕生すると、小池は総務政務次官へ。本人は大臣の座を期待していたという。やがて細川政権が窮地に落ち込むと、小池は細川おろしに加担するようになる。今度は小沢一郎に急接近する。
小沢の自由党にいた池坊保子は、小池のことを「政治家としてやりたいことことはなくて、政治家をやりたいんだと思う」。細川も小沢も男女関係だと噂を立てられ、「色気でのし上がっていく」。同じく自由党西村眞悟が、小池は「ヤクザの世界の姐さん」。親分の威を借りて、子分よりずっと上に写る。
小池の地元の阪神淡路大震災の被災者に、冷たい態度をとった。被災者や地方議員の間では、小池は「何もしてくれなかった国会議員」として記憶されている。やがて、小池にとって3回目の衆議院選挙。今度は自民・公明と連立を組む保守党から出馬。小沢と決別した小池は、小沢批判を繰り返す。
●第5章 大臣の椅子
2001年4月小泉純一郎内閣が誕生、2002年9月小泉は訪朝。小池は、北朝鮮拉致被害者家族の並ぶ中央に並び「いつもテレビに映り込もうとする」と問題になった。12月保守党は解党、小池は自民党に入党。2003年9月、小泉は内閣改造で派閥や慣例を無視し、いきなり小池を環境大臣に任命。51歳の時だった。独身の小泉純一郎を気遣ってか、小池は首相官邸に手作りの弁当を届けていたそうだ。いずれ小泉と結婚するのではないか、とも囁かれた。
2004年10月水俣病の最高裁判決が下され、国と熊本県の責任を認め、50年の歳月を経て国が敗れた。最高裁判決が出たのに、小池大臣は、苦しみつづけた患者を前にして、5分問だけ謝罪文を棒読みしただけだった。しかも慇懃無礼、被害者に寄り添わない態度に原告団から罵声が飛んだ。
水俣問題に関心を示さず、そのかわりに「クールビズ」を持ち出して、環境省主催の「クールビズ・コレクション」というファッションショーを開催した。むしろ彼女は、クールビズの発案者としてそのファッションショーに夢中になり、今でもその功績に胸を張り続ける。
小泉純一郎 安倍晋三 出典:ウキメディア・コモンズ
小泉政権が政治生命を懸けた郵政民営化は参議院で否決され、2005年8月郵政解散となる。小泉は民営化に反対する自民党議員を公認せず、刺客を送る(対立候補を立てる)。小池は「機を見るに敏」な本性を発揮し、兵庫六区から東京十区の選挙区替え、民営化反対の小林興起の対立候補となる。小池にとっては、小泉に恩を売り、マスコミに自分を宣伝し、なによりも選挙区が東京都心に移れる。
2005年6月に持ち上がったアスベスト問題についても、水俣と同様に役人に丸投げし、自らは本腰を入れて向き合おうとしなかった。
2006年9月安倍政権が発足すると小池は、小泉の進言で5人の側近(首相補佐官)に選ばれ、国家安全保障担当となる。そして小池の暴走が始まる。小池より年下の安倍も周囲もコントロールできない。参議院選挙が近づいているとき、久間章生(きゅうま ふみお)が失言で辞任し、防衛大臣の椅子が空席に。そして、女性初の防衛大臣へ。人気とりのこの人事も、小泉サイドとされる。
しかし小池の暴走と混乱は続く。自民党の重鎮・山崎拓は「防衛大臣として不適格だ。日本の国益も損なわれる。総理は全く彼女をコントロールできてない。総理の責任も問われる」。小池は、「総理には了解をとっていましたけれど・・・」と、勝手に事務次官の更迭を決めてしまう。防衛大臣として渡米し、アメリカの高官と面会。女性のライス国務長官と会談し、「姉妹の関係を築いた」と得意満面だった。
テレビ局でキャスターをしていた時から、彼女の姿勢は変わらなかった。トップとつながる。あるいはそのように見せる。一番強い者と親しくなり、虎の威を借りタテ社会の論理を突き崩す。官房長官より総理、総理よりもアメリカの高官。彼女は虎を求め続けていた。党内では小池の言動に対するに対する批判や反発が強まり、突然大臣を辞任すると表明。
●第6章 復讐
体調不良で安倍首相は、2008年9月辞意を表明。後任の福田康夫は、1年しか持たず、2008年9月辞意を表明。小泉は「結党以来の危機だ。次の総裁選には女性を立てなきゃダメだ」。小池が総裁選に出ることになり、女性初の総理候補となった。結果は、麻生太郎が1位で2位は与謝野薫、小池は3位だった。
麻生内閣は、1年足らずで衆議院を解散するが、小沢が率いる民主党に自民党は大敗する。2009年9月、鳩山由紀夫内閣が発足した。3年後の2012年12月、自民党は大勝して与党に、安倍晋三が総理の座に返り咲く。小池より若い、後輩の女性が次々と閣僚に選ばれた。小泉が政界を去って以降、安倍内閣は小池に要職を何も用意しなかった。
小池は、22歳も年下の男性秘書Aと共同で土地を購入。その上に環境を配慮したエコハウスを建て同居するという。結婚かと噂が立つが、Aは家が建つ前にこの計画から降り、小池事務所も辞めてしまう。そしてやはり20歳ほど年少の男性秘書・水田昌宏に譲られた。小池から金庫番を任され、事務所を仕切るようになる。突然やってきた「従弟」として小池に信頼される秘書は、妻子とともに同居し、周囲には不思議がられている。
石原慎太郎都政は13年も続いたが、4期目の途中で投げ出し国政に復帰。続いて猪瀨直樹と桝添要一はカネの問題、公私混同で辞任に追い込まれる。安倍政権では、若い女性議員にスポットライトが当たり、60代になっていた小池は冷遇されていた。都知事選は2016年7月、自民党の思惑や了解を得ずに出馬の記者会見を開く。「悪のかたまりの自民党、オッサン政治と闘います!」
石原慎太郎 猪瀬直樹 舛添要一 出典:ウキメディア・コモンズ
小池が知事になれば過去の不正が暴かれ、自民党都議の利権の構図が明らかになると、東京都民は期待した。オリンピック予算が膨れ上がっていると訴え、利権を貪っている人がいると匂わせた。自民党と議連幹事長の内田茂、都連会長の石原伸晃らがその標的だった。元知事の石原慎太郎は、小池を「大年増の厚化粧」と言って、女性有権者に怒りの火が付いた。石原の発言には、うわべを嘘で固めているという比喩も込められていたのだが。
自民党からは、議員歴の浅い元検事の若狭勝ただ一人が、小池側についた。小池の言う「東京大改革」、7つのゼロの公約は、真剣に考え抜かれたのか、実現性があるのか、公約を守る気持ちはあったのだろうか。そんな議論が深まることもなく、パフォーマンス優先の小池は291万票でトップ当選。次点は自民党・公明党の押す増田寛也(元岩手県知事)が179万票で、都連はこの大差にショックを受けた。3位の鳥越俊太郎(民進党、日本共産党、社会民主党など推薦) は134万票だった。
豊洲新市場への移転問題は、環境問題、建設費に絡む利権の問題があるとして延期を発表。世論も小池の姿勢を支持し、小池フィバーが起こった。一方で都知事選挙では小池を支持して活躍した都議の音喜多駿(おときたしゅん)、上田令子を中心に地域政党「都民ファーストの会」を発足、音喜多はその幹事長に就任した。また来夏の都議選のため政治塾「希望の塾」を立ち上げ、多くの塾生を集めた。
築地市場 出典:ウキメディア・コモンズ
豊洲新市場 出典:ウキメディア・コモンズ
オリンピックの3会場(ボート・カヌー、水泳、バレーボール)の移転問題は小池が火を付けて大騒ぎしたが、再検討の結果、3会場とも都内に予定通り新設され、元の鞘に納まった。大騒ぎしてネズミ1匹か、というマスコミの追求に対し「大きな黒い頭のネズミがいっぱいいることがわかった」とはぐらかした。豊洲移転問題については「築地は守る、豊洲を活かす」と明言したが、市場を二つにするのが実現可能なのか、と言う質問には答えなかった。
2017年7月の都議会議員選挙では、音喜多は前回より大幅に得票数を伸ばして得票数トップで再選、「都民ファーストの会」は49議席を獲得して圧勝、都議会第一党になった。
●第7章 イカロスの翼
従弟とされる水田秘書と同世代の特別秘書・野田数(かずさ)は、一般社会を知らずに政治業界に身を置く匂いがする。小池から「都民ファーストの会」の代表と、「希望の塾」の運営も任せられた。一度衆議院に出馬して落選、村山市議を経て自民党公認の都議となった。日本維新の会から衆議院に出馬するも落選。その後都議も落選して、無職となっていたが、小池が都議選の選対本部長を任せ圧勝した。思想的には現行憲法否定論者で、小池の威を借りて高圧的な態度や、お金に不明朗な点もあり、批判や嫌悪する人も多い。
2017年9月、安倍首相が国会解散を表明する直前、小池は突然臨時記者会見を開き「希望の党」の新党結党を宣言した。結党メンバーには自民党を離党した若狭と民進党を離党した細野豪志が加わった14人。党代表は小池で、自身が先頭に立って選挙を戦うという。「小池新党で、女性初の総理が誕生か」と騒がれた。
民進党の前原誠司代表は、両議員総会で「希望の党」への合流を発表し、了承された。民進党議員は、全員離党して「希望の党」へ合流するという。しかし小池は、全員を受け入れる積もりはない。安保法制に反対するようなリベラル派は「排除」すると言い切る。前原が、小池にだまされたのか、小池との詰めが甘かったのか。
旧民進党リベラル派は枝野幸男を党首として「立憲民主党」を立ち上げた。また旧民進党費員の一部は、無所属で出馬。希望の党に移った旧民進議員は、選挙資金や選挙区割りで冷遇された。民進党と希望の党の合流話で危機感を味わった自民党は、これで小池総理はなくなったと安堵した。希望の党は235人を擁立して、当選はわずか50人、大惨敗だった。野党第1党は、立憲民主党の54人。小池の側近の若狭は、落選して政界を引退した。小池は、都政に専念するとして、旧民進党出身の玉木雄一郞に党首を譲る。
2017年10月、小池知事・希望の党代表の国政関与は政治姿勢として疑問があるという理由で、音喜多は上田都議とともに、「都民ファーストの会」を離党することを表明し、記者会見を行った。音喜多は「党運営は密室で役員数人で決めるブラックボックスそのもの」と反発、密室体質には都知事特別秘書で野田数前代表や小池氏の意向が働いていたとの認識を示した。
豊洲移転問題では結局、何か訳の分からないまま、「築地は守る、豊洲を活かす」 ということの根拠や具体案は示されなかった。 追加工事を行うも汚染値が下がらないまま、2018年10月豊洲新市場は開場した。「築地女将さん会」は裏切られ、失望した。「女だからと信じてしまった」と悔やんだ。
希望の党の失敗後、小池は今まで以上に自民党にすり寄っていった。帰順の証しとして、築地の土地を差し出したのだろうか。なじみの二階俊博幹事長とは密に連絡を取り、自民党都連と都議会自民党を牽制している。メディアは、今までのように小池や都政に関心を示さなくなった。
マスコミの責任も重い。彼女にどんどん嘘をつかせた。メディアも彼女の共犯者。彼女に「イカロスの翼」を与えたのは誰だろうか 父親か、自分自身か、マスコミか、平成という時代なのか。翼を持った小池はまだ飛び続けている。
絵画『太陽またはイーカロスの墜落』(1819、ルーヴル美術館) 出典:ウキメディア・コモンズ
イカロスは、ギリシア神話に登場する人物の1人。クレタ島の迷宮ラビリンスから脱出するため、父が発明した翼によって自由自在に飛翔する能力を得るが、父の命にそむいて高く飛びすぎ、翼を固めていた鑞(ろう)が太陽の熱で溶けて海に墜死する。人間の傲慢さやテクノロジーを批判する神話として有名。
●終章 小池百合子という深淵
2020年3月、都議会で自民党に学歴詐称を厳しく追及されたが、「卒業証書は持っている。カイロ大も認めている」と繰り返し答弁して、卒業証書の提出は、「ここ何度も公にしている」として拒んだ。著者によると、彼女は卒業証書を3回、極めて不完全な形で公表しているという。著者は、その不完全な卒業証書を検証し、疑問点をいくつも指摘している。まして「首席」卒業というのは、論外だとしている。
また語学力についても、彼女がアラビア語で話す動画を専門家に見て貰うとあまりにもお粗末で、英語で言えば中一レベルだそうだ。小池が疑惑を払拭したいと思うなら、堂々と卒業証書なり卒業証明書を進んで提出すべきあるという。また、カイロ大と小池は利害が一致しているので、日本のメディアや政界から寄せられた問い合わせに対してカイロ大側は、在籍記録や成績を口頭で示す程度だけという。エジプトは軍事政権の国。カネやコネで大学内部の記録を書き換えたり、卒業証書を発行することはいくらでも可能らしい。
彼女が彼女になれたのは、彼女の『物語』に負うところが大きい。本来、こうした『物語』はメディアが検証するべきであるのに、その義務を放棄してきた。そればかりか、無責任な共犯者となっていると著者は、主張している。
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2020年7月5日都知事選挙が投開票され、現職の小池百合子(67)が再選された。任期満了による都知事選は9年ぶり、過去最多の22人が立候補した。無所属で出馬した小池は、1期目の実績や新型コロナ対策の推進などを掲げ、立憲民主・共産・社民の3党から支援を受けた元日弁連会長の宇都宮健児(73)や、都政の刷新を訴えた「れいわ新選組」代表の山本太郎(45)らを破った。小池は366万1371票を獲得。前回の約291万票を上回り、次点の宇都宮に約280万票の大差をつけ圧勝。この得票数は、歴代2位。投票率は55.0%で、2016年の前回都知事選(59.7%)を下回った。
今回の選挙では、自民党は独自候補の擁立を見送り、事実上、小池の信任投票だった。新型コロナの感染拡大防止を理由に選挙期間中、街頭演説を行わずオンラインで余裕の選挙戦を展開。朝日新聞の出口調査では、知事のコロナ対応を64%が「評価」し、そのうち75%が小池に投票したという。コロナでテレビに出ずっぱりの小池は、究極の選挙活動だった。山本代表は記者会見で、「強かった百合子山、高かった百合子山。百合子山を越えられなかった自分の力不足が悔しい」などと選挙戦を振り返った。
しかし、前回の選挙(2016年7月)で掲げた「7つのゼロ」の公約は大半が達成されていない。「東京大改革」をキャッチフレーズに、①待機児童、②介護離職、③残業、④都道電柱、⑤満員電車、⑥多摩格差、⑦ペット殺処分などの7項目の公約を列挙。自身が選挙戦で強く訴えた「都政の透明化」「五輪関連予算の適正化」といった主張とともに、当時は有権者から多くの注目を集めたのに。
4年間の都政の評価として記者からの質問に「有権者が判断してもらえれば・・・」と逃げている。ツイッターでは「『七つのゼロ』は身近な都政の課題について高い目標を掲げることで、生活を改善する効果をもたらした」と答えている。過去の言動と食い違う行動を取った時、小池がこのような「すり替え」や、都合悪くなると「言ってない」としらを切るやり方は、政治家として失格だ。
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著者の石井妙子は、1969年神奈川県茅ヶ崎市生まれ。白百合女子大学文学部国文科卒、同大学院修士課程修了。お茶の水女子大学の「女性文化研究センター」(現・ジェンダー研究所)に教務補佐員として勤務。大学時代は囲碁部に所属していて、 1997年より毎日新聞の囲碁関連の記事を執筆。2002年NHK「囲碁の時間」に司会として出演。
石井妙子 出典:文藝春秋BOOKS ホームページ
5年にわたる緻密な取材をもとに、上羽秀(うえばひで)を描いた『おそめ』を発表。伝説的な銀座マダムの生涯を浮き彫りにした同書は高い評価を受け、新潮ドキュメント賞、講談社ノンフィクション賞、大宅壮一ノンフィクション賞の最終候補となった。女性の一代記を数多く手がける。『原節子の真実』(新潮社)で第15回新潮ドキュメント賞を受賞。他に『日本の血脈』(文春文庫)、『満映とわたし』(共著/文藝春秋)、『日本の天井 時代を変えた「第一号」の女たち』(KADOKAWA)など。
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小池百合子は、「女帝」なのか。「女帝」は、女性の皇帝、あるいは女性天皇のこと。または女性が皇帝の後見として政治を行う場合に「女帝」と呼ぶこともある。中国史上唯一の女帝・武則天、清王朝の権力を掌握した西太后などは悪女として有名。ポジティブに「歌謡界の女王」とか「スケートの女王」とか比喩されることがあるが、「女帝」とか「女王」はネガティブ的な意味でそう呼ばれることもある。
「越山会の女王」は、田中角栄の事務所の金庫番で、角栄の愛人とも囁かれた佐藤昭(昭子)。目白に住む角栄が脳梗塞で倒れると、療養のため政界やマスコミから遠ざけられることになった。ここで角栄の代わりに権力を預かっているとして注目されたのが、娘の田中真紀子は「目白の女帝」。三越百貨店社長・岡田茂の愛人で、納入業者・服飾デザイナーの竹久みちは、三越の社内人事にも口出ししているなどが伝えられ「三越の女帝」と呼ばれた。こういった政治または経営の権力を持ち、活躍する女性を「女帝」とか「女王」と呼ぶことがある。
小池は、男性社会のなかで仕事をしていく困難さは、十分味わっていただろう。しかし、そこでの振る舞い方は、きっと父親から教わったか、父親の背中を見て倣ったのだろう。その時々で権力を持つ男性たちに取り入りながら、自らも権力の座を目指すというやり方だった。しかし父親と違うのは、男と女。 小池は女の武器を十分に発揮し、いかにすれば男に喜ばれるかは、少女時代やカイロ時代に身につけたのかも知れない。そのようにして、都知事にまで登り詰めた。しかし平成という時代、彼女が男たちの威を借りて、自らもいわば精神的に男と化すことでしか権力を得ることができなかったということに、まだまだ女性の社会進出には困難さがあり、壁があるということなのだろうか。
小池は、二世議員のような地盤や看板、カネもない。立派な政治理念や、すばらしい政策も持ち合わせていない。取り巻きに有能なスタッフがいるとも思えない。被災者や被害者のような弱者に、寄り添うこともしない。ただパフォーマンスや横文字のフレーズ、容姿や見た目で人を引きつける。男にうまく媚びを売って、自己をアピールする。権力のある者の懐に飛び込む。それに似た女性は、周囲にもいそうだ。
女性として、男の縦社会のスキをついて、這い上る。そうまでしないと、女性は上を目指せない。女性が各分野で進出する人数が増えて、裾野ができて、そこから押し上げられるようにして女性リーダーが出てくれば、そのときが真の「女性の代表」だと思うのだが。
このノンフィクションは、立花隆『田中角栄研究─その金脈と人脈』(文藝春秋)を思い出す。田中角栄の内実については、ある程度政界やマスコミ業界でも知られていたことであった。ある程度、断片的な情報として批判的な記事が出回ってはいた。しかし田中角栄人気に押され、それに触れることはタブーであったり、知らぬ振りをしていたとことがあったようだ。それを立花隆は角栄の人脈、関連会社、金の流れを徹底的に調査して書き上げ、国民の大きな反響を呼んだ。
本書は、執筆に3年半かかったという。エッセイや小説などと違って、ノンフィクションは取材や資料の収集など、お金や時間もかかって、つくづく大変だと思う。出版社もスタッフの支援体制が大変で、儲からない、売れないとなると、ノンフィクションから離れてしまうのではないかと心配する。石井妙子が、綿密な調査の元で3年半も年月をかけて執筆したこと、なんとしても真実を世間に伝えようという姿勢に敬意を表したい。
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