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2026年2月 3日 (火)

上野毛・等々力・自由ヶ丘

 2026年1月27日(火)   上野毛、等々力、自由が丘界隈を歩く新春ウォーク。
 
 
 東京メトロ副都心線で自由が丘駅9:58着、東急大井町線に乗換え10:02発、東急上野毛駅で10:08下車。
 
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●五島美術館 10:20
 
 上野毛駅から上野毛通りを多摩川方向へ進み、電柱の案内標識で右折して150mほど先に「五島美術館」の正門がある。東急グループをつくった実業家・五島慶太の美術コレクションを保存・公開するために設立。五島が亡くなった翌年1960年(昭和35年)に開館。

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 日本や東洋の古美術を中心に、約5000件の作品を所蔵。国宝が5件、重要文化財が50件も含まれている。国宝『源氏物語絵巻』が特に有名。美術館の敷地は、五島邸の敷地の一部が提供され、庭園を含めて約6000坪。公益財団法人「五島美術館」が運営。同財団が「大東急記念文庫」も管理している。開館には、東急・京急・小田急・京王が出資した。美術館には 入館せず、外観や周辺だけを見学。

 「五島美術館」の通りを逆に戻り上野毛通りを横断すると、すぐに左手に真言宗智山派に属する古刹「覚願寺」と「覚願寺鈴蘭幼稚園」が見えてくる。

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●上野毛自然公園  10:35 

 幼稚園の手前が、質素な看板の「上野毛自然公園」の入口。10:35入口を入ると敷石が敷かれており、かつてこの場所が庭園として使われていた名残だそうだ。その先には、桜の林のある開放感のある広場で、幼稚園児が遊んでいた。

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 世田谷区立「上野毛自然公園」は、多摩川が10万年以上かけて台地を削り出した「国分寺崖線」の上に位置する公園で、地形そのものが大きな見どころ。広場の下の深い緑に覆われた斜面には、木々の間を縫うように長い階段が続く。

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 都会の緑の中は夏には涼しくて、多様な昆虫たちが見られるという。階段を降りきった先には、多摩川沿いの低地が広がり、崖線からの湧き水を利用して造られた水生植物園もある。崖線に沿うように小さな「丸子川」が流れていて、この自然公園の端はこの「丸子川」で終わる。

●上野毛稲荷神社 10:45

 「上野毛自然公園」の北側の上野毛通りは、かなりの急坂で「稲荷坂」という。この坂の途中の左手の崖を切り崩して「上野毛稲荷神社」が鎮座している。旧社格は無格社で、旧上野毛村の鎮守のうちの一社、現在は上野毛全域の鎮守。

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 稲荷神社の北に隣接する「五島美術館」の敷地内には「稲荷丸古墳」、南東には「上野毛稲荷塚古墳」、更に南東の「玉川野毛町公園」内には「野毛大塚古墳」という古墳があり、これらを「野毛古墳群」と呼び、「国分寺崖線」上の高台、上野毛から尾山台にかけて広がる古墳群となっていて古代から人の定住があったという。
 
 この稲荷神社のすぐ下に、日本で初めての肢体不自由児の養護施設「ねむの木学園」を私財をなげうって運営してきた歌手で女優の宮城まり子(2020年、93歳で死去)の自宅があった。作家・吉行淳之介(女優・吉行和子の兄)とは、彼の死まで事実婚の関係だった。また、上皇・上皇后とは皇太子・皇太子妃時代から、40年の親交があったという。
 
●二子玉川公園 10:55

 世田谷区立の都市公園「二子玉川公園」は、2013年(平成25)4月にオープン。世田谷区玉川(二子玉川)に位置し、再開発エリアである二子玉川ライズに隣接して整備。公園は、「国分寺崖線」の豊かな緑と多摩川の水辺に接し、自然環境に恵まれた立地にある。二子玉川駅から徒歩9分でアクセスも良好。

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 区立公園として初の本格的な日本庭園「帰真園」が整備、その一角に登録有形文化財「旧清水家住宅書院」を復元。また、区民と共に植樹した約1,400本の苗木が育つ「世田谷いのちの森」、ボール遊びができる「子ども広場」、幼児向けの「遊具の遊び場」など多様な世代が利用できる。さらに、公園は震災時の防災拠点としての機能も備え、避難民1万人の収容と応急仮設住宅132戸の建設を想定している。
二子玉川ライズタワー&レジデンス(億ション)を望む。
 
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 多摩川の下流に向かって岸辺を歩く。

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●影光山 善養寺 11:25
   
 「善養寺」は、国分寺崖線沿いの世田谷区野毛にある真言宗智山派の寺院。正式の名を「影光山仏性院 大毘廬遮那殿(だいびるしゃなでん)善養密寺(ぜんようみつじ)」。
 
 江戸時代以前には、この寺は深沢村(現・世田谷区深沢)にあったという。この寺の僧侶だった祐栄阿闍梨が、本山の京都・智積院で修行を積み、深沢村へと戻ってきたが不在の間に寺は荒廃していた。慶安年間(1648-1651年)に祐栄は、下野毛村に寺を移転したと伝えられる。
 
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 「善養寺」入口、 丸子川にかかる赤い橋(大日橋)を渡ると山門前には巨大な石像。この寺には、ユニークな石像が多い。

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 石段を上ると、迫力のある「海駝」(かいだ)の坐像一対が見える。海駝は、架空の神獣で火除けの神といい、世界でも5つしかない珍しいものという。「像」の下の立て札には、「獬豸」(かいち)と書いてある。

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 「獬豸」(かいち)は、中国に伝わる伝説の神獣で、正義・公正・法治を象徴する存在として知られ、日本の狛犬の起源の一つとも考えられている。朝鮮半島へ伝わり、「獬豸」は「ヘテ」または「ヘチ」と発音され、漢字で表記する際は「海駝」という字が当てられた。中国の「獬豸」との違いは、羊や牛の姿ではなく獅子のような姿をしている点と、多くは頭に角がない。日本では、「獬豸」は「神羊」(しんよう)という別名でも呼ばれて、日光東照宮では麒麟や白澤と共に、拝殿の杉戸に装飾が施されている。

 
本堂の前(山門の右手に見える)にあるカヤの大木「善養寺のカヤ」は樹齢700年とも800年ともいい、1964年に東京都の天然記念物に指定されている。樹高は22.6m、幹の周りは5.3mに達している。
 
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 本堂は、奈良の「唐招提寺金堂」を模したもので、鴟尾(しび)一対が載った瓦葺き、寄棟造りの屋根が特徴。 石像は、仏像の他、蟹、ライオン、カッパ、象、亀などの動物が多い。

 本堂の右前の「大日尊」の座像は、彩色してあるが石像のようだ。この寺のユニークな石像の中で、この石像は普通の仏像なので逆にどこか違和感がある。
 
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 本堂内には、本尊である「大日如来坐像」(木彫漆塗り、高さ約1.2m)が祀られているそうだ。本堂の前のこの石像は、本尊の「御前立ち」(本尊の代わりに、近くで拝めるように置かれた仏像)だろうか。
  
●等々力渓谷 11:55
 
 「善養寺」から北東の方向へ、住宅街の中を進むと、右側に「等々力渓谷」内「日本庭園」の正門。正門の左に、渓谷の「谷沢川」に降りる長い階段がある。
 
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 「等々力渓谷」は、武蔵野台地の南端を谷沢川が浸食してできた、世田谷区にある延長約1Kmの23区内唯一の渓谷。等々力駅からは、南に歩いて3分ほど、谷沢川に架かるゴルフ橋脇の階段を下りると、下流に向かって谷沢川が流れ、豊かな自然に囲まれた遊歩道が整備されていて、四季折々の風景を楽しみながら散策できる。「等々力」という地名は、滝の音が響き渡り、轟いたことからついたとの言い伝えがある。
 
 夏でもひんやりとした渓谷内はケヤキ、シラカシ、コナラ、ヤマザクラなどの樹木が鬱蒼と茂り、川のせせらぎや野鳥の声が聞こえ、渓谷のいたる所から水が湧き出ている。晩秋には紅葉も楽しめるようだ。
 
 階段を降りて渓谷の遊歩道に出た後、下流側の冠木門から「日本庭園」に入る。みかん林の斜面を登る。
 
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 日本庭園では、早咲きの桜が満開。メジロが来ていたが、うまく撮影出来なかった。
 
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 再び、遊歩道に降り、等々力渓谷の谷沢川は護岸整備されていて渓谷の自然の川とは趣が違う。この時期、水量は少ない。
 
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 2023年年7月に渓谷内で倒木が発生、他の樹木も倒木の可能性があるため、この谷沢川に架かる「利剣の橋」辺りから等々力駅方面への上流に向かう遊歩道が通行止め。橋を渡ると、「不動の滝」がある。どんな滝かと思ったら、崖からの湧水が滝壺にチョロチョロと落ちていた。古来から滝に打たれる行をする人々が各地から訪れていたそうだ。
  
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●等々力不動尊 12:05
 
 「不動の滝」から石段を登った渓谷南端には、桜の名勝として知られる「等々力不動尊」。正式には「瀧轟山(りゅうごうさん)明王院」。真言宗智山派の寺院「満願寺」(北へ700m離れた等々力三丁目)の別院。開基は真言宗中興の祖・興教大師と伝えられている。
   
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 本尊は不動明王で、寺に残る伝承によれば、約800年前に興教大師が夢のお告げを受け、武蔵国に不動明王像を安置する霊地を探し求めていたところ、当時は水量豊かに流れていた当地の滝を見て霊地と悟り、この地に不動堂を創建したという。
  
●稚児大師御影堂 12:15
 
 渓谷の北斜面、弘法大師誕生1200年記念として昭和50年(1975年)に奉修された「稚児大師御影堂」がある。
 
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 壁のないお堂に祀られている像は、おかっぱ姿の子供。稚児大師は弘法大師の幼い時の呼び名。大師像の金箔は、生誕1250年記念の寄進によって貼られたもので、数年前は黒い地肌のままだった。場所は「等々力不動尊」の境内で、石碑や掲示物にも「等々力不動尊」や「満願寺」と記されている。
 
 等々力渓谷を出て、等々力駅に向かって歩く。都道311号(環八通り)の「玉沢橋」から「等々力渓谷」の下流側を見下ろす。写真にはないが、渓谷の左手には古墳時代末期から奈良時代の頃の横穴墓である「等々力渓谷3号横穴」がある。
  
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 12:45、等々力駅北口付近にある蕎麦店「やぶ森」に入店。山菜蕎麦を注文。看板には「生蕎麦 やぶ森」と書いてあるようだが、なかなか読めない。
 
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 東急大井町線等々力駅13:15 発に乗車、上り二駅目の九品仏駅13:18下車。
 
●九品仏(くほんぶつ)浄真寺 13:20
 
 「九品仏駅」 を出て北へ進み「等々力通り」横断すると松並木の真っ直ぐな「浄真寺」の参道。9体(九品、くほん)の阿弥陀佛を安置している事から「九品仏」として知られている。
 
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 「浄真寺」の総門を抜け、すぐ左手に「閻魔様堂」。その先で折れると二階建ての立派な仁王門(紫雲楼)。
 
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 「九品仏浄真寺」は、世田谷区奥沢にある珂碩(かせき)上人が開山した浄土宗の古刹。山号は「九品山」、正式名称は「九品山唯在念佛院淨眞寺」。「九品仏」とは、同寺に安置されている9体の阿弥陀如来像のこと。一般には同寺の通称や地名となっている。
 
 境内の下品(げぼん)堂、中品(ちゅうぼん)堂、上品(じょうぼん)堂には、それぞれ3体ずつの阿弥陀様が納められている。写真の中央が上品堂、左に下品堂、右には中品堂がある。
 
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 下品堂、2体の下品阿弥陀如来像。左の1体は、順次、修繕事業が実施されているため不在。
 
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 上品堂、3体の上品阿弥陀如来像。
 
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 中品堂、3体の中品阿弥陀如来像。
 
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 本堂は、「龍護殿」と呼ばれる。靴を脱いで本堂(龍護殿)の祭壇に進み、釈迦牟尼仏を拝観、参拝。
 
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 本堂内の賓頭盧尊者(びんずる様)の像。お釈迦様の弟子の1人であり、さらに十六羅漢の1人。神通力を持ち、特に病を治す能力に長けていた。
 
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 びんずる様は「なで仏」と呼ばれ、自分の体の悪い部分と同じ所を撫でると、病気やケガが治るとされている。
  
 「浄真寺」の地は、もとは世田谷吉良氏系の「奥沢城」であった。小田原征伐後同城は廃城となったが、1675年(寛文5年)に当地の名主七左衛門が寺地として徳川幕府より貰い受け、1678年(延宝6年)、高僧・珂碩が同地に「浄真寺」を開山した。境内には古木が多く、カヤの大木は樹齢800年以上、イチョウは樹齢300年ともいわれており、また周囲の土手はこの地がかつて「奥沢城」であった名残で、鎌倉期における「土塁」の形態を示すものとして貴重な資料になっている。
 
●自由が丘駅周辺 14:30
 
 「自由が丘」は、目黒区の自由が丘(1〜3丁目)と世田谷区奥沢にまたがる住宅・商業地域で、東急自由が丘駅を中心に発展した人気の街。交通の便が良く、高級住宅街として知られる一方、洗練されたヨーロッパ風の街並みが女性を中心に支持され、「住みたい街」上位の繁華街でもある。
 
 南部の駅周辺は「丘」という地名ながら、低地となっている。北部には丘が多いが、南に九品仏川(くほんぶつがわ)があり、そこへ流れ込んだ雨水が地面を削っていったため。1974年(昭和49年)、九品仏川は蓋掛けして暗渠となって、長さ約921.4mの「九品仏川緑道」となった。
 
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 自由が丘駅の正面口前は、何やら騒がしい。ものものしい警察官や緑色のジャンパーを着た運動員が大勢いる。衆議院東京都第26選挙区「今岡うえき」候補の街頭演説。財務省出身で自民党の新顔。片山さつき財務大臣が、選挙カーの上でちょうど応援演説中だった。
 
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 14:40目黒区自由が丘にある「熊野神社」。平安〜鎌倉期に熊野信仰が広まる中で、和歌山県の熊野本宮大社・那智熊野神社から 分祀された神社。地元では「谷畑」と呼ばれた当地の「谷畑の権現さま」と古くから地域の人々に信仰されていて、自由が丘を鎮守する。毎秋、神楽殿で催される「目黒ばやし」は、百数十年の歴史を誇る。拝殿は、鮮やかな朱色の鉄筋コンクリート造り。
 
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 境内には、碑衾村(ひふすまむら)村長として耕地整理に尽力した栗山久次郎の銅像(1935年建立)がある。写真は、ウィキメディア・コモンズから転載。
 
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 久次郎は、1853年旧家栗山家の長男として誕生。篤農家、地主、東京府荏原郡(えばらぐん )碑衾村(ひぶすまむら)の村長。「自由が丘学園」の創立者・手塚岸衛の意見に共鳴して自分の土地を貸し、町名もそれまでの谷畑(やはた)から「自由が丘」に改名することを決断した。1934年没。自由が丘一帯の街づくり、地域発展に貢献した功績をたたえ、1935年(昭和10年)に銅像が建てられた。
 
 14:50「ラ・ヴィータ」(La Vita)は、水の都・ベネチアの街並みを再現した空間にショップが集まった商業施設。ゴンドラを浮かべた運河が流れ、レンガ造りの洋館に石畳と、どこを見ても異国情緒あふれて「自由が丘のベネチア」。
 
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 15:00、自由が駅前の正面口に戻ると、まだ衆議院選挙の街頭演説が続いていた。

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 自由が駅15:03発の東急東横線で、池袋方面に向かう。15:34池袋着。

 天気も良くて風もなく、比較的暖かいウォーキング日和だった。帰宅して歩数計を確認すると、この日は19,300歩だった。

2025年12月27日 (土)

秋の伊豆半島めぐり-その2

  2025年11月20日(木)~21日(金)、秋の伊豆半島を巡る1泊2日の旅。
 

 2日目の21日(金)、宿泊のホテルで4:00起床。

 夜明けの「城ヶ崎海岸」へ行くのは暗くて岩場が危険なので止めて、6:00ホテルを出て、朝の稲取漁港(東伊豆町)を散策する。

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●稲取漁港

 漁港の手前から望む伊豆諸島の夜明け。この日の日の出は、6:35頃。

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 7:00~ホテルに戻り朝食。8:20チェックアウト。

 再び「稲取漁港」を散策。左手の平らな山は、昨日行った「稲取細野高原」。茶色の建物は、町役場。

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  右の三角屋根の建物は、稲取漁港直売所「こらっしぇ」。

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 「こらっしぇ」とは、稲取の方言で「こっちへいらっしゃい」という意味。漁協と農協との連携により稲取キンメや定置網の朝獲れ鮮魚、伊豆地方の新鮮な野菜や果物などの農水産物を産地直売。

 「こらっしぇ」に隣接する駐車場にあるキンメのオブジェは、大きな口をあけてけていて不自然みみえるが、顎の金具が外れているようだ。

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 10:10漁港を出発。南へ海岸沿いの国道135号線を走り、下田市に向かう。


●白浜海岸

 下田市に入り、10:40~10:55白浜海岸。セブンイレブン下田白浜店の駐車場に車を駐める。

 南北に約800mの広々とした開放感あふれる砂浜で、伊豆半島最大の海水浴場「白浜大浜海水浴場」。

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 伊豆白浜には、「白浜大浜海水浴場」のほかに、 環境省の「日本の水浴場88選」そして「日本の快水浴場百選」にも選ばれた真っ白な砂と青い海が特徴的な「白浜中央海水浴場」。磯遊びができる 「白浜板戸海岸(一色海岸)」の3つの特徴的な海がある。


●ペリーロード

 白浜海岸を出発、車で10分ほど下田ペリーロード駐車場へ11:10着。

 近くの「ペリー艦隊来航記念碑」には、ペリー提督の胸像とアメリカ海軍から寄贈された錨が飾られている。

 この記念碑は下田港を臨む「ペリー上陸記念公園」に設置されている。

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 1854年に下田条約締結に向けて、この地に上陸したペリー提督一行の来航を記念して建てられた。

 下田港を望む。

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 下田港は、江戸時代から江戸に向かう船舶の寄港地として繁栄した。1854年の日米和親条約で、函館港とともに日本最初の開港地となった。しかし、貿易港としての役割は、江戸から遠く、天城山を越えなければならない地理的条件から、まもなく横浜港に移った江戸末期からの史跡や観光スポットも多く、キンメダイの水揚げ日本一でも知られる漁業基地となっている

 
 ペリー一行が歩いた道「ペリーロード」と呼ばれ、界隈のレトロな街並みを散策する。

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 この道は、幕末に黒船7隻で来航したペリー提督一行が、「了仙寺(りょうせんじ)」で日米和親条約の付録である下田条約を結ぶために行進した歴史ある道。

 かつて「出船入船三千隻」とうたわれた港町・下田の花柳界の面影が残り、平滑川(ひらなめがわ)に沿って石畳が続く。伊豆石やなまこ壁の家並み、柳の並木が独特の風情をつくり出している。

 ペリーロード沿いに並ぶ伊豆石(伊豆半島東岸から産する火山岩の総称)の建物群。

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 日米和親条約が結ばれた「了仙寺」。

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 「了仙寺」は、寛永12年(1635年)第三代将軍徳川家光の命により、下田の港町発展の基礎を築いた下田奉行・今村正長が創建した日蓮宗の寺。1854年には江戸幕府とペリー提督の交渉の場となる。ペリーと日本全権の林大学で、日米和親条約附録の細目13ヶ条(下田条約)が締結された。日本開国に関わる国指定史跡。

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 5月には境内のアメリカジャスミンが満開となり、強い香りで知られている。

 「了仙寺」境内に併設された美術館「黒船ミュージアムMoBS」。3,000点以上の開国に関する国内最大の資料の原本を所蔵。入館せず。

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 隣接して徳川歴代将軍朱印状、武田信玄関連古文書など「了仙寺伝来」の宝物を展示 した「了仙寺宝物館」もある。

 右手「豆州下田郷土資料館」、中央「下田開国博物館」、左手に「黒船トロンプ・ルイユ美術館」。いずれも入館せず。

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 下田市中央公民館前に建つ「吉田松陰拘禁の跡」の石碑。

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 幕末に吉田松陰がペリー艦隊に密航を企て、失敗に終わり拘禁された獄があったところ。

 下田は、伊豆石のほかに「なまこ壁」の建物が多い。

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 「なまこ壁」は、土壁等の壁塗りの様式の1つ。壁に平瓦を並べ、その目地に漆喰を盛り付けて塗ってある。盛り付けられた目地が「なまこ」に似ているのが名前の由来。

 下田港の内港(稲生沢川河口付近)の岸壁にある小説『伊豆の踊子』別れの汽船にりば跡。

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 踊子が主人公の学生を見送りに下田港に来て、分かれて汽船で東京へ向かうクライマックスの場面の乗船場があった。現在は当時の汽船航路(大島経由、東京行き)は廃止され、跡地に案内板が立っている。


●カネサ鰹節商店

 下田から県道15号線で西伊豆に移動、国道136号線を北上。13:20西伊豆町田子の「カネサ鰹節商店」に到着。

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 西伊豆田子地区では1300年以上続くカツオ加工の伝統がある。当店は創業140余年、鰹節の「手火山式(てびやましき)焙乾製法」の技と味を守り続けている。「潮鰹」(しおかつお)やカビ付けの「本枯れ節」など、希少な加工品を継承し、安心・安全な商品づくりに努めているという。明治15年創業以来、仕入れから製造・袋詰めまで一貫生産を行い、ほかにも塩辛や燻製など多様な商品を提供。体験や見学も受け付けている。

 工場内の一部

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 ちょうどこの時は、「潮鰹」(しおかつお)の製造時期、工場の中や軒下には大量の潮鰹が干してある。

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 「潮鰹」は「正月魚」とも呼ばれる縁起物の保存食。古くから正月の神棚に供えられてきた。伊豆田子に伝わる伝統的な加工法を基に製造されている。伊豆田子港はカツオ漁で栄えた漁師町で、航海安全や豊漁を祈願して神ワラを付けた「潮鰹」をつるす風習があった。現在では正月の伊豆の旬として親しまれており、製造は季節風を活かした11月〜1月上旬の限定期間で行われている。

 伝統的な「正月魚」。出典:「カネサ鰹節商店」のホームページ

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 工場の敷地に天日干しの鰹節。生の鰹から鰹節になるには、荒節で約1ヶ月、本枯れ節で約3か月~5か月間かかるという。鰹節になるまでには、いろいろな手間と時間がかっている。

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 伊豆田子地区は古くからカツオ漁と「堅魚(鰹)節」造りが盛んで、1801年に土佐の与市が製法を伝えたことで伊豆節が確立したそうだ。改良を重ね、伊豆節は土佐、薩摩と並ぶ名産となった。明治〜昭和期には多くの船と製造店が栄えたが、漁業衰退により減少。現在は4軒がこの伝統製法を守り続けているそうだ。

 売店でお土産に、「鰹なまりぶし」(1,300円)を購入。写真は、カネサ鰹節商店のホームページから転載。

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 「なまり節」とは、生のカツオをさばきいた後、蒸す、茹でるなど加熱処理行い、一度だけ燻製(焙煎)した加工品。西日本で呼ぶ「生節」(なまりぶし)と同じ商品。「かつお節」は主にダシを取る時に利用され、「なまり節」はなまり節自身をほぐして色々な料理で食る。サラダやパスタ、煮物など和洋中のどの料理にもよく合うそうだ。

 一方、「かつお節」は、同じ鰹を燻製、乾燥とカビ付けを何度も繰り返して仕上げたもので、カチカチに固く、旨味がぎゅっと凝縮されている。
  

 国道136号線を北上。14:30頃、「海産屋」(西伊豆町宇久須)に寄り、金目鯛とアジの干物、合計2,285円の買い物。

 更に国道136号線を北上。14:50頃、昼食の時間が無く、セブンイレブン土肥店(伊豆市土肥)でおにぎりなどを買って、車の中 で遅い昼食。

 19:55最寄り駅前に到着。

2025年12月26日 (金)

秋の伊豆半島めぐり-その1

 2025年11月20日(木)~21日(金)、秋の伊豆半島を巡る1泊2日の旅。

 

 1日目の22日(木)6:55、最寄り駅前をマイクロバスで出発。

 関越・圏央・東名高速をから10:00新東名・長泉沼津ICを降り 伊豆縦貫道/東駿河湾環状道路 、伊豆中央道を経て、10:30修善寺ICを出る。

 10:35修善寺梅林駐車場着、10:50「修善寺自然公園もみじ林」着。

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 修善寺のもみじ林。鮮やかに紅葉する景観は伊豆でも珍しいとされる。

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 「修善寺自然公園」は、四季を通じて散策しながら自然を楽しむことができる。富士見展望台から富士山を望む。

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 「修善寺自然公園」の中央部と「修善寺虹の郷」内には、それぞれ約1ha、約1,000本のもみじが群生しており、この公園は大正13年(1924年)、旧修善寺町の町制施行を記念して整備された。もみじのほか、赤松・金木犀・ツツジ・桜など多くの樹木が植えられたという。
 

 11:45「修善寺もみじ林」を後にして国道141号線を南下、車で30分ほどの道の駅「天城越え」(伊豆市湯ヶ島)に12:25到着。

 お土産・レストラン「緑の森」に入る。窓からの紅葉、黄葉の庭園を眺めながら昼食。冷やしとろろそば、生わさびとおろし金付で1,100円。

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 わさび生産者の直営店「天城わさびの里」や地元のおかあさん手作りの店「竹の子かあさん」もある。

 道の駅「天城越え」内にある「昭和の森会館」は、昭和天皇御在位50年を記念した「昭和の森・天城山自然休養林」の中心施設。天城峠周辺に広がる1600haの緑豊かな森の中に、大自然公園「昭和の森」が整備されている。

 園内には、天城に生息する動植物をパネルや映像で紹介する「森の情報館」(無料)と、伊豆ゆかりの文学者の足跡を紹介する「伊豆近代文学博物館」(有料300円)が併設されている。中庭は、わさび田の清流がと水車が回り、周囲には四季折々に彩りを変えるもみじ林が広がっている。園内には井上靖旧邸が移築されている。なお、今回は入館しなかった。

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 「踊子歩道」は、中伊豆の「浄蓮の滝」を起点として、東伊豆地域の河津町湯ヶ野を終点とする、全長およそ19㎞、所要時間7時間弱のコースがある。道の駅から「踊子歩道」の一部1Kmほどを「滑沢渓谷」を目指して、うっそうとした森の中を歩く。

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 右手の谷下では水量の多い本谷川が流れている音が聞こえ、やがて13:30「滑沢渓谷」に到着。

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 「滑沢渓谷」の底につづく滑らかな一枚岩は、谷を埋めて流れた溶岩。その表面には溶岩が冷却する際にできた節理が刻まれている。滑沢の水の流れが、谷底を埋め立てた堅い溶岩を、長い年月をかけて磨き上げたそうだ。

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 この溶岩流は滑沢沿いをしばらく上流まで辿ることができ、数100m先に天城山中第1位の巨木で、樹齢約450年と推定されている巨木「太郎杉」がある。この「太郎杉」の手前で、火山性の土石流の地層を見ることができるそうだが、時間の都合で引き返す。

 なお、ここから更に5Kmほど南下すると、旧天城トンネル(天城山隧道)がある。

 「踊子歩道」の始点である「浄蓮の滝」とその名所の1つ「旧天城トンネル」写真2枚の出典はウキメディア・コモンズ。

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 滝の落差は25m、幅は7mで岩盤には柱状節理が見られる。滝壺の深さは15m。かつて滝の左岸付近に「浄蓮寺」という寺院があったことから「浄蓮の滝」という名称がついたと伝わる滝の脇には、演歌歌手・石川さゆりのヒット曲である『天城越え』の歌碑があるという。

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 1905年(明治38)に伊豆市(旧天城湯ヶ島町)と河津町をつなぐトンネルとして開通、トンネルの完成により、古来の難所「天城超え」は解消されたという。延長445.5mの国内で最長、最古の石造道路隧道として、国の重要文化財に指定されている。

 14:15道の駅「天城越え」を後にする。

 

 国道414号線を南下して、東伊豆町に入り、「稲取細野高原」へ。

 道の駅から車で45分ほど、15:00「稲取細野高原」(東伊豆町稲取)の駐車場に到着。

 例年11月頃にすすきが見頃を迎え、夕陽に染まり「黄金の海」のような絶景が広がっている。期間中は、入山料1,000円。

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 標高400〜800mの高地にありながら高い樹木がない稲取細野高原からは、遮るものがなく伊豆の大自然を見渡せる。東京ドーム26個、125haという広大な敷地は、全体がハイキングコースとなっていて、湿原や高山植物などを楽しみながら歩くことができるという。

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 高原奥の「三筋山」の標高は821m。高原の一番低い場所の標高が約370m、標高差が約550mあるので、気温でも3度程度の差がある。天城山の侵食で残った台地に、約2万5千年前の泥流が堆積してできた湿原で、貴重な植物や湧水を育む地域である。標高差が大きいので、多様な植生が見られ、約500種の植物と絶滅危惧種26種が生育する。

 東の方角、伊豆諸島を展望。中央が伊豆大島。

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 かつての山焼きの減少により樹林化が進み、現在の高原の広さは1970年代に比較して3分の1程度であるという。湿原の乾燥化や鹿の食害、マダニの増加などが近年の課題となっているそうだ。
 

 16:00頃「稲取細野高原」を後にして、東伊豆町の市街地・稲取に向かう。

 お土産に、稲取漁港の近くの(有)山長水産に16:40頃入店。母娘が手作りでやっている元祖・金目鯛の味噌漬のお店。買おうとしたが、明日まで日持ちが心配。結局、乾物のバラ干し海苔(700円)をお買い上げ。

 17:00「伊藤園ホテル稲取」チェックイン。

 部屋に入って、テレビで相撲観戦。九州場所12日目のこの日、期待の新関脇・安青錦は前頭四枚目・欧勝馬を浴びせ倒しで破り、10勝2敗。大の里・豊昇龍の両横綱と並び、首位を守る。安青錦は、23日(日)の千秋楽で豊昇龍を破り、ウクライナ人として初優勝した。

 テレビ観戦後、入浴。19:20~20:50、バイキングの夕食。22:00頃就寝。

 

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 「早春の伊豆半島めぐり-その1」 2017年2月26日投稿

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2025年11月30日 (日)

秩父三十四ヶ所観音札所めぐり

 2025年11月18(火)、「秩父札所34ヶ所」のうちの9ヶ寺と「秩父神社」をバスで巡る。


 バスは午前7時55分、参加者16名を乗せて出発。パーキングエリアで途中休憩を入れ、関越道花園インターを降りて寄居皆野有料道路へ。

●1番札所「四萬部寺」(しまぶじ)秩父市栃谷

 9時5分、「四萬部寺」に到着。

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 あいにく曇り空だが、秋色に包まれた境内で、紅葉を楽しみつつ参拝する。

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 1007年、幻通の創建。播磨(播州)の性空上人の「武蔵国秩父は観世音菩薩有縁の地なり、彼の地に行きて教化せよ」との命を受けて弟子の幻通がこの地を訪れ、四万部の経典を読経し、供養のための経塚を築き、秩父第一番の霊場としたものとされる。

●2番札所納経所「光明寺」秩父市山田

 2番札所「真福寺」の納経所(のうきょうしょ)としても知られている。山門はなく、一対の仁王像が立っている。

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 納経所(のうきょうしょ)とは、巡礼者が参拝後に「納経」(写経をを奉納すること)を行う場所で、納経帳や掛け軸、白衣などに御朱印をいただける寺院内の受付のこと。

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 札所2番「真福寺」は、標高656mの高篠山の中腹に位置し、無人の寺のため御朱印は納経所「光明寺」でいただく必要がある。「真福寺」は「光明寺」から2.2Km、徒歩で山道を登り約40分の場所にある。

●3番札所「常泉寺」秩父市山田

 「光明寺」と同じように、堂外に仁王像が祀られている。 

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 創建は、奈良の大仏建立の責任者・行基によるものと言われている。

 本堂左手の石段を登ると、1870年(明治3年)に廃仏毀釈によって「秩父神社」の境内にあった「蔵福寺」から薬師堂を移築された観音堂。

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 観音堂の向拝(こうはい)には、名工として当時秩父で名を馳せた玉井(熊谷付近)の飯田和泉による見事な龍・鳳凰の彫刻。海老虹梁(写真なし)の龍の籠彫り(かごぼり)は、素晴らしい。

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 自然石の寺宝「子持ち石」は、子供を授かりたいという女性が抱くと子宝に恵まれると伝えられている。本堂の前に設置されているので、誰でも自由に触れることができ、子宝のご利益を求め多くの女性が訪れるという。 また、安産祈願や幼児の成長を祈願する「子安観音」も祀られている。(「子持ち石」と「子安観音」の写真はなし)

●6番札所「卜雲寺」(ぼくうんじ)秩父郡横瀬町

 ぶどう畑を右にみて急勾配の参道を上ると「卜雲寺」の本堂。

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 高台にある「卜雲寺」は、見晴らしがよく武甲山を望むことができる。

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●7番札所「法長寺」秩父郡横瀬町

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 本堂は、秩父札所随一の大伽藍で、本堂の中に観音堂があるという珍しい造り。平賀源内の原図を元に設計されたと伝わる。

 ここの境内から見る武甲山の風景も素晴らしい。

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 予約してある昼食までにはまだ時間があるので、予定外の9番と15番を追加で参拝。

●9番札所「明智寺」(あけちじ)秩父郡横瀬町

 本堂は、珍しい六角形の観音堂となっており、平成2年(1990年)に再建された。安産子育ての観音菩薩として有名。

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●15番札所「少林寺」秩父市番場町

 駐車場から「少林寺」の裏から入ると、白い漆喰が印象的な本堂は、秩父札所唯一の土蔵造り。

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 明治11年(1878年)の秩父大火で焼失した教訓を活かして、土蔵造りに再建されたという。

●番外「秩父神社」秩父市番場町

 「少林寺」の参道を横切る秩父鉄道の踏切を渡り、番場通りを右へ歩くとすぐに「秩父神社」がある。駅からも近く、平日だが参拝者は多い。

 徳川家康が寄進した「秩父神社」は、秩父の総鎮守。50年に1度の社殿彫刻の塗り直しは約5年間かけて行われた。彫刻はすべて取り外されて作業場に運ばれて修復され、2023年11月に終了した。彫刻は、色鮮やかに塗り直され、社殿の外観を一新した。

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 拝殿正面には、健康の願いを叶えてくれる「恵比寿様」と富の願いを叶えてくれる「大黒様」。

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 髭や歯など顔の細かいところまで丁寧に塗られている。恵比寿様は左手に鯛を、大黒様は打ち出の小槌を振り下ろし、願い事を叶えてくれることを表現しているようだ。

 社殿正面、南側にはたくさんの虎の彫刻がある。

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 寄進した徳川家康が寅の年、寅の日、寅の刻に誕生したと言われており、家康の威厳とご祭神を守護する神の使いともされている。家族連れの虎が戯れている彫刻の中(写真なし)で、母親だけヒョウ柄になっている。諸説あるそうだが、豹を虎の雌だと思われていたという。

 社殿の西側には「お元気三猿」の彫刻がある。

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 三猿といえば、日光東照宮の「見ざる・言わざる・聞かざる」が有名だが、秩父神社の三猿は「よく見て・よく聞いて・よく話す」の意味が持たれ、日光と真逆の表情をしている。

 本殿北側中央には、「北辰の梟(ふくろう)」というご祭神とゆかりの深い瑞鳥(ずいちょう、良いことが起こる前兆とされる鳥)がある。

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 梟は体を南向きに向け、顔だけを北に向けているという。これは、南側の本殿に鎮座する神様に失礼のないように、神様にお尻を向けないようにしているそうだ。また、北を見ているのは北斗七星の尻尾にある破軍星から現れる妙見様を見守っている。男神である妙見様は戦いの神様。関東武士団が「妙見様を信仰すれば必ず勝てる」と広まっていったとのこと。

 社殿東側には左甚五郎が作ったと言われている「つなぎの龍」の彫刻。よく見ると彫刻が鎖につながれている。

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 昔、秩父札所15番「少林寺」の近くに「天ケ池」という池があり、その池に魂が宿った龍が夜な夜な抜け出し暴れまわり、池の水害がある際に、必ずこの彫刻の下に水溜りができていた。そこで、この彫り物の龍を鎖で繋ぎ止めたところ、龍は現れなくなったという伝説が伝わる。龍は水の神様なので、龍が繋がれることで水害が収まってほしいという願いも込められている。

 更に歩いて、秩父鉄道の駅ビル「地場産業センター」の1階で買い物、12時半から2階の秩父茶房レストラン「春夏秋冬」で昼食。

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 レストラン「春夏秋冬」の彩り膳

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●5番札所「語歌堂」(ごかどう)秩父郡横瀬町

 午後は、札所5番は、里道に面して開けっぴろげで無人の「語歌堂」。

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 札所の納経所は「語歌堂」から250mほど東に離れた「長興寺」で、観音堂と別当寺という札所本来の形を残しているという。

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 孫八は和歌の道に親しむ風流人。ある日ひとり堂にこもって歌想を練っていた。そこへ1人の僧が訪ねてきて、2人は夜を徹して和歌の奥義について論じ合った。翌朝、孫八が目を覚ました時には旅の僧の姿はなかった。旅僧は救世観世音菩薩聖徳太子という説もあり)の化身であり、それを悟った孫八はこの観音堂を「語歌堂」と名付けたと言う。

●4番札所「金昌寺」(きんしょうじ)秩父市山田

 赤い仁王門に、大きな草鞋(わらじ)が奉納されている。

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 「金昌寺」は、約1,300体にもおよぶ石仏が並ぶ「石仏の寺」として知られる。

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 江戸時代の寛政年間(1789年~1801年)、古仙登嶽(こせんとがく)和尚が、浅間山噴火・天明の大飢饉などによる犠牲者を供養するために、千体石仏の建立を発願したことに由来するとされる。

 本堂の回廊右手にある「子育て観音」は、赤ん坊に乳房を含ませるリアルな母親の姿の観音様で、秩父札所巡りの目玉の1つだそうだ。

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 江戸時代、妻子を失った人物がその供養のために建立したものと伝えられているが、隠れキリシタンによって建立されたマリア観音とする説もあるという。

 ここには、地元・秩父市出身の政治家・荒船清十郎の墓と銅像があった。

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 1966年(昭和41年)8月、佐藤内閣の運輸相に抜擢されるが、10月からのダイヤ改正に際して、国鉄に要請して自分の選挙区(当時の埼玉3区)にあった深谷駅急行停車駅に指定させたため、世論の批判を受ける。放言やスキャンダルまみれで評判は良くなかった。しかし、クリーンではないが気骨ある政治家、品性に欠けるものの愛嬌があり憎めない政治家として国民から親しまれた。
  

 「金昌寺」を後にして、午後3時35分に予定より2時間早く出発地に帰着した。

 この日は、今季一番の寒気が流れ込み、12月並みの寒さの予報。秩父地方は曇り空で最高気温は15℃ほど。風も強くなく、にわか雨も降らず、午後からは青空も見えて思ったより暖かい秋の日だった。
 

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2025年11月 1日 (土)

福岡県・糸島半島

 2025年10月23日(木)、福岡県糸島半島をツアーバスで巡る。
 

 糸島半島は、東部が福岡市西区、西部と南部が糸島市の市域。「糸島」の名前の由来は、合併前の怡土郡(いとぐん)と志摩郡(しまぐん)の名を繋げて別の字を当てたもの。

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 9:30、KKRホテル博多をマイクロバスで出発。

 西九州自動車道の拾六町ICから 入り、前原東ICを出て県道54号を北西へ進む。
 

●芥屋の大門

 10:30、「芥屋の大門」(けやのおおと)公園の駐車場(糸島市志摩芥屋)に到着。

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 「芥屋の大門」公園の駐車場に隣接する「大祖(たいそ)神社」。社殿は工事中で、ブルーシートで覆われていた。

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 歴史のある神社のようだ。主祭神はもとは天照大神、伊邪那岐命(イザナギノミコト)、伊邪那美命(イザナミノミコト)の三神だったが、明治44年に綿積神社、産屋神社を合祀したことで、鵜葺草葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト)、玉依姫命(タマヨリヒメノミコト)、草野姫命(カヤノヒメノミコト)・・・豊玉姫(トヨタマヒメノミコト)ほか多数の神々が祀られているそうだ。

 「大祖神社」の前を通り過ぎ、海岸線に出ると鳥居がある。その向こうの海側が神域。額は「大門神窟」。「芥屋の大門」を祠とする「大門神社」だそうだ。

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 海岸線から左手に、柱状節理の「芥屋の大門」の東側面が見える。下の写真は、Googelフォトより転載。

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 「芥屋の大門」は、玄海国定公園の中でも名勝奇岩として全国的に知られる日本最大の玄武岩洞。高さ64m、奥行き90m、間口10m。神秘的な洞窟の中は、遊覧船に乗って観ることができる。3月中旬から11月にかけて、芥屋漁港から観光遊覧船が運航(遊覧時間約25分)。

 この日はこの日は波が荒くて、乗船予定の遊覧船は欠航。洞窟を見れなかったのは残念だった。次の2枚の写真は、福岡県観光連盟提供。

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 六角形や八角形の玄武岩柱状節理は、国の天然記念物に指定。

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 「芥屋の大門」公園の展望台へ向かう森の遊歩道が、ジブリ映画『となりのトトロ 』に出てきそうな「トトロの森」。木立のアーチのようになっているトンネルの中を5分ほど登る。

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 森の奥へ登っていくと展望台があり、「芥屋の大門」の背面を見ることができる。

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 展望台からは、玄界灘に浮かぶ姫島とその背後は唐津。

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●二見ヶ浦の夫婦岩

 「芥屋の大門」公園を後にして、県道54号を北東へ福岡市西区方面に向かう。11:20、およそ20分ほどで「二見ヶ浦」(糸島市志摩桜井)の海中大鳥居と夫婦岩。

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 北西の方角、海岸線の向こうに「パームビーチ」が見える。

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●バームビーチ

 県道54号の歩道を600mほど歩き、12:00頃「パームビーチ」 (福岡市西区西浦)へ。

 「パームビーチ」から夫婦岩を望む。

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 ビーチカフェのバーベキュー小屋。

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 イタリア料理の「パームビーチ レストラン」(福岡市西区西浦)で、12:30~昼食。

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●ざうお海岸のブランコ

 県道54号線を5Km、7分ほど、13:35博多湾側の「ざうお海岸のブランコ」(福岡市西区小田)に到着。

 「活魚茶屋ざうお本店」の敷地内にある「ヤシの木ブランコ」。

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 ジョーズ(右)と碇のベンチ(中央)など、浜辺にはいろいろな遊具がある。

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 「宙(そら)への階段」を登ると「宙の鐘」。飛び込み、飛び降り禁止。

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 浜辺からは、海に突き出た「福岡市海づり公園」、遠くに博多市街が見える。

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 14:00「ざうお海岸」を離れ、県道54号線を南下し、桑原水崎線から西へ向かい九州大学伊都キャンパス近くを通る。

●造り酒屋「杉能舎」

 14:15、造り酒屋の「杉能舎」(浜地酒造、福岡市西区元岡)着。

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 スタッフが、米を蒸すための大釜の展示と酒造りの紹介ビデオを案内。

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 「杉能舎」は、日本酒やクラフトビール、種類豊富なリキュールや甘酒、季節限定のお酒など販売。無料で試飲が可能。発酵副産物を使用した酒蔵のパン工房では、地ビールパン、あまざけソフトクリームや酒粕饅頭なども販売。
 

 県道85号国道202号、今宿道路/岡前原道路から今宿ICで西九州自動車道に入り、福岡高速環状/Cの博多駅東ICを出る。

 15:30、博多駅筑紫口へ到着。
 

 ★ ★ ★

●糸島と伊都国

 糸島市は、2010年(平成22)1月に旧前原市・旧志摩町・旧二丈町が合併して誕生。福岡県西部の糸島半島に位置し、北側には玄界灘に面した美しい海岸線、南側には背振山系の山々が連なる。それの間は、糸島平野と呼ばれるなだらかな田園地帯が広がっている。

 中国の歴史書『魏志倭人伝 』によると、糸島市を含む糸島半島全域は、かつて古代国家「伊都国」として栄えていた地。「伊都国歴史博物館」には、1965年に発見された「平原遺跡」(ひらばるいせき)から出土した日本最大直径46.5cmの銅鏡「内行花文鏡」(ないこうかもんきょう)が展示されており、伊都国の繁栄を象徴する。


 糸島地方は、朝鮮半島や中国大陸に近いため、最新の技術や情報をどこよりも早く取り入れることができ、国内外から人々が集まり、やがて「伊都国」と呼ばれる国が生まれた。『魏志倭人伝』によると、伊都国は大陸との交易窓口と記され、中国や朝鮮半島の使者たちは必ず「伊都国」に立ち寄る義務が課せられたという。伊都国は、代々の王によって統治され、その力は当時、女王卑弥呼が君臨した邪馬台国に次ぐものと考えられている。

 王は、伊都国の人々に長い間信頼されながら中国皇帝とも深いつながりを持ち、古代国家建設を目指した。伊都国の生活は非常に豊かであったことが推測される。多くの人々が集まり行きかい、その集落には王の宮殿をはじめ、役人たちの官舎、中国や朝鮮から来た人々の迎賓館などが建ち並び、華やかな王都の想起される。1965年に発見された「平原遺跡」こそが、伊都国がどれほどの力を持っていたかを知る手がかりとなった。

2025年10月12日 (日)

鐘撞堂山ハイク

 2025年10月7日(火)、埼玉県寄居町の「鐘撞堂山」ハイキング。
 
 
 「鐘撞堂山」(かねつきどうやま)は、寄居町の北方にそびえる低山で、山麓から目立たない山であるが手軽なハイキングの山として人気がある。関東百名山に選定されている。山頂からは関東平野が望め、寄居の街並みや東京スカイツリー、筑波山や榛名山などが見渡せるという。
  
 10:25、東武東上線「寄居駅」に到着。10:35、北口からスタート。
 
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 市街地を北に向かい、10分ほどでヤオコー寄居店、昼食を調達。
 
 10:55ヤオコーを出発。国道140号線を横断して北へ向かう車道を歩く。11:25、標高130mの「大正池」。東屋で休息。トイレ有り。
 
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 「大正池」といえば、上高地(長野県松本市)の「大正池」。こちらの「大正池」は上高地の2年遅れで誕生、寄居駅の北1.5kmほどの標高130mほどの場所に位置し、「鐘撞堂山」を結ぶハイキングコースにある。
 
 大正6年に竣工した農業用ため池で、地元の農業関係者が毎日30人〜40人、2年間にわたって谷を掘削したもの。大正時代に溜め池として作られた大正池は、全国にあるそうだ。
 
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 庚申塔など、いくつかの石碑がある。
 
 やがて舗装道路は途切れて砂利道、山道になり、11:45鐘撞堂山の登山口に到着。
 
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 杉林の登山道を進む。
 
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 途中で、「肌あれ・アトピー・花粉症にも竹酢液を」の札。竹酢液とは竹炭を焼くときに出る煙を冷却して採り出した液体で、竹のエキス。原材料が竹の場合「竹酢液」と呼び、他の木の場合は「木酢液」と呼ばれる。この辺りには、竹林が続く。
 
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 やがて「竹炭工房」の看板のある小屋があった。
 
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 「竹炭工房」の看板には、
 
・一般家庭用   ・竹酢液(アトピー・肌荒れ・花粉症)
・平炭・丸炭   ・花器(一輪差し)
・竹炭枕      一日、灰焼体験コーナー 要予約
 
とある。
 
 笹薮の山道が続く。
 
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 いよいよ急登。
 
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 「鐘撞堂山」と「円良湖」に向かう分岐。
 
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 山頂直下の最後の急階段。
 
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 12:25、「鐘撞堂山」山頂(標高330m)に到着、昼食。ここは、寄居町、深谷市、美里町の分岐点に位置する。北条氏が北関東支配の拠点 とした「鉢形城」の物見山で、鐘を撞いて危急を知らせた。
 
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 展望台からは、桜の木の枝が邪魔して、展望が悪い。
 
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 展望台の下からが良く展望できたが、写真を撮るのを失念した。
 
 13:00、下山開始。
 
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 13:30、灌漑用の「円良田湖」(つぶらだこ)。標高156m、周囲4.3km。美里町と寄居町にまたがり、桜の名所として知られている。ヘラブナ釣りのメッカ、冬にはワカサギ釣りもできるそうだ。東屋で休憩。
 
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 14:35、秩父鉄道「波久礼駅」(無人駅)着。
 
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 歩程約8Km。曇り空で、最高気温20℃程度。この時期には涼しい日和だった。
 
 15:01発の羽生行きに乗車。次の駅の寄居駅に5分で到着。

2025年9月25日 (木)

くらかけ清流の郷

 1925年9月21日(日)「くらかけ清流の郷」(埼玉県東松山市)へ行く。

 埼玉県と東松山市共同の「川のまるごと再生プロジェクト」により、荒川水系「越辺川」(おっぺがわ)支流の都幾川に架かる「鞍掛橋」周辺の自然を川に親しめる場所として整備。川遊びやバーベキューが楽しめる施設。

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 「鞍掛橋」は、市内神戸(ごうど)地区と上唐子地区をつなぐ冠水橋。飛び石も設置されている。

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 河川工事により長い間休業していたが、2025年7月14日(月)より営業を再開された。

 夏休みは、家族連れが大勢来場して混み合ったようだ。9月になっても水遊びの子どもも多い。

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 9月下旬になっても朝夕は涼しいが、日中は厳しい残暑が続く。この日の最高気温は、30℃前後。

 しかし東北・北陸の秋雨前線が活発なせいか強い風が吹き、日差しはあるが蒸し暑さはなく過ごしやすかった。

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 有料エリアは、木陰で真夏には涼しい。

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 利用料金(予約)は、5名、普通自動車1台利用で、 環境美化協力金(駐車料)1,000円、BBQ用具セット5,000円、食材(スタンダードコース)8,000円で、合計14,000円。一人あたり、2,800円相当。

 食材の牛・鶏・豚肉のほかに、東松山名物の「やきとり」10本と「味噌だれ」も含まれているのが面白い。

2025年8月 9日 (土)

白駒池と車山肩

 2025年7月30日(水)、涼しさを求めて八ヶ岳周辺を巡る。

 

 8:00、集合地を出発。関越自動車道、上信越自動車道から中部横断自動車道の佐久穂ICを10:00頃出る。「白駒池」を目指して「メルヘン街道」(国道299号)を南下する。

 八千穂高原の白樺群生地、八千穂スキー場の前を抜けて、標高1706mに位置する「レストハウスふるさと」(長野県小海町)で休憩。

 ここのテラス席から、佐久平の広大な景色を一望。残念ながら景色は靄(もや)がかかって、山並みは雲で覆われて見えにくい。

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●白駒池

 11:00、メルヘン街道沿いの右手「白駒池」駐車場(有料)に到着。駐車場の反対側に「白駒池」の入口。

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 国土地理院の地図では「白駒池」と表記されているが、資料やパンフレット、看板などで表記ゆれがあり、「白駒の池(しらこまのいけ)」、「白駒池(しらこまいけ)」、「白駒ノ池(しらこまのいけ)」の3種類がある。

 苔と原生林。「白駒池」は、周囲をコメツガやシラビソなどの針葉樹林帯に囲まれている。

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 苔のミクロの世界。

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 ミクロの苔の森。

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 木道を歩いて「白駒池」へ向かう。こんな歩きやすい木道は、昔来た時は無かった。

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 原生林の中を徒歩で約10~15分程歩くと、別世界のような静かな池の畔に立つ。八ヶ岳連峰の北部にあたる北八ヶ岳のふもとの八千穂高原にあり、紅葉の名所として知られる「白駒の池」は、長野県佐久穂町と小海町との境にある。

 北八ヶ岳を構成する山々のうち、丸山と白駒峰との間、標高2,115mの地点に位置し、白駒峰の噴火により大石川(信濃川水系)がせき止められて誕生した堰止湖。池の周囲長1.35Kmで、 標高2,100m以上にある湖としては、日本最大。

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 周囲は約1.6km(一周徒歩約3~40分ほど)、最大深度約8.6mの自然湖で水面にはヒルムシロやホソバノウキミクリなどの水草が浮いている。

 ホソバノウキミクリ (細葉浮実栗) の細い葉の水草が、波に揺られている。この水草は、本州ではここ「白駒池」と東北の一部にしかないそうだ。

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 アキアカネ(赤トンボ)が飛び交う。平地で育ったアキアカネは、日中の気温が20~25℃の3000m迄の高原や山岳地帯へ移動し、7月~8月の盛夏を過ごす。

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 成熟した成虫、特に雄は体色が橙色から真っ赤な色に変化し、秋には大群を成して山を降り、平地や丘陵地、低山地へと移動するという。

 湖畔を散策して、駐車場に戻る。

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●大東園

 12:05、「白駒池」駐車場を出発。「メルヘン街道」を南下して茅野市方面に向かう。30分ほどで、築150年以上の純日本家屋の宿・豪族の館「大東園」(長野県茅野市北山)に12:45到着。ここで13:35まで昼食、休憩。

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 「大東園」の名物は、ぼたん鍋(猪鍋)だそうだが、予約しておいたランチは、「豪族そば」(1,600円)。猪の肉、ねぎ、海苔がのった信州そばに、つけ汁と卵黄が付く。猪の肉はミンチ状になっていて、臭いもないし、言われなければ猪とは分からないが、美味しい蕎麦にあう。

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 「大東園」から更にメルヘン街道を下り、「鉄山入口」バス停で左折して県道484号を走り、更に左折して県道191号線を上ると「御射鹿池」(みしゃかいけ)、13:50到着。

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 画家・東山魁夷の有名な作品『緑響く』に描かれた風光明媚な「御射鹿池」。静かな水面には背景の林や山々の風景が逆さに映り込み、幻想的。ここは、長野県茅野市豊平にある標高1,500mの農業用溜め池で、冷たい八ヶ岳の水を太陽で温めて稲作に利用するために、昭和の初めに造られたそうだ。

 10年前にここに来たときは、水際までは入れたが、今では堤防内は立ち入り禁止。柵で囲われて、池に近づくことはできなくなった。当時に比べ、駐車場やトイレも設置してあって観光客も多い。

 14:10、「御射鹿池」を出発。国道152号線を北上、「白樺湖」の傍を通って「ビーナスライン」(県道40号線)で霧ヶ峰高原方面に向かう。


●車山肩

 「車山高原」の「車山肩」駐車場(標高1800m)に、15:00着。期待していた草原に群生するニッコウキスゲは、見頃を終わっていて残念。

 気象レーダーのドームがある「車山」(標高1925m)とその左奥に「蓼科山」(たてしなやま、標高2,531m )が見える。

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 ニッコウキスゲを鹿の食害から守る電気柵が張られている。

 枯れかかったニッコウキスゲの花が、チラホラ。

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 「霧ヶ峰」の最高峰「車山」(くるまやま)は、長野県茅野市と諏訪市の境目に位置する標高は1925mの山。車山一帯は「車山高原」と呼ばれており、冬季には車山高原スキー場としてスキーが楽しめる。ニッコウキスゲは、7月中旬から車山高原一帯に咲き始める。ニッコウキスゲの黄色と空の青、遠くの山並みが一体となった絶景のコントラストが広がるはずだった。

 オニユリが満開だったが、ニッコウキスゲのように群生はしていない。

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 「車山肩」を15:45出発。帰りの車窓から見る「八ヶ岳連峰」。

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 予定していた「八島湿原」(標高1,630m)は、時間の都合で割愛した。

 国道142号(国道256号)沿い、中部横断自動車道の佐久南ICの手前にある道の駅「ほっとぱーく・浅科(あさしな)」(長野県佐久市甲)に16:45着。

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 ここから北の方向に、雄大な浅間山と広大な田園地帯を望む

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 17:05まで、道の駅で買い物、休憩の後、往路を戻る。19時少し前に朝の集合場所に帰着。

 平地ではこの日も35℃を超える猛暑日だったが、高原の気持ちの良い風と景色を楽しんだ1日だった。
 


 本ブログの関連記事

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「白駒の池周辺の山歩き」 2023/08/24投稿
  http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2023/08/post-4c6bac.html

「長野市周辺と白馬の旅」 2016/10/28投稿
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「八ヶ岳高原の水景」 2015/07/06投稿
  http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2015/07/post-36fc.html

「八ヶ岳高原の新緑」 2014/06/02投稿
  http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2014/06/post-36fc.html

「八ヶ岳北横岳・霧ヶ峰車山高原」 2011/09/26投稿
  http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/20110723-24-5f5.html

2025年7月28日 (月)

池ノ平湿原

 2025年7月21日(月)、湯の丸高原「池ノ平湿原」(長野県東御市)ハイキング。

 「池ノ平駐車場」から「見晴歩道」、「三方ヶ峰」(2040m)を経て、「池ノ平三方歩道」を周回。

 

 9:45関越道小諸ICで高速を降り県道94号線を経て、10:25標高2060mの「池ノ平駐車場」に到着。

 コマクサ峠の「池ノ平湿原」入口の案内板。

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 案内板右手の丘陵部から、湿原全体を望む「見晴歩道」へ。 しばらく階段状の上り坂が続くが、やがてゆるやかな登り。

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 高度を上げると、「池ノ平湿原」が顔を出す。

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 「村界の丘」を経て、11:00「雷の丘」2100m。

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 更に進むと「池ノ平湿原」の全容が見えてくる。

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 平坦な山道を歩く。

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 11:20「雲上の丘」2,110mに到着。休憩。

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 ここは、「池ノ平湿原」をはじめ、「篭ノ登山」、「黒斑山」、「湯ノ丸山」、「北アルプス」などを眺めることができるベストビューポイントだが、あいにくのガスで見えず。

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 「池ノ平湿原」を見下ろす。右下が「鏡池」。

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 11:25「雲上の丘」を後にして、「ピグミーの森」を抜けると、分岐に11:35着。

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 右は、100mほど先に「見晴岳」2095m。

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 左は、400mに「三方ケ峰」2040m。

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 分岐を左に進むと道は下りに転じ、すぐ右手に小諸市の街が見えてくる。

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 下りから10分ほどで、「三方ケ峰」への最後の登り。

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 12:05「三方ケ峰」2040mに到着。ここで昼食。

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 「三方ケ峰」は、「篭ノ登山」(かごのとやま)の南西側に位置する山で、「池ノ平湿原」と「鏡池」の背後にあって、山頂は横長の小高い丘のようだ。

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 山頂付近は、コマクサ園になっている。保護柵が張られ、その先のガレ場の斜面にはコマクサがチラホラ。既に見頃を過ぎていた。

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 南の方角は、佐久方面。

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 南南西の方角、小諸市。

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 南西の方角、東御市。

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 八ヶ岳は雲で隠れて、全容は見えない。

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 12:30「三方ケ峰」を後にし、しばらく下ると木道が続く。

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 12:40湿原の「忠治の隠岩広場」着。   

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 ここから左へ湿原に張り出すように設けられた木道で、「鏡池」へ。

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 「三方ヶ峰」の直径700mほどの中心火口が、現在の「池ノ平湿原」。かつては火口湖だった。湿原に水が溜まったのが「鏡池」。

 「忠治の隠岩」は、江戸時代の侠客・国定忠治が上州赤城から逃げて隠れたという伝説の巨石。岩石は、「三方ケ峰」火山の溶岩の塊。隠れ岩伝説は、赤城山や志賀高原にもあるという。

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 湿原中央部を横切る「池ノ平遊歩道」平坦部の終り、12:50「グリーン広場」2008mに到着。しばし休憩。

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 「グリーン広場」から、「忠治の隠岩広場」と「鏡池」の方面を振り返る。

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 「グリーン広場」から「池ノ平駐車場」まで、木道のゆるやかな坂道。

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 この木道は、設置されて間もなく、幅も広くて歩くのに快適だった。

 13:15「池ノ平湿原」入口の案内板裏のベンチで休憩。「池の平駐車場」に13:30着、13:40出発。
 

 帰りの渋滞が予想されるため、予定していた「あぐりの湯ころも」の入浴は割愛。上信越道の藤岡JCTに近づくと渋滞が始まり、15:25吉井ICで降りて一般道へ。17:40出発地に帰着。

 
 ★ ★ ★

 この日の平地は、気温35℃以上の猛暑日。標高2000mのこの高原では20℃と少し、風も爽やかで涼しかった。

 「池ノ平湿原」は、浅間山西麓にある「湯の丸高原」と「高峰高原」の間にある。浅間・烏帽子火山群に属する 数万年前の「三方ヶ峰」火山の火口原に広がる高層湿原。

 湿原は直径700mほどの広がりを持ち、三方を低い火口縁に囲まれているが、東南方は谷に向かって開いており、「放開口」と呼ばれている。湿原の西南隅近くには池塘もみられる。アップダウンが少ないので、年齢を問わず軽装で気軽に歩ける散策コース。

 1000種類以上もの高山植物の宝庫で、季節によりコマクサ(6月~8月)、レンゲツツジ(6月中旬~7月)、アヤメ(7月)、ヤナギラン(8月)、マツムシソウ(8月中旬~9月上旬)、リンドウ(8月中旬~9月)等が見られるという。

 かすかな記憶として残っていた「池ノ平湿原」を、以下の本ブログ記事を探したことで思い出した。訪れたのは、今から12〜13年前のこと。当時は高山植物を見つけては熱心に撮影していたが、今回の訪問ではあまり目にすることができなかった。探したり撮影したりする時間が限られていたことも理由の一つであろう。

 「鏡池」付近を除く湿原全体がクマザサに覆われており、その様子は異様であった。尾瀬のような典型的な湿原とは趣が異なる。近年、「池ノ平湿原」の乾燥化が進行しており、湿地本来の姿が少しずつ失われつつあるという。高山植物をあまり見かけなかった一因も、この乾燥化にあるのかもしれない。地球温暖化の影響により、降水量や季節ごとの気温変動が増加し、水環境が変化した結果、湿地が徐々に乾燥しているとのことである。特に近年は夏の暑さが厳しく、乾燥の進行に拍車をかけていると考えられる。

 本ブログの関連記事

 「浅間山周辺の高原」 2012年8月7日投稿
   http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-39a6.html

 「湯ノ丸山」 2013年7月 3日 投稿
   http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2013/07/post-4e73.html

 

2025年7月14日 (月)

仙台・平泉探訪の旅ー気仙沼・松島

 2025年5月25日(日)~27日(火)、2泊3日の仙台・平泉探訪の旅。
 

 3日目の5月27日(火)、6:00起床。朝7時頃、ホテルの客室の窓から気仙沼湾と漁港の風景。

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 7:45~朝食、9:00「気仙沼ホテル観洋」を出発。

 予定の「亀山展望台」(標高235m)が工事に付き、9:15「気仙沼大島大橋」(鶴亀大橋)展望台へ。

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 北西の方角、気仙沼市街地と「気仙沼港横断橋」を望む。

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 大橋の東側の「大島瀬戸」を望む。

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 9:25、展望台発。三陸沿岸道路を通り、11:05「松島さかな市場」駐車場着。 

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 「遊覧船案内所」付近から松島湾の小島を望む。

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 松島湾の地図

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 11:30、松島のシンボル「瑞巌寺五大堂」。伊達政宗が慶長9年(1604)に再建、東北地方現存最古の桃山建築。

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 「瑞巌寺五大堂」から松島島巡り観光船乗り場を望む。

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 11:50~、松島のかき小屋「MATSU」で昼食。 

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 12:50松島を出発。三陸沿岸自動車道を通って仙台へ。

 13:55仙台レンタカー店に戻り、14:00~「朝市」(昼間もやっている)で買い物。

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 14:35~、仙台駅S-PAL地下1階の土産品店で買い物。

 仙台駅16:34発「やまびこ148号」6号車に乗車、大宮駅18:11着。2泊3日の旅を終わる。

 

気仙沼漁港

 気仙沼に初めて来て、こんなに大きな漁港とは知らなかった。太平洋に面した気仙沼漁港は、宮城県気仙沼市の気仙沼湾奥部に所在する東北でも有数の漁港。世界三大漁場の一つである、三陸沖を操業域とする漁船の主要な水揚げ港の一つであると同時に、日本の主にまぐろなど遠洋漁業の基地の一つとなっている。水揚げは、かつお、まぐろ、かじき、さんま、さめが多く、生鮮かつおの水揚は全国一。フカヒレのさめは、全国の7割だという。

 1960年(昭和35年)5月24日に発生したチリ地震に伴う津波で被害を受け、また2011年(平成23年)3月11日の東日本大震災に伴う地盤沈下および津波によって大きな被害を受けた。

 1969年(昭和44年)3月、水産業の振興のためには特に重要であるとして漁港漁場整備法の政令で定められた漁港として、「特定第3種漁港」(略称は「特三」)に指定された。「特三」漁港は、本州と九州にのみ分布し、全国に13港。東北では、八戸漁港、気仙沼漁港、石巻漁港、塩釜漁港の4港。

●仙台朝市

 「仙台朝市」は仙台駅から徒歩5分、「仙台市の台所」。 新鮮な地元宮城の食材を豊富に取り揃えた商店街。生鮮食料品の店を中心として、魚介、野菜、果物、肉類、様々な商店が並んでおり、飲食店も多数。名物コロッケや鰻の肝焼き、ビアガーデン、焼肉などなどグルメスポットなども充実していて、仙台の名物が凝縮された市場。買い物から食事まで幅広く楽しめる。

 「仙台朝市」は、昭和20年空襲で焼け野原となった仙台駅前に多くの露店が立ち並び、そこに誕生した通称「青空市場」が起源と伝えられている。その後、高度経済成長時代に仙台駅前地区の都市化が進むなか、「仙台朝市」は生鮮食品市場として残り続けた。1985年(昭和60年)には「仙台朝市通り商店街連合会」が発足、1992年(平成4年)には「仙台朝市商店街振興組合」へ発展し、現在に至っている。

 「朝市」と呼ばれているが、多くの店舗がお昼や夕方も営業、営業時間は8:00~18:00くらい。朝の方が種類が豊富だが夕方には値引きがあるというメリットもある。

 

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