アップル創業者ジョブズ氏死去
2011年10月5日、米アップル社創業者のスティーブ・ジョブス氏が、56歳という若さで亡くなった。ニュースでは、オバマ大統領ほか、業界関係者からその死を惜しむ声が相次いでいる。今日の新聞・TVでは、彼の天才ぶりや業績を特集している。
スティーブ・ジョブス Apple I 出典:ウィキメディア・コモンズ
1983年、会社で社内報に『やさしいマイコン・パソコンのすすめ』のコーナーを4月~12月号まで9回の連載することになって、原稿を書いたことを思い出した。押入れから、久しぶりに古い社内報をひっくり返して見た。
第1回目は「マイコン・パソコンとは何だろう」の見出しで、まず1971年マイコンの誕生についてから始まり、アップル社について以下のような記事を書いた。
「パソコンは、やはりアメリカの若い二人のエンジニアが、中古の自動車を売った資金で作った会社アップル社などが始めました。このアップル社とは、二人がガレージの中でリンゴを食べながら考えたという、いわれがあります。」
大学中退のビデオゲーム会社技師のスティーブ・ジョブズと、ヒューレット・パッカード社勤務の技師スティーブ・ウォズニアックの2人は、1976年に最初の商用パソコンの試作機を完成させ、売り出すことになった。アップル社の名前の由来には諸説があり、今ではリンゴを食べながらと書いたのは、疑わしい。
先進的な技術と斬新なデザインで売り出したアップル社のパソコンMacは、やがてビルゲイツのマイクロソフト社Windowsに市場を席捲され、低迷期を迎える。ジョブズは、業績不振で1985年にアップル社を解任される。その間に新会社を設立、SF映画「ジュラシックパーク」のCG製作にかかわり、1995年CGアニメ映画「トイ・ストーリ」作成してヒットさせた。
Apple IIとMacintosh 出典:ウィキメディア・コモンズ
そして2000年にジョブズは、アップル社のCEOに復帰、携帯音楽プレイヤー iPod、ネット音楽配信 iTune,スマートフォン iPhone、タブレット端末の iPadなどを次々に発表、音楽や携帯電話事業に参入するなど、業界を再びリードしていく。しかし、すい臓がんが見つかり休職、今年8月にCEOを辞任した。まさにアメリカンドリームと波乱万丈の人生だった。
1990年代中ごろ、東大生産技術研究所で「マルチメディア情報システムとハイパーメディア」という学会の国際ワークショップがあり、2日間ほど聴講する機会があった。また1週間ほど、サンフランシスコ、ロスアンゼルス、サンノゼや、シリコンバレーと呼ばれる地域の情報技術企業や展示会の視察ツアーに参加した。この2つ機会は、10年後の今のような世の中の産業や社会を予測するものであって、当時自分自身に大変インパクトがあった。
そいう未来の夢を実現してくれた人たちの中の一人が、ビルゲイツに並ぶカリスマ的なスティーブ・ジョブズだった。マイコン誕生のころに社会に出た自分の人生を重ねてみて、アメリカには「偉大な創造者」たちがいたものだと改めて思う。
最近のコメント