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カテゴリー「スポーツ」の3件の投稿

2017年4月30日 (日)

全日本モトクロス選手権2017関東大会

 4月23日(日)、2017年「全日本モトクロス選手権」第2戦関東大会に観戦に行く。

 

 会場は、埼玉県川越市の県道51号線の入間川に架かる入間大橋、荒川に架かる開平橋に挟まれた河川敷にあるウエストポイント・オフロードヴィレッジ。

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 係員の案内で河川敷に車を駐車(1,000円)。7時40分ごろ入場(当日券は大人4,000円)。

           
 全日本モトクロス選手権シリーズの2017年第2戦となる春の関東大会は、埼玉トヨペットカップとして4月22、23日の2日間にわたり、予選・決勝戦が開催された。選手権シリーズは、4月4、5日に2017年開幕戦(第1戦)の九州大会(熊本)をスタートに、全国で9戦まで行われる。ここ川越市の会場は、秋には第8戦も行われる。

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 すでに7時20分頃から、下位クラスから順に公式練習が始まっていた。練習風景を見て会場を回り観戦スポットを下見、また有料観客席(1,000円)を確保する。

 9時から大会式典が始まる。大会会長の赤坂正人氏(関東モーターサイクルスポーツ協会会長)の挨拶。

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 競技方法は、横一線に並んでスタートし、制限時間内に最も多く周回を重ね、最初にチェッカーを受けた者が勝者。競技時間はクラスによって異なり、トップレベルの国際A級の場合は30分+1周で行なわれる。

 コースは、急勾配や凸凹、急カーブがある1周約3Kmの野山や丘陵をイメージした舗装されないオフロード。決勝は2レース(ヒートという)制で、両ヒートの合計ポイントで総合順位が決まる。

 国際A級2500cc(IA2)クラスのマシンのゼッケンは、黒字に白文字。IA2は最高峰の国際A級450ccクラス(IA1)に次ぐクラスで、10代から20代の比較的若い選手が多い。

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 ジャンプが高く上がり過ぎ、滞空時間が長いと時間ロスになる。

 バイクの走りに合わせてカメラを動かし遅いシャッター速度で「流し撮り」。

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 国際A級2500ccクラス(IA2)クラス、ヒート1の表彰式。優勝から3位までにトロフィーと賞金が贈呈、このあと勝利インタビュー、シャンパンファイトがある。

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 国内最高峰の国際A級450cc(IA1)クラスは、赤字に白文字のゼッケン。

 土煙を撒き上げたIA1クラスのスタートダッシュ。

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 フィニッシュゲート付近をジャンプで通過。

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 白と黒のチェッカーフラッグが振られて、レース終了。フラグを受けた順に順位が決まる。

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 エントリーが多い国際B級(IB OPEN)は250ccのマシンで争い、国際A級への昇格を狙う。レースは、20分+1周で2ヒート制。

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 転倒してコースから外れた選手は、この後レースに復帰した。

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 国際B級(IB OPEN)ヒート1の表彰式でのシャンパン・ファイト。ライダーは中高校生くらいに見えるが、未成年でも勝利を祝ってシャンパンをかけあう。

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 チャイルド(CX)クラスのスタート。マシンは50cc、ゼッケンは白地に赤文字。他のクラスよりも短いショートコース、1ヒート制。

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 この子は後ろ髪が長いので女の子のようだが、3位に入った。

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 参加選手は全員壇上に上がり、参加賞を受けていた。

 チャイルド(CX)のほかジュニア(JX)クラスがあるが、前日に決勝が終わったようだ。

 レディス(LMX)クラスは、1ヒート制で15分+1周。

 スタート前のコース1周のウォーミング走行で、転倒して担架で運ばれるライダー。

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 レディスの正式スタート。マシンのゼッケンは白地に黒字。

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 スタート直後に、再び2、3台が接触して転倒。すぐに起き上がれないライダーを、土煙の舞う中で、スタッフが救助する。

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 昨シーズン、日本モトクロス史上最多となる11度目のチャンピオンとなった国内最強のIA1クラスの成田亮選手(36歳)は、通算150勝の目前でこの大会を迎えた。

 第1戦の熊本大会では、成田選手はヒート1で優勝したもの、ヒート2では山本鯨選手が優勝して、総合暫定1位を奪われた。

 第2戦の本大会では、ヒート1では成田選手が好スタート、山本選手がこれに続くが後半で成田を抜き優勝、成田が2位、新井宏彰が3位だった。ヒート2では、スタート直後の第1コーナーで多重衝突が発生して山本選手が転倒して遅れてしまう。新井選手が優勝、成田が4位でゴールした。

 成田選手は、本大会ヒート1、2とも優勝を逃したが、第1、2戦までの総合ポイントでは山本選手を抑えて暫定1位となっている。

 ゼッケン番号1番をつけたトップライダー成田選手のウィニングラン。

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 帰りの駐車場が混まないうちに、15:30退場。
 

 ★ ★ ★

 4月4、5日に行われた2017年の開幕戦(第1戦)の九州大会では、大量の降雨によるマディコンディション(泥んこ)での波乱のレースとなったそうだ。

 今回の第2戦は4月22日(土)は夕方から夜にかけて雨が降ったが、決勝日の23日(日)は朝から晴れ、すぐに路面状況は回復してドライコンディション。最高気温19℃の初夏を思わせる陽気だった。本大会2日間で、約8,000名の観客が来場したそうで、土・日曜日とあって家族連れも多かった。

 この日は良い天気だったがゴム長靴は必須。多くの観客が長靴を履いている。河川敷のコースも観客席もダート(芝生や舗装なしの土のまま)で、あちこちに水たまりやぬかるみがある。

 観客席にも泥はねや土ほこりが飛んできて、それにエンジンの轟音がこのモータースポーツの醍醐味。好きでなければ、こんな環境の悪い場所には絶対来ないだろう。

 帰ったら、顔は日焼けして砂ほこりでザラザラ、それに花粉症がさらにひどくなってしまった。屋外の騒音の中で、場内をカメラ片手に動き回ったせいか、ドッと疲れが出る。

 

 関連ブログ記事 「全日本モトクロス選手権」 2015年4月22日投稿
  http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2015/04/post-7493.html

2015年4月22日 (水)

全日本モトクロス選手権

 2015年4月19日(日)、全日本モトクロス選手権を観戦に行く。

 
 会場は、埼玉県の荒川と入間川に囲まれた川越市中老袋(なかおいぶくろ) にあるオフロードヴィレッジ。

 

 モトクロス(モーターサイクル・カントリー)は、野山を駆け巡るオートバイのレース。50年以上前にヨーロッパで始まり、やがて世界各地へと普及した。

 丘陵や斜面を利用したり、平坦な土地に土を盛って自然の野山に模して造った未舗装の周回コースで順位を競う。地形のアップダウン、コーナーやジャンプをライダーがいかにコントロールしながら早く走るかが最大のポイント。雨や雪などの悪天候でも開催される。ちなみにマシンは、「モトクロッサー」と呼ばれる公道を走ることのできない競技専用バイク。
 今シーズンの「全日本モトクロス選手権」シリーズの開幕戦は、熊本県で4月4日、5日に開催された。

 第2戦は、埼玉県のここオフロード・ヴィレッジが舞台。各クラスの予選が4月18日(土)に、決勝が19日(日)に行われた。決勝のこの日は、朝から曇り。昼ごろからポツポツと降りだしたが、本格的な雨にはならず、コース・コンディションに影響なし。


 7:15頃、河川敷の駐車場に到着。すぐ持って来た長靴に履き替える。会場は、舗装されてないダート(土)。あちこちに、泥やぬかるみ、土ほこりもあって、長靴を履いている観戦客も多い。中には、敷物や折り畳みの椅子を持参している人も見かける。

 入場料は、当日券4,000円(前売り3,000円)。椅子貸出し料を含み500円を払って、有料観戦席に入り、とりあえず席を確保して荷物を置く。9:30頃から公式練習が始まる。

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 9:00過ぎから大会式典が開かれ、参議院議員で大会名誉顧問の三原じゅん子氏(写真)が挨拶をしていた。うしろには、レースクイーンが並ぶ。

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 9:30から競技開始。20台を超えるマシンが横一列に並んでスタート。

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 エンジンの轟音と土ぼこりが舞う。
 
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 ジャンプの醍醐味。

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 170mのストレートコース。

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 コーナリング。

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 洗濯板のような17連のフープス・コース。

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 フープスで転倒し、起き上がれないライダーのもとに、救護スタッフが駆けつける。会場内には、救急車も待機。

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 フィニッシュ・ゲートでのジャンプ。

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 「全日本モトクロス選手権」は、日本モーターサイクルスポーツ協会(MFJ)が主催する国内最高峰のモトクロスの選手権。1967年にシリーズ戦がスタートし、2015年は全国7会場で10大会(10戦)が行われる。競技時間は、以下のライセンス区分によって異なり、トップレベルである国際A級の場合は、30分+1周。

■国際A級 IA1: 国際A級ライセンスを所持する国内トップライダーが、2ストローク(気筒) 250cc及び4ストローク450ccのマシンで競う。全日本モトクロス選手権の最高峰。

■国際A級 IA2: 国際A級ライセンスの若手中心のクラスで、2ストローク125cc、 4ストローク250ccマシンで競う。

■国際B級 IB: 2ストローク125cc及び4ストローク250ccのIB2クラスとIBオープン・クラスがある。各クラスとも20分+1周。

■レディースクラス LMX: 2ストローク85cc及び4ストローク150cc。15分+1周。

 

 各ヒート(レース)の終了後には、1位~3位までのライダーが表彰台に上る。

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 大会併催のジュニア(9歳~15歳)やチャイルド(小学3年以下)のクラスの競技もある。

 チャイルドクラスの表彰式では、1~3位を含め参加者全員が舞台に上がり、記念品をもらっていた。

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 会場内では、飲食物やバイク・グッズなどの店が多く出店している。お昼前の混まない時間に、焼きそば(400円)、牛タンの串焼き(500円)をゲット。

 バイクに興味のある人の見どころは、パドック(整備場)に設置されたブースや各チームのテント。応援用の小旗やライダーのポスター、ステッカーなどの記念グッズなどが無料で配布されていたり、お昼休み利用してトークショーやサイン会なども開催されたりするそうだ。

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 最終のIBオープンクラスのレースを残して、帰りが混まないうちの15:30頃退場した。

 こんなに躍動感と迫力のあるスポーツ競技の写真撮影は初めて。対象物が動いているし、あっちこっちの撮影ポイントを探して駆け回り、けっこう疲れた。脚立や三脚より一脚を持ち歩くカメラマンも見かけた。

 ちなみに、クロスカントリー (Cross-country)と呼ばれるスポーツ競技には、自動車やモーターサイクルのオフロード走行のほか、ノルディックスキー、陸上競技、MTB(マウンテンバイク)、馬術競技などにもある。

2012年8月 9日 (木)

横綱羽黒山について

 先月末に旅した山形県鶴岡市の「羽黒山」が、横綱「羽黒山」の四股名(しこな)が因(ちな)んでいるのかどうか、気になったので調べてみた。

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写真は、ウィキペディア「羽黒山政司」より引用(出典:ウィキメディア・コモンズ)。
 

 羽黒山政司(大正3年(1914)~昭和44年(1969))は、戦中・戦後に活躍した第36代横綱。山形県出身ではなく、新潟県西蒲原郡の松長村(のちの中之口村)大字羽黒、現在の新潟市西蒲区羽黒の出身である。
 このあたりに「羽黒山」という山は、探しても無かったが、近くに「羽黒神社」があった。現在では、全国の力士像の中でも最大の高さ5mもある横綱「羽黒山」の銅像があるそうだ。

 「羽黒山」という山や「羽黒」という地名、「羽黒(山)神社」は、山形県鶴岡市が一番有名だが、調べると栃木県宇都宮市、三重県亀山市、新潟県佐渡市など全国に何箇所かにあった。

 横綱「羽黒山」の四股名は、出身地・新潟県の大字「羽黒」の「羽黒神社」に因んで、入門時に立浪親方がつけたそうだ。
 羽黒山は、昭和9年(1934)初土俵。スピード出世で昭和14年(1939)大関、昭和16年(1941)初優勝を果たして、横綱に昇進した。同部屋の双葉山の影に隠れて目立たなかったが、双葉山引退後は第一人者として、戦後復興の真っ只中の相撲界を支えた。(なお双葉山は、引退後に時津風を襲名して「時津風部屋」を興している。)

 その後ケガが多く、かつての勢いは失われたが、昭和27年(1952)に最後の優勝を全勝で飾り、最高齢37歳の全勝優勝記録となっている。幕内優勝7回、連勝記録は32連勝。昭和28年(1953)に、現役を引退した。現役時代から後進の育成に熱心で、引退後は立浪親方となり「若羽黒」を大関に昇進させたほか、部屋の「時津山」、「安念山」、「北の洋」を加えた4人は「立浪四天王」と謳われた。

 兄弟子の「若羽黒」と立浪部屋後継者の座を争った「安念山」(北海道出身)が、親方である先代「羽黒山」の長女と結婚。昭和36年(1961)からは「羽黒山」の四股名を継承して、部屋の後継者の座を勝ち取った。しかし、先代「羽黒山」ほどの活躍ができず、関脇どまりだった。「若羽黒」は横浜出身で、最高位は大関。

 2代目「羽黒山」(安念山)の弟子に「北尾」がいて、期待されて横綱に昇進、過去の横綱に因んで「双羽黒」を名乗った。しかし優勝経験ないまま暴行事件や女将・後援会会長らとの大喧嘩の末に部屋を飛び出し、昭和62年(1987)史上初めての廃業処分となった。名門立浪部屋は、その後は廃(すた)れていく。

 立浪部屋には、他に「羽黒~」とか「~羽黒」という力士がいたようだが、名横綱「羽黒山」に因んだ四股名で、山形出身ではないようだ。

 なお、第47代横綱の「柏戸」(富樫、昭和13年(1938)~平成8年(1996))は、山形県東田川郡山添村(のちの櫛引町)、現在では鶴岡市の出身。鶴岡市名誉市民となり、「横綱柏戸記念館」が立てられている。柏戸は、藤沢周平に並ぶ現代の鶴岡市の著名人だ。

 また、作曲家の中田喜直の名前が鶴岡市の「大寶館」にあった。「雪の降るまちを」、「鶴岡市民歌」などを作曲し、鶴岡と深い縁を持っているということで展示されていた。鶴岡出身と思いきや、出身地は東京である。
 「雪の降るまちを」のメロディには、鶴岡市で見かけた雪の情景が、描かれているという。中田喜直は、鶴岡の音楽愛好家と親交が深く、毎年のように鶴岡を訪れては、ピアノ独奏や地元の校歌を多く作曲していた。この名曲発祥の地にちなんで開催される「鶴岡音楽祭」が、毎年2月に開催されているという。

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