秋の伊豆半島めぐり-その2
2025年11月20日(木)~21日(金)、秋の伊豆半島を巡る1泊2日の旅。
2日目の21日(金)、宿泊のホテルで4:00起床。
夜明けの「城ヶ崎海岸」へ行くのは暗くて岩場が危険なので止めて、6:00ホテルを出て、朝の稲取漁港(東伊豆町)を散策する。
●稲取漁港
漁港の手前から望む伊豆諸島の夜明け。この日の日の出は、6:35頃。
7:00~ホテルに戻り朝食。8:20チェックアウト。
再び「稲取漁港」を散策。左手の平らな山は、昨日行った「稲取細野高原」。茶色の建物は、町役場。
右の三角屋根の建物は、稲取漁港直売所「こらっしぇ」。
「こらっしぇ」とは、稲取の方言で「こっちへいらっしゃい」という意味。漁協と農協との連携により稲取キンメや定置網の朝獲れ鮮魚、伊豆地方の新鮮な野菜や果物などの農水産物を産地直売。
「こらっしぇ」に隣接する駐車場にあるキンメのオブジェは、大きな口をあけてけていて不自然みみえるが、顎の金具が外れているようだ。
10:10漁港を出発。南へ海岸沿いの国道135号線を走り、下田市に向かう。
●白浜海岸
下田市に入り、10:40~10:55白浜海岸。セブンイレブン下田白浜店の駐車場に車を駐める。
南北に約800mの広々とした開放感あふれる砂浜で、伊豆半島最大の海水浴場「白浜大浜海水浴場」。
伊豆白浜には、「白浜大浜海水浴場」のほかに、 環境省の「日本の水浴場88選」そして「日本の快水浴場百選」にも選ばれた真っ白な砂と青い海が特徴的な「白浜中央海水浴場」。磯遊びができる 「白浜板戸海岸(一色海岸)」の3つの特徴的な海がある。
●ペリーロード
白浜海岸を出発、車で10分ほど下田ペリーロード駐車場へ11:10着。
近くの「ペリー艦隊来航記念碑」には、ペリー提督の胸像とアメリカ海軍から寄贈された錨が飾られている。
この記念碑は下田港を臨む「ペリー上陸記念公園」に設置されている。
1854年に下田条約締結に向けて、この地に上陸したペリー提督一行の来航を記念して建てられた。
下田港を望む。
下田港は、江戸時代から江戸に向かう船舶の寄港地として繁栄した。1854年の日米和親条約で、函館港とともに日本最初の開港地となった。しかし、貿易港としての役割は、江戸から遠く、天城山を越えなければならない地理的条件から、まもなく横浜港に移った。江戸末期からの史跡や観光スポットも多く、キンメダイの水揚げ日本一でも知られる漁業基地となっている。
ペリー一行が歩いた道「ペリーロード」と呼ばれ、界隈のレトロな街並みを散策する。
この道は、幕末に黒船7隻で来航したペリー提督一行が、「了仙寺(りょうせんじ)」で日米和親条約の付録である下田条約を結ぶために行進した歴史ある道。
かつて「出船入船三千隻」とうたわれた港町・下田の花柳界の面影が残り、平滑川(ひらなめがわ)に沿って石畳が続く。伊豆石やなまこ壁の家並み、柳の並木が独特の風情をつくり出している。
ペリーロード沿いに並ぶ伊豆石(伊豆半島東岸から産する火山岩の総称)の建物群。
日米和親条約が結ばれた「了仙寺」。
「了仙寺」は、寛永12年(1635年)第三代将軍徳川家光の命により、下田の港町発展の基礎を築いた下田奉行・今村正長が創建した日蓮宗の寺。1854年には江戸幕府とペリー提督の交渉の場となる。ペリーと日本全権の林大学で、日米和親条約附録の細目13ヶ条(下田条約)が締結された。日本開国に関わる国指定史跡。
5月には境内のアメリカジャスミンが満開となり、強い香りで知られている。
「了仙寺」境内に併設された美術館「黒船ミュージアムMoBS」。3,000点以上の開国に関する国内最大の資料の原本を所蔵。入館せず。
隣接して徳川歴代将軍朱印状、武田信玄関連古文書など「了仙寺伝来」の宝物を展示 した「了仙寺宝物館」もある。
右手「豆州下田郷土資料館」、中央「下田開国博物館」、左手に「黒船トロンプ・ルイユ美術館」。いずれも入館せず。
下田市中央公民館前に建つ「吉田松陰拘禁の跡」の石碑。
幕末に吉田松陰がペリー艦隊に密航を企て、失敗に終わり拘禁された獄があったところ。
下田は、伊豆石のほかに「なまこ壁」の建物が多い。
「なまこ壁」は、土壁等の壁塗りの様式の1つ。壁に平瓦を並べ、その目地に漆喰を盛り付けて塗ってある。盛り付けられた目地が「なまこ」に似ているのが名前の由来。
下田港の内港(稲生沢川河口付近)の岸壁にある小説『伊豆の踊子』別れの汽船にりば跡。
踊子が主人公の学生を見送りに下田港に来て、分かれて汽船で東京へ向かうクライマックスの場面の乗船場があった。現在は当時の汽船航路(大島経由、東京行き)は廃止され、跡地に案内板が立っている。
●カネサ鰹節商店
下田から県道15号線で西伊豆に移動、国道136号線を北上。13:20西伊豆町田子の「カネサ鰹節商店」に到着。
西伊豆田子地区では1300年以上続くカツオ加工の伝統がある。当店は創業140余年、鰹節の「手火山式(てびやましき)焙乾製法」の技と味を守り続けている。「潮鰹」(しおかつお)やカビ付けの「本枯れ節」など、希少な加工品を継承し、安心・安全な商品づくりに努めているという。明治15年創業以来、仕入れから製造・袋詰めまで一貫生産を行い、ほかにも塩辛や燻製など多様な商品を提供。体験や見学も受け付けている。
工場内の一部
ちょうどこの時は、「潮鰹」(しおかつお)の製造時期、工場の中や軒下には大量の潮鰹が干してある。
「潮鰹」は「正月魚」とも呼ばれる縁起物の保存食。古くから正月の神棚に供えられてきた。伊豆田子に伝わる伝統的な加工法を基に製造されている。伊豆田子港はカツオ漁で栄えた漁師町で、航海安全や豊漁を祈願して神ワラを付けた「潮鰹」をつるす風習があった。現在では正月の伊豆の旬として親しまれており、製造は季節風を活かした11月〜1月上旬の限定期間で行われている。
伝統的な「正月魚」。出典:「カネサ鰹節商店」のホームページ
工場の敷地に天日干しの鰹節。生の鰹から鰹節になるには、荒節で約1ヶ月、本枯れ節で約3か月~5か月間かかるという。鰹節になるまでには、いろいろな手間と時間がかっている。
伊豆田子地区は古くからカツオ漁と「堅魚(鰹)節」造りが盛んで、1801年に土佐の与市が製法を伝えたことで伊豆節が確立したそうだ。改良を重ね、伊豆節は土佐、薩摩と並ぶ名産となった。明治〜昭和期には多くの船と製造店が栄えたが、漁業衰退により減少。現在は4軒がこの伝統製法を守り続けているそうだ。
売店でお土産に、「鰹なまりぶし」(1,300円)を購入。写真は、カネサ鰹節商店のホームページから転載。
「なまり節」とは、生のカツオをさばきいた後、蒸す、茹でるなど加熱処理行い、一度だけ燻製(焙煎)した加工品。西日本で呼ぶ「生節」(なまりぶし)と同じ商品。「かつお節」は主にダシを取る時に利用され、「なまり節」はなまり節自身をほぐして色々な料理で食る。サラダやパスタ、煮物など和洋中のどの料理にもよく合うそうだ。
一方、「かつお節」は、同じ鰹を燻製、乾燥とカビ付けを何度も繰り返して仕上げたもので、カチカチに固く、旨味がぎゅっと凝縮されている。
国道136号線を北上。14:30頃、「海産屋」(西伊豆町宇久須)に寄り、金目鯛とアジの干物、合計2,285円の買い物。
更に国道136号線を北上。14:50頃、昼食の時間が無く、セブンイレブン土肥店(伊豆市土肥)でおにぎりなどを買って、車の中 で遅い昼食。
19:55最寄り駅前に到着。
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