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2024年11月の2件の投稿

2024年11月18日 (月)

国立東京博物館「はにわ展」(その2)

 2024年11月15日(金)、国立東京博物館(平成館)の特別展「はにわ」を観覧する。

 本ブログ記事「国立東京博物館「はにわ展」(その1)」の続き。

■第5章 物語をつたえる埴輪

 埴輪は、複数の人物や動物などを組み合わせて、当時の王や王を取り巻く人々の物語を表現しているという。古墳を護る盾持人(たてもちびと)、古墳から邪気を払う相撲の力士など…、多様な人物の役割を表現。また、魂のよりどころとなる神聖な家形埴輪は、古墳の中心施設に置かれ、複数組み合わせることで王の居館を再現したと考えられている。

67~70.「盾持人」群馬県高崎市、鳥取県米子市、群馬県太田市、埼玉県本庄市 5~6世紀

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 盾形の上に人の顔が造形されている。盾は地面に置くタイプのもので、人物の手足は表現されてない。目や耳を大きくしたり、入れ墨を表現したり、あるいは満面の笑みで悪しき者を古墳に寄せ付けない。

71.重要文化財「両面人物」和歌山市 大日山35号墳出土 6世紀 和歌山県教育委員会

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 頭の両側にある2つの顔には、一方に矢じり、他方に矢羽根のような線刻がある。盾持ち人の頭部とみられている。形象埴輪では、現実に存在しないものを作ることはないそうで、両面人物はこの作品が唯一の例だという。

74.「力士」大阪府高槻市 今城塚古墳出土 6世紀 高槻市立今城塚古代歴史館

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 力士は大地を踏み、悪霊を鎮める役割がある。片手をあげ四股を踏む直前の動作を表現。現在の力士と同様、ふくよかな体格でまわしを締めている。髷は横一文字で手足に飾り紐や鈴のようなものをつけている。

78.「鷹匠」群馬県太田市 オクマン山古墳出土 6世紀 新田荘歴史資料館保管

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 飼いならした鷹を放って鳥等を捕える鷹狩りの男子。高さは約147cm。左手には尾に鈴を付けた全長15cm程の鷹を止め、巾広の鍔(つば)のある帽子をかぶり、肩まで垂らした美豆良(みずら)を結っている。裾縁に鋸歯文(きょしもん、鋸の歯のように三角形を並べた文様)を施した袴をつけ、腰には大帯をしめている。盛装した人物は高い地位にあったと思われ、鷹狩りが支配者層の狩猟行事であったことを物語る。

79.「琴をひく男子」伝・茨城県桜川市出土 6世紀 東京国立博物館

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 亡き王を弔うために音楽を奏で、踊る様子を再現した埴輪たち。膝の上に乗せた琴を弾く高貴な男子。並んで弦をつま弾く2人の童女(次項の「二人童女」)。邪を払うために一心に舞い踊る者(写真なし)もいる。

80,81.「二人童女」栃木県足利市 熊野古墳出土 6世紀 東京国立博物館(80) 足利市ふるさと学習・資料館保管(81)

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83.重要文化財「ひざまずく男子」(右)群馬県太田市 塚廻り4号墳出土 6世紀 群馬県立歴史博物館保管

84.重要文化財「ひざまずく男子」(左)茨城県桜川市 青木出土 6世紀 大阪歴史博物館保管

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 腕輪、冠、籠手(こて)などを着込んで正装し、両手を前面に揃えて顔を上げてひざまずく男子の埴輪。亡き王の遺徳をたたえ、新たな王へ忠誠を誓うために、体を伏せた所作をとる公式的な礼拝場面を表現。

85.「あぐらの男子」群馬県高崎市 綿貫観音山古墳出土 6世紀 群馬県立歴史博物館保管

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 次の「正座の女子」と対面しておかれた人物埴輪。呪術的な双脚輪状文(そうきゃくりんじょうもん、古墳時代の装飾文様の1つ)の帽子を被り鋸歯文(きょしもん)の入った服を着る。鈴付大帯を腰に締めるので、この人物は王がモデルかも知れない。

86.「正座の女子」群馬県高崎市 綿貫観音山古墳出土 6世紀 群馬県立歴史博物館保管

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 下半身には折り目の付いた裳(スカート)をはき正座する。裳をはく女性は大変珍しく、朝鮮半島から伝来した最先端のファッションを着る人物は、高貴な女性であった。

89~94.「家形埴輪」,95.「囲形(かこいがた)埴輪」群馬県伊勢崎市 赤堀茶臼山古墳出土 5世紀 東京国立博物館

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 赤堀茶臼山古墳からは堅魚木(かつおぎ、屋根の上に乗っている丸太のような部材)のある主屋を中心に、倉庫や住居の家形埴輪が発見され、豪族居館を再現している。小さな家は囲形埴輪(左端)の中に入り、水にかかわる重要施設と考えられている。

99.「導水施設形埴輪」大阪府藤井寺市 狼塚古墳出土 5世紀 藤井寺市教育委員会

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 一辺に2個ずつ囲形埴輪を並べた方形区画を構成し、内部に川原石を敷き詰めた導水施設をかたどった。中央に導水管形の土製品が置かれる。聖水の儀礼または遺骸を洗浄Lた施設と考えられている。

100.「埴輪棺」香川県高松市 本堯寺北1号墳出土 4世紀 東京国立博物館

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 埴輪は、棺(ひつぎ)にも用いられている。補強のための帯を巡らせてある。このような専用の棺の他に、円筒埴輪をそのまま転用した棺も見たことがある。

105.「牛形埴輪」(前)大阪府高槻市 今城塚古墳出土 6世紀 高槻市立今城塚古代歴史館

108.重要文化財「猪形埴輪」(中)群馬県伊勢崎市 剛志(上武士)天神山古墳出土 6世紀 東京国立博物館

110.「犬形埴輪」(後) 同上

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112.「鹿形埴輪」静岡県浜松市 辺田平1号墳出土 5世紀 浜松市市民ミュージアム浜北蔵

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 後ろを振り返ったポーズをとる、いわゆる「見返りの鹿」。大きな角を持った牡鹿で、胴部には焼く時に空気を抜く穴がある。鹿の埴輪は犬や人物とセットになって狩猟場面を構成。後世の武士が愛好した鷹狩のように、狩猟は常に権力と結びついていた。

103.「馬形埴輪」(奥前)群馬県前橋市 白藤古墳群V-4号墳出土 6世紀 前橋市粕川歴史民俗資料館保管

101.重要文化財「馬形埴輪」(中)埼玉県熊谷市 上中条出土 6世紀 東京国立博物館

102.「馬形埴輪」(後)愛知県春日井市 味美ニ子山古墳出土 6世紀 春日井市教育委員会

116.「魚形埴輪」(手前)千葉県芝山町 白桝遺跡出土 6世紀 芝山町立芝山古墳・はにわ博物館保管

115.「鵜形埴輪」(中)群馬県高崎市 保渡田八幡塚古墳出土 5世紀 かみつけの里博物館

107.「水鳥形埴輪」(後)埼玉県行田市 埼玉出土 6世紀 東京国立博物館保管

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 奥の列は、金属製の馬具をまとってハレの場に臨む飾り馬である。胸にはいくつもの馬鐸(鐘)をぶら下げており、口にくわえた轡(くつわ) や背中にぶら下げた杏葉(ぎょうよう、飾り板)には鈴が付いている。

114.重要文化財「翼を広げた鳥形埴輪」和歌山市 大日山35号墳出土 6世紀 和歌山県教育委員会

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118.「乳飲み児を抱く女子」茨城県ひたちなか市 大平古墳群出土 6世紀 ひたちなか市教育委員会

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 乳房にしがみついてお乳を飲む赤ん坊に、手をそえて支える。このようなボーズの埴輪は本品が唯一。大きな髷を結い、耳飾りや首飾りを付けて頰紅を差した柔らかな表情は、子への慈愛に満ちている。

119.「犬猿の円筒埴輪」群馬県前橋市 後二子古墳出土 6世紀 前橋市教育委員会

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 子を負う母親を表現した。犬に追われ樹上に逃げた親子猿が、円筒埴輪に小像で表現されされている珍しい埴輪。

■エピローグ 日本人と埴輪の再会

 古墳時代が終わると埴輪は作られなくなる。江戸時代に入ると考古遺物への関心が高まり、埴輪がふたたび注目を浴びるようになった。著名人が愛蔵した埴輪、著名な版画家が描いた埴輪、埴輪の人気投票でNo.1になった埴輪など、芸術家や一般市民など幅広い層で埴輪が愛されている。ここでは近世以降、現代にいたるまで埴輪がどのように捉えられてきたかについて紹介。

123.「両手を挙げる女子」茨城県水戸市愛宕町出土 6世紀 東京国立博物館

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 島田髷を結い、首飾りを付けてスカート状の広がる服を着た埴輪。下半身には何も装飾がなく、頬紅をさした素朴な愛らしさが魅力。木版画家の斉藤清によって作品「ハニワ」(1952年)のモチーフに採用された。

124.「頭巾をかぶる男子」(左)、125.「首飾をする女子」(右)東京都港区芝 丸山第8号墳出土 6世紀 東京国立博物館

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 東京タワーのそばの芝公園内の古墳から出土した。1916年(大正5)に発見され、東京帝国大学人類学教室が調査した。この調査がきっかけに武蔵野会(現武蔵野文化協会、武蔵野の自然と歴史・文化を研究する地域史研究団体)が設立した。

126.「帽子をかぶる男子」東京都葛飾区柴又 八幡神社古墳出土 6世紀 葛飾区郷土と天文の博物館

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 千葉県北部を中心に分布する下総型の埴輪に属する人物埴輪で、平板な顔、切れ長の目などの特徴がある。出土した際、映画『男はっらいよ』の渥美清が扮する車寅次郎に似ているとして話題を呼んだ。

127.「笑う男子」群馬県藤岡市 下毛田遺跡出土 6世紀 藤岡市教育委員会

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 農道工事中に見つかった埴輪。平成30年度(2018年度)に群馬県が「群馬HANI-1グランプリ」を開催し、埴輪の人気投票を行なったところ100体エントリーした中で本品は見事優勝。ほぼ無名だった埴輪が、一躍注目を省びた。

そのほか、1912年(大正元年)には吉田白嶺作の「武人埴輪模型」が明治天皇陵に埋められたとされる。幕末の孝明天皇陵は円墳、明治天皇陵では埴輪が作られたという。

 「平成館」1階の常設展「考古展示室」を観覧。

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 14:35「平成館」を出て、「本館」の常設展を観覧。15:50「本館」を退出。
  

 博物館の「表慶館」では、「ハローキティ展」が開催中(11月1日2025年2月24日)。こちらは、若い女性で混み合っている。

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 15:55、国立東京博物館を退場。上野恩賜公園の木々は、秋に色付いてきた。

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 公園では、「酒屋角打ちフェス」が開催中(11月15日~17日)。 入場料は、500円。

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 個性的な酒屋が集結、日本酒・焼酎・ワインの飲み歩きやお土産のお酒を購入が出来るそうだ。

 16:05上野駅着。

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 ★ ★ ★

 西都原古墳群のある宮崎県西都市出身の本部マサは、「はにわ製作の先駆者」と評される。幼い頃から出土品に関心があり、女学校の頃から埴輪を模倣して焼くという製作活動を始める。やがて1955年に「本部はにわ製作所」を開業し、土産物として販売される埴輪を多数制作した。古墳時代に祭祀や魔除けなどのため、古墳から出土したという程度しか知らず、模造の埴輪を置物として見たり、お土産として貰ったことがあった。

 しかし近年、古代史に関心を持って博物館・資料館、書籍やネットを見ると、本部の時代より研究が進んでいて、いろいろなことが分かってきた。埴輪は、古代の王や王を取り巻く人々の生活の様子や時代背景を映す鏡であり、王の人生の物語を今日に伝えているドラマだ。

 特別展の開催に合わせて、テレビや新聞なども埴輪をテーマに取り上げている。ちょうど特別展を観覧したこの日の夜、NHKテレビ番組 「チコちゃんに叱られる!」で、埴輪のことを放映していた。「ハニワって何?」という質問に、「魔除け」「お墓の石みたいなもの」「子供が健やかに成長できるように・・・」と答える。チコちゃんは、「ハニワは、王様の大河ドラマ」と答える。

 国立東京博物館の河野正訓主任研究員は「王のやって来たことを再現した大河ドラマ」と解説する。古墳時代の初期、3世紀中頃には円筒埴輪を並べて古墳を取り囲み、現実の世界と聖なる場所を区別する境界線の役割があった。円筒埴輪は壺を載せる台で、一説によると壺に飲食物を盛って邪悪な者をもてなし、お引き取り願うというものであったという。

 その後、王が住んでいてその魂が宿ったという家形埴輪や、王が持っていた持ち物、武力を表わす物などの形象埴輪が王の権力を象徴した。5世紀になると、その権力の幅を広げるために誕生したのが、人物埴輪。狩猟、儀式や祭祀、葬儀の場面など、人物で王が行なってきたことをストーリーにして表現するようになったそうだ。

  
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2024年11月17日 (日)

国立東京博物館「はにわ展」(その1)

 2024年11月15日(金)、国立東京博物館(平成館)の特別展「はにわ」を観覧する。

 12:25、JR上野駅を出て上野恩賜公園から、横断歩道を渡り「国立東京博物館」の正面ゲート。特別展「はにわ」の観覧料は、大人2,100円(本館、東洋館などの常設展も含む)。

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 国立東京博物館の「本館」の前。

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  特別展「はにわ」の会場は、国立東京博物館の一番奥の「平成館」。

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 全国から埴輪が集結した特別展「はにわ」。「平成館」に12:45入館。

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 特別展「はにわ」は、2階、第1・第2会場。

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 埴輪の始まりは、今から1750年ほど前。古墳時代の350年間、時代や地域ごとに個性豊かな埴輪が作られ、王をとりまく人々や当時の生活の様子を今に伝える。「挂甲(けいこう)の武人」(群馬県太田市飯塚町で出土)が1974年の国宝に指定から50年を記念し、会期2024年10月16日(水)~12月8日(日)で特別展が開催中。


■プロローグ 埴輪の世界

 会場に入るとまず、東京国立博物館の代表的な所蔵品のひとつである「踊る人々」が展示。この埴輪は、当博物館が創立150周年を機に文化財活用センターとクラウドファンディングなどで寄附をつのり、2022年10月から解体修理を行い、2024年3月末に修理が完了したもの。

1.「踊る人々」 埼玉県熊谷市 野原古墳出土 6世紀 東京国立博物館蔵

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 初期の埴輪と思いきや、実は時代が新しく、表現の省略が進んだ姿だそうだ。埴輪がもつ独特な「ゆるさ」を象徴する。王の祭祀に際し、死者の復活を願ってて踊る姿であるとする説のほか、近年は片手を挙げて馬の手綱(たづな)を曳(ひ)く馬子の姿であるとする説が有力となっている。

■第1章 王の登場

 古墳からの副葬品は、王の役割の変化で移り変わった。古墳時代前期(3~4世紀)の王は司祭者的な役割であったので、宝器を所有し、中期(5世紀)の王は武人的な役割のため、武器・武具を所有した。後期(6世紀)は官僚的な役割を持つ王に、金色に輝く馬具や装飾付大刀が大王(ヤマト王権)から配布された。このほか各時期において、中国大陸や朝鮮半島と交流関係を示す国際色豊かな副葬品も出土している。

11.国宝「金銅製沓」 熊本県和水町 江田船山古墳出土 5~6世紀 東京国立博物館蔵

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 死者のための沓(くつ)で、全長34cm。金銅板を鋲で留めてたもので、朝鮮半島の百済で作られた。

12.国宝「金銅製鈴付大帯」 群馬県高崎市 綿貫観音山古墳出土 6世紀 群馬県立歴史博物館保管

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 鈴付大帯は石室右側の壁に沿って安置されていたので、死者の頭部に置かれていた。鈴の付いた帯の出土は国内で3例のみで、他の2ヵ所は奈良の藤ノ木古墳と山王金冠塚古墳(前橋)。長さ105cm、幅9.4cmで、20個の鈴が付いている。

 この他、金象嵌銘大刀や神獣鏡、耳飾りなどの展示あり。

■第2章 大王の埴輪
 
 ヤマト王権を統治していた大王の墓に立てられた埴輪は、大きさや量、技術で他を圧倒している。天皇の系譜に連なる大王の古墳は、時期によって築造場所が変わった。古墳時代前期は奈良盆地に、中期に入ると大阪平野で。倭の五王の陵(みささぎ)としても名高い大阪府の百舌鳥(もず)・古市古墳群は、世界文化遺産に登録された。後期には、継体(けいたい)大王(天皇)の陵とされる今城塚(いましろづか)古墳が淀川流域に築造されている

16.重要文化財「円筒埴輪」 奈良県桜井市 メスリ山古墳出土 4世紀 奈良県立橿原考古学研究所附属博物館蔵 出典:ウキメディア・コモンズ

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 日本最大の埴輪。メスリ山古墳では、後円部中央の竪穴式石室を取り囲むように多数の巨大な円筒埴輪が立てられた。最大のもので、2mを上回るその高さ、大きさもさることながら、厚みは2cmほどしかない。

23.「水鳥形埴輪」 大阪府羽曳野市 誉田御廟山古墳 (応神天皇陵古墳)出土 5世紀 東京国立博物館

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 誉田御廟山古墳(こんだごびょうやまこふん)は「応神天皇陵」とも呼ばれ、大仙陵古墳(仁徳天皇陵、大阪府堺市)に次ぐ全国第2位の規模の巨大古墳。「水鳥形埴輪」の高さは、61.8cm。

25.「家形埴輪」と26.「盾形埴輪」 大阪府高槻市 今城塚古墳出土 6世紀 高槻市立今城塚古代歴史館蔵

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 「家形埴輪」は、3つのパーツを組合せてつくられた巨大な家形埴輪(高さ170cmの日本最大)で、屋根の上部と床下の高床部分が別づくり。屋根の上には現代の神社建築にも通じる千木(ちぎ)や鰹木(かつおぎ)などの部材がのせられており、大王にふさわしい建物であることがわかる。
 古墳時代の盾は、主に革(かわ)や木などで作られていたが、「盾形埴輪」はそれを粘土でかたどった盾面部分が円筒部分に取り付けられている。

27.「捧げ物をする女子」と28.「挂甲の武人」 大阪府高槻市 今城塚古墳出土 6世紀 高槻市立今城塚古代歴史館

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 「挂甲の武人」は、今にも刀を抜こうとする瞬間。衝角付冑(しょうかくつきかぶと、前後に少し長い卵形の冑 )をかぶり、籠手(こて)や手甲まで着込んだ完全武装の埴輪である。今城塚古墳では祭祀区を中心に多くの武人の埴輪が置かれ、大王を死後も護る役割が与えられていた。

■第3章 埴輪の造形

 日本列島の幅広い地域で埴輪は作られた。地域ごとの習俗の差、技術者の習熟度、大王との関係性の強弱によって、表現方法に違いがある。その結果、各地域には大王墓の埴輪と遜色ない精巧な埴輪が作られる一方で、地域色あふれる個性的な埴輪も作られた。

29.「特殊器台・特殊壺」(左)岡山県新見市 西江遺跡出土 2〜3世紀 岡山県立博物館保管

30.「朝顔形円筒埴輪」(右)奈良県天理市 東殿塚古墳出土 3〜4世紀 天理市教育委員会 

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 「特殊器台・特殊壺」は、弥生時代後期後葉(2世紀)に吉備地方(岡山県)で生まれ、古墳時代前期には衰退した。華麗な文様を施し赤く塗るなどして装飾性に富んだ筒型・壺型の土器。埋葬祭祀に使用された。これらの土器類が発達・変遷して、円筒埴輪や朝顔形埴輪が生れたと考えられている。

 「朝顔形埴輪」は、広義の円筒埴輪に含まれる。器台の上に壺を載せた形状をしており、上部は口縁部が大きく朝顔の花が開いたようにラッパ状に広がっている。

31.「鰭付楕円筒埴輪」 奈良県天理市 東殿塚古墳出土 3〜4世紀 天理市教育委員会

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 円筒型埴輪に鰭(ひれ)がついたもの。よく見ると前後に船の絵が線刻されている。これらの船の絵は、後に出現する「舟形埴輪」と多くの表現が共通しているという。

33.国宝「円筒埴輪」 奈良県天理市 東大寺山古墳出土 4世紀 東京国立博物館

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 「円筒埴輪」は、墳丘の上に並べられた土管状の形態をしたもので、埴輪の中で一番早く登場した。れとは別種の埴輪として形象埴輪がある。

40.重要文化財「子持家形埴輪」 宮崎県西都市 西都原古墳群出土 5世紀 東京国立博物館

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 中心の大きな家(親)の周りに小さな建物(子)が4つ配置されているのは極めて珍しいという。中央の家は竪穴式住居、周りの建物は高床式建物となっている。

43.模造「船形埴輪」 原品:三重県松阪市宝塚1号墳出土 5世紀 九州国立博物館保管

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 高い側板と波切板で船底を深くし、外洋を航行できる。櫂(オール)受けや隔壁の表現は繊細で、船体中央には権威を象徴する蓋(きぬがさ)と呼ばれる日傘、王のもつ杖とされる威杖(いじょう)が2本、威厳を示す大刀(たち)が華々しく飾る。死者を乗せて冥土へ渡る船だろうか。

46.「馬形埴輪」 三重県鈴鹿市 石薬師東古墳群63号墳出土 古墳時代・5世紀 三重県埋蔵文化財センター保管

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 馬は、古墳時代に朝鮮半島から渡来して急速に普及し、農耕や軍事、儀式などに用いられた。馬形埴輪の大半は、数多くの馬具を身に付けた「飾り馬」。この埴輪は、頭部の表現が独特で、被りものか、たてがみを垂らした状態を表したと思われ、全国的に見ても例がない。

47.重要文化財「旗を立てた馬型埴輪」 埼玉県行田市酒巻14号墳出土 6世紀 行田市郷土博物館

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 戦闘用の馬の鞍から筒のような蛇行状の鉄器を付けて、旗竿を装着している。旗を立てた表現は日本で唯一の例となる。

48.重要文化財「天冠をつけた男子」 福島県いわき市 神谷作101号墳出土 6世紀 磐城高等学校保管

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 美豆良(みずら)を肩まで垂らしたヘアスタイルに、両手を前に捧げあぐらをかいて座る男性。三角形の冠(天冠)のひさしの先端には7つの鈴がゆれている。左腰には、大刀と弓を射る時の防具である鞆(とも)を下げた盛装。衣服や冠、頬紅をつけた端正な顔だち。王の葬祭に際して、威儀を正して霊前に拝礼する若き後継者の姿を表現しているという。

50.「あごひげの男子」 伝・茨城県出土 古墳時代 6世紀 東京国立博物館

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 長い髭を生やし、先の尖った帽子をかぶる。千葉県北部から茨城県南部にかけて見られる地域色豊かな埴輪。高さが173cmもある人物埴輪としては最大級の大きさ。

52.重要文化財「武装石人」 福岡県八女市 鶴見山古墳出土 6世紀 岩戸山歴史文化交流館保管

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 甲冑で身を固める武人で、腕を水平に広げ、近づくものを退ける姿勢をとる。阿蘇溶結凝灰岩で出来た埴輪で、重厚感にあふれる。筑後や熊本県北部の「石人」の分布は、この地域を支配した「筑紫君一族」勢力範囲を示しているという。

■第4章 国宝 挂甲の武人とその仲間

 埴輪として初めて国宝となった「挂甲の武人」には、同じ工房で作成された可能性も指摘されるほど、兄弟のようによく似た埴輪が4体がある。そのうちの1体は、現在アメリカのシアトル美術館が所蔵しており、今回5体の「挂甲の武人」を史上初めて一堂に集めて展示。

55.国宝「挂甲の武人」(左) 群馬県太田市飯塚町出土 6世紀 東京国立博物館蔵 出典:ウキメディア・コモンズ

61.彩色復元「挂甲の武人」(右) 製作:2023年 文化財活用センター 原品は、上記の55.

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 国宝「挂甲の武人」には、表面に色が塗られていた痕跡が各所に残っている。2017(平成29)年~2019(平成31)年に実施した解体修理に際し、詳細な分析を行った結果、白、赤、灰の3色が全体に塗り分けられていたことがわかった。このたび実物大で彩色復元を行い、製作当時の姿を展示する。

56.重要文化財「挂甲の武人」(左) 群馬県太田市成塚町出土 6世紀 (公財)相川考古館蔵

57.重要文化財「挂甲の武人」(右) 群馬県太田市世良田町出土 6世紀 天理大学附属天理参考館蔵

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58.「挂甲の武人」(左) 群馬県伊勢崎市安堀町出土 6世紀 千葉・国立歴史民俗博物館蔵

59.「挂甲の武人」(右) 群馬県太田市出土 6世紀 アメリカ・シアトル美術館蔵

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60.国宝「挂甲の武人」 群馬県高崎市 綿貫観音山古墳出土 6世紀 群馬県立歴史博物館保管

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 2020年(令和2年)に指定されたもうひとつの国宝「挂甲の武人」。突起の付いた特徴的な冑をかぶり、左手で弓を持ちう右手は大刀の柄頭に触れている。甲冑を着込んだこの武人は、身なりから被葬者自身を表わした可能性もあるという。また背中側には、完全には残っていないが靫(ゆぎ)という矢の入れ物が付いていたと考えられ、復元されている。

 この後、■第5章 物語をつたえる埴輪 以降は、本ブログ記事「国立東京博物館「はにわ展」(その2)」に続く。

 

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 埴輪の最高傑作「挂甲の武人」(群馬県太田市飯塚町出土)は、1958年(昭和33年)重要文化財に指定された後、1974年に埴輪で初めて国宝に指定された。しかし、同じ工房で製作されたと考えられ、「きょうだい」と称される4体が国内、アメリカに存在していた。今回、初めて5体の「挂甲の武人」が勢ぞろいした。今回の特別展の目玉展示である。

 「挂甲の武人」は、小札(こざね)と呼ばれる小札状の鉄板を重ねた甲(よろい)を身に着け、左手に弓、右手に大刀を持つ。背負っている靫(ゆぎ)には矢を入れている。「挂甲の武人」の埴輪のほとんどは、他の埴輪に比べて顔以外は写実的な作りをしており、不思議に思っていた。最近、身分の高い権力者か埋葬された人物がモデルとされているためだと知り納得できた。

 2020年(令和2年)に群馬県高崎市の綿貫観音山古墳出土の埴輪群が国宝となるまでは、群馬県太田市飯塚町出土の「挂甲の武人」は、唯一の国宝埴輪であった。群馬は「埴輪王国」と呼ばれ、古墳時代の東国文化の中心地であったことが、改めて認識した。

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