国立東京博物館「はにわ展」(その2)
2024年11月15日(金)、国立東京博物館(平成館)の特別展「はにわ」を観覧する。
本ブログ記事「国立東京博物館「はにわ展」(その1)」の続き。
■第5章 物語をつたえる埴輪
埴輪は、複数の人物や動物などを組み合わせて、当時の王や王を取り巻く人々の物語を表現しているという。古墳を護る盾持人(たてもちびと)、古墳から邪気を払う相撲の力士など…、多様な人物の役割を表現。また、魂のよりどころとなる神聖な家形埴輪は、古墳の中心施設に置かれ、複数組み合わせることで王の居館を再現したと考えられている。
67~70.「盾持人」群馬県高崎市、鳥取県米子市、群馬県太田市、埼玉県本庄市 5~6世紀
盾形の上に人の顔が造形されている。盾は地面に置くタイプのもので、人物の手足は表現されてない。目や耳を大きくしたり、入れ墨を表現したり、あるいは満面の笑みで悪しき者を古墳に寄せ付けない。
71.重要文化財「両面人物」和歌山市 大日山35号墳出土 6世紀 和歌山県教育委員会
頭の両側にある2つの顔には、一方に矢じり、他方に矢羽根のような線刻がある。盾持ち人の頭部とみられている。形象埴輪では、現実に存在しないものを作ることはないそうで、両面人物はこの作品が唯一の例だという。
74.「力士」大阪府高槻市 今城塚古墳出土 6世紀 高槻市立今城塚古代歴史館
力士は大地を踏み、悪霊を鎮める役割がある。片手をあげ四股を踏む直前の動作を表現。現在の力士と同様、ふくよかな体格でまわしを締めている。髷は横一文字で手足に飾り紐や鈴のようなものをつけている。
78.「鷹匠」群馬県太田市 オクマン山古墳出土 6世紀 新田荘歴史資料館保管
飼いならした鷹を放って鳥等を捕える鷹狩りの男子。高さは約147cm。左手には尾に鈴を付けた全長15cm程の鷹を止め、巾広の鍔(つば)のある帽子をかぶり、肩まで垂らした美豆良(みずら)を結っている。裾縁に鋸歯文(きょしもん、鋸の歯のように三角形を並べた文様)を施した袴をつけ、腰には大帯をしめている。盛装した人物は高い地位にあったと思われ、鷹狩りが支配者層の狩猟行事であったことを物語る。
79.「琴をひく男子」伝・茨城県桜川市出土 6世紀 東京国立博物館
亡き王を弔うために音楽を奏で、踊る様子を再現した埴輪たち。膝の上に乗せた琴を弾く高貴な男子。並んで弦をつま弾く2人の童女(次項の「二人童女」)。邪を払うために一心に舞い踊る者(写真なし)もいる。
80,81.「二人童女」栃木県足利市 熊野古墳出土 6世紀 東京国立博物館(80) 足利市ふるさと学習・資料館保管(81)
83.重要文化財「ひざまずく男子」(右)群馬県太田市 塚廻り4号墳出土 6世紀 群馬県立歴史博物館保管
84.重要文化財「ひざまずく男子」(左)茨城県桜川市 青木出土 6世紀 大阪歴史博物館保管
腕輪、冠、籠手(こて)などを着込んで正装し、両手を前面に揃えて顔を上げてひざまずく男子の埴輪。亡き王の遺徳をたたえ、新たな王へ忠誠を誓うために、体を伏せた所作をとる公式的な礼拝場面を表現。
85.「あぐらの男子」群馬県高崎市 綿貫観音山古墳出土 6世紀 群馬県立歴史博物館保管
次の「正座の女子」と対面しておかれた人物埴輪。呪術的な双脚輪状文(そうきゃくりんじょうもん、古墳時代の装飾文様の1つ)の帽子を被り鋸歯文(きょしもん)の入った服を着る。鈴付大帯を腰に締めるので、この人物は王がモデルかも知れない。
86.「正座の女子」群馬県高崎市 綿貫観音山古墳出土 6世紀 群馬県立歴史博物館保管
下半身には折り目の付いた裳(スカート)をはき正座する。裳をはく女性は大変珍しく、朝鮮半島から伝来した最先端のファッションを着る人物は、高貴な女性であった。
89~94.「家形埴輪」,95.「囲形(かこいがた)埴輪」群馬県伊勢崎市 赤堀茶臼山古墳出土 5世紀 東京国立博物館
赤堀茶臼山古墳からは堅魚木(かつおぎ、屋根の上に乗っている丸太のような部材)のある主屋を中心に、倉庫や住居の家形埴輪が発見され、豪族居館を再現している。小さな家は囲形埴輪(左端)の中に入り、水にかかわる重要施設と考えられている。
99.「導水施設形埴輪」大阪府藤井寺市 狼塚古墳出土 5世紀 藤井寺市教育委員会
一辺に2個ずつ囲形埴輪を並べた方形区画を構成し、内部に川原石を敷き詰めた導水施設をかたどった。中央に導水管形の土製品が置かれる。聖水の儀礼または遺骸を洗浄Lた施設と考えられている。
100.「埴輪棺」香川県高松市 本堯寺北1号墳出土 4世紀 東京国立博物館
埴輪は、棺(ひつぎ)にも用いられている。補強のための帯を巡らせてある。このような専用の棺の他に、円筒埴輪をそのまま転用した棺も見たことがある。
105.「牛形埴輪」(前)大阪府高槻市 今城塚古墳出土 6世紀 高槻市立今城塚古代歴史館
108.重要文化財「猪形埴輪」(中)群馬県伊勢崎市 剛志(上武士)天神山古墳出土 6世紀 東京国立博物館
110.「犬形埴輪」(後) 同上
112.「鹿形埴輪」静岡県浜松市 辺田平1号墳出土 5世紀 浜松市市民ミュージアム浜北蔵
後ろを振り返ったポーズをとる、いわゆる「見返りの鹿」。大きな角を持った牡鹿で、胴部には焼く時に空気を抜く穴がある。鹿の埴輪は犬や人物とセットになって狩猟場面を構成。後世の武士が愛好した鷹狩のように、狩猟は常に権力と結びついていた。
103.「馬形埴輪」(奥前)群馬県前橋市 白藤古墳群V-4号墳出土 6世紀 前橋市粕川歴史民俗資料館保管
101.重要文化財「馬形埴輪」(中)埼玉県熊谷市 上中条出土 6世紀 東京国立博物館
102.「馬形埴輪」(後)愛知県春日井市 味美ニ子山古墳出土 6世紀 春日井市教育委員会
116.「魚形埴輪」(手前)千葉県芝山町 白桝遺跡出土 6世紀 芝山町立芝山古墳・はにわ博物館保管
115.「鵜形埴輪」(中)群馬県高崎市 保渡田八幡塚古墳出土 5世紀 かみつけの里博物館
107.「水鳥形埴輪」(後)埼玉県行田市 埼玉出土 6世紀 東京国立博物館保管
奥の列は、金属製の馬具をまとってハレの場に臨む飾り馬である。胸にはいくつもの馬鐸(鐘)をぶら下げており、口にくわえた轡(くつわ) や背中にぶら下げた杏葉(ぎょうよう、飾り板)には鈴が付いている。
114.重要文化財「翼を広げた鳥形埴輪」和歌山市 大日山35号墳出土 6世紀 和歌山県教育委員会
118.「乳飲み児を抱く女子」茨城県ひたちなか市 大平古墳群出土 6世紀 ひたちなか市教育委員会
乳房にしがみついてお乳を飲む赤ん坊に、手をそえて支える。このようなボーズの埴輪は本品が唯一。大きな髷を結い、耳飾りや首飾りを付けて頰紅を差した柔らかな表情は、子への慈愛に満ちている。
119.「犬猿の円筒埴輪」群馬県前橋市 後二子古墳出土 6世紀 前橋市教育委員会
子を負う母親を表現した。犬に追われ樹上に逃げた親子猿が、円筒埴輪に小像で表現されされている珍しい埴輪。
■エピローグ 日本人と埴輪の再会
古墳時代が終わると埴輪は作られなくなる。江戸時代に入ると考古遺物への関心が高まり、埴輪がふたたび注目を浴びるようになった。著名人が愛蔵した埴輪、著名な版画家が描いた埴輪、埴輪の人気投票でNo.1になった埴輪など、芸術家や一般市民など幅広い層で埴輪が愛されている。ここでは近世以降、現代にいたるまで埴輪がどのように捉えられてきたかについて紹介。
123.「両手を挙げる女子」茨城県水戸市愛宕町出土 6世紀 東京国立博物館
島田髷を結い、首飾りを付けてスカート状の広がる服を着た埴輪。下半身には何も装飾がなく、頬紅をさした素朴な愛らしさが魅力。木版画家の斉藤清によって作品「ハニワ」(1952年)のモチーフに採用された。
124.「頭巾をかぶる男子」(左)、125.「首飾をする女子」(右)東京都港区芝 丸山第8号墳出土 6世紀 東京国立博物館
東京タワーのそばの芝公園内の古墳から出土した。1916年(大正5)に発見され、東京帝国大学人類学教室が調査した。この調査がきっかけに武蔵野会(現武蔵野文化協会、武蔵野の自然と歴史・文化を研究する地域史研究団体)が設立した。
126.「帽子をかぶる男子」東京都葛飾区柴又 八幡神社古墳出土 6世紀 葛飾区郷土と天文の博物館
千葉県北部を中心に分布する下総型の埴輪に属する人物埴輪で、平板な顔、切れ長の目などの特徴がある。出土した際、映画『男はっらいよ』の渥美清が扮する車寅次郎に似ているとして話題を呼んだ。
127.「笑う男子」群馬県藤岡市 下毛田遺跡出土 6世紀 藤岡市教育委員会
農道工事中に見つかった埴輪。平成30年度(2018年度)に群馬県が「群馬HANI-1グランプリ」を開催し、埴輪の人気投票を行なったところ100体エントリーした中で本品は見事優勝。ほぼ無名だった埴輪が、一躍注目を省びた。
そのほか、1912年(大正元年)には吉田白嶺作の「武人埴輪模型」が明治天皇陵に埋められたとされる。幕末の孝明天皇陵は円墳、明治天皇陵では埴輪が作られたという。
「平成館」1階の常設展「考古展示室」を観覧。
14:35「平成館」を出て、「本館」の常設展を観覧。15:50「本館」を退出。
博物館の「表慶館」では、「ハローキティ展」が開催中(11月1日〜2025年2月24日)。こちらは、若い女性で混み合っている。
15:55、国立東京博物館を退場。上野恩賜公園の木々は、秋に色付いてきた。
公園では、「酒屋角打ちフェス」が開催中(11月15日~17日)。 入場料は、500円。
個性的な酒屋が集結、日本酒・焼酎・ワインの飲み歩きやお土産のお酒を購入が出来るそうだ。
16:05上野駅着。
★ ★ ★
西都原古墳群のある宮崎県西都市出身の本部マサは、「はにわ製作の先駆者」と評される。幼い頃から出土品に関心があり、女学校の頃から埴輪を模倣して焼くという製作活動を始める。やがて1955年に「本部はにわ製作所」を開業し、土産物として販売される埴輪を多数制作した。古墳時代に祭祀や魔除けなどのため、古墳から出土したという程度しか知らず、模造の埴輪を置物として見たり、お土産として貰ったことがあった。
しかし近年、古代史に関心を持って博物館・資料館、書籍やネットを見ると、本部の時代より研究が進んでいて、いろいろなことが分かってきた。埴輪は、古代の王や王を取り巻く人々の生活の様子や時代背景を映す鏡であり、王の人生の物語を今日に伝えているドラマだ。
特別展の開催に合わせて、テレビや新聞なども埴輪をテーマに取り上げている。ちょうど特別展を観覧したこの日の夜、NHKテレビ番組 「チコちゃんに叱られる!」で、埴輪のことを放映していた。「ハニワって何?」という質問に、「魔除け」「お墓の石みたいなもの」「子供が健やかに成長できるように・・・」と答える。チコちゃんは、「ハニワは、王様の大河ドラマ」と答える。
国立東京博物館の河野正訓主任研究員は「王のやって来たことを再現した大河ドラマ」と解説する。古墳時代の初期、3世紀中頃には円筒埴輪を並べて古墳を取り囲み、現実の世界と聖なる場所を区別する境界線の役割があった。円筒埴輪は壺を載せる台で、一説によると壺に飲食物を盛って邪悪な者をもてなし、お引き取り願うというものであったという。
その後、王が住んでいてその魂が宿ったという家形埴輪や、王が持っていた持ち物、武力を表わす物などの形象埴輪が王の権力を象徴した。5世紀になると、その権力の幅を広げるために誕生したのが、人物埴輪。狩猟、儀式や祭祀、葬儀の場面など、人物で王が行なってきたことをストーリーにして表現するようになったそうだ。
埴輪について、本ブログの関連記事
「古墳群と足袋蔵のまち行田」 2023/02/02投稿
http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2023/02/post-d96e71.html
「かみつけの里博物館と観音塚考古資料館」 2020/07/07投稿
http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2020/07/post-926374.html
「群馬の古墳めぐり」 2020/07/06投稿
http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2020/07/post-efd120.html
「群馬県立歴史博物館」 2020/07/05投稿
http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2020/07/post-dde2b8.html
「神話のふるさと日向の国ーその1」 2019/05/31投稿
http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2019/05/post-4189df.html
最近のコメント