八王子博物館ー桑都物語
2024年6月28日(金)八王子博物館と八王子城跡に行く。
9:50八王子駅南口近くの駐車場へ入る。
●八王子博物館 10:05~10:55
「桑都日本遺産センター 八王子博物館」は、JR八王子駅南口( の「サザンスカイタワー八王子」 3階にある博物館。2021年(令和3年)6月にオープン。愛称:はちはく。
東京都内唯一の「日本遺産」として認定されたストーリー「霊気満山 高尾山~人々の祈りが紡ぐ桑都物語」と八王子の歴史・文化を紹介。
八王子博物館のエントランス。入館無料、ボランティアガイドに案内してもらう。
テーマ展示ゾーンでは、八王子の歴史文化と日本遺産のストーリーを4つのテーマ➊~➍を紹介。
➊霊気満山 高尾山・・・歴史、信仰、自然や観光・行事。いろいろな角度から高尾山の魅力を紹介。
高尾山は、動植物の玉手箱ームササビは高尾山の人気者。
高尾山は、戦国武将の祈りの山、戦略上も重要な山。江戸時代は大名も庶民も信仰した山。
➋滝山城と八王子城・・・北条氏照(うじてる)の居城、「滝山城」と「八王子城」を紹介。
氏照は、北条氏の領国支配と勢力拡大に重要な役割を果たした人物。
滝山城跡の投射模型。
八王子城跡の出土品ー北条氏照は、茶の湯や生け花をたしなむ戦国大名だった。
八王子市の名は、深沢山に祀られている「八王子権現」(八王子神社)に基づいている。下の「八王子」の文字を大きく鋳出した扁額。
➌八王子のまちと人びと・・・甲州道中の宿場町として発展した八王子宿。まちの様子やそこに住む人々、幕府に仕えた「千人同心」について紹介。
街道沿いに旅籠や店が立ち並び、旅人を迎えた。八日市宿の風景。
「千人同心」は元武田氏の家臣団。武田氏滅亡後は徳川家康に召し抱えられ、軍事面で支えた。家光死後は軍事動員がなくなり、日光火の番を主な任務とした。身分はあくまで百姓だが、幕末に入ると幕府直属軍として再び軍事面で支えた。
「千人同心」の郷土調練。
「千人同心」に関する品々 -韮山笠、日光火の番の鳶口と手鎌。
➍桑都と織物・・・古くから養蚕や機織りが盛んで「桑都」と呼ばれてきた。まちの発展を支えた織物業や、現在に伝わる伝統芸能などを紹介。
八王子は、織物のまち。織物工場からは、織機の音が聞こえた。
「八王子祭り」では、真夏の甲州街道を山車や神輿が彩る。獅子舞などの個性豊かな伝統芸能が受け継がれている。
➍交流コーナー・・・車人形や、機織りを体験できる。
車人形と車仕掛けの箱に人形の遣い手が腰掛けて、前後左右に動けるようにし、両手両足を用いて人形をあやつる。
車人形の使い方の解説ビデオ。
明治時代に実際使われていた高機(たかばた)。
八王子博物館から八王子市滝山町にある東京都道169号淵上日野線(新滝山街道)の道の駅「八王子滝山」へ移動。
●道の駅八王子滝山 11:40~12:30
2007年(平成19)4月開業。東京都内では、唯一の道の駅。
「道の駅八王子滝山」で昼食。降雨が強いため「滝山城跡」の散策は中止。
次に、「八王子城跡ガイダンス施設」へ移動する。本ブログの記事「八王子城趾」へ続く。
★ ★ ★
●午頭天皇(ごずてんのう)
牛頭天王は、日本における神仏習合の神。釈迦の生誕地に因む祇園精舎の守護神とされた。京都東山祇園や播磨国広峰山(ひろみねさん)に鎮座して祇園信仰の神(祇園神)ともされ「感神院祇園社」(現在の「八坂神社」にあたる)から勧請されて全国の祇園社、天王社で祀られた。牛頭天王は、3尺の牛の頭をもち、また、3尺の赤い角もあったそうだ。
北条氏照が城を築いた城山(しろやま)は、かつては深沢山(ふかざわやま)呼ばれた。この山に牛頭天王の8人の王子神である「八王子権現」(八王子神社)を祀り、「八王子城」と名づけた。 この城名が市名の由来であるという。
●桑都八王子
「桑都」(そうと)とは八王子を指す美称。古くから養蚕や織物が盛んであったことを示している。「桑都」と呼ばれる由縁は、西行が詠んだという短歌
浅川を渡れば 富士の雪白く 桑の都に青嵐吹く
にあるという。この歌は、江戸時代後期の随筆に記録されており、このころ栄えてきた八王子宿の織物市のにぎわいを背景に「桑都」と言い習わされてきた。日本で「桑都」と称されるのは八王子だけ。ちなみに桐生市は、「織都」という雅称がある。
戦国時代には北条氏および徳川氏から軍事拠点として位置づけられて城下町となり、江戸時代には甲州街道の宿場町(八王子宿)として栄えた。絹織物産業・養蚕業が盛んであったが、特に明治以降は山梨県や長野県、群馬県(桐生市)、栃木県(足利市)などから鉄道により八王子に生糸が集積され、絹織物に加工された。絹織物や生糸は横浜鉄道(現在のJR横浜線)で横浜港に輸送され、当時の貴重な外貨獲得源として世界中に輸出された。
明治初期までの八王子は、横浜とのつながりが強い。実際、1893年までは神奈川県に属していた。東京府(現・東京都)に移管された理由は定かではない。神奈川県知事が東京府へ譲渡したとも、東京府の水源となっている多摩川流域が神奈川県に属することは管理上で不都合が生じたとも。また1889年に新宿駅―立川駅で開業を果たした甲武鉄道(現・JR中央線)は、半年も経たないうちに八王子駅まで延伸。八王子から東京方面へと人と物が流れるようになり、東京との経済的な結びつきは強まっていった。
八王子市は、23区を除く東京都内の全自治体のなかで最も人口が多く、現在およそ60万人。東京市(現在の東京23区)に次いで2番目に早く市制を施行した。面積は奥多摩町に次いで、東京都の市区町村で2番目に広い。
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