八島湿原と車山肩
2024年7月22日(月)、長野県下諏訪町、諏訪市の「八島湿原」を散策し「車山肩」に寄る。
「八島湿原」は、長野県のほぼ中央に位置する「八ヶ岳中信高原国定公園」中部の「霧ヶ峰」高原の北西部に位置する標高約1632mの高層湿原。湿原の所在地は諏訪市及び下諏訪町にまたがる。苔や湿地の生き物の宝庫で、総面積43.2ヘクタールの高層湿原。国の天然記念物・文化財に指定されている。
上信越道から中部横断道の佐久南ICを9:45に下り、国道142号線(一部国道254号と重複)を西に向かって走る。
10:05、立科町の道の駅「女神の里たてしな」で休憩。販売所「農ん喜村(のんきむら)」は、新鮮なトウモロコシなど地元産の野菜、立科町産の加工食品、オリジナル商品も並ぶ。
道の駅を出て35分後、国道142号線(旧中山道)を南西に進むと「通行止め」の看板あり。長和町の大和橋Y字路を左に曲がり、「大門街道」(国道152号線)の諏訪・白樺湖方面に迂回。大門峠で右折して 霧ケ峰の表示のある「ビーナスライン」(県道40号線)に入る。「ビーナスライン」のドライブルートは、高度を上げながら開放感あふれる高原のすばらしい絶景が広がる。
11:15、「白樺湖展望台駐車場」で休憩。展望台から「白樺湖」と「蓼科山」を望む。
「蓼科山」は、八ヶ岳連峰の北端に位置する標高2,531mの火山。コニーデと呼ばれる台地状の火山に、美しい円錐型のトロイデを重ねた複式火山。別名「女の神山(めのかみやま) 」や「諏訪富士」の別名を持つ。
「八ヶ岳連峰」の全容を身近に展望。
県道194号線の「ビーナスライン」を経て、11:40「八島湿原」の駐車場(普通乗用車約100台、無料)に到着。平日だが混んでいて、3、4台の車列に並んで何とか駐車できた。
左手の建物が、下諏訪町立の「八島ビジターセンターあざみ館」。右手は、みやげ・宿泊・食事の「八島山荘」。
12:05、ビジネスセンターを見学。「八島湿原」のジオラマ、断面模型による形成の成り立ち、高原に生きる動物や鳥たちや亜高山植物を紹介。「霧ヶ峰高原」一帯には、人が居住していたとされいて旧石器時代の遺跡が多く、黒曜石の石器が大量出土する国内有数の黒曜石の産地。また2階では四季折々の自然の姿をビデオで放映。
12:15、ビジターセンターを出て、「ビーナスライン」(県道194号線)の下をくぐり、「八島湿原」の入口「八島湿原展望台」広場へ。
広場の端の木陰で昼食。
広場には、『あざみの歌』の歌碑があった。「山には山の愁いあり 海には海のかなしみや」の『あざみの歌』は、1949年(昭和24年)にNHKラジオ歌謡で発表。作曲は『さくら貝の歌』で知られる八洲秀章。作詞は『さよならはダンスのあとに』、『下町の太陽』などを手掛けた横井弘。
横井は、戦後に転居した長野県下諏訪で、自然散策をしながら15編余りの詩をしたためた。野に咲くアザミの花にみずから思い抱く理想の女性の姿をだぶらせて綴った、最も気に入った一編が「八島湿原」で書かれた『あざみの歌』だったという。
広場から「八島湿原」を展望。
12:45、「八島湿原展望台」広場を出発、木道を歩く。1周約3.7㎞。高低差もあまりなく、2/3は木道。途中には休憩所もあり、90分くらいで散策が楽しめる。
時計廻りで木道を歩き始めてすぐの「八島ヶ池」。
正面の山は「車山」、気象レーダーが小さく見える。
13:05、「鬼ケ泉水(おにがせんすい)」の近くで、休憩。
ニッコウキスゲ、アヤメ、ノアザミ、シシウド、コバイケイソウの花もチラホラ咲いている。 ここのニッコウキスゲは、盛りを過ぎた感じ。
「八島湿原」の中で一番大きい「鎌ケ池」。
この木道の先は、現在休止中の「奥霧小屋」と「奥霧キャンプ場」、トイレの建物がある。
13:15、トイレ休憩。トイレはバイオトイレで、チップ制。
近くに『山小舎の灯』の歌碑(1988年建立)があった。この歌は戦後まもない1947年(昭和22年)に発表された。作詩、作曲したのは米山正夫。歌ったのは近江俊郎。ラジオから流れたその曲は、たちまち知れ渡りヒットした。
『山小舎の灯』の歌詞では、「暮れゆくは白馬か穂高は茜(あかね)よ」のように、北アルプスの山々と山小屋の情景が歌いこまれている。しかし「八島湿原」には歌の舞台ではなく、モデルになった山小屋もない。どのような経緯でこの地に歌碑が設置されたのか不明だそうだ。
遊歩道には「鹿よけのネット」が張られえており、その出入口が2個所ほどある。
しばらく林の中の木道を歩く。
再び視界が開け、湿原を一望。
14:00、ハート型の湿原を一周して、広場に戻る。14:15、駐車場を出発。
「ビーナスライン」(県道192号線)を北上して和田峠の方へ向かおうとしたが、「通行止め」の看板、来た道を戻る。和田峠トンルのある国道142号の旧道区間で道路路肩の崩落が確認されたため、この旧道区間が全面通行止めとなっているらしい。
二度の迂回のたため1時間近くのロス。次に予定していた「権現の湯」(立科町)で汗を流すのは、割愛。
14:45、「ビーナスライン」沿いの「車山肩」の駐車場(180台、無料、一部有料)に車を駐める。ちょうどニッコウキスゲが満開。
「車山」の山頂に設置された「車山気象レーダー観測所」が見える。
ここはニッコウキスゲが群生しているが、ロープが張られ、電気柵が設置されていて近づいて撮影できないのが残念。
「車山」は、長野県茅野市と諏訪市の市境に位置する「霧ヶ峰」の最高峰、標高は1925mで、日本百名山。諏訪市にある「車山肩」は、「車山」への登山口で標高1,800m。バス停や駐車場がある。ここから「車山」山頂までゆっくり歩いて45分ほど。13年前に登ったことがある。
丘の上から、車山と反対方向(西の方角)を望む。
車山肩の売店のソフトクリームは人気があるそうで、買って食べたがちょと高い(460円)。
15:25、「車山肩」を出発、中部横断道へ。途中上信越道の横川サービスエリア、夕食用の「峠の釜めし」(1,300円)を購入。釜飯は、買うたびに値上がりしている。
18:15、出発地に帰着。18:30帰宅。
天気に恵まれ、快適な高原のドライブと涼しい湿原の散策、ニッコウキスゲを楽しめた。
本ブログの関連記事
「八ヶ岳北横岳・霧ヶ峰車山高原」 2011年9月26日 (月)投稿
http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/20110723-24-5f5.html
★ ★ ★
●ビーナスライン
「ビーナスライン」は、茅野市街から蓼科湖、白樺湖、車山高原を経由して美ヶ原に至る観光道路。戦時中は国鉄茅野駅から郊外の花蒔(はなまき)という駅まで鉄道が敷かれていて、花蒔よりさらに山奥の鉄山から鉄鉱石を掘り出して、茅野駅を経由して神奈川県川崎にある製鉄所に運ばれていた。その鉄道は、1944年(昭和19)年に運用を始めたものの翌年の終戦と共に廃止されたそうだ。
その線路跡に作った道路が「ビーナスライン」で、まず1963年(昭和38年)に茅野市街から蓼科湖までの道路が開通、その後順次路線が延びて、1981年(昭和56年)に「美ヶ原」まで全線が開通。開通当初は建設費用を賄うため有料道路で、7~8ヶ所の料金所があった。「ビーナスライン」の名前の由来は1968年(昭和43)年、有料道路が大門から強清水まで開通した際に「美ヶ原」までの有料道路全線の愛称を募集、その中から「ビーナスライン」が選ばれた。
「ビーナスライン」から望める「蓼科山」を、歌人・伊藤左千夫が「信濃には八十の群山ありといへど女の神山の蓼科われは」とうたっている女の神を「ビーナス」と呼びかえ、「美ヶ原」の「美」も「ビーナス」に通じるものとして命名者の理由にあったそうだ。
なお、立科町のあった道の駅「女神の里たてしな」は、町のシンボルである「蓼科山」が円錐形で優雅な山容から「女の神山」と呼ばれ、水面に映す高原の湖で神秘的な「女神湖」があることから名付けられたという。
●八島湿原と八島ヶ原湿原
「八島ヶ原湿原」と「八島湿原」は、同じ場所を指している。正式名称は「八島ヶ原湿原」、一般的には「八島湿原」とも呼ばれている。湿原は面積が43.2ha、泥炭層の厚さは約8.05m。12,000年前に誕生した高層湿原であり、日本の高層湿原の南限にあたる。
「霧ヶ峰」には、「八島ヶ原湿原」、「車山湿原」、「踊場湿原(池のくるみ)」の3つの湿原があり、それらは1939年(昭和14年)に国の天然記念物として個別に指定された。1960年(昭和35年)に「八島湿原」の西半分の旧御料地を加え、個別に指定されていた3つの天然記念物は1件にまとめられ、指定名称が「霧ヶ峰湿原植物群落」となった。
高層湿原の始まりは、湖沼。周囲から土砂の流入、水生植物の繁茂などが起き次第に埋められていく。標高1,000m以上の場所や高緯度地方では寒冷な気候のため、植物は腐敗・分解がしにくく泥炭となって堆積。堆積物の溜まった湖沼に植物が侵入し、湖沼はやがて湿原に変わる。この段階の湿原を低層湿原という。低層湿原は、湿原の表面まで冠水。湿原の水は地下水と雨水などにより供給され比較的富栄養性である。
しかし、長い年月がたつにつれて湿原は泥炭が蓄積され周囲よりも高くなる。そのため、湿原は地下水からの供給が行われず雨水のみで維持されるようになり貧栄養。高層湿原に生育している植物は、主にミズゴケ。これが、湿原全体を時計皿をふせたように盛り上げていく。このようにしてできた湿原を高層湿原と呼ぶ。
1年に約1㎜ずつ成長している「八島ヶ原湿原」。12,000年の歴史を持つ湿原の主役ともいえる18種ものミズゴケをはじめ、シュレーゲルアオガエルなどの湿地の生き物や各種の亜高山植物が多く生息していている。湿原の主役ともいえるミズゴケの種類は18種にのぼり、「八島ヶ原湿原」の約490倍もある日本最大級の「釧路湿原」とほぼ肩を並べているという。
●旧御射山(もとみさやま)遺跡
「八島湿原」を時計回りに2/3ほど回った南東の湿原の外れに、鎌倉時代の「旧御射山遺跡」(南北370m、東西270m)がある。この地は諏訪信仰の要地で、ここ「旧御射山遺跡」は江戸初期まで「諏訪大社下社」の狩猟神事「御射山(みさやま)祭」が行われた。「旧御射山(もとみさやま)神社」は、「諏訪大社」下社の奥宮。
遺跡では、鎌倉時代の素焼き土器(かわらけ=神事等に用いる使い捨ての土器)や、陶器・古銭等が多数出土している。「諏訪大明神」(軍神)を祀る「御射山祭」では、諏訪・甲斐を中心に関東一円から武将や幕府重臣が集い、流鏑馬(やぶさめ)、草鹿(くさじし)、 武者競馬や相撲などの奉納試合を盛大に行ったそうだ。(草鹿=鹿の形をした的に離れたところから弓を引いて腕前を競う)
諏訪大社の最古の縁起絵巻『諏訪大明神画詞』にあるように、中央の祭場と競技場を取り囲んで丘を削った階段状の桟敷が設けられており、10万人とも言われる人数が見物に集まったとされる。鎌倉・室町時代には、神官や武将たちがここに小屋を建てて5日間籠り、農作物の豊作を祈願したという。
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