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2024年5月11日 (土)

川越市立博物館

 2024年3月26日(火)、大雨の中、「川越市立博物館」(埼玉県川越市)へ行く。

 

 もともと天覧山・高麗峠ハイキング(埼玉県飯能市)に参加予定していたが、雨のために中止し、目的地を変更。

 13:00川越駅東口。13:11市内循環バス「川越シャトル」に乗車、13:21博物館バス停着。

 13:30~15:20「川越市立博物館」見学(入館料200円)。

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◆特別展示室

 3月16日(土)から5月12日(日)、 館蔵資料公開「職人の道具」を公開中。

 博物館の収蔵品のなかから職人に関する道具や職人の手による製品を中心に展示。

 ファイルダウンロード 新規ウインドウで開きます。令和5年度館蔵資料公開チラシ

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◆常設展示室

 常設展示パンフレット(写真をクリックすると拡大表示)

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●〈近世〉小江戸川越

 近世展示室。中央に天海僧正座像が見える。

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 「木像 天海僧正座像」(複製) 県指定有形文化財 「喜多院」所有。

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 天海僧正は、徳川家康の側近として江戸幕府初期の朝廷・宗教政策に深く関与した。1599年(慶長4年 )、第27世住職として小仙波村(川越市小仙波町)の「無量寿寺」に入寺し、寺号を「喜多院」と改めた。1643年(寛永20年)に108歳で没したとされる。

 「江戸図屏風」は、3代将軍・徳川家光の功績を称えるために作られたもので、江戸城と川越城が描かれている。江戸城には将軍、川越城には老中などの重鎮が住み、両地は密接につながっていたという。

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 幕末期の様子を復元した城下町模型(1/500) 。上左が川越城、上右は喜多院。 

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 新河岸(しんがし)の舟運

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 高瀬舟模型(縮尺1/16)

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 新河岸川は荒川に注ぎ、やがて隅田川となる。江戸時代初期から昭和始めまでの約300年間、川越と江戸を結ぶこの流れを数多くの舟が往来した。当初は年貢米の輸送を主としたが、時代が進むにつれて人や、日用品などの物資が行き交うようになった。また、川越と江戸を強く結びつける役目を果たし、川越の江戸の文化はこの舟運によってもたらされた。

●〈原始・古代〉川越のあけぼの

 川越を中心とした発掘調査などにより、縄文時代から平安時代に至る原始・古代の生活文化などを紹介。

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●〈中世〉武士の活躍と川越

 平安末期から戦国期に至る川越地方は、河越氏、上杉氏、太田氏、後北条氏など群雄が活躍する舞台だった。

 「銅造 阿弥陀三尊懸仏」(複製) 県指定有形文化財 古尾谷八幡神社所有 鎌倉時代後期の大型懸仏(かけぼとけ)。

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 「木像 薬師如来座像」(複製) 県指定有形文化財 古谷本郷「灌頂院」所有 12世紀末葉から13世紀初頭に製作。

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 古尾谷八幡神社は1184年、源頼朝によって京都石清水から勧請されたとの由緒をもつ。

●〈近代・現代〉近代都市川越の発展

 蔵造りの町並みは、近代都市川越の象徴。

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 大火の原因となった北風から家を守るため、北側の壁には窓がない。

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●〈民俗〉川越の職人とまつり

 蔵造りに大きくかかわった職人の技術と習俗を展示。

 地面を固めて台づくり。

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 棟上げ式

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 原寸大に復元した蔵造り模型。荒打ちから黒漆喰までの壁づくりの工程が分かる。

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 「川越まつり」の山車模型。

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 「川越氷川祭」は、毎年10月第3日曜日とその前日の土曜日に行われる「川越氷川神社」の祭礼、一般には「川越まつり」と呼ばれている。「常陸國總社宮大祭」(石岡のおまつり)、「佐原の大祭」と並び、「関東三大祭り」の一つとも称される。2日間で80万人以上の人出を数える。

 360年以上にわたり続いてきた祭事で、国の重要無形民俗文化財に指定。また2016年にはユネスコの無形文化遺産に「山・鉾・屋台行事」の1つとして登録された。
 

 次に予定していた「川越城本丸御殿」見学は、時間がなくて割愛。

 15:25博物館バス停発。15:40川越駅東口バス停着。15:50~17:40、焼鳥居酒屋「ビッグ」で打ち上げ。

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 17:45川越駅で解散。この日は、本降りの雨だった。

 

 ★ ★ ★

 「川越市立博物館」は、市制60周年記念事業の一つとして1981年昭和56年)より準備を進めて建設されたもので、 1990年平成2年)3月に開館、地下1階地上3階建。2002年12月には隣接して「川越市立美術館」が開館した。 川越市の考古・歴史・民俗等を中心に扱う人文系総合博物館。

 川越に蔵造りの町並みが形成される切っ掛けは、1893年 (明治26年)の大火。この大火災は、川越商人たちの防火対策への意識の変革をもたらした。川越商人は江戸時代以来、新河岸川の舟運などによる江戸との商いで富の蓄積があり、復興のための財力は十分にあったようだ。同じ惨事を繰り返さないよう、建物そのものを防火建築にすることにした。

 大火の際に焼け残った1軒の家屋「大沢家住宅」が全て耐火建築の蔵造りであったことから、商人たちは競ってコスト的には高く付くものの蔵蔵造り建築による店舗(店蔵)を建てた。この頃、東京では既に耐火建築として、レンガ造りや石積みの近代的な建物が造られていたが、川越商人たちは伝統的な蔵造り建物を選択したという。

 本大火後2~3年に、200棟を上回る蔵作りが建設され、当地のシンボルともなった。当地の蔵造りは赤レンガを地下室や塀に用いており、その色調に合わせて黒漆喰をふんだんに用いているのが特色。黒漆喰は白漆喰より高額で維持費もかかるが、その結果他都市とは異なる独特な蔵作りの家並を形成することになった。

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