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2024年5月14日 (火)

熊谷タウン散策

 2024年4月11日(木)、埼玉県熊谷市の市街地を歩いて巡る。

 

 10:00、JR熊谷駅(筑波二丁目)の北口を出発。

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●星川通り(銀座~鎌倉町) 10:05~

 別名「星川シンボルロード」を北西に向かって歩く。写真は「花園の歌」像(圓鍔勝三 作)。

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 「星川通り」は、熊谷市鎌倉町を起点とし、星川・筑波を経て、同市の銀座へと至る市道の愛称。全区間が星川の両岸に位置する。1975年に「水と緑と彫刻のプロムナード」として、広場や彫刻像が設置されている。

 「星川」は、熊谷市街地北西部の北大通り中央を流れる大里用水から分流、暗渠を経て、鎌倉町の 「星溪園」前で星川なって姿を表す。地上に現れた地点から、星川と呼ばれる。農業用水の取水施設もある。

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●高城神社(宮町) 10:25

 熊谷市宮町にある神社で、旧社格は県社。熊谷郷の総鎮守とされていた。「日本一長いおみくじ」で知られる。高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)、別名高木神(たかぎのかみ)と呼ばれ、生成力を神格化した神であるため万物をつくり出す神とされており、「えんむすび」「安産」の神として崇敬されている

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 1590年(天正18年)の兵火で焼失したのを、忍城主・阿部正能が再建した。

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 境内にある樹齢800年ともいわれる巨大なケヤキの御神木。近年洞(ウロ)が広がり、中から外の光がみえるようになった。境内には他にも樹齢600年程度のケヤキが数本あるそうだ。

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●熊谷寺(仲町) 10:40

 「熊谷寺(ゆうこくじ)」は、熊谷市仲町にある浄土宗の寺院。当地(武蔵国熊谷郷)は、平安時代末から鎌倉時代初期の武将・熊谷直実の本拠地であり、出家後の直実が蓮生(れんしょう / れんせい)法師として往生した場所と伝えられている。

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 この寺は珍しく、常時閉門されている。行事の開催などを除き、または特別な許可を得ない限り、参拝等境内への立ち入りはできない。
 

●星溪園(鎌倉町) 10:45~11:00

 星溪園の正門。出典:ウキメディア・コモンズ

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 「星溪園」は、回遊式庭園、入場無料。熊谷の発展に数々の偉業を成した竹井澹如(たんじょ )によって、慶応年間から明治初年にかけてつくられた。

 澹如は、1839年(天保10年)群馬県甘楽郡南牧村、羽沢の豪族・市川五部兵衛の六男として生まれる。1865年 (慶応元年)27歳の時に熊谷宿で本陣をつとめる竹井家を継ぎ、14代当主となる。 1879年(明治12年)初代の県議会議長。政府の要職をすすめられたが、始終一貫、熊谷地方のために貢献した。

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 竹井澹如 出典:ウキメディア・コモンズ

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 1623年(元和9年)、荒川の洪水により当園の西方にあった土手(北条堤)が切れて池が生じ、その池は清らかな水が湧き出るので「玉の池」と呼ばれ、星川の水源となった。澹如が、ここに別邸を設け、「玉の池」を中心に竹木を植え、名石を集めて庭園とした。

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 昭和初期、この地を訪れた前大徳牧宗禅師(京都の大徳寺僧)が、「星溪園」と命名。1950年(昭和25年)に熊谷市が譲り受け、1954年(昭和29年)に市の名勝に指定された。1990年(平成2年)から1992年(4年)にかけて園内の整備が行われ、老朽化のした建物は数奇屋感覚が取り入れた上で復元。園内には、星溪寮、松風庵、積翠閣(せきすいかく)の3つの建物があり、お茶会などに利用されている。

 中心的な最も大きい建物の星渓寮。出展:星渓寮パンフレット

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 松風庵は、2室からなる庵室。星溪寮と積翠閣の間に位置して数寄屋の建物。積翠閣の2階から望む。

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 積翠閣の2階部分。積翠閣は、松風庵の北に位置し、庭園と玉の池を眺望できる。1階のギャラリーには星渓園や澹如の資料が展示。

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 積翠閣の2階から庭園を望む。

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 竹井澹如は、熊谷県庁の誘致、旧熊谷堤の修築と桜の植樹、養蚕業の振興、私立中学校(セキテイ学社)の創設などの偉業を残し、1912年(大正元年)74歳で永眠した。
 

●片倉シルク記念館(本石二丁目) 11:10~11:55

 ショッピングモール「イオン熊谷店」の隣に2つの古い倉庫があり、これが「片倉シルク記念館」。


 「片倉シルク記念館」は、「片倉工業株式会社」最後の製糸工場であった熊谷工場が1994年(平成6年)に操業停止してから、 の繭倉庫を利用して創設された記念館。入館無料。同社の製糸業121年におよぶ歴史を、末永く保存継承するために、熊谷工場の操業当時に使われていた製糸機械が展示され、繭から生糸になるまでの過程を紹介。2007年(平成19年)には、経済産業省の「近代化産業遺産」に認定された。

 熊谷工場のジオラマ。


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 記念館では、繭倉庫を利用した館内に、操業当時に使われていた製糸機械や貴重な資料が展示され、繭から生糸になるまでの当時の製造工程を見学することが出来る。

 実際に使われていた自動操糸(そうし)機。繭から引き出した繭糸を何本か合わせて目的の太さ、長さに1本の生糸にする工程。

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 糸捻(ねじ)りの前の工程らしいが、何の機械か分からなかった。

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 糸捻り、活(かつ)に束ねる工程の写真展示。

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 メモリアルギャラリー。従業員の寮生活や、工場内の学校生活など、多くの写真が展示。

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 ほかに、片倉工業の歩みの展示、御法川(みのりかわ)直三郎と今井五助との出会いについての展示、御法川式多条製糸機の実物展示(以上、写真なし)など。館内のミニシアターでは「もうひとつのシルクロード」等、製糸工場が実際に稼働していた頃の様子を約15分で放映。

 隣接する繭倉庫の「蜂の巣倉庫」。天井に、蜂の巣状の穴が105個あいている。倉庫の屋根裏部分から繭を入れ、穴の下部にあたる天井部分から古い繭を取り出せる仕組み。ここでは、繭の貯蔵方法や養蚕具、蔵出しの様子が展示されていた。

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 12:00~12:40、レストラン「サイゼリア」(イオン熊谷店1階)で昼食。
 

●熊谷桜堤 13:00~

 イオンモールから南西に進むと、荒川沿いの桜が満開。一旦、国道407号の荒川大橋の下をくぐり、再び桜堤を歩くと花見客や屋台で賑やか。

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 「熊谷桜堤」は、荒川左岸の堤防の内、荒川大橋から下流方向に約2kmにわたって続く。毎年3月下旬から4月上旬に開かれる「熊谷さくら祭」には、約500本のソメイヨシノが桜のトンネルをつくる。江戸時代から桜の名所として親しまれ 「日本さくら名所100選」の一つ。

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 4月8日、熊谷地方気象台より熊谷でさくらの満開(標本木で約80%以上が開花)を観測したと発表があったそうだ。平年より5日遅く、昨年よりも13日遅い。さくら祭は、14日まで開催だという。

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●熊谷市美術展 13:20~14:25

 熊谷市立市民体育館(桜木町二丁目)で、「第55回公募熊谷市美術展」が4月11日(木)~14日(日)の会期で開催中。多くの公募作品の中から入選した作品を展示。出品種目は、絵画、彫刻、工芸、書、写真。

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●郷土資料展示室 14:30~15:00

 熊谷市立図書館(桜木町二丁目)3階では、常設の「郷土資料展示室」と企画展「市立図書館所蔵美術品展」。

 「郷土資料展示室」の原始・古代コーナーでは、市内の遺跡などから発掘された土器などの資料。中世コーナーは、熊谷直実にまつわる資料と埋蔵銭や板碑など。近世コーナーは、高札などの中山道熊谷宿にかかわる資料。近・現代コーナーは、熊谷空襲や昭和の暮らしを再現。小説家・森村誠一コーナーは、熊谷出身の森村氏と熊谷の資料を展示。熊谷の養蚕コーナーでは、近・現代の熊谷市で主要産業の一つであった養蚕関係資料を展示。

 また、当館所蔵品を中心としたミニ企画展「直実・蓮生の浮世絵展Ⅱ(芝居絵)」が令和6年6月6日(日)まで、開催中。

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 3階の美術展示室では、4月2日(火)から 5月19(日)まで企画展「市立熊谷図書館所蔵美術品展」が開催。郷土ゆかりの作家による美術品を展示。

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 図書館から熊谷駅南口まで徒歩5分。15:20~、熊谷駅ビル2階「ミスタードーナツ」で時間調整(コーヒータイム)。

 16:00~17:50「さくら水産」(熊谷駅ビルAZ 5階)で打ち上げ。

 18:00、熊谷駅で解散。

 

 ★ ★ ★

 「片倉工業」は、1873年(明治6)長野県諏訪郡川岸村(現岡谷市)で片倉市助が、10人取りの座繰り製糸から始まった。1878年(明治11)、家督を受け継いだ片倉兼太郎が、川岸村に垣外(かいと)製糸場を開設。32人繰りの洋式器械を備えた工場だった。1895年(明治28)「片倉組」を、1920年(大正9)「片倉組」を継承する組織「片倉製糸紡績株式会社」を設立した。蚕種の研究と繰糸機の改良に貢献し、朝鮮半島含め最大62カ所の製糸工場まで拡大し、良質な生糸を世界中に届けた。

 1939年(昭和14)に富岡製糸場を譲り受け、1943年(昭和18)「片倉工業株式会社」に改称。富岡製糸場は、1987年(昭和62)年まで操業した。富岡製糸場の歴史的価値を認識し、建物につては保全管理に努めた。1994年(平成6)熊谷工場の操業を休止し、蚕糸業から撤退する。2000年(平成12)「片倉シルク記念館」オープン。2005年(平成17)富岡工場(富岡製糸場)の建物等を富岡市に寄付。翌年、敷地を富岡市に売却した。

 発明家の御法川直三郎は、いくつも山積していた技術的な困難を解決して、1904年(明治37)に20条の多条繰糸機を完成させた御法川の研究に理解し、援助・協力を惜しまなかった片倉製糸紡績副社長の今井五郎(片倉兼太郎の実弟、後に社長)は、その後この機械を採用し、これが繰糸機の技術革新をもたらし、片倉と日本の生糸の品質を高めることになった。

 片倉工業は、1994年(平成6)に伝統事業である蚕糸事業から撤退した後、不動産資産を活かしたショッピングセンター運営・不動産賃貸事業・小売事業の他、終戦後に進出した自動車用部品製造、繊維製品の販売など、経営は多角化している。そのほか、医薬品、農業用機械、産業用機械の製造子会社や消防車製造子会社なども持つ。

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