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2024年1月18日 (木)

四谷から神宮外苑

 2024年1月13日(土)、四谷界隈から神宮外苑をめぐる10kmほどの新春ウォーク。
 本ブログ記事「四谷界隈の谷と坂」の続き。
 

■四谷界隈を歩いたあと、地下鉄で四ツ谷駅に移動し神宮外苑をめぐる。

 丸ノ内線の四谷三丁目駅を12:55発、四ツ谷駅12:57着。赤坂口から出る。

 ちなみに「四ッ谷」と言う表記は、江戸時代から明治中ごろまで多く、明治末からは「四谷」が多くなったそうだ。現在「四ッ谷」 を使っている主なところは、JRと東京メトロの「四ツ谷駅」くらいのようだ。

 「若葉東公園」の中を突き抜けて迎賓館へ。

●迎賓館 13:10

 正門(参観者の出口)から見る「迎賓館赤坂離宮」。参観の入口は西門(学習院初等科側)、正門からはご入場できない。

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 迎賓館は、世界各国から賓客を迎える内閣府の迎賓施設で、港区元赤坂の「迎賓館赤坂離宮」と京都御苑内の「京都迎賓館」の2か所がある。非公開だったが、2016年度からは一般公開されるようになった。「迎賓館赤坂離宮」は、本館と庭園は予約なしで、和風別館は予約制で参観可能。いずれも有料。毎週水曜日が休館日で、また接遇等により公開中止になる。入場時に禁止事項、注意事項等があり、金属探知機による検査と手荷物検査がある。

 現在の迎賓館の建物は、東宮御所として1909年(明治42年)に紀州藩の屋敷跡に建てられた。しかしネオ・バロック様式の外観が華美に過ぎたことや住居としての使い勝手が良くなかったため、皇太子嘉仁親王(大正天皇)がこの御所を使用することはなく、天皇に即位した後は離宮として扱われることとなり、名称も「赤坂離宮」と改められた。戦後、「赤坂離宮」を改修し迎賓施設にすることが決定、1974年(昭和49年)に現在の迎賓館が完成した。

●学習院初等科

  四谷角筈線(都道414号線)に出ると、そこは「学習院初等科前」交差点。

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 「学習院初等科」の正門。赤坂御用地には近い。

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 1847年(弘化4年)に孝明天皇により公家の学習所として、京都御所前に「学習院」が創設。1877年(明治10年)神田錦町に華族学校として改めて校名を「学習院」として開業、学習院予備科(初等学科)設置した。1884年(明治17年)官立学校。1947年(昭和22年)私立学校となる。元々は神田錦町にあったが、火事で虎ノ門へ、老朽化で現在の迎賓館の場所に、その後現在の迎賓館前に移動した。現在の本館は明仁親王(現上皇)が入学する際に建設されたという。

 四谷角筈線の「鮫ヶ橋坂」を下る。「鮫ヶ橋坂」は、本ブログの前の記事「四谷界隈の谷と坂」で記載した 「みなみもと町公園」のある南元町交差点で終わる。

 「迎賓館」西門近くから「鮫が橋坂」を見下ろす。出典:Googleマップ

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 坂下の「みなみもと町公園」辺りは、すり鉢地形のもともと低い湿地で、かつては沼から鮫川が東南の赤坂溜池に流れていたそうだ。湿地は、江戸時代に外堀工事の残土で埋め立てられ、町屋となったという。

●鮫が橋門 13:20

 赤坂御用地の「鮫が橋門」。南元町交差点辺りに位置する。

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 ここは、「学習院初等科前」交差点から350mほど。四谷角筈線(都道414号線)のこの辺りから先は、「安鎮坂(あんちんざか )」の上り。別名「権田原坂(ごんだわらざか)」 。

 「鮫が橋門」付近から「安鎮坂」の上り。出典:ウキメディア・コモンズ

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 「安鎮坂」の名は、かつて坂の前にあった安藤左兵ヱの屋敷内に安鎮大権現の社があったことに由来し、後に「安珍坂」と書くようになったという。別名の「権田原坂」は、付近に屋敷のあった権田氏、あるいは権田原僧都の碑など諸説ある。この坂を上り切った場所は、「権田原交差点」という。

●仙洞御所正門 13:25

 「仙洞御所(せんとうごしょ)正門」の皇宮警察の派出所。ここは、赤坂御用地の「鮫が橋門」から約350m、「安鎮坂」の途中にある。

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 正門の写真は、撮れなかった。「仙洞御所」とは、主に退位(譲位)した天皇の御所をいう。

 2019年(平成31年)4月30日24:00をもって第125代天皇が退位して上皇となり、同時刻の令和元年5月1日0:00、今上天皇が第126代天皇に即位した。これに伴い、皇居の従来の御所が上皇の御所である「吹上仙洞御所」に、赤坂御用地の従来の「東宮御所」が天皇の御所である「赤坂御所」にそれぞれ改称された。

 その後、2020年(令和2年)3月31日に上皇と上皇后は、「赤坂御所」が正式な「仙洞御所」として改修されるまでの間の仮住まいとして、港区高輪の旧高松宮邸に転居し、これを「仙洞仮御所」と称した。一方、皇居の「吹上仙洞御所」は改修を経て、2021年(令和3年)9月6日より今上、天皇一家の正式な御所となった。そして天皇一家転居後の「赤坂御所」は改修され、2022年(令和4年)4月26日に上皇・上皇后が旧高松宮邸から再度転居し、正式な「仙洞御所」となった。

 四谷角筈線(都道414号線)の「安鎮坂」は、権田原交差点で外苑東通り(都道319号)と交差する。

●国立競技場 13:45

 権田原交差点の歩道を渡り、外苑に入る。左手に明治神宮野球場、草野球の聖地・明治神宮第二野球場を見ながら進むと、木材を使用した「国立競技場」が見える。

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 2020年東京オリンピック・パラリンピックにおいては、「オリンピックスタジアム」の名称で、メイン会場として使用された。隈研吾によるデザインは、明治神宮外苑との調和を目指した『杜のスタジアム』のコンセプトを掲げ「自然に開かれた日本らしいスタジアム」を提案。屋根や軒庇などを鉄骨と木材のハイブリッド構造とし、最大高さを47.4mと比較的低く設定することで、水平ラインを強調した構造となっているという。

 この日は、ラグビー全国大学選手権決勝(帝京大―明大)がこの国立競技場で行われた。

 3大会連続、12度目の優勝を目指す帝京大(関東大学対抗戦1位)と、5大会ぶり14度目の優勝を目指す明大(同2位)が対戦。試合前は晴天に恵まれた国立競技場周辺だったが、15:20の試合開始ごろには厚い雲に覆われる天気に。点灯試合になると、前半5分ごろには雨が降り始め、その後はみぞれ、時折雷鳴や稲光に見舞われる天候となった。帝京大の7-0で迎えた15:45(前半22分37秒)、試合を中断、16:40分に再開した。中断時間は55分間だった。節目の60回目の大会の決勝は、帝京大34―15明大。創部100周年の明大は、及ばなかった。

 試合開始の頃には、地下鉄に乗って渋谷を経由して、池袋に向かっていた頃で、天気の急変には気がつかなかった。

●聖徳記念絵画館 13:45

 神宮外苑の中心的な建物。建築当初のままの荘厳な建物には、明治天皇のご生誕から崩御までの出来事を、年代順に前半を日本画40枚、後半を洋画40枚で展示されている

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 明治天皇崩御後に建築計画が持ち上がり、大喪の礼が行われた「青山練兵場」の葬場殿跡地で、1926年(大正15年)10月竣工。幕末から明治時代までの明治天皇の生涯の事績を描いた歴史的・文化的にも貴重な絵画を展示している。

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 施設維持協力金1人500円を納め、入館する。維持管理は、宗教法人・明治神宮の予算で賄われているそうだ。

 13:50~14:30、絵画80点を鑑賞。以下、4枚の写真の出典は、ウキメディア・コモンズ

 館内展示の様子

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 「大政奉還」慶応3年10月13日(1867年11月8日)京都・二条城 画家;邨田丹陵 奉納者;公爵・徳川慶光 

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 「徳川邸行幸」明治8年(1875年) 東京・徳川昭武邸 画家;木村武山 奉納者;侯爵・徳川圀順

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 「憲法発布観兵式行幸啓」明治22年(1889年)東京・桜田門 画家;片多徳郎 奉納者;日本興業銀行

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 絵画館を出ると、晴天だった青空は、一面曇りに変わり、傘を差さなくても良い程度の雨がパラパラ。

●外苑キャンパス 14:35

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 「外苑キャンパス」は、「京都芸術大学」と姉妹校の「東北芸術工科大学」の東京の拠点として、2010年7月に開設された。神宮外苑の敷地の中にある2階建てのキャンパスでは、芸術を学ぶことができる多様な公開講座を開講、社会人のための新型アートカレッジ「東京藝術学舎」や年間開講数約470を超える通信教育部課程のスクーリング授業などに利用されているという。

 「京都造形芸術大学」 を運営する学校法人瓜生山学園 は、2020年4 月より「京都芸術大学」と名称変更した。これに対し「京都市立芸術大学」が抗議し、「京都芸術大学」の名称使用の差し止めを求め提訴したが、大阪地裁で敗訴し、2021年7月大阪高裁で和解した。「京都市立芸術大学」は、これまで「京都芸大」「京芸」などと通称・略称されているので、学園側は「京都芸術大学」の名称を使えるが、「京都芸大」「京芸」を使用しないなどとすることで合意したという。

●御観兵榎 14:40

 神宮外苑のいちょう並木の近くに、「御観兵榎(えのき)」と呼ばれる旧跡の石碑がある。明治天皇が帝国陸軍の視察を行う際に着座していたとされる場所。

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 石碑は、神宮外苑が整備された1926年(大正15年)7月に建てられ、揮毫は、伯爵・東郷平八郎。

 神宮外苑は、造営前は陸軍の「青山練兵場」だった。明治天皇は、1889年(明治22年)2月11日の憲法発布観兵式や1906年(明治39年)4月30日の 日露戦役凱旋観兵式など、観兵式出席のため練兵場を訪れた際は、ここに生えていた榎の大木の西側に設けられた御座所で視察したという。その後、神宮外苑が造営されることになった際、この木を「御観兵榎」と名付け、長く保存することとなった。

 当時の榎は、1995年(平成7年)9月の台風で倒れてしまったため、現在は自然実生木(みしょうぼく、種から生えだした木、生命力が強い)を移植した木が二代目。

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●外苑いちょう並木 14:50

 黄葉した葉が落ちたいちょう並木は殺風景で、写真を撮るのを忘れてしまった。

 以下2枚の写真は、2012年12月1日撮影。

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 神宮外苑を出て、近くの地下鉄外苑前駅に向かう。

 東京メトロ銀座線の外苑前駅15:01発、渋谷駅15:06着。渋谷駅で下車して外に出ると、路面が濡れている。副都心線に乗り換え、渋谷駅15:15発、池袋駅15:25着。池袋駅西口のマック店のコーヒーで時間を潰し、16:25~18:35居酒屋「楽蔵」で新年会。

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  「新宿御苑と神宮外苑」2012年12月2日投稿
    http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/post-c466.html
 
  「都内をめぐる日帰り研修旅行」 2017年6月3日投稿
    http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2017/06/post-bf6d.html




 ★ ★ ★

 明治神宮がある内苑の造営は国費で賄われたが、外苑については「明治神宮奉賛会」が全国の国民からの寄付金を取りまとめて資金を捻出し、また献木や青年団による勤労奉仕により、スポーツ・文化施設や緑地、公園などが明治神宮に奉献された。この外苑のうち、現在66.2%を明治神宮が保有・管理している。

 明治神宮の賽銭や玉串料などの「神社としての収益」は全体の約12%程度。その他は、結婚式場などのほかスポーツ施設利用の売上など「神社事業以外の収益」から得ている。これらの売上から費用を引いた利益により、内苑や外苑の森林管理維持費を捻出している。

 明治神宮は、神宮球場や秩父宮ラグビー場は耐震問題などで建て替えや外苑の再開発を検討しているが、資金を負担できる財政状況にはない。また、宗教法人には公金の投入は禁止されている。そこで、隣接する伊藤忠商事の東京本社ビル建て替えと三井不動産の再開発事業と絡めることで、民間企業の資金で再開発することにした。

 外苑のシンボルであるいちょう並木を始めとした豊かな緑を保全・継承し、新たな樹林地の創造、老朽化したスポーツ施設を段階的に建て替え、次の100年に繋がる国際的な文化とスポーツの拠点として整備、広場や緑地などのオープンスペースの整備により、宿泊施設や商業施設、オフィス、広場などを建設し、 様々なイベント実施による賑わいの醸成や避難場所として防災に寄与するなど、大規模再開発事業「神宮外苑まちづくり」のプロジェクトに取り組んでいる。

 この神宮外苑の再開発の是非が、東京都、専門家、文化人、住民を巻き込んで大きな論争になっている。豊かな緑や風致地区は本当に保全されるのか。そもそも都心部の再開発はなぜ必要なのか・・・。事業者側の計画では、2024年に着工予定、2036年の完成を目指すという。
 

  ★ ★ ★

 気象庁は13日、強い寒気が流れ込んだ影響で東京都心で初雪を観測したと発表した。平年より10日遅く、昨冬より11日早い。都心ではこの日、14時前に11℃を超えていた気温が、17時半には2℃まで急降下。夕方、雨に雪が交じって降る「みぞれ」となった。積雪はなかった。この日、国立競技場で開催されたラグビーの全国大学選手権が雪の決勝になるなど、都内各地で降雪に見舞われた。

 都心の雪は、夜遅くにやむ見通しだとのことだったが、池袋の居酒屋から外に出た18時半過ぎには、降ってなかった。しかし昼間と違って北風が吹いて、帰路は寒かった。

 「四谷界隈の谷と坂」をめぐり、四ツ谷駅から神宮外苑の絵画館までの新春ウォーキング。計画、案内してくれたYさんに感謝。

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