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2023年10月31日 (火)

川の博物館と鉢形城公園

  2023年10月22日(日)、東武東上線の鉢形駅から寄居駅まで歩く。

 途中、「川の博物館」と「鉢形城園」を見学。

 
 10:01、東武東上線の鉢形駅に到着。2015年(平成27年)3月に駅舎のリニューアルしたそうだ。近隣の埼玉県立「川の博物館」の水車小屋をイメージしたものだという。10:07、鉢形駅を出発、静かな住宅街を抜ける。

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 坂を下り、右手の寄居町保健福祉総合福祉センターと寄居町総合社会福祉センターの大きな建物を過ぎる。

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 左手に、荒川の「かわせみ河原」が賑わっている。

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 10:30、埼玉県立「川の博物館」(かわはく)着。入場料は、一般410円。

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 65歳以上の入場料は無料だったが、県の条例改正により、2013年(平成25)7月から一般と同じになっている。

 展示室などがある本館。

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 本館前から「荒川大模型」、「レストハウス」と「大水車」。

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 「大水車」は1997(平成9)年8月、「かわはく」の開館に合わせて作られた。埼玉県産のヒノキで作くられ直径は23m、日本一の大きさを誇ったが、2004(平成16)年に岐阜県で直径24mの大水車が完成し、日本第2位となった。2015(平成27)年、木部に老朽化により回転を停止。2017(平成29)年、改修工事が行われ、2019(令和元)年7月に直径24.2mの日本一の「大水車」が完成した。

 11:00~事前に依頼した学芸員による「荒川大模型」の説明を40分ほど受ける。

 荒川の源流(甲武信岳)から河口(東京湾)までの長さ173kmの流れと本流沿いの地形を1000分の1に縮小た大パノラマ。

 秩父山地、甲武信岳(標高2,475m)の山麓、奥秩父の赤い丸が「荒川源流点」とされる。

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 深い谷を刻む荒川は、秩父盆地内を曲流し数段の非対称の河成段丘をつくっている。

 右手前が浦山ダム、その先に秩父市街。

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 2019年(令和元年)の台風19号の当時の「かわはく」の被害状況などの説明があったが、本館の写真やパネルでも紹介されていた。

 11:38、途中、大小の水車を見ながら、レストハウスへ移動。

 園内には荒川流域で使われていた精米水車(上の写真)とコンニャク水車(写真なし)が移築復元されている。

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 11:40、レストハウス2階、レストラン「ウォーターミル」で昼食。かわはくラーメン650円。

 12:00~本館展示室を見学。「鉄砲堰(てっぽうぜき)」の1/4模型。

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 12:20~、大型パノラマスクリーンで実際の「鉄砲堰」を復元する過程と放水が解説、上映され、同時に「鉄砲堰」模型での放水実演が行われた。

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 「鉄砲堰」は、木材運搬のために使われた木製の堰(ダム)。丸太を組んで水を貯めた後、堰を切って伐採した木材を水と一緒に一気に下流へと押し流すもの。 幕末から明治初期にかけて作られるようになり、秩父の中津川などでそう呼ばれていたが、堰を使った木材の流送手段は、全国各地に存在した。林道の建設が進み、トラックの普及により、戦後に「鉄砲堰」は全国から姿を消したという。

 「船車(ふなぐるま)」の実物大模型では、船車の歴史と役割について解説。以下2枚の写真は、「かわはく」のホームページより引用。

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 「船車」は船に水車が付いていて、船の中で小麦などを粉にすることができる船。中には囲炉裏があり休憩や寝泊まりもできるようになっていた。荒川の水の増減にも影響を受けず、船のまま避難もできた。

 本館外壁に、川合玉堂の筆になる重要文化財「行く春」(六曲一双屏風)を、長さ21.6m、高さ5.04mの大陶板画(信楽焼)にして展示してある。「行く春」は、1916(大正5)年に長瀞・寄居方面を訪れた玉堂が、荒川に浮かぶ「船車」をモチーフに描いた傑作で第10回文展出品作。現在は東京国立近代美術館が所蔵、重要文化財に指定されている。

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 「荷船(にぶね)」の実物大模型。「荷船」は荷物の運搬に使われ、年貢米や特産物などの物資の大量輸送を担っていた船。

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 荒川本流や、その支流の新河岸川、入間川、高麗川などにおいて、河川輸送の主役だった。荒川本流では、荷船が辿り着ける最上流の熊谷と、最下流の東京との間の水運を担った。荷船には世辞(せじ)という部屋があり、炊事ができて2~3人が寝泊まりできるようになっていたという。 

 周辺の農村から河岸場に集められた米・麦・さつまいも・しょう油などの農産物は、荷船に積んで東京に運ばれた。秩父山地の木材・炭、川口の鋳物も重要な積荷だった。 東京からは、塩・酒・海産物の干物などの食料品や下肥(しもごえ)が主な荷物。肥船で運ばれた下肥は、貴重な肥料として農産物 の生産向上に役立ったという。


 12:33、「川の博物館」を出発。13:10、浄土宗「浄福寺」で10分ほど休憩。

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 県道30号線を西へ進む。荒川に架かる「正喜橋」の手前の三叉路で、左の坂道へ少し進むと、13:35「鉢形城公園」の北端にある笹曲輪(ささくるわ)。

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 「鉢形城」は、深沢川荒川に合流する付近の両河川が谷を刻む断崖絶壁上の天然の要害に立地する。

 公園の中を通る一般道を南に進み、坂道がゆるくなったあたり、Y字路の手前で左の小径を下る。

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 深沢川に降りて、再び上がると13:45「鉢形城歴史館」に到着。

 2階が受付。入館料は、一般200円。70歳以上、無料。

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 14:00~、ボランティアガイドによる説明を受ける。

 館内1階へ降りると、再現した櫓門が展示室の入口。館内撮影禁止。

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 まず、展示室の鉢形城ワープステージ(鉢形城のジオラマ)で、鉢形城の歴史、城の構造を映像を交えて学ぶ。

 次に、館外へ出て、ボランティア・ガイドの案内で鉢形城趾を巡る。

・外曲輪(そとくるわ)
 「鉢形城歴史館」は、この外曲輪の一角に建てられている。この広い曲輪は、整備される前は民間の畑だったという。奥に土塁が見える。

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・深沢川

 天然の堀、深沢川にかかる橋を渡る。

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・土塁(どるい)

 左右に土塁が現れる。左の土塁には「カタクリ群生地」の看板がある。

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 この先に、町指定の天然記念物で樹高18m、樹齢150年の大きなエドヒガンサクラ(愛称:氏邦桜)があった。

・本曲輪

 公園内を通る一般道に出て少し下った公園西側の本曲輪に進み、寄居の市街を望む。この下の荒川とは断崖絶壁。「正喜橋」のある北東方面を望む。

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 北から北西方面。

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・二の曲輪

 本曲輪の南側には、ニの曲輪がある。

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 二の曲輪から北の方向、日光の男体山がよく見える。

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・堀と畝(うね)<写真なし>

 二の曲輪と三の曲輪を隔てる巨大な空堀と土塁がある。堀は、発掘調査の結果、最大上幅約24m、深さ約12mの大規模な堀であることが判明。堀と土塁は屏風状に折れ曲がり、先が見通しづらい形状。堀底からは、「畝(うね)」と呼ばれる直線状の盛土がある「障子堀」の跡も発見されている。この「畝」は、敵兵が堀底で動き回るのを防ぐためという説と、堀底の水を一定に保つためという説がある。

・石積み土塁、四阿(あずまや)、池、四脚門

 三の曲輪では戦国時代の築城技術を今に伝える石積み土塁、四阿(あずまや)と池や四脚門などが復元されている。以下3枚の写真は、寄居町のホームページから引用。

 復元された石積み土塁。

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 河原の石を使用した全長約100m、高さは約4m。いわゆる江戸時代の城の石垣とはその規模・技法等において見劣りするが、関東地方の石積技術の有様や石積を専門とする技術者の存在を示す重要な発見だという。

 復元された四阿と池。庭園跡とみられ、ここからは茶道具なども出土しているそうだ。

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 復元四脚門。四脚門の前には虎口(こぐち)周辺の状況が復元整備されている。

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・馬出(うまだし)<写真なし>

 城の出入り口である虎口を守る小さな曲輪を意味し、城兵の出入りを安全に行う施設。堀で四方を囲み、土塁は敵兵に面する箇所に設置されている。北条氏系の城郭は、四角い形の「角馬出(かくうまだし)」と呼ばれている。真田幸村が築いた「真田丸」の様な馬出とは異なる。鉢形城内には6箇所の馬出が推定されているという。

・鉢形城復元地形模型

 笹曲輪にもどり、鉢形城復元地形模型を確認。1/250スケールで鉢形城の全貌を模型にしてある。

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 二の曲輪、三の曲輪、笹曲輪は、1997(平成9)年度から2001(平成13)年度にかけて発掘調査が行われ、それをもとに馬出や堀・土塁の復元整備が進められた。また、園内の遊歩道は、深沢川の渓谷やカタクリ群生地、エドヒガン(寄居町指定天然記念物)など四季折々の景観が楽しめる。

 15:15、「鉢形城公園」を後にする。

 新しくなった寄居駅南口前の中央通り線(県道190号)。

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 寄居駅前の再開発事業が、2018年に基本計画が国に認定されてから本格化。町が約25億円を投じ、交流広場や駅前道路などの整備を進めていた。

 15:35、寄居駅南口駅前拠点「Yotteco」(ヨッテコ)に立ち寄り、コーヒータイム。2023年4月に開館したばかり。

 写真は、ウィキメディア・コモンズより引用。

Yotteco

 16:05 「Yotteco」発、16:19寄居駅発の東上線小川町行きの電車に乗車。

 開業以来約120年ぶりにリニューアルした寄居駅南口。

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 およそ11km、19,000歩。約2万歩を歩いた。秋晴れのさわやかな空気の中、上着を脱いで歩く気持ちの良いウォーキングだった。
 

 ★ ★ ★

 「鉢形城」は、1476年(文明8年)関東管領であった山内上杉氏(上杉氏の諸家のひとつ )の家臣・長尾景春が築城したと伝えられる。その後、この地域の豪族・藤田泰邦に入婿した、小田原の北条氏康の四男・氏邦が整備拡充し、現在の規模となった。関東地方において有数の規模を誇る鉢形城は、北条氏の北関東支配の拠点として、さらに甲斐・信濃からの侵攻への備えとして重要な役割を担った。

 1590年(天正18年)の豊臣秀吉による小田原攻めの際には、北条氏の重要な支城として、前田利家・上杉景勝等の北国軍に包囲され、攻防戦を展開。氏邦は3千の兵とともに1ヶ月余りにおよぶ籠城の後に、城兵の助命を条件に開城した。開城後は城は廃城となり、徳川氏の関東入国に伴い、家康配下の成瀬正一や日下部定好が代官となり、この地を統治した。

 なお、「鉢形城跡」は、1932年(昭和7)に国指定史跡となった。2000年(平成12年)「21世紀に残したい埼玉ふるさと自慢100選」(埼玉新聞社)、2006年(平成18年)「日本100名城」(日本城郭協会)。2007年(平成19年)には、「日本の歴史公園100選」(都市公園法施行50周年等記念事業実行委員会)と「日本の史跡101選」(日本経済新聞社)に選ばれている。
 

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 「川の博物館」 2019/8/11投稿
   http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2019/08/post-16c97e.html

 「武州寄居七福神めぐり-後半編」 2012/4/10投稿
   http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2012/04/post-75a9.html

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