出流原弁天池と唐沢山城趾
2023年6月11日(日)、雨の降る中を唐沢山城趾のほか、栃木県佐野市と足利市をめぐる。
佐野市は、栃木県の南西部に位置し人口11万人。北は中山間地域、南は市街地と農業地域が広がる。
日本名水百選の「出流原(いずるはら)弁天池」、万葉集にも詠まれ、カタクリの群生する「三毳山(みかもやま)」、平将門の討伐やムカデ退治伝説で有名な藤原秀郷(ひでさと)が築いたとされる「唐沢山城」、一千余年の歴史を持つ「天明鋳物(てんみょういもの)」など、自然・歴史・文化的な財産を有する。また足尾鉱毒事件の田中正造ゆかりの地としても有名。
この日は「出流原弁天池」と「唐沢山城趾」、午後から「佐野らーめん」「佐野厄除け大師」、隣接する足利市の「栗田美術館」を巡る。
●出流原弁天池 佐野市出流原町 9:15~9:25
「唐沢山城趾」の観光ガイドは、10時からの予定。その前に「出流原(いずるはら)弁天池」に寄ってみる。9:15、5台分しかない磯山公園駐車場に車を駐める(満車の場合はフィッシングセンターに駐車可)。「出流原弁天池」は、「磯山弁財天」(磯山公園)の麓にある。
周囲138mの「出流原弁天池」(県の天然記念物、日本名水百選)は、樹木に覆われ湧き出す水は日量約2,400t、水温は四季を通して16℃。鯉が泳ぎ、池水は底が見えるほど清澄。一帯は秩父古生層の石灰岩で形成されており鍾乳洞を通る水はカルシウムを含むミネラルウォーター。
「磯山弁財天」は、「弁天池」から100mほど先、200段の石段を登った岩山の中腹にある。約千年前に唐沢山城主である藤原秀郷の勧進により弘法大師が相州「江ノ島弁天」にて護摩修行時の灰で建立されたと伝えられている。当時は一帯に七宝伽藍が林立して、隆盛を極めていたそうだ。 現在の本殿は鎌倉時代に再建、神社建築でも大変珍しい釘を使わない独特な「懸造り (かけつくり)」で作られている。
弁財天からの見晴らしが良く、佐野平野を一望できるが、雨が降っていることもあり時間の関係で登拝は割愛。
●唐沢城趾 佐野市富士町 9:45~12:00
「唐沢城趾」は、「続・日本百名城」、「関東七名城」のひとつで、国指定史跡の山城跡。唐沢山山頂に本丸を有し、400年以上前に築かれた貴重な「高石垣」がこの山城の目玉。本丸周辺では関東平野を一望できる眺めと、春は桜やツツジが咲き誇り、秋には紅葉の中の散策を楽しむことができる。
平安時代、藤原秀郷が関東に下向し唐沢山に城を築いたのが始まりとされる。戦国時代に秀郷の子孫である佐野氏が居城し、交通要衝の地にあるため、本城をめぐって上杉氏などと何度も戦いがあった。そのため、攻撃に備えるいろいろな工夫が随所に見られる。平らに削平された曲輪(くるわ)。土を盛り上げた土塁。堅牢な「高石垣」、侵入を防ぐ堀など、現在でも「唐澤山神社」本殿がある本丸を中心にその城跡が広がる。
山内案内図 出典:唐澤山神社ホームページ 【画像をクリックすると拡大表示】
「出流原弁天池」から車で15分ほど、9:45「唐沢山レストハウス」駐車場に車を駐める。予約していた佐野市観光ガイドと合流。ガイドの案内で、城内を巡る。
「くい違い虎口(こぐち)」は、北の「避来矢(ひらいし)山」、南の「天狗岩」の間にある防備を固めた出入口。土塁をくい違いにして直線的に進入できないようにするなどの工夫がされている。当時は土塁だったのか、現在は石垣で作られている。東側は、「升形」になっている。
「くい違い虎口」の突き当たりに「天狗岩」がある。険しい岩山で、山頂から南方や東方への視界は良好。眺望の良さを活かし、周囲を見張る役割を果たしたものと考えら、かつては物見櫓があったとも、大筒が掛けられていたともされる。樹木に覆われ、雨に煙っていて全貌はよく見えなかった。
武者詰めがあったとされる「枡形」、この先にも城内への出入口である「虎口」がある。
「枡形」を過ぎたところにある「大炊(おおい)の井」。「避来矢山」と「西城」の間にある口径9m、深さ8m以上の大きな井戸。山城における水の確保は重要だが、現在まで涸れることなく豊かな水を蓄えているという。
「四つ目堀」は、この先の東側への進路を分断する大きな堀切。現在「唐沢山神社」の「神橋」が架かっているが、かつては曳橋(ひきばし)であったとされている。曳橋は、いざという時に橋を引き払い、通行を遮断することができた。この先は、神社の参道として舗装され、石段が設けられている。
当時の「大手の道」筋が残されている。「くい違い虎口」から続く神社へ向かう手前(西側)で、「二の丸」「本丸」方面に折れて狭い坂道を上るルート。現在の神社の舗装された参道の方を進む。
「唐沢山神社」(昔の本丸)に向かう参道の石段。
神社への石段を登らず左に折れて「二の丸」向かう。途中、「本丸」南西の石垣は高さ8m、約40m延びる「高石垣」。小田原合戦以降、佐野氏が豊臣秀吉と深い関係にあったため、西日本を中心とする技術の導入によって築かれたものとされる。関東では極めて珍しい貴重なもの。
「二の丸」の周囲には石塁のような石垣が巡る。「本丸」の「奥御殿」直番の詰所があったとされている。現在「本丸」への通路は直線的にアプローチしているが、かつて鉤(かぎ)形に折れていたそうだ。
「本丸」に向かう階段。鳥居のあたりに門があった4本柱の礎石が残っている。
「本丸」にある藤原秀郷を祀った「唐沢山神社」。かつてはここに「奥御殿」があった。
「本丸」(神社)から南側へ、参道の石段を降りる
今は社務所となっている蔵屋敷、武者詰めがあった「南城」跡からの見晴らし。天気が良ければ、東京スカイツリーや富士山を望むことができる。左手の山は、万葉集にも詠まれた「三毳山(みかもやま)」。
「南城」跡には、万葉集の東歌が刻んである古びた木柱が立っていた。
「下毛野(の)美可母(みかも)の山の小楢(こなら)のす ま麗(ぐは)し兒(こ)ろは 誰(た)が笥(け)か持たむ」
栃木市と佐野市の市境にある三毳山(みかもやま)を詠み、「コナラの葉のようにみずみずしく、麗しい乙女は誰の食器を持つのだろう」との意味で、食器を持つとは妻になることを意味する。
「南城」の周囲は石垣が巡るが、ガイドの説明では特に南東側の石垣は、見応えがあるという。石垣の角(すみ)の部分に使われる「算木積み」の技法は、石垣が崩れないように強度をアップさせている。
「南城」から東へ、曲輪(くるわ)の一つ「長門丸」に向かう途中の「車井戸」。深さ25mとも言われ、「本丸」のすぐ下にあるため、城内の重要な水源であった。「車」とは、つるべの滑車のことか。
周囲を土塁が巡る「長門丸」。城で使用する薬草などを作っていたことから「お花畑」とも呼ばれた。現在は弓道の練習場になっている。更に東側の「金の丸」との間には堀切があった。この先に東側にも曲輪が続く。
「杉曲輪(すぎくるわ)」から見る曲輪の「金の丸」(「平城」ともいう)。お宝蔵があった「金の丸」は土塁も残り、ロッジとして利用されている。「杉曲輪」は御仏殿があったとされ、西側の「金の丸」と東側の曲輪「北城」(北の丸)との間はそれぞれ大きな堀切があった。
「杉曲輪」には「唐沢山青年自然の家」があったそうだが、2007年(平成19年)3月に閉館し更地になっている。
この先の「北城」の間の堀切は深い。階段を下り登り切った「北城」には、キャンプファイヤーの施設が残されていた。
「北城」から北側に下り、「杉曲輪」「金の丸」「長門丸」の下の細い道を西に向かい、「本丸」の北側の「武者詰」を抜けると「三の丸」。
現在は、「帯由輪」(おびくるわ)と「二の丸」の間を「三の丸」としている。本城では大きな曲輪で、かつては賓客の応接間があったとされる。周囲は高く急な切岸が巡るが、部分的な石垣等が複数箇所で認められるという。
「三の丸」から「神橋」を見下ろす。今は土砂で埋まっているが、深い「四つめ堀」がはっきりわかる。
坂道を下って、「神橋」から出発地の駐車場に戻る。12:00、ガイド終了。「唐沢城趾」を後にして、佐野市街地の「佐野厄除け大師」へ向かう。
これ以降は、本ブログ記事「佐野厄除け大師と栗田美術館」に続く。
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●唐沢城趾
「唐沢山城」は、平安時代の927年、藤原秀郷が従五位下・下野国の押領使(警察・軍事的な官職)を叙任、関東に下向し唐沢山に城を築いたのが始まりと伝えられる。940年、平将門による「平将門の乱」が起こったが、秀郷らの活躍で乱を鎮圧。この功績により秀郷は従四位、武蔵・下野両国鎮守府将軍を拝領した。
戦国時代に秀郷の子孫である佐野氏が居城し、交通要衝の地にあるため、本城をめぐって上杉謙信らと何度も戦いがあった。関ヶ原の戦いでは徳川方に付き3万5千石の旧領を安堵され、「佐野藩」が成立。1602年(慶長7)麓に「佐野城」が築かれ、平安時代より続いた「唐沢山城」はその歴史に幕を閉じた。
廃城に至った説として、江戸に火災があったとき、山上にある唐沢山城よりこれを発見し早馬で江戸に駆け参じたが、江戸を見下ろせる所に城を構えるは何たることかと家康の不興を買ったという言い伝えがある。実際は、平和な時代になって、山よりも平地の方が藩の政治・経済、生活に便利だったからだろう。
1883年(明治16年)、有志により本丸跡に「唐沢山神社」を建立。1965年(昭和30)「栃木県立自然公園」開設。1963年(昭和38年)「栃木県唐沢青年自然の家」が開所。2014年(平成26)、城跡が「国の史跡」に指定された。
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