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2023年6月の6件の投稿

2023年6月25日 (日)

栗田美術館

 2023年6月11日(日)雨の降る中を栃木県佐野市を巡った後、隣接する足利市の「栗田美術館」を参観する。

 本ブログ記事「佐野厄除大師」の続き。
  
 
栗田美術館 足利市駒場町 14:20~15:50
 
 「佐野観光物産館」駐車場から車で10分ちょっと、14:15「栗田博物館」の駐車場に到着。
  
 「伊万里焼」および「鍋島焼」の磁器のみ1万点あまりを蒐集した美術館。創立者の栗田英男(1912年12月20日 - 1996年10月4日)は、足利市の出身で、実業家、総会屋、元衆議院議員、美術評論家。陶磁器の収集対象をこの2分野に絞っているが、世界的に有数の陶磁コレクションだという。
 
 3万坪といわれる広大な敷地に、大小30あまりの施設が建つ。「本館」のほか、「大手門」、「世界陶磁館」、「歴史館」、「資料館」、「阿蘭陀館」(ミュージアムショップ)、「栗田山荘」(食事処)、「陶磁会館」(企画展示室)、「無名陶工祈念聖堂」、「栗田嵐嶽記念館」、「陶磁研究所」(工房)など。広大な庭園や展示室の設計、磁器の飾り付けまで、全て栗田本人が手がけたという。
 
 「大手門」の入場券発売所。入場料1,250円、割引きで1,000円。
 
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 入って左へ、山裾を上ると「栗田山荘」と「茶室寿光院」(写真なし)があり、おもてなしの館になっている。
 
 「本館」入口の石畳には、創立者の美術館への意気込みが彫られている。
 
 「この美術館には
  陶磁器に生涯を賭けた栗田英男が
  深い愛情と強靱な意志を持って蒐めた
  魂の記録が隅々にまで色濃く執拗に
  燻りこめている 昭和五十年 秋」
 
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 「本館」は、日本の美を追究した世界屈指の陶磁器の殿堂だという。白い漆喰壁が特徴の本館建物は、BCS賞(建設業連合会の賞)を受賞した。ここに「伊万里」「鍋島」の名品を常時約400点展示してある。撮影禁止。
 
  「本館」の展示室 鍋島色絵岩牡丹植木鉢文大皿 出典:栗田美術館のパンフレット

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 「鍋島色絵岩牡丹植木鉢文大皿」は重要文化財。鍋島尺皿の中でもひときわ格調高い名品といわれている。
 
 「本館」裏手にある「資料館」。「伊萬里」「鍋島」の焼き物に関する資料が、1、2階に年代別に展示資料が並んでいる。

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 その先の松の木の丘を登ると、「歴史館」がある。有田泉山(いずみやま)の白磁鉱で製作した磁器タイルを建物の内外に使用した塔のような建物。
 
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 有田泉山は、日本の磁器発祥の地。17世紀初めに朝鮮人陶工・李参平が磁器の原料である磁石を発見し、日本で初めて磁器が誕生した。
 
 海外へ輸出した伊萬里大壺展示室(写真撮影可)から階上の展示室へと続き、地階に講堂がある。
 
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 伝説のロックバンド「クイーン」のフレディ・マーキュリーは、1986年9月にプライベートで来日し、「栗田美術館」を訪れたことはファンの間ではよく知られている。
 
 左は展示室の写真、右はシンコー・ミュージック・ムック(2019年02月発売)より
 
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 日本と日本文化を愛してやまなかったフレディは、来日の度に興味は増し、招き猫から始まり、着物、浮世絵、陶磁器、果ては火鉢など多くの古美術品を日本で収集し、ロンドンに持ち帰っていたという。1991年に45歳の若さでこの世を去った。フレディの人生を描いた映画『ボヘミアン・ラプソディ』公開(2018年)を機に、若い参観者が増えているという
 
 「歴史館」の最上階は広々ゆったりとした応接室で、眺めのよい展望室となっていて、「足利フラワーパーク」を見下ろす。
 
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 「陶器会館」は、「クイーン」のレコードや写真などのほか、ゆかりのグッズも展示されている。また館内には喫茶室もある。陶磁器への造詣が深かったフレディが 1986年9月に訪問した「栗田美術館」は、ファンの間では「聖地」となっている。

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 「陶器会館」の前にある栗田氏家族の銅像「志向の像」。1985年(昭和60)11月、開館10周年に建立された。左が美術館建設の構想と決意をしたときの創立者の栗田英男。書家・陶芸家で1981年(昭和56)に他界した弟の嵐嶽(らんがく、右)と、美術館を見ることなく1967年(昭和42)、86歳で天寿を全うした母のよし。
 
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 栗田嵐嶽は、栗田英男の実弟で孤高の芸術家。嵐嶽は、生前作品を公開することはなかったが、絵画、書、陶磁器と幅広く創作した。「栗田嵐嶽記念館」には、嵐嶽の作品を展示しているという。
 
 「阿蘭陀館」は、江戸時代の長崎出島にあった商品陳列所を模して建てられた陶磁器専門のミュージアムショップ。有田焼の作品を中心に豊富に取揃え展示・販売している。
 
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 15:50、「栗田美術館」を後にして、帰路へ。17:30自宅着。
 
 
 ★ ★ ★
 
・有田焼と伊万里焼
 
 佐賀藩主・鍋島直茂は豊臣秀吉の朝鮮侵攻に参加した際、朝鮮から協力した農民や漁民、とくに陶工など多数の人たちを連れ帰って帰化させた。その中の一人、李参平(日本名:金ヶ江三兵衛)が17世紀初め、1610年代に泉山の白磁鉱を発見、上白川天狗谷(てんぐだに)に築窯したのが近世陶磁器を代表する「有田焼」の創始とされる。
   
 「有田焼」は、有田(鍋島藩、佐賀県有田町)を中心とする肥前国で生産された磁器の総称。製品の主な積み出し港が伊万里であったことから、消費地からは「伊万里」と呼ばれた。「三川内焼」(平戸藩、長崎県)、「波佐見焼」(大村藩、長崎県)などのほか「鍋島焼」も含まれる。
 
 「伊万里」は創始から約100年の間に技術と生産体制が発展し、染付とともに1640年代から色絵の生産も始まった。1660年代からは、オランダ東インド会社の注文による輸出用磁器が生産され、「柿右衛門様式」や「金襴手(きんらんで)様式」の華麗な色絵磁器が完成し、国内外で広く知られるようになった。18世紀以降は、一般内需向けの大小さまざまな食器が生産され、各地に供給され消費拡大していった。
  
・初期伊万里
  
 「伊万里焼」の中で1610~40年代頃までに作られたものは「初期伊万里」と呼ばれる。素焼きをしない生掛け焼成のため、肉厚の大らかな器形をしている。力強く自由な筆致で描かれる文様は素朴で味わいがあり、中国の古染付(こそめつけ)の影響を受けたものも多く見られる。初期伊万里を焼いた窯跡からは染付を主に、青磁や銹釉(さびゆう)、瑠璃釉(るりゆう)などを用いた豊富な内容の製品が出土している。

 この「初期伊万里」は絵付けの発色が安定せず、生地も厚く歪みや押指の跡が残るなど粗雑な部分があり、次第に「古九谷」や「柿右衛門」などに押され市場から姿を消してしまった。
 
 染付楼閣山水文皿 1640-1650年代 佐賀県立九州陶磁文化館 出典:ウキメディア・コモンズ

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・古九谷(初期色絵)

 1640年代には有田西部の山辺田窯(やんべたがま)などで色絵磁器の生産が創始され、国内向けの大皿などの色絵磁器製品が生産された。これらは長年、加賀(石川県)の九谷が産地であると誤って考えられていたことから「古九谷」と称され、現代では「古九谷様式」あるいは「初期色絵」と称されている。

 色絵牡丹蝶文大皿(初期色絵)東京国立博物館 出典:ウキメディア・コモンズ

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・鍋島焼
 
 1640年頃からは鍋島藩が、将軍家や諸大名などへの贈答用高級磁器をもっぱら製造する藩窯が活動を開始。鍋島は有田近郊の大川内山(おおかわちやま、伊万里市南部)に1670年代に本格開窯、「伊万里」の製品とは違った独特の形式美を持つ精緻な磁器を生産した。日本の磁器の最高峰に位置づけられている。その製品は食器類で、一尺、七寸、五寸など、円形木盃形の皿が主体で、純日本的な意匠。これらの製品を今日、「鍋島様式」あるいは「鍋島焼」と呼んでいる。

 鍋島 色絵芙蓉菊文皿 出典:ウキメディア・コモンズ
  
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・柿右衛門様式

 「伊万里焼」の輸出と、これに伴う技術革新により生まれたのが「柿右衛門様式」。オランダ東インド会社からの厳しい品質注文を受け1670年代に完成、素地や釉薬(ゆうやく)が改良され、白磁の地にほとんど青味のない「濁手」(にごしで)と呼ばれる乳白色の素地が作られた。この素地に色絵で絵画的な文様を表したものを「柿右衛門様式」と称する。皿や鉢などの食器以外に、人形類も多く作られた。ヨーロッパの王侯貴族から高い評価を受けた。

 柿右衛門 大壺 東京国立博物館蔵 出典:ウキメディア・コモンズ

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・金襴手様式
 
 経済活動と町人の文化が栄えた元禄時代、この1690年代に始まった新たなスタイルが「金襴手(きんらんで)」。染付の素地に赤、金などを多用した絵付を施した製品が作られるようになった。この種の様式のものがヨーロッパ向けの輸出品となった。国内向けは「型物(かたもの)」と呼ばれる特別注文品、輸出向けは王侯貴族の居館を飾った大皿や大壺がその代表。
 
 色絵金襴手唐花文皿 出展:国立東京博物館 画像検索
  
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・伊万里焼と古伊万里

 「伊万里焼」と「古伊万里」の大きな違いは、骨董的価値。江戸時代に有田で焼成された歴史的、骨董的価値のある作品を「古伊万里」と呼び、明治以降に現在の佐賀県伊万里市で焼成された陶磁器のことを「伊万里焼」と呼ぶ。明治初期に焼き物を産地名で呼ぶようになり、現在の「伊万里焼」と呼ばれる陶磁器が誕生することになった。「古伊万里」はヨーロッパの王侯貴族達に愛され、今でも「オールドイマリ」(Old Imari)として世界中に熱烈なコレクターが存在する。

  中国では1644年明王朝が滅び、その混乱期にヨーロッパで重宝されていた中国の磁器の輸入も途絶えてしまう。それを埋めるために、オランダ東インド会社は中国製陶磁器を見本としてヨーロッパ人の好みに合う製品を制作するように依頼し、「伊万里焼」の海外輸出が始まった。中国製磁器の輸出が再開されてからは、東南アジア方面の市場は中国製磁器に奪還されたが、ヨーロッパ方面への「伊万里焼」の輸出は継続したという。

・酒井田柿右衛門

 江戸時代、有田の陶芸家、および代々その子孫(後継者)が襲名する名称。初世(1596-1666)は白磁、染付の改良に努めた後、長崎で赤絵の技法を学び、1640年ころに日本最初の赤絵焼成に成功した。作品は乳白色の素地に細い線で雲竜、鳳凰、松竹梅などの文様を描き気品高い。初世のころから外国に輸出され、西欧でも模倣作が作られた。その後は子孫の第15代酒井田柿右衛門(1968年~)は、2014年に襲名した。

 酒井田家は、有田皿山(さらやま、有田焼の生産地)の中心部から離れた南川原(なんがわら)山に窯を築き,伊万里焼とは性質を異にする上質の色絵磁器を焼成した。濁手(にごしで)などといわれる純白の白磁に、赤、青、青緑、黄、紫などの色絵具を用いて花鳥人物文様などを描いた色絵磁器(赤絵)は、「柿右衛門様式」として知られている。

 1912年に『名工柿右衛門』という歌舞伎が制作され、11代片岡仁左衛門が主演した。11代柿右衛門と親交のあった仁左衛門のはまり役だったとされ、その後も他の俳優達によって演じられた。内容は史実に基づいておらず、フィクションである。夕日に映える柿の実を見が赤絵磁器を作ったとする話が、『陶工柿右衛門』や『柿の色』の題で大正時代の小学校の教科書に掲載され広く知られたという。筆者の子どもの頃にそんな物語を聞いたが、創作だとは知らなかった。

2023年6月24日 (土)

佐野厄除大師

 2023年6月11日(日)、雨の降る中を「唐沢城趾」に行った後、午後、栃木県佐野市の「佐野厄除大師」などを巡る。

 本ブログ記事「唐沢山城趾」の続き。
  
  
●佐野市観光物産会館 佐野市金井町 12:30~
 12:30、「観光物産会館」駐車場に車を駐める。「佐野厄除大師」の入口正面にある佐野市最大級の品揃えを誇る物産館。お土産用佐野らーめん、そば、耳うどん、お菓子、地酒、天明鋳物・桐製品などの伝統工芸品、厄よけ土産、さのまるグッズ、地元で採れた新鮮野菜など。
  
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●佐野らーめん 12:50~
 「観光物産会館」や「佐野厄除大師」の周辺にらーめん店が密集している。テーブル席と座敷あわせて50席の「大師庵」(物産館の左隣)に入店。「佐野厄除らーめん」(1,050円)を注文した。一度、東北自動車道の佐野サービスエリアで「佐野らーめん」を食べたことがあったが、その味をすっかり忘れていた。あっさりとした醤油味で、美味しい。
 
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 大師庵の「佐野厄除らーめん」 出典: 佐野らーめん会 公式ホームページ 
 
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 中国の料理人が「青竹打ち」を伝授したのが「佐野らーめん」のルーツといわれている。市内には100年以上の歴史を持つ老舗をはじめ、150店舗以上のらーめん店がそれぞれの味を競っているという。醤油ベースの澄んだスープにコシのあるちぢれ麺を提供している店が多い。太さは中太から細麺、平打ちなど、店によって異なるという
 
 「青竹打ち」が特徴ではあるが、竹打ちを再現出来る製麺機も登場しており、必ずしも全ての佐野らーめん店が手打ちの「竹打ち」というわけではない。飽きの来ないさっぱりとした味が特徴。トッピングで異なるが、650円~1,000円前後。佐野名物イモフライ(130円)も出す店もある。
 
  
●佐野厄除大師 佐野市金井上町 13:10~
 
 「観光物産会館」の道路を挟んだ対面に、「厄除大師」の入口(山門)がある。

 「惣宗寺」(そうしゅうじ) は、天台宗寺院で、山号は「春日岡山」。一般には「佐野厄除大師」の通称で知られる。藤原秀郷が944年に奈良の僧・宥尊(ゆうそん)上人を招いて開いたという。厄除元三慈恵大師を安置し、厄除け、方位除け祈願。正月になると大祭を開催し、厄除けをはじめ、身体安全や心願成就などのご利益があるという。
 
 青柳大師(前橋市・龍蔵寺)、川越大師(川越市・喜多院)と共に「関東の三大師」の一つに数えられることが多く、毎年の年末年始には関東地方を中心にテレビCMが多く放送されるため広く知られており、初詣の参拝客で賑わう。弘法大師を祀った真言宗の「関東厄除三大師」(西新井大師・川崎大師・ 観福寺大師堂)とは全く別だという。
 
 惣宗寺山門(佐野市指定文化財)は、佐野城の移築門といわれている。屋根には金箔の葵のご紋。
 
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 厄除元三慈恵大師一千年御遠忌を記念して建立された「金銅(きんづくり)大梵鐘」は、 人間国宝の鋳金工芸作家・香取正彦氏によって謹製され、日本一大きな金の梵鐘(つりがね)で、 直径 1.15m、重量約2トン。
 
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 金銅は、銅製鋳物(いもの)に金箔ではなく金めっき(純金を水銀で溶かして塗る鍍金(ときん))を施したもので、仏像などはあるが、鐘は始めて見た
 
 「パゴダ供養塔」は、4mの方形基壇に6つの相輪と1つの塔身水煙(すいえん)をつけた 宝珠からなり、高さ8mを有する。三界萬霊有縁無縁の霊、戦争災害死者、事故横難(おうなん)死者、水子霊などを供養する為に造られた塔。製作者は、彫刻家の田村了一氏。パゴダは、ビルマ様式の仏塔。
 
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 「佐野厄除大師」本堂。ここにも屋根に金箔の装飾。
 
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 「惣宗寺」には水子地蔵尊もあり、供養に訪れる人も多いそうだ。
 
 徳川家康の遺骨を久能山から還葬の際、この寺に一泊するなど徳川幕府との縁も深いという。江戸時代には、上野の寛永寺の末寺であったという。その縁で寺側から願い出て、1828年(文政11年)に東照宮本殿(県指定文化財)が、造営されたそうだ。
 
 しかし境内を探したが、そういった建物や説明板は見当たらなかった。後で調べると、現在はちょうど補修工事中(令和2年6月5日~令和10年2月28日)だったようだ。社殿は日光東照宮を模しており、精巧な彫刻に極彩色で彩られているという。
 
 佐野市は、足尾銅山鉱毒事件の田中正造のゆかりの地であり、境内には墓所(分骨の碑)がある。
 
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 墓は、他にも農民たちの希望で渡良瀬川沿岸の5カ所に分骨され、記念碑的な墓が数々あるそうだ。その中で「惣宗寺」にある墓が第一号だという。
 
 「佐野厄除大師」後にして、「佐野観光物産会館」に土産の買い物で再び立ち寄り、駐車場に戻る。
 
 14:00駐車場を出発、隣接する足利市の「栗田美術館」に向かう。
 
  
★ ★ ★
 
 田中正造は、下野国安蘇郡小中村(現・佐野市小中町)の出身。足尾銅山鉱毒事件の被害者でもあり、苦しんでいる渡良瀬川沿岸の農民の救済を政府に訴え、最後は明治天皇に直訴しようとしたことで知られている。衆議院議員選挙に当選6回。
 
 田中正造 出典:ウキメディア・コモンズ
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 正造は、死の直前まで精力的に活動し、河川調査の帰途の1913年(大正2年)8月2日 足利郡吾妻村下羽田(現・佐野市下羽田町)の支援者の一人、庭田清四郎家で倒れた。正造はそのまま1か月間病に臥し、9月4日その庭田家で生涯を閉じた。71歳没。死因は胃ガンなどとされる。財産は全て鉱毒反対運動などに使い果たし、自宅の建物や田畑は既に地元に寄贈していたため、死去したときは無一文だった。庭田家近くの県道沿いに、「田中正造翁終焉の地」碑があるという。

 足尾銅山鉱毒事件で公害闘争の拠点としていた、群馬県邑楽郡渡瀬村早川田(現・館林市下早川田町)にある曹洞宗「雲龍寺」にて9月6日に密葬が行われ、10月12日に「惣宗寺」で本葬が行われた。本葬の参列者は一説に30万人ともいわれる。ちなみに「雲龍寺」は群馬県の飛び地で渡良瀬川の左岸にあり、佐野の「惣宗寺」とは、5Km弱しか離れていない。

 田中の遺骨は、栃木・群馬・埼玉県の鉱毒被害地計6カ所に分骨された。このため、墓は6カ所にある。被害地では現代でも偉人として尊崇されており、「佐野市郷土博物館」が関連資料を保存・展示しているそうだ。

 

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2023年6月23日 (金)

出流原弁天池と唐沢山城趾

 2023年6月11日(日)、雨の降る中を唐沢山城趾のほか、栃木県佐野市と足利市をめぐる。

 

 佐野市は、栃木県の南西部に位置し人口11万人。北は中山間地域、南は市街地と農業地域が広がる。
 
 日本名水百選の「出流原(いずるはら)弁天池」、万葉集にも詠まれ、カタクリの群生する「三毳山(みかもやま)」、平将門の討伐やムカデ退治伝説で有名な藤原秀郷(ひでさと)が築いたとされる「唐沢山城」、一千余年の歴史を持つ「天明鋳物(てんみょういもの)」など、自然・歴史・文化的な財産を有する。また足尾鉱毒事件の田中正造ゆかりの地としても有名。
 
 この日は「出流原弁天池」と「唐沢山城趾」、午後から「佐野らーめん」「佐野厄除け大師」、隣接する足利市の「栗田美術館」を巡る。
 
  
●出流原弁天池 佐野市出流原町 9:15~9:25

 「唐沢山城趾」の観光ガイドは、10時からの予定。その前に「出流原(いずるはら)弁天池」に寄ってみる。9:15、5台分しかない磯山公園駐車場に車を駐める(満車の場合はフィッシングセンターに駐車可)。「出流原弁天池」は、「磯山弁財天」(磯山公園)の麓にある。
 
 周囲138mの「出流原弁天池」(県の天然記念物、日本名水百選)は、樹木に覆われ湧き出す水は日量約2,400t、水温は四季を通して16℃。鯉が泳ぎ、池水は底が見えるほど清澄。一帯は秩父古生層の石灰岩で形成されており鍾乳洞を通る水はカルシウムを含むミネラルウォーター。
 
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 「磯山弁財天」は、「弁天池」から100mほど先、200段の石段を登った岩山の中腹にある。約千年前に唐沢山城主である藤原秀郷の勧進により弘法大師が相州「江ノ島弁天」にて護摩修行時の灰で建立されたと伝えられている。当時は一帯に七宝伽藍が林立して、隆盛を極めていたそうだ。 現在の本殿は鎌倉時代に再建、神社建築でも大変珍しい釘を使わない独特な「懸造り (かけつくり)」で作られている。
 
 弁財天からの見晴らしが良く、佐野平野を一望できるが、雨が降っていることもあり時間の関係で登拝は割愛。
 
 
●唐沢城趾 佐野市富士町 9:45~12:00
 
 「唐沢城趾」は、「続・日本百名城」、「関東七名城」のひとつで、国指定史跡の山城跡。唐沢山山頂に本丸を有し、400年以上前に築かれた貴重な「高石垣」がこの山城の目玉。本丸周辺では関東平野を一望できる眺めと、春は桜やツツジが咲き誇り、秋には紅葉の中の散策を楽しむことができる。
 
 平安時代、藤原秀郷関東に下向し唐沢山に城を築いたのが始まりとされる。戦国時代に秀郷の子孫である佐野氏が居城し、交通要衝の地にあるため、本城をめぐって上杉氏などと何度も戦いがあった。そのため、攻撃に備えるいろいろな工夫が随所に見られる。平らに削平された曲輪(くるわ)。土を盛り上げた土塁。堅牢な「高石垣」、侵入を防ぐ堀など、現在でも「唐澤山神社」本殿がある本丸を中心にその城跡が広がる。
 山内案内図 出典:唐澤山神社ホームページ 【画像をクリックすると拡大表示】

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 「出流原弁天池」から車で15分ほど、9:45「唐沢山レストハウス」駐車場に車を駐める。予約していた佐野市観光ガイドと合流。ガイドの案内で、城内を巡る。
 
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 「くい違い虎口(こぐち)」は、北の「避来矢(ひらいし)山」、南の「天狗岩」の間にある防備を固めた出入口。土塁をくい違いにして直線的に進入できないようにするなどの工夫がされている。当時は土塁だったのか、現在は石垣で作られている。東側は、「升形」になっている。
 
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 「くい違い虎口」の突き当たりに「天狗岩」がある。険しい岩山で、山頂から南方や東方への視界は良好。眺望の良さを活かし、周囲を見張る役割を果たしたものと考えら、かつては物見櫓があったとも、大筒が掛けられていたともされる。樹木に覆われ、雨に煙っていて全貌はよく見えなかった。
 
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 武者詰めがあったとされる「枡形」、この先にも城内への出入口である「虎口」がある。

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 「枡形」を過ぎたところにある「大炊(おおい)の井」。「避来矢山」と「西城」の間にある口径9m、深さ8m以上の大きな井戸。山城における水の確保は重要だが、現在まで涸れることなく豊かな水を蓄えているという。
 
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 「四つ目堀」は、この先の東側への進路を分断する大きな堀切。現在「唐沢山神社」の「神橋」が架かっているが、かつては曳橋(ひきばし)であったとされている。曳橋は、いざという時に橋を引き払い、通行を遮断することができた。この先は、神社の参道として舗装され、石段が設けられている。
 
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 当時の「大手の道」筋が残されている。「くい違い虎口」から続く神社へ向かう手前(西側)で、「二の丸」「本丸」方面に折れて狭い坂道を上るルート。現在の神社の舗装された参道の方を進む。
 
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 「唐沢山神社」(昔の本丸)に向かう参道の石段。
 
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 神社への石段を登らず左に折れて「二の丸」向かう。途中、「本丸」南西の石垣は高さ8m、約40m延びる「高石垣」。小田原合戦以降、佐野氏が豊臣秀吉と深い関係にあったため、西日本を中心とする技術の導入によって築かれたものとされる。関東では極めて珍しい貴重なもの。
 
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 「二の丸」の周囲には石塁のような石垣が巡る。「本丸」の「奥御殿」直番の詰所があったとされている。現在「本丸」への通路は直線的にアプローチしているが、かつて鉤(かぎ)形に折れていたそうだ。
 
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 「本丸」に向かう階段。鳥居のあたりに門があった4本柱の礎石が残っている。
 
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 「本丸」にある藤原秀郷を祀った「唐沢山神社」。かつてはここに「奥御殿」があった。
 
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 「本丸」(神社)から南側へ、参道の石段を降りる
 
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 今は社務所となっている蔵屋敷、武者詰めがあった「南城」跡からの見晴らし。天気が良ければ、東京スカイツリーや富士山を望むことができる。左手の山は、万葉集にも詠まれた「三毳山(みかもやま)」。
 
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 「南城」跡には、万葉集の東歌が刻んである古びた木柱が立っていた。
 
 「下毛野(の)美可母(みかも)の山の小楢(こなら)のす ま麗(ぐは)し兒(こ)ろは 誰(た)が笥(け)か持たむ」

 栃木市と佐野市の市境にある三毳山(みかもやま)を詠み、「コナラの葉のようにみずみずしく、麗しい乙女は誰の食器を持つのだろう」との意味で、食器を持つとは妻になることを意味する。
 

 「南城」の周囲は石垣が巡るが、ガイドの説明では特に南東側の石垣は、見応えがあるという。石垣の角(すみ)の部分に使われる「算木積み」の技法は、石垣が崩れないように強度をアップさせている。 

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 「南城」から東へ、曲輪(くるわ)の一つ「長門丸」に向かう途中の「車井戸」。深さ25mとも言われ、「本丸」のすぐ下にあるため、城内の重要な水源であった。「車」とは、つるべの滑車のことか。
 
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 周囲を土塁が巡る「長門丸」。城で使用する薬草などを作っていたことから「お花畑」とも呼ばれた。現在は弓道の練習場になっている。更に東側の「金の丸」との間には堀切があった。この先に東側にも曲輪が続く。
 
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 「杉曲輪(すぎくるわ)」から見る曲輪の「金の丸」(「平城」ともいう)。お宝蔵があった「金の丸」は土塁も残り、ロッジとして利用されている。「杉曲輪」は御仏殿があったとされ、西側の「金の丸」と東側の曲輪「北城」(北の丸)との間はそれぞれ大きな堀切があった。
 
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 「杉曲輪」には「唐沢山青年自然の家」があったそうだが、2007年(平成19年)3月に閉館し更地になっている。
 
 この先の「北城」の間の堀切は深い。階段を下り登り切った「北城」には、キャンプファイヤーの施設が残されていた。
 
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 「北城」から北側に下り、「杉曲輪」「金の丸」「長門丸」の下の細い道を西に向かい、「本丸」の北側の「武者詰」を抜けると「三の丸」。
 
 現在は、「帯由輪」(おびくるわ)と「二の丸」の間を「三の丸」としている。本城では大きな曲輪で、かつては賓客の応接間があったとされる。周囲は高く急な切岸が巡るが、部分的な石垣等が複数箇所で認められるという。
 
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 「三の丸」から「神橋」を見下ろす。今は土砂で埋まっているが、深い「四つめ堀」がはっきりわかる。
 
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 坂道を下って、「神橋」から出発地の駐車場に戻る。12:00、ガイド終了。「唐沢城趾」を後にして、佐野市街地の「佐野厄除け大師」へ向かう。
 
 これ以降は、本ブログ記事「佐野厄除け大師と栗田美術館」に続く。
 
 
 ★ ★ ★
 
●唐沢城趾
 
 「唐沢山城」は、平安時代の927年、藤原秀郷が従五位下・下野国の押領使(警察・軍事的な官職)を叙任、関東に下向し唐沢山に城を築いたのが始まりと伝えられる。940年、平将門による「平将門の乱」が起こったが、秀郷らの活躍で乱を鎮圧。この功績により秀郷は従四位、武蔵・下野両国鎮守府将軍を拝領した。
 
 戦国時代に秀郷の子孫である佐野氏が居城し、交通要衝の地にあるため、本城をめぐって上杉謙信らと何度も戦いがあった。関ヶ原の戦いでは徳川方に付き3万5千石の旧領を安堵され、「佐野藩」が成立。1602年(慶長7)麓に「佐野城」が築かれ、平安時代より続いた「唐沢山城」はその歴史に幕を閉じた。
 
 廃城に至った説として、江戸に火災があったとき、山上にある唐沢山城よりこれを発見し早馬で江戸に駆け参じたが、江戸を見下ろせる所に城を構えるは何たることかと家康の不興を買ったという言い伝えがある。実際は、平和な時代になって、山よりも平地の方が藩の政治・経済、生活に便利だったからだろう。

 1883年(明治16年)、有志により本丸跡に「唐沢山神社」を建立。1965年(昭和30)「栃木県立自然公園」開設。1963年(昭和38年)「栃木県唐沢青年自然の家」が開所。2014年(平成26)、城跡が「国の史跡」に指定された。

2023年6月19日 (月)

新型コロナ2023.05 「5類」移行

  新型コロナウイルスの感染症法上の位置付けが、5月8日から季節性インフルエンザと同じ「5類」に移行した。3年余り続いたコロナ対策は大きな転換点を迎えた。移行後、感染者への入院勧告・指示、感染者・濃厚接触者への外出自粛の要請はなくなり、感染対策は個人の判断に委ねられる。厚労省は26日、定点あたりの新型コロナ新規感染者数が、15~21日は全国で3.56人だったと発表。前週の2.63人から約1.4倍に増えた。4月上旬から緩やかな感染拡大が続いている。

 2023年5月1日から31日までの新聞、テレビ、ネット情報から、新型コロナの主なニュースを辿る。本ブログ記事「新型コロナ2023.04 漸増傾向」の続き。【写真や図をクリックすると、拡大表示します】


【5月1日】

●米国 入国時のワクチン接種証明、5月11日から不要に

 米国のバイデン政権は、新型コロナの感染状況が落ち着いてきたとして、5月11日に「国家非常事態宣言」を解除するのに合わせて、空路で入国する外国人に義務づけていたワクチンの接種証明の提示を不要にすると1日、発表した。理由についてホワイトハウスは、2021年1月以降、新型コロナによる死者は95%、入院患者数は91%近くそれぞれ減少したほか、世界的に見ても死者数が最低水準となっているためとしている。

 ジョー・バイデン米大統領 出典:ウキメディア・コモンズ

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 そのうえで国民の80%以上が少なくとも1回の接種を受けているとして「措置が導入された状況とは異なる段階にきている」としている。ホワイトハウスは、入国の要件などの詳細は後日発表するとしている。

●新型コロナ「後遺症」、診療報酬加算へ

 5類への移行後も流行は今後も続くと見込まれることから、厚労省は新型コロナの後遺症への対応を強化する方針。具体的には、全国各地で後遺症の診療にあたる医療機関のリストを今週中にもとりまとめて厚労省のホームページなどで見ることができるようにするほか、後遺症の患者を診療した医療機関に支払われる診療報酬を5月8日から加算する。

 また、後遺症についての国内外の最新の研究成果が診療に反映されるよう、医療機関向けに随時、情報を提供していく方針。一方、患者を受け入れている医療機関では、後遺症に悩む人たちへの家族や周囲の理解と支援が大切だと指摘している。

●5類移行 「脱マスク」に温度差

 新型コロナが感染症法上の「5類」になる8日から、接客サービス業の従業員にも「脱マスク」の動きが広がる。政府が着用を「個人の判断」とした後も、多くの企業は従業員に着用を求めていた。業界にはコロナ前の日常に戻したいとの期待が大きいが、一部では「お客様への配慮」として、着用する動きも残る。

 観光業界は、ようやくコロナ禍からの回復に向かっている。「脱マスク」の流れは、旅行需要をさらに喚起するとの期待が業界にはある。小売りや銀行業界でも緩和する動きが目立つ。判断が分かれるのは百貨店業界。鉄道の乗務員もJR北海道、東日本、東海、西日本、九州は着用を個人の判断とする一方、JR四国は乗務員、駅員とも原則マスク着用を続けるという。

●コロナ専門の病棟、半数が「縮小」「廃止」 全国の大学病院

 全国の大学病院にある新型コロナ専門病棟の半数が「すでに廃止」か「縮小」されていることが分かった。新型コロナが感染症法上の5類に移行する8日以降は、診療報酬の特例加算が削減され、コロナ患者の受け入れが広がるかは不透明。コロナ患者の看護は人手がかかる。診療報酬などが減ることから、コロナ患者を受け入れるほうが赤字になる可能性がある。

 調査をした全国医学部長病院長会議の横手会長(千葉大病院長)は会見で「患者を診れば診るほどマイナスとなる状況は変えてもらいたい」と訴えた。

【5月2日】

●過大請求最大16億円か ワクチン業務などKNT発表

 ワクチン接種など新型コロナ関連業務の委託料を自治体に過大請求していた問題で、近畿日本ツーリスト(KNT)は2日、水増し額が最大約16億円に上る疑いがあると発表した。コールセンター業務で実際の人数より多く請求していた。契約についての知識不足と、営業目標を達成したいとの意識が原因だとしている。同社はワクチン業務だけでなく、軽症者の収容施設の運営なども請け負っており、3年間の受託事業の合計額は約1300億円にのぼる。

 近畿ツーリスト ロゴ 出典:ウキメディア・コモンズ

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 2日に記者会見を開き、社内点検の結果を公表した。2020年4月~23年3月に扱った762団体、2924件の受託事業を調べたところ、すでに判明している大阪府東大阪市や静岡県焼津市を含む16自治体に5億8400万円を水増し請求していた。速やかに返納するとしている。16自治体とは別に、約70自治体と一部の民間企業に最大で計10億円の過大請求をしていた疑いも判明した。

【5月3日】

●ワクチン証明偽造疑い ボルソナロ・ブラジル前大統領宅を捜索

 おととし11月から去年12月にかけて、ブラジル保健省の新型コロナのワクチンをめぐるデータを不正に書き換え接種証明書を偽造した疑いで、ブラジルの連邦警察は3日、首都ブラジリアのボルソナロ前大統領の自宅などを捜索した。またデータの書き換えに関与したとして、ボルソナロ氏の当時の側近ら6人を逮捕したという。

 ジャイル・ボルソナロ 前ブラジル大統領 出典:ウキメディア・コモンズ

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 地元のメディアは、去年12月ボルソナロ氏や、その家族が米国に渡航する直前にワクチンの接種証明書が偽造されたと伝えている。ボルソナロ氏は地元メディアに対し「私はワクチンを接種していないし、接種証明書を偽造したこともない」と述べて関与を否定した。氏を巡っては、ことし1月にブラジル議会などが襲撃された事件を扇動した疑いや、サウジアラビア政府から贈られた高額の宝飾品を私物化しようとした疑いでも捜査が進められている。

【5月5日】

●WHO、新型コロナ「緊急事態宣言」終了を発表

 WHOのテドロス事務局長が5日、3年3カ月に及んだ「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態」の終了を宣言した。だが、700万人近い命を奪ったこのウイルスは、いまも根絶されていない。会見では、緊急事態が3年以上に及ぶ中で、ワクチン接種や感染により集団免疫が高まり、新型コロナによる致死率が下がり、医療システムへの負荷が緩和されてきたと指摘。「ほとんどの国でコロナ禍の前のような暮らしに戻ることができている」との認識を示した。

 ただし、「緊急事態」終了は、危機が去ったという意味ではないと強調。新型ウイルスは今後も地球上にとどまり変異を続けており、「新たな感染者や死者の増加をもたらすリスクは残る」と警告。そして、各国が「緊急対応」ではなく、他の感染症と並んで「管理」する局面に移行する時期に入ったとの考えを示し、警戒を解かないよう呼びかけた。WHOに報告された新型コロナ死者は690万人超だが、氏は「実際の人数はその数倍、少なくとも2千万人だ」とも述べた。

●尾身会長「判断は適切、ただ終息した訳ではない」

 WHOが「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態」の宣言を終了すると発表したことについて、政府分科会の尾身会長は「世界的に感染者数が少しずつ減り、直近では亡くなる人の数も減って医療の負荷が軽減されてきている。日本でも感染症法上の位置づけを『5類』に移行する対応をとる中でもあり、WHOの判断は適切なのではないか」と述べた。

 その上で「ただ、これで新型コロナの感染が終わった、終息したという訳ではない。今後、感染が低いレベルに向かっていくことを期待したいが、これからも感染者数が急増し、医療が逼迫する事態になってしまうこともあり得る。市民自身が個人の判断で、いままでの経験を元に感染リスクの高い行動を控えめにするなどの対応をとることが、これまでと変わらず有効な対策になると思う」と指摘した。

●コロナ下3年の死、都市より地方で拡大

 新型コロナの感染が広がった3年間に全国で亡くなった人は、例年の水準を大きく上回っていた。コロナだけでなく、循環器や呼吸器の病気、老衰といった死因で亡くなる人も増えた。人口当たりの死者数の増加は、感染が拡大するにつれ、高齢者の多い地方に広がっていた。2020年初めから2022年末までに、都道府県から報告されたコロナの死者は5万7千人。一方、コロナ以外の死因も含めた国内すべての死者は、厚労省研究班が予測する例年の水準より13万人以上多かった。

 感染が広がり始めた2020年は、予測より約3万5千人少なかった。未知のウイルスへの恐怖から感染対策が徹底されたことなどが要因とみられる。しかし、2021年にデルタ株が登場すると感染は拡大。死者は予測より約5万2千人多くなった。2022年には地方にも感染が広がり、予測より約11万8千人多い人々が亡くなった。直前の5年間のデータから例年並みの死者数を予測し、人口動態統計として報告された死者数と比較。多いと「超過死亡」、少ないと「過少死亡」と呼ぶ。

●死因、循環器の病気や老衰が増加

 死因別で特に多かったのは循環器の病気で、2022年11月までに約2万3千人の人々が例年より多く亡くなった。老衰による死者は約1万8千人増、呼吸器の病気による死者は約1万1千人多かった。感染を機に衰弱、誤嚥性肺炎になったり、寝たきりになったりしたことで増えた可能性がある。心筋梗塞や脳卒中といった循環器の病気は、治療が急がれるのに医療逼迫で対応が遅れたり、コロナ感染によって血栓ができる合併症にかかったりする例があったとみられる。

 感染急拡大した2021年以降は、ベッドが満床で救急搬送に時間がかかったり、治療開始が遅れたりする例も続出。2022年には、高齢者が感染しても施設や自宅で療養する流れが強まった。医療逼迫で通常の医療が受けられなかったとみられる。当初は重症化が早く、そのまま亡くなって死因がコロナになる例が目立った。2022年にオミクロン株が主流になると体がダメージを受け、時間をおいて亡くなる人が増加、死因がコロナ以外になった例が増えた可能性がある。

●ワクチン2回接種、8割完了

 首相官邸などによると、今年4月20日までに全人口の80.2%にあたる1億337万人が2回のワクチン接種を済ませた。65歳以上では92.4%。ただ、3回目以降の接種率は下がっている。65歳以上は91.3%が3回目の接種をしたが、全体では68.6%で、4回だと半数に満たない46.5%だった。感染力が高いオミクロン株に対応するワクチンの接種率も44.9%にとどまっている。

 都道府県では、3回接種率が最も高かったのは秋田県で80.2%。山形県の78.0%、岩手県の77.5%と続いた。逆に低かったのは沖縄県の51.6%や大阪府の62.3%など。沖縄県のワクチン・検査推進課は「20、30代を中心に、若い年齢層の接種が進まなかった」としている。

【5月6日】

●ウィズコロナに移る各国 米も緊急事態解除へ 経済復調の中国

 WHOは5日、新型コロナの「緊急事態」終了を宣言した。多くの国では、すでに規制が緩和や撤廃され、「ウィズコロナ」が定着しつつある。いまも1週間に約44万人の新たな感染が報告されているが、世界全体でみると感染者数や死者数が最も低水準の状態が続いている。米政府は今月11日、新型コロナ感染拡大に対処する公衆衛生上の「緊急事態宣言」の期間を解除する。ワクチンや検査、治療薬などは、今後は自己負担になるケースが出てくる。

 中国政府は昨年末、3年近くに及んだ「ゼロコロナ政策」を転換。軽症者の自宅隔離を認めたり、地区をまたぐ行動履歴の確認を撤廃した。今年1月には入国者に義務づけた隔離を撤廃。1~3月期の実質経済成長率が4.5%と経済正常化が進んでいる。英国のイングランドでは公共施設でのマスク着用義務が昨年1月に撤廃され、同2月には全ての法的規制を解除。他の地域でも、昨年5月迄には全ての義務が撤廃されている。

【5月7日】

●Jリーグ、感染対策ガイドライン廃止へ 5類移行受け

 2020年5月に策定された「Jリーグ新型コロナ感染症対応ガイドライン」は、選手やスタッフを対象にした検査の手順や、チームの関係者が陽性判定を受けた場合の対応、それに試合における観客数の制限などが細かく定められ、すべてのクラブがこれにしたがって活動してきた。今シーズンはおよそ3年ぶりにすべての席で声出し応援ができ、3月からは声出し応援の際のマスクの着用を個人の判断に委ねている。そのうえで5類移行をめどに、ガイドラインの運用自体を廃止することにしている。

【5月8日】

●新型コロナ きょうから「5類」に移行

 新型コロナの感染症法上の位置づけについて、厚労省は外出自粛の要請や入院勧告などの厳しい措置をとることができる「2類相当」として対策にあたってきたが、8日、季節性インフルエンザと同じ「5類」に移行した。移行後、感染対策は個人の判断に委ねられる。これまでのように限られた医療機関で患者を受け入れる体制から幅広い医療機関で対応する体制を目指し、無料にしてきた医療費の窓口負担分については検査や外来診療の費用などが自己負担になる。「外来医療費の比較」の図の出典は、NHK新型コロナウイルス特設サイト

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 流行状況の把握は、「全数把握」から指定医療機関が1週間分の感染者数をまとめて報告する「定点把握」に変更される。厚労省の発表は週一回、毎週金曜日、初回は19日の予定。「定点把握」の図の出典は、NHK新型コロナウイルス特設サイト

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 一方で、今後も流行を繰り返すことが予想されることから、厚労省は感染したあとの療養期間の目安として、発症翌日から5日間は外出を控えることを推奨する。「療養期間」の図の出典は、NHK新型コロナウイルス特設サイト

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 移行にあわせて、政府の対策本部や感染対策の「基本的対処方針」も廃止、3年余り続く国のコロナ対策は大きな節目を迎えた。 

●高齢者ら高リスク、懸念なお

 重症化リスクの高い高齢者らへの対策は、5類移行後も続ける必要がある。昨秋に感染者の把握方法が変わり、検査をしない人も増えた。感染者の検出率が下がり、実際の感染者数はもっと多かったと推測されている。重症化率や致死率は下がってきたが、高齢者ほど高く、厚労省発表の昨夏時点の80歳以上の致死率は1.69%。沖縄県で2022年に亡くなったコロナ患者約400人のデータによると、7割超は70歳以上で、推定された感染経路は入所施設約4割、医療機関約3割だった。

 日本では75歳以上の後期高齢者が1900万人超と、高齢化が著しく進む。高齢者らハイリスクの人たちをいかにコロナから守るか、これからが正念場だが、懸念材料は多い。感染が拡大すれば、高齢者も多く感染して重症化しやすい。死者を増やさないためには、高齢者施設や病院でのクラスター発生を抑えることが重要になる。

●高齢者向け接種、今年度分始まる

 高齢者らを対象にした2023年度の新型コロナワクチンの接種が8日、始まった。接種の目的は感染予防から重症化予防に重きを置き、年2回行われる。接種対象は、65歳以上の高齢者や基礎疾患があるなど重症化リスクの高い人、こうした人に接する機会が多い医療機関や高齢者・障害者施設の従事者。接種にはオミクロン株対応のワクチンが使われる。今回の接種は8月まで、2回目は9月以降に予定されている。それ以外の人への接種は、9月以降に年1回の機会が設けられる。

●GW、コロナ前水準 JR利用者・高速交通量

 JR旅客6社は8日、大型連休中(4月28日~5月7日)の新幹線や在来線特急などの利用状況を発表した。各社の利用者は前年よりも3~4割程度増え、コロナ前の2018年と比べても94%まで回復。記録が残る1990年以降では、1日あたりの利用者数も過去7番目に多かったという。JR東海では利用者数が2018年に比べて100%まで回復。東海道新幹線の利用者数は356万7千人で2018年比101%とコロナ前をわずかに上回った。

 高速道路各社もこの日に連休中(4月28日~5月7日)の交通量を発表した。全国の主要40区間では1日の平均交通量は4万2千台(前年比106%)だった。最も長かった渋滞は3日の関越道下り線の藤岡ジャンクション(群馬県)付近で54キロだった。

●最後の全数把握

 新型コロナの「5類移行」に伴い、これまでの「全数把握」による毎日の感染者数の発表は2023年5月8日(月)が最後となった。死者数と重症者数の発表は、5月9日(火)が最後。以下6枚の図の出典:NHK新型コロナウイルス特設サイト

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【5月9日】

●衆院本会議、約3年ぶり全議員出席し質疑 5類で制限解除

 衆議院本会議では、新型コロナの感染拡大を受け、2020年4月から、法案などの採決の際をのぞいて、出席を半数程度の議員に限る措置が取られてきたが、「5類」に移行したことを受け、措置が解除された。9日午後、解除後初めてとなる本会議が開かれ、およそ3年ぶりに、すべての議員が出席できる形で質疑が行われた。また、演壇に設置されていたアクリル板も取り外され、感染拡大前の通常の状態に戻った。

【5月10日】

●コロナ宣言解除でメキシコ越境者増? 米政権、移民規制を強化

 バイデン米政権は10日、他国で亡命申請をせず不法に入国した人を退去させることを盛り込んだ新たな移民規制を発表した。新型コロナの「緊急事態宣言」を11日に解除するのに伴い、メキシコからの越境者が急増することを見据えて12日から実施する。政権は移民政策で右派、左派の双方から批判を受けており、難しいかじ取りが続く。

●オミクロン株「BA.5」系統、高熱では増殖しにくい 東大など

 オミクロン株の「BA.5」系統は、高熱の状態では増殖しにくいとする実験の結果を、東京大学などのグループが国際的な科学雑誌で発表した。グループは、ヒトのiPS細胞から肺の細胞を作って、デルタ株やオミクロン株の「BA.5」と「BQ.1.1」を感染させ、ウイルスの増え方を調べた。その結果、平熱に近い37℃ではどの変異ウイルスも2日後には10万から100万倍に増えた。

 一方で、40℃では、デルタ株は37℃のときと同様に増えたが、「BA.5」の増加は1000倍にとどまり、「BQ.1.1」は増えなかった。グループは、オミクロン株は高熱で増殖しにくく、デルタ株などに感染した場合に比べて重症化する人の割合が少ないことに関わっている可能性がある。オミクロン株で重症化する人の割合が低かった理由の解明につながる可能性があるとしている。

【5月11日】

●「コロナ感染状況落ち着いた」 米国、国家非常事態宣言解除

 米国のバイデン政権は3年前から続けてきた「国家非常事態宣言」を11日いっぱいで解除する。背景には、ピーク時の2021年1月以降、新型コロナ死者が95%減少するなど感染状況が落ち着いてきているほか、国民の80%以上が少なくとも1回のワクチン接種を受けていることなどがある。これにともないコロナ禍で続いてきた様々な措置が解除されることになり、空路で入国する日本人を含む外国人に義務づけられていたワクチン接種証明の提示も不要になる。

 このほか連邦政府職員などを対象にしたワクチン接種の義務化や、新型コロナの検査キットの無料配布が終了するほか、各州や自治体の感染状況の国への報告義務もなくなる。ただ、専門家などからは検査キットの無料配布や報告義務がなくなることで、再び感染が拡大した場合の把握や対応に遅れが出るのではないかと懸念の声も出ている。

●韓国、コロナ隔離義務解除 警報レベル引き下げ

 韓国政府は11日、6月から新型コロナの警報レベルを、最高段階の「深刻」から「警戒」に1段階引き下げると発表した。コロナ感染者の隔離義務解除などが柱。街頭ではマスクをつけずに歩く人が多く、コロナ前の日常が戻りつつある。「3年4カ月ぶりに国民が日常を取り戻すことになりうれしく思う」。尹錫悦大統領は11日、コロナの対策本部の会議で述べた。WHOが緊急事態の終了を宣言したことを受け、韓国でも対策の緩和を決めた。

 尹錫悦(ユン・ソンニョル)韓国大統領 出典:ウキメディア・コモンズ

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 現在7日間の感染者隔離義務は解除され、5日間の隔離の「勧告」となり、個人の裁量に任される。一方でコロナの検査や治療への公費支援は、当面継続するという。マスクの着用義務は段階的に引き下げられており、今年1月に屋内での着用義務を解除。3月には公共交通機関での義務も解除された。今回、感染時のリスクが高い患者がいる、入院が可能な医療機関などの施設では着用義務を維持する一方、それ以外の医院や薬局では解除される。

●新型コロナ対応の記録公表 政府分科会尾身会長ら約90人が執筆

 政府分科会の尾身会長などの専門家や、全国の自治体の担当者などが、これまでの対応を振り返る記録を、まとめて公表した。この記録は、2020年以降の新型コロナの対応について、政府分科会のメンバーの専門家や政府や全国の自治体の担当者など、およそ90人が執筆。記録では、当初の対応から感染状況を把握する体制や保健所や医療の体制、ワクチンや治療薬の確保、それに、社会生活への影響まで、当事者が実際に行った対応と得られた教訓が記されている。

 尾身会長は、リスクを評価し取るべき対策の提言が専門家の役割だとしたうえで、布マスクの全世帯配布などを例に「専門家の意見を聞いたうえで、政府が対策の方針を決め、その理由を説明するという明確な意思決定プロセスを確立しておく必要がある」と指摘。また、脇田座長は、科学的に十分に精査されていない内容の資料が厚労省から突然出てきたこともあり、リスク分析と評価する専門家の思いと、厚労省の立ち位置との折り合いに苦労したなどと振り返っている。

【5月12日】

●企業純利益、最高水準に 3月期見通し コロナ後・円安影響

 コロナ禍からの回復や歴史的な円安を追い風に、上場企業の2023年3月期決算は、最終的なもうけを示す純利益が過去最高水準になる見通し。業績の重しになっている資源高や半導体不足が今後は和らぎ、好調が続くと予想する企業が多い。11日までに発表した703社(53.7%)と、未発表企業の業績予想などをもとに試算。売上高は前年比14.2%増、営業利益は4.2%増となる見込み。

 コロナ禍での行動制限で大きな打撃を受けていた非製造業が著しく改善。空運業は純損益が3年ぶりに赤字から黒字に転換、陸運業は純利益を10倍以上増。円安や資源高の影響で、商社は外貨で稼いだ分が円換算で膨らんだほか、原料炭などの資源やエネルギーの価格高騰で、過去最高益の更新が相次いだ。一方、電気・ガス業は赤字に転落。非製造業全体での純利益は34.7%増。製造業も円安が輸出を後押しするなどし、売上高が16.9%増加。だが、仕入れコストの急増などで純利益は5.5%減。

【5月14日】

●大型連休 成田空港の国際線利用、コロナ禍前の半分程度まで回復

 東京出入国在留管理局成田空港支局によると、先月28日から今月7日までの10日間に成田空港の国際線を利用した人は56万6000人余りだった。コロナ前の2019年は、大型連休の11日間で109万人余りで、今年はこの半分程度まで回復したことになる。利用者の内訳は、日本人がおよそ19万人、外国人がおよそ37万6000人で、出国先は韓国が最も多いおよそ19%。続いて米国、台湾だった。

【5月17日】

●4月 訪日外国人旅行者194万人余、前月比13万人増 回復傾向続く

 日本政府観光局によると先月、日本を訪れた外国人旅行者は推計で194万9100人と、前の月より13万人余り、率にして7%増えた。感染拡大前の2019年の同じ月と比べると33%少ない水準だが、去年10月に観光目的の個人旅行が解禁されるなど、水際対策が大幅に緩和されたことで増加傾向となっている。

 国や地域別では、韓国が最も多く46万7000人、次いで、台湾が29万1600人、米国が18万3900人。日本政府観光局では、先月は東南アジアや欧米など各国で祝日があったため、旅行需要が高まったことや、航空便の増便などが主な要因だと分析している。一方、2019年の外国人旅行者全体の3割を占めていた中国からの旅行者は、日本への団体旅行が制限されていることなどから10万8300人にとどまっている。

●ことし1~3月 日本人旅行者の国内消費額、コロナ禍前上回る

 観光庁によると、ことし3月までの3か月間に日本人が国内を旅行中に宿泊や買い物などで消費した金額は、4兆2331億円。これは去年の同じ時期の1.8倍にのぼる。また、感染拡大前の4年前、2019年の同じ時期を0.5%上回った。3か月ごとの消費額をまとめているこの調査で、コロナ禍前の水準を上回ったのは今回が初めて。

 観光庁は、年明けに再開した国の観光需要の喚起策「全国旅行支援」が呼び水となって、旅行に伴う消費が伸びたことが主な要因だとしている。また、旅行で支出する金額は、1人当たり4万2277円と、感染拡大前の2019年の同じ時期を21%上回っている。水際対策が緩和されてから日本を訪れる外国人旅行者が急速に増加し、インバウンド消費が拡大しているが、こうした中で日本人旅行者の消費についても回復の動きが鮮明になっている。

●東証3万円台回復、1年8カ月ぶり 脱コロナ追い風

 17日の東京株式市場で、日経平均株価が約1年8カ月ぶりに3万円台を回復。円安や「脱コロナ」の動きを追い風に企業業績が堅調なことに加え、企業が自社株買いなど株主還元の姿勢を強めていることが株高につながっている。日経平均は年初から5千円近く上がった。新型コロナの規制緩和で客足が戻り、業績を急回復させた「脱コロナ」銘柄の上昇が目立つ。

 業種別では鉄道会社などの陸運が年初から16%上昇。百貨店などの小売り(13%)や空運(9%)も伸びた。金融緩和も株高を支える。日本銀行の新体制が4月、大規模緩和の継続を決めたことで円安が進んだ。電機や自動車など輸出銘柄が買われた。日経平均はバブル期の1989年に3万8915円の史上最高値をつけた後、長く低迷。大規模な財政・金融政策を受けて2021年2月、3万円台を回復したが、欧米が金融引き締めに転じたため伸び悩んでいた。

●GDP年1.6%増 旅行や外食好調 1〜3月 3四半期ぶりプラス

 2023年1~3月期の国内総生産(GDP)は、物価変動の影響を除いた実質(季節調整値)で前期(2022年10~12月期)比0.4%増、年率換算で1.6%増となった。世界経済の減速に伴い輸出は落ち込んだが、コロナ禍からの回復で旅行や外食など個人消費が全体を押し上げた。内閣府が17日、1次速報を発表した。2022年10~12月期が下方修正されて年率換算で0.1%減とプラスからマイナスに転じたため、3四半期ぶりのプラス成長になった。

 GDPの半分以上を占める個人消費は0.6%増。行動制限のない年末年始となりサービス消費が好調だったほか、半導体不足で不振だった自動車の販売が回復。一方、物価高による節約志向の高まりで食品や家庭用消耗品、衣類などは減少。賃金や社会保険料などの雇用者報酬は実質1.3%減少、6四半期連続でマイナス。賃金は伸びても物価上昇に追いつかない状況が続く。設備投資は0.9%増と、2四半期ぶりにプラス。輸出は4.2%減と、6四半期ぶりのマイナス。輸入は2.3%減。

【5月18日】

●東京都、5類移行後初の「定点把握」 感染状況は?

 東京都は18日、今月8日から14日までの感染状況や専門家が分析するモニタリング結果について公表した。新型コロナの感染症法上の位置づけが5類に移行して初めて、定点把握による感染者数を発表し、今月14日までの1週間で1医療機関あたりでは2.40人だった。前の週に比べて1.7倍になっていて、専門家は「緩やかな感染拡大傾向にあるが大型連休の影響もあるため今後の動向に注意が必要だ」としている。

 18日発表の東京の定点把握と全数把握 出典:NHK新型コロナウイルス特設サイト

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【5月19日】

●コロナ定点感染数、5類移行後初公表 厚労省「緩やかに増加」

 厚労省は19日、新型コロナについて、一定の医療機関で継続的に把握する定点あたりの新規感染者数が、8~14日は全国で2.63人(速報値)だったと発表した。前週は1.80人(参考値)で、1.46倍に増加だった。前の週より増加するのは6週連続で、厚労省は「比較的、低い水準ではあるが、4月以降、緩やかな増加傾向が続いている。大型連休の影響もあるので今後の推移を注視したい」としている。8日にコロナの感染症法上の分類が5類に移行後、初めての公表となる。

 都道府県別では多い順に、沖縄県6.07人、石川県4.90人、北海道4.36人、新潟県4.30人、山梨県4.22人などとなっていて40の都道府県で前の週より増加している。厚労省は、流行状況を継続的に把握する指標の一つとして「新規入院者数」の発表を新たに始めた。5月14日までの1週間に新たに入院した人は全国で2330人で、前の週と比べて55人の減少とほぼ横ばい、厚労省は入院が必要な人が急増するような流行状況ではないとしている。

 5月19日発表の新規感染者の定点把握 出典:NHK新型コロナウイルス特設サイト

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【5月20日】

●コロナ感染者数、毎日推計し更新のサイト開設 モデルナ日本法人

 モデルナ・ジャパンが今月ウェブサイトを公開し、民間の医療情報データベースに登録された全国およそ4200の医療機関からのデータをもとに、専門家の監修を受けて統計的に推計した、全国や地域ごとの感染者数を毎日更新して示している。また、年代別の感染者数の推計や検査を受けた人のうちの陽性者の割合「陽性率」も掲載されている。

 18日までのデータでは、全国の感染者数は1週間平均で1日当たりおよそ2万4000人と推計されていて、モデルナ・ジャパンは「これまで慣れてきた感染者数の形でデータを示すことが、最新の流行状況を正しく把握し、適切に行動するために重要と考える」としている。

【5月22日】

●羽田空港 新型コロナで閉鎖の国際線施設、需要回復に伴い再開へ

 羽田空港では、国際線の発着を増やすため、国内線専用だった第2ターミナルが増築され、3年前の2020年3月に国際線用の出発ロビーや到着ロビーなどの施設がオープンした。新型コロナの影響でおよそ2週間後に閉鎖された。それ以来、国際線の発着は第3ターミナルに集約されていたが、水際対策の緩和が大幅に進んだことで、国際線の発着便数は最近では多い日で一日250便と、感染拡大前を上回る水準まで回復しているという。

 このためターミナルビルの運営会社では、施設を使用する全日空などと協議した結果、夏にはさらに需要が増えることが見込まれるとして、ことし7月19日に施設を再開することを決めた。ただ、手荷物検査を行う保安検査員の人手不足の影響などにより、まずは時間を限って再開されるということで、全日空が一日に出発5便のほか、到着を数便運航することにしていて、徐々に便数を増やしていきたいとしている。

【5月23日】

●WHO総会開幕 台湾の参加、中国などの反対で今回も認められず

 WHOの年次総会は今月21日から30日までスイス・ジュネーブで開かれ、新型コロナの教訓を踏まえ、今後のパンデミックへの備えなどについて議論が行われる予定。総会では22日、WHOに加盟していないものの2016年までの8年間、オブザーバーとして年次総会に参加していた台湾については、中国などの反対で参加の可否について議論しないことが決まり、台湾の参加は7年連続で認められなかった。

 米国が「台湾の公衆衛生や先進技術はWHOにとって価値がある」と声明を出すなど、欧米各国などからはコロナ感染拡大の対策で成果をあげた台湾を参加させるべきという声があがっていた。22日の協議で中国政府の代表は「参加については『1つの中国』の原則に基づき処理されなければならない」と述べた。参加が認められなかったことについて、台湾外交部は「これは公衆衛生の問題であり、政治が優先されるべきではない」と不満を表明した。

【5月24日】

●イベルメクチン、新型コロナ患者に投与も効果みられず 北里大

 寄生虫が原因で失明などが引き起こされる感染症の特効薬「イベルメクチン」について、新型コロナ患者に投与しても効果がみられなかったとする結果を、治験を進めていた北里大学病院などのグループが発表した。治験は2020年8月からおととし10月まで新型コロナに感染した20歳以上の中等症までの患者248人を対象に行われた。。

 イベルメクチンは、ノーベル生理学・医学賞を受賞した北里大学の大村特別栄誉教授の研究を元に開発された、寄生虫によって失明やリンパ管の腫れが引き起こされる病気の特効薬で、新型コロナへの効果があるか各国で研究が進められたが、去年9月、製薬会社の「興和」も新型コロナ患者に投与しても、有効性がみられなかったとする治験の結果を発表していた。

●生保、コロナ響き減益 8社3月期決算 入院給付金膨らむ

 生命保険大手8社の2023年3月期決算が24日、出そろった。新型コロナ感染者に支払う入院給付金が膨らむなどし、本業のもうけを示す基礎利益では全社が減益となった。一方、外貨建て商品の売れ行きが好調で、扱いの多い第一生命は売上高にあたる保険料等収入で日本生命を抜き、8年ぶりに首位に立った。

 コロナ感染者への入院給付金について、各社は無症状で自宅療養などをした「みなし入院」患者も支払い対象とした。昨年9月末に重症化リスクの高い人に対象を絞ったものの、支払額は急増。日本生命は前年の約8倍にあたる1811億円(約130万件)に、第一生命は約10倍の1062億円(93万件)に膨らんだ。ただ、コロナは今年5月8日に感染症法上の「5類」に移行し、給付金の支払いは今後急減する見込み。

【5月25日】

●北京市当局 感染者増加傾向、対策呼びかけ

 北京市の保健当局は24日、新型コロナを含めた感染症全体の患者数が5月21日までの1週間で2万5000人余りとなり、このうち新型コロナの感染者が最も多かったと発表した。新型コロナの感染者が最も多いのは4週連続で、北京市の保健当局は、公共交通機関を利用する際にマスクを着用するなどの感染対策の徹底を呼びかけた。

 中国政府はことし1月に厳しい行動制限などを伴う「ゼロコロナ」政策を終了し、5月からは国内の感染状況に関するデータを明らかにしておらず、実態の把握が困難になっている。こうした中、中国の感染症の専門家は5月22日、国内の感染状況について、1週間当たりの新規感染者数が5月末におよそ4000万人、6月末にはおよそ6500万人にそれぞれ達するという予測を示し、再び感染が拡大することへの警戒感が強まっている。

●東京都 1週間の感染者、前週の1.5倍 2週続け増加傾向

 25日、都は感染状況のモニタリング項目について、5類移行後2回目となる発表を行った。それによると、定点把握の対象になっている都内419の医療機関のうち、416か所から報告があった感染者数の合計は今月21日までの1週間で1470人で、1医療機関当たりでは3.53人となった。これは、前週の2.40人の1.47倍にあたり、2週続けて増加傾向にあるということで、専門家は「感染拡大の増加スピードに注意が必要だ」としている。

 また、今月22日時点での入院患者数は、前の週より196人多い702人となり、専門家は「現時点で医療提供体制への大きな負荷は見られないが、引き続き状況を注視する必要がある」としている。

【5月26日】

●新規感染者、前週比1.4倍 15〜21日緩やかな拡大傾向続く

 厚労省は26日、定点あたりの新型コロナ新規感染者数が、15~21日は全国で3.56人だったと発表した。前週の2.63人から約1.4倍に増えた。4月上旬から緩やかな感染拡大が続いている。8日にコロナが5類に変わり、定点医療機関からの報告は今回が2回目。全国に約5千ある定点で継続的に把握することで、感染者数の増加や減少をつかむことができる。

 42都道府県で感染者が前週から増えた。最多は沖縄の10.80人で、石川6.38人、岩手6.32人と続く。東京3.53人、愛知4.51人、大阪2.37人、福岡3.09人だった。15~21日の全国の新規入院患者数は3215人で、前週(2489人)の約1.3倍に。集中治療室に入院している全国の重症患者数は7日間平均で52人だった。

 5月26日発表の新規感染者の定点把握 出典:NHK新型コロナウイルス特設サイト

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【5月31日】

●国内宿泊者数、前年同月比41%増 外国人は19倍と大幅増

 観光庁によると、4月、国内のホテルや旅館などに宿泊した人は、速報値で延べ4763万人で、去年の同じ月より41%増加した。このうち、日本人の宿泊者は延べ3724万人で、去年の同じ月より12%の増加。また、外国人の宿泊者は、延べ1038万人で、去年の同じ月の19倍と大幅に増加し、コロナ禍前の92%の水準となった。

 

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●厚労省リーフレット(2023年度版)

 「感染対策は個人・事業者の判断が基本となります」 出典:厚生労働省ホームページ

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2023年6月 3日 (土)

富弘美術館

 2023年5月7日(日)、雨の中を桐生新町のまち並みを歩いてめぐった後、「富弘美術館」で星野富弘氏の詩画を鑑賞。
 
 
 本ブログ記事「桐生のまち並み(重伝建)」のつづき。
 
 14:00、桐生市観光バス駐車場を出発。次の目的地の「富弘美術館」へ向かう。「富弘美術館」は、桐生市から日光に向かう122号線を北上、「草木ダム」を過ぎて草木湖の西岸を走り、「草木ドライブイン」からすぐのところにある。雨はやまない。
 
 14:50、入館。入館料520円、館内撮影禁止。
 
 10年以上前に一度来たことがあったが、美術館は新しくなっていて、大小の展示室、ロビー、図書コーナー、ショップ、トイレどすべての部屋が円形の空間だった。
  
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 東村(現・みどり市)のふるさと創生事業により1991年春に開館した「富弘美術館」は、美しい山々と湖にとけこむように建っている。不慮の事故での9年間の入院生活から、久しぶりにふるさとに帰った星野氏を迎えたのは、子どもの頃から慣れ親しんだそんな東(あずま)村の自然だった。絶望の中で苦しい闘病生活を支えた母の献身的な看病、覚えていた詩人の言葉、そして信仰。彼は口に筆をくわえて文や絵を描いた。
 
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 館内に入ると、星野氏の透明感あふれる水彩で描かれた草花と、素朴で美しい文字が調和した独特な「詩画」の世界が広がる。星野氏の作品は「生きる勇気」や「生きることのすばらしさ」をなにげない毎日のなかから、自然に教えてくれているという。
 
 以下、富弘美術館のパンフレットから転載。
 
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 15:45、富弘美術館発。18:00、自宅着。

 本ブログの関連記事

 「鬼怒川温泉」2012年11月18日投稿

  http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/post-6aa9.html

  

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●星野富弘
 
 星野富弘氏は、日本の詩人、画家。1946年4月24日、群馬県勢多郡東村(現・みどり市)に生まれる。
 
 1970年、群馬大学教育学部保健体育科を卒業し高崎市の中学校体育教師になるが、同年6月17日、クラブ活動の指導中の墜落事故で頸髄を損傷、手足の自由を失う。
 
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 1972年、群馬大学病院入院中、口に筆をくわえて文や絵を書き始め
 
 1974年、キリスト教の洗礼を受ける。
 
 1979年入院中、前橋で最初の作品展を開く。同年9月に退院し、帰郷。
 
 1981年、結婚。雑誌や新聞に詩画作品やエッセイを連載。
 
 1982年、高崎で「花の詩画展」開催。以後、全国各地で開かれる詩画展は、大きな感動を呼び現在も続いている。
   
 1991年5月、東村に村立「富弘美術館」が開館。「花の詩画展」は、ブラジル各都市をはじめ、ニューヨーク、ハワイ、サンフランシスコ、ロサンゼルスと開催された。
 
 2005年4月、「富弘美術館」新館が開館。近接の商業施設(草木ドライブイン)と併せ、道の駅に登録。
 
 2006年3月、勢多郡東村は、新田郡笠懸町、山田郡大間々町と合併し、みどり市になった。
 
 2006年5月、熊本県葦北郡芦北町に姉妹館として町立「星野富弘美術館」開館。
 
 2006年6月、群馬県名誉県民となる。
 
 富弘美術館と草木湖 Googleマップより転載
  
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2023年6月 2日 (金)

桐生のまち並み(重伝建)

 2023年5月7日(日) 雨の中、桐生新町のまち並み(重要伝統的建造物群保存地区、群馬県桐生市)を歩く。
 
 桐生市は、群馬県南東部に位置し、太田市、館林市とともに東毛地方の拠点都市であり、東毛北部の中心都市。古くから絹織物を産する機業(きぎょう)都市で、桐生織は京都・西陣の西陣織と並び称された。市内に多くの産業遺産があり、桐生織物会館旧館を含む6件の「日本遺産」や、130件以上の「国登録有形文化財」が残されている。桐生新町は、関東地方で5番目、県内で2番目に選定された国の「重要伝統的建造物群保存地区」(重伝建地区)。
 
 9:35、桐生市観光バス駐車場に到着。9:55、徒歩で「有鄰館」(ゆうりんかん)着。
 
 10:00、「有鄰館」の敷地奥にあるビール蔵跡の「からくり人形芝居」の芝居小屋に入場(無料)。
 
●からくり人形芝居 10:00~
 
 ボランティア団体「桐生からくり人形芝居保存会」の方から、からくり人形芝居の歴史や関連資料の説明を聞く。
 
 桐生からくり人形芝居は江戸初期、1662年(寛文2年)に始まった竹田出雲のからくり芝居の系譜をひく。1894年(明治27年)「天満宮」御開帳に江戸浅草奥山の竹田縫之助の「活き人形からくり人形芝居」が興行された。東京では無くなりつつある江戸風情の名残りを受け入れたのが桐生だったという。
 
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 各町会が1961年(昭和36年)までに6回、「天満宮」の御開帳時に上演していた「からくり人形芝居」を、1999年(平成11年)に復元・復活させて、現在「桐生からくり人形芝居保存会」が上演している。機織り機の技を活かした「からくり人形芝居」が毎月第1、3土曜日、1日5回(午前10時~午後4時)に上演。「曽我兄弟夜討」「助六由縁江戸桜」「羽衣」「巌流島」「八百屋お七」「巌流島」など季節によって演題が変わる。
 
 10:15~歌舞伎十八番の一つ「助六由縁(ゆかり)江戸櫻」の上演(事前予約済み)。
 
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 芝居観覧後、舞台裏の手作り「からくり」を見学。
 
 10:40、予約してあった観光ガイド「織都(しょくと)桐生」案内人の会と合流。基本ガイド料2時間2,000円。
  
●有隣館 市指定の重要文化財 10:40~
 
 「有鄰館」は、桐生新町の重伝建区内である本町二丁目の南端にある。江戸時代に桐生に定着した近江商人・矢野家が営んでいた醸造業の11棟の蔵群。江戸時代から昭和時代にかけて、酒・味噌・醤油をなどを醸造し、保管するために使用されていた。
 
 蔵群は、1994年(平成6年)矢野商店から桐生市に寄付され、その後改修整備が行われ、1997年(平成9)年4月より、舞台や展示、演劇、コンサートなど多目的イベントスペースとして活用されている。周辺に残る歴史的建造物や近代化遺産などと一体となった町並み保存の拠点にもなっている。なお、「有鄰」とは、孔子の「徳孤ならず必ず鄰あり」という故事から引用した言葉。
  
 本町通りから見る「有鄰館」の煉瓦蔵は、市内最大。
  
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 「矢野商店」の店舗と店蔵は、「有鄰館」の敷地で本町通りに面する。
 
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●花のにしはら (旧書上商店)
 
 明治・大正期の書上(かきあげ)文左衛門の店舗「旧書上商店」は桐生で最大の織物買継商。この一帯に店舗や蔵、居宅が連なっており、その離れには作家・坂口安吾(1906年-1955年)が晩年を過ごした。
 
 花のにしはら 出典:Googleマップ
 
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 「旧書上商店」は、3代文左衛門の時、買継商として店を構え発展。11代文左衛門の時(明治期)、横浜へ支店をつくり織物輸出業を開始、さらに上海へも出店。当時「関東織物買継王」とも称された。12 代文左衛門の時、店員は 100 人を超え、繁盛をなし、戦後まで営業を続けた。旧店舗は、現在花屋さんになっている。
  
●旧曽我織物工場 国登録有形文化財
  
 1922年(大正11年)建築、栃木県で産出した大谷石造りのノコギリ屋根工場。出典:文化遺産オンライン(文化庁)
 
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 内部は木造、屋根には排気塔が立ち、通風用の丸窓飾りが特徴。屋根の北西方向に採光面を設けることで、一日中一定の明るさが得られることから、織物の生地を点検するのに適していた。工場は貸倉庫として活用されていたが、現在は使われなくなり活用を検討中。
 
● 平田家住宅 国登録有形文化財
 
 1914年(大正3年)、袖蔵は1900年(明治33年)建築。江戸時代、現在地で雑貨商を始めたが、その後染料、生糸などを扱うようになった。戦時中商品の仕入れが困難になり廃業した。この地域にはめずらしい漆喰仕上げの壁に重厚な扉の蔵作り店舗。
 
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●中村弥一商店 国登録有形文化財
 
 本町通りの東側で、幅約12m、奥行き約82mの敷地に、北寄りに建つ。雑貨店の店舗で、建設当時の店構えを良く残し、織物産業の興隆を伝え貴重。1957年(昭和32年)からは塗装店になった。
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 1922年(大正11年)建築の店舗は、北風による火災の延焼を防ぐ北側の外壁、灰墨を混ぜた鼠漆喰仕上。そのほか文庫蔵、新座敷、奥座敷が直列し、南辺に浴場、石蔵が建ち並ぶ。この短冊状の屋敷地は、桐生新町の町立て当時の規模をそのまま伝えている。
 
●森合資会社 国登録有形文化財
 大正3年建築、屋根は銅板葺きで、外壁には珍しい白磁タイルを使用した洋風の事務所。隣には、白漆喰の土蔵造2階建ての店蔵。会社は、桐生の発展に大きく貢献した。

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●一の湯
 
 ノスタルジックな銭湯で、明治時代に隣接する織物工場で働く女性労働者が利用する浴場として建築された。1912年(大正元)年には公衆浴場として営業していたが、後継者難で2018年末に廃業した。4月15日、約4年半ぶりに復活した。
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●桐生天満宮 県指定の重要文化財 11:35~
 
 本町通りの突き当たりが「桐生天満宮」。本町通りを振り返ると、広い道幅の古い町並み。
 
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 「桐生天満宮」は、桐生のメインストリート「本町通り」の起点として、「桐生新町」の町立て以来桐生を見守ってきた。

 神門(桐生門)と水舎 以下、からくり水車、拝殿、神楽殿、本殿。

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 水車の横に説明板がある。

「この水車は高須孝重氏により寄贈されたもので、桐生からくり人形保存会の有志の方々の協力で完成しました。水車動力での使用目的で作られたもので、宮本武蔵のからくり人形芝居の舞台を設置して上演する予定です。平成十二年十二月 桐生天満宮」
 
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 「桐生天満宮」は1591年(天正19年)、桐生新町創設にあたり下久方村梅原(現在の桐生市梅田町1丁目)より現在地に遷座されたと伝えられる。社殿は江戸時代に多い権現造り、本殿と幣殿の外壁には美しい彩の彫刻が施されている。この彫刻は、黒保根村(現在の桐生市黒保根町)出身で、「上州の左甚五郎」と呼ばれた彫物師・ 関口文次郎の作。完成までに15年を要したという。
 
 本殿後方の「末社春日社本殿」は一間社流造、銅板葺きで彫刻の特徴から室町時代後期のものと推定。市内最古の建物で市指定重要文化財。
 
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●群馬大学理工学部同窓記念会館 国登録有形文化財 11:55~
  
 休館だったので、大学構外の歩道橋の上から、外観を見学。
  
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 この建物は、当初「桐生高等染織学校」として創設されたもの。その後、1949年(昭和24年)、学制改革により「群馬大学工学部」(2013年(平成25年)「理工学部」)になった。1972年(昭和47年)、校舎新築に伴い、講堂及び正面玄関の一部を敷地中央より現在地に移築、同窓記念会館として活用されている。
  
 木造2階建て瓦葺き、デザインは中世西ヨーロッパの教会堂に用いられたゴシック式、2階吹き抜けの大空間を支える為、「ハンマービーム」と呼ばれる独特の屋根構造になっている。土台はレンガ積み、外壁は下見板張りのペイント塗り。
 
 守衛所と同窓記念会館の建物 出典:同窓会館パンフレット
 
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●工房「風花」 12:05~
 
 「ベーカリーカフェレンガ」に付設の絹遊塾・工房「風花(かざはな)」に入室。工房「風花」は、絹の糸製造から染め、織りまで行う工房。主に初心者向け織り教室、この工房から生まれたシルク製品(マスク・ストール・ウォーマー・靴下等)の販売している。
 
 繭から糸を紡ぐ実演。
 
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 国内での使用されなくなった「ガラ紡機」の実演を見学。「ガラ紡機」は、綿の塊から直接糸を紡ぐ独特のしくみを持つ紡績機。操作中に機械が「ガラガラ」と音を出すことから、「ガラ紡」と呼ばれ、手回しから水車で回すガラ紡績が始まった。
 
●ベーカリーカフェレンガ(旧金谷レース工業) 国登録有形文化財 12:35~
 
 1920(大正9年)に建てられた桐生で唯一のレンガ造りのノコギリ屋根工場。煉瓦は深谷市の日本煉瓦製で、イギリス積み。隣接する事務所棟は、1931年(昭和6年)建築。木造2階建てスクラッチタイル貼り、窓や細部に昭和初期の洋風建築の特徴が見られる。建物2つを比較してみると大正・昭和各時代の流行の違いがよくわかるという。
 
 レンガ工場内部は改装され、2008年(平成20年)4月からパン工場&カフェとして活用、焼きたてパンが評判だそうだ。ノコギリ屋根工場に入場し、内部を見学。
 
 ベーカリーカフェレンガの工場(右)と事務棟(左)。「四辻の齋嘉」から撮影。
 
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●四辻の齋嘉 12:40~
 
 「桐生天満宮」界隈の十字路に風情のある木造建築。明治から大正時代築の斎藤家(旧斎藤織物)の旧宅を再生した。4つの町に面した十字路に建つ事から、斎藤織物の創業者、斎藤嘉吉に因んで以前から「四辻の斎嘉」と呼ばれていたという。1923年(大正12)年建築の母屋は、千本格子の京町屋の風格を備える。
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 NPO法人として立ち上がり、桐生市の産業観光の町ガイドとして誕生した株式会社「桐生再生」が買い取り、補修工事を施し観光拠点として生まれ変わった。低速電動コミニュティバス「MAYU」の実証実験にも参加し、その発着基地にもなっている。この古民家と明治時代の蔵をレンタルスペースとして貸し出している。また土日のランチ限定の食事処としても営業。
 
 群馬の郷土料理「おっきりこみうどん」(稲荷寿司とのセット)をこの古民家の落ち着いた和室で食べられる。「おっきりこみうどん」は、幅広のうどんを野菜と一緒に煮込み麺料理「おきりこみ」「煮ぼうとう」と呼ばれることもあり、山梨の「ほうとう」に似ている。一方で、特に桐生市辺りで食べられている 「ひもかわうどん」は、幅の広い平打ち麺。「おっきりこみ」のうどんには塩は使われていないが、「ひもかわ」には塩が使われているそうだ。
 
 蔵と母屋はつながっていて、外に出ないでも蔵の中に入ることができます。開けっぱなしの重厚な扉の厚みで、蔵だとわかる。
 
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 2階建ての蔵の1階部分は、洋室に改装してある。
 
 12:55、ガイド終了。12:55~「四辻の斎嘉」の庭の東屋で、持参した弁当で昼食。
 
●桐生歴史文化資料館 13:40~
 
 「桐生歴史文化資料館」は、桐生市民の歴史と文化についての知識普及・教養の向上と、重伝建地区を訪れる人へのサービス拠点。
 
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 桐生織物の歴史資料として、展示の中心に「生人形白瀧姫」像と日本織物会社に関わる資料を据えていて、その他に桐生の歴史・文化に関わる資料が展示されている。以下2枚の写真は、「桐生歴史文化資料館」のパンフより転載。
 
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 「生人形白瀧姫」について、「桐生歴史文化資料館」のパンフより以下に転載する。
 明治26(1893)年、初代安本亀八によって制作された生人形を日本織物会社が買い取ったと考えられています、日本織物倒産後は、会社施設などは様々な企業に引き継がれましたが、明治28年に会社構外に落成した織姫神社が改築を経ながら存在を続け、平成元(1989)年改築の際に社殿の中からこの像が発見され、その際に白瀧姫と名付けられました。この生人形については、日本織物に引き取られた際に撮影された写真以外に記録は無く、謎を秘めています。
 13:50、「桐生歴史文化資料館」を出て、14:00桐生市観光バス駐車場を出発。次の目的地の「富弘美術館」へ向かう。
 
 以下、本ブログ記事「富弘美術館」に続く。
 
  
 ★ ★ ★
 
 上州名物の三つの「か」は、「かかあ天下」と「空っ風」と「雷」。「かかあ天下」とは、女が働き者ということ。上州では養蚕が盛んであった。この仕事は女性が行うため、一家の経済の主導権が女性にあることが多く、発言力も大きかった。きめ細かな蚕の飼育は、女性の繊細な感覚と勤勉さにあった。上州女性は、春から夏にかけては養蚕、秋の収穫を終えると糸挽きと織物に専念。品質の優れた繭や生糸、織物を生産できる女性は高く評価され、収入は男性よりもはるかに高額だったそうだ。
 
 桐生市は、1921年(大正10年)、山田郡桐生町が群馬県内3番目、県東部で初めて市制施行。2023年4月末現在の人口は、103,823人。上毛かるたで「桐生は日本の機どころ」と詠まれるなど、奈良時代から絹織物の産地として知られる。市内川内町は古くから「仁田山紬」の産地として知られた。川内町にある「白滝神社」には、この地に機織りを伝えたとされる白滝姫が祀られており、上毛かるたの絵札には、白滝姫が機織りをする姿が描かれている。
 
 桐生新町は、1591年(天正19年)に徳川家康の命を受け、代官・大久保長安の手代・大野八右衛門により町立てされて発展した。町立て当初からの敷地割りが残り、当時から織物の生産が行われ、絹織物業を中心に発展した町の特徴をあらわしている。江戸後期から昭和初期にかけて建てられた近代の桐生を代表する産業である絹織物業に係わる様々な建造物が一体として残され、多様な主屋や土蔵、ノコギリ屋根の工場など、製織町として特色ある歴史的な環境を今日に伝えている。
 
 製糸・撚糸・染織・縫製・刺繍など、繊維に関する様々な技術を持つ事業所が集積する総合産地であることから「織都(しょくと)」という風雅な呼び名がある。昭和中期は群馬県で人口最多の市であった。
 
 
 ★★★
 
国の重要文化財に桐生天満宮を新たに答申 社殿など2棟 群馬・桐生市





 2003年6月23日「群馬テレビ」配信のYahooニュースによると、「桐生天満宮」が国の重文に答申された。以下にその記事を転載。 
 国の文化審議会が23日に開かれ、群馬県桐生市の天満宮を新たに国の重要文化財に指定することが答申されました。国の重要文化財に指定するよう答申されたのは桐生市天神町の天満宮の本殿・幣殿・拝殿と末社春日社本殿のあわせて2棟です。本殿が幣殿と拝殿につながっている、いわゆる「権現造り」でこちらは1992年に県の重要文化財に指定されています。本殿・幣殿は壁面の精緻な彫刻などによる壁面の装飾が特徴である一方、拝殿は比較的簡素な造りとなっていて、江戸時代後期の北関東を代表する神社建築の一つとされています。1991年に市の重要文化財に指定されている末社春日社本殿は本殿後方にある比較的小型の建物です。17世紀初期の建築とみられ、市内で最も古い木造建築物です。
 県や天満宮は、2019年度から実施した県内の寺や神社を対象にした調査で、価値が高いという結果が出たことが今回の指定へとつながったとしています。
 今回の答申を経て官報に告示されると県内の国宝や重要文化財はあわせて27件、82棟となります。

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