三渓園と三浦半島
2022年11月21日(月)、神奈川県の三渓園(横浜市)、三崎漁港(三浦市)、荒崎海岸(横須賀市)を巡るバス旅行。
前日の関東は雨で、最高気温は14℃の肌寒い日。当日は、朝から昼頃まで弱雨、午後くもり、夕方になって晴れとの天気予報。12人を乗せたマイクロバスは、9:50出発。
●三渓園(横浜市中区本牧)
11:25、「三渓園」に到着する頃は、雨はすっかりやんで曇り空。昼近くなって、青空。この日の神奈川県の最高気温は18℃、秋らしい良い天気。
「三溪園」は生糸貿易などにより財を成した茶人で実業家・原三溪(本名・原富太郎) によって、1906年(明治39)に外苑が一般公開された。17万5千平米に及ぶ園内には京都や鎌倉などから移築された歴史的価値の高い建造物が配置されている。一般公開の「外苑」と、原家が私庭して使用していた「内苑」のエリアに分かれる。現在は公益財団法人三溪園保勝会が運営している。
「三渓園」の正門を入り、「大池」と丘の上の「旧燈明寺三重塔」を望む。
「旧燈明寺三重塔」は、室町時代の1457年に建てられた、園内の建造物の中でも 最も古い建物。「三溪園」へは1914年(大正3)に、現在の京都・木津川市の「燈明寺」から移築されて小高い丘に建てられ、「三溪園」のシンボルとなっている。
三渓が住居として建てた「鶴翔閣」(写真なし)の前にある「睡蓮池」。
内苑エリアの「臨春閣」と左手に黄葉した大銀杏。
「臨春閣」は、江戸時代初期1649年(慶安2)に、現在の和歌山県岩出市の紀ノ川沿いに建てられた紀州徳川家の別荘「巌出御殿」と考えられている。大阪市此花区に移されていたものを1906年(明治39)に譲り受け、11年をかけて1917年(大正6)に移築が完了した。移築の際には、屋根の形と3棟からなる建物の配置が変更されたが、狩野派を中心とする障壁画と優美な数寄屋風書院造りの意匠が残されているそうだ。重要文化財。
大銀杏とその後は「旧天瑞寺寿塔覆堂」 (てんずいじじゅとうおおいどう)。
「寿塔覆堂」は、1591年(天正19)豊臣秀吉が、病気から快復した母・大政所の長寿を祈って建てた生前墓の寿塔を覆っていた建物。桃山時代らしい豪壮な彫刻や、柱とその上の組物などにはかつて鮮やかな彩色が施されていたが、現在は風化して一部に痕跡を残すのみ。この覆堂があった「天瑞寺」は「大徳寺」内の寺院の一つだったが、明治時代のはじめに廃寺となり現在は存在しない。「三溪園」への移築は1915年(明治38)。重要文化財。
内苑エリアの沢と紅葉。
内苑エリアの「月華殿」 (げっかでん)、「金毛窟」 (きんもくつ)、「天授院」 (てんじゅいん)に向かう小径。
南から「大池」を望む。気がつくと青空。
「旧矢箆原家(やのはらけ) 住宅」 は、立派な茅葺きやね。大きすぎてカメラに入らない。
飛騨白川郷にあった江戸時代後期の入母屋合掌造りの民家。ダム建設の水没地域にあったため、1960年(昭和35)に「三溪園」に移築された。農家ながら、式台玄関や書院造の座敷など立派な接客の空間を備え、寺社で見られる火灯(かとう)窓が付けられるなど、飛騨の三長者の一人といわれた矢箆原家の格式の高さを伝える。現存する合掌造りでは、最大級の建物だそうだ。この建物だけが、内部公開されている。重要文化財。
「大池」の東側から望む。近景は「涵花亭」(かんかてい)、遠くは「三渓記念館」。
園の中央付近にある「三溪記念館」では、「三溪園」の創設者・原三溪に関する資料、三溪自筆の書画、 ゆかりの作家作品や美術工芸品、臨春閣の障壁画などを展示しているそうだが、入館せず。「三渓園」には、他にも移築された重要文化財が多い。移築によって本来の価値を失うとの意見もあるが、現地で荒廃していた建築物を修復して移築し、保存した意義は大きいと思う。
13:05、退園。移動中のバスの中で、崎陽軒のシュウマイ弁当の昼食。
●三崎漁港(神奈川県三浦市)
14:00、三崎港着。周辺を散策。
花暮岸壁に停泊中の遠洋マグロ漁船「第31岬洋丸」(439トン、全長51.2m、住吉漁業株式会社)。遠くの赤い橋は、「城ヶ崎大橋」。
港にある産直センター「うらりマルシェ」で買い物。旅行会社から、神奈川県内の観光施設や土産物店で利用できる全国旅行支援の「いざ、神奈川! 」の地域クーポン3,000ポイントを入手。金目鯛、アジやカレイの干物、3,000円分を購入。
15:00、三崎漁港を出発。
●荒崎海岸(神奈川県横須賀市)
15:30、「荒崎公園」に到着。
駐車場の北の方から回って西側の岩場に向かい、日が沈むのを待つ。
日が沈みかかると、富士山のシルエット。日没は、14:25。
このあたりの海岸の岩石は、数千万年前、まだ三浦半島が海底であったころに堆積した黒くて硬い凝灰岩と、白くて軟らかい砂岩・泥岩の2種類の岩石の層で形成され、洗濯岩のような凸凹をした特殊な地形となっている。
荒崎海岸を17:00出発。19:45出発地に到着。20:10自宅着。
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「早春の三浦半島めぐり」 2017年3月14日投稿
http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2017/03/post-744e.html
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東京湾を望む横浜の東南部・本牧に広がる広大な土地は、原富太郎の義祖父である原善三郎が1868年(明治元年)頃に購入した。富太郎は岐阜県出身で、横浜の原商店に養子として入り、生糸貿易で財を成した。事業のかたわら仏画、茶道具などの古美術に関心を持って収集、国宝級の美術品を多数所蔵し、日本有数の美術コレクターでもあった。彼は古美術品のみならず、室町時代の「燈明寺三重塔」をはじめ各地の古建築を購入して移築していった。
1906年(明治39)に市民へ公開し、1914年(大正3)に外苑、1922年(大正11)に内苑が完成するに至った。単に各地の建物を寄せ集めただけではなく、広大な敷地の起伏を生かし、庭園との調和を考慮した配置になっている。戦災により大きな被害をうけ、1953年(昭和28)、原家から横浜市に譲渡・寄贈され、財団法人「三溪園保勝会」が設立され、復旧工事を実施し現在に至っている。国の重要文化財建造物10件12棟、横浜市指定有形文化財が3棟。
戦後、三崎漁港は日本最大のマグロ漁港だった。1960年代の日本の主要マグロ漁港は焼津漁港、清水漁港、三崎漁港で、内地のマグロ総水揚量の78%がこの3港に集中していた。しかしその後、三崎漁港は水揚げ量で他の漁港を下回ることになる。所属漁船が著しく大型化、遠洋化、外国市場が拡大化したことで、三崎漁港に水揚げすることなく大西洋沿岸諸国に水揚げするようになったためだという。
現在、都道府県別のマグロの漁獲量(水揚げ量)の第1位は、静岡県。焼津、沼津、清水など、水揚げ量トップクラスの漁港がある。2位以下は年によって変るようだが、高知県、宮崎県、鹿児島県、宮城県などが並ぶ。今では、三崎漁港周辺にはマグロ料理、土産屋などの店が並び、東京から気軽に訪れられる日帰り観光地として人気があるようだ。
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