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2021年11月 2日 (火)

映画「ONODA 一万夜を越えて」

 2021年10月28日(木)、映画『ONODA 一万夜を越えて』を観る。

 太平洋戦争の終戦後もフィリピン・ルバング島のジャングルで約30年潜伏し、上官からの命令をかたくなに守って秘密戦の任務を遂行し続け、1974年に日本に帰還した「最後の日本兵」。実在の人物・小野田寛郎(ひろお)元陸軍少尉を題材にした人間ドラマ。フランス人の監督が描く映画『ONODA 一万夜を越えて』は、日本で2021年10月8日に公開。

 

 フランス映画界で今、最も注目されているという新鋭の監督、アルチュール・アラリ。脚本も手掛けた。フランス、ドイツ、ベルギー、イタリア、日本の国際共同製作映画でありながら、最初から最後までが日本語セリフの作品は、第74回カンヌ国際映画祭2021の「ある視点」部門オープニング作品に選ばれ、フランスでは2021年7月21日に公開された。


 小野田の30年間を描いたベルナール・サンドロンの原作『ONODA 30 ans seul en guerre』を元に着想、映画化された。ほとんどの日本人キャストはオーディションにより選考、カンボジアで約4ヶ月間にわたって撮影され、臨場感あるシーンとなっている。

Onoda

 小野田寛郎が、挫折し自暴自棄になった青年として映画は始まる。彼を救ったのは、スパイ養成学校として知られる陸軍中野学校の教官・谷口義美少佐。ゲリラ戦の特殊訓練を受け、秘密の任務を負う士官として、彼は自分の存在意義を見いだす。終戦間近の1944年、小野田少尉は劣勢のフィリピン・ルバング島で、援軍が到着するまでゲリラ戦を指揮するよう命令を受ける。出発前、「君たちには、死ぬ権利はない」と上官の谷口からと言い渡された最重要任務は、「何が起きても必ず生き延びること」。

 作戦を決行するためルバング島に上陸するも、指揮権も与えられないまま敵に襲撃される。しかし彼を待ち構えていたのは、ルバング島の過酷なジャングルだった。食べ物もままならず、仲間たちは飢えやマラリアで次々と倒れていく。必ず援軍が来ると信じ、小野田は自分に従う数人の部下を連れ、任務を遂行する。生きるために、島民の食料略奪などあらゆる手段で飢えと戦い、雨風をしのぎ、仲間を奮い起こす。やがて届いた終戦の知らせも否定、ジャングルの奥地で生き続けるのだった。

 過酷な状況で、伍長・島田庄一は武装した島民に撃たれ、一等兵・赤津勇一は小野田の任務に反して離脱。仲間を一人ずつ失いながら小野田と一緒に最後まで生き残り、25年以上も共にジャングルを生き抜いた唯一の友である一等兵・小塚金七。二人は、幾度となく衝突ながらも相手を思いやり、二人三脚で生死をさまよいながら潜伏していた。

 住民から奪ったトランジスタ・ラジオで海外放送などを聴取して独自に世界情勢を分析、友軍の来援に備えた。後に捜索隊が残した日本の新聞や雑誌で、当時の日本の情勢についても情報を得た。小野田は、日本はアメリカの傀儡政権となっていて、満州国に亡命政権があると考えていた。しかしある日突然、小野田と小塚は島民たちからの復讐を受け、小塚は小野田の目の前で帰らぬ人となってしまう。

 そこからは小野田一人きり、孤独の中で夜が明けていく日々を数えながら、疲労を深めていく。ルパング島に旧日本兵が残留との情報で、何度か政府と小野田の家族、戦友らがルバング島に赴き捜索する。ある日小野田は、捜索に触発され一人でジャングルにやって来た「旅行者」と名乗る鈴木紀夫と出会う。この青年との出会いによって、ようやく戦いは終わりを迎える。来島した元上官の谷口の命令により、任務を解除。ルパング島に上陸から約30年、一万夜を迎える1974年3月、51歳で日本に帰還する。


 主人公・小野田役の青年期をドラマ・映画と活躍中の遠藤雄弥、小野田の壮年期を約1年かけて減量し撮影に臨んだ津田寛治が演じる。小野田にゲリラ戦を決行するよう命じた上官の谷口役には、一人芝居で有名なイッセー尾形。小野田が帰国するきっかけになった旅人・鈴木紀夫には、ドラマ・映画の出演オファーが絶えないという仲野太賀が抜擢。

 左から、遠藤雄弥、津田寛治、イッセー尾形、仲野太賀。以下8枚とも映画『ONODA 一万夜を越えて』HPから転載。

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 小野田の部下の小塚の青年期は松浦祐也、壮年期は朝ドラ『おかえりモネ』にも出演の千葉哲也。同じく部下の島田に大河ドラマ『青天を衝け』に出演したカトウシンスケ。同じく赤津は、大河ドラマ『いだてん』にも出演した井之脇海。キャストは、ほとんどは日本人俳優で、外国人はルパング島の島民、フィリピン軍将校のみだった。

 左から、松浦祐也、千葉哲也、カトウシンスケ、井之脇海。

Yuya-matsuural Tetsuya-chiba Shinsuke-kato Kai-inowaki


 ★ ★ ★

 映画館で、いつものように本作のパンフレットを購入しようと窓口に聞くと、もともと作られてないと言う、残念。そもそも映画のパンフがあるのは日本だけだそうだが、映画鑑賞後の楽しみが半減する。このブログを書くのも、パンフがないと苦労する。

 全編、日本人俳優が日本語のセリフを話すので、つい日本映画かと思ってしまうが、時々スクリーンにフランス語で年月が表示されたり、エンドロールを見ると、フランス映画だと認識する。昔のアメリカ映画で、よく日本人役がアジア系のアメリカ人で、服装や言葉や所作にとても違和感があった。フランス人が、戦前の日本人の事をどこまで描けているのか、イマイチ不安だったが、心配しすぎだった。上映時間は、174分(2時間54分)。これまで3時間に近い映画を見たのは、ちょっと思いつかない。

 映画の導入部分で中野学校時代、学生たちが「佐渡おけさ」を歌いながら、だれの歌の歌詞が正しいかを議論していた。そこに、谷口教官が現れる。小野田が思わず冗談で歌うと、教官は「俺と同じように歌って見ろ」と言う。小野田は教官の歌詞に合わせて歌うが、「そうじゃない。よく聞け、俺と同じように歌え」と強く促す。答えは、自己流の歌詞で歌うことだった。歌詞が少し変わってもその歌の本質は変わらない。戦況は常に変わる。その戦況に合わせて、自分の考えで戦術を変えるが、秘密戦の本質は変わらないことを、教官は教える。この場面は最初、何のことかよく理解できなかったが、その後の小野田の生き方を描いていた。

 ジャングルの兵士たちのサバイバル、現代人の日常からみると、それは人間の本性か狂気か。壮絶な日々と戦った一人の男の人間ドラマ。彼は何を信じ、誰と戦い、どう生き抜いたのか。なぜ他の兵士が気付いたり、疑問視する場面(逃亡した赤津がそれを代弁している)があったにもかかわらず、小野田は本当に敗戦を信じなかったのか、なぜ肉親の呼びかけに応じなかったのか。小野田にとって秘密戦への忠誠は、信仰のようなもの。終戦を認めてしまうと神を失ってしまう。ジャングルから垣間見える外側の世界を、陰謀だと解釈、日本は負けていないという独自の世界観を築きあげた。

 小野田は仲間を連れ、島の奥地に潜伏。谷口から引き継いだ物語を部下に語り、信じさせる。本土に帰ることなく見えない敵と戦い、亡くなった島田と小塚は気の毒でならない。島田の遺体を埋めたポイントに花を添える。28年一緒に暮らした小塚が殺されたポイントには、「小塚の川岸」と名付けた。孤独になった小野田は、故郷ではなく戦友の夢をよく見る。長年信仰してきた秘密戦という宗教を手放すには、上官の命令という儀式が必要だった。アラリ監督は、日本人が描く戦争映画とも異なるフランス人の感覚で、このドラマを表現した。

Movie_onoda

 そして突然、小野の前に現代っ子らしい青年・鈴木が現れる。小野はひどく警戒し、映画を見る側も緊張が走る。鈴木は、小野田にタバコを勧め、一緒に食べようと小豆の缶詰を取り出し、酒を飲もうと言う。用心深く語らず、酒も飲まない小野田に対し、鈴木は酔っ払って彼に会えたことを楽しそうに語る。やがて小野田の心が溶け、鈴木の顔に上官の顔が重なって浮かぶ。既に30年近く、信じていたものを突然放棄することはできない。その複雑な感情のやり場のなさを模索する中、この場面がクライマックス。

 映画では、牛を盗もうとして島田が武装島民に射殺される。次に赤津が離脱する。それから、小野田と小塚が20数年一緒に暮らした後、島民の奇襲で小塚はモリで殺される、と脚色されている。しかし実際は、先に赤津が離脱しその後に島田、最後に小塚がそれぞれ、フィリピン軍やフィリピン警察軍との銃撃戦で射殺されている。

 資料で小野田の著作や史実を調べると次の通り。

 #################

 1944年12月、小野田が比島派遣軍司令部参謀部付としてルバング島に派遣される。

 1945年8月、終戦。10月中旬、小野田らは投降勧告のビラを見る。12月には、山下奉文陸軍大将名による降伏命令と参謀長指示のビラ。小野田らは敵の謀略と断定して無視する。

 1946年2月、拡声器での投降呼びかけに、潜伏していた兵士2人が投降。この2人の協力で3月下旬まで計41名の日本兵がジャングルを出た。

 1949年9月、最後まで残っていた小野田グループの4人のうち、赤津が耐えきれず逃亡。1950年6月フィリピン軍に投降する。

 1950年、フィリピンに日本の敗残兵が生存という情報が日本政府にもたらされ、赤津の帰国により小野田、島田、小塚の存在が明らかになる。フィリピンの政情が不安定なため、救出活動は行えず。

 1954年5月、フィリピン軍山岳部隊との銃撃戦で島田が、撃たれ即死(享年41歳)。その後、島田の遺体確認に厚生省と小野田と小塚の家族、戦友らが現地に入り、その後数回にわたり呼びかけやビラ撒きを行ったが、二人は、にせものとして出て行かなかった。

 1972年1月、一方グアム島で元日本兵の横井庄一が発見され、日本中が大騒ぎとなる。

 1972年10月、フィリピン警察軍が日本人らしき2人組を発見、そのうちの小塚を射殺(享年51歳)。日本政府は、これを受け再度小野田の大規模な捜索隊を派遣。小野田の親族、メディア、政府関係者が島に入り、ビラ配布や呼びかけを行うが、小野田は無視する。

 1974年2月、鈴木紀夫がルバング島にて小野田との接触に成功。小野田の写真が日本で発表、家族によって小野田本人と確認される。小野田の帰還の条件は、上司だった元上官・谷口による直接の戦闘解除の命令を受けること。

 1974年3月10日早朝、入島した谷口からの命令により、小野田は任務を解除し、帰国する意思を固める。同日夜、フィリピン軍の前に小野田(当時、51歳)が現れ身柄を拘束、日本政府に引き渡される。1974年3月12日、小野田は政府が用意した日航特別機で羽田空港に帰還し、大歓迎を受ける。

 1975年、次兄の住むブラジルに移住。現代の日本社会に馴染めなかったからだそうだ。約1200haの牧場を経営、一時は約1800頭の肉牛を飼育した。

 1984年、ブラジルから帰国。ルバング島での経験を生かし、キャンプを通して「祖国のため健全な日本人を育成したい」 と『小野田自然塾』を開く。晩年は右翼系の活動家として日本会議の代表委員などいくつかの役員を歴任、慰安婦問題を否定、田母神論文の支持や講演活動などを行った。

 2014年1月16日、肺炎のため東京都の病院で死去。享年91歳。

 1974年10月に読んだ小野田寛郎の著作『わがルパング島の30年戦争』(講談社1974年9月発行)の表紙。同左著書の見開き頁、小野田陸軍少尉(52歳)の写真。右下はルパング島赴任前の見習士官姿(22歳)。

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 鈴木紀夫は、1949年4月生まれ。主にヒッチハイクでアジア各国を巡ったのち、中近東・ヨーロッパ・アフリカ大陸に至るバック・パッカーの旅に出る。1974年2月、小野田との接触に成功。かつて「パンダ、小野田さん、雪男に会うのが夢だ」と話していたというが、映画でもそのことを小野田に語る。残った「雪男発見」に情熱を注ぎ、1975年7月にヒマラヤで「5頭の類人物を望遠観察した」と主張。1986年11月、ヒマラヤ・ダウラギリIV峰ベースキャンプ付近で遭難。1987年10月遺体発見(享年37歳)。

 エンドロールで、大きく「吉武美知子に捧ぐ」という日本語字幕の謝辞が出た。調べると、パリを拠点に活動した映画プロデューサーのこと。東京都出身で1980年代、フランスに渡った。キネマ旬報など映画評論だけでなく制作にも関わり、2009年映画製作会社FILM-IN-EVOLUTIONを設立。手がけた作品に『TOKYO!』、『ユキとニナ』、『ダゲレオタイプの女』など。アラリ監督の才能を一早く見抜き、監督と日本との架け橋となったひとり。今回のキャストを推薦した。本作の公開を待たず、2019年6月にパリの病院で永眠(享年不明)。

 ★ ★ ★

 映画で、島民を脅し、食料を略奪、あるいは殺す場面がある。小野田は実際、潜伏中にフィリピン兵士、警察官、民間人、在比アメリカ軍の兵士を30人以上を殺害したと証言した。しかし米軍兵士に関しては、米軍側にはそのような記録はなく、実際に殺傷したのは武器を持たない現地住民が大半だったようだ。島民には、小野田たちはまさに「山賊」であり、「鬼」だった。投降した小野田は、窃盗・強盗・殺人などで、本来なら死刑だった。小野田は任務解除後に一旦フィリピン政府に拘束された後、恩赦を受けている。日本政府はフィリピン政府に、世論を納得させるためと、見舞金3億円を拠出している。マルコス政権下では、このお金は被害島民には届くことはなかったようだ。

 小野田の著作『わがルバン島の30年戦争』のゴーストライターは、作家の津田信氏。津田氏は1974年4月から約3ヶ月間、伊豆で小野田と寝食を共にして聞き取りを行い、手記にまとめた。しかし氏は、3年後の1977年6月、代筆の真相を暴露した書下ろし『幻想の英雄-小野田少尉との三ヵ月』(図書出版社)を刊行。明らかに事実とちがうことを知りながら、書くことができなかった箇所がいくつかあり、読者に間違った小野田像を抱かせてしまったことを反省、小野田の「嘘」を告発し強く批判している。

 この津田氏の本は読んでないが、▼小野田が島民を蔑視し、物資を略奪、殺傷していたが、その中には正当化できない殺人があった。▼小野田は戦争終結を早い時期に知っており、残置任務など存在しない。▼密林を出なかったのは、頑固な性格に加え「現地人の復讐」を恐れたことが原因、出ていくには自分が無罪になる確証が必要だった、と津田氏は主張している。

 武装解除された後、マルコス大統領は小野田を「立派な軍人」と評し、帰還した際に「英雄」と称えられた 。一方で、帰国に際し「天皇陛下万歳」と叫んだことなどに対し、一部のマスコミは「軍国主義の亡霊」などとバッシングした。小野田を描いたこの映画は、カンヌで熱烈なスタンディングオベーションで迎えられた。戦争の愚かさと残虐さと、信念を持つ者の人間ドラマの側面が評価されているというが、映画はどこまで真相に迫まれたのだろうか、疑問は残る。

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