日光杉並木街道ウォーク
2021年10月10日 (日)、栃木県日光市の「日光杉並木街道」を歩く。
新型コロナウイルスの感染状況も減少傾向、10月から全国的に「緊急事態宣言」や「まん延防止等重点措置」が解除になった。感染防止を徹底し、久し振りに県外への外出。
車2台で8:00出発。東北道、日光宇都宮道路の今市IC、国道119号線(日光街道)を経て今市の「杉並木公園」東側駐車場に10:15到着。
「杉並木公園」の駐車場は3個所ほどあるが、駐めたのは東武日光線上今市駅の傍の公園東口。公園は杉並木(旧・日光街道)を含み、幅約150m、長さ約850mほどある。公園に並行して左手に国道119号線(日光街道)、右手が東武日光線が走る。
公園東口にある直径4.5mの水車が2つ並ぶ「重連水車」。
特徴のない広場だが、このあたりに江戸時代の「朝鮮通信使の今市客館跡」の小さな碑と説明板があった。
杉並木を歩く。
以下、日光市観光協会今市支部のパンフレット「いいね!今市」から抜粋。
「日光杉並木街道」は、日光街道・例幣使街道・会津西街道の3つの街道に渡り、全長37kmもの道の両側に1万2126本(令和2年度時点、栃木県文化財課調べ)もの杉の木がうっそうとそびえ立つ並木道です。徳川家の忠臣・松平正綱が20年余りの年月をかけて20万本以上もの杉を植樹し、家康の33回忌の年に日光東照宮の参道並木として寄進しました。
高さ約30mにも成長したこの杉並木は現在日本で唯一、特別史跡と特別天然記念物の二重指定を受けており、平成4年には「世界一長い並木道」としてギネスブックに認定されています。(※認定された長さは、35.4km) 毎年8月最初の日曜には例幣使街道をコースとした「杉並木マラソン」が行われます。
少し歩くと、大きめの駐車場(南側駐車場?)にあった散策マップ(写真をクリックすると拡大表示します)
公園内に、いくつかの水車を見かけた。ここ石臼でそば粉をひく小屋。
江戸時代、地元では杉線香の生産が盛んだったという。水車はその生産の動力にしたらしいが、豊富なので水車はいろいろな用途にも使われたようだ。
右手の東武日光線に沿って、大水車を右に見て進む。
用水円筒分水井から左に入って、再び杉並木を歩く。全般に並木のある地面と道路の高さが違う。
並木の地面より道路が低いのは、何故だろうか。植林したころから道路が低かったのか、土を盛ったところに植林したのか。道路が日光に向かってわずかに傾斜しているので、雨水で道路の土が流されたのだろうか。
朽ちた大きな杉の切り株や、大きな杉の根元が露わになった異様な姿の杉もある。
並木道の脇には、所々に側溝があり沢水が流れる。道の土壌が雨水で流されないように簡易な舗装をしてあるようだ。
11:20、「砲弾打ち込み杉」に到着。(写真をクリックすると拡大表示します)
1868年の戊辰戦争の戦火が栃木県にも及び、杉並木のこの地でも板垣退助率いる官軍と大鳥圭介率いる旧幕府軍の戦闘が行われた。この杉に残る大きな凹みは、砲弾が命中した跡。当時の戦火の激しさを今に伝える貴重な歴史の痕跡だという。
東武日光線のガード下をくぐり、11:35 「日光だいや川公園」に入場。
公園内のパークゴルフ場。
「日光だいや川公園」は、「日光の自然と悠久の歴史・文化へのいざない」をテーマに、地域におけるレクリエーション活動の拠点として位置づけられている公園。広い園内で、散歩やピクニックなどのほか、自然や文化と触れあいを提供するさまざまなエリア・施設がある。この日は日曜とあって、家族連れで賑わっていた。
オートキャンプ場、ニュースポーツ広場、フィールドアスレチックコースなど有料施設。園芸に関する相談や展示会・講座を行う「緑の相談所」、農業体験や料理・工作教室などを行う体験学習施設「だいや体験館」など。地域の農産物直売所やレストラン。11月に開催される「日光そばまつり」の会場にもなる。
「日光だいや川公園」の案内板。(写真をクリックすると拡大表示します)
公園の北側を大谷(だいや)川が流れる。大谷川は、日光市を流れる利根川水系・鬼怒川支流の一級河川。中禅寺湖を発して華厳滝を落ち、清滝付近で日光市内を東へ流れながら周囲の支流を集めて、日光市町谷で鬼怒川に合流する。
無料休憩所で、コンビニで事前に買った弁当で昼食、休憩。
12:20、「日光だいや川公園」を退場。往路の杉並木や「杉並木公園」内を散策しながら戻る。
13:05、公園内の名主「江連家屋敷」を見学。
江戸時代の世襲名主をつとめた江連家の天保元年(1830年)建築の母屋を1993年に市が移築。当時の名主や農民の暮らしを残す貴重な建築物。
現在は、防火や維持管理の上で茅葺きは、銅板葺に葺き替えられている。建築面積は91坪(約300㎡)、間取りは、馬屋、42畳の土間、22畳の囲炉裏(いろり)付き板張り居間のほか、囲炉裏付き茶の間や納戸、座敷など8畳~12畳敷きの間が6間、その広さに驚く。座敷は縁側(濡れ縁)で囲まれ、身分の高い者が使う式台玄関や、座敷の中の1つは床間・書院のある奥座敷(客間)となっている。
説明板には「入縁」と書いてある畳敷きの4畳または6畳の部屋が3つある。これは濡れ縁と座敷の間にある通路で、縁(えん)座敷と呼ばれて部屋数に含めてない。
庭に相当する場所には「日光杉並木保護賛同者の皆さま」の2基の提示板が建てられている。個人、企業、団体名が、年度別に並ぶ。
杉並木の保護のための基金として、寄付や1本1千万円のスポンサーを募り、保護事業を担っているという。学校、大学、自治体、企業名、個人名の中に、ゴルフの尾崎兄弟(将司と建夫)の名前を見つけた。
「江連家屋敷」にすぐ近くに「報徳仕法農家」がある。江戸時代の末、二宮尊徳の「報徳仕法」により建てられた一般的な農家を再現した。
「報徳仕法」とは、二宮尊徳によって説かれた、節約・貯蓄を中心とする農民の生活指導などを通じて農業経営のたてなおしと農村復興をはかる方法。この建物は、「報徳庵」という手打の蕎麦の店になっている、店内には、尊徳の生涯を展示してあるそうだが、入館せず。
ここから1Km東南に「二宮尊徳記念館」(日光市歴史民俗資料館)、2Kmほど東南に二宮尊徳を神様として祀る「報徳二宮神社」があるそうだ。
13:15、往路で見た「大水車」の前を通る。水車の直径が10m、幅85cm。
大水車の説明板
ちなみに説明板が古いのか、もっと巨大な大水車がある。埼玉県立「川の博物館」(寄居町)のシンボル「大水車」は、2019夏に改修工事が完成し、直径24.2mで木製の水車では日本一。改修前の水車は直径23mで2004年まで日本一。老朽化により2015年夏から停止していたがその後、岐阜県の道の駅に建てられた大水車(直径24m)に抜かれた。今回の建て替えで日本一を奪還した。
13:35、「杉並木公園」東口駐車場着。
ここから宇都宮に向かう日光街道の「七本桜の一里塚」には杉の根元に空洞があり大人4人ほどが入れる「並木ホテル」という珍しい杉の木がある。また更にその先の右側には、杉の割れ目に育った桜が、まるで桜が杉に寄生したような珍しい「桜杉」もあるそうだ。
地図で見ると、「杉並木公園」東口から、東へは杉並木が途切れ、国道119号線を追分地蔵尊まで約850m(徒歩11分)。そこからは国道121号線に平行に走る旧・日光街道の杉並木、更にそこから1.5Km(徒歩18分)のところに「並木ホテル」、更に300m(徒歩3分)先に「桜杉」があるようだ。
すでに今日は約12000歩、7Kmを歩いた。更に「桜杉」までの往復は、5.2Km(徒歩1時間10分以上)。久し振りのウォークで疲れたので、ここで中止し、高速が混まないうちに帰ることにする。
13:40、公園駐車場を出発。13:50~14:00、今市市街の「日光ろばたづけ」の店でお土産を買い帰路へ。16:00、出発地に到着、16:20、暗くならないうちに帰宅。
10月の曇り空の中、暑くもなく気持ちの良い秋のウォーキングだった。久し振りの長距離のウォーキングで、後で軽い筋肉痛が出た。
★ ★ ★
日光杉並木は、「日光杉並木街道」とも呼ばれる。「日光街道」、「日光例幣使(れいへいし)街道」、「会津西街道」の3街道にまたがる。旧・日光神領内にあたる大沢~日光16.52Km、小倉~今市13.17Km、大桑~今市5.72kmの3区間の両側にスギが植栽されている。総延長は35.41Km、世界最長の並木道として1992年(平成4年)ギネス世界記録に登録されている。
1617年(元和3年)、徳川家康の霊廟として日光東照宮が創建された。将軍家や諸大名が日光参詣をするようになり、江戸から日光への道路が急速に開け、江戸から宇都宮へ続く「奥州街道」も「日光街道」と呼ばれるようになった。松平正綱は、相模国の玉縄藩初代藩主。大河内松平宗家初代。家康・秀忠・家光の三代にわたって将軍家に仕えた。
正綱は、若くして側近として重用した家康の恩に報いるために、1625年(寛永2年)から20年以上にわたり、紀州から取り寄せた杉の苗木を植樹した。1648年(慶安元年)、家康の33回忌に参道並木として東照宮に寄進した。正綱はその年に亡くなり、嫡子の正信が杉を植え足して、今日に伝わる約1万5千本の並木となった。この並木は、日光奉行が管理することになって、枯れたりした場合には必ず補植の措置がとられ手厚く保護された。
明治以降は幾度も伐採の危機に瀕するものの、官民双方の有識者の努力によって大規模な伐採は避けられてきた。中でも、地元出身の林学者で「杉並木博士」と呼ばれた鈴木丙馬は、杉並木の研究と保護に生涯を捧げ、保護運動の中心となって活躍した。
開発によって当時の並木道を失った箇所もあるものの、植樹から400年近く経った現在でも約12,500本のスギが高さ30~40mほどに成長し、寄進碑や一里塚も現存するなど、日光東照宮へ向かう道は江戸時代の景観をよく伝えている。歴史的にも植物学的にも特に重要とされ、1954年(昭和29年)には日本で唯一、国の特別史跡と特別天然記念物の二重指定を受けた。また1986年(昭和61年)、「日本の道100選」のひとつとして選定された。
植えられてすでに400年近くが経過する。過密に植えられたため根や枝の競合や、街道を通る車の排気ガスや沿線の開発によって樹勢の衰えが著しく、毎年平均して100本以上の杉が倒木や枯死している。保護が叫ばれて久しいものの、このままでは100年後には消滅してしまうとも言われている。2000年代以降では、牛糞畜産堆肥の施肥、中空ブロック埋設による杉の根の保護、バイパス建設や杉並木オーナー制度導入により保護基金を設立して、保護対策活動に乗り出している。
●貴重な文化遺産を後世に残すために
杉並木街道には、「貴重な文化遺産「日光杉並木街道」を後世に残すために」という栃木県教育委員会などが設置した金属の説明板があった。
錆びたり苔むしたりしていて見にくかったが、以下に転載する。
日光杉並木街道は、我が国で唯一、国の特別史跡・特別天然記念物の二重指定を受けた、世界に誇れる貴重な文化遺産です。
その杉並木が今、環境の変化などで毎年少しづつ失われているため、栃木県では様々な杉並木保護事業に取り組んでいます。
ここでは、そのうちの一つとして、杉の根を保護するための工事(ポカラ工法)を実施しました。
【ポカラ工法】
道路と並木敷の高さが違う場合、その段差をなくし道路の下まで杉の根が伸びられるようにするため、畑土に畜産堆肥を混ぜた土壌を詰めた中空コンクリートブロック(ポカラ)を埋設する工法。この他に、杉の根が露出している場合、木の柵で土どめをし、そこに畑土に畜産堆肥を混ぜた土壌をいれて根元の状況を元に戻す「木柵工法」も実施しています。
これらの杉並木保護事業は、日光杉並木オーナー制度による運用益や杉並木保護のために寄せられた寄附金に加えて、中央競馬会(JRA )、(財)日本緑化センター、(社)国土緑化推進機構、(社)栃木県緑化推進委員会の支援を得て実施しました。
●日光杉並木オーナー制度
栃木県のホームページによると、「日光杉並木オーナー制度」は杉並木保護に賛同された方に、並木杉を1本につき1千万円で購入し、オーナーになってもらう制度。現在のオーナー契約本数は、557本(令和3年3月31日現在)。
県では、並木杉の売却代金を、「栃木県日光杉並木街道保護基金」で管理・運用し、その運用益により並木杉の樹勢回復事業などの各種保護事業を実施している。オーナー契約の解除する場合は、杉を返却するのと引き換えに、杉の売買代金を返却することになっている。
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