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2021年4月15日 (木)

比企・金剛寺と川島堤防

 2021年4月11日(日)、埼玉県比企郡川島町にある「金剛寺」の見学と川島堤防のウォーキング。

 前日の天気予報では、11日(日)も高気圧に覆われ、各地とも晴れて日差しがたっぷり届くという。最低気温はこの時期としては低くく、10℃を下回り、最高気温は、おおむね平年並みで、15~18℃くらいの予想。風も穏やかで、昼間は過ごしやすくなりそう。

●金剛寺・比企館跡(埼玉県川島町中山)

 9:35、比企氏館(やかた)跡の「金剛寺」に車で到着。この寺は、真言宗智山派・清月山元光院「金剛寺」と称する。

 住職が直々に案内、説明していただく。

 鎌倉幕府の比企能員(よしかず)ら比企一族は、北条時政、義時・政子親子らとの対立が深まり能員は謀殺された。その子・時員(ときかず)は戦って自害、一族のほとんどが戦死や自害して果て、滅亡した。生き延びた時員の妻は懐妊しており、比企岩殿山で員茂(かずしげ)を生んだと伝えられる。員茂は上京し順徳天皇に北面の武士として仕えるが、天皇崩御の後にその子・員長(かずなが)を伴って、密か比企郡に帰り岩殿山に潜居したという。

 その後の子孫たちは、比企郡のこの地から離れたのだろうか。安土桃山時代・天正(1573年~)の頃、員長から数えて10数代後の比企左馬助 則員(のりかず)の代になって、代々この寺の一帯に居館を構えるようになったという。寺の創建は不詳だが、天正年間に則員が中興したと伝えられる。

 幕末の1852年(嘉永4)に建造された山門(2016/9/23、筆者撮影)。

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 10年ほど前の2010年(平成22)に新築された金剛寺の本堂。

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 本堂前に建つ「本堂新築記念碑」の石碑に刻んである勧募者御芳名を見ると、比企家9人が金100万円~金1,000万円、合計5,200万円を寄進している。

 本堂の祭壇(2016/9/23、筆者撮影)。中央の本尊の阿弥陀如来像は、鎌倉時代の作とされる。

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 本尊のこの阿弥陀如来坐像は、則員の父政員(まさかず)の持仏として、かつて阿弥陀堂に安置されていたものを本堂に遷座したものだという。現在、川島町の有形文化財・彫刻に指定。

 本堂の右手に建つ「大日堂」(比企氏位牌堂)。建立は江戸時代とされる。東日本大震災で影響で建物が傾いているままだそうだ。今年3月、金剛寺山門とともに「大日堂」は国の登録有形文化財に登録された。

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 「本堂の右手に建つ「大日堂」(比企氏位牌堂)。建立は江戸時代とされる。

 堂内には獅子や鳳凰を描いた壁画や、龍の天井画が残されている。写真は、狩野派の画風と伝えられる「天井の龍」(冊子「金剛寺と比企氏」平成10年7月1日改編より転載)。

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 「大日堂」裏の竹林には、比企氏館の堀割らしい跡。

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 竹林の中を進むと、比企氏歴代の墓地(2016/9/23筆者撮影)がある。右端が則員(1616没)の墓石。義久(1642没)、久員(1684没)、雅久(1701没)らの墓が並ぶ。

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 昭和、平成の比企家の墓(2016/9/23、筆者撮影)。

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 本堂でお茶まで頂き、住職に御礼を述べて、10:40「金剛寺」を後にする。

 車で「落合橋」の北詰河原に移動する。


●落合橋
(おちあいばし)

 国道254号が、埼玉県西部を流れる荒川水系の越辺川(おっぺがわ)と小畔川(こあぜがわ)と合流点の上流で、入間川(いるまがわ)との3本の川を跨ぐが「落合橋」ある。川島町下伊草と川越市福田を結ぶ。3つの川を渡る治水の要衝に位置し、付近には治水に関する記念碑がある。なお、「落合橋」というありふれた名前の橋は、全国各地にあるそうだ。

 上下線で別々の橋になっており、上り線は1968年(昭和43年)、下り線が1977年(昭和52年)に架設された。橋長は562.60m、幅員は上り線9.50m、下り線9.75m。

 その北詰(川島町側)の河原に車を駐め、11:00堤防のウォーキング開始。

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 越辺川の左岸堤防を下流へむかう。舗装してあって歩き易い。時たまサイクリング車が通り過ぎる。河川敷には、樹木が多い。

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 後方の「落合橋」を振り返る。

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 20分ほど舗装された堤防上を歩き、下流に県道12号線に架かる「釘無橋(くぎなしばし)」が見えると、河原に下りる細い道を進む。

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 この「釘無橋」の手前の河原側の土手に地蔵菩薩が祀ってあり、「角泉(かくせん)の渡→釘無の渡」の標柱が立つ。江戸時代には「角泉の渡し」という渡船場があったという。

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 資料によると、1738 年以前~天保年間(1830 年ころ)、「角泉の渡し」は、川島町角泉と川越市府川を結ぶ(現在の釘無橋のやや上流)があったようだ。地蔵菩薩は水難除けで、1738 年の川越祭に行こうとして遭難した死者の冥福を祈って立てられたものらしい。渡船場は、その後天保年間に「釘無の渡し」に移ったそうだ。

●釘無橋(くぎなしばし)

 「釘無橋」は、入間川と越辺川に架かる県道12号線(川越栗橋線)の橋。川島町角泉と川越市府川を結ぶ。1973年(昭和48年)に架設。橋長:561.95m、幅員:8.00m。

 11:30「釘無橋」の歩道を歩く。橋の歩道から、越辺川下流の上尾市方面を見る。越辺川は、橋の下流500mほど先で入間川と合流する。

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 ここは、江戸時代は「釘無の渡し」という渡し場であった。「第一釘無橋」、「第二釘無橋」という冠水橋があったが、「釘無橋」の完成により撤去された。「釘無橋」の中央付近から、県道12号線を横断する。

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 右手に越辺川を見ながら、越辺川の右岸を上流に向かって進む。

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 正面は「落合橋」、左手は入間川。堤防の上は、舗装されていない。

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 右側は、越辺川と小畔川の合流点。堰がある。

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 更に小畔川の右岸堤防を上流(西)へ進み、11:55「落合橋」にぶつかり、国道254号線を横断する。写真は、橋を横断後に振り返った。

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 小畔川の右岸堤防を上流側に進む。

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 進行方向(南西の方角)の中央に奥多摩の御前山(標高1405m)と左手に大岳山(1266m)。

 三角形の赤い屋根はグループホーム施設。その前の白い屋根は、障害者支援施設。

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 西の方角、秩父の武甲山(標高1304m)。

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 更に小畔川右岸を進み冠水橋の「鎌取橋」の手前の空き地で、12:10~12:35休憩・昼食。

●鎌取橋(かまとりはし)

 「鎌取橋」(川越市平塚新田)は、小畔川に架かる小さな冠水橋。全長約20m、幅2.7m、欄干なし、鋼桁橋、橋面は木製、橋脚はコンクリート。「鎌取橋」は古くからある橋で、1847年(弘化4年)には既に存在していたという。同年に長さ7間(12.6m)、幅6尺(1.8m)、橋脚数4基の土橋(木造の橋で橋面には土を盛って舗装)に架け替えられた記録が残っているそうだ。

 12:45「鎌取橋」を通過。今度は下流に向かって、小畔川の左岸を「落合橋」に向かって進む。

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 堤防の左手にある朝日航洋(株) 川越メンテナンスセンターと朝日ヘリコプター(株)

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 13:10、「落合橋」へ戻る手前に、治水記念碑がある。石碑には、建設大臣・中村梅吉謹書の「原次郎先生治水彰功碑」が刻まれている。

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 原次郎は、1895年(明治28)埼玉県入間郡三芳野村紺屋(現在、坂戸市紺屋)の村の庄屋の家に生れた。入間川や越辺川の氾濫で、集落や耕地はたびたび水害に見舞われ、村は貧しかった。原は、戦前・戦後を通じて県会議員、入間川水系改修期成同盟会長として、長年にわたり入間川水系の治水に熱い情熱を注ぎ、入間川、越辺川、小畔川の国の直轄改修工事河川に指定や、三川分流工事の実現など治水に尽力したという。

 13:15「落合橋」着。橋の歩道を歩き、北詰に戻る。

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13:30、「落合橋」北詰河原の駐車場に到着。

 川島堤防コースマップ (マップをクリックすると拡大表示します)

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 小畔川は、「落合橋」の下流で越辺川と合流、越辺川は「釘無橋」の下流で入間川に合流。入間川はやがて、国道16号線に架かる「上江橋(かみごうはし)」の下流で南下してきた荒川と合流する。

 この日は風もなく春の暖かさ、最高気温19℃。約8Km、およそ2時間のウォーキング。堤防には一面、菜の花が広がり、とても気持ちの良い春の日和だった。

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