森林公園2021梅林と椿園
2021年2月14日(日)、「武蔵丘陵森林公園」(埼玉県滑川町)の梅林と椿園へ行く。
●梅林
10時過ぎ、「武蔵丘陵森林公園」南口から入園。徒歩10分ほどの「梅林」では、早咲き、中咲きの白・桃・紅色の梅の花が見頃。
ひだまりの南斜面に、約120品種・約500本の梅の木が植栽。
園内には数本のロウバイの花。
ほかにサンシュやマンサクの花木も。
梅の木の下には、福寿草が満開。2万本も植栽されているというが、開花しているのはそれほどの数は見当たらない。
やはり梅の木の下にはスイセンの花も。見ごろはこれからのようだが、ちらほら開花。
●椿園
「梅林」から西へ徒歩5分ほどの「椿園」に寄ってみる。展望塔の下から松林の南斜面に、「江戸ツバキ」を始め全国から集めた約400品種・約1000本の椿・山茶花が植栽。
早咲きのツバキの花が、チラホラ開花。
以下に、開花していた珍しいツバキを掲載する。
植物名ラベルを確認できなかったが、「薩摩」(さつま)という園芸種か?
「薩摩」は、鹿児島の島津家の磯庭園に原木がある椿。純白の千重咲きで、大輪の花を咲かせる。「薩摩紅」と呼ばれる真紅の品種もある。
「天ヶ下」(あまがした)は、関西ツバキ。濃い紅色地に、白い斑が入る中輪一重のラッパ咲き(花弁が反曲)。関西で栽培されてきた古典品種。
「菊更紗」(きくさらさ)は、江戸ツバキ 江戸時代に造られた品種で、千重咲きの中輪。白地に赤い線状の模様、いわゆる更紗模様。
「珠錨」(たまいかり)は、肥後ツバキ。桃地の花底に淡桃ぼかしが入る、 一重椀咲き(お椀の形)の中輪。細川藩の武士が愛好し、育ててきた「肥後ツバキ」という品種群がある。
●山田城址
公園の南口付近に「山田城址」の案内板があるが、これまで行った事がなかった。
公園敷地内の松林の中、小高い丘を登ってみると、空堀と土塁の跡。
土塁を越えると広場のような郭内にも、一部に土塁が設けられ、空堀もある。
「山田城址」の説明板が立つ。
「山田城」は、園内を通る「鎌倉街道」を押さえるた要衝にあり、戦国時代には松山城の支城であった説、また陣城であったという説もあるという。説明板にあるように1590年(天正18年)の豊臣秀吉による「小田原征伐」の際、北国軍の前田利家らの軍勢によって陥落したといわれている。桜のある花木園あたりに、「山崎城」というのもあったようだ。
14時過ぎ退園。
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ツバキは、容易に交配できるために花色・花形に変異が生じやすく、古くから新しい品種が造られてきた植物。徳川幕府が開かれると、江戸に多くの神社、寺院、武家屋敷が建設され、それにともない多くの庭園が造営され、ツバキも植栽されていった。特に徳川秀忠が吹上御殿に花畑を作り、多くのツバキを含む名花を献上させた。これが「江戸ツバキ」の発祥といわれる。
江戸時代には将軍のほか、肥後、加賀などの大名や京都の公家などが園芸を好んだことから、庶民の間でも流行し、たくさんの品種が作られた。現在、日本では約3000種類を超える品種が栽培され、欧米でも新品種が次々と造られているという。ツバキは、花の形で分類すると、一重咲き、八重(花弁が重なった)咲き、千重(せんえ=花弁が多く、花芯に雄しべがほとんど見られない)咲きなど約10種類の花形がある。
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