武蔵嵐山渓谷の秋
2020年11月26日(木)と27日(金)、埼玉県嵐山町(らんざんまち)の嵐山渓谷の紅葉狩り。
11月26日(木)12:15~15:30、晴れ。27日(金)8:45~12:30、曇り。
嵐山町遠山の嵐山渓谷観光駐車場に車を駐め、展望台に向かって大平山(標高179m)の裾野に沿って遊歩道を650mほど歩く。右手下の方に槻川(つきがわ)が流れる。
10分ほどで、かつての料理旅館「松月楼」の跡地に建つ展望台に着く。
昭和初期の武蔵嵐山(大平山頂からの風景)。嵐山町・嵐山町観光協会の説明板から転載。右下の建物が「松月楼」。
展望台から、眼下の嵐山渓谷を望む。正面の山は、塩山(標高165m、塩山は嵐山町での名称で、ときがわ町では正山)。
この地が、嵐山町名の発祥地という記念碑が建つ。
公益財団法人「さいたま緑のトラスト協会」は、埼玉のすぐれた自然や歴史的環境を後世に残すため、県民・企業等からの寄附金「さいたま緑のト ラスト基金」などを主な資金として、緑のトラスト保全地 を取得し、保全を図っている。
武蔵嵐山渓谷周辺樹林地は、「緑のトラスト第3号地」として「さいたま緑のトラスト基金」と嵐山町が取得している。
展望台から、南へ遊歩道を進む。
背後には、「大平山」。
黄色いモミジ。
展望台から300mほど進むと、与謝野晶子の詩碑がある。
昭和14年(1939)6月、歌人・与謝野晶子が娘の藤子と共に訪れ、渓谷の自然などをテーマに「比企の渓」29首を詠いあげた。
歌碑:比企の渓 26首目
「槻の川 赤柄の傘を さす松の 立ち竝(なら)びたる 山の しののめ」
しののめは、夜明けの薄明かりのこと。
歌碑の近くにススキの原があって、ここににはかつて「武蔵嵐山一平荘」があったそうだ。
展望台に戻り、今度は遊歩道を東に150mほど進みで、「沈下橋」を渡って槻川の河原に出る。
写真は、「沈下橋」を渡って、河原から下流を望む。
昭和初期の嵐山渓谷の写真、嵐山町・嵐山町観光協会の説明板から転載。正面の建物が、「松月荘」。
河原から、展望台を見上げる。
「月川荘キャンプ場」付近の槻川上流。正面は、塩山。
やや見頃を過ぎているが、水の流れも緩やかで映る紅葉も美しい。
「沈下橋」に戻り、更に遊歩道を500mほど東へ槻川の下流に行くと、「飛び石」がある。
「飛び石」のあたりから、上流を望む 。
「飛び石」付近から下流の「槻川橋」を望む。右手の河原を400mほど歩くと、橋のたもと付近に「嵐山渓谷バーベキュー場」がある。
再び展望台へ戻り、帰りは来た時の山側の道と並行した川側の遊歩道を歩いて駐車場へ。
陽が傾き、やわらかな晩秋の西日が、紅葉を染める。
★ ★ ★
槻川(つきがわ)は、荒川水系、都幾川の支流。外秩父山地の東秩父村白石の堂平山(標高876m)付近に源を発する。東秩父の山間と小川町の盆地を抜け、嵐山町の遠山地区へと地形に沿って頻繁に屈曲を繰り返して流れ込む。小川町は、槻川の清流を生かした小川和紙(細川紙)の生産地として知られている。
槻川は、遠山地区で大平山(標高179m)の裾に沿って南流すると、塩山の北麓に当つて流路は大きく転回、ヘアピンカーブとなって北に方向を変え、半島状の細原と呼ばれる独特な地形をつくりだしている。そして再び大平山の南麓に突き当たり、東に転じて都幾川に向つて流れ去る。遠山地区の岩場によって流路を狭められ、都幾川左岸で合流する「二瀬橋」の手前までが渓流となっている。嵐山渓谷の地形は、秩父・長瀞の岩畳に似ている。
武蔵嵐山のGoogleマップ。(クリックすると拡大表示)
1928年(昭和3年)秋、「日比谷公園」など多くの公園を設計した林学博士・本多静六(1866-1952)が当地を訪れ、渓谷の最下流部にある「槻川橋」より渓谷と周辺の紅葉や赤松林の美しい景観を眺め、京都の嵐山(あらしやま)によく似ていることから、この地を武蔵嵐山(むさしらんざん)と命名した。
東京大学農学部教授 本多静六(旧名:折原静六) 出典:ウィキメディア・コモンズ。
本多が命名した「武蔵嵐山」は、大変評判となって多数の観光客が訪れて賑わった。「武蔵嵐山」は、駅から観光客の長蛇の列が渓谷まで続くほど人気のスポットとなったという。1935年( 昭和10年)には、最寄り駅の東武東上線菅谷駅は、武蔵嵐山駅に改称。その後1967年(昭和42年)に、比企郡菅谷村は町制施行により嵐山町(らんざんまち)と改称した。
しかし戦後になって観光は振るわず、「松月荘」は本格的な営業がないまま経営者が変わって、神楽坂にあった割烹「一平荘」の支店として「武蔵嵐山一平荘」と改名。1955年(昭和30年)ころから営業を開始したが、1975年(昭和50年)には閉店して放置され、1979年(昭和54年)に焼失した。
しかし時代が変わり、「武蔵嵐山」の景勝地を訪れる人々が再び増えてきた。1997年(平成9年)、この一帯は「さいたま緑のトラスト基金」と嵐山町で買収し、緑のトラスト保全第3号地として整備されている。都心から車で約1時間とアクセスが良く、特に「槻川橋」下の「嵐山渓谷バーベキュー場」には、毎年10万人に近い観光客が訪れている。
嵐山町は、人口は約1万8千人。「武蔵の小京都」とも称されていて、全国京都会議に加盟している。
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