「まなびのみち」ウォーク
2011年11月14日(土)、「まなびのみち」ウォーク。東武東上線高坂駅(埼玉県東松山市)から、標準13Kmのコース。
かつて太平洋セメント(株)と秩父鉱業(株)の貨物専用路線として運用されていた廃線敷。東松山市は太平洋セメント(株)から寄附されたこの廃線敷を、市内の「まなび」の要素を取り入れた観光拠点を結ぶコース「まなびのみち」として整備した。
東武東上線の高坂駅西口(埼玉県東松山市)を9:35スタート。
東上線の線路沿いに北に向かって歩く。
コースには、遊歩道を除いて黄緑色のマーカー線が引かれ、分岐点では案内標識が立って分かりやすい。
駅前から300mほど歩くと、廃線敷の遊歩道。「まなびのみち」の廃線敷は1.3Kmほど、悪戸(あくと)バス停(大字西本宿)付近(10:00)で途切れる。
一般道を歩き、大字葛袋(くずぶくろ)交差点から関越自動車道の下をくぐり西へ向かう。駅から3Kmほどの「化石と自然の体験館」に10:20到着。入館せず、ここの駐車場で休憩。
葛袋の地域には、1500万年前のサメの歯をはじめ、さまざまな化石が発掘されることで知られる。これらの化石を含んだの岩塊を使って、化石発掘体験ができる、県内唯一の施設。化石発掘を体験しながら、地層について学ぶことが出来、県内外から親子連れがやって来る。
体験館の建物は、ここに貨物線駅の駅があったことからその駅舎を、建物内部はサメの骨格をイメージして建てられたという。
この辺りの高台は、葛袋産業団地として造成・開発され、2014(平成26年)3月 に完成した。現在、ヤオコーデリカ・生鮮センター、しまむら商品センター、佐川急便物流センターなどいくつかの倉庫群が並ぶ。
10:30「化石と自然の体験館」を出発。「ヤオコー倉庫の東隣に、駐車場とベンチ、トイレしかないが、綺麗な芝生の「ばんどう山第1公園」がある。
10:40公園の北東の隅の案内標識から、丘陵の遊歩道を歩く。左手には、「高坂カントリークラブ」があるが、林や藪に遮られて見えない。遊歩道として良く整備されていて、しばらくは、ほぼ真っ直ぐな道が続く。これも貨物線の跡かと思えるが、コースは所々アップダウンや、急に折れ曲がったりするので、線路跡ではない。何に使われていた道だったのだろうか。
11:05、急な階段を下る。
階段を下るとすぐに、再び貨物線の廃線敷の遊歩道が続く。
廃線敷きは緩やかに下り、11:30高本稲荷神社(大字下唐子)の付近でY字路の車道の手前にぶつかって終わる。
廃線敷の終点の見晴らし。手前は大字神戸(ごうど)の集落、下唐子の田園が広がり、その先は上唐子方面。
廃線敷き終点を左に折れ、更にY字路を左に長い急坂の車道を上る。坂の途中、Googleマップ写真の左手の鉄扉の先は、「清澄ゴルフ倶楽部」。ここで休憩、呼吸を整える。
坂道を登り切るとしばらく平坦な道が続き、11:50右手に社会福祉法人「愛弘園」がある。
この先は長い下り坂。物見山の「ピースミュージアム」の展望塔が見える。
長い坂道を下りきったところで車道を右折、更に右折して細い山道を「市民の森」に向かう。
この辺りは、谷津田(やつだ)と呼ばれる雑木林に囲まれた谷地にゆるい棚田状の水田が残る。
12:10、武蔵野の自然を色濃く残す広大な「市民の森」に入る。
森の中に遊歩道や東屋が整備され、ハイキングや散策に最適な市民の憩いの場所。
市営駐車場を抜て狭い階段を下り、板東三十三ヶ所観音霊場の一つ「岩殿観音正法寺」の観音堂に13:00到着、参拝。
観音堂のほか、本堂、薬師堂、百地蔵堂、石仏、鐘楼、仁王門などがあり、観音堂のそばの推定樹齢700年の大イチョウは有名。黄葉の見ごろにはまだ早かった。
寺伝では養老2年(718年)に沙門逸海が岩殿山の岩窟に観音像を安置し、傍らに正法庵と号した草庵を結んだのが始まりという。
鎌倉時代、比企郡一帯を治めた比企氏が深く帰依した「岩殿観音」を、頼朝の庇護のもとに頼朝の妻・北条政子の守り本尊として、比企能員(よしかず)が復興、坂東札所の第十番となった。頼朝没後の正治2年、亡き頼朝の志を継ぎ、政子が堂宇を再建している。頼朝は、大変に観音信仰が厚く、実朝とともに坂東三十三観音霊場を制定したと推測されている。
県道212号線を横断し短い階段を登れば、13:10物見山の山頂。東屋のある物見山の山頂は、標高135m。ここで、遅い昼食。
物見山のある「物見山公園」は、四季を通じて比企丘陵の自然を楽しめ、特に春には4万本のツツジが咲く。
古くから引き丘陵を代表する展望の地として知られる。山頂から東の方角を望む。
まだ紅葉には早い「物見山公園」を散策しながら、 14:00公園内にある「ピースミュージアム」(埼玉県平和資料館)に入館(入館無料)。
戦争の悲惨さと平和の尊さを伝えるための資料館。
戦時中の生活用具など資料展示のほか、国民学校の教室や防空壕の実物大復元模型で、授業や空襲の疑似体験が出来るそうだ。
このほか「ビルマの竪琴」「火垂るの墓」などの映画会、「最後の空襲くまがや」(30分)などのミニアニメ、各種イベントも開催。
「ピースミュージアム」の展望塔の展望室にエレベータで上がる。
海抜147.5mの展望室から南東の方角を望む。中景は川越方面、遠景は都心(上野方面?)のビル群。左手には東京スカイツリー。
14:35「ピースミュージアム」を後にして、県道212号線(岩殿観音南戸守線)を高坂駅に向かって下り坂を歩く。
大東文化大学のキャンパス、埼玉県こども動物自然公園の前を通り、並木通りから関越自動車道の陸橋を渡ると、彫刻通り(高坂彫刻プロムナード)。
東武東上線高坂駅西口までの通りの歩道の両側、およそ1kmにわたり、一人の彫刻家の作品が多数展示されている。
1980年、当市で彫刻展と講演を開催したことが縁になって、田口弘(元東松山市教育長)と親交のあった 高田博厚(たかたひろあつ)の32体の彫刻作品群が点在。1986年の高坂駅西口区画整理事業実施に伴い、東松山市によってまちづくりの一環として設置された。
新渡戸稲造 1976年
宮沢賢治 1971年
空 1978年
憩う 1976年
15:40、高坂駅西口に到着、解散。
午前中は少し風があったが午後からは止み、秋晴れの良いウォーキング日和だった。疲れが脚だけでなく腰にも来たのは、上り下りが多かったせいか。歩数計では約25,600歩、歩程約15Kmだった。
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「まなびのみち」の途中にあった貨物線跡の説明板。(写真はクリックすると拡大表示します)
説明板【まなびのみどころ】セメント原材料を運搬した貨物線跡 の内容は以下のようである。
まなびのみちの一部区間は、廃線敷を利用しています。
この線路は、昭和30年(1955年)10月から約30年間にわたり、葛袋(第1採掘場)と高本(第3採掘場)で採掘されていたセメント用原材料(粘土)を運搬するために使用されていました。
線路の長さは約5.5kmであり、そのうち断続的に約2.4km分が今日まで残っていました。その線路跡を、平成27年(2015年)に太平洋セメント株式会社様及び東松山葛袋開発株式会社様の御好意により廃線敷遊歩道化事業用地として東松山市に寄贈していただき、整備しました。
高度成長期の日本を支えたセメント原材料を運んだ貨物線。 市は、この廃線敷を観光拠点を結ぶ遊歩道「まなびのみち」として整備、2018年(平成30年)4月に完成した。
1923年(大正12)、石灰石の大鉱床として知られる武甲山のふもとの地に、秩父セメントが創業した。朝鮮戦争勃発による特需を受け、生産力を増強するため、別の敷地に秩父セメント第2工場が1956年(昭和31)に竣工した。秩父セメントは、1990年代にセメント業界の再編により小野田セメント、日本セメントと次々と合併を果たし、太平洋セメントとなった。
さらに2000年(平成12)、太平洋セメントの子会社として秩父太平洋セメントが設立され、第1工場が操業を停止。旧秩父セメント第2工場は現在、秩父太平洋セメント秩父工場と名前を変えて操業している。
高田博厚は、日本を代表する彫刻家・文筆家。1900年(明治33)石川県七尾市生まれ。少年時代から文学・芸術に目ざめ18歳で上京し高村光太郎と出会い、光太郎の勧めで彫刻や翻訳に従事する。
1931年(昭和6)の31歳で、妻と4人の子どもを残して単身パリへ渡る。ロマン・ロラン(作家)やアラン(哲学者)、ポール・シニャック(画家)、ジョルジュ・ルオー(画家)をはじめヨーロッパの知識階層と交流する。生活のために、在欧日本人向の日刊紙『日仏通信』を立ち上げ、第二次世界大戦中も日本に戻らず新聞記者として活動、パリ外国人記者協会副会長も務める。27年近くパリに滞在後、1957年(昭和32年)に57歳で帰国した。
帰国後も精力的に創作活動を続け、新制作協会会員、日本美術家連盟委員、日本ペンクラブ理事、東京芸術大学講師などを務める、九州産業大学芸術学部の創設に尽力した後、徐々に引退し制作のみに専念する。1987年(昭和62年) 、87歳でその生涯を閉じた。
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