前日光・古峰ヶ原高原
2020年9月27日(日)、栃木県鹿沼市の前日光・古峰ヶ原(こぶがはら)高原(標高1144m)ハイキング。
7:00、レンタカーで出発。8:25、東北自動車道の鹿沼ICを降り、大芦川に沿って県道14号線(鹿沼日光線)を北上。日光方面は、川遊び場の「西大芦フォレストビリッジ」で県道14号が右に折れるが、直進は県道58号線(草久足尾線)となる。大芦川を右に見ながら西進する。鹿沼市街から県道14号と58号を経て古峰ヶ原に向かう道路は、別名「古峰ヶ原街道」と呼ばれる。
古峯神社の手前6kmの場所に、巨大な「一の大鳥居」。(古峯神社パンフから転載)
基礎は鉄筋コンクリート、本体は厚さ1.2cmの耐候性鋼板。高さ24.6m、笠木の長さ34.2mで柱の太さは直径2.4m。鋼材重量だけで100トン、高さは8階建てビルに相当するという。初代一の鳥居(寛政9年建立)から数えて4代目に当り、1974年(昭和49年)1月に建立された。
赤城神社の大鳥居(前橋市)が、高さ21.3m、笠木巾28.0m、柱径1.7mなので、それより大きい。
9:20、「古峯神社」(標高744m)参道の土産屋「栄屋物産店」前の駐車場に到着。
お土産屋の主人に指示され、車は少し離れた大型バスも駐車可能な大駐車場に駐める。
9:40、小雨・霧雨の降る中、カッパを着て傘をさして出発。4Km先の「古峰ヶ原高原」に向かう。
曲がりくねった坂道(県道58号線)をひたすら登る。
10:15、左手に大芦川に注ぐ沢。
出発1時間後の10:40頃、左手に古峰ヶ原高原1.3Kmの山道(関東ふれあいの道)のへ分岐。「熊注意」の看板あり。
この分岐のすぐ先には、車10数台は可能な駐車場らしきスペースがある。
「山と高原地図」には、ここがハイキングの始点。県道58号線に平行したコースで古峰ヶ原峠まで45分、「山道荒れている」と記載されている。小雨も降っているので、県道58号線を歩くことにする。
11:35、古峰ヶ原峠(古峰ヶ原高原入口)着。
峠には、5台ほどが駐められる駐車場、東屋と「高原の鐘」がある。東屋で休憩、昼食。
「高原の鐘」には、以下のような説明があった。
古峰ヶ原高原は、多くの苦難を乗り越えて日光山を開山(782年、男体山初登頂)した勝道上人(しょうどうしょうにん)が、修行したところと伝えられる。(中略) 郷土の山々に親しみ、その恩恵に感謝する意義を後世に伝えたいと願い、「山の日」制定を記念して、ここに「高原の鐘」を設置する。 平成28年8月11日 鹿沼山岳会・・・(後略)
ここからは「修験行者のみち」は西に進み、「深山巴の宿」を経て、わたらせ渓谷鉄道の通洞駅に至る3Kmの健脚向けコース。また、ここから南に進むと、三枚石(さんまいせき、1378m)、方塞山(ほうさいさん、1388m)、前日光牧場(前日光ハイランドロッジ)を経て井戸湿原まで5Kmの「高原と牧場のみち」で、健脚向けコース。これらを含め、いくつかのハイキングコース「関東ふれあいの道」がある。
一方北側には、行者沼や行者岳(1329m)を経て地蔵岳(1483m)・夕日岳(1526m)へ向かう登山コース「禅頂行者みち」があり、尾根筋にあたることから眺望が良い。このルートがまさに勝道上人の日光開山の道であり、今も薬師岳(1420m)を越え、茶ノ木平、中禅寺湖へと伸びている。
12:05、峠を出発。「修験者のみち」を進む。出発して2、3分で古峰ヶ原高原ヒュッテ(避難小屋)がある。
室内は中はきれいだが、宿泊禁止。周辺でのバーベキュー禁止との看板がある。
ヒュッテの前には湿原が広がるが、霧で見通せない。
ヤシオツツジ、ヤマツツジ、コメツツジなど多くのツツジ類に囲まれた湿原、ヌマガヤ(沼茅)、ミズゴケ(水苔)など、数々の湿原植物や草花が生育しているという。
遊歩道に沿って歩く。
湿原を離れ、静かな林の中を進む。
日光修験の拠点だった史跡 「深山巴の宿」(じんぜんともえのしゅく) の入口。ここは、栃木県指定の重要文化財史跡となっている。
地図を見るとこの辺りは、鹿沼市と日光市(足尾町)との市境付近。巴の宿は、少し窪地なっているエリアで、周囲には崩れた石垣と堀がめぐらせてある。
12:30、大きな檜の下の石祠には勝道上人と日本武尊が祀られている。ここは、日光修験の峰修行の拠点として長い間重要な役割を果たしてきたという。
古峯ヶ原高原にある「深山巴の宿」は、日光開山の勝道上人が、「明星天子」の示現により、修行の地として定められた所。「明星天子」とは、虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)の化身・象徴とされる金星(明けの明星)で、知恵の菩薩ともされ、人々に知恵を授けてくれるともいわれる。
上人はこの場所に草庵を結び、修行を積み、日光開山の発祥の地となった。後には全日光僧坊たちが、千年の永きに亘り明治初年に至る迄修行が行われた。樹林の中に、巴形に清水が湧き出る池があり、「巴の宿」と呼ばれた。現在では禊(みそぎ)場としても使われている。また上人の偉業をたたえ、「古峯神社」の奥宮としている。
12:45、古峰ヶ原峠にもどり、2、3分ほど休憩して下山開始。14:05、「古峯神社」の駐車場に到着。
14:25、「古峯神社」に寄る。境内へ向かうと、鳥居の右に「古峯神社」と記した石塔があり、裏には「吉田茂謹書」とある。戦後初の総理大臣の懐かしい吉田茂に、こんな所で会えると思ってなかった。
先に進むと各地の「講」が奉納した石碑もズラリと並ぶ。神社のサイトによると、当神社は講組織をもち、交替で代参を行う附属の講中が 全国に約2万もあり、崇敬者は200万を超えるとのこと。
右手にアパートのような2階建ての建物。参拝者が宿泊する「宿坊」かと思ったが、「参籠」(さんろう、宿泊)施設。
「参籠」とは、神社仏閣などにあらかじめ定めた日数の間とじこもっ て、心身を清め祈願・修行すること。俗に「おこもり」という。 当神社には、大広間、中広間や大小の参籠室が整っていて、「参籠」施設には一晩に約350名が宿泊できるという。このアパートのような建物は、別棟の家族向け(個室)の参籠部屋のようだ。
「古峰ヶ原郵便局」の標識もあった。参籠者が、ここの消印で送る郵便物は、受け取った人にはご利益がありそうだ。
境内を進むと、左手には日本庭園「古峰園」の入口。
反対側の右手に折れ、更に鳥居をくぐって階段を登ると拝殿がある。
この神社は、茅葺き屋根で、長屋にように横に長い建物になっているのも珍しい。
神社全景(古峯神社ホームページから転載)
家内安全を願って参拝。透かし彫りの彫刻が素晴らしい。
ご祭神は、日本武尊(やまとたけるのみこと)。1300数10年前、臣下の藤原隼人が京都からこの地に移住し、日本武尊の神霊を祀ったのが始まりと伝わる。開運火防、五穀豊穣、また交通安全などにご利益があるとされる。
拝殿の右側に入口があり、自由に中に入ることが出来る。参拝して入室する。この建物の中には、大広間(300畳、最大150名収容)、中広間(100畳、50名)、天狗の間や、いくつかの個室、社務所のほか、直会の間(食堂、200畳)、潔斎所(大浴場、小浴場)もある。そのほか別棟に茶室「峯松庵」がある。
江戸時代には「古峰ヶ原天狗」(日光天狗)として、鞍馬山、愛宕山、秋葉山などのように天狗信仰で有名になった。天狗はご祭神のお使いとして、崇敬者に災難が起こった時、直ちに飛翔して災難を取り除いてくれる(厄除け・開運)スーパーマンのような威力の持主として、広く民間信仰を集めている。「古峯神社」は、別名「天狗の社(もり)」とも呼ばれる。
熱心な信者から心願成就に奉納された大小多数の天狗面がある。中でも江戸時代に奉納されたという二つの巨大な天狗の面が、「天狗の間」にある。鼻の高さが91cm、重さ約150Kgもあり、厄除けの神として信仰されているという。
鼻の長く赤い天狗(右)を「大天狗」、黒いくちばしのある天狗を「烏天狗」という。
当社では天狗の図柄が描かれた有名な御朱印があるそうだ。テレビでも紹介されているほど人気があり、書き手により全部で10数種類ほどあるという。見本が掲示されており、好きな御朱印を選ぶことができるそうだ。 御朱印ブームの走りは、この神社だったとのこと。
廊下の奥の方、食堂の入口付近に「不滅の御神火」がある。説明板には、以下のように書いてあった。
古峯神社では創祀以来御神火(聖なる火)を絶やしたことがありません。この爐(いろり)にかかる大湯釜は直径七〇センチメートル、容積八〇リットルが入り一回でおよそ五〇〇名分の湯茶を賄うことができます。この爐よりわき立つ霊気(湯気)に当たれば無病息災で過す事ができるといわれております。
廊下に掲げられた奉納者名簿の額に、中曽根康弘、後藤田正晴、山口敏夫、柿澤弘治の政治家の名前を見つけた。
拝殿から石段を降り、正面にあるのが「古峯園」(こほうえん)。14:50、大芦川に架かる太鼓橋を渡り入園する。入園料300円。写真は入園チケット。
「古峰園」は、「古峯神社」の神苑で、回遊式日本庭園。料金所から苔むした杉木立を抜けると池が広がる。園内を周遊。
大芦川の清流が「峯の滝」を通じて注ぎ、水辺に錦鯉が群れる「峯の池」。正面に「峯の茶屋」、手前は菖蒲園。
「峯の茶屋」は軽食・懐石料理 、土産品など。ここから園内の展望良し。
休憩所の「静峯亭」。
「峯の池」と「静峯亭」を望む。手前はサツキの植栽。
春は梅や桜、5月はヤマブキ・シャクナゲ、6月はサツキ、菖蒲、アジサイ。8月は萩。例年10月下旬から11月は、紅葉の見ごろだという。この時期は、端境(はざかい)期で、花がなくて残念だが、手入れがよく行き届いて素晴らしい庭園。
庭匠・岩城亘太郎氏が大芦川の清流を引き、広大な山々に囲まれた自然の地形を巧みに生かして、約3年の歳月を経て1978年(昭和53年)完成。敷地約99,000平方m(3万坪)。
15:30「古峰園」を出て、お土産屋「栄屋物産店」の主人の呼びかけで、お茶とゆべし饅頭をいただき、お土産を買う。
15:45、「古峯神社」の駐車場を出発。東北道で事故渋滞に巻き込まれながら、17:10出発地へ帰着。
勝道上人について、本ブログの関連記事は、以下の通り。
「日光白根山」2019年09月12日投稿
http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2019/09/post-de1165.html
「湯元温泉と戦場ヶ原」 2019年09月14日投稿
http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2019/09/post-ec1adb.html
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「前日光」は初めて耳にしたが、栃木県西部に位置し鹿沼市北西部で足尾山地の北部を占める「前日光県立自然公園」のエリアを指す。面積 109.82km2。1955年指定された。横根山 (1373m)、古峰ヶ原 高原および大芦川の渓谷美を中心とし、「古峯神社」や、石裂山 (879m) 西麓の加蘇山神社など昔からの信仰が残る社寺がある。
華厳滝より上流を「奥日光」、下流を「表日光」というらしい。また日光火山群の北、鬼怒川上流の塩谷郡栗山村を「裏日光」(奥鬼怒)、日光市の南部から上述のエリアを「前日光」と呼ぶ。表・奥・裏日光は「日光国立公園」に含まれるが、「前日光」は「前日光県立自然公園」に指定されている。
「講」とは、同じ信仰を持つ人々が集まった組織。講元・世話人が中心となり、参拝に関する費用や運営をその仲間で行う。また「代参」とは、講員の中から毎年、幾人か選出した講中の代表。代参人は、参拝に当らなかった講員に、ご祈祷の御札を授与する。毎年交替で、全講員が代参人となる。
大型バスが何十台も駐められる大駐車場、食事や宿泊が出来る大広間や中広間、個室、大浴場、それに立派な日本庭園、茶室を備えた神社は、あまり聞いたことがない。毎年、よっぽど多くの信者が参拝、参籠にやってくるのだろう。
伊勢講、成田講、金毘羅講、大山講、富士講、御嶽講・・・などはよく聞く。古くから「古峯信仰」という「古峯講」もあるということを知って納得した。日本武尊が相模国で野火に囲まれたとき、奇策を用いて火を鎮めたことから、火除け(無火災)、無災害、家内安全、村内安全の神として庶民に信仰された。近世以降も、関東や東北一円に数多くの「古峯講」が設けられ、順番に代参を出した。現在も栃木県内はもちろん福島県内には約2100の講があるという。中でも会津地方には盛んで、村内には「古峯神社」の社殿や既存神社に「古峯神社」の石塔が建てられているそうだ。
古峯神社の本殿でのご祈祷(古峯神社パンフより引用)
300畳の大広間での食事風景(古峯神社パンフより引用)。中広間を始め直会場(食堂)などで食事(神饌料理)ができる。
大広間での参籠(古峯神社HP引用)、ほかに中広間始め大小各種の個室など参籠室が整い、一晩に約350名が宿泊できるそうだ。
また「古峯神社」のサイトによると、一般の参拝目的以外に宿泊や研修会などが出来るよう、宿舎や会場利用の便宜を計っているという。学校関係の林間学校やスポーツ、大学サークルや茶道、書道の合宿、一般企業や各団体の研修会などに利用され好評を得ているのだそうだ。
「古峰園」の園内には、裏千家の代表的な茶室「又隠」(ゆういん)を模した茶室「峯松庵」、名家から茶席と待合が移築され、一部に金閣寺の古材を使った茶室「翠滴」、立礼席(りゅうれいせき、椅子に座っ た茶席)の「静峯亭」などの茶道施設がある。1982年(昭和57年)以来、現在まで27回、毎年10月下旬に全国から数100人が参加する「古峯茶会」が盛大に開かれているそうだ。
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