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2020年8月31日 (月)

すぐ死ぬんだから

 2020年8月29日、内舘牧子の小説『すぐ死ぬんだから』を読み終える。

 小説『すぐ死ぬんだから』は、『小説現代』の2017年12月号~2018年3月号に連載、2018年8月23日に講談社より単行本が刊行された。また、くさか里樹の作画により漫画化され、『WEBコミックトム』で2018年9月~2020年4月に配信されている。

 2020年8月23日から、NHK BSプレミアムとNHK BS4K「プレミアムドラマ」でテレビドラマ化、「人生100年時代の新!終活ドラマ」として三田佳子主演で全5話が放送されている。

 

 お洒落に気づかい、加齢に逆らって、若く見せる努力を重ねる78歳の女性が主人公。いかにして品格のある老後を迎えるかを描いた「終活」小説。人生の終盤におとずれたどんでん返しの荒波に溺れるが、最後は乗り越えて「品格ある老後」を手に入れる。「残りの人生、思い切ってみようかな。すぐ死ぬんだから」と、前を向いて歩き出す。

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 78歳のハナは、夫・忍(おし)岩造と一緒に営んでいた酒店を息子に譲り、近所のマンションで隠居生活をしている。10年前ブティックの店員に、「70ちょっとにしか見えない」と言われ目が覚める。実年齢見られない努力を重ね、気合を入れて老いを遠ざけ、美しさと若さを保つ。10年ぶりに開かれた同期会では、「無理して若作りして」と言う女友達の前で、「年とともにナチュラルという人いるでしょ。あれも危険よねえ。要は面倒くさがりの無精になるということだから」と本音を吐く。

 ただ家に帰ると、娘の苺(いちご)には「その年になると、普通の人より派手な服を着ているだけで奇抜なの。今はいいよ、ちゃんと奇麗。でもここがボーダーライン。ギリだから」と注意されたりする。周囲の視線をよそに、ひとり鼻高々で奔放に生きる。折り紙だけが趣味の真面目な岩造は「ハナと結婚してよかった」が口癖。優しい夫や子供や孫にも囲まれ、まあまあ幸せな老後だと思っていた矢先、岩造が突然亡くなる。

 葬儀を終えた後は、呆然自失で自慢の外見を気にする気力もない。だが、折り紙だけが趣味だった夫のために、せめて個展を開こうと奮起。遺品となった折り紙を整理すると、自宅から遠く離れた外科の診察券と一枚の写真を見つける。日付の書かれた写真は若い男で、そのイケメンはお通夜に来ていたと、孫のいずみが覚えていた。やがて真実を知ることになって、物語は急変、ハナは嵐の中に巻き込まれていく。

 ★ ★ ★

 『週刊朝曰』に、内館牧子の連載「暖簾にひじ鉄」というコラムがある。2020年8月28日号の「すぐ死なないってば」という題で、自著の『すぐ死ぬんだから』についての記事があった。

 この小説は、高齢になるほどに外見を磨く方がいいという物語である。傾向としてだが、人は加齢と共に自分に手をかけなくなる。・・・(中略)・・・「楽だからいいんだよ。どうせすぐ死ぬんだから、楽が一番」。・・・(中略)

 加齢と共に「楽が一番」となり、その証拠が今、町中にあふれている。高齢者のリュック姿だ。高齢者(中には中年も)はどうしてあんなにリュックを背負うのか。どこに行くにもリュックだ。一泊旅行もクラス会も、ちゃんとした集まりにも、散歩にもリュック。大きな理由のひとつは「楽だから」だろう。・・・(中略)

 そんなある日、私は70代後半から80代の男女が集まる会合に、オブザーバーとして出席した。驚くべきことに、出席男女の外見が「リュック系」と「洒落た系」にくっきりと分かれていた。両者の差は大きかった。とにかく、受ける印象がまるで違う。

 「洒落た系」は若く、活発で物おじしない。他者にも気を配る。これは自信のなせるわざだろうと思う。そういう中で、特に「リュック系」の女性たちは同系で話し、どこか不快気だった。これは本音として「同年代なのに私は婆サンだ」と思ったのかもしれない。

 本書は、「リック系」から「洒落た系」に変身した78歳のハナの物語だそうだ。しばらくして、NHKから内館に三田佳子がハナを演じたいと希望しているという連絡があったという。三田は主人公と同じ78歳、願ってもない主演だとしてNHKのBSプレミアムで放送されることになったと明かしている。筆者は、この内舘のコラム記事を読んで、小説の題名「すぐ死ぬんだから」に興味を持った。

 三田佳子は、1996年には子宮体癌が発覚し入院、手術と5度の抗がん剤治療が成功し退院している。また2018年5月には、頸椎(けいつい)硬膜外膿瘍(のうよう)で手術・入院している。そういった病気のこともあってか、次第に出演作品は減少、あまり見なくなった。そんな三田が、連続ドラマに23年ぶりの主演。主人公と同じ実年齢の78歳。久しぶりに見る三田は、正直いって歳を重ねた分、昔よりも老けた感じ。ちょうどこの物語のように、若く見せる努力を重ねるヒロイン、ハナを演じている。

   

 ★ ★ ★

 10年ぶりの同期会にハナは同級生たちは「年なんだから楽が一番」と言い、「どうせすぐ死ぬんだから」と続く。そうか、この言葉はよく聞くフレーズ。これが高齢者が、だんだんいい加減になる「免罪符」。この免罪符と共に生きる男女と、怠ることなく外見に手間をかける男女に、クッキリと二分される現実があるという。しかし高齢者で、あまりにも度が過ぎるお洒落で、ケバケバしいファッションを見ると、痛々しい感じに思えるは筆者ばかりではないだろうが。

 本書は、主人公の女性のファッションや化粧の話しが多い。男性にはあまり知識のない部分が多いが、あとがきに「本書を書くにあたり・・・、さらに多くの美容関係者、服飾関係者のアドバイスにも深く感謝申し上げます。」とある。内館は、1948年生まれの72歳。テレビや写真を見るとやはり有名人、やはり日ごろからファッションに強い関心がありそう。

 「ババくささが伝染(うつ)るよッ」、娘が「ママ、年齢に抗(あがら)うのは痛いよ。アンチエイジングでなく、ナチュラルエイジングにしな」、加齢による老化現象の「ペンギン歩き」、優しい温もりのある夫婦を言う「ベターハーフ」、パパが死んで「セルフネグレクト」・・・などなど、内館の文章に出てくるワードやフレーズが面白い。「セルフネグレクト(自己放任)」と「品格のある衰退(老化)」は、全く別物だとわかってくる。

 本書で「ジーパン」と「デニム」という言葉で歳がわかる、とブティックの店員がハナに言う。「デニム」は生地、「ジーンズ」は「デニム」生地のズボン、「ジーパン」は「ジーンズ」の和製英語。「スパッツ」が「レギンス」になったり、ファッション用語は時代とともに変わる。「背広」はいつのまにか死語になっていて、「スーツ」とか「ジャケット」と呼んだり、「ジャンパー」は「ブルゾン」に変わっている。ちょっと気にしていないと、時代について行けない。

 この小説の中で、ある有名書家の揮ごう「平氣で生きて居る」という掛け軸を、夫・岩造が座右の銘として大事そうに飾っている。これは正岡子規の『病牀六尺(びょうしょうろくしゃく)』に出てくるそうだ。調べてみると病床にあって苦しんでいた子規は、以下のように書いている。

 「余は今まで禅宗のいわゆる悟りという事を誤解していた。悟りという事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思っていたのは間違いで、悟りという事は如何なる場合にも平気で生きている事であった」

 人が窮地に陥ったとき、「頑張れ!」とか「前向きに生きよ!」よりも、「平気で生きよ!」って自分に言うと、死ぬのはやめよう、あきらめるのはやめよう、いかなる場合にも動じずに平気で生きようと思う。そういった意味で、この言葉には重みがあった。
 

 また本書に出てくる良寛の辞世の句とされる「裏を見せ 表を見せて 散るもみじ」は意味が深い。弟子の貞心尼が、良寛との和歌のやり取りをまとめた歌集『蓮(はちす)の露(つゆ)』に出てくる。良寛は、江戸時代の曹洞宗の僧侶。老若男女や身分・貧富によって人を分け隔てする事が無く、誰とでも、優しく温かい気持ちで接したので、人々は皆、穏やかに和み、良寛に親しんだという。

 高齢となり死期の迫ってきた良寛のもとに、貞心尼が駆けつけると、辛い体を起こし貞心尼の手をとり、「いついつと まちにし人は きたりけり いまはあいみて 何か思わん」と詠んだ。

 そして最後に貞心尼の耳元で、「裏を見せ 表を見せて 散るもみじ」と下の句をつぶやいて亡くなったという。

 この歌には「あなたには、自分の悪い面も良い面も全てさらけ出しました。あなたはそれを受け止めてくれました。そんなあなたに看取られながら旅立つことができます」と、貞心尼に対する深い愛情と感謝の念が込められているという。物事には裏と表がある。人間も、表と裏の部分を持ち合わせている。人は表だけで、内側を見せない。内側を見てもらうことで、理解することが出来、本当に支え合うことができるのではないか。良寛は、紅いもみじの美しさは裏と表との双方があって、両方自然にありのままを見せて、受け入れて散っていく。良寛は自然のままに、もっと自然に生きよ、と語っているのだという。

 内館牧子 幻冬舎新書『男の無作法』の帯から引用。

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 本書の中に出てきた「死後離婚」という言葉を初めて知った。「姻族関係終了届出」というのがあって、夫婦の一方が死亡した場合、もう一方が姻族関係を終了させるために役所に提出できる。法律上、結婚すると配偶者の父母や兄弟などの間に、たとえ血のつながりがなくても、姻族(いわゆる親戚)となる。夫婦の一方が死亡しても、死亡配偶者の血族と生存配偶者との姻族関係が終了することはない。姻族関係を終わりにするかどうかは、本人の意思で決めることができ、配偶者の血族の了解は不要だそうだ。

 だが「姻族関係終了届」を提出しても、戸籍はそのままの状態。戸籍も配偶者の戸籍から別にしたい場合は、「復氏届」を提出しなければならないという。このように、「姻族関係終了届」は、配偶者の血族との親戚関係を終了し、配偶者の父母や兄弟姉妹などの扶養義務もなくなるという。こういった手続きを、いわゆる「死後離婚」と呼ぶそうだ。
 

 「なんとでもなる」という思いは、若者と老人のものだという。若者は「切り拓くからなんとでもなる」と思い、老人は「すぐ死ぬんだから」何とでもなると思うと書いてる。こういった対比は、内館牧子の発想なのか、面白い。

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