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2020年7月18日 (土)

佐原の町並みと香取神宮

 2020年7月14日(火)、千葉県香取市。「小江戸佐原の町並み」と「香取神宮」を巡る。

 

 朝から小雨、ハイエースワゴンで7:05出発。圏央道神崎ICを降り、利根川沿いの356号線を東へ向かい香取市へ。

 9:10、「佐原町並み観光駐車場」に到着。駐車料金:1日500円。佐原に来たのは、これで3回目。

 ここは、伊能忠敬記念館の裏手の空き地。測量地の緯度を求めるために、北極星などの角度を観測した象限儀(レプリカ)が展示されている。

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 新型コロナの緊急事態宣言が解除されて1ヶ月半以上が経つが、観光客はまばら。9:25、予約していたボランティアガイドと合流。

 小野川に架かる「樋橋(といばし)」を渡る。観光船が停泊している乗船場が、伊能忠敬旧宅の前の「だし」と呼ばれた荷上場。

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 「樋橋」は、もとは佐原村の用水を小野川東岸から対岸の水田に送るため、江戸時代前期に造られ、300年近く使われていた大樋(おおどい)。戦前にはコンクリートの橋になり、大樋は橋の下側につけられた。大樋を流れる水が、小野川にあふれ落ちて「ジャージャー」と音を立てるので、「じゃあじゃあ橋」の通称で親しまれている。

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 今の橋は観光用に造られたもので、30分ごとに落水させている。水の音は「残したい日本の音風景100選」に選ばれているという。
 

●伊能忠敬旧宅 9:30~ 

 左手の「佐野屋」の右が「伊能忠敬旧宅」の店舗。左手に正門がある。国指定史跡。

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 店舗と正門は、忠敬が婿養子に入る以前に建てられていた。佐原でも古い時代の建物。

 正門を抜けて、裏から店舗の中に入り、ボランティアガイドから伊能忠敬の生い立ちと佐原時代の話を聞く。

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 忠敬は、延享2年(1745年)現在の千葉県九十九里町で生まれる。横芝光町で青年時代を過ごし、17歳で婿入り(妻ミチは22歳)して伊能家当主となる。佐原で家業のほか、名主や村方後見として活躍した。

 この家は、伊能忠敬が17歳から50歳まで30年余りを過ごした家。醸造業などを営んでいた伊能家の土蔵造りの店舗のほか、炊事場、書院、土蔵が残っている。下の写真は、書院。

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 現存する土蔵では、佐原でも最も古い時期の建物。文政4年(1821年)の修理銘が残る。扉は観音開きが普及する前の土の引戸。

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 家訓書碑。寛政3年(1791年)、忠敬は次のような家訓をしたためて長男・景敬に渡した。 寛政6年(1794年)、49歳で隠居する。

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 第一 仮にも偽をせず、孝弟忠信にして正直たるべし
 <かりそめにも人を欺(あざむ)く事をせず、親に孝行、兄弟仲良く、人には真心を尽くし正直にしなさい>
   第二 身の上の人ハ勿論、身下の人にても教訓異見あらば急度相用堅く守るべし
 <目上の人はもろん、目下の人の言う事でもなるほどと思ったら、取り入れる様にしなさい>
   第三 篤敬謙譲とて言語進退を寛容に諸事謙り敬み、少も人と争論など成べからず
 < 篤敬(人情厚く慎み深い)・謙譲(へりくだり)というように、物の言い方や動作を寛容に、全ての事にへりくだってつつしみ、決して人と争いなどしてはいけない>

 息子に残した言葉とはいえ、自分自身がそうやって生きて来たことは凄い。

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  寛政7年(1795年)、50歳で 江戸に出て幕府の天文方・高橋至時(よしとき)に暦学天文を学ぶ。寛政12年(1800年)~文化13年(1816年)の55歳~71歳まで、第10次に渡り全国を測量。文化15年(1818年)、73歳で死去する。喪を秘して、弟子達が地図製作を続行し、文政4年(1821年)に 『大日本沿海輿地全図』が完成した。その3ヶ月後に喪を公表。
 

●伊能忠敬記念館 10:00~10:50

 「伊能忠敬旧宅」の川向かいにある「伊能忠敬記念館」を見学。マスク着用、手指消毒、連絡先の報告のコロナ対策をして入館。入館料:大人450円。前回来館時もそうだったが、館内は写真撮影禁止で残念だ。

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 入館券の左は、記念館の建物。右は伊能忠敬唯一の肖像画『伊能忠敬像』。忠敬死後、孫の忠誨(ただのり)が『大日本沿海輿地全図』を幕府に献上するときに、忠敬の弟子に描かせたものとされる。

 記念館は、忠敬の人生を年代順の資料とその業績である「伊能図」を紹介している。当館所蔵の「伊能忠敬関係資料」2,345点は、国宝指定。

 ①佐原時代;伊能忠敬50歳までの前半生を紹介 (以下3枚の写真は、「伊能忠敬記念館」のパンフレットより転載)

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 忠敬は、佐原の名主や村方後見を務め、家業では醸造業等を営んでいた。34歳の時の妻ミチとの旅行では、神社仏閣を訪ねる旅だった。しかし48歳の時の伊勢神宮への旅では、緯度・方位観測を行っており、このころから天文や暦学への興味をいだいていたという。

 ②全国測量;隠居してからの勉学と全国測量の行程を紹介

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 50歳で江戸で、幕府天文方の高橋至時の弟子になり、本格的な勉強を始めた。55歳で北海道南岸の測量を行い、以後計10回に及ぶ日本全国の測量を71歳まで行った。73歳で亡くなるが、没後3年にして日本全図は完成した。

③伊能図の完成;伊能図の数々を紹介

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 伊能図には、1821年完成の『大日本沿海輿地全図』(大図214枚、中図8枚、小図3枚)のほか、測量ごとに作った地図や名勝地を描いたものなど、多くの種類がある。いずれの地図も正確で、芸術的な美しさも備えているそうだ。

 ④地図の世界;日本地図の歴史や、楽しい世界の地図を紹介 (写真なし)

 19世紀以前において、ヨーロッパの人々が日本の姿をどのように見ていたのか。また、日本人は自分の国の姿をどのように理解していたのか。その時の時代観、宗教観、目的によって異なる様々な地図を紹介。

 10:50~ 佐原町並みを散策。香取街道(県道55号線)が小野川に架かる「忠敬橋(ちゅうけいばし)」を渡り、「樋橋」の方向を望む。

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 香取街道と小野川沿いの道が交差する角、つまり「忠敬橋」のたもとに「中村屋商店」がある。「中村屋商店」は、代々荒物・雑貨などを商ってきた商家で、安政2年(1855)に建築されたと伝えられる店舗兼住宅と土蔵は、県指定有形文化財(建造物)に指定。

 写真の「中村屋商店」はGoogleマップから転載。

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 現在の「中村屋商店」は、「佐原商家町ホテルNIPPONIA」のフロント兼レストランに生まれ変わった。佐原商家町ホテルは、町全体をホテルに見立てて、町にある歴史的建造物を改修した客室が6棟が点在する。

 「中村屋商店」から香取街道を東に100mほど先に、佐原を代表する赤煉瓦の洋風建築「三菱館」(旧三菱銀行佐原支店)がある。修理中で全体が工事ネットで覆われ、写真が撮れなかった。下の写真は、Googleマップから転載。

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 川崎銀行佐原支店として、明治13年に日本橋の本店と同時に開業。現在は市に寄贈され、観光用として活用されている。千葉県有形文化財。


●佐原町並み交流館 11:00~

 「三菱館」の左隣りの建物が、「佐原町並み交流館」。佐原の町並み保存活動の推進、観光客の案内(ボランティアガイド)、市民の研修・体験学習・交流の場として活用されている。

 館内には、佐原の三つ宝である伊能忠敬・佐原の町並み・佐原の祭りなどの写真や資料が展示物されている。

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 左の「正文堂」書店、その隣は「福新呉服店」、右端は蕎麦屋の「小堀屋本店」の模型。いずれも千葉県有形文化財。

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 「正文堂」は、江戸時代からの本の販売・出版の店。黒塗りの土蔵造りの建物は、登り龍・下り龍を配した看板が目を引く。「福新呉服店」は、文化元年(1804年)の創業、佐原で八代目の老舗。火災に備え前面と側面は土蔵造り。いずれも明治時代の建築。「小堀屋本店」は、後述する。

 

●正上醤油店 11:15~

 江戸時代より醤油の醸造をしていた店で、店舗は天保3年(1832年)の建築、江戸時代の面影を残している。

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 「正上醤油店」の店舗の左手の蔵は、明治初期の建築。黒い漆喰(しっくい)の蔵は、煤(すす)を漆喰に練り込み、白壁に薄く塗った後、絹布や素手で磨き上げるという。店舗の間口の大きさや、手間をかけた漆黒の”粋”な江戸黒(黒漆喰)の蔵は、大富豪である事の証だったようだ。千葉県有形文化財。更にその左の建物で、戦後は佃煮の製造販売をしている。ここで「利根の佃煮」(760円)を購入。

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●さわら町屋館 11:30~11:35   

 「さわら町屋館」(上川岸小公園)は、観光客の休憩所。

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 ここで休憩後、「八坂神社」へ移動。この頃、小雨は止む。

 「八坂神社」は、佐原の本宿地区の総鎮守で、「佐原の大祭」(祇園祭)で知られる。旧社格は村社。

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●水郷佐原山車会館 11:40~12:15 

 「八坂神社」の境内の一角に、佐原の祭りのシンボルである山車や祭りに関する資料を展示した「水郷佐原山車会館」が建っている。

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 入館料:大人400円、「伊能忠敬記念館」との共通入館券は、大人800円。

 佐原の南北を流れる小野川の東側を本宿(ほんじゅく)、西側が新宿(しんじゅく)と呼ばれる。「佐原の大祭」は、本宿の鎮守である「八坂神社」と新宿の鎮守である「諏訪神社」の両社の祭礼行事。7月に八坂神社の夏祭り(祇園祭)、10月に諏訪神社秋祭りが行われる。山車は24台あり、夏祭りに10台、秋祭りには14台の豪華な山車が「佐原囃子」の調べにのって氏子区内を曳き回される。

 1階のシアターで、「佐原の祭り」を紹介した10数分のビデオ映写を鑑賞した後、1階展示室へ。

・吹き抜けの山車展示室

 手前は新橋本区の小野道風の山車、奥は川岸区の天鈿女命(あまのうずめ)の山車。

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 総欅造りの本体に、名工による関東彫りの重厚で豪華な彫刻が施された山車、大人形が乗って高さ9mにも及ぶ。

・2階展示室 彫刻、額、笛、太鼓、皷等の展示。 

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・3階展示室 「山車人形の迫(せ)り出し仕掛け」とは、大人形を山車から昇降させる装置。

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 浦嶋太郎の大人形。間近に見るとその大きさを実感する。

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 佐原で最古の大人形・猿田彦(天狗)は、1739年(江戸中期)の制作。

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 2004年(平成16年)に「佐原の山車行事」が、国の重要無形民俗文化財に指定。また2016年(平成28年)に佐原の祭りを含む山車が巡行する日本の祭33件の「山・鉾・屋台行事」が、ユネスコ無形文化遺産に登録された。 

 ボランティアガイドと別れ、そば処の「小堀屋本店」に入店。

●小堀屋本店 12:20~12:50

 創業は天明2年(1782年)、切妻平入瓦葺きの建物で、奥の土蔵には蕎麦作りの秘伝書や道具類が残っていたそうだ。建物は木造2階建で、店舗、調理場、土蔵が一体となった明治時代の形式をそのまま残している。表のガラス戸は、明治35年に佐原で初めて使われたものだそうだ。

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  この店の人気の「黒切蕎麦」1,100円を注文。漆黒の蕎麦は、日高昆布を練り込んだ江戸時代から続く逸品。イカ墨スパゲッティのように見えるが、ほのかに昆布の香りがして美味しい。
 

●東薫酒造 13:00~13:20 

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  この酒蔵は、伊能家に弟子入りして酒造業を習得し、文政8年(1825年)に創業したという。この地は、利根川の船便と水郷地帯の良質の早場米と良質な水、酒造りに好適な条件のもとで約190年の歴史と伝統を誇る。全国新酒品評会で、数多くの金賞を受賞したという「大吟醸 叶(かのう)」が代表銘柄、ほかに「二人静 吟醸酒」など。蔵の中では、昔の酒造り道具の展示や酒造りの様子は見学できなかったが、試飲を楽しむ。

 「佐原町並み観光駐車場」に戻り、13:30車で出発。県道55号線を東に、「香取神宮」へ向かう。
 

●香取神宮 13:45~14:40

 コロナ禍の時期、参拝客も少なく、参道の商店はシャッターが目立つ。

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 参道正面にある朱塗りの第二の大鳥居。

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 大鳥居をくぐると、石灯籠が並びうっそうと茂った樹木に覆われた玉砂利の参道。S字にカーブして、緩やかな坂道を登る。

 石段を上がると総門、次に楼門がある。楼門は本殿同様、元禄13年(1700年)に造営、昭和52年(1977年)国の重文に指定。楼上の額は、東郷平八郎の筆によるという。

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 本殿(拝殿)に到着。屋根は檜皮葺(ひわだぶき)、黒塗りを基調に極彩色飾りの建物、どっしりした重厚さに圧倒される。

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 「香取神宮」は、全国に約400社ある香取神社の総本社。神武天皇18年(紀元前644年に相当、縄文時代か??)の創建と伝わる日本屈指の名社。本殿は元禄13年(1700年)に徳川幕府の手で造営され、昭和52年(1977年)国の重文に指定。

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 下総国(現在の千葉県)の一の宮。旧社格は官幣大社。明治以前から「神宮」の称号を与えられた。関東で「神宮」は、明治神宮、鹿島神宮、香取神宮の3社のみである。 経津主神(ふつぬしのかみ)を祭神とする。

 経津主神は、『日本書紀』で建御雷神(たけみがづちのかみ、鹿島神宮の祭神)とともに出雲へ派遣され、大国主神(おおぬしのかみ)の国譲りの際に活躍する経津主神(ふつぬしのかみ)を祭神とする。経津主神のまたの名は、伊波比主神(いはいぬしのかみ)。

 御神木は、拝殿前に立つ大杉で、樹齢は1,000年といわれる。

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 要石(かなめいし)は、境内西方に位置する霊石。

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 この地方は古くから地震が多く、これは地中にいる大きなナマズが騒いでいると考えられていた。香取・鹿島両神宮の神様は、地中に深く石棒を差し込み、大ナマズの頭と尾を刺し通したという。当神宮は凸形、鹿島は凹形で地上に一部を現し、深さ幾十尺と伝えられている。貞享元年(1684年)水戸光圀公が当神宮を参拝した際、要石の周りを掘らせたが根元を見ることが出来なかったと伝えられている。 

 旧参道の中程に奥宮(おくのみや)がある。経津主神の荒魂(あらみたま、荒ぶる魂)を祀る。現在の社殿は、昭和48年(1973年)伊勢神宮の遷宮の古材によるもの。

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 駐車場に戻り、14:40香取神宮を出発、帰路へ。17:00  自宅着。
  

 「佐原の町並み」と「香取神宮」は、過去2回ほど来たことがある。本ブログの関連記事は次の通り。

 「水郷の佐原と潮来」 2015年06月16日投稿
   http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2015/06/post-b018.html

 「あやめの潮来と小江戸佐原」 2016年07月01日投稿
   http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2016/07/post-32d9.html

  

 ★ ★ ★

●佐原の町並み

 「佐原の町並み」は、香取市佐原の市街地に歴史的建造物が数多く残る。佐原は、江戸時代から大正時代まで、利根川下流域随一の河港として、商家町として栄え、古くから「北総の小江戸」、「水郷の町」と称された。1996年に関東地方で初めて重要伝統的建造物群保存地区として選定された。

 町中にあった「佐原の町並」という説明板を見て、佐原という町のポイントをよく理解できる。

 『利根川図志』(1855年)に「佐原は、下利根附第一繁昌の地なり、村の中程に川有りて、新宿本宿の間に橋を架す(大橋という)、米穀諸荷物の揚げさげ、旅人の船、川口より此所(ここ)まで先をあらそい、両岸の狭きをうらみ、誠に、水陸往来の群集、昼夜止む時なし」と記してある。

 江戸時代の佐原は「小江戸」と呼ばれ、この周辺の町並には、国指定史跡伊能忠敬旧宅や県指定有形文化財小堀屋本店店舗、正文堂書店店舗をはじめ、土蔵造りの古い商家がある。

 また、関東三大祭りの一つとして数えられる「佐原まつり」は、豪華絢爛を競い、山車で奏される県指定無形民俗文化財佐原囃子は水郷情緒を代表するものである。

 昭和60年6月15日 県民の日 佐原市


●海獣葡萄鏡

 「香取神宮」は、国宝​「海獣葡萄鏡」を所蔵する。直径29.6cm、縁の高さ2cm、重量537.5gの白銅質の大型円鏡。葡萄の果実と葉を交互に配し、蔓をからませた文様を地文として、海獣(または獅子?)のつまみを中心に獅子・馬・鹿・麒麟などの獣や孔雀・鴛鴦(オシドリ)・鳳凰・鶏などの鳥、さらには昆虫などを配しているという。

 東大寺「正倉院」にも同じ形の鏡(同じ鋳型から造った物ではないらしい)があり、中国・唐の時代で流行った海獣葡萄鏡の中でも典型的な一品だそうだ。8世紀に中国から持ち込まれ、一つは聖武天皇の遺品だったのか「正倉院」へ、もう一つは東国の古社「香取神宮」の秘宝として伝えられた。明治時代までは、神鏡として本殿内陣に秘蔵されていた。「正倉院」の御物と「大山祇神社」(愛媛県)の神鏡とを合わせて『日本三銘鏡』と称され、1953年(昭和28年)に国宝に指定。千葉県の工芸品で唯一の国宝。現在は当神宮の「宝物館」で展示されているそうだ。 

 「香取神宮」の​「海獣葡萄鏡」が「正倉院」にある鏡と同形であることは、「香取神宮」が東国における重要な位置づけだったこととして興味深い。そもそも「鹿島神宮」と「香取神宮」は古来から関係が深く、ヤマト政権による東北(蝦夷)進出への拠点とされていた。平安時代の『延喜式』で「神宮」と記されたのは、「大神宮」(伊勢神宮内宮)、「鹿島神宮」、「香取神宮」の3社のみであったという。鹿島・香取の両神宮には、毎年朝廷から勅使の派遣があった。伊勢や近畿を除く地方の神社で勅使派遣は「宇佐神宮」(6年に1度)にしかなく、毎年派遣された鹿島・香取の両神宮は、極めて特別なことだったらしい。

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