群馬の古墳めぐり
2020年6月28日(日)、群馬県前橋市と高崎市の古墳をめぐる。
土砂降りの雨の中、8:00出発。上武道路(国道17号バイパス)を経由し、9:35前橋市の「大室公園」南口駐車場に到着。
●大室古墳群(前橋市西大室町)9:35~10:25
大室古墳群は赤城山の南麓にあり、6世紀に築造された3基の大型前方後円墳を中心に、円墳など多くの古墳が存在する。現在、古墳の周辺は「大室公園」として整備されている。公園は、「日本の歴史公園100選」に選ばれている。
公園内の大室古墳群の模型。右から「前二子古墳」、「中二子古墳」、「後二子古墳」の100m前後の墳丘長を持つ古墳のほかに「小二子古墳」などいくつかの小古墳がある。
レプリカの埴輪が並ぶ「中二子古墳」は、墳丘の全長111m、高さ15m。樹木で覆われて全容は見えない。堀は二重にめぐらされていて、石室は見つかってないそうだ。
今年2月頃に放映されたJR東日本「大人の休日倶楽部」のテレビCMで、吉永小百合さんが「中二子古墳」の埴輪列の傍を歩くシーンがあった。(出典:大人の休日倶楽部ホームページ CM動画)
「前二子古墳」の墳丘の全長は94m、高さ14m。この古墳は石室にも入れるが、大雨で近づけず。
同じくCM撮影で、吉永小百合さんが「前二子古墳」の石室の前に立ち、石室の中に入るシーンがある。(出典:同上)
両袖形横穴式石室と呼ばれるこの石室は、全長14mもあるそうだ。
このほかCMでは、吉永さんが「前二子古墳」に駆け上がるシーンなどが撮影されている。
「後二子古墳」は、墳丘の全長85m、高さ11m。石室は天井が低く、頭上注意。
公園内には、”赤城型民家”と呼ばれる養蚕農家の「民家園」を活用して「大室はにわ館」が開設され、復元した埴輪や出土品が展示してあるそうだ。雨がひどくて移動が大変なので、割愛する。また公園内には、現在は梅園でその面影はないが、豪族の館跡とされる「梅木遺跡」があった。
10:25 、「大室公園」を出て、高崎市へ移動する。この後は、「群馬県立歴史博物館」 と「かみつけの里博物館」を観覧。
本ブログ記事「群馬県立歴史博物館」、「かみつけの里博物館と観音塚考古資料館」を参照。
「かみつけの里博物館」の周囲は、広大な「上毛野はにわの里公園」となっており、園内には「八幡塚古墳」と「双子山古墳」の遺跡、「土屋文明文学館」、「土屋文明歌碑」、「山村暮鳥詩碑」や「はにわ工房・はにわ窯」などの施設がある。
●保渡田古墳群(高崎市保渡田町) 15:00~15:45
保渡田古墳群は、「上毛野はにわの里公園」内にある「八幡塚古墳」と「双子山古墳」、園外の「薬師塚古墳」の3つの大型前方後円墳からなる。5世紀後半から6世紀初頭に築造された。当時、東日本の榛名山東南麓を治めた有力な豪族の墓所として、国指定史跡になっている。
「八幡塚古墳」は、墳丘の全長96m、高さ現存6mがだ、削られている。3段に造られ、内堀、外堀、外周溝がめぐる。
手前の堤上には、円筒埴輪で区画した場所に54体ほどの人物・動物埴輪群像が配置されていたのを復元。様々な儀礼の様子を表したものと考えられるという。
内堀の中には祭祀場と思われる4基の円形の島(中島)がある。埴輪は6000体ほど設置されていたと考えられており、復元に当たっても出来る限り配置したようだ。
「八幡塚古墳」の空撮写真 出典:かみつけの里博物館のパンフレット(以下2枚とも)
円筒埴輪の列は、古墳を悪霊から守る垣根と考えられている。
後円部の墳頂に登り、榛名山を望む。手前には、祭祀が行われと考えられている円形の島。
後円部から地下に階段を4mほど降りると、王が眠るひつぎ「舟形石棺」があった。
凝灰岩をくりぬいて造られた舟形石棺は、すでに中の副葬品は盗掘されていたが、現在も発掘調査時のままだという。
保渡田古墳群のもう一つの古墳「二子山古墳」に登る。墳丘の全長は108m、高さ10m。内堀と外堀を巡らせ、内堀に4つの中島(直径約18m)がある。
「二子山古墳」の模型。
墳丘の斜面には、葺(ふ)き石が積まれていたそうだが、復元整備でコグマ笹が植えられている。
後円部の頂上1mの地下に、実物の舟形石棺が保存されているそうだ。
ここの石棺は古くに度々盗掘に遭い、蓋や副葬品は持ち去られている。発掘調査で、周囲の土の中からは小破片となった馬具・装飾品・鎧・刀などの遺物が、多く発見されたという。
「八幡塚古墳」と「双子山古墳」のいずれも、墳丘や堀は形が崩れていたのを、今の形に整備して復元したとそうだ。
「八幡塚古墳」から北西に200m程離れた公園外にある「薬師塚古墳 」は現在、寺院「西光成」の堂宇や墓地のため、墳丘部が南側から東側にかけて大きく削り取られている。墳丘長100mを超え、二重に周壕を巡らしていたと推定されている。見学せず。
15:45、「上毛野はにわの里公園」を出発。16:05、「観音塚考古資料館」(高崎市八幡町)に到着。すでに閉館(16:00?)していたが、特別に開けて貰って16:20まで観覧する。
本ブログ記事「かみつけの里博物館と観音塚考古資料館」を参照。
資料館から、100mほど北にある「観音塚古墳」に徒歩で移動。
●観音塚古墳(高崎市八幡町) 16:25~16:35
「観音塚古墳」の復元全長は105m(現在は95m)、高さ12m。6世紀末頃の築造で、群馬県では最後の前方後円墳と考えられている。
昭和20年3月、後円部で共用の防空壕を掘っていた近隣の人々が、未盗掘の副葬品を発見した。戦後、古墳は国史跡、出土品は国の需要文化財となって「観音塚考古資料館」で保存・公開されている。
後円部の石室入口。入口の石積みは、墳丘を削ったための土留めにしているのではと思う。
石室内部の高さは2.8m。石室を構成する最大重量55トンもの巨石が、この古墳の特徴。奈良県明日香村の「石舞台古墳」に比して「群馬の石舞台」と呼ばれる。
後円部の墳頂には、祠があった。
「観音塚考古資料館」を中心に、半径100~200mの範囲で、この「観音塚古墳」の他に「平塚古墳」と「八幡二子塚古墳」やその周囲には小型の前方後円墳や円墳が発見された。これらの古墳は、あわせて八幡(やわた)古墳群と呼ばれ、群馬県西部の山間部から平野に移行する地域(八幡台地)に位置し、5世紀後半から6世紀終わり頃までに築造されたそうだ。見学は、割愛。
16:40、資料館の駐車場を出発。帰路は前橋ICから関越道へ。
18:20、帰宅。
★ ★ ★
●二子山古墳
「・・二子山」とか、「・・二子塚」と呼ばれる古墳の名前が多い。なぜそういう名前が多いのか。よく考えると、前方後円墳の前と後の二つの墳丘が、二つの山(塚)に見えるからだと気がついた。こういった名前は、関東に多いともいうが、全国にも多い。
新しい遺跡の名前は、その土地の地名を付けるようだ。ただ自治体によっては現在の地名ではなく昔の地名を遺跡名に使う場合もあるので、現代の地図だけ見ると名前の由来が分かりにくい所もある。奈良県明日香村の「石舞台古墳」は、江戸時代から「石舞台」と呼ばれていたので、地名が石舞台になったようだ。
群馬の「二子山古墳」は、古墳の形状で昔からそう呼ばれていたのだろう、前橋市の「前・中・後二子山」は「大室古墳群」、高崎の「二子山」は「保渡田古墳群」と、古墳群には地名が付いている。昔、教科書に出ていた 「仁徳天皇陵」や「応神天皇陵」などは、被葬者が明らかではないという理由で、「大仙(だいせん)陵古墳」または「大山(だいせん)古墳」とか、「誉田(ごんだ)御廟山古墳」または「誉田山古墳」と地名で呼ばれるようになっているが、ちょっとピンと来なくなった。
●群馬県が日本で一番古墳が多いのか?
群馬県には、古墳がそんなに多いのか、奈良県や大阪府はと比べてどうかなのか? そもそも古墳は地方の豪族(王)の墓で、日本中に存在して我々の住んでいる身近にもたくさんある。ヤマト王権のあった近畿が一番多いというわけではないだろう。古墳の数といっても、古墳の定義によって数え方が違うし、一概にどこが一番多いと言えないのではないか。そう思い、ネットでザッと調べてみた。
文化庁のデータでは全国に古墳は、16万基あるそうだ。これはコンビニの店舗数の約3倍だという。文化庁が公表している都道府県別の埋蔵文化財のうち、「古墳・横穴」の数のランキングでは以下のようだ。
『平成28年度 周知の埋蔵文化財包蔵地数(古墳・横穴)』(文化庁調べ) 現存と消滅を合算した総数:159636基
1位)兵庫県:18851
2位)鳥取県:13486
3位)京都府:13016
4位)千葉県:12765
5位)岡山県:11810
6位)広島県:11311
7位)福岡県:10754
8位)奈良県: 9700
・・・
11位)群馬県:3993
・・・
13位)大阪府:3427
この結果を見ると、奈良県が一番多いわけではない。東日本には、古墳(古墳・横穴)少ない。広義の「古墳」は、「横穴」も含まれるそうだ。しかし「古墳」は主に前方後円墳などを指す事が多く、「横穴」は横穴式の群集墓を意味しているそうだ。前方後円墳は、全国約5,200基なので、それ以外の古墳が大小あわせて15万4,800基もあることになる。前方後円墳は、大王を頂点とするヤマト王権の首長を葬ったと考えられている。
群集墓は、それ以外の人々の墓とされている。これらの合計数は、古墳時代における都道府県別の人口に対応しているのではないかと考えられるそうだ。また北海道、青森県、秋田県、沖縄県の古墳は、ゼロ。列島の南北には、古墳文化が及ばなかったようだが、それに代わる死者を祀る墓は別にあった。
「横穴墓」は、一般には台地や段丘の斜面に穴を掘り、人間を埋葬した墓。「横穴古墳」とも言い、分類上は広義の「古墳」になり、文化庁の数字の中に含まれている。埼玉県の「吉見百穴(ひゃくあな)」は、凝灰岩の岩山の斜面に多数の穴が空いていて、古墳時代後期の横穴墓群で、219基の墓がある。このような遺跡としては日本一の規模。しかし狭義の「古墳」は、高塚古墳(墳丘を持つ古墳)を意味する。
昨年旅行で行った宮崎県の「西都原古墳群」は、標高70メートル程の台地に古墳が分布する「日本最大級の古墳群」だとされている。宮崎は「神話の国」と呼ばれ、県内に古墳が多いのではと思っていたが、飛び抜けて多くはないようだ。西都原古墳は、高塚古墳が319基、その内訳は、前方後円墳31基、方墳2基、円墳が286基。他に横穴墓が10基、地下式横穴墓(南九州特有)が12基確認されているという。「西都原古墳群」が有名なのは、一定の範囲に古墳が集中している最大の古墳、ということのようだ。
本ブログ関連記事「神話のふるさと日向の国ーその1」 2019年5月31日投稿
http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2019/05/post-4189df.html
文化庁のランキングはちょっとピンとこないので、「前方後円墳」が多い県のランキングを別の資料で探した。
1位)千葉県:685
2位)茨城県:444
3位)群馬県:410・・・何故か、意外と関東が多い。
4位)大阪府:182
5位)岡山県:291
・・・
9位)奈良県:239・・・奈良県の前方後円墳は、千葉県の1/3程しかない。
世界遺産の大仙陵古墳(仁徳天皇陵)や奈良県の天皇陵など、教科書で目にした巨大墳墓だけが古墳なのではないというのがよくわかる。古墳は、日本列島の南北の一部の道県を除き、各都道府県のありとあらゆるところにある、実に身近な存在なので、あまりランキングをを論じるのは無意味かも知れない。
最後に、日本に120m以上の巨大古墳(前方後円墳)が、126基あるそうだが、その都道府県別ランキングは、
1位)奈良県:35・・・見瀬丸山古墳(欽明天皇陵)、渋谷向山古墳(景行天皇陵)など
2位)大阪府:28・・・大山古墳(仁徳天皇陵)、誉田山古墳(応神天皇陵)など
3位)岡山県:13・・・造山古墳(西日本最大)など
4位)群馬県:11・・・天神山古墳(東日本最大)など
5位)京都府:7
東日本最大の「太田天神山古墳」(群馬県太田市)の空撮写真。出典:大田市ホームページ
これを見ると、ヤマト王権の支配地域(大阪府と奈良県)に過半数が分布し、群馬県が東日本で一番多く、なんとなく我々が持つ古墳のイメージに合うのかも知れない。なお、今回見学した古墳の規模はすべて120m未満だったが、群馬県にはもっと大きい古墳がたくさんあるということだ。
以上をまとめてみると、以下のようになる。
1.古墳は全国に分布し、都道府県別の古墳数のランキングはあまり参考にならない。ただ西日本に古墳が多いのは、古代の西日本に人口が多かったせいだろうか。
2.巨大古墳(墳丘全長120m以上)は、ヤマト王権のあった奈良・大阪に圧倒的に多い。
3.奈良・大阪に次いで巨大古墳が多い岡山と群馬は、ヤマト王権に連合し、ヤマト王権に次いで隆盛していた吉備王権や上毛野王権があったらしい。
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