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2020年7月 5日 (日)

群馬県立歴史博物館

 2020年6月28日(日)、群馬県高崎市にある「群馬県立歴史博物館」を観覧する。

 

 朝から土砂降りの雨の中、8:00出発。上武道路(国道17号バイパス)を経由し、9:35前橋市西大室町の「大室公園」南口駐車場に到着。

 公園内の大室古墳群を見学した後、10:25「大室公園」出発。

 大室古墳群については、本ブログ記事「群馬の古墳めぐり」を参照。

 

 11:00、高崎市綿貫町の「群馬の森公園」着くころには、雨が止む。

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 公園には、「群馬県立歴史博物館」と「群馬県立近代美術館」がある。11:10、「群馬県立歴史博物館」に入館(入館料300円)。

●群馬県立歴史博物館 11:10~12:35

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 常設展示は、①原始 ②古代 ③中世 ④近世 ⑤近現代の5つのテーマに分かれている。

 《原始》 土器文化と定住生活

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 《東国古墳文化》 全長97m、高さ9mの「綿貫観音山古墳」(高崎市綿貫町)の復元模型。盗掘に遭わず多くの副葬品が多数出土した。

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 《東国古墳文化》  「綿貫観音山古墳」から出土した埴輪や副葬品の数々。

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 馬の埴輪が目立つ。古代、この地域は馬の産地で、県名「群馬」の由来となった。渡来人が、この地に馬とその飼育方法をもたらした。

 《古代》 「上野三碑」(こうずけさんぴ)。左から金井沢碑(かないざわひ)、多胡日碑(たごひ)、山上碑(やまのうえひ)の石碑のレプリカ。

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 7世紀以降、律令支配と仏教文化の広まりで、文字が普及した。「上野三碑」は、高崎市の南西部半径3Km以内の範囲に集中して存在し、当時の仏教、政治、家族関係を示す貴重な資料。国指定史跡だが、ユネスコ「世界の記憶」に登録された。

 群馬県の地域は毛野(けの)と呼ばれていたが、やがて栃木県地域に政治勢力が出来ると下毛野(しもつけの、現在の栃木県)と分かれ、元の毛野は上毛野(かみつけの)と呼ばれた。8世紀初頭(奈良時代)に全国の地域が漢字2文字に統一され、上野(かみつけの、こうづけの)と改められた。

 《中世》 山間部から石塔・石仏の石材が多く採石され、流通した。右は、石造不動明王立像。

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 《近世》 倉賀野宿・河岸の模型。左に中山道と右に利根川支流の烏川。関東北辺の水陸交通の要衝として、産業・文化が栄えた。

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 《近代》 富岡製糸場の模型。世界遺産である富岡製糸場は、明治に5年建設された、日本で最初の官営模範製糸場。

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《近代》 中島飛行機の疾風(はやて)と木製プロペラ。

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 《現代》 ラビットスクーターとスバル360

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 航空機産業の技術が生かされたスバル360は、1958年(昭和33年)~1970年(昭和45年)まで生産された。

 今年3月、「綿貫観音山古墳」の出土品が国宝に決定。写真は、「群馬県立歴史博物館」ホームページから転載。

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 左から、国宝の一部の金銅製心葉形杏葉(しんようけいぎょうよう)、三人童女の埴輪、銅製水瓶。心葉形杏葉は馬具の装飾物で、金銅は銅に金メッキを施したもの。


 12:40~13:35、「県立近代美術館」内の「森のレストラン・ころむす」で 昼食。

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 対面に椅子がない、コロナ対策仕様のテーブルに着席。メニューもいつもより少なくしているという。ソースカツ丼950円を注文。

 13:45、「群馬の森」を出て、次の「かみつけの里博物館」へ行く。

 本ブログ記事「かみつけの里博物館と観音塚考古資料館」に続く。

 

 ★ ★ ★

 「群馬の森」は、高崎市にある県立の都市公園。明治百年記念事業の一環として計画され、1968年に整備を始め1974年に開園した。公園内には、現在「群馬県立近代美術館」や「群馬県立歴史博物館」などの施設がある。

 現在の「群馬の森」がある一帯は、烏川と井野川に沿って舟運の便が良く、水車の動力も得やすいという理由から、1882年(明治15年)に 黒色火薬製造の「東京砲兵工廠岩鼻火薬製造所」が設置された。その後、「陸軍造兵廠火工廠岩鼻火薬製造所」や「東京第二陸軍造兵廠岩鼻製造所」へと改称し、終戦の1945年(昭和20年)まで軍用、産業用火薬の生産を行なっていた。

 「群馬県立歴史博物館」は、この地に1979年10月に開館した。しかし2011年に展示中の重要文化財に水滴が落ちる事故が発生、文化庁から文化財の公開を取り消された。2016年7月に大規模改修が完了し、リニューアルオープンした。

 博物館の公式ガイドブック「常設展示図録」の序文によると、最初のオープンから38年の歳月を経てリニューアルされたが、その間の歴史・考古学は日進月歩しており、群馬県を取り巻く状況も激変したとある。それは、県内を縦横断する関越道・上信越道・北関東道の高速道路、上越・長野新幹線、国道バイパスの建設、住宅開発・工業団地などの建設、土地改良工事が活発化したことだったという。

 その結果、遺跡調査が空前の規模と数となり、県内で新たな遺跡が次々に発見されたという。こういった人類による開発行為によって、特に考古学が進歩・発展するのは、どこか皮肉な感じがする。しかし群馬県が特に、古墳時代の遺跡の宝庫であることを改めて認識した。その理由は、上毛野と呼ばれたこの地域には古墳時代、東国で有数の勢力を持った豪族(王)が支配していて、最先端の技術と文化を持つヤマト王権と同盟を結び交流していたという解説を知り、腑に落ちた。

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