人類とウイルスの共生と感染症
2020年4月3日付の朝日新聞朝刊に「福岡伸一の動的平衡」という連載コラムで、「ウイルスという存在」と題した記事が気になった。
見出しには「生命の進化に不可避的な一部」とある。
2018年9月1日、北アルプスの「乗鞍岳」登山のため前日、乗鞍畳平の「銀嶺荘」に宿泊した。午後2時頃に到着したが、雨だったため畳平の散策をあきらめ、宿でNHKテレビ(BS1)「最後の講義 生物学者 福岡伸一」を見た。講師は、分子生物学の福岡伸一教授。たぶん深夜に放送された番組の再放送だったと思う。
福岡伸一氏は、分子生物学の青山学院大学教授。「生命は、絶え間ない分解と合成の上に成り立つ」とする「動的平衡論」を説く。有名な著書に『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書、2007年発行)というのがあって、10年ほど前に読んだことがある。
氏の専門分野「分子生物学」については、学生時代に少し興味があった。その頃、分子という化学や物理学の世界で、生物学を論じる新しい学問である「分子生物学」や「化学生物学」とか、新しい学問分野が生まれていた。最近では「生命科学」という分野もある。
今から10年以上前ころに、テレビや雑誌などで「分子生物学」が脚光を浴びていたようだった。そのころ福岡伸一著の『生物と無生物のあいだ』と、その後『できそこないの男たち』という新書版を読んだ。『生物と無生物のあいだ』は、当時話題になった書籍で65万部を超えるベストセラー、「生命とは何か?」という科学上の定義について論じたものだった。
氏は、生命の定義を「動的平衡」という概念を提案して、「生命とは動的平衡にある流れである」としている。この本の前半部分には、京大農学部を出て博士号を取ったあと、アメリカで研究生活、下積みの苦労や研究競争などの話などが書いてあった。この部分には非常に興味深かったが、この本の主題である「動的平衡」については難解で、よくは理解できなかった。結局、この本の生物と無生物の差が、あまりよく分からなかったことを憶えている。
一方、『できそこないの男たち』(光文社新書 2008年発行)は、けっこう分かり易くて面白かった。生命の基本は、「女」であって、生命は子供を産む女の基本仕様でできていて、その仕様が出来そこなったのが「男」だそうだ。分子生物学的な染色体や遺伝子について論じてあるが、男女の性器の違いも詳しく説明してあった。
乗鞍畳平の山荘「銀嶺荘」で福岡教授の講義をテレビで視聴し、生命の「動的平衡」の意味がやっとわかって納得した。
教授の文章には、定評がある。理系の学者にしては、文章がうまい。文学者よりも文学的で、詩的な感性と表現は、すばらしい。書かれている難解な内容よりも、その表現に引き込まれ読み進めてしまう。
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ウイルスとは電子顕微鏡でしか見ることのできない極小の粒子であり、生物と無生物のあいだに漂う奇妙な存在だ。生命を「自己複製を唯一無二の目的とするシステムである」と利己的遺伝子論的に定義すれば、自らのコピーを増やし続けるウイルスは、とりもなおさず生命体と呼べるだろう。 しかし生命をもうひとつ別の視点から定義すれば、そう簡単な話にはならない。代謝も呼吸も自己破壊もないウイルスは生物とは呼べないことになる。
(中略)ウイルスは宿主の細胞内に感染するわけだが、それは宿主側が極めて積極的に、ウイルスを招き入れているとさえいえる挙動をした結果である。
(中略)ウイルスは構造の単純さゆえ、生命発生の初源から存在したかといえばそうではなく、進化の結果、高等生物が登場したあとに初めてウイルスは現れた。高等生物の遺伝子の一部が、外部に飛び出したものとして。つまり、ウイルスはもともと私たちのものだった。
(中略)宿主に病気をもたらし、死をもたらすこともありうる。しかし、それにもまして遺伝情報の水平移動は生命系全体の利他的なツールとして、情報の交換と包摂に役立っていった。(中略)かくしてウイルスは私たち生命の不可避的な一部であるがゆえに、それを根絶したり撲滅したりすることはできない。私たちはこれまでも、これからもウイルスを受け入れ、共に動的平衡を生きていくしかない。
文章は読んでいて心地良いが、内容は難解で頭にすっと入って来ない。しかし、ウイルスがどんなものかという概要は分かった。要は、ウイルスは病原体としてだけでなく、生命の進化に不可避な存在であるということらしい。記事では、人間の立場に立った感染症の恐怖とか、感染防止のための生活の苦しさは伝わって来ないが、自然科学としてのウイルスを客観的な観点から冷静に解説してある。
この機会に他の資料も調べて、「人類とウイルスの共生と感染症」についてまとめてみたい。
しかし自己複製できないウイルスは、他の生物の細胞に寄生して増える。つまり自身では設計図(遺伝子)を持っているだけで、それを宿主の細胞に渡して製品(遺伝子産物や子孫)を作ってもらい増殖する。自分のコピーをより多く作ってくれるところへ潜んでいき、そこで設計図を渡す。ウイルスは、宿主の細胞に働きかけて、そのシステムをうまく利用している他力的な存在なのだ。よってウイルスは、”まるで生きているかのよう”に、自らのコピーを増やし続けるので、生物と呼べないこともない。つまり「生物と無生物のあいだ」という中途半端な存在である。
ウイルスの中には、自分の遺伝子を宿主細胞のDNAに組み込むものもいる。多くの場合、宿主には何も起こらないが、まれに宿主の進化に重要な影響をもたらすことがあるという。卵子や精子の元になる細胞に入り込むと、子孫に伝わりウイルスのDNAがヒトの遺伝情報の一部となる。長い時間をかけて突然変異を重ね、ウイルスの遺伝子として働くことはなくなり、ヒトの遺伝子として使われるようになるものもあるそうだ。DNAにウイルスが入って来ることで、それが長い歴史で見ると我々の「進化」につながったのだ。
私たちの祖先は、ウイルスに感染してきた。人間の体内にいるウイルスは、元はすべて動物から来ているという。遺伝子の変異によって人に感染する能力を獲得した動物由来のウイルスの出現が、歴史上繰り返されてきた。人類は、感染症との闘いの歴史でもある。人類は、病気の原因の細菌やウイルスをつきとめ、ワクチンや治療薬の開発に精力を注いできた。ウイルスの撲滅に成功した事もあるが、今でもたびたび未知のウイルスによって、多くの犠牲者を出す感染症の流行が繰り返されている。
伝染力が強く、全身に膿疱が広がり、 致死率が高い「天然痘(痘瘡)」は、天然痘ウイルスを病原体とする感染症。古くから世界各地で流行の記録が残る。天然痘で死亡した最古の例は、紀元前1100年代のエジプト王朝のラムセス5世。彼のミイラには、天然痘の痘痕が認められた。種痘による天然痘予防が徐々に世界中に広まっていき、20世紀中盤には先進国においては天然痘を根絶した国も現れた。更にWHOによる天然痘ウイルスの制圧計画が進み、1980年に人類で初めてウイルス撲滅が宣言された。
(参考資料)
●第115回日本耳鼻咽喉科学会総会シンポジウム「ウイルス感染症の発症機序―ウイルスが病気を起こすメカニズム―」 日本耳鼻咽喉科学会会報 2014年 117巻10号 p1245-1248 (金沢大学 医薬保健学総合研究域 耳鼻咽喉科・頭頸部外科 吉崎智一)
●第25回 血液学を学ぼう! 今さら聞けない 「ウイルスと細菌と真菌の違い」2017.3.27 (近畿大学医学部附属病院 輸血・細胞治療センター)
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4月13日、新型コロナによる世界の死者は11万人超え、米国が感染者数(55万6千人)と死者数(2万2千人)とも世界最多となった。米国の感染拡大の中心になっているのはニューヨーク市で、感染者数は10万人を超え、医療崩壊の危機が叫ばれている。トランプ米大統領の初動対応の遅れは否めない。トランプは、最初「ウイルスは暖かくなる4月までに消える」や「数日で感染者ゼロになる」などと、コロナの脅威を過小評価していたのだ。
国内でも、感染拡大の勢いに歯止めがかからず、感性者数はは増加の一途。感染経路不明の感染者が増加する一方、クラスター(集団感染)の発生も拡大している。東京・大阪などの大都市では、オーバーシュート(感染爆発)の寸前だとの危機が広がる。医療設備・物資や病床の逼迫や、院内感染によって、医療崩壊の危機が迫っている。「緊急事態宣言」は遅きに失した。
経済面では、企業活動や消費活動が長期にわたって停滞するとの観測。商業施設などへの休業要請に対する休業補償、所得減少世帯への現金円支給(30万円)は、詳細が不透明で給付に時間もかかりそうで緊急経済対策の不安を拭えない。
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