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2019年7月22日 (月)

信州塩田平-その2

 2019年7月13日(土)、信州塩田平と別所温泉の歴史探訪。


 本ブログ記事「信州塩田平-その1」に続き、塩田平の別所温泉を巡る。

 別所温泉は塩田平の西、標高約570mの山あいの地にある。信州最古と伝わる温泉地で、日本武尊が7か所に温泉を開き「七苦離(ななくり)の温泉」と名付けたという伝説から「七久里の湯」とも呼ばれる。

 

 上田市前山の「中禅寺薬師堂」から「山王山公園」駐車場に戻り、およそ車で10分で上田市別所温泉に移動する。

 「安楽寺」の黒門を車で通り抜け、12:00境内の駐車場に車を駐める。

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 駐車場から歩いてすぐの温泉街にへ行き、食事処を探す。

 

●日野出食堂 12:15~12:50

 温泉街に出て、「北向き観音堂」の入口を右へ坂道を登ると、共同浴場「石湯」の対面に「日野出食堂」がある。

 玄関を入ると土間にテーブル席が一つ。靴を脱いで座敷の座卓席に上がり、昼食、休憩。

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 建物は古いが、内部はみぎれい。来店した有名人のサインだろうか、壁に色紙が何枚か貼ってある。昔懐かしいタイプの階段があり、2階にも客席の部屋だろうか。もともと何かの店舗か、住宅を食堂にしている感じ、素朴な昭和の雰囲気の店。さるそば700円を注文。帰ってから気がついたが、この辺りは「馬刺し」や馬肉の「肉うどん」が有名で、メニューにあったのを思い出した。

 

●安楽寺 13:00~13:40

 「安楽寺」の駐車場で、観光ガイドと待ち合わせ。参道の石段を上ると、山門がある。

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 山門の先をまっすぐ石畳の上を進むと本堂。

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 参道の右手は、立派な鐘楼。左手には、座禅堂(写真なし)。

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 「安楽寺」の本堂。寺号は「安楽護聖禅寺」。曹洞宗の寺院で、本尊は釈迦如来。

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 「安楽寺」は、鎌倉の「建長寺」などと並んで、日本では最も古い臨済禅宗の寺院の一つ。奈良時代の天平年間(729~749)とか、平安初期の天長年間(824~834)に開かれたと伝えられるが判然としない。鎌倉時代中期にはすでに相当の規模をもった禅寺であり、「信州の学海」の中心道場だった。中興開山は、惟仙(いせん)和尚とされる。鎌倉北条氏の保護によって栄え、多くの学僧を育てていた。北条氏滅亡(1333年)後は衰退したが、国宝・重要文化財など数多くの鎌倉時代の文化遺産を有して、信州最古の禅寺の面影を残しているという。安土・桃山時代の1588年(天正16年)ころ、曹洞宗に改められたという。

 本堂の屋根の上部には、北条氏の家紋の「三つ鱗」。前山の塩田北条氏の菩提寺「龍泉寺」でも、見ることが出来た。

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 「安楽寺」の国宝「八角三重塔」は、本堂の裏を登った裏山の中腹にある。本堂左手の入口から、塔拝観料の300円を払って入場。

 裏山に登る杉林の山道の途中に、六地蔵が並ぶ。

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 また山道の途中にある「伝芳堂」には、寺宝である1329年(嘉暦4年)制作の木造「惟仙和尚坐像」と木造「恵仁和尚坐像」が安置されている。(写真がうまく撮れなかった、「安楽寺」のパンフレットから転載)

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 1923年(大正12年)に、国の重要文化財に指定された。惟仙(いせん)和尚は、鎌倉時代中期に中国・宋に渡って修行した後、当地で隠遁し安楽寺を中興開山した。また恵仁(えにん)和尚は、惟仙和尚に従って来朝した中国僧で日本に帰化、安楽寺の第2代となった。

 「安楽寺」の国宝「八角三重塔」が、緑に中に重厚なたたずまいを見せる。

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 「八角三重塔」は塔高18.75m。日本に現存する唯一、日本最古の八角塔として極めて貴重な事から、1952年(昭和27年)に国宝に指定。松本城とともに、長野県で最初の国宝となる。中国宋時代の禅宗様を採用したもので、鎌倉時代後期の1290年代に建立されたと推定される。領主だった塩田北条氏が、寄進したものと考えられている。

 

 「安楽寺」を出て「常楽寺」に向かう途中、南東方向の展望。塩田平と遠くに上田市街地、上信越の山々。雲がかかって山頂が見えないが、中央のピークが「湯の丸山」近隣の「烏帽子岳」(えぼしだけ、2066m)、右端に「浅間山」(2568m)、左端に「四阿山」(あずまやさん、2354m)。

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●常楽寺 13:50~14:15

 「常楽寺」は「北向観音」が建立された825年(天長2年)、「三楽寺」の一つとして比叡山延暦寺の座主・慈覚大師(円仁)により開山したと伝えられる天台宗の寺院。「北向観音堂」の本坊であり、本尊は阿弥陀如来。鎌倉時代には、天台教学の道場として大いに栄えた。なお「山楽寺」は、「長楽寺」「安楽寺」「常楽寺」の三寺を指す。長楽寺は焼失し廃寺となった。

 石段を上がると茅葺の本堂が現れる。無人のポストに拝観料100円を入れ、境内に入る。

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 本堂は、平成15年に修復工事を行った際、建立当時の建築様式に改められたという。

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 本堂前にある、樹齢350年といわれる「御舟(みふね)の松」 。

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 この船は、宝船の形に見えるそうだ。この宝船で阿弥陀様が、極楽浄土へとお連れする。

 境内には、歴史がありそうな石仏がいくつも並んでいる。

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 本堂裏には柵に囲まれて、苔むした安山岩の「石造多宝塔」がある。国指定の重要文化財。高さ2.85m。

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 「多宝塔」というのは、上下二層の屋根がある塔。下の屋根の上に饅頭形という丸いふくらみがあって、その上に丸い塔身があり、二つ目の屋根がその上に載っている。更にその上に、相輪という柱が立っている。

 この「石造多宝塔」は、1262年(弘長2年)に建立されたもので、銘文にはこの地が北向観音様が出現した地で、建立した経緯が刻まれている。隣接する高さ1.63mの「石造多層塔」は、1924年(大正13年)別所温泉「大島屋旅館」裏から発見されたものの一つて、上田市有形文化財に指定されている。

 

●岳の幟(たけののぼり)

 温泉街にも幟(のぼり)を目にしたが、「北向観音堂」に向かう道路脇に、色鮮やかな幟がいくつか立っていた。「岳の幟」は、別所温泉に伝わるめずらしい雨乞いのお祭りで、国の重要無形民俗文化財。

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 7月15日に一番近い日曜(2019年は14日)に、別所温泉で雨乞いの行事「岳の幟(のぼり)」が行われる。室町時代の1504年(永正元)年、干ばつで村人が夫神岳(おがみ)の山の神に雨乞いをしたら雨が降ったので、各家で織った布を奉納するようになったのが始まりと言われ、以来500年も続いているという。

 温泉街の4地区の100人以上の住民達が、交替で数十本の色とりどりの反物と竹竿でできた長さ約6mの幟のぼりをかつぎ、標高1250mの夫神岳の山頂から別所神社まで温泉街を練り歩く神事。練り歩きの途中では、笛や太鼓のリズムに合わせて、花笠童女(小学生女子)たちが2本の竹を竹を打ち鳴らす「ささら踊り」や、若衆の「三頭獅子舞」を奉納する。

 「北向観音」前の広場では、何やらお祭りの準備中。あとで調べると、この日は「祇園祭り」。

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 「岳の幟」の前日(今年は7月13日)、つまりこの気にの当日、「別所温泉祇園祭」が行われる。昼間は、子供神輿。夕方からは3基の勇壮な神輿が、笛と太鼓の演奏とともに別所温泉内を練り歩くそうだ。 

 また街にあるポスターを見ると、「別所温泉つるし飾りまつり」が、2019年7月1日〜8月16日まで行われている。江戸時代後期の上田藩では、初節句を迎えた女の子の健やかな成長と幸せを願い、厚紙を絹などで包み刺繍を施した桜の花、鶴亀、海老や鳳凰などの「つるし飾り」を贈る風習があったそうだ。この「上田のつるし飾り」は幕末期頃に途絶えてしまったが、近年別所温泉では有志によって盛んにつるし飾りが作られ、別所温泉の各所に展示してあるそうだ。 
 

●北向観音堂 14:25~14:40

  「北向観音堂」は、別所温泉街の中心にある。参道の両側にお土産屋、食事処が軒を連ねる。

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 「北向観音堂」は近隣にある「常楽寺」が本坊で、その伽藍の一部として同寺が所有・管理している。

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 寺伝によれば、平安時代初期の天長2年(825年)比叡山延暦寺座主の慈覚大師(円仁)により開創された霊場。平安時代後期の安和年間(968~970年)、信濃守に就任した平維茂(たいらのこれもち)が「常楽寺」や「北向観音堂」など大伽藍として大改修を加え、また別所温泉の開発に尽力したという。1189年(寿永元年)には源平争乱の中、木曾義仲の手により八角三重塔と石造多宝塔を残して全て焼失してしまうが、源頼朝の命のもと伽藍復興がおこなわれ、1252年(建長4年)に北条国時により再興された。

 厄除け観音として全国の人々とから信仰を集め、多くの著名人も参拝に訪れている。本堂が北に向いているのは、国内ではほとんど例がないという。「北向観音堂」は千手観音様を御本尊として、現世利益を願う。また長野市の「善光寺」は、ちょうど向き合う南向きに建立され、阿弥陀様を御本尊として未来往生を願う。現在と未来の片方だけだと「片詣り」と言われ、向き合う両方をお詣りしたほうが良いとされる。

・愛染かつら(市指定文化財

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 樹齢300~1200年(諸説ある)、幹囲5.5m、樹高22mの老木。伝説によると平安時代初期825年(天長2年)、大火の際どこからなく現れた千手観音様が、このカツラの木の上でひしめきあう避難民を救ったという。北向厄除け観音の霊木といわれている。境内の東隅にある「愛染明王堂」(写真なし)とこのカツラの木に因んで、第一回直木賞受賞作家の川口松太郎(1899 - 1985)が『愛染かつら』を執筆したことは有名。ヒロインの高石かつ枝が津村浩三(映画の配役は、田中絹代と上原謙)が、カツラの木の下で永遠の愛を誓う。若い人たちに「縁結びの霊木」として親しまれ、1939年(昭和14年)長野県の天然記念物に指定された。

・護摩堂(不動堂)

  1983年(昭和58年)に、本堂の傍の護摩堂が再建された。護摩祈祷が行われ、不動明王が祀られている。

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・温泉薬師瑠璃殿 (るりでん)

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 内部には温泉薬師信仰から薬師如来が祀られてい。この温泉薬師は、伝説では行基菩薩の創建、慈覚大師の再建とされている。以前の薬師堂の位置は、別所温泉「大師湯」の西隣りにあったようだ。今の建物は、江戸時代の1809年(文化6年)に湯本講中の積立金により再建された。

・北原白秋の歌碑

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 「観音のこの大前に奉る 絵馬は信濃の春風の駒」

  1923年(大正12年)に家族と別所温泉へ遊びに来た北原白秋は、わずか数日で162首の短歌を詠んだという。1962年(昭和37年)、この歌碑の前で白秋の法要が営まれ、遺族、歌碑建立賛助者が参列して除幕式が行われた。

・新派の俳優・花柳章太郎の供養碑

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 「北向にかんのん在す 志ぐれかな 章太郎」

 花柳章太郎は、白粉(おしろい)が肌に合わずに悩んだが、北向観音に願をかけたところ快癒することができたという。1965(昭和40)年、晩年に詠んだ句と言われ、供養碑の建立発起人に大映社長の永田雅一や川口松太郎の名もある。

 観光ガイド終了。

 

●共同浴場「石湯」 14:45~15:20

 池波正太郎の歴史小説『真田太平記』には、別所の湯がしばしば登場する。入口の左側に石碑「真田幸村公 隠しの湯」(池波正太郎の筆) が建つ。入浴料150円。

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 別所温泉には3ヶ所の共同浴場(温泉銭湯)がある。入浴料は安いが、岩風呂の浴場は小さいくて、洗い場は数人程度でシャワーなし。石鹸・シャンプーが置いてなく、タオル、髭剃りなどと共に石鹸(50円)も帳場で販売していた。温泉でで汗を流し、気分もサッパリ。外に出ると、こども神輿が街に繰り出していた。

 別所温泉を後にして、16:05東部湯の丸IC通過。16:35、横川SAで休憩し、夕飯用の「峠の釜めし」を購入。

 18:00、出発地に到着、解散。

 「塩田平ウォーキングマップ」というパンフレットがあった。ここには、「遊歩百選」認定コースというのがる、ウォーキング・コース。しかし思ったよりも坂道が多くて、少しハードなウォーキングだった。この日の万歩計では、1万5千歩、9Kmほど歩いていた。

 

 ★ ★ ★

 「別所温泉」は景行天皇の時代、日本武尊が東征の折に発見されたと伝えられている。また平安時代中期、清少納言『枕草子』にある「湯は七久里の湯、有馬の湯、玉造の湯」という一節の「七久里の湯」が、起源ではないかという説もある。「別所」という地名が初めて歴史に登場するのは13世紀。信濃の守の平維茂(たいらのこれもち)が、この地に別業(古代貴族の別荘のこと)を建て、「別所」と呼んだことが由来とされる。12世紀に入ると「別所」は、木曽義仲が信州を平定するために派遣した軍勢によって火を放たれ、多くの寺院が灰になってしまった。その後、焼失した寺院は源頼朝、次いで塩田北条氏によって再建されたという。

 近代以降、有島武郎や川端康成ら多くの文人が訪れた。川端は『花のワルツ』(1936年刊行)を別所温泉の旅館「臨泉楼 柏屋別荘」(2017年で閉館)で執筆している。その旅館には、1923年北原白秋も逗留して百首以上の歌を詠み、後年歌碑が建てられた。旅行記や随筆に取り上げたり、別所温泉に関わる史実や伝承を取り入れた作品も少なくない。

 吉川英治は『新平家物語』で、木曽義仲が愛妾を連れて別所温泉「大湯」に入湯する場面を描いている。史料上の根拠はないが、「大湯」の傍らには吉川の文学碑も建てられている。また真田昌幸・信之・幸村の作品を数多く執筆した池波正太郎は、取材のため別所温泉を度々訪れた。代表作の一つ『真田太平記』においては、若き幸村が「石湯」に頻繁に入浴に訪れるなど、重要場面にしばしば登場している。これも、史料上の根拠はない。『新平家物語』同様にフィクションであるが、「石湯」は「真田幸村公隠しの湯」と宣伝され、池波の筆による石碑が建てられている。

 小説・映画で有名なメロドラマ『愛染かつら』のカツラの大木を、「北向観音堂」で初めて見たが、愛染明王の「愛染堂」はどこにあったのか、気がつかなかった。作者の川口松太郎は昭和10年頃、「北向観音」がある別所温泉の老舗旅館「かしわや」に小説執筆のため滞在していた。部屋からはこのカツラの木がよく見えたため、この木をモチーフにした恋愛ドラマを着想したという。

 別所温泉には、源泉や共同浴場の「大湯」「大師湯」「石湯」、足湯の「ななくり」「大湯薬師の湯」、そのほか13ヶ所の住民用の洗い場(洗濯場)を所有・管理する公共団体として、「別所温泉財産区」がある。別所温泉の所有者は「別所温泉財産区」で、管理者は上田市長である。1997年長野新幹線開業や1998年長野オリンピックなどで大型投資をして施設拡充した事業者が多いが、このところ長引く地方の不景気で借入金負債が経営を圧迫し、歴史ある別所温泉でも倒産や廃業する老舗旅館も出て来て、現在2軒の旅館が売りに出されているそうだ。

 鎌倉時代、塩田平には仏教文化が根付き、教育施設が充実、優れた指導者もいたであろう。学問を志す多くの人は、塩田平を修業の地に選び、集まって来た。信濃の生んだ名僧に、無関普門(むかんふもん)という僧がいた。のちに京都随一の名刹「南禅寺」を開山し大明国師と呼ばれた。いわば日本最高の地位にあった高僧は、若いころこの塩田平で学んだという。そのころ、塩田平は「信州の学海」といわれ、学問・宗教に志すものは、遠方からたくさんやって来た。別所の「長楽寺」「常楽寺」「安楽寺」の三楽寺や、前山の「中禅寺」「前山寺」などがその道場になっていたようだ。

 

 

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