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2019年6月 4日 (火)

神話のふるさと日向の国ーその2

 2019年5月24日(金)~26日(日)、神話のふるさと「日向(ひむか)の国」(宮崎県)探訪の旅。

 

 旅の2日目5月25日(土)、山々に囲まれた自然豊かな神々の舞台・高千穂。そして宮崎市内へ戻り、神話ゆかりのスポットを巡る。

 

 5:30高千穂市内の「旅館大和屋」で起床、7:00~朝食。

 午前中、高千穂を案内してくれる観光ガイドと一緒にレンタカーに乗り、8:15旅館を出発。最初の目的地の「高千穂峡」へ。

 9:25、高千穂峡の御塩井駐車場(駐車料500円)に到着。

 朝早くて観光客はまだ少なかったが、駐車場近くの貸しボート乗り場には、8:30~の受付開始を待つ観光客が列を作っていた。


●高千穂峡

 太古の昔、阿蘇の火山活動で噴出した火砕流が五ヶ瀬川に沿って流れ、急激に冷やされ柱状節理となり、浸食されて渓谷となった。80~100mの断崖が東西7km続く。国の名勝、天然記念物。渓谷に沿って、約1Kmの遊歩道が整備されている。

・真名井(まない)の滝
 高千穂峡で良く知られた滝で、日本の滝100選に選定されている。天孫降臨の際、この地に水がなかったため、アメノムラクモノミコト(天村雲命)が水種を移した「天真名井(あまのまない)」の水が滝となって流れ落ちているとされる。ボートから見上げる滝は、迫力満点だそうだ。

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・七ツヶ池(写真なし) 
 「高千穂神社」の祭神、十社大明神であるミケヌノミコト(三毛入野命) は、神武天皇の皇兄。皇弟の神武天皇とともに宮崎から大和に向ったが、伝説では再び故郷の高千穂へ帰って来た。高千穂郷一帯で悪行をはたらいていた鬼八を退治し、この一帯を治めたとされている。
 
 ミケヌノミコトが散歩されると、水鏡に映る美しい娘が映っていた。この娘こそ鬼八が奪って来た鵜ノ目姫(うのめひめ)。ここ「七ツヶ池」は、十社大明神が鵜ノ目姫に一目惚れされた場所と伝えられている。

・鬼八の大石
 「鬼八の大石」は、鬼八がミケヌノミコトに投げ、力自慢をしたという石。力石の重さは、約200トン、凝灰岩の巨石。

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・仙人の屏風岩 
 遊歩道対岸に高くそび立つ高さ約70mの屏風のような岩は、「仙人の屏風岩(びょうぶいわ)」と呼ばれている。切り立った柱状節理(ちゅうじょうせつり)は、そのスケール・迫力に圧倒される。

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・槍飛び
 高千穂峡の中で最も川幅の狭いところ。1591年(天正19)高千穂の三田井氏が延岡の領主・高橋元種に三田井城を攻められ、落城。城を脱出した三田井氏の家来達はここまで逃げて来た。橋がないので槍の柄を突いて渡ったという。「手前の岩に槍を突いた者は無事飛び渡ることが出来たが、向こう側に突いた者は川の中に転落した」と伝えられており、ここを「槍飛び」と言うようになった。「槍飛び橋」の上から撮影。

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・高千穂三段橋
 高千穂峡から見える3つの橋は、「三段橋」と言われる見どころ。手前から、「神橋(しんばし)」(昭和22年竣工:橋長31mの石橋)、「高千穂大橋」(昭和30年竣工:橋長96mの鋼橋)、「神都高千穂大橋」(平成15年竣工:橋長300mのコンクリート橋)。「神橋」は、大正時代に作られた石橋と言われることがあるが、大正時代に架かっていた橋は木橋だったそうだ。

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・おのころ島
 「おのころ池」の真ん中に「おのろこ島」が浮かぶ。「おのころ島」は、『古事記』の中でイザナギノミコトとイザナミノミコトの「国生み神話」で最初に生まれた島。両神が持つ天の沼矛(あめのぬぼこ)という剣の先からしたたり落ちたしずくが固まってできたと伝えられ、両神が結婚式をあげたところとも言われている。「高千穂神社」の大祭では、神輿がこの池を3回廻って禊(みそぎ)をする。池の中には、コイやチョウザメが泳いでいた。

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 ちなみに、『古事記』の「国生み神話」に出てくる「おのころ島」は、架空の島とする説と実在するという説とある。諸説あるが、淡路島周辺の小島であっただろうという説が有力と考えられている。

・玉垂(たまたれ)の滝
 「おのころ池」の上側、道路沿いの柱状節理の岩壁から、いく筋もの岩清水が出ている。

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・月形・日形(写真なし)
 「玉垂れの滝」の上に生い茂る木の間の岩肌ある半月の岩形を「月形」という。スサノオノミコト(須佐之男命)の乱暴により天照大神が天岩屋にお隠れになったとされる「岩戸神話」の後、スサノオは神々の裁きを受けて、高天原を追放されて出雲へ行く。その時に詫びの印として天照大神を表す「日形」と、その半分の存在もない「月形」で自分を表現したと言われている。現在「日形」は崩壊し「月形」のみが残っているそうだ。

 9:25御塩井駐車場を出て、9:25「高千穂神社」着。
 

●高千穂神社

「高千穂神社」は、1900年前に創建されという古社。

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 高千穂皇神(たかちほすめがみ、日向三代と称される皇祖神とその配偶神の総称)と十社大明神(神武天皇の皇兄ミケヌノミコト(三毛入野命)とその妻子神9柱の総称)を祀る。本殿は、国指定の重要文化財。

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 源頼朝が、天下泰平祈願のために畠山重忠を代参に派遣して、多くの神宝を奉納した。この時重忠によって鉄製鋳造狛犬1対(重要文化財)が献納され、境内にある「秩父杉」も重忠自らが植えたという。文永・弘安の役には、元寇の降伏祈願のために勅使が派遣されたそうだ。

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 「高千穂神社」の主祭神の一柱であるミケヌノミコトが鬼八を退治する彫刻像が、本殿の回廊東側にある。

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 前日の24日(金)夜、ここで「高千穂神楽」を観賞した神楽殿。

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 高千穂の夜神楽は、毎年11月中旬から2月上旬にかけて、町内のおよそ20の集落でそれぞれ氏神を民家等に迎えて奉納される。秋の実りに感謝し、来年の豊穣を祈願するため、神々に33番の神楽を奉納する。ここ「高千穂神社」の神楽殿では、年間を通じて毎夜観光客向けに代表的な4番を演じている。

 10:00「高千穂神社」を出て、10:15「天岩戸神社」(西本宮)前の駐車場に到着。
 

●天岩戸神社

 現代的な容貌の天照大御神の像が、「天岩戸神社」の鳥居の前で我々を出迎える。

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 「天岩戸神社」は、天照大神がお隠れになった天岩戸の洞窟を御神体として祀る。

 10:30から神職の案内で、他の観光客と共に遥拝殿から、天岩戸を参拝する。
 
 (以下の2枚の写真は、2017/10/24に撮影したもの) 

 西本宮の遥拝殿。

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 「天岩戸神社」の神楽殿の前で神職の説明を聞く。

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 「天岩戸神社」の神楽殿は、「高千穂神社」の神楽殿で見た舞台の飾りつけと当然のことながら同じだ。神楽が奉納される舞台を神庭(こうにわ)と言い、四方に飾られる紙飾を彫り物(えりもの)と呼ぶらしい。彫り物は、陰陽(月・日)、五行(木・火・土・金・水)や十二支などが和紙にデザインされ、切り絵になっている。神楽は純粋に神道と思いがちだが、仏教や陰陽五行思想などの影響を受けている。

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 一般向けに「高千穂神社」の「神話の高千穂夜神楽まつり」(11月22・23日)や、ここ「天岩戸神社」でも「天岩戸夜神楽33番大公開まつり」(11月3日)として神楽が披露されるそうだ。

 御神木の招霊(おがたま)の木(モクレン科)。アメノウズメノミコト(天鈿女命)が、天岩戸の前で実を付けたこの枝を持って踊ったという。これがよく巫女さんが持っている神楽鈴の起源であると伝わる。例年春先に白い小さな花が咲き、秋には赤い堅い実を結ぶそうだ。

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 おがたまの実(梅原猛著『天皇家のふるさと日向を行く』より引用)。

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 天岩戸神社の前を流れる岩戸川の川上には、八百万(やおよろず)の神々が集まり相談したという「天安河原(あまのやすかわら)」がある。

 天岩戸神社から、川沿いの遊歩道を川上に向かって10分ほど歩く。

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 この洞窟のある河原が、天岩戸伝説で神々が話し合いをしたとされる「天安河原」。

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 11:30、天岩戸神社で観光ガイド終了。観光ガイドと別れ、国道218号線を延岡方面へ向う。

 途中、日之影町の「道の駅清雲橋」で、 12:05~12:55昼食(鶏ごぼううどん600円)。

 

 北方ICを通過、東九州自動車道を南下して西都ICで降りて、国道219号、国道10号を通って宮崎市街へ。

 14:35、境内に北側に位置する県総合博物館駐車場に車を入れる。


●宮崎神宮

 14:55、観光ガイドと宮崎神宮の二之鳥居で待ち合わせ。

 扁額が無く単純な形をした”神明造り”の鳥居。

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 神武東征で神武天皇が乗った船「おきよ丸」(全長12m、重さ2トン)は、県産杉で作られ境内に安置されている。

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 この「おきよ丸」は、神武東征に登場する古代船のレプリカ。2005年(平成17)の「宮崎神宮大祭」から登場した。伝承によると、美々津(宮崎県日向市)に着いた神武天皇一行は、船を建造する。船も仕上がり出航予定日に備えていた頃、天候が良くなったというので急遽日程を変更して出航を早めるよう命じられた。寝ている人々を慌てて「起きよ、起きよ!」と起こしていった事から、「おきよ丸」という船名がつけられたという。美々津の港には、「日本海軍発祥の地」と書かれた巨大なモニュメントが、1942年(昭和17年)に竣工している。

 「おきよ丸」は、「宮崎神宮大祭」で催される「神武さま」と呼ばれる御神幸(ごしんこう)の行列で、市内を引き廻される。

 「おきよ丸」の乗員は20名程度、西都原古墳群で発掘された舟形埴輪をモデルに製作されたという。神武天皇一行は、親族のみが乗船した1隻のみだったのだろうか、多くの兵士を引き連れる水軍ともなれば、数隻~数10隻の船団であったのか気になる。

 宮崎神宮の神門。

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 拝殿の前にある拝所。扁額は中央に「宮崎神宮」、右に「神武天皇」、左に「鵜葺草葺不合尊 玉依姫命」とある。「宮崎神宮」は、神武天皇を主祭神とし、父・鵜葺草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)と母・玉依姫命(たまよりひめのみこと)の2柱を祀る。

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 宮崎神宮の創建は不詳。社伝によれば、神武天皇の孫にあたるタケイワタツノミコト(健磐龍命、熊本・阿蘇神社のご祭神)が、九州の長官に就任した際、祖父の遺徳をたたえるために鎮祭したのが始まりと伝えられているそうだ。

 現在の社殿は、明治40年に建て替えられたもので、銅板葺きの古代の神社様式とされる”神明造り”。本殿など建物11件が国の有形文化財。

 境内の敷地は、明治神宮の半分くらいだそうだ。1940年(昭和15年)に植林し、現在の境内の森の姿になったという。 

 神武天皇が45歳で大和に東征するまで、ここに都が置かれていたとされる。社務所玄関には、神武天皇が東征に向けた軍議を3人の兄と共に練っている様子が描かれた絵が掲げられている。平澤定人・画の『宮崎の宮』で、戦時中にこの地で描かれたという。外の景色は、高千穂の峰がある霧島連山。

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 16:40、駐車場を出て、16:45平和台公園。
 

●平和台公園

 宮崎市の丘陵地にある県立公園。紀元2600年記念事業として、当時の相川県知事の提案により「八紘一宇の塔」が建設された。

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 塔のデザインは彫刻家の日名子実三氏で、御幣をイメージしているそうだ。「八紘一宇」の文字は、秩父宮雍仁親王の揮毫。日本の支配下にあった世界の国々から、石が持ち込まれたという。1939年(昭和14年)5月から工事開始。翌1940年(昭和15年)11月日に完成し、高松宮宣仁親王を迎えて落成式典が行われた。 

 戦後GHQにより、侵略思想の象徴として「八紘一宇」の碑文と軍人の象徴であった荒御魂(あらみたま)像が撤去され、「平和の塔」に改称。しかし、1962年(昭和37年)に荒御魂像、1965年(昭和40年)に「八紘一宇」の文字が復元された。
 

 18:00 、宮崎市内の繁華街に立つビジネスホテルの「ホテルマリックス」着。 

 荷物を置いて、18:15ホテルを出る。     
  

●宮崎市の繁華街。

 18:25~20:15、中央通りの居酒屋「もも鐡本店」で、鶏もも炭火焼き、カツオのたたき、メヒカリ等の郷土料理を味あう。 

 宮崎の繁華街(西橘通り、一番街、中央通り)を散策、20:25~1時間半ほどカラオケ店へ。    

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 やはり宮崎市は人口の割には、確かに飲み屋が多いようだ。土曜日だったこともあり、人通りの多さ、賑やかさにびっくり。

 21:00過ぎ、「ホテルマリックス」着。入浴後、23:00頃就寝。

 

 ★ ★ ★

 高千穂には、鬼八にまつわる話が多く残されているという。また阿蘇地方にも、鬼八にまつわる似た話があるそうだ。

 梅原猛著の新潮文庫『天皇家のふるさと日向を行く』によれば、記紀神話では神武天皇の長兄は生駒山の戦いで矢傷を受けて亡くなり、次兄は「熊野の海に入った」、そして三兄のミケヌノミコトは「常世(とこよ=あの世)の国へ行った」ことになっている。しかし高千穂の伝説では、ミケヌノミコトは地元に帰ったことになっている。東征の留守中に鬼八という土着の勢力が高千穂を支配していたが、これを退治したという。荒振る神である鬼八は「霜宮」といい、霜の災いを擬人化したもので、今では農耕や厄除けの神として尊敬され日向、肥後地方の人々の信仰を集めているそうだ。

 梅原氏の著書を引用すると、「戦前から戦中にかけて、日向神話の真実性が声高に叫ばれた。日向の地は、やれ天孫降臨の地とか、やれ八紘一宇の根源地とか、やれ海軍の発祥地とか言われたが、それはほぼ近代日本の国家主義的な政策に沿うものに限られていた。・・・戦後は、それに懲りて、逆に神話を歴史から抹殺してしまったのである。」

 宮崎の神話は、明治以降の戦前まで都合の良いところだけ取り上げて、天皇崇拝、国家主義、プロパガンダに利用された。戦後それらは否定されたが、今でも復古主義者たちが、神話を戦前のように利用しようとしている。

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 しかし鬼八のような伝説について、梅原氏は別のインタビューで「こうした事柄を見ていくと、記紀神話が単なるフィクションであるはずない。むしろほぼ事実といえるようなことが、古代の日向で起こったに違いないと確信しています。」と述べている。

 今年1月12日、梅原猛氏が93歳で逝去された。今回の「神話のふるさと日向の国・宮崎探訪の旅」の計画を始めてから、改めて『古事記』の日向神話について学び、そして『天皇家の“ふるさと"日向をゆく』(新潮文庫)を買って読み始めたところで、その訃報を聞いた。憲法9条を守る「九条の会」は、梅原猛氏をはじめ大江健三郎氏、澤地久枝氏、鶴見俊輔氏、井上ひさし氏など9人が呼びかけ人となって10数年前に発足したが、梅原氏の死去で呼びかけ人9人のうち、これで7人が亡くなったことになる。

 昔、梅原猛氏のことを、「国立民俗学博物館」を創設した梅棹忠夫氏の子息かと、勘違いしていたことがあった。宮城県出身で京都大学哲学科を卒業し、立命館大学教授、京都市立芸術大学教授・学長の他、国際日本文化研究センター所長、日本ペンクラブ会長などを歴任された。哲学者で、日本古代史研究やスーパー歌舞伎など、幅広い活動でも有名だ。

 天孫降臨の地をめぐっては、江戸時代以降「臼杵高千穂説」と「霧島高千穂説」の高千穂論争が続いている。降臨にふさわしい、雲にそびえる高千穂峰(標高1574m)の「霧島高千穂説」の方が、有力のように思える。なお「臼杵高千穂説」の中でも天孫降臨の地は、高千穂町内のくしふる峰(標高は低い)、五ヶ瀬町との町境にある二上山(標高1082m)、大分県との県境に位置する祖母山(1756m)などの解釈があるそうだ。
 
 しかし近年、梅原氏が本居宣長(江戸時代の国学者)の唱えた「高千穂移動説」を再評価したことから、この考え方が注目されつつあるという。また、直木賞作家の長部日出雄氏は、梅原説とは逆の移動説を唱えているという。

  梅原氏は、著書の中で本居宣長説を踏まえ、ニニギノミコト(すぐれた稲作技術や養蚕技術を持った渡来人たち)は、鹿児島県の野間半島の笠沙御崎(かささのみさき)に上陸したが、シラス台地は稲作に適した場所ではないため、弥生時代中期から後期頃に臼杵郡の高千穂に入り、西都から更に霧島へ移動したとしている。

 『天皇家の“ふるさと日向をゆく』は、梅原氏が南九州を訪ねて回る古代史研究の紀行文。『古事記』の神話や地元の伝承から、氏の日本古代史論からこれら独自の解釈は、何度読み返しても興味深い。

 
  

【 時間の都合で旅行計画から漏れたその他の見どころ】

・くしふる神社(高千穂町)
 『古事記』にニニギノミコトが降り立った所を「筑紫(九州)の日向の高千穂のくじふる峰」と記されている。その場所と考えられている「くしふる峰」の中腹にあるのが「槵觸(くしふる)神社」。
    
・国見ケ丘(高千穂町)
 標高513mの国見ヶ丘は、雲海の名所として有名。東に五ヶ瀬川に沿って広がる高千穂盆地、西に阿蘇山、北に祖母山をはじめとする連峰、そして南に霊峰「二上山」に続く椎葉の山々を一望できる絶景スポット。
     
・あまてらす鉄道(高千穂町)
 「あまてらす鉄道」は、高千穂鉄道の廃線をうけ2008年に創立。旧高千穂駅~高千穂鉄橋の5.1㎞を往復、所要時間30分。1,300円。
    
・皇宮屋(宮崎市)
 「皇宮屋」(こぐや)は、神武天皇の東征前の皇居跡。神武天皇は、高原郷狭野原(現在の高原町狭野)で誕生、15歳で皇太子となって宮崎へ移り、東征に向かう45歳までここで過ごしたという。現在は宮崎神宮の摂社・皇宮神社となっている。
     
・江田神社(宮崎市)
 「江田神社」は、日本神話に最初に登場する夫婦神イザナギノミコト、イザナミノミコトを祀る。北へ徒歩5分に、けがれたイザナギノミコトが禊(みそぎ)をしたという「みそぎ池(御池)」がある。
    

 


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コメント

・単なる観光旅行と違い、古代史の勉強を兼ねて、現地を訪れると興味がわく。今回は神話ということであまり期待していなかったが、現地での伝承、夜神楽の見学、神社の参拝を通して、神話の意味するところを理解でした。日本の成り立ちは、原住民の縄文人(アイヌ、琉球の人々)と渡来人(大陸からきた弥生人)の混血であると確信した。その征服された歴史が、現在においてもアイヌ民族と沖縄の人々を虐げていることに義憤を感じる。お隣の韓国、北朝鮮、中国にたいする偏見も歴史を正しく理解すれば、尊敬こそすれ、軽蔑する態度はとれないはずである。天皇家の祖先は、朝鮮半島からきたということをすべての日本人が理解することがまず第一と思う。梅原猛氏の古代史の本をいろいろ読んでさらに勉強したいと思った。

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