国立西洋美術館「ル・コルビュジエ展」
2019年2月24日(日)、午後から「国立西洋美術館」(台東区上野公園)の特別展の「ル・コルビュジエ展」と「林忠正展」、常設展を観覧。
午前中は、「江戸東京博物館」(東京都墨田区)の常設展を観覧。両国駅前で昼食後、上野へ。
13:30~16:00、「国立西洋美術館」を観覧する。
ル・コルビュジエが設計した「国立西洋美術館」本館は、2016年にユネスコ世界文化遺産に登録された。美術館入口の”ピロティ”と呼ばれる柱で支えられた空間も、ル・コルビュジエ建築の特徴の一つ。
●[本館] 国立西洋美術館開館60周年記念
特別展「ル・コルビュジエ 絵画から建築へ ― ピュリスムの時代」 観覧料1,600円。
20世紀建築の巨匠ル・コルビュジエ(1887-1965)が設計した「国立西洋美術館」の開館60周年を記念して本展覧会が開催。
ル・コルビュジエは、第一次大戦の終結直後の1918年末、故郷のスイスを離れて芸術のパリで「ピュリスム(純粋主義)」の運動を始めた。絵画、建築、都市計画、出版、インテリア・デザインなど多方面に渡った約10年間の活動を振り返り、ル・コルビュジエとピカソやブラックなど同時代の作家たちの美術作品約100点に、建築模型、出版物、映像などの多数の資料を展示。
(建築模型以外の絵画や資料は、撮影禁止。以下5枚の写真は、ル・コルビュジエ展のパンフから転載。)
①ピュリスム(純粋主義)の画家ジャンヌレ
シャルル=エドゥアール・ジャヌレ(ル・コルビュジエの本名) 《多数のオブジェのある静物》 1923年 油彩/カンヴァス
若き、ル・コルビュジエの日常生活と希望をうかがわせるテーブルの上の静物。
アメデ・オザンファン 《和音》 1922年 油彩/カンヴァス
オザンファンはジャンヌレに油絵の技法を教え、ピュリスムの理論を作るにあたっても主導的な役割を務めた。
②キュビスム(立体派)との対峙
ジャンヌレは、ピカソ、ブラック、レジェらのキュビスム(立体派)を批判するが、ピュリスムと同じ方向であることを知り、認識を改め理解を深める。やがてキュビスムは、ル・コルビュジエの絵画以外の建築造形に影響を与える。
パブロ・ピカソ 《静物》 1922年 油彩/カンヴァス
ジョルジュ・ブラック 《食卓》 1920年 油彩/カンヴァス
フェルナン・レジェ 《サイフォン》 1924年 油彩/カンヴァス
③絵画から建築家へ-総合芸術家ル・コルビュジエの多彩な活動
ル・コルビュジェ 「メゾン・ドミノ」 1/30模型 2005年模型製作。
柱と床面で建物の加重を支え、階段で上下階をつなぐという構造の考え方。
ル・コルビュジェ 「画家オザンファンのアトリエ・住宅」 1/30模型 1922-23設計、1988年模型製作
(下の写真はその内部で、ル・コルビュジエのパンフから転載。)
ル・コルビュジェ 「スタイン=ド・モンヅィ邸」 1/30模型 1988年模型製作
ル・コルビュジエ 「イムブール=ヴィラ」 1/100模型 1988年模型製作
ル・コルビュジエ 「国立西洋美術館」の本展示室(実物) 1959年完成
建築模型を展示している本館ホールの吹き抜け、柱と梁、三角の明り取り窓。
ル・コルビュジエ 「サヴォア邸」 1928-31年設計 (写真は、ウィキペディアコモンズ)
ル・コルビュジエの建築の中でも最も有名な作品の一つで、世界遺産。
●[新館 版画素描展示室] 特別展「林忠正―ジャポニスムを支えたパリの美術商」
「林忠正展」のポスター。
林 忠正(1853 - 1906)は、明治時代に西洋で日本美術品を商った初めての美術商。
日本でフランス語を習得、1878(明治10)年のパリ万国博覧会に通訳として渡仏。日本の絵画や工芸品が大きな人気を博していた時代、万博終了後もパリに留まり、当地でそれらを商う店を構えた。
また1900年(明治33年)のパリ万国博覧会では、日本事務局の事務官長を務めた。
(写真は、「林忠正展」作品リストの表紙)
本展は、林忠正の孫の夫人で歴史作家・木々康子氏の所蔵品を中心に、万博などとの関わりや、日本と西洋との交友、コレクションなど、林忠正の生涯にわたる活動を展示。
●[新館] 常設展「中世末期から20世紀初頭にかけての西洋絵画とフランス近代彫刻」
常設展示室には、中世末期から20世紀初頭にかけての西洋絵画と、ロダンを中心とするフランス近代彫刻を年間を通じて展示してある。
クロード・モネ 《船遊び》 1887年 油彩/カンヴァス 松方コレクション
クロード・モネ 《睡蓮》 1916年 油彩/カンヴァス 松方コレクション
クロード・モネ 《陽を浴びるポプラ並木》 1891年 油彩/カンヴァス 松方コレクション
ピエール=オーギュスト・ルノワール 《アルジェリア風のパリの女たち(ハーレム)》 1872年 油彩/カンヴァス 松方コレクション
ピエール=オーギュスト・ルノワール 《帽子の女》 1891年 油彩/カンヴァス 松方コレクション
ピエール=オーギュスト・ルノワール 《横たわる浴女》 1906年 油彩/カンヴァス 寄贈
ジョアン・ミロ 《絵画》 1953年 油彩/カンヴァス 寄贈
パブロ・ピカソ 《アトリエのモデル》 1965年 油彩/カンヴァス 寄贈
ラファエル・コラン 《詩》 1899年 油彩、カンヴァス 2015年購入
ラファエル・コラン 《楽》 1899年 油彩、カンヴァス 2015年購入
オーギュスト・ロダン 《説教する洗礼者ヨハネ》 ブロンズ 1880年(原型) 1944年(鋳造) 松方コレクション
●屋外(前庭)の彫刻展示 (2017/11/09撮影)
オーギュスト・ロダン 《考える人》(拡大作) 1881-82年(原型) 1902-03年(拡大) 1926年(鋳造) ブロンズ 松方コレクション
オーギュスト・ロダン 《カレーの市民》 1884-88年(原型) 1953年(鋳造) ブロンズ 松方コレクション
エミール=アントワーヌ・ブールデル 《弓を引くヘラクレス》(習作) 1909年 ブロンズ 松方コレクション
17:15~19:00、川越駅東口の居酒屋「テング酒場」にて、本日ミュージアム巡りの反省会。
「国立西洋美術館」には、過去何回か行ったが、本館が常設展示、新館が特別展展示だった。今回は、ル・コルビジエが設計した本館で「ル・コルビュジエ展」を開催するため、常設展示と特別展示が入れ替っていた。
この入れ替えにより、常設展の中世時代の絵画の展示が少なくなっていたようだが、良く知られているモネ、ルノアール、ゴーギャン、ピカソなど20世紀初頭の作品が多く展示されていた。順路通りに回らなかったので、戸惑って館内でうろうろしてしまったが、やはり本記事の順のように、特別展から常設展を見るのが順路だったようだ。
当日午前中は「江戸東京博物館」、午後から「国立西洋美術館」とミュージアムをハシゴして、かなり疲れてしまった。ミュージアム巡りは、今回までのように2ヶ所以上を効率良くハシゴするのが良いのか、1日かけて1ヶ所をゆっくり見るのが良いのか、悩ましい。
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「国立西洋美術館」は、フランス政府から日本へ寄贈返還された「松方コレクション」を保存・公開するために設立された。「松方コレクション」は、松方幸次郎(1866~1950)が収集した美術コレクション。パリに残されていた一部は、第二次世界大戦でフランス政府に敵国人財産として管理され、その後フランス国有財産となったが、日仏友好のため返還寄贈された。
返還寄贈に当たって、仏政府は新設美術館を要求、日仏間の国交回復の象徴として、20世紀を代表する建築家の一人であるフランス人建築家ル・コルビュジエの設計により、1959(昭和34)年3月に竣工した。
明治の美術商・林忠正は、19世紀末のパリに本拠を置き、ヨーロッパ・アメリカ・中国などを巡って、日本から仕入れた浮世絵などの絵画や工芸品など日本美術品を販売した。彼は美術商としてだけではなく、日本の文化や美術の紹介にも努め、芸術家や研究者の仕事を助けたり、各国博物館の日本美術品の整理に携わったりした。
林の活動は、商品に関する知識と共に、西洋の日本美術を愛好する芸術家たちに大いに受け入れられ、”ジャポニスム”ブームの大きな力になった。このことは、本ブログ記事の「国立西洋美術館『北斎とジャポニスム』」でも明らかだ。
浮世絵からヒントに、新しい画風を創りろうとした印象派の画家たちと親交を結び、また日本に初めて印象派の絵画を紹介した。エドゥアール・マネと親しくなった日本人は、彼一人であるとされている。
そういった林の文化的貢献に対し、フランス政府は1894年(明治27年)に「教育文化功労章2級」を、1900年(明治33年)には「教育文化功労章1級」及び「レジオン・ドヌール3等章」を贈っている。
美術館の文化的役割の重要性を認識していた林は、日本での初の美術館建設を夢見て、西洋美術品収集を少しずつ充実させていた。1905年(明治38年)の帰国に際し、500点もの印象派のコレクションを持ち帰り、自分の手で”西洋近代美術館”を建てようと構想・計画したがその翌年、東京で没した。52歳という早すぎる死によって、夢は果たされることなく、、また彼のコレクションも散逸してしまったという。
林は、浮世絵などの大量の日本美術品を国外に流出させた人物として、批判されることもある。しかし一方で、芸術を通じて海外文化交流に尽した功績を評価されるべきという意見もある。
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