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2019年3月の3件の投稿

2019年3月15日 (金)

森林公園の早春ウォーク

 2019年3月13日(水)、「国営武蔵丘陵森林公園」(埼玉県滑川町)の早春の花を探してウォーキング。

 

 この日の天気は、晴れ。最高気温は17℃で、4月上旬から下旬の暖かさ。天気予報では、強い風と花粉に注意とのこと。

 東武東上線森林公園駅の北口前に集合。お昼の弁当が配られ、9時ウォーキングスタート。駅北口前から、まずは「武蔵丘陵森林公園」の南口を結ぶおよそ3キロの遊歩道を歩く。

 9時55分に公園南口から入園、公園の梅林(花木園)までは約1キロ。梅林に向かう途中、菜の花と寒桜が咲いている。

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 10時10分頃、梅林に到着。ここは約120品種500本の梅林。梅林全体としての最盛期は2月下旬ごろだそうだが、品種が多いため、一斉には咲きそろわない。早咲きの紅梅は1月から、遅咲き品種は3月半ばまで開花するそうだ。

 梅は、バラ科サクラ属の落葉小高木。中国原産で、日本へは奈良時代に渡来した。

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 「御所紅(ごしょべに)」は、梅の栽培品種の1つ。京都御所より伝わったとされる。樹高は3~6m。葉は楕円形で、互い違いに生える。紅色をした八重咲きの中輪(花径20~25mm)。

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 「紅千鳥(べにちどり)」は、花びらが衰え、やや見頃を過ぎていた。飛び出た旗弁(雄しべが花びらのように変化したもの)を千鳥に見立てた栽培品種。樹高は3~6m。葉は楕円形で、互い違いに生える。明るい紅色をした一重咲きの中輪(20~25mm)。

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 白、ピンク、紅色の梅林の中、「サンシュユ(山茱萸)」の黄色い花がアクセント。

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 サンシュユは、ミズキ目ミズキ科の落葉小高木。江戸時代に朝鮮経由で種子が日本に持ち込まれ、薬用植物として栽培されるようになったという。

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 足元には、黄色の「水仙」や「福寿草」の花も色を添える。

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 梅林の「クロッカス」。アヤメ科の球根植物。原産地はヨーロッパ南部や地中海沿岸から小アジア。黄色・白・薄紫・紅紫色・白に藤色の絞りなどがある。

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 梅林の斜面を散策しながら様々な品種の梅の花を観賞し、平日で静かな「運動広場」に10時50分頃移動。木製のテーブルを囲んで、早めの昼食。11時25分頃、この場で解散。

 

 この後は、「アイスランドポピー」(写真なし)がチラホラ咲き始めた運動広場のポピー畑を散策。更に、公園中央口の先、遠く植物園のあたりまで足を延ばす。 

 植物園展示棟前の「クリスマスローズ」。花に見える部分は、萼(がく)片という部分。花びらのように散ることが無いため、鑑賞期間が比較的長い。

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 ヘレボルスは、キンポウゲ科クリスマスローズ属に分類される植物の総称。「クリスマスローズ」という呼称は、クリスマス時期にバラに似た花を咲かせるヘレボルス・ニゲルという品種だけに付けられた名前だそうだ。日本の園芸市場では、ヘレボルスの他の品種も「クリスマスローズ」の名前で呼ばれているという。多くの品種は、クリスマスのころではなく、春に開花する。花色、花形のバリエーションが多い。

 植物園展示棟では、150品種の色とりどりのツバキの写真を展示。(写真をクリックすると、拡大表示)

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 植物園花木園の「アカシア」。マメ科ネムノキ亜科。熱帯から温帯にかけて、特にオーストラリア大陸、アフリカ大陸に多数の種が分布するという。

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 日本においては、明治時代に輸入された「ニセアカシア」を当時「アカシア」と称していたことから、現在でも混同されるそうだ。

 公園・庭園樹園のチューリップの一部が開花。見頃は、3月末頃からか。花畑の半分は、ピンク色の「クリスマスパール」。

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 公園・庭園樹園の「クリスマスローズ」。

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 渓流広場の「クロッカス」。

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 野草コース入口を経て、展望広場下の椿園(花木園)に行く。

 椿園にはm11月から4月に開花する1000本、400品種以上のツバキが植えられている。江戸で生まれた「古典江戸椿」も100品種以上あるという。

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 といっても、桜や梅よりも品種による開花時期に幅があるため、この時期に咲いている花はわずか。

 気品のある華やかな椿の「唐錦(からにしき)」は、品種としての歴史が古く、江戸椿の銘花とされている。淡桃地に紅色の小絞りや吹掛け絞りの八重大輪花。

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 この日は心配した強い風もなく、少し汗ばむくらいの暖かな日差しの中で、早春を感じながらのウォーキング、およそ13Kmを歩いた。

 

 公園南口からはさすがに足が疲れていて、14:30発の森林公園駅行きの路線バスに乗って帰る。

 帰宅すると、久しぶりの筋肉痛。おまけに花粉に終日さらされていたためか、症状が悪化してしまった。

 

 本ブログの関連記事

  「森林公園の観梅ウォーク」 2018年3月19日投稿
   http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2018/03/post-ff07.html

  「森林公園の早春の花」 2017年3月15日投稿
   http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2017/03/post-0609.html

 

 ★★★

 3月14日(木) 午後7時30分から、NHK番組『ネーミングバラエティー 日本人のおなまえっ!』で、「桜と花見のおなまえ」というテーマを放映していた。

 日本の「花見」は、奈良時代に中国から伝来したばかりの梅が、貴族の行事として鑑賞され始めたのが起源。しかし平安時代には、それが桜に代わってきた。『万葉集』には梅を詠んだ歌が110首、桜を詠んだ歌が43首だった。それが150年後の『古今和歌集』になると、梅が18首に対し桜が70首と大逆転した。
 
 そして「花見」は、桜を鑑賞することを言う、梅を鑑賞する言葉には「観梅」というのがある。一般的に、「桜」はサクラの花を指し、実は「サクランボ」。「梅」はウメの実を指し、花は「梅の花」と言うのは面白い。「花」が桜の代名詞として使われ、女性の美しさが桜に例えられるようになるのもこの頃からだそうだ。

  しかし古風な「ウメ」や「梅子」という女性の名前はよく聞くが、「サクラ」という名前はあまり聞いたことはない。桜が短命であることや、散る桜、武士道、大和魂のイメージから、あまり女性の名前に使われなかったようだ。

 最近になって、「さくら」にちなんだ女性の名前が急激に多くなったという。2000年(平成12年)4月発売の桜を歌った福山雅治の『桜坂』がヒットしてから、森山直太朗、コブクロ、いきものがかり・・・等々の「さくらソング」が流行。桜のイメージが変わって来たお陰というNHKの説明は、とても納得した。

2019年3月 3日 (日)

国立西洋美術館「ル・コルビュジエ展」

 2019年2月24日(日)、午後から「国立西洋美術館」(台東区上野公園)の特別展の「ル・コルビュジエ展」と「林忠正展」、常設展を観覧。

 午前中は、「江戸東京博物館」(東京都墨田区)の常設展を観覧。両国駅前で昼食後、上野へ。

 13:30~16:00、「国立西洋美術館」を観覧する。

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 ル・コルビュジエが設計した「国立西洋美術館」本館は、2016年にユネスコ世界文化遺産に登録された。美術館入口の”ピロティ”と呼ばれる柱で支えられた空間も、ル・コルビュジエ建築の特徴の一つ。

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●[本館] 国立西洋美術館開館60周年記念 

 特別展「ル・コルビュジエ 絵画から建築へ ― ピュリスムの時代」 観覧料1,600円。

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 20世紀建築の巨匠ル・コルビュジエ(1887-1965)が設計した「国立西洋美術館」の開館60周年を記念して本展覧会が開催。

 ル・コルビュジエは、第一次大戦の終結直後の1918年末、故郷のスイスを離れて芸術のパリで「ピュリスム(純粋主義)」の運動を始めた。絵画、建築、都市計画、出版、インテリア・デザインなど多方面に渡った約10年間の活動を振り返り、ル・コルビュジエとピカソやブラックなど同時代の作家たちの美術作品約100点に、建築模型、出版物、映像などの多数の資料を展示。

 (建築模型以外の絵画や資料は、撮影禁止。以下5枚の写真は、ル・コルビュジエ展のパンフから転載。)
 

①ピュリスム(純粋主義)の画家ジャンヌレ

 シャルル=エドゥアール・ジャヌレ(ル・コルビュジエの本名) 《多数のオブジェのある静物》 1923年 油彩/カンヴァス 

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 若き、ル・コルビュジエの日常生活と希望をうかがわせるテーブルの上の静物。

 アメデ・オザンファン 《和音》 1922年 油彩/カンヴァス

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 オザンファンはジャンヌレに油絵の技法を教え、ピュリスムの理論を作るにあたっても主導的な役割を務めた。
 

②キュビスム(立体派)との対峙

 ジャンヌレは、ピカソ、ブラック、レジェらのキュビスム(立体派)を批判するが、ピュリスムと同じ方向であることを知り、認識を改め理解を深める。やがてキュビスムは、ル・コルビュジエの絵画以外の建築造形に影響を与える。

 パブロ・ピカソ 《静物》 1922年 油彩/カンヴァス

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 ジョルジュ・ブラック 《食卓》 1920年 油彩/カンヴァス

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 フェルナン・レジェ 《サイフォン》 1924年 油彩/カンヴァス

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③絵画から建築家へ-総合芸術家ル・コルビュジエの多彩な活動

 ル・コルビュジェ 「メゾン・ドミノ」 1/30模型 2005年模型製作。

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 柱と床面で建物の加重を支え、階段で上下階をつなぐという構造の考え方。

 ル・コルビュジェ 「画家オザンファンのアトリエ・住宅」 1/30模型 1922-23設計、1988年模型製作

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 (下の写真はその内部で、ル・コルビュジエのパンフから転載。)

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 ル・コルビュジェ 「スタイン=ド・モンヅィ邸」 1/30模型 1988年模型製作

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 ル・コルビュジエ 「イムブール=ヴィラ」 1/100模型 1988年模型製作

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 ル・コルビュジエ 「国立西洋美術館」の本展示室(実物) 1959年完成

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 建築模型を展示している本館ホールの吹き抜け、柱と梁、三角の明り取り窓。

 ル・コルビュジエ 「サヴォア邸」 1928-31年設計 (写真は、ウィキペディアコモンズ)

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 ル・コルビュジエの建築の中でも最も有名な作品の一つで、世界遺産。
 

 

●[新館 版画素描展示室] 特別展「林忠正―ジャポニスムを支えたパリの美術商」

 「林忠正展」のポスター。

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 林 忠正(1853 - 1906)は、明治時代に西洋で日本美術品を商った初めての美術商。

 日本でフランス語を習得、1878(明治10)年のパリ万国博覧会に通訳として渡仏。日本の絵画や工芸品が大きな人気を博していた時代、万博終了後もパリに留まり、当地でそれらを商う店を構えた。

 また1900年(明治33年)のパリ万国博覧会では、日本事務局の事務官長を務めた。

 (写真は、「林忠正展」作品リストの表紙)

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 本展は、林忠正の孫の夫人で歴史作家・木々康子氏の所蔵品を中心に、万博などとの関わりや、日本と西洋との交友、コレクションなど、林忠正の生涯にわたる活動を展示。
 

 

●[新館] 常設展「中世末期から20世紀初頭にかけての西洋絵画とフランス近代彫刻」

 常設展示室には、中世末期から20世紀初頭にかけての西洋絵画と、ロダンを中心とするフランス近代彫刻を年間を通じて展示してある。

 クロード・モネ 《船遊び》 1887年 油彩/カンヴァス 松方コレクション

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 クロード・モネ 《睡蓮》 1916年 油彩/カンヴァス 松方コレクション

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 クロード・モネ 《陽を浴びるポプラ並木》 1891年 油彩/カンヴァス 松方コレクション

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 ピエール=オーギュスト・ルノワール 《アルジェリア風のパリの女たち(ハーレム)》 1872年 油彩/カンヴァス 松方コレクション

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 ピエール=オーギュスト・ルノワール 《帽子の女》 1891年 油彩/カンヴァス 松方コレクション

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 ピエール=オーギュスト・ルノワール 《横たわる浴女》 1906年 油彩/カンヴァス 寄贈

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 ジョアン・ミロ 《絵画》 1953年 油彩/カンヴァス 寄贈

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 パブロ・ピカソ 《アトリエのモデル》 1965年 油彩/カンヴァス 寄贈

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 藤田嗣治 《座る女》 1929年 油彩/カンヴァス 寄贈

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 ラファエル・コラン 《詩》 1899年 油彩、カンヴァス 2015年購入

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 ラファエル・コラン 《楽》 1899年 油彩、カンヴァス 2015年購入

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 オーギュスト・ロダン 《説教する洗礼者ヨハネ》 ブロンズ 1880年(原型) 1944年(鋳造) 松方コレクション

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●屋外(前庭)の彫刻展示 
(2017/11/09撮影)

 オーギュスト・ロダン 《考える人》(拡大作) 1881-82年(原型) 1902-03年(拡大) 1926年(鋳造) ブロンズ 松方コレクション

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 オーギュスト・ロダン 《カレーの市民》 1884-88年(原型) 1953年(鋳造) ブロンズ  松方コレクション

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 エミール=アントワーヌ・ブールデル 《弓を引くヘラクレス》(習作) 1909年 ブロンズ 松方コレクション

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 17:15~19:00、川越駅東口の居酒屋「テング酒場」にて、本日ミュージアム巡りの反省会。

 

  「国立西洋美術館」には、過去何回か行ったが、本館が常設展示、新館が特別展展示だった。今回は、ル・コルビジエが設計した本館で「ル・コルビュジエ展」を開催するため、常設展示と特別展示が入れ替っていた。

 この入れ替えにより、常設展の中世時代の絵画の展示が少なくなっていたようだが、良く知られているモネ、ルノアール、ゴーギャン、ピカソなど20世紀初頭の作品が多く展示されていた。順路通りに回らなかったので、戸惑って館内でうろうろしてしまったが、やはり本記事の順のように、特別展から常設展を見るのが順路だったようだ。

 当日午前中は「江戸東京博物館」、午後から「国立西洋美術館」とミュージアムをハシゴして、かなり疲れてしまった。ミュージアム巡りは、今回までのように2ヶ所以上を効率良くハシゴするのが良いのか、1日かけて1ヶ所をゆっくり見るのが良いのか、悩ましい。



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  国立西洋美術館「北斎とジャポニスム」 2018/01/23 投稿
   http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2018/01/post-1a03.html

  東京都美術館「ゴッホ展」 2017/11/27 投稿
   http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2017/11/post-df9b.html

  国立西洋美術館「ホドラー展」 2015/01/13 投稿
   http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2015/01/post-e775.html


 

 ★ ★ ★

 「国立西洋美術館」は、フランス政府から日本へ寄贈返還された「松方コレクション」を保存・公開するために設立された。「松方コレクション」は、松方幸次郎(1866~1950)が収集した美術コレクション。パリに残されていた一部は、第二次世界大戦でフランス政府に敵国人財産として管理され、その後フランス国有財産となったが、日仏友好のため返還寄贈された。

 返還寄贈に当たって、仏政府は新設美術館を要求、日仏間の国交回復の象徴として、20世紀を代表する建築家の一人であるフランス人建築家ル・コルビュジエの設計により、1959(昭和34)年3月に竣工した。
 

 明治の美術商・林忠正は、19世紀末のパリに本拠を置き、ヨーロッパ・アメリカ・中国などを巡って、日本から仕入れた浮世絵などの絵画や工芸品など日本美術品を販売した。彼は美術商としてだけではなく、日本の文化や美術の紹介にも努め、芸術家や研究者の仕事を助けたり、各国博物館の日本美術品の整理に携わったりした。

 林の活動は、商品に関する知識と共に、西洋の日本美術を愛好する芸術家たちに大いに受け入れられ、”ジャポニスム”ブームの大きな力になった。このことは、本ブログ記事の「国立西洋美術館『北斎とジャポニスム』」でも明らかだ。

 浮世絵からヒントに、新しい画風を創りろうとした印象派の画家たちと親交を結び、また日本に初めて印象派の絵画を紹介した。エドゥアール・マネと親しくなった日本人は、彼一人であるとされている。 

 そういった林の文化的貢献に対し、フランス政府は1894年(明治27年)に「教育文化功労章2級」を、1900年(明治33年)には「教育文化功労章1級」及び「レジオン・ドヌール3等章」を贈っている。

 美術館の文化的役割の重要性を認識していた林は、日本での初の美術館建設を夢見て、西洋美術品収集を少しずつ充実させていた。1905年(明治38年)の帰国に際し、500点もの印象派のコレクションを持ち帰り、自分の手で”西洋近代美術館”を建てようと構想・計画したがその翌年、東京で没した。52歳という早すぎる死によって、夢は果たされることなく、、また彼のコレクションも散逸してしまったという。

 林は、浮世絵などの大量の日本美術品を国外に流出させた人物として、批判されることもある。しかし一方で、芸術を通じて海外文化交流に尽した功績を評価されるべきという意見もある。

2019年3月 2日 (土)

江戸東京博物館

 2019年2月24日(日)、「江戸東京博物館」(東京都墨田区)の常設展を観覧する。
 

 JR両国駅を出るとすぐに「両国国技館」を左に見て歩き、広い長い階段を上がると高床式の倉をイメージしたという「江戸東京博物館」。9:20、チケット売り場がある「江戸東京ひろば」に着く。

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 「江戸東京ひろば」は、「江戸東京博物館」の3階。この建物には2階と4階はない。

 ひろばから「両国国技館」を振り返る。

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 9:30、3階からエスカレータで5階を経て、6階まで上る。6階の常設展示室の入口には、日本橋の実物大の模型。

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 10:00~、ボランティアガイドの案内で館内を巡る。

 日本橋の大きさは全長15m、幅8m。その北側半分が復元されている。床板だけでも、いかに大きい木材が使われたか分かる。日本橋は1603年(慶長8年)に架けられ、諸街道の起点。一帯には魚河岸、米河岸、材木河岸などが造られた。

 日本橋を渡り、「江戸ゾーン」(江戸城と町割り)へ。

 寛永の町人地。江戸初期、日本橋北詰付近。左手前の大きな建物は、現在の三越日本橋店。敷地が広く多くの建物が建っていた大名屋敷に比べ、町人の家は一戸一戸がきわめて狭かった。

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 江戸城の中心部である内堀に囲まれた内郭は、本丸・二丸・西丸・吹上御庭などから構成され、本丸・二丸・西丸にそれぞれ御殿があった。

 この模型は、本丸御殿(奥の方)と二丸御殿(手前)の幕末期における様子を1/200で復元。

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 本丸御殿には御玄関に始まり、表(幕府の政庁)、奥(将軍の執務と日常生活)、大奥(御台所と奥女中が生活)があった。大奥に隣接して天守台があった。

 1657年(明暦3年)に起きた「明暦の大火」で消失するまで、江戸城には全高は60mほどもある日本最大の天守閣(写真右上)があった。城下の復興再建を優先、また天下泰平の世になっていたため、以後は天守閣が再建されることはなかった。

 江戸城本丸御殿、諸大名が将軍に拝謁する大広間。最も高い位置に将軍が座る。右奥は勅使との対面などに用いられた白書院。

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 大広間(左手)と白書院(右手)を結ぶL字型の松の廊下。

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 江戸城本丸大手門の前に建てられた、越前福井藩主・松平忠昌の桃山風の上屋敷。明暦の大火により焼失、以後このような華麗な大名屋敷は姿を消した。

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 寛永の町人地と同じ縮尺で復元。大名の敷地は広く、多くの建物が建っていた。

 豪華な松平忠昌の屋敷の門。

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 「江戸図屏風」(国立歴史民俗博物館所蔵)のレプリカ。

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 木造徳川家康坐像(芝東照宮所蔵)のレプリカ。

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 大名や公家が乗るの豪華な乗物(のりもの)。質素な駕篭(かご)とは区別された。

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 5階に下りると、「江戸ゾーン」(庶民の文化)が展示されている。

 棟の前後で部屋を分ける形のものを「棟割長屋(むねわりながや)」と呼んだ。火事のこともあって、着物や家財道具はあまり持たず、「損料屋」というレンタル屋で借りた。

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 火消は、幕府直轄で旗本が担当した定火消(じょうびけし)、大名に課役として命じられた大名火消と、町人によって組織された町火消の3系統があった。

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 町火消は、第8代将軍吉宗の時代に始まる町人による火消。消火活動は、延焼を防ぐため建物を破壊していくという破壊消防が主で、一般の町人よりも鳶職人で構成された。竜吐水は木製の手押ポンプで水を15mほど飛ばすことができたが、継続的に水を供給することが難しく、それほど消火の役に立たなかったそうだ。

 読み・書き・そろばんの寺子屋の風景。当時から日本人の識字率は高かった。

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 上水井戸。江戸市中には、道路下に上水を通す樋(ひ)が埋設され、上水を供給。長屋に設けられた上水井戸を通して、人々に届けられた。

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 絵草紙屋の店内。庶民が楽しんだ草双紙や錦絵といったさまざまな書物や刷り物も出版された。

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 寿司屋の屋台。現代に比べ一貫が大きい。ネタを赤酢に浸したものを使用したため米が赤っぽかったそうだ。

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 江戸で代表的な呉服店の「三井越後屋」江戸本店。

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 現代のような「店先売り」や「現銀掛値無し」といった、店頭販売や現金取引による新たな商取引が始まった。

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 「神田祭り」の行列の様子。代表的な山車(だし)や神輿(みこし)などを抜粋して復元。

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 「神田祭り」の山車を原寸大で復元。

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 江戸時代9月15日の神田明神の祭礼の日には、神輿の前後に30数台の山車とさまざまな練物(ねりもの)が従い、隔年に江戸城に繰り込み、将軍が上覧したという。この山車は、江戸末期の須田町のものを再現。人形は中国の三国時代の武将・関羽。こういった山車は、明治以降に電線敷設の影響で、東京の祭りから山車が消え、神輿中心になったという。

 江戸の盛り場、両国橋の西詰。

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 両国橋の西詰の広小路には、歌舞伎などの見世物小屋、髪結床(かみゆいどこ)、水茶屋などがいくつも立ち並び、寿司・てんぷら・うなぎなどの屋台、すいか売り、朝顔売りなどの物売りや大道芸人も集まっていた。隅田川は、小舟や屋根舟、屋形船が行きかい、夏には花火大会で賑わった。

 江戸歌舞伎の代表的な演目「助六」の舞台を展示。

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 「助六」は、歌舞伎十八番の一つで、「助六ゆかりの江戸桜」の通称。1713年(正徳3年)に2代目市川団十郎が初演。助六(左、実は曽我兄弟の曽我五郎)は、失われた銘刀・友切丸を探すため吉原へ出入りするが、花魁・揚巻(中央)に横恋慕する髭の意休(いきゅう、右)の所持する刀が友切丸と知り、取り戻すという筋。

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 なお「助六寿司」は、稲荷寿司と海苔巻き寿司を折り詰めにしたもの。花魁・揚巻の”揚げ”が油揚げ、”巻き”は海苔巻きのことから由来する。

 歌舞伎などの芝居見物は、町人や武士といった身分に関係なく、江戸の人々にとっては最大の娯楽だった。

 代表的な歌舞伎の芝居小屋である「江戸三座」の一つ「中村座」の正面部分。

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 「江戸三座」は、江戸時代中期~後期にかけて江戸町奉行所によって歌舞伎興行を許された芝居小屋。江戸には当初数多くの芝居小屋があったが次第に整理され、中村座、市村座、森田座、山村座の四座に限って「櫓をあげる」ことが認められた。最終的に、山村座が取りつぶされ三座となった。

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 「江戸ゾーン」を見終わると、もう11:55。
 

 この後、同じ5階にある明治以降の常設展示の「東京ゾーン」、企画展「春を寿(ことほ)ぐ ―徳川将軍家のみやび―」やミュージアムショップは、時間がなくて省略。

 

 両国駅前の商業施設「両国江戸NOREN」の2階「築地食堂 源ちゃん」で、昼食(~13:00)。「旨味・源ちゃん丼」980円は、松前漬けと天かすが入った海鮮丼の定食。

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 午後から「国立西洋美術館」(台東区上野公園)へ移動。

 

 ★ ★ ★

 「江戸東京博物館」の常設展は、一般600円、65歳以上300円。当日2月24日(日)は「天皇陛下御在位三十年記念式典」が行われる日で、観覧料がだれでも無料。チケット売り場に行かず、直接6階常設展示室入口から入る。

 ちなみに、「天皇陛下御在位三十年記念式典」は内閣府が主催で首相が式典委員長を務め、天皇、皇后両陛下のご臨席の下で、国立劇場(東京都千代田区)で開かれた。「国民でお祝いする式典」だそうだが、一般国民は参加できず、新聞・テレビで見るだけ。

 前回「江戸東京博物館に行ったのは、NHK大河ドラマ『利家とまつ』が放送されていた頃、2002年だと思う。17年も前のことで、ずいぶん前のことだ。日本橋の実物大模型や芝居小屋、文明開化、関東大震災や太平洋戦争中の庶民の生活などの展示を憶えている。特別展だったかどうか、『利家とまつ』にちなんだ加賀百万石の展示もあったようだ。

 今回の江戸の展示は、奥が深くて興味深い内容が多く、またガイドの話も面白くて分かり易く、2時間以上かけても全部は見終わらなかった。機会があれば、「東京ゾーン」も含めてもう一度ゆっくり見たい。

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