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2019年1月の2件の投稿

2019年1月29日 (火)

高輪・目黒界隈

 2019年1月19日(土)、高輪・目黒界隈を巡る新春ウォーク。

 

 天気は晴れ、最高気温は11℃。12キロほどを歩く。

 10:00、地下鉄南北線「白金高輪駅」着。10:10、1番出口をスタート。

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 桜田通り(国道1号線)を南下、5分ほど歩くと右手に「覚林寺」がある。

 

❶覚林寺(港区白金台1丁目、10:18~10:23)

 加藤清正公を祀る日蓮宗の寺院。この地はかつて肥後熊本藩細川家の中屋敷であった。

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 地元では「白金の清正公さま」と親しまれる。毎年、5月4、5日の大祭では、葉菖蒲入りのお守りが授与される。勝負の守り神として信仰。江戸最初の七福神巡りとされる元祖山手七福神の一つ、毘沙門天を祀る寺でもある。

 桜田通りに沿ってその先に、「明治学院大学」、「明治学院高校」も敷地がある。明治学院前交差点付近の正門から入門。

 
❷明治学院大学(白金台1丁目、10:28~10:40)

 「明治学院」の起源は、1863年にジェームス・カーティス・ヘボンが横浜に開いた「ヘボン塾」。のちに男子部は「明治学院」、女子部は「フェリス女学院」となる。ヘボン塾は後に「一致英和学校」と改称。1887年、「一致英和学校」、「英和予備校」、「東京一致神学校」の3校を統合して最古のキリスト教主義学校として「明治学院」が設立された。

 「明治学院記念館」、「インブリー館」、「明治学院礼拝堂」という明治末から大正初めにかけて建てられた歴史的建造物が三棟残っている。

 「明治学院記念館」は、1890年(明治23)神学部校舎兼図書館として創建。東京都港区有形文化財。

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 「明治学院礼拝堂」(チャペル)は、1916年(大正5年)に落成したイギリス・ゴチック様式の礼拝堂。2008年(平成20年)に大規模保存修理を実施。東京都港区有形文化財。

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 「インブリー館」は、1889年(明治23年)ごろ創建。国の重要文化財に指定(明治学院旧宣教師館)。

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 明治20年、教師である宣教師のため築造された複数の住居棟の一つ。この建物に宣教師のウィリアム・インブリーが居住していたことから「インブリー館」と呼ばれる。都内最古の宣教師館で、19世紀後半のアメリカ住宅様式を反映している。現在は改装されて1階に小チャペルと2階に会議室などがあるそうだ。

 白金小学校を右手に見ながら、「桑原坂」を登る途中に「八芳園」の正門。

       
❸八芳園(はっぽうえん、白金台1丁目、10:50~11:13)

 「八芳園」は、広大な敷地内に庭園のあるレストラン・結婚式場。庭園の名称は、「四方八方どこを見ても美しい」に由来する。

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 江戸時代前期、一部が旗本・大久保彦左衛門の屋敷、その後薩摩藩の屋敷を経て、明治時代以降に有力者の手に渡る。現在の「八芳園」は、株式会社八芳園により運営され、結婚式場やパーティなどにも広く利用されている。広大な庭園を散策でき、約1万坪の庭園には樹木、池、滝、茶室などが点在。
    
 八芳園の和室宴会場。

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 この季節も、結婚式が何組か行われていた。

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 日吉坂上交差点から、目黒通り(都営312号線)を南下する。 


❹自然教育園(白金台5丁目、11:30~12:20)

 大都会の中にあって、手づかずの豊かな自然を残しているオアシスのような緑地。国立科学博物館付属の「自然教育園」。

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 入園料310円。65歳以上および18歳未満は無料。

 広大な敷地の遊歩道を歩く。

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 室町時代、この地には白金長者と呼ばれる豪族が館を構えていたと考えられ、その名残の土塁が園内にみられる。江戸時代には高松藩主松平氏の下屋敷として用いられた。

 明治時代に入ると陸海軍の火薬庫、1917年(大正6年)に宮内省帝室林野局に委譲され、「白金御料地」となった。1949年(昭和24年)に全域が天然記念物および史跡に指定され、同時に「国立自然教育園」として一般公開。

 まんりょうの赤い実。

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 シイの巨木と右下のせんりょうの赤い実。

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 水鳥の沼。

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 6万坪の園内には、原生林や四季折々の草花生い茂り、草原や湿地、沼池、小川など武蔵野の自然を残す。

 樹齢300年の「大蛇(おろち)の松」。松平氏の下屋敷の面影を残す。

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❺東京都庭園美術館(白金台5丁目、12:22~12:46)
  
 「自然教育園」に隣接する。庭園のみの入園料200円。65歳以上100円。

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 1933年(昭和8年)に朝香宮邸(香淳皇后の叔父にあたる朝香宮鳩彦王)として建てられ、1947(昭和22)年皇籍離脱まで暮らした邸宅。この土地は高松藩松平家の下屋敷があったが、明治になって陸軍の火薬庫が一時置かれ、後に「白金御料地」と呼ばれ、皇室財産となっていた。民間に払い下げられたが、1881年(昭和56年)東京都が買い取り。

 アール・デコ様式の本館と内部装飾そのものが芸術品で、その空間を活かして展覧会等に利用。緑豊かな庭園が調和したユニークな都立美術館。1983年(昭和58年)に開館。

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 美術館ではあるが所蔵品の常設展示はなく、企画展示が年に5 - 6回行われている。

 茶室と築山や池を備え、起伏に富んだ日本庭園。

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 今回は展覧会が開催されていないので茶室と日本庭園、西洋庭園のみ見学。

 本館や茶室、正門などが国指定の重要文化財。

       
       
 JR目黒駅に向かう。駅周辺の「中華食堂・日高屋」で昼食(12:50~13:18)。中華そば390円。

 目黒駅を抜け、「行人坂(ぎょうにんざか)」を下る途中、「目黒雅叙園」がある。 

 

❻目黒雅叙園(目黒区下目黒1丁目、13:45~14:30)

 「目黒雅叙園」は、結婚式場、レストラン、ホテルの複合施設。石川県出身の創業者・細川力蔵が、1931年(昭和6年)に目黒に「目黒雅叙園」と名付けた料亭を開業したのが始まり。

 「目黒雅叙園」の車寄せ(ウィキペディアコモンズ)。

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 「目黒雅叙園」の百段階段の雛人形。館内は撮影禁止であるが、許可されたエリアのみを撮影。

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 展覧会場は、1935(昭和10)年に建てられた目黒雅叙園で現存する唯一の木造建築、東京都指定有形文化財の「百段階段」。食事や宴が行われた7部屋を、99段の長い階段廊下で結ばれている。各部屋はそれぞれ趣向が異なり、天井や欄間には当時屈指の著名な芸術家達が創り上げた彫刻、工芸、美術など美の世界が描かれている。

 毎年テーマとなる地域を変えて、日本各地の歴史ある雛人形を紹介する「百段雛祭り」。今年は、「青森・秋田・山形ひな紀行」と題し、大名や豪商、旧家に伝わる雛人形の名品を「百段階段」のその部屋で展示。入場料は、早割チケット1,000円(当日売りは1,500円)。

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 「目黒雅叙園」のエントランスに向かう歩道脇に「お七の井戸」がある。

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 「目黒雅叙園」のエントランスから庭園にかけて、明治18年頃まで「明王院」という大きなお寺があったという。「明王院」には、放火のため火刑にされた八百屋お七の恋人・吉三が出家し、名を西運と改めた僧侶がいた。

 西運は、「目黒不動」と「浅草観音」に、隔夜一万回の日参念仏行を行った。この井戸は、西運が念仏行に出かける際に、水垢離(みずごり=冷水を浴びて心身を清める事)をとったといわれている。

 

 「行人坂」を下り、桜で有名な目黒川にかかる「太鼓橋」を渡って山手通りに出る。

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❼目黒不動尊(下目黒1丁目、14:48~15:05)

 「瀧泉寺(りゅうせんじ)」は、不動明王を本尊とし、一般には「目黒不動(目黒不動尊)」の通称で呼ばれる天台宗の寺院。関東最古の霊場。江戸三大不動・江戸五色不動の一つ。
江戸三十三箇所第33番札所。関東三十六不動第18番。

 仁王門をくぐる。

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 「目黒」の地名はこの「目黒不動」に由来するという説もある。童謡「七つの子」「赤い靴」「十五夜お月さん」「七つの子」「青い目の人形」で有名な本居長世、思想家の北一輝、甘藷先生の記念碑、顕彰碑ほか、青木昆陽の墓があることでも知られる。

 急な石段を登った先の一段高い土地に建つ大本堂。

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 大本堂の背後にある露座の銅製仏像「大日如来像」。膝前で印を結ぶ胎蔵界大日如来像で、天和3年(1683年)の作。

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 本堂裏手の道を右方へ進んだ先、飛地境内の墓地内に立つ青木昆陽の墓。

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 昆陽が生前に立てさせたものという。昆陽は、江戸時代中期の儒者で、サツマイモ(甘藷)の栽培を普及させた人物として知られる。国の史跡に指定。
 

 再び目黒川にかかる「太鼓橋」を渡って目黒雅叙園の前を通り、「行人坂」を登る途中に「大円寺」がある。

 

❽大円寺(下目黒1丁目、15:20~15:25)
     
 釈迦如来が本尊。元祖の山手七福神の大黒天を祀る。小さなお寺だが、除夜の鐘を突く。

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 江戸時代初め、寛永年間(1624-1644)の創建。江戸初期1772年(明和9年)の「明和の大火」(「行人坂大火」ともいう)で当寺が火元となったため、江戸幕府から再建の許可が得られなかった。

 幕末になって薩摩藩島津氏の菩提寺として再興された。大火の犠牲者三千余百人を供養する五百羅漢像が並ぶ。

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 「行人坂」を上りきり、終点のJR目黒駅に15:30着。         

 池袋駅で下車、池袋東口の居酒屋「楽宴」で打ち上げ(16:30~19:00)。 

 

 ★ ★ ★

 歌川広重が「江戸名所百景」(1857年)にも描いた目黒川に架かる 「太鼓橋」と「行人坂」の浮世絵。

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 「太鼓橋」は、1769年(明和6年)に完成。当時としては珍しい石造りで、長さ8間3尺(約15.3m)、幅2間(約3.6m)であり、名前の通りいわゆる太鼓の形をしていた。

 「行人坂」は、目黒区下目黒と品川区上大崎にまたがる坂。目黒川の窪地から白金の台地に向かう急な勾配で、江戸時代「明和の大火」の火元になった「大円寺」や結婚式場の「目黒雅叙園」があることで知られる。江戸時代には江戸と目黒を結ぶ交通の要衝で、富士見の名所としても知られた。また八百屋お七の恋人とされる吉三(出家して名を西運と改め)の墓もあり、江戸の大火に縁のある坂。
 


 朝起きると喉に軽い痛みがあった。風邪のようで大事をとって休もうと思ったが、咳も熱もないのでウォーキングに出かけた。昼過ぎからだんだん体がだるくなって、足取りが重い。最後の目黒駅前の「行人坂」を登るのは、さすがに辛かった。

 池袋の居酒屋で一杯飲んで、帰宅途中に寒気がする。

 自宅に20:15着。体温を測ると38.6℃。翌日の1月20日(日)は、高熱で風邪薬を飲んで終日伏せていた。

 月曜日には熱も下がったが、2,3日は安静にしていた。考えてみると、風邪で38度以上の熱が出たり寝込んだりしたことは、ここ数年以上記憶がない。

2019年1月20日 (日)

長瀞アルプスと宝登山

 2011年2月13日(月)、埼玉県の「長瀞(ながとろ)アルプス」、「宝登山(ほどさん)」縦走。

 

 本ブログ記事は、8年ほど前の2011年2月14日作成の「長瀞アルプス・宝登山・蠟梅園 2011年2月記録」と、2011年2月15日製作の写真集「2011年2月 宝登山ハイク」から再構成して公開。

 ご当地アルプスの一つ埼玉県・秩父の「長瀞アルプス」から「宝登山」山頂を目指すプチ縦走ハイキング。参加者は3人。

 

 9:50、秩父鉄道野上駅で下車。ハイカーが多いのにびっくり。9:59、野上駅前を出発。

 昨日までの雪は打って変わって、今日の空は晴れ渡りすがすがしい。駅から住宅街を経て、平坦でのどかな農村を歩く。

 10:10、「萬福寺」の前を左折すると、ここが登山口。「長瀞アルプス起点、宝登山2時間」の道標がある。

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 谷沿いの緩やかな登り坂、やがて杉林の急坂を登り、10:23尾根道に着く。3分休憩、上着を脱ぐ。左手に野上の街並み。

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 尾根道を緩やかに登ると、「御嶽山」を経て「天狗山」(標高342m)へと続く「天狗山分岐」を10:40に通過。道幅狭く、右側は急斜面。

 一旦下り、再び急坂を登る。道標通り左に進み、コナラの森の中を歩く。明るく開けた長瀞アルプスの尾根歩き。

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 登山道のところどころに残雪があり、滑りやすい。 

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 コナラの林の中を、10:53道標に従い左折し、「野上峠」に向かう。

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 少し下ったところの「氷池分岐」に10:58到着。7分休憩。

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 「氷池」では天然氷を作っている。ここから片道15分だそうだ。

 見通しの良い長瀞アルプスの尾根道を進む。雪が融けたのか、だんだん登山道がぬかるんできた。

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 11:11、「野上峠」を通過する。この後の登り・下りが繰り返し続く。 

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 「野上峠」から明るく開けた尾根道をまた登る。

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 春は小鳥のさえずりが聞こえるという「小鳥峠」を11:18に通過。

 11:20、舗装された林道本山根線にぶつかる。 左手は長瀞駅へ、右手の宝登山に進む。

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 緩やかな舗装された林道は、歩きやすいがところどころ凍結や残雪。圧雪に注意しながら登る。

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 11:33、「毒キノコに注意」の看板の脇が、宝登山の登山口。 雪で滑りやすい急坂を登る。

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 宝登山頂上まで続く階段や急坂は、さすがにきつい。

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 11:59、宝登山の山頂(497m)に到着。ここまで休憩含め約2時間。

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 山頂はハイカーで賑わう。見晴らしの良い南側に向かう。 

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 山頂南側から秩父市街と「武甲山」、眼下の「蠟梅園」を眺めながら昼食。

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 山頂から「両神山」も遠望。

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 昼食後、12:48「蠟梅園」を散策。寒桜は散っていたが、黄色い花の蠟梅が見頃だ。

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 甘い香りがするらしいが、近づくも匂わず・・・。 

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 一面、黄色に染まった「蠟梅園」。

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 12:51「蠟梅園」をあとにして、近くの宝登山神社奥宮に向かう。 

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 12:55、山頂の林の中にある宝登山神社奥宮を参拝。

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 宝登山神社奥宮の案内板。1900年前、日本武尊がここで神霊を拝したとある。

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 奥宮に参拝した後、すぐ下の「梅百花園」とロープウェイ山頂駅周辺を散策。

 梅百花園」では、紅梅がチラホラ。

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 13:02、園内の花壇には早春の花フクジュソウ(福寿草)が開花。 

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 13:08、マンサクの花も咲いている。

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 すぐ近くの宝登山遊歩道から下山。圧雪で滑りやすいところが数か所あり、こわごわ下る。
       
 遊歩道を40分ほど下り、舗装道路になるとすぐに宝登山神社に到着。

 鳥居をくぐり階段を上って、13:48本殿に参拝。

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 宝登山神社から参道を歩くと、長瀞遊覧の「こたつ船」の幟(のぼり)が並ぶ。

 14:04、白い大鳥居をくぐり国道を横断すると、14:04長瀞駅前を通過。岩畳通りの土産屋を覘きながら、14:11長瀞岩畳へ下りる。岩畳で一休み。

 (この写真は、2013/3/7撮影のもの)

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 この季節は、水量が少なく「長瀞ライン下り」は休止中、「こたつ舟」が運航しているらしい。

 岩畳通りに戻り、14:17秩父蕎麦「はやし」に入る。

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 しゃくし菜の漬物と煮込みおでんを肴に、ビールと熱燗で、15:55まで本日の打上げ。

 帰りの岩畳通りの土産屋「大沢屋」で、「そら豆の甘納豆きな粉あえ」(450円)を買おうと思っていたが、残念ながら売り切れ。

 

 本日のハイキングは、徒歩約8.6km、約2.5時間(休憩含めず)。

 長瀞駅から16:01発の秩父鉄道・羽生行き急行(急行券200円)に乗車。帰路へ。
 
 天気予報通り晴天で、最高気温8℃、暖かくて気持ち良いハイキングを満喫。蠟梅、紅梅や福寿草など、早春の花も楽しめた。

 残雪は少なかったが、圧雪で滑りやすい場所もあり、特に下りは注意を要した。蠟梅の見頃と晴天の日曜日のせいか、ハイカーが多くて驚いた。日程変更で、参加者が少なかったのが残念だった。

 

 ★ ★ ★

 「長瀞アルプス」は、全国に50もあるという「ご当地アルプス」の一つ。野上駅から萬福寺、御嶽山、天狗山、野上峠を経由し、宝登山頂に至る。地元山岳会が、半年をかけてルートを拓いたという低山のハイキングコース。

 そもそも「アルプス」は、ヨーロッパ中央部に位置する山脈だが、日本の中央部にも巨大な山脈群、日本を代表する山々が肩を並べる「日本アルプス」がある。日本の屋根と言われる三つの山脈「飛騨山脈」、「木曽山脈」、「赤石山脈」は、それぞれ「北アルプス」、「中央アルプス」、「南アルプス」と呼ばれている。

 しかし、日本で「アルプス」と呼ばれる山はこの三つ以外に、全国各地にご当地の「アルプス」の愛称を持つ山がある。資料によっては、そのリストや呼称が異なる。埼玉県には、ほかにも「小鹿野アルプス」、「奥武蔵アルプス」、「飯能アルプス」などと呼ばれるコースがあるようだ。

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