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2018年11月18日 (日)

川舟流しと倉紡記念館

 2018年10月22日(月)~24日(水)、2泊3日の岡山県倉敷の旅。

 

 23日(火)と24日(水)、「倉紡記念館」を観覧。24日(水)、川舟で倉敷川を遊覧。本ブログ記事「倉敷美観地区」の続き。

 

 23日(火)、「倉敷アイビースクエア」に連泊。24日(水)6:30起床、7:15~朝食。昨日の雨は止み、この日は晴れの良い天気。

 「倉敷アイビースクエア」をチェックアウトし、荷物を預ける。9:00~中庭に集合、今年のOB会はこれで解散。
 

●くらしき川舟流し 9:30~9:50
 
 かつて倉敷川は、物資を積んだ川舟の往来でにぎわっていた。その風情を味わえる観光川舟が、2艘運行している。ゆったりと進む舟から、視線を低くして白壁の町並みを眺める。

  倉敷川畔にある川舟乗船場の少し下流にある「倉紡製品原綿積み降ろし場跡」のチケット売り場で、9:30発の乗船チケット購入。料金は1人500円。

 川船は、始発が9:30〜最終便17:00、30分おきに出発している。1艘6人乗り、所要時間約20分。

 乗船すると船はゆっくりと、まず下流の「高砂橋」の方向に向かう。

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 現在の倉敷川の川幅は10m程だが、船による物資の輸送がされていた頃には、川幅20m程あったという。

 右岸の街並み。

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 左端の建物のデニム専門店「倉敷デニムストリート」と隣の建物は箸専門店「倉敷のお箸やさん 遊膳」。その間の路地に入り、「倉敷デニムストリート」の2F部分に「星野仙一記念館」があるようだ。左から3番目の建物は、天然石とアクセサリーの店「凸凹堂 倉敷」。

 潮留めのある「高砂橋」。ここで川船はUターン。

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 「高砂橋」は、江戸時代末期に建てられた元の「今橋」。1926年(大正15年)に「大原美術館」前に現在の「今橋」が架けられた時に 旧高砂町(現在の中央二丁目)に移され、「高砂橋」と改名された。1967年(昭和42年)に倉敷用水や美観地区の整備によって、現在のこの場所に移されたという。

 上流の「中橋」の方向に進む。右岸に大きな看板の備前焼の店「陶慶堂本店」と、その先に「日本郷土玩具館」。

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 さらに舟が進み、右岸の2棟は「倉敷民芸館」。

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 「倉敷民芸館」は、江戸時代後期の米蔵を改装。日本だけでなく、世界各国の暮らしに役立つ民芸品(民衆的工芸品)15,000点を所蔵。右端の「倉敷館」(観光案内所)は、工事ネットで囲われ休館中。

 「中橋」の下をくぐる。

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 「中橋」は土橋、板橋を経て、1877年(明治10年)に現在の石橋に架け替えられた。橋げたが一枚石の太鼓橋で、アーチ状に設計されている。

 左岸、旅館「鶴形」の庭にある樹齢400年以上ともいわれる松の木が見える。

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 「大原美術館」と「旧大原家住宅」とを結ぶように架かっている「今橋」。

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 「今橋」は大正15年(1926年)に、皇太子であった昭和天皇がこの地を訪問するのに合わせて、架け替え工事が行われた。

 架け替えは大原孫三郎によってなされ、児島虎次郎がデザインした。菊のご紋と龍(孫次郎の干支)の彫刻が彫られている。また、橋げたの形を半円にして、水面に映る半円の影と併せて満月を眺めることができるという。

 「旧大原家住宅」(大原家本邸、左)と「有隣荘」(右)。

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 「有隣荘」は、1947年(昭和22年)に昭和天皇が倉敷に行幸された折、お泊りになった大原家の別邸。

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 再び「中橋」をくぐる。

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 「中橋」と「倉敷考古館」。

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 「倉敷考古館」は、江戸時代の米蔵を改装し、1950年(昭和25年)に開館した。吉備地方を中心とした考古学資料や古墳から出土した石器・土器・埴輪・刀剣など1,500点を展示。古代ペルー・アンデス文明、イラン、中国の文化財なども展示されているという。

 「倉敷アイビースクエア」の敷地に戻り、再び「倉紡記念館」に行く。
 

 

●倉紡記念館 10:00頃~11:00前

 「倉紡記念館」には、前日の23日(火)15:20~16:00に観覧した。

 「倉敷アイビースクエア」の宿泊優待券の提示で、入館無料。前日は、提示を忘れ入館料250円を払ったので、この日に返却してもらい、再度無料で入館。

 倉紡創立当時に建てられた原綿倉庫を、1969年(昭和44年)のクラボウ(倉紡)の創立80周年の記念館として改装し、建設された。

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 順路に従い、写真・模型・文書・絵画などで、クラボウ(倉紡)の歴史が分かるようになっている。

・第1室 明治時代【1888~1912】

 明治期の紡績機械や、創業当時の文書等を展示。手前は手織り機、その先の提灯と車輪を備えた消防器具、その奥は英プラット社製の紡績機械。

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 1867年(慶応3年)5月、薩摩藩によって鹿児島に日本初の紡績工場が創設、明治になって全国各地に紡績工場が設立された。

 岡山県の3人の若者が、米と綿花以外に産業の無い貧村の倉敷村の将来のため、紡績工業を興すことを提案、資金提供を地元の大地主・大原孝四郎に依頼した。

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 初代社長の大原孝四郎の肖像画(児島虎次郎画1919)。

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 天保5年(1834)の天領代官所の模型。

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 1988年(明治21年)倉敷紡績所が創立した。初代社長に、大原孝四郎が就任。

 1989年(明治22年)代官所跡地に倉敷紡績工場が造られた。写真は、明治25年(1892)頃の倉敷紡績工場の模型。

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・第2室 大正時代【1912~1926】

 労働理想主義を具現化していった倉紡の発展期の資料を展示。

 手前の模型は従業員の寄宿舎の模型。それまでの集合宿舎を改善して分散式家族的寄宿舎とし、家庭的な生活が出来るようになった。

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 倉紡の2代目大原孫三郎社長は、石井十次の「岡山孤児院」を援助し、また大阪に「石井記念愛染園」を設立した。

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 「倉紡中央病院」の設計に当たって、孫三郎は次の3項目を指示した。

 1.設計はすべて治療本位にすること。2.病院くさくない明るい病院にすること。3.東洋一の立派な病院を造ること。時代を先取りしたような孫次郎の先見性にには感服。

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 倉紡の女工さんの人生双六。

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 入社がスタート。寄宿舎、仕事、学校、裁縫、生け花、バレーボール、テニス、観劇、遠足、踊り、実家へ送金、模範女工として表彰、良縁があり帰省、上がりは結婚。当時の時代背景がうかがえ、また福利厚生が充実していたことが分かる。

・第3室 昭和時代(戦前・戦中)【1926~1945】

 不況と戦争期の時代背景とクラボウの変遷を展示。

 正面は、大原總一郎が後援していた棟方志功の戦時中の書画。その手前は、1950年(昭和25年)昭和天皇が国内最新工場の北条工場へ御臨幸された時にお座りになった椅子。

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 (この写真のみは、「倉紡記念館」パンフから転載。)

・第4室 昭和(戦後)・平成時代【1945~】

 戦後の復興以後、紡績産業と、クラボウの事業の多角化の歩みを展示。

 敗戦により大打撃を受けたが、朝鮮戦争特需で繊維産業は、日本の経済をけん引する産業となった。しかしやがて化繊などの普及、繊維不況の時代は、事業の多角化へと経営を転換する。

 手前は、紡績以外のスポーツや教育向上にも注力した安城工場の模型。特に女子ソフトボールチームは有名。紡績以外の多角化経営のため新事業ポリウレタン加工の寝屋川工場。

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 1988年(昭和63年)、100周年を迎え本社ビル竣工、「クラボウ」を正式社名とした。

・第5室 年表コーナー

 明治から現在までの総まとめのコーナー。ビデオと写真映像、書籍の展示空間。

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 「倉敷アイビースクエア」の受付で、預けた荷物を引き取る。

 11:00頃~ショッピングしながら、本町通りを経て、えびす商店街、えびす通り商店街、センター街のアーケードを通って、倉敷駅へ向かう。12:00頃~駅付近の寿司・和食の店「しば田」で昼食。刺身定食1,600円。

 13:53倉敷駅発、山陽本線・岡山行に乗車。14:11岡山駅着。

 14:23岡山駅発、新幹線ひかり474号・東京行に乗車。18:33 品川 駅着、所要時間4時間40分(乗車時間4時間28分)。山手線から帰路へ。

 

 ★ ★ ★

 大原孫三郎の肖像画(個人蔵、大原美術館寄託、児島虎次郎画1915)

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 (写真は、ウィキペディアコモンズから]引用)

 大原孫三郎は1880年(明治13年)、倉敷の名家・大原家の三男として生まれた。二人の兄が相次いで若死にしたため、孫三郎が大原家の跡継ぎとなった。1897年(明治30年)東京専門学校(後の早稲田大学)に入学したが、大富豪の息子として放蕩な生活を送り、莫大な借金を抱えた。父親から東京専門学校を中退させられ、倉敷に連れ戻されて謹慎処分を受けた。

 日本の児童福祉の先駆者であり、「岡山孤児院」の創設者である石井十次との出会いが孫三郎の人生を変えたという。キリスト教信者であった石井の影響で、1905年(明治38年)自らも洗礼を受けた孫三郎は、1906年(明治39年)孝四郎の跡を継ぎ倉紡2代目の社長となった。

 石井の影響で、事業で得た富を社会へ還元することの重要性に目覚め、「大原社会問題研究所」、「労働科学研究所」、「倉紡中央病院」などを次々と設立した。孫三郎にとっては「大原美術館」の創設も社会貢献の一環だった。

 

 美観地区のどの建物だったか忘れたが、瓦屋根に生えている不思議な植物を見つけた。

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 あとで調べると、本瓦葺きの屋根に生育するツメレンゲだそうだ。ベンケイソウ科の多年草で、野生では暖地の日当たりが良く乾燥した岩の上、街中では古い瓦屋根に生育するという。

 岡山県では主に県中部~南部の岩崖地や古い石垣、本瓦葺き(土を敷いた上に瓦を葺く)の屋根の瓦の隙間などに生えるそうだ。かつては茅葺きの屋根でも、生育していたという。

 倉敷美観地区では本瓦葺きの古い建物が保存されているため、屋根を見上げながら歩くと、見つけることが出来るそうだ。

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コメント

今年の秋はわりと天気のいい日が多く、寒さの訪れが遅いので、秋が長く感じられます。この3連休もまた紅葉や秋の花が楽しめそうですね。


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