常磐道の周辺を巡る旅
2018年11月13日(火)~14日(水)、1泊2日の茨城県、福島県の常磐道周辺の観光スポットを巡るバスの旅。
13日(火)、7:50出発。参加者20名を乗せたバスは、圏央道を東へ走る。
●筑波宇宙センター 10:05~10:50
圏央道つくば中央インターで高速を降り、10:05宇宙研究航空開発研究機構(JAXA)の見学施設「筑波宇宙センター」(茨城県つくば市)へ。
屋外にあるH-Ⅱロケットの実機の前で記念写真の後、展示館「スペースドーム」に入館(入館料無料)。
歴代ロケットの1/20模型。左から4番目のロケットがH-Ⅱ型、右へH-ⅡA型、H-ⅡB型、一番大きいのが次世代のH3型。
H-ⅡA及びH-ⅡBロケットの第1段エンジンLE-7A。
顔出し撮影用の宇宙服。後方は、国際宇宙ステーションに水・食料・衣料などの生活物資、研究用資材、交換用バッテリなどの機器を輸送する補給機「こうのとり」。
船内実験室の内部に入り、その大きさを体感。大型バスくらいの大きさ。
宇宙で組み立てられた国際宇宙ステーションISSの模型。左右の電池パネルの中央部分の一部に、日本実験棟「きぼう」がある。
国際宇宙ステーションは、米国・ロシア・欧州・カナダなど世界15ヶ国が参加する国際協力プロジェクトで、日本はその一部となる日本実験棟「きぼう」を開発、プロジェクトに参加している。
桜土浦インターから常磐道を北上、水戸インターで降りて11:30~12:20、「水戸ドライブイン」で昼食・休憩。
●日鉱記念館 13:10~14:35
次の見学先は、日立中央インターで降り日立鉱山(現JX金属)の歴史資料を展示した「日鉱記念館」(茨城県日立市)。13:10到着。入館料は無料。
この記念館は、創業80周年を記念して日立鉱山の跡地に建てられた。係員から日立鉱山の概要を聞いた後、「大煙突の旅」というビデオを視聴。
日立鉱山の大雄院製錬所の排煙に含まれる亜硫酸ガスが、地域の山林や農作物に害をもたらした。その煙害への補償金が企業の経営を圧迫し、操業中止を求める住民の声は強まる一方であった。
写真は大正初期、煙害がひどかった時期の大雄院精錬所(写真は、ウィキペディアコモンズより転載)。
1914年(大正3)に「大煙突」という巨大な煙突(高さ156m)を建設し、被害を激減させたという(写真は、ウィキペディアコモンズより転載)。
「大煙突」は日立のシンボルとして市民に親しまれたそうだ。
本館には、日立鉱山(現JX金属)の歴史資料を展示。
創業者の久原(くはら)房之助の胸像。1905年(明治38)日立鉱山を開業し、数年で日本四大鉱山の一つに成長させ、日立市発展の原点となった。
創業者・久原房之助が日立鉱山を開業してから100年余の歴史をパネルや資料で紹介。日立鉱山をはじめ、日本全国・世界各国から産出された鉱石、日立鉱山の鉱床の模型も展示。
本館地階には鉱山の坑内の様子を再現した模擬坑道。手掘りから機械掘りまでの採掘技術の変遷を人形を用いて紹介。
1944年(昭和19年)に建てられた木造のコンプレッサー室を利用した「鉱山資料館」。
大正7年に設置され閉山(昭和40年)まで稼働したという、削岩機などにエアーを送る450馬力の空気圧縮機は興味深い。
屋外にある竪抗(たてこう)の櫓(やぐら)。手前は、1906年(明治39)~1981年(昭和56年)まで活躍した第1竪抗。後方は、1951年(昭和26年)開削開始した第11竪抗。
14:35、「日鉱記念館」を後にして、常磐道へ向う。
「大煙突」は1993年(平成5年)、3分の1を残して自然に倒壊した。常磐道日立中央インターの入口付近、バスの車窓から見える「大煙突」。
日立中央インターから常磐道を走る途中、車窓から日立市街が見えた。
●石炭・化石館「ほるる」 15:35~16:15
常磐道を更に北上、福島県いわき市のいわき湯本インターを出て15:35、「いわき市石炭・化石館『ほるる』」(福島県いわき市)に到着。常磐炭田の歴史と市内で発掘された化石のほか世界の化石を展示。入館料650円。
有名な「フタバスズキリュウ」の復元模型。ちょうど周囲が工事中だった。
フタバスズキリュウ(首長竜の新種)の骨格模型。1968年(昭和43年)にいわき市内の大久川河岸で約8,500万年前の白亜紀地層から、高校生によってその化石が発見された。
イワキクジラは、いわき市内で見つかったクジラの総称で、クジラの種類ではない。
化石展示室。写真中央は、全長22mの巨大な草食恐竜・マメンチサウルス(産地:中国)
プリオサウルス(産地:ロシア)
アンモナイトの化石は本物だが、触ることが出来る。
トリケラトプス(産地:アメリカ)
肉食恐竜として有名なティラノサウルスの後ろ肢と頭蓋(産地:アメリカ)。
左は北米に生息していたゾウ類のアメリカマスドン(複製)。右は、南アジアから日本にかけて生息していた小型の象・ステゴロフォドンの下顎(産地:いわき市)
地下600mの模擬坑道に竪坑エレベータで入坑する疑似体験の後、人形を用いた常磐炭鉱の採炭状況の歴史を知る。
1856年(安政3年)から明治初期まで、家族で小規模な採掘。男性がツルハシを使って堀り、女性が熊手で石炭を回収。狸の巣穴のようなので「狸掘り」と呼ばれた。
1872年(明治5年)頃になると写真のように、男性が手ハンマーで穴を掘って、そこに女性が作った火薬を埋め込んで発破するやり方に発展する。
昭和初期から圧縮空気を動力にした削岩機で深い孔を掘り、発破を仕掛ける採掘。
太平洋戦争の頃、トロッコにによる石炭の搬出。この頃も女性が裸で働いている。
1960年(昭和30年)頃、坑内の詰め所(事務所)。現場の指揮や外部との連絡。
1962年(昭和37年)、掘った石炭を回収するキャタピラー付きの搬送車「サイドダンプローダー」。
昭和40年代、ロードヘッダーやダブルレンジングドラムカッターなど様々な機械化、合理化が進み、坑内の安全性も高まる。
鉱山救護隊。全国の炭鉱では、しばしばガス爆発が起き、死傷者が出ていた。
生活館では、昭和30年(1955年)頃の共同炊事場と世話所を復元。
生活館には、労働組合の展示もあった。エネルギーが石油に移行し、全国に炭鉱閉山が進むと労働組合は反発、また再就職を求めて山を離れて行った。常磐炭田は、1976年(昭和51年)閉山した。
●いわき湯本温泉
16:20、宿泊先のいわき湯本温泉「ホテル美里」に到着。18時から夕食・宴会。
翌日14日(水)、6:40起床。7:00~朝食。8:45、ホテルを出発。
常磐道を南下し高萩インターで降り、国道461号線を西へ。
●永源寺 10:50~11:50
花貫ダム、花貫渓谷、袋田の滝といったスポットの付近を走り、山を2つ、3つ越えながら茨城県久慈郡大子町の常陸大子駅前に10:50到着、バスを駐車。
駅前から10分ほど歩くと、曹洞宗「永源寺」(茨城県大子町)。ここは通称もみじ寺と呼ばれ、観光客で賑わっていた。石像が多い。
大子町の久慈川のほとりにある公共の宿国民宿舎「リバーサイド奥久慈 福寿荘」で、12:00~12:50、昼食。
●那珂湊おさかな市場 15:00~15:30
国道118号線を南下して、途中久慈川のほとりにある道の駅「常陸大宮市-かわプラザ」で13:25~13:50休憩、ひたちなか市へと向かう。
ひたちなか市の那珂湊漁港に隣接する「那珂湊おさかな市場」で、海産物の買い物。
水戸大洗インターから東水戸道路、北関東道を経て、友部ジャンクションで常磐道へと乗り継ぎ、帰路へ。今回は例年よりやや参加者が少なかったものの、事故なく旅行は無事終了。
★ ★ ★
久原房之助は、1869年(明治2)7月山口県萩の生まれ。1885年(明治18)に東京商業学校(現一橋大学)を、1889年(明治22)に慶應義塾(現慶應義塾大学)を卒業した。貿易を志して森村組に入るが、1991年(明治24)に叔父の藤田組に移る。秋田の小坂鉱山に赴任し、業績を拡大する。藤田組支配人、小坂鉱山事務所長などを務める。
1903年(明治36)に藤田組を退社。1905年(明治38)に茨城県の赤沢銅山を買収し、日立銅山と改称。1909年(明治44年)久原鉱業所(後に日本鉱業と改名、現在のJX金属)を創立し、各地の鉱山を買収、成功をおさめた。1910年(明治43)には、日立鉱山付属の修理工場(後の日立製作所)を設立。
1924年(大正3)、第一次大戦景気で鉱山経営を足がかりにして企業を拡大し、造船業・肥料生産・商社・生命保険を傘下とする久原財閥(これらは後の鮎川財閥、日産コンツェルンに発展)を形成する。日立製作所、日産自動車、日立造船、日本鉱業創立の基盤となった久原鉱業所(日立銅山)や久原財閥の総帥として、「鉱山王」の異名を取った。しかし、大戦後の恐慌で大打撃を受ける。
この機に政界へ進出。1927年(昭和2)田中義一首相の特使としてスターリンに会見。会社を義兄の鮎川義介に委ね、1928年(昭和3)年政友会に入り衆院議員に当選、田中内閣の逓信大臣を務めた。1929年(昭和4)立憲政友会の分裂の際は政友会正統派に属し、1939年(昭和14)第8代総裁となった。
「政界の黒幕・フィクサー」と呼ばれ、右翼に資金を提供して1936年(昭和11)の二・二六事件に深く関与したという。第二次大戦後はA級戦犯容疑者となり、公職追放を経て、1932年(昭和27)政界に復帰。日中・日ソ国交回復国民会議議長などを歴任。衆議院議員通算5期。1965年(昭和40年)1月、95歳で没。
「いわき市石炭・化石館」は、常磐炭鉱の繁栄の歴史と、いわき市内では多くの化石が発掘されることで有名であることから建設された。有名なフタバスズキリュウの白亜紀の化石は、今から50年も前の1968年(昭和43年)、いわき市大久町入間沢の大久川河岸で露出していた「双葉層群」から、当時高校生だった鈴木直によって発見された。
この頃、大陸に比べて小さい日本列島では、首長竜や恐竜など中生代の大型爬虫類の化石が発見されることはないと考えられていた。フタバスズキリュウの発見により、こうした定説が覆され、各地で専門家やアマチュア研究者による化石発掘が盛んになった。発見から38年後の2006年(平成18)、国立科学博物館などの研究者チームによってようやく新属新種の首長竜と判明、「フタバサウルス・スズキイ」という正式な学名が記載された。
なお、恐竜化石の一大産地である福井県勝山市には、恐竜に関する国内最大級で、地質・古生物学博物館として「福井県立恐竜博物館」があるそうだ。ジュラ紀から白亜紀の地層である「手取層群」が福井県に存在、恐竜化石が見つかりやすいという。福井県が、恐竜化石発掘量で全国一なのは、福井県勝山市が恐竜化石に早くから目をつけ、町おこしの一環として積極的に大規模発掘を行ってきたことが大きな要因だという。
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