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2018年11月の8件の投稿

2018年11月24日 (土)

昭和記念公園の紅葉・黄葉

 2018年11月22日(木)、「国営昭和記念公園」に紅葉・黄葉を3年ぶりに見に行く。
 
 

 この日は、どんよりした曇り。低気圧が通過し、関東では昼前後に所々で弱い雨との予報。最高気温は前日より2、3℃低く14℃前後、12月上旬並みの寒さ。

 車で西立川口駐車場前に9時頃に着くが、駐車場が開門してない。開園は9時半から、駐車場は9時から利用可能と聞いていたが。駐車場の開門9時半まで待ち、「国営昭和記念公園」(東京都立川市・昭島市)に西立川口から入園。

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 11月3日(土・祝)~25日(日)は、公園の「紅葉・黄葉まつり」。
 後で気がついたが、入門すると「立川まつり国営昭和記念公園 花火大会」の看板があった。

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 西立川口をまっすぐ進むと「水鳥の池」。寒々としてボートに乗る人は少ない。

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 「うんどう広場」横にある有名な「かたらいのイチョウ並木」は、イチョウ98本、並木300m。残念ながら見頃を過ぎていて、枯れ枝が多い。といっても、地面への落葉は多くは無い。

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 渓流広場レストラン付近のブナやモミジの紅葉。

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 トンボの湿地付近のモミジの紅葉。

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 「みんなの原っぱ」では、何やら工事中。

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 「日本庭園」の入口。

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 「日本庭園」のモミジ300本。池の周りを一周。

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 「日本庭園」を出て再び「みんなの原っぱ」に行くと、大量の椅子や簡易トイレを運ぶトラックなど駐車、屋台もいくつか並んでいて、明日23日の花火大会の準備中だった。

 囲いの中は、椅子席が並ぶ有料観覧席のようだ。

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 12:00、西立川口付近に戻り、おにぎりの昼食。雨がポツリポツリ、そのうちに止む。

 午後から、立川口のイチョウ並木の方に行く。

 「カナール(庭園の水路)のイチョウ並木」も、枯れ木が目立つ。イチョウ106本、並木200m。

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 11月19日(月)の夕刊に「金世界」の見出しで、「国営昭和記念公園」のイチョウ並木の写真と記事があったが、この日のイチョウは見頃も過ぎている。10月の台風の影響で葉っぱが少なく、予想より早く散ったそうだ。この日は平日で寒くて、来園者はさほど多くなかったが、モデル撮影やアジア系の観光客が目立つ。

 この後雨が降り出すこともなく、14:00頃退園。
 

 

 ★ ★ ★

 11月17日(土)、18日(日)は、8:30~の特別早朝開園(通常は9:30開園)が行われたそうだ。この頃はイチョウが見頃で、来場者で混み合ったのだろうか。また11月23日(金祝)~25(日)17:00~20:00では、カナールのイチョウ並木のライトアップがあるそうだ。

 11月23日(金・祝) 18時~19時、「立川まつり国営昭和記念公園花火大会」が行われた。主催は、立川市・立川商工会議所・立川観光協会・昭和記念公園管理センターなどの6団体で構成する花火大会実行委員会。

 夏の風物詩である立川花火大会が、台風12号の影響で中止となったので、この秋に開催されたそうだ。メイン観覧場所は、南北約400m、東西約300mの広大な「みんなの原っぱ」で、東京ドームが2つ入る広さで、約11ha。これほど平らで開放的な芝生の広場は珍しい。広大な芝生にシートを敷いて、くつろいで楽しむ事ができ、また場所取りの必要ない有料観覧席も設置されているという。

 1954年(昭和29)から開催されている立川花火大会は、今回は第60回の節目となる。打上数が5,000発から6,000発に増やし、都内ではなかなかお目にかかれない尺玉、一尺五寸玉といった大迫力の花火などのほか、様々な演出で盛り上げたらしい。

 都内では人気度8位という立川花火大会は、打上数が多い方ではないし、18:00~19:00の1時間では少し短い気がする。有料観覧席チケットが、レジャーシート付2名席6000円、椅子席1名4000円、団体シート10名4万円 というのは、ちょっと高い気がする。

 

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2018年11月23日 (金)

常磐道の周辺を巡る旅

 2018年11月13日(火)~14日(水)、1泊2日の茨城県、福島県の常磐道周辺の観光スポットを巡るバスの旅。

 

 13日(火)、7:50出発。参加者20名を乗せたバスは、圏央道を東へ走る。
 

●筑波宇宙センター 10:05~10:50

 圏央道つくば中央インターで高速を降り、10:05宇宙研究航空開発研究機構(JAXA)の見学施設「筑波宇宙センター」(茨城県つくば市)へ。

 屋外にあるH-Ⅱロケットの実機の前で記念写真の後、展示館「スペースドーム」に入館(入館料無料)。

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 ドーム入口の100万分1の地球。

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 歴代ロケットの1/20模型。左から4番目のロケットがH-Ⅱ型、右へH-ⅡA型、H-ⅡB型、一番大きいのが次世代のH3型。

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 H-ⅡA及びH-ⅡBロケットの第1段エンジンLE-7A。

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 顔出し撮影用の宇宙服。後方は、国際宇宙ステーションに水・食料・衣料などの生活物資、研究用資材、交換用バッテリなどの機器を輸送する補給機「こうのとり」。

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 国際宇宙ステーションの日本実験棟「きぼう」の実物大模型。

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 船内実験室の内部に入り、その大きさを体感。大型バスくらいの大きさ。

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 宇宙で組み立てられた国際宇宙ステーションISSの模型。左右の電池パネルの中央部分の一部に、日本実験棟「きぼう」がある。 

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 国際宇宙ステーションは、米国・ロシア・欧州・カナダなど世界15ヶ国が参加する国際協力プロジェクトで、日本はその一部となる日本実験棟「きぼう」を開発、プロジェクトに参加している。

 桜土浦インターから常磐道を北上、水戸インターで降りて11:30~12:20、「水戸ドライブイン」で昼食・休憩。
 

 
●日鉱記念館 13:10~14:35

 次の見学先は、日立中央インターで降り日立鉱山(現JX金属)の歴史資料を展示した「日鉱記念館」(茨城県日立市)。13:10到着。入館料は無料。

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 この記念館は、創業80周年を記念して日立鉱山の跡地に建てられた。係員から日立鉱山の概要を聞いた後、「大煙突の旅」というビデオを視聴。

 日立鉱山の大雄院製錬所の排煙に含まれる亜硫酸ガスが、地域の山林や農作物に害をもたらした。その煙害への補償金が企業の経営を圧迫し、操業中止を求める住民の声は強まる一方であった。

 写真は大正初期、煙害がひどかった時期の大雄院精錬所(写真は、ウィキペディアコモンズより転載)。

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 1914年(大正3)に「大煙突」という巨大な煙突(高さ156m)を建設し、被害を激減させたという(写真は、ウィキペディアコモンズより転載)。

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 「大煙突」は日立のシンボルとして市民に親しまれたそうだ。

 本館には、日立鉱山(現JX金属)の歴史資料を展示。

 創業者の久原(くはら)房之助の胸像。1905年(明治38)日立鉱山を開業し、数年で日本四大鉱山の一つに成長させ、日立市発展の原点となった。

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 創業者・久原房之助が日立鉱山を開業してから100年余の歴史をパネルや資料で紹介。日立鉱山をはじめ、日本全国・世界各国から産出された鉱石、日立鉱山の鉱床の模型も展示。

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 本館地階には鉱山の坑内の様子を再現した模擬坑道。手掘りから機械掘りまでの採掘技術の変遷を人形を用いて紹介。

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 1944年(昭和19年)に建てられた木造のコンプレッサー室を利用した「鉱山資料館」。

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 多種の削岩機を展示。

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 大正7年に設置され閉山(昭和40年)まで稼働したという、削岩機などにエアーを送る450馬力の空気圧縮機は興味深い。

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 屋外にある竪抗(たてこう)の櫓(やぐら)。手前は、1906年(明治39)~1981年(昭和56年)まで活躍した第1竪抗。後方は、1951年(昭和26年)開削開始した第11竪抗。

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 14:35、「日鉱記念館」を後にして、常磐道へ向う。

 「大煙突」は1993年(平成5年)、3分の1を残して自然に倒壊した。常磐道日立中央インターの入口付近、バスの車窓から見える「大煙突」。

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 日立中央インターから常磐道を走る途中、車窓から日立市街が見えた。
 

 

●石炭・化石館「ほるる」 15:35~16:15

 常磐道を更に北上、福島県いわき市のいわき湯本インターを出て15:35、「いわき市石炭・化石館『ほるる』」(福島県いわき市)に到着。常磐炭田の歴史と市内で発掘された化石のほか世界の化石を展示。入館料650円。

 有名な「フタバスズキリュウ」の復元模型。ちょうど周囲が工事中だった。

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 フタバスズキリュウ(首長竜の新種)の骨格模型。1968年(昭和43年)にいわき市内の大久川河岸で約8,500万年前の白亜紀地層から、高校生によってその化石が発見された。

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 イワキクジラは、いわき市内で見つかったクジラの総称で、クジラの種類ではない。

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 化石展示室。写真中央は、全長22mの巨大な草食恐竜・マメンチサウルス(産地:中国)

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 プリオサウルス(産地:ロシア)

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 アンモナイトの化石は本物だが、触ることが出来る。

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 トリケラトプス(産地:アメリカ)

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 肉食恐竜として有名なティラノサウルスの後ろ肢と頭蓋(産地:アメリカ)。

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 左は北米に生息していたゾウ類のアメリカマスドン(複製)。右は、南アジアから日本にかけて生息していた小型の象・ステゴロフォドンの下顎(産地:いわき市)

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 地下600mの模擬坑道に竪坑エレベータで入坑する疑似体験の後、人形を用いた常磐炭鉱の採炭状況の歴史を知る。

 1856年(安政3年)から明治初期まで、家族で小規模な採掘。男性がツルハシを使って堀り、女性が熊手で石炭を回収。狸の巣穴のようなので「狸掘り」と呼ばれた。

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 1872年(明治5年)頃になると写真のように、男性が手ハンマーで穴を掘って、そこに女性が作った火薬を埋め込んで発破するやり方に発展する。

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 昭和初期から圧縮空気を動力にした削岩機で深い孔を掘り、発破を仕掛ける採掘。

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 太平洋戦争の頃、トロッコにによる石炭の搬出。この頃も女性が裸で働いている。

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 1960年(昭和30年)頃、坑内の詰め所(事務所)。現場の指揮や外部との連絡。

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 1962年(昭和37年)、掘った石炭を回収するキャタピラー付きの搬送車「サイドダンプローダー」。

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 昭和40年代、ロードヘッダーやダブルレンジングドラムカッターなど様々な機械化、合理化が進み、坑内の安全性も高まる。

 鉱山救護隊。全国の炭鉱では、しばしばガス爆発が起き、死傷者が出ていた。

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 生活館では、昭和30年(1955年)頃の共同炊事場と世話所を復元。

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 生活館には、労働組合の展示もあった。エネルギーが石油に移行し、全国に炭鉱閉山が進むと労働組合は反発、また再就職を求めて山を離れて行った。常磐炭田は、1976年(昭和51年)閉山した。

 

 

●いわき湯本温泉

 16:20、宿泊先のいわき湯本温泉「ホテル美里」に到着。18時から夕食・宴会。

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 翌日14日(水)、6:40起床。7:00~朝食。8:45、ホテルを出発。

 常磐道を南下し高萩インターで降り、国道461号線を西へ。
 

 

●永源寺 10:50~11:50

 花貫ダム、花貫渓谷、袋田の滝といったスポットの付近を走り、山を2つ、3つ越えながら茨城県久慈郡大子町の常陸大子駅前に10:50到着、バスを駐車。

 駅前から10分ほど歩くと、曹洞宗「永源寺」(茨城県大子町)。ここは通称もみじ寺と呼ばれ、観光客で賑わっていた。石像が多い。

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 大子町の久慈川のほとりにある公共の宿国民宿舎「リバーサイド奥久慈 福寿荘」で、12:00~12:50、昼食。

 

 

●那珂湊おさかな市場 15:00~15:30

 国道118号線を南下して、途中久慈川のほとりにある道の駅「常陸大宮市-かわプラザ」で13:25~13:50休憩、ひたちなか市へと向かう。

 ひたちなか市の那珂湊漁港に隣接する「那珂湊おさかな市場」で、海産物の買い物。

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 水戸大洗インターから東水戸道路、北関東道を経て、友部ジャンクションで常磐道へと乗り継ぎ、帰路へ。今回は例年よりやや参加者が少なかったものの、事故なく旅行は無事終了。
 

 

 ★ ★ ★

久原房之助は、1869年(明治2)7月山口県萩の生まれ。1885年(明治18)に東京商業学校(現一橋大学)を、1889年(明治22)に慶應義塾(現慶應義塾大学)を卒業した。貿易を志して森村組に入るが、1991年(明治24)に叔父の藤田組に移る。秋田の小坂鉱山に赴任し、業績を拡大する。藤田組支配人、小坂鉱山事務所長などを務める。

 1903年(明治36)に藤田組を退社。1905年(明治38)に茨城県の赤沢銅山を買収し、日立銅山と改称。1909年(明治44年)久原鉱業所(後に日本鉱業と改名、現在のJX金属)を創立し、各地の鉱山を買収、成功をおさめた。1910年(明治43)には、日立鉱山付属の修理工場(後の日立製作所)を設立。

 1924年(大正3)、第一次大戦景気で鉱山経営を足がかりにして企業を拡大し、造船業・肥料生産・商社・生命保険を傘下とする久原財閥(これらは後の鮎川財閥、日産コンツェルンに発展)を形成する。日立製作所、日産自動車、日立造船、日本鉱業創立の基盤となった久原鉱業所(日立銅山)や久原財閥の総帥として、「鉱山王」の異名を取った。しかし、大戦後の恐慌で大打撃を受ける。

 

 この機に政界へ進出。1927年(昭和2)田中義一首相の特使としてスターリンに会見。会社を義兄の鮎川義介に委ね、1928年(昭和3)年政友会に入り衆院議員に当選、田中内閣の逓信大臣を務めた。1929年(昭和4)立憲政友会の分裂の際は政友会正統派に属し、1939年(昭和14)第8代総裁となった。

 「政界の黒幕・フィクサー」と呼ばれ、右翼に資金を提供して1936年(昭和11)の二・二六事件に深く関与したという。第二次大戦後はA級戦犯容疑者となり、公職追放を経て、1932年(昭和27)政界に復帰。日中・日ソ国交回復国民会議議長などを歴任。衆議院議員通算5期。1965年(昭和40年)1月、95歳で没。

 

 

 「いわき市石炭・化石館」は、常磐炭鉱の繁栄の歴史と、いわき市内では多くの化石が発掘されることで有名であることから建設された。有名なフタバスズキリュウの白亜紀の化石は、今から50年も前の1968年(昭和43年)、いわき市大久町入間沢の大久川河岸で露出していた「双葉層群」から、当時高校生だった鈴木直によって発見された。

 この頃、大陸に比べて小さい日本列島では、首長竜や恐竜など中生代の大型爬虫類の化石が発見されることはないと考えられていた。フタバスズキリュウの発見により、こうした定説が覆され、各地で専門家やアマチュア研究者による化石発掘が盛んになった。発見から38年後の2006年(平成18)、国立科学博物館などの研究者チームによってようやく新属新種の首長竜と判明、「フタバサウルス・スズキイ」という正式な学名が記載された。

 なお、恐竜化石の一大産地である福井県勝山市には、恐竜に関する国内最大級で、地質・古生物学博物館として「福井県立恐竜博物館」があるそうだ。ジュラ紀から白亜紀の地層である「手取層群」が福井県に存在、恐竜化石が見つかりやすいという。福井県が、恐竜化石発掘量で全国一なのは、福井県勝山市が恐竜化石に早くから目をつけ、町おこしの一環として積極的に大規模発掘を行ってきたことが大きな要因だという。

 

 

 

 

 

 

2018年11月18日 (日)

川舟流しと倉紡記念館

 2018年10月22日(月)~24日(水)、2泊3日の岡山県倉敷の旅。

 

 23日(火)と24日(水)、「倉紡記念館」を観覧。24日(水)、川舟で倉敷川を遊覧。本ブログ記事「倉敷美観地区」の続き。

 

 23日(火)、「倉敷アイビースクエア」に連泊。24日(水)6:30起床、7:15~朝食。昨日の雨は止み、この日は晴れの良い天気。

 「倉敷アイビースクエア」をチェックアウトし、荷物を預ける。9:00~中庭に集合、今年のOB会はこれで解散。
 

●くらしき川舟流し 9:30~9:50
 
 かつて倉敷川は、物資を積んだ川舟の往来でにぎわっていた。その風情を味わえる観光川舟が、2艘運行している。ゆったりと進む舟から、視線を低くして白壁の町並みを眺める。

  倉敷川畔にある川舟乗船場の少し下流にある「倉紡製品原綿積み降ろし場跡」のチケット売り場で、9:30発の乗船チケット購入。料金は1人500円。

 川船は、始発が9:30〜最終便17:00、30分おきに出発している。1艘6人乗り、所要時間約20分。

 乗船すると船はゆっくりと、まず下流の「高砂橋」の方向に向かう。

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 現在の倉敷川の川幅は10m程だが、船による物資の輸送がされていた頃には、川幅20m程あったという。

 右岸の街並み。

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 左端の建物のデニム専門店「倉敷デニムストリート」と隣の建物は箸専門店「倉敷のお箸やさん 遊膳」。その間の路地に入り、「倉敷デニムストリート」の2F部分に「星野仙一記念館」があるようだ。左から3番目の建物は、天然石とアクセサリーの店「凸凹堂 倉敷」。

 潮留めのある「高砂橋」。ここで川船はUターン。

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 「高砂橋」は、江戸時代末期に建てられた元の「今橋」。1926年(大正15年)に「大原美術館」前に現在の「今橋」が架けられた時に 旧高砂町(現在の中央二丁目)に移され、「高砂橋」と改名された。1967年(昭和42年)に倉敷用水や美観地区の整備によって、現在のこの場所に移されたという。

 上流の「中橋」の方向に進む。右岸に大きな看板の備前焼の店「陶慶堂本店」と、その先に「日本郷土玩具館」。

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 さらに舟が進み、右岸の2棟は「倉敷民芸館」。

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 「倉敷民芸館」は、江戸時代後期の米蔵を改装。日本だけでなく、世界各国の暮らしに役立つ民芸品(民衆的工芸品)15,000点を所蔵。右端の「倉敷館」(観光案内所)は、工事ネットで囲われ休館中。

 「中橋」の下をくぐる。

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 「中橋」は土橋、板橋を経て、1877年(明治10年)に現在の石橋に架け替えられた。橋げたが一枚石の太鼓橋で、アーチ状に設計されている。

 左岸、旅館「鶴形」の庭にある樹齢400年以上ともいわれる松の木が見える。

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 「大原美術館」と「旧大原家住宅」とを結ぶように架かっている「今橋」。

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 「今橋」は大正15年(1926年)に、皇太子であった昭和天皇がこの地を訪問するのに合わせて、架け替え工事が行われた。

 架け替えは大原孫三郎によってなされ、児島虎次郎がデザインした。菊のご紋と龍(孫次郎の干支)の彫刻が彫られている。また、橋げたの形を半円にして、水面に映る半円の影と併せて満月を眺めることができるという。

 「旧大原家住宅」(大原家本邸、左)と「有隣荘」(右)。

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 「有隣荘」は、1947年(昭和22年)に昭和天皇が倉敷に行幸された折、お泊りになった大原家の別邸。

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 再び「中橋」をくぐる。

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 「中橋」と「倉敷考古館」。

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 「倉敷考古館」は、江戸時代の米蔵を改装し、1950年(昭和25年)に開館した。吉備地方を中心とした考古学資料や古墳から出土した石器・土器・埴輪・刀剣など1,500点を展示。古代ペルー・アンデス文明、イラン、中国の文化財なども展示されているという。

 「倉敷アイビースクエア」の敷地に戻り、再び「倉紡記念館」に行く。
 

 

●倉紡記念館 10:00頃~11:00前

 「倉紡記念館」には、前日の23日(火)15:20~16:00に観覧した。

 「倉敷アイビースクエア」の宿泊優待券の提示で、入館無料。前日は、提示を忘れ入館料250円を払ったので、この日に返却してもらい、再度無料で入館。

 倉紡創立当時に建てられた原綿倉庫を、1969年(昭和44年)のクラボウ(倉紡)の創立80周年の記念館として改装し、建設された。

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 順路に従い、写真・模型・文書・絵画などで、クラボウ(倉紡)の歴史が分かるようになっている。

・第1室 明治時代【1888~1912】

 明治期の紡績機械や、創業当時の文書等を展示。手前は手織り機、その先の提灯と車輪を備えた消防器具、その奥は英プラット社製の紡績機械。

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 1867年(慶応3年)5月、薩摩藩によって鹿児島に日本初の紡績工場が創設、明治になって全国各地に紡績工場が設立された。

 岡山県の3人の若者が、米と綿花以外に産業の無い貧村の倉敷村の将来のため、紡績工業を興すことを提案、資金提供を地元の大地主・大原孝四郎に依頼した。

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 初代社長の大原孝四郎の肖像画(児島虎次郎画1919)。

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 天保5年(1834)の天領代官所の模型。

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 1988年(明治21年)倉敷紡績所が創立した。初代社長に、大原孝四郎が就任。

 1989年(明治22年)代官所跡地に倉敷紡績工場が造られた。写真は、明治25年(1892)頃の倉敷紡績工場の模型。

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・第2室 大正時代【1912~1926】

 労働理想主義を具現化していった倉紡の発展期の資料を展示。

 手前の模型は従業員の寄宿舎の模型。それまでの集合宿舎を改善して分散式家族的寄宿舎とし、家庭的な生活が出来るようになった。

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 倉紡の2代目大原孫三郎社長は、石井十次の「岡山孤児院」を援助し、また大阪に「石井記念愛染園」を設立した。

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 「倉紡中央病院」の設計に当たって、孫三郎は次の3項目を指示した。

 1.設計はすべて治療本位にすること。2.病院くさくない明るい病院にすること。3.東洋一の立派な病院を造ること。時代を先取りしたような孫次郎の先見性にには感服。

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 倉紡の女工さんの人生双六。

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 入社がスタート。寄宿舎、仕事、学校、裁縫、生け花、バレーボール、テニス、観劇、遠足、踊り、実家へ送金、模範女工として表彰、良縁があり帰省、上がりは結婚。当時の時代背景がうかがえ、また福利厚生が充実していたことが分かる。

・第3室 昭和時代(戦前・戦中)【1926~1945】

 不況と戦争期の時代背景とクラボウの変遷を展示。

 正面は、大原總一郎が後援していた棟方志功の戦時中の書画。その手前は、1950年(昭和25年)昭和天皇が国内最新工場の北条工場へ御臨幸された時にお座りになった椅子。

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 (この写真のみは、「倉紡記念館」パンフから転載。)

・第4室 昭和(戦後)・平成時代【1945~】

 戦後の復興以後、紡績産業と、クラボウの事業の多角化の歩みを展示。

 敗戦により大打撃を受けたが、朝鮮戦争特需で繊維産業は、日本の経済をけん引する産業となった。しかしやがて化繊などの普及、繊維不況の時代は、事業の多角化へと経営を転換する。

 手前は、紡績以外のスポーツや教育向上にも注力した安城工場の模型。特に女子ソフトボールチームは有名。紡績以外の多角化経営のため新事業ポリウレタン加工の寝屋川工場。

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 1988年(昭和63年)、100周年を迎え本社ビル竣工、「クラボウ」を正式社名とした。

・第5室 年表コーナー

 明治から現在までの総まとめのコーナー。ビデオと写真映像、書籍の展示空間。

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 「倉敷アイビースクエア」の受付で、預けた荷物を引き取る。

 11:00頃~ショッピングしながら、本町通りを経て、えびす商店街、えびす通り商店街、センター街のアーケードを通って、倉敷駅へ向かう。12:00頃~駅付近の寿司・和食の店「しば田」で昼食。刺身定食1,600円。

 13:53倉敷駅発、山陽本線・岡山行に乗車。14:11岡山駅着。

 14:23岡山駅発、新幹線ひかり474号・東京行に乗車。18:33 品川 駅着、所要時間4時間40分(乗車時間4時間28分)。山手線から帰路へ。

 

 ★ ★ ★

 大原孫三郎の肖像画(個人蔵、大原美術館寄託、児島虎次郎画1915)

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 (写真は、ウィキペディアコモンズから]引用)

 大原孫三郎は1880年(明治13年)、倉敷の名家・大原家の三男として生まれた。二人の兄が相次いで若死にしたため、孫三郎が大原家の跡継ぎとなった。1897年(明治30年)東京専門学校(後の早稲田大学)に入学したが、大富豪の息子として放蕩な生活を送り、莫大な借金を抱えた。父親から東京専門学校を中退させられ、倉敷に連れ戻されて謹慎処分を受けた。

 日本の児童福祉の先駆者であり、「岡山孤児院」の創設者である石井十次との出会いが孫三郎の人生を変えたという。キリスト教信者であった石井の影響で、1905年(明治38年)自らも洗礼を受けた孫三郎は、1906年(明治39年)孝四郎の跡を継ぎ倉紡2代目の社長となった。

 石井の影響で、事業で得た富を社会へ還元することの重要性に目覚め、「大原社会問題研究所」、「労働科学研究所」、「倉紡中央病院」などを次々と設立した。孫三郎にとっては「大原美術館」の創設も社会貢献の一環だった。

 

 美観地区のどの建物だったか忘れたが、瓦屋根に生えている不思議な植物を見つけた。

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 あとで調べると、本瓦葺きの屋根に生育するツメレンゲだそうだ。ベンケイソウ科の多年草で、野生では暖地の日当たりが良く乾燥した岩の上、街中では古い瓦屋根に生育するという。

 岡山県では主に県中部~南部の岩崖地や古い石垣、本瓦葺き(土を敷いた上に瓦を葺く)の屋根の瓦の隙間などに生えるそうだ。かつては茅葺きの屋根でも、生育していたという。

 倉敷美観地区では本瓦葺きの古い建物が保存されているため、屋根を見上げながら歩くと、見つけることが出来るそうだ。

2018年11月17日 (土)

倉敷美観地区

 2018年10月22日(月)~24日(水)、2泊3日の岡山県倉敷の旅。23日(火)、「倉敷美観地区」を巡る。

 本ブログ記事「大原美術館」の続き。

 

●食事処「カモ井」 12:00~12:35

 10月23日(火)、「大原美術館」の絵画鑑賞を終わり、和食の食事処「カモ井」で昼食。

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 定番の「カモ井定食」1,728円(税込)は、岡山名物ちらし寿司(ばら寿司)をメインに鮮魚のお造りや煮物、酢の物、お吸い物付。

 

●旧大原家住宅 12:40~12:55

 今年から大原本邸の一部が公開された「旧大原家住宅」に入館。入館料500円。

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 玄関を入ると土間。天井からの文字は、大原家五代目以降の当主が残した言葉。

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 蔵を改造した展示室。大原家の約300年の歴史年表。

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 実業家、社会事業家、風流人であった大原孫三郎は、10年先が見えた人だったそうだ。

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 外に出ると、本格的な雨が降り出した。

 

 13:00~観光ガイドの案内で美観地区を巡る。

 「大原美術館」裏庭の東屋で雨宿りしながら、観光ガイドから明治以降倉敷の発展に尽くした大原孝四郎、大原孫三郎、大原總一郎の大原家三代の歴史などの話を聞く。


 

●大原美術館

 観光ガイドの案内で、「大原美術館」の「本館」、本館裏にある「新渓園」、「分館」、「工芸館・東洋館」の館外を回る。「新渓園」は1893年(明治26年)に大原家別邸として建てられ、現在は遊心亭(茶室)、敬倹堂(大広間)、庭園として市民の憩いの場となっている。

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 「大原美術館」では、2回絵画の盗難に遭ったそうだ。1963年(昭和38年)にコローの『ナポリの風景』がすり替え盗難に遭い、現在も行方不明だという。

 1970年(昭和45年)に本館に展示されていた絵画5点の大量盗難があった。犯人グループは1972年(昭和47年)に逮捕、無事回収された。事件発生後、本館1階側面にあった窓は全ては塞がれ、警備体制が強化されたそうだ。

 大原美術館の中庭には、モネの睡蓮がある。2000年(平成12年)、フランス郊外のクロード・モネの庭の池から、大原美術館に睡蓮の株が送られたもの。

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 詳細は、本ブログ記事「大原美術館」を参照。

 

●旧大原家住宅

 「旧大原家住宅」は、倉敷美観地区内の倉敷川に面して建つ。「大原美術館」から倉敷川に架かる「今橋」を渡った対岸にある。

 1795年(寛政7年)に主屋(おもや)を着工、大正期にかけて座敷や蔵を増築。敷地は約2,200㎡(670坪)。白壁や格子を備えた倉敷の代表的町家。主屋は、1階の格子や2階の窓のデザインに特色があり、それぞれ「倉敷格子」、「倉敷窓」と呼ばれている。

 1971年(昭和46年)、主屋をはじめ10棟が国の重要文化財に指定。1982年には土地が重要文化財に追加指定されている。2018年春から、一般公開されている。(前述の「旧大原家住宅」の項を参照。)

 

●有隣荘(ゆうりんそう)

  大原家別邸の「有隣荘」は、1928年(昭和3年)に大原孫三郎が、病弱な妻を気遣い「落ち着いた住まいを」と本邸(旧大原家住宅)の隣に建設した。

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 (写真は翌日24日、倉敷川の河船から撮影)

 泉州堺の瓦職人に特別注文し、独特の製法で焼かれた瓦は見る角度によって艶やかな緑色に光るという。現在の価格で瓦1枚3万円程だったといわれ、地元では「緑御殿」とも呼ばれているそうだ。

 大原家別邸の後は、来賓館として使用された。 昭和天皇が宿泊されたこともある。長く非公開とされてきたが、1997年(平成9年)から年に春秋2回、「大原美術館」主催の特別展示室として公開されている。

 ちょうどこの時期、三瀬夏之助の水墨画展の特別展をやっていて、入館料は1,000円。「大原美術館」に入館する時、大原美術館1,300円と有隣荘のセット券だと1,800円と窓口で言われたが、「有隣荘」のことが分からず買わなかった。
 
 

●旅館鶴形

 倉敷美観地区の中心部に位置する料理旅館「鶴形」は、徳川八代将軍吉宗の時代に建てられた商家。

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 玄関横にある古い説明板には、次のように記されている。

 「この建物は一七四四年 徳川八代将軍吉宗の時代に建てられた商家で 重要文化財大原邸等と共に 倉敷に現存する最も古い建物です 庭内の松は樹齢四百有余年を誇り 厨子二階の大広間は往時の繁栄を偲ばせます 旅館 鶴形」

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 旧小山家住宅で、1970年(昭和45年)に旅館として保存、再生。江戸中期町屋の厨子二階造りの風格ある構えを今にとどめている。
 

●旅館くらしき

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 「旅館くらしき」は、江戸期の屋敷と蔵を改装した老舗旅館。お座敷やレストランで懐石料理など頂くことが出来る。

 昔の玄関口らしい土間に入ると、アンティークな調度品のほか、石の式台の上には珍しい下駄が置いてあった。

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●倉敷アイビースクエア

 現在の「倉敷アイビースクエア」と「倉紡記念館」は、倉敷紡績株式会社の発祥工場跡地にある。経産省認定の近代産業遺産。

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 江戸時代、天領倉敷の代官所だった。

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 代官所時代の井戸。

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 説明内板には、以下のように書いてある。

 「この建物は倉敷紡績の発祥工場で、明治二十二年(一八八九)に建設された。設計は、日本の最初の紡績工場(鹿児島紡績所)を建設した石河正龍らによるもので、今日我が国に現存する最も古い紡績工場の代表的な一つとなっている。
 純英国風といわれる鋸型の屋根、赤いレンガの外壁、半円形の窓など当時の面影をそのままとどめている。
 この工場は昭和二十年(一九四五)終戦と共に長年に亘る操業(綿紡績)などに終止符を打ち、休止工場として保存されていたものを昭和四十九年(一九七四)に改装した。」

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 「倉敷アイビースクエア」の中庭の池にも、モネの睡蓮が「大原美術館」から株分けされている。

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 詳細は、本ブログ記事「倉敷アイビースクエア」を参照。



●井上家住宅

 「井上家住宅」は、美観地区では代表的な大型町屋の一つ。古くから倉敷の中心通りである本町通り(街道)に面して建っている。

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 国指定の重要文化財で、平成24年度~平成34年度の予定で全解体して保存修理を行っており、公開を中止している。

 工事着手前の建物と工事中の内部。

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 「井上家住宅」の特徴は、二階外壁の7つの「倉敷窓」と呼ばれる窓に、防火用の土扉が付いている。倉敷では少なくとも江戸時代後半には大火が無かったので、こうした町屋の形式が残っているのは井上家だけだという。今回の解体修理に伴う調査で、主屋は享保6年(1721年)に上棟されたことがわかり、倉敷美観地区内では最古の町屋であることが判明した。
 

 

●林源十郎商店

 倉敷生活デザインマーケット「林源十郎商店」は、“豊かな暮らし”のあり方を探求する場として、2012年(平成24年)にスタートした商業複合施設。“

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 本館3Fに屋上展望テラスがあり、エレベータで上がって倉敷の街並みを眺める。

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 本館2Fに「林源十郎商店記念室」があった。急いで通り過ぎたのであまり記憶が無いが、1657年(明暦3年)からこの地で薬種業を営み、倉敷村の健康・福祉に尽力してきた林家の林源十郎商店の精神に触れることができるという。

 

●倉敷物語館

 建築年代は江戸期とされる「倉敷物語館」は、 長屋門や土蔵などが当時の風情を伝え、また倉敷の歴史や情報を展示する観光・文化施設。

 倉敷周辺の干拓と川の歴史。

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 倉敷を含む岡山県南部の平地は、古代は海が広がり児島、早島、鶴形山などの島が点在。戦国時代から干拓が進んだ。何度も洪水が引き起こしていた高梁川(たかはしがわ)は、明治末期から14年に渡る改修が行われた。

 倉敷美観地区の歴史と変遷

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 江戸時代初期、幕府直轄となった倉敷は発展を始める。倉敷川の両岸に屋敷が立ち並び、やがて倉敷川以外の水路も整備され水運が発達、新興商家が台頭する。

 館内には展示室のほか、和室・多目的ホール・会議室が貸室として利用されている。現在ここは、臨時観光案内所となっている。倉敷観光のビデオを視聴。

 1917年(大正6)に倉敷町役場として建てられた観光案内所、無料休憩所の「倉敷館」(登録有形文化財)は、現在工事中のため2020年(平成31)8月まで休館。
 

 観光ガイド15:00頃終了。

 

●倉紡記念館 15:20~16:00

 「倉敷アイビースクエア」の敷地にある「倉紡記念館」に行く。

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 「倉紡記念館」は翌日24日も観覧したので、本ブログ記事「倉紡記念館」を参照。
 


●富来屋本舗 17:00~19:00

 今回OB会の2回目懇親会は、アイビースクエア近くの「富来屋本舗」で行う。

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●夜の倉敷美観地区 19:00~20:00

 「富来屋本舗」を出て、夜の倉敷美観地区を回る。

 世界的な照明デザイナー石井幹子氏がプロデュースした夜間景観照明。雨の中の街のあかりは、幻想的でレトロな風情を増し、癒される。

 「富来屋本舗」を出て右手、北の方角の街並み。

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 倉敷川の左岸、川舟乗り場付近から「中橋」の方向の街並み。

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 右手に白壁は「旅館鶴形」、その先は食事処の「カモ井」。

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 「大原美術館」のライトアップ

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 「中橋」と後ろの建物は、左から「カモ井」、「倉敷考古館」、「旅館くらしき」。

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 「高砂橋」の上から倉敷川の右岸、中央は工事中の「倉敷館」。

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 アイビースクエア近くの白壁通りを歩くと、デズニ―映画『101匹わんちゃん大行進』を思わせる、屋根の上のおびただしい数のビクターの犬。車のライトに照らされて、闇の中から浮かび上がる。

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 もちろん店は閉っているが、店内をガラス越しに覗いてみると、ごちゃごちゃした骨董品屋か。興味があって翌朝入ってみようと思っていたが、忘れてしまった。

 後で調べると、右上の看板にあるように1階はアンティークショップ。2階がブリキ、陶器、鉄などさまざまな貯金箱が展示されている「倉敷貯金箱博物館」。入館料300円。明治時代から現代のものまで、約2,000個の日本製の貯金箱を展示してあるそうだ。
 

 20:00過ぎに「倉敷アイビースクエア」に戻り、連泊。

 23:00頃就寝。
 

 本ブログ記事「川舟流しと倉紡記念館」へ続く。

 

 

 ★ ★ ★

 江戸時代、天領だった倉敷では「古禄」と呼ばれた旧来の商人勢力に対して、新田・塩田開発と倉敷川水運の利を生かして新興商人の「新禄」の勢力が台頭してきた。その中でも大原家と大橋家が筆頭格であった。大原家は、江戸時代中期に綿の仲買や米穀問屋を営んで倉敷の有力商人となり、庄屋を務めるほどの大地主にもなった。大原家は倉敷川の終点に位置し、河岸の両側に店舗と蔵を構えた。

 1889年(明治22)、大原孝四郎は倉敷紡績(現クラボウ)の設立に参加。そして経済活動はもちろん、倉敷の文化や町づくりなど、地元の発展に大きな影響を与えた。これらをさらに財閥として発展させたのが孫三郎。そこで得た富で、息子の總一郎と共に「倉紡中央病院」(現・倉敷中央病院)や「大原美術館」等々、数々の社会・文化事業の施設を造った。
 

 

 林源十郎は、江戸時代から続く、倉敷の薬種問屋の第11代当主。倉敷のまちづくり、今日に続く地域社会活動を行った実業家・大原孫三郎に、多大な影響を与えた人物として知られている。キリスト教徒の林源十郎は、「岡山孤児院」創設者の石井十次と大原孫三郎を引き合わせた。大原孫三郎は、石井十次や林源十郎の地域社会貢献、福祉の精神に触れながら、まちづくりを実践したという。

 1950年(昭和25)、「株式会社林源十郎商店」をこの地に設立。現在の「林源十郎商店」は、前身の商家を改装したもの。広い敷地には、木造三階建ての本館の他、主屋、離れ、4棟の蔵、中庭があり、「豊かな暮らし」を探求する衣食住に関連するショップやカフェ、展示室等が入っている。

 中でも人気なのが、本館1Fの「倉敷意匠 アチブランチ」という。倉敷意匠のほぼ全てのアイテムを常設販売する他、作家やアーティストによるワークショップも不定期で開催しているそうだ。ちょっと気になったショップは、蔵にあるデニムスーツの店「inBlue(インブルー)」と離れの「HEART MADE BASE(ハートメイドベース)」の直営店。「HEART MADE BASE」は、デニムなど多種の生地の企画から縫製、販売まで一貫して行う児島のものつくりの店。

 

 「倉敷美観地区」は、倉敷市の美観地区景観条例に基づき定められたもので、広義の美観地区の面積は21ha、うち倉敷川周辺の伝統的建造物群保存地区(第一種美観地区)が15ha、伝統美観保存地区(第二種美観地区)が6haである。

 前者は国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されている。 「倉敷美観地区」では、「倉敷帆布のバッグ」や「倉敷デニム」、「マスキングテープ」、「キャンドル」、「倉敷ガラス」・・・といった特産品の人気が高い。こうした伝統的な手仕事や倉敷ブランドの商品を扱うショップが軒を連ね、多くの観光客で賑わいをみせている。

 数十年ぶり来てみて、美観地区と呼ばれるエリアがこんなに広くて、しかも伝統的な建築物や街並み保存されていることに感動。美術館・博物館、食べ物や買い物のショップがこれほど多く、観光客の多さにも驚いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2018年11月14日 (水)

大原美術館

 2018年10月22日(月)~24日(水)、2泊3日の岡山県倉敷の旅。23日(火)午前中、「大原美術館」に行く。

 本ブログ記事「倉敷アイビースクエア」の続き。

 

 

 10月22日(月)、「倉敷アイビースクエア」に宿泊。

 23日(火)、6:30起床。7:00~朝食。9:00集合、記念撮影後、美観地区へ繰り出す。天気は、雨になりそうな曇り空。

 9:40、「大原美術館」の敷地に入場。

 

 「大原美術館」は、倉敷紡績(現クラボウ)二代目社長・大原孫三郎が1930年(昭和5年)に創設した日本で最初の近代西洋美術館。創業当時の作品を収集したのは、孫三郎の援助で渡欧した岡山出身の画家・児島虎次郎だった。

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 ギリシャ神殿のような古典様式の「大原美術館 本館」。

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 「本館」入口の右手に、ロダン作『カレーの市民 ジャン・ダール』1890年。イギリス・フランス間の百年戦争(1337~1453)のエピソードをもとに制作された。

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 左手は、ロダン作『洗礼者ヨハネ』1880年。聖ヨハネは、キリストに洗礼をさずけた人物。

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 入館料(本館/分館/工芸・東洋館含む) 一般1,300円、音声ガイド500円。

 館内は撮影禁止のため、主な作品をウィキメディア・コモンズから転載。
 

 シャヴァンヌ『幻想』1866年 四点の装飾画の一つ。 天馬は人間の想像力、花摘む少年は美への感受性を暗示しているという。

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 セガンティーニ『アルプスの真昼』(1892年) スイスの平和な、明るい太陽の光をいっぱい浴びた放牧の風景。

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 セザンヌ『風景』1885 - 95年頃 セザンヌは、印象派として活動していたが、1880年代から独自の絵画様式を探求。20世紀美術に多大な影響を与えたことから、「近代絵画の父」とされる。

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 ゴーギャン 『かぐわしき大地』1892年 ゴーギャンが、オセアニアのタヒチ島に渡って、間もなくしてからの作品。

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 ロートレック『マルトX夫人の肖像、ボルドー』1900年 気品のある落ち着いた雰囲気と的確な明暗表現が、印象深いとされる作品。

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 アマン=ジャン『髪』1912年頃 児島虎次郎が収集した最初の西洋画。二人の優美な色彩や親密な雰囲気の描写、あたかも化粧風景を覗き見てしまったような臨場感の作品。

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 ルノワール 『泉による女』1914年 印象主義を追求した明るい太陽の光のもとの裸婦画。

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 モネ『睡蓮』1906年頃 浮世絵を部屋に飾るなど親日家のモネの邸宅を、児島虎次郎が訪ねて譲り受けた作品だそうだ。 

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 モディリアーニ『ジャンヌ・エビュテリヌの肖像』1919年 ジャンヌ・エビュテルヌはフランスの画家で、モディリアーニのお気に入りのモデルであり、内縁の妻だった。

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 エル・グレコ『受胎告知』17世紀初頃 天上から雲に乗って突然現れた天使を、本を読んでいた聖母マリアが視線を合わせ、告知を受け止めているという名画。純潔の白百合の花、精霊の鳩が描かれている。

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 「分館」が「本館」の裏側にある。

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 前庭芝生の左手に、ロダン『歩く人』(1877年)。

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 前庭右手に、ムーア『横たわる母と子』1975-79年。

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 芝生には、他にイサム・ノグチ『山つくり』1982年
 
 「分館」内には、日本の洋画家の作品や現代美術の作品を展示。

 

 岡田三郎助『イタリアの少女』1901年 岡田のあのフランス留学中の作品。パステルの筆あとに、少女の肌のやわらかさを表現。

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 青木繁『男の顔』1903年 青木の代表作は『海の幸』。名声を得ることなく放浪の末に胸を患い、28歳で早世。この絵は、20歳の頃の自画像か。

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 関根正二『信仰の悲しみ』1918年 極貧であった関根は、この作品を描いた翌年、わずか20歳でこの世を去った。

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 小出楢重『Nの家族』1919年 日本独特の洋画を構築しようとする大正期洋画界の動向を示す作品。自分と家族を描いた。

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 岸田劉生『童女舞姿』1924年(本資料のみ「大原美術館」パンフより転載) 岸田は、娘・麗子をモデルにした作品を多く手掛けている。

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 児島虎次郎『自画像』1922年頃 大正11年、児島の41歳の頃の作品か。

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 児島虎次郎『里の水車』1906年 外光を逆光として取り入れ、明暗を生かした構図。美術学校卒業後、ヨーロッパ留学前に描かれた。

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 児島虎次郎『ベゴニアの畠』1910年 フランスからベルギーに移った児島は、ベルギー印象派の点描技法を身につけた。

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 児島虎次郎『睡れる幼きモデル』1912年 椅子にもたれてまどろむ幼い少女。明るい色彩があふれる、洋風の室内の様子がていねいに描写されている。

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 児島虎次郎『朝顔』 1916 - 1921年 『朝顔』の作品は3枚あるうちの1枚。朝顔に囲まれた浴衣の少女が、下駄で爪先立ちで水遣りをしている。この絵が好きな女子が多い。

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 児島虎次郎『アルハンブラ宮殿』1920年 フランスからスペイン旅行中に描いたグラナダの風景。

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 「工芸館」には、河井寛次郎、バーナード・リーチ、濱田庄司、富本憲吉の陶器、棟方志功の木版画、芹沢銈介の染色などが展示。

 「東洋館」は、児島虎次郎の収集を中心とした東洋の古代美術品を展示。

 なお、「工芸館」と「東洋館」は、もとは大原家の米蔵を展示館に改装したものだという。

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 12:00頃、退館。

 本ブログ記事「倉敷美観地区」へ続く。
 

 

 ★ ★ ★

 「大原美術館」は、倉敷の実業家・大原孫三郎(1880–1943)が、資金援助していた洋画家・児島虎次郎(1881–1929)に依頼して収集した西洋美術、エジプト・中近東美術、中国美術などを展示するため、1930年(昭和5年)に開館した。近代西洋美術を展示する美術館としては、日本最初。

 大原孫三郎は、倉敷紡績(クラボウ)、倉敷絹織(クラレ)、倉敷毛織、銀行、電力会社などの社長を務め、大原財閥を築き上げた。 昭和初期、一地方都市にすぎない倉敷に、このような美術館が開館した先見性に驚愕する。

 氏は、岡山孤児院を設立した石井十次の社会福祉事業の影響があったためか、工員の教育や環境改善、農業改善のほか、社会・文化事業にも熱心に取り組んだ。倉紡中央病院、大原美術館、大原奨農会農業研究所、倉敷労働科学研究所、大原社会問題研究所、私立倉敷商業補習学校を設立した。その大原美術館の創設も、社会貢献の一環だったようだ。しかし、開館当初は一日の来館者ゼロという日もあったほど、注目度が低かったそうだ。



 倉敷は、美術館・博物館が多いことで知られている。「大原美術館」の近くにあって、お土産屋のような建物は、「加計美術館」。

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 昨日、目について気になっていたが、例の「もりかけ」問題で批判を浴びている加計学園の美術館らしい。あとで調べると、大学関係者の作品や学生の卒業制作などが展示されているようだ。
 

 

 ある旅行サイト「フォートラベル(株)」での、倉敷の美術館・博物館クチコミ・ランキングを引用する。

 ①大原美術館 ②大原美術館 分館 ③倉紡記念館 ④倉敷民藝館 ⑤倉敷考古館 ⑥桃太郎のからくり博物館 ⑦大原美術館 工芸・東洋館 ⑧星野仙一記念館(野球選手・監督の星野仙一は倉敷出身)

 ⑨オルゴールミュゼ・メタセコイア ⑩加計美術館 ⑪いがらしゆみこ美術館(いがらしゆみこは北海道出身) ⑫日本郷土玩具館 ⑬アイビー学館 ⑭倉敷市芸文館 ⑮大山名人記念館(将棋の大山名人は倉敷出身) ⑯倉敷市立美術館

 ⑰倉敷市立自然史博物館 ⑱ライフパーク倉敷科学センター ⑲林源十郎記念室 ⑳倉敷貯金箱博物館 ㉑倉敷科学センター ㉒真備ふるさと歴史館 ㉓まきび記念館 ㉔倉敷刀剣美術館 倉敷刀剣美術館

 

 

 

 

 

 

2018年11月12日 (月)

倉敷アイビースクエア

 2018年10月22日(月)~24日(水)、2泊3日の岡山県倉敷の旅。「倉敷アイビースクエア」に宿泊。
 

 10月22日(月)、品川駅9:10発の新幹線ひかり465号・岡山行に乗車。13:19岡山駅着。13:29、山陽本線・福山行の普通列車に乗り換え、13:45倉敷駅の到着。所要時間は、4時間35分(乗車時間4時間25分)。

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 駅南口から商店街を抜け、柳並木の倉敷川のほとり(美観地区)を散策しながらホテルへ向かう。天気は曇り。美観地区とは、倉敷市の町並みの保存・観光地区のこと。

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 白壁、なまこ壁のレトロな街並みが続く。

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 観光地図では、駅南口から徒歩15分とあったが、美観地区をブラブラしながらお店を覘き、45分かかって14:30、宿泊予定のホテル「倉敷アイビースクエア」に到着。

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 蔦(つた)の絡まるレンガ造りの「倉敷アイビースクエア」の中庭。

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 15:00頃、ホテルを出て再び美観地区を散策。

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 美観地区のすぐそばの小高い丘「鶴形山公園」に登る。

 最初、間違えて「井上家住宅」横の小道を進むと、「本栄寺」の裏山(鶴形山の中腹)に行ってしまった。ここから倉敷市街を展望。

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 手前の大きい屋根が「本栄寺」。その右上の白い建物は「倉敷公民館」。中央に大原家別邸の「有隣荘」と「大原美術館」の屋根が見える。(写真をクリックすると拡大)

 元の場所に戻って鶴形山隧道(写真右手)入口に行くと、「観龍寺」の参道石段に「鶴形山公園 頂上まで300m」の標識を見つける。

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 「鶴形山」の山頂の「阿智神社」。ここからの倉敷市街の眺望も素晴らしい。

 薄暗くなった17:25、「倉敷アイビースクエア」に戻る。

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 18:30~20:30、「倉敷アイビースクエア」の「コーラルの間」でOB会の懇親会。

 21:00~22:00、同ホテル内で二次会。23:10、就寝。 

 明日は「大原美術館」の絵画鑑賞、倉敷美観地区を観光ガイドの案内で回る。

 

 本ブログ記事「大原美術館」へ続く。

 

 ★ ★ ★

 倉敷美観地区を訪れたのは、何十年ぶりだろうか。川のほとりの柳と白壁の街並み、大原美術館のぼんやりとした記憶しかない。倉敷市は瀬戸内海に面した大都市、人口が48万人(中国地方で第3位)と聞いて驚く。かつて倉敷は、天領として物資輸送の集積地だった。瀬戸内海につながる川沿いに、町家や白壁土蔵造の街並みが形成され、現在まで大切に守られてきている。

 江戸時代には商人の町、明治になって繊維産業が発展。そして近年は、倉敷市内の倉敷は行政と観光、工業都市の水島、ジーンズや学生服の児島、貿易港と新幹線駅を有する玉島、そのほか庄、茶屋町、船穂、真備などといった地理や歴史の異なるエリアで形成されている。瀬戸内海の漁業や温暖な気候を利用した農業も盛ん。

 

 「倉敷アイビースクエア」は、旧倉敷紡績(現クラボウ)の発祥工場を改修、再生したホテル・文化施設をあわせもつ複合交流施設。蔦(つた=アイビー)の絡まる赤レンガの象徴的な建物。ウェディング、会議・宴会、レストラン、ショップ、陶芸教室などの施設のほか、倉敷紡績の史料を展示した「倉紡記念館」もある。

 蔦は、当時の倉敷紡績社長の大原孫三郎が「自然と調和しながら健康的な労働環境を」という信念の元に、紡績工場内部の温度調節のために植えられたそうだ。夏は赤レンガを覆って暑さをしのぎ、冬は落葉して太陽の暖かさを受けられるようにしたという。
 

 「阿智神社」は、美観地区の北東にある小高い丘「鶴形山」(標高40m)の上に鎮座。古代、「亀島」、「鶴形島」などと呼ばれていたこの地に、住み着いた阿知使主(あちのおみ)の一族が作った庭園が元となったとされる。阿知使主は、応神天皇時代の漢人系渡来人。

 かつては島であった児島半島と本土との間は、多数の島が散在し「吉備の穴海(あなうみ)」と呼ばれ、当時は窪屋(くぼや)郡阿智郷であった。現在の倉敷市鶴形山周辺は、瀬戸内海航路の要衝で、海上交通の守護神である「宗像三女神」を祀ったと考えられている。

2018年11月10日 (土)

秋の富士山麓と箱根仙石原

 2018年11月7日(水)、秋の富士山麓と箱根仙石原に行く。

 

 参加者13人が駅前に集まり、7:30マイクロバスで出発。

 関越道、圏央道、中央道と高速道路を走って、9:10河口湖インターで降りる。河口湖大橋を渡り、河口湖北岸のもみじ街道、湖北ビューライン(県道21号線)を通って、「大石公園」(山梨県富士河口湖町)へ。

 

●大石公園 9:20~10:20

 「大石公園」といえば春の芝桜、夏のラベンダー、秋のコキアが有名。しかし赤くなったコキアの見頃は10月中旬~下旬とか。茶色に枯れたのが数本あったが、抜いてしまったのかほかに見あたらない。

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 来年美しい花を咲かせため、剪定されたラベンダーの株が、整然と並ぶ。正面の建物は、「大石公園」の河口湖自然生活館。

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 富士山と河口湖が一緒の絶景ポイント「大石公園」。この日は雲が多くて、河口湖越しに見える富士山も、太陽もほとんど姿を見せず。

 カモが泳ぐ河口湖の対岸に見えるのは、雲の下の富士山の裾野だけ。河口湖は、「富士山世界文化遺産」の構成資産の一つ。

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●もみじ街道

 湖北ビューライン(県道21号線)、もみじ街道を戻る。バスの中から見るもみじ街道の紅葉がきれい。

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 沿道の近くでは「もみじ回廊」を中心とした「河口湖もみじ祭り」をやってたが、混雑していて車が駐められないのでスルー。祭りは、2018年11月1日(木)~ 23日(金祝)まで。ライトアップもある。

 「もみじ回廊」のほかに、祭りの会場からは車で約15分ほどの距離に、人気の「紅葉トンネル」という紅葉名所もあるそうだ。

 河口湖北岸から、新倉河口湖トンネルを抜けて富士吉田市へ。更に鳥居地トンネルを抜けて忍野村へ入る。
 

●忍野八海(おしのはっかい) 10:50~11:40

 河口湖から南東に下って、富士山の伏流水の湧水池が8つある「忍野八海」(忍野村)。みやげ屋・食事処「ひのでや」の駐車場に車を駐める。

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 「忍野八海」は、富士山信仰にのための巡拝地として、八海それぞれに八大竜王を祀っている。富士登拝を行う行者たちは、ここの水で穢(けが)れを清めたという。国指定の天然記念物。

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 上の二つの写真は、コバルトブルーの美しい池、水深10mで透明度が高い。忍野八海の中心にあって、池の周りに土産屋や食事処が集中しているため、一番賑やかだ。

 澄み切った池にコイが泳ぐ。池の底にはコインがたくさん沈んでいるのが見えるが、環境保全のため「お金投げ入れ厳禁 罰金千円」の看板が、日本語のほか英語、中国語で書いてあった。

 残念ながら後で調べたら、この池は人工池の「中池」で、「忍野八海」の八つの池に含まれてなく、「富士山世界文化遺産」の構成資産ではなかった。

 下の「湧池(わくいけ)」は、「忍野八海」の一つで、富士山の構成遺産の一部として認定されている。

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 中国人観光客が大勢来場していた。富士山に関わる名所に関心があるようで、富士山吉田口の五合目には中国人ツアー客が大勢で行くのだろう。

 

●旭日丘(あさひがおか)湖畔緑地公園 12:00~12:45

 忍野八海から更に国道138号線を南東に下り、山中湖の南岸を走ると、沿道はちょうど紅葉が見頃。紅葉を車内から撮影。

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 「旭日丘湖畔緑地公園」(山中湖村)の紅葉が美しい。

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 山中湖の湖岸には、白鳥ボートが並ぶ。白鳥の形をした遊覧船「白鳥の湖」も運行している。山中湖は、「富士山世界文化遺産」の構成資産の一つ。

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●浅間(せんげん)茶屋 山中湖店 12:50~13:35

 旭日丘の公園から山中湖南岸(138号線)を2Kmほど戻った所、ほうとうの店で昼食。

 山梨名物ほうとう専門店の山中湖店(山中湖村)。

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 浅間茶屋の本店(富士吉田本店)は、「富士山世界文化遺産」の構成資産である「北口本宮(きたぐちほんぐう)富士浅間神社」のすぐ近くにある。

 注文の「名物かぼちゃほうとう」は、1,130円。ひとり鍋で、茶碗に移して食べる。だしは味噌仕立て、南瓜や芋などの野菜がたっぷりで、食べきれないと思ったが、美味しくて完食。(写真は、浅間茶屋のホームページから転載)

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 国道138号線を南下、山中湖村から小山町、御殿場市へ。東名高速の高架をくぐり。乙女道路、乙女トンネルを通って、静岡県箱根町の仙石原へ。


●長安寺 14:30~15:15

 仙石原交差点で左折、細い道を進むとすぐに曹洞宗「長安寺」、大門の先に駐車場がある。参道の水屋の後ろには、澄んだ水の放生池にコイが泳いでいる。

 山門をくぐり、本堂の賽銭箱の横に「長安寺」のパンフが置いてあり100円。賽銭100円を入れて参拝。ここは駐車料、拝観料とも無料。

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 本堂北側の裏山には、モミジなどの林の中が「五百羅漢場」。

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林の中に羅漢様が点在する。

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 五百羅漢は、1985年(昭和60年)より建立、現在進行中とパンフにある。苔むしたりしているが、なるほど羅漢像の表情や加工は現代的。

最近になって境内の新緑や紅葉が有名になったようなお寺で、見学者が多い。紅葉しているもみじもまだ少なくて、見頃はこれからのようだ。「東国花の百ヶ寺」としても知られている。

「東国花の寺」は、関東1都6県の「花の寺」と称される寺院が集まり、2001年(平成13年)3月に発会。仏教の教えを基に心に花を咲かせてほしいという願いを元に、現在は103ヶ寺の寺院が加盟しているそうだ。

 

●仙石原のすすき草原 15:20~16:10

 長安寺から、仙石原交差点を直進、800mほど進むと「箱根湿生(しっせい)花園」がある。更に600mほど先、仙石原浄水センター入口に臨時駐車場(無料)があった。

駐車場から約600m、10分ほど歩くと、「仙石原のすすき草原」の入口。

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 すすき野原はどこにでもあるが、これほど広大なすすき草原は初めて見た。その広さ(16ha)に驚き、圧倒される。やはり毎年3月には野焼きが行われていて、自然体系が守られているという。

 箱根仙石原には、「箱根ラリック美術館」、「ポーラ美術館」、「星の王子さまミュージアム」、「箱根ガラスの森」などの美術館も多い。
 

 帰りに「鈴廣かまぼこ」御殿場店で買い物し、御殿場インターから東名高速、帰路へ。家に着いたのは19時過ぎ。

 帰ってから歩数計を見たら、7Kmほどを歩いていた。富士山が全く撮影出来なかったのは残念だったが、紅葉はまあまあ撮れた。

 この日は終日曇り、富士山麓や箱根は寒いかと思っていたが、この日は例年より暖かかったそうで防寒具を着るほどではなかった。

 

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  「富士山周辺の花巡り」 2015/07/20 投稿
   http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2015/07/post-b645.html

  「箱根周遊」 2013/10/27 投稿
   http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2013/10/post-1cfc.html

 

 ★ ★ ★

 「富士山世界遺産」の構成資産について

 富士山は当初、「世界自然遺産」として登録を目指した。しかし、ゴミなどによる環境悪化や開発により自然が保たれていないなどの理由で、「文化遺産登録」を目指す方針に転換。2013年(平成25年)6月、富士山が「信仰の対象と芸術の源泉」の名山として、世界文化遺産に登録された。古来より日本の象徴として、山岳信仰や北斎らの浮世絵の題材にもなり、その文化的が意義が評価されたのだった。

 構成資産は、山体だけでなく、古から富士山と関わりを持つ周囲の神社や登山道、風穴、溶岩樹型、湖沼など。以下の通り全部で25箇所。

 ① 富士山(富士山域)-静岡県・山梨県; 標高約1,500m以上の山域に、以下9件の構成要素がある。

  • 山頂の信仰遺跡群-静岡県・山梨県; 火口壁に沿って神社など宗教関連施設が分布、山頂部で宗教行為が体系化。
  • 大宮・村山口登山道(現 富士宮口登山道)-富士宮市; 富士山本宮浅間大社を起点とする登山道。
  • 須山口(すやまぐち)登山道(現 御殿場口登山道)-御殿場市; 須山浅間神社を起点とする登山道。
  • 須走口(すばしりぐち)登山道-小山町; 富士浅間神社を起点とし、八合目で吉田口登山道と合流し山頂に至る登山道。
  • 吉田口登山道-富士吉田市/富士河口湖町; 北口本宮冨士浅間神社が起点。18世紀後半以降、最も多く利用。
  • 北口本宮(きたぐちほんぐう)富士浅間神社-富士吉田市; 浅間大神を祀った遙拝所が起源。富士講との繋がりが強い。
  • 西湖(さいこ)-富士河口湖町; 9世紀の噴火で溶岩が流れ込んで出来た湖。西側に青木ヶ原の樹海や溶岩洞窟がある。
  • 精進湖(しょうじこ)-富士河口湖町; 9世紀の噴火で溶岩が流れ込んでできた。富士五湖で最も小さく、逆さ富士が美しい。
  • 本栖湖(もとすこ)-身延町/富士河口湖町; 富士山との構図が美しく、紙幣の図案など芸術作品になることが多い。

 ② 富士山本宮(ほんぐう)浅間大社-富士宮市; 富士山を浅間大神として祀ったことを起源とする浅間神社の総本宮。

 ③ 山宮(やまみや)浅間神社-富士宮市; 富士山本宮浅間大社の前身。本殿がなく、富士山を臨む遙拝所を設けている。

 ④ 村山浅間神社-富士宮市; 12世紀頃に富士山で修行する人々が現れ、14世紀初頭に修験道が成立、その中心となった。

 ⑤ 須山(すやま)浅間神社-裾野市; 日本武尊の創建とされる。須山口登山道の起点となり南東麓からの登拝に重要な場所。

 ⑥ 冨士浅間神社(須走浅間神社)-小山町; 須走口登山道の起点となる神社で、富士講信者が多く立ち寄った。

 ⑦ 河口浅間神社-富士河口湖町; 9世紀後半に起こった噴火を契機に、北麓側に初めて建立された浅間神社とされる。

 ⑧ 富士御室(おむろ)浅間神社-富士河口湖町; 富士山中の最古の神社であるといわれ、本宮と里宮が合祀されている。

 ⑨ 御師(おし)住宅(旧外川家住宅)-富士河口湖町; 富士講信者が登拝を行う際、宿や食事などの世話をした御師の家。

 ⑩ 御師住宅(小佐野家住宅)-富士吉田市; 北口本宮冨士浅間神社の御師を務め、当時の宿坊の形態を残している。

 ⑪ 山中湖-山中湖村; 富士山の火山活動によってできた湖。富士講の開祖・長谷川角行が水行を行った湖沼の一つ。

 ⑫ 河口湖-富士河口湖町; 富士五湖のうち最も標高が低く、湖岸線が長い。

 ⑬ 忍野八海(出口池)-忍野村; 富士登山を目指す行者たちは、この湧水を「清浄な霊水」と呼び、穢(けが)れを祓った。

 ⑭ 忍野八海(お釜池)-忍野村; 忍野八海の中で最も小さな池。ガマガエルが娘を引きずり込んだ伝説から大蟇(がま)池とも。

 ⑮ 忍野八海(底抜(そこなし)池)-忍野村; 池に物を落とすと底を通り抜け、お釜池に浮かび上がったという。

 ⑯ 忍野八海(銚子池)-忍野村; 阿原川沿い脇の草地の中にある池。若い花嫁が身を投げたという伝説が残る。

 ⑰ 忍野八海(湧池(わくいけ))-忍野村; 湧水量が豊富で水深4m。忍野八海を代表する池。

 ⑱ 忍野八海(濁(にごり)池)-忍野村; 行者が一杯の水を求めたのを断った途端に、池が濁ったというのが名前の由来。

 ⑲ 忍野八海(鏡池)-忍野村; 部落内でもめごとが起きると、両者が池水を浴びて身を清め、平穏を祈ったという。

 ⑳ 忍野八海(菖蒲池)-忍野村; 池では大きな菖蒲が生息し、伝説ではこの菖蒲を身体に巻くと病気が治るという。

 ㉑ 船津胎内樹型(じゅけい)-富士河口湖町; 溶岩が流れる際に、樹幹の跡が空洞となった洞穴に浅間大神が祀られた。

 ㉒ 吉田胎内樹型-富士吉田市; 樹木が重なり合った複雑な樹型の洞穴。女性の胎内に例えられている。

 ㉓ 人穴(ひとあな)富士講遺跡-富士宮市; 富士講の開祖・長谷川角行が16~17世紀に修行し、入定したと伝えられる聖地。

 ㉔ 白糸ノ滝-富士宮市; 湧水が幅約200mにわたり噴出している滝。富士講を中心とした人々の修行場。

 ㉕ 三保松原-静岡市; 『万葉集』以降多くの和歌の題材や、天女と漁師の交流を描いた『羽衣』の舞台にもなった。

2018年11月 8日 (木)

日本スリーデーマーチ2018

 2018年11月3日(土)、4日(日)、「第41回日本スリーデーマーチ」に参加。

 
 埼玉県の比企丘陵を舞台に繰り広げられるウォーキングの祭典「日本スリーデーマーチ」は第41回を迎え、11月2日(金)に開幕。4日(日)までの3日間開催された。

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 (クリックすると拡大表示)

 

●11月3日(土)

 「吉見・森林公園ルート」の20キロコースに、7人のグループで参加。

 東松山駅前を9時頃に出発。途中、古墳時代後期の遺跡「百穴(ひやくあな)」(比企郡吉見町)に寄る。「百穴」は現在219個あり、古代人の横穴墓群とされる。

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 東松山市の滑川に架かる野田橋付近(県道391号線)。
 
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 東松山市野田の農道を歩く。

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 東松山市大谷の大岡コミュニティセンターで休憩。隣接する「東松山ぼたん園」を通過。1990年(平成2年)開園、拡張工事を経て今では関東有数のぼたん園。春には150種、65,000株、市の花である「ぼたん」が咲き誇る。最近、ぼたん畑の西側に、芝生のエリア(写真)が出来た。

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 芝生エリアの野外ステージ上には、秋ぼたん。後方は新しい大型遊具。

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 一般的な品種の春ぼたんは、4月下旬~5月上旬に開花する。バラは春のほか秋にも咲くが、秋に咲くぼたんは初めて見た。春と秋に花をつける二季咲きの変種「寒ほたん」というのがあるそうだが・・・。

 12:00~12:30障害者支援施設「あかつき園」(東松山市大谷、社会福祉法人青い鳥福祉会)の休憩所。けんちん汁250円を購入し、事前にコンビニで買ったおにぎりで昼食。

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 「国営武蔵丘陵森林公園」(比企郡滑川町)の中央口から入場、南口から抜ける。この日の入場料は無料。

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 森林公園駅前を経て、東松山の市街地へ。東松山市松山町の住宅街を通る。小さい子供たちは、10キロコースのようだ。

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 15:25、東松山市松葉町の中央会場(松山第一小学校)のゴールに到着。オレンジのベストを着た中学生ボランティアが「ゴール」のシールを貼っている。

 

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 ゴールしたウォーカーで賑やかな中央会場で休憩。とりあえず会場の出店で買った生ビールで乾杯。

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 帰りの東松山駅までの「まるひろ通り」では、「よさこい陣屋祭り」の演舞。

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 16:10~名物の「やきとり」屋で打ち上げ。

 昔は気にならなかったのに、最近長く歩くと足の裏が少し痛む。靴が合わないのか、歳のせいか。良い天気で汗ばむほどのウォーキング日和で、参加者も多かった。

 この日の歩数計は、3万7千歩、22km。

●11月4日(日)

 「日本スリーデーマーチ」の最終日、都幾川・千年谷公園ルート。

 朝起きると、昨日の足の痛みが少し残っていたが、大丈夫。

 11月2日、3日の関東地方は高気圧に覆われ、秋晴れのウォーキング日和だった。3日目のこの日は、気圧の谷が通過するとかで朝からどんよりとした曇り空。

 10キロコースは、都幾川や千年谷公園までは行かず、唐子中央公園まで行ってスタート地点へ戻る。午後から、市内パレードに参加する。

 9時頃に中央会場(松山第一小学校)に行くと、10キロコース出発式(8:45~9:00)が終わり、出発ゲートに向かってウォーカーの行列が出来ていた。

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 30名弱のウォーキング・グループは、中央会場近くの松山中学校前に集合。9時半、旗を持った幹事を先頭に出発。

 今年はコースと少し変わってようで昨年のような渋滞もなく、住宅街を抜け青鳥小学校(東松山市石橋)付近の小道を歩く。

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 関越道の陸橋を渡り、再び住宅街を歩き、第1休憩所の唐子中央公園(東松山市下唐子)に向かう。

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 やがて中間地点、唐子中央公園に11:10到着。ここでは毎年、唐子地区商工祭が開かれていて混雑していた。

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 公園内の空いている子供広場の芝生に集まり、昼食・休憩。天気予報では午後から降水確率30%、そのうちだんだん雲行きが怪しくなり、今にも降りだしそうな様子。11:45、公園を出発。

 しばらく広い田園風景を右に見ながら歩く。10キロコース以外の他のコースからの合流もあって、ウォーカーの長い列が続く。

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 関越道の下のトンネルをくぐると、12:25に第2休憩所の南中学校に到着。この中学校は、ノーベル物理学賞受賞の梶田隆章先生の母校。

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 再び田園の農道を歩いていると、雲間から青空が少し顔を出し、雨の心配はなさそう。

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 途中から10キロコースから外れ、パレード集合場所に13時半までに集合。

 地元の和太鼓隊のほか、高校吹奏楽部などがパレードを歓迎演奏。

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 立正大学吹奏楽部の演奏の隊列。

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 パレードは、大学の吹奏楽部や小学校の鼓笛隊、地元自治会、各種団体、企業など、横断幕、のぼりや提灯を掲げたり、そろいの帽子、法被(はっぴ)やユニホームを着たりして、約1,500人が盛大に行進したという。

 14:00頃からパレードに参加、約1.5Kmを行進して14:30中央会場に到着。会場では森田市長、中村教育長、観光大使のピオニメイツが出迎え、。

 14:40流れ解散。前日と同様、会場の出店で生ビール一杯。

 会場を出るころ、閉会のセレモニーだろうか、国会議員・県会議員や関係市町の代表者がひな壇に並んでいた。

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 この日の歩数計は、2万2千歩、16km。

 

 今年もスリーデーマーチに参加して、歩きの楽しさを共感した1日だった。

 参加者は、1日目は2万2千434人、2日目が3万733人、3日目は2万9千92人。3日間でのべ人数は、8万2千259人だったそうだ。

 第42回大会は、来年11月2日(土)~4日(月祝)に開催される予定。

 

 「ものみ・ゆさん」の日本スリーデーマーチ関連のブログ記事 

  「日本スリーデーマーチ2017」 2017/11/12投稿
   http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2017/11/2017-24a0.html

  「日本スリーデーマーチ2016」 2016/11/11投稿
   http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/post-89c3.html

  「日本スリーデーマーチ2015」 2015/11/12投稿
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  「日本スリーデーマーチ2014」 2014/11/10 投稿
   http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2014/11/post-ba9a.html

  「日本スリーデーマーチ」 2012/11/17 投稿
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