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2018年10月22日 (月)

宇都宮と大谷石

 2018年10月14日(日)、栃木県の宇都宮市へ行く。大谷石採石場跡や宇都宮城址をめぐり、多気山(たげさん)に登る。

  
 レンタカー(ハイエースワゴン)に参加者8人を乗せ、東北道を北上。8:55宇都宮ICで高速を降りる。国道293号線を南下、宇都宮の中心街から北西の方角7Kmほどに位置する大谷石(おおやいし)のふるさと・大谷町に着く。

 ここは、日本最古といわれる磨崖仏(まがいぶつ)の「大谷観音」や、大谷石の地下採石場「大谷資料館」がある。宇都宮市を代表する歴史文化資源である「大谷石文化」をテーマとして、今年(平成30年)5月に「日本遺産」の認定を受けた。

 9:10、市営大谷駐車場に車を駐め、予約していた観光ガイドと合流。ガイドの案内で県道188号線(大谷街道)を横断、大谷石を利用した石畳の参道を歩くと「大谷公園」。ここは、大谷石を産出する露天の採石場であった。

 大谷石に彫刻された高さ27mの「平和観音」像。

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 この辺りは、独特の地形と松や広葉樹の樹木と相まって、趣のある景観をかもしだしている。地質は、 日本列島の大半がまだ海中にあった新生代第三紀の前半、火山が噴火し火山灰や砂礫が海水中に沈殿し、それが凝固してできた凝灰岩とされる。

 参道の途中には、天狗が投げたという「天狗の投石」という奇岩がある。

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 他にもカエルの後姿に似た大岩「親子かえる」、巨大な磨臼(すりうす)のような「スルス岩」などがあった。

 「平和観音」像を正面から見る。

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 観音像は、太平洋戦争の戦死戦没者の供養と世界平和を祈って造られた。1948年(昭和23年)から大谷観光協会と地元の熱心な後援のもとに採石場の壁面を利用し、岩肌に観音像が刻まれている。東京芸大・飛田朝次郎教授が彫刻を指導、6年の歳月をかけ大谷の石工達が製作、1954(昭和29年)に完成したという。

 「平和観音」は、背後にある「大谷寺」の「大谷観音」の御前立(おまえだち)として、建立された。

 9:40、「大谷観音」のある「大谷寺」の仁王門をくぐる。拝観料400円。仁王門が工事中でネットで覆われていたので、看板の写真を撮影したものを掲載。後ろの奇岩の山は、「御止山(おとめやま)」。

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 「大谷寺」の観音堂は、坂東三十三箇所の第19番札所。葵の御紋がある。「大谷寺」は、国の特別史跡および重要文化財に指定されている「大谷磨崖仏=大谷観音」の所有者。

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 「観音堂」は、洞穴に潜り込んだような造りの洞窟寺院。写真は、ウィキメディアコモンズ。

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 入堂すると、「大谷観音」と称するご本尊の千手観音(高さ4m)が、岩肌に彫り出されている。

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 千手観音は、平安時代(810年)弘法大師の作と伝えられている。昔は、朱や漆を塗り、表面には金箔が押され、金色に輝いていたそうだ。最新の研究では、バ―ミヤン石仏との共通点が見られることから、実際はアフガニスタンの僧侶が彫刻したと考えられている。シルクロ―ドの世界が「大谷寺」に生きているという。

 脇堂には、釈迦三尊像、薬師三尊像、阿弥陀三尊像などの磨崖仏が並ぶ。

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 本尊の千手観音と脇堂の仏像の合計10体の石仏は、西の臼杵磨崖仏(大分県)に対して東の磨崖仏として知られている。堂内は撮影禁止で、上の2つの写真は、「大谷寺」パンフレットより転載。

 次に宝物殿を見学するが、ここも撮影禁止。

 特筆すべきは、「大谷寺」の洞窟で発掘された古代遺跡。古代人が生活した痕跡が認められている。洞穴内の深さ3mの地層からは、屈葬されたほぼ完全な形の縄文人の人骨が出土した。

 このことから、「大谷寺」の洞窟は元々縄文人の横穴式住居であったものと考えられている。この人骨は20代くらいの男性で身長154cm。1998年(平成10年)にお茶の水女子大松浦秀治助教授らの学術調査で、縄文時代草創期(約1万1千年前)の人骨とされている。

 宝物殿の外に出ると庭園、池には赤い弁天堂があり、白蛇が祀ってある。

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 「大谷寺」を出て、徒歩で「大谷資料館」に向かう。

 「大谷寺」のすぐ北隣には、山の神・大山祇命(おおやまつみのみこと) を祀る「大山阿夫利(おおやまあふり)神社」。鳥居、祠などすべて大谷石で造られている。山の仕事(採石作業)の安全を祈ったのだろうか。

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 大谷石奇岩群の「御止山」(おとめやま)の断崖。右手は、大谷景観公園。

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 「大谷資料館」前の駐車場。団体観光客も多い。

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 10:40、「大谷資料館」に入場。ここは、大谷石の地下採石場の入口。入場料800円。

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 展示室には、大谷の地質、手掘り時代の採掘道具、露天掘りや坑内掘りの採掘形態、大谷石の搬出・輸送の移り変わり、機械化した採掘機などが展示・解説されている。

 地下30mの巨大な地下空間、階段を降りて大谷石地下採石場跡を進む。

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 ツツハシを持った手掘り作業の人形。

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 現在は、この空間が美術展やコンサート映画撮影、結婚式などのイベントなどに利用されている。

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 機械掘りの跡。

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 この空間は、運搬用のトラックが入る通路につながっている。

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 地下水が溜まっている場所。

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 切り出した大谷石の集積場。

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 採石用の機械。

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 まるで地下神殿。

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 宇都宮には「大谷石」の採石場がたくさんあって、昭和の時代まで 掘り出して出来た巨大な地下空間があちこちに残っている。この地下採石場は、平均で深さ30mくらい、空間の広さはあわせて2万平方m、野球場くらいあるそうだ。地下の平均気温は8℃だそうだが、この日は13℃だったが、上着が欲しくなる。


 1時間ほどの見学の後、11:40「大谷資料館」を退出。市営大谷駐車場に戻る。

 

 そこから車で5分ほどで、「多気山(たげさん)不動尊」の参道沿いの「桃畑茶屋」に着く。

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 12:00~12:50、「桃畑茶屋」で昼食。うどんや蕎麦を注文、名物のだんごも味合う。 

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 ここから、狭い参道を更に車で上ると、多気山(標高377m)の山腹に「多気山不動尊」(多気山持宝院)があり、不動明王を祀られている。822年(弘仁13年)の創建だという古刹。

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 不動尊の駐車場に車を駐め、13:00「多気山(たげさん)」へ登山開始。

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 杉林の中をひたすら登る。

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 13:25、「多気山」の山頂に到着。

 「多気山」は下野の霊場でもあり、また山域一帯は戦国時代に宇都宮氏が出城や居城として使用したが、改易とともに廃城となった。山頂は、平らな本丸跡で、東屋(あずまや)がある。

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 多気山の山頂(標高377m)から宇都宮市街を展望。

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 「多気山」の山名は、「たけ」(岳、嶽、嵩)が濁ったとされる。動詞の「たける」(長ける)で高所、高山を意味するという。また一説に、霊気が多い山ということから名付けられたとも。

 13:40、下山開始。

 

 「多気山不動尊」の駐車場から、約10Km、市の中心街の「宇都宮城址公園」西側の市役所東駐車場に車を駐める。14:40、公園の入場。イベントをやっているらしく周辺は混み合っている。

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 宇都宮城址の本丸の北半分が復元されている。土塁の上の清明台櫓。

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 清明台櫓に上り、富士見櫓を望む。

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 本丸広場では、第13回「うつのみや食育フェア」が開催中だった。

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 宇都宮城本丸の模型。土塁に囲まれた本丸の中央の御成御殿(写真中央)に日光東照宮参拝の将軍が宿泊した。藩主の屋敷は、本丸の外側の二の丸にあったそうだ。

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 宇都宮城は、関東七名城の一つ。平安時代に築かれ、鎌倉時代以降は宇都宮氏の居城だった。しかし豊臣秀吉に滅ぼされ、次に徳川家康の懐刀の本田正純が入城し、城や城下の改修などを行った。しかしその後の城主は、譜代大名がこまめに入れ替わっている。

 なお宇都宮氏族は、全国に分布している氏族だそうだ。本流の下野宇都宮氏のほか、庶流に九州の豊前宇都宮氏と筑後宇都宮氏、四国の伊予宇都宮氏などが有名。

 

 宇都宮城址公園を出て、徒歩10分(15:25)で大谷石で造られた「カトリック松が峰教会」に到着。「ブラタモリ」でも放映していたが、ここにはパイプオルガンが設置されていて、大谷石の音響効果がとても良いという。

 この日15時から、毎年恒例のパイプオルガンコンサートを開催中のため、予定していた聖堂内部の見学ができなかった。

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 この教会は、近代ロマネスク建築。1931年(昭和6年)に着工、翌年完成した鉄筋コンクリート造り、大谷石仕上げ、2つの尖塔部は銅板葺き。コンクリート製の教会では、日本で最も古いとされる。

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 市役所東駐車場に戻り、15:45出発。

 東北道鹿沼ICから帰路へ。

 

 ★ ★ ★

 餃子で有名な宇都宮は、栃木県の県庁所在地で人口50万人の大都市。東京から直線で100Km、新幹線で50分。

 9月22日(土)、午後7時30分〜放送されたNHK番組『ブラタモリ』#112を視聴した。テーマは、「宇都宮~宇都宮は“江戸”に欠かせない町?」。

 「二荒山(ふたあらやま)神社」が、下野国(しもつけのくに)の最も格式の高い神社である意味の「一の宮(いちのみや)」と呼ばれていたのが、訛ったというのが宇都宮の由来。しかし、他にもいくつか説があるそうだが。

 まずタモリは「二荒山神社」へ行く。この神社は、宇都宮市中心部の高台(標高135m)に鎮座、つまり宇都宮丘陵の突端に位置する。江戸から仙台に向かう街道と会津・米沢に向かう街道の分岐点であり、江戸の北への守りの拠点だったと聞いて納得。宇都宮は、二荒山神社の門前町であり宿場町しても発展してきた。つまり、宇都宮は関東平野の”ヘリ(縁)”にあるのだ。

 将軍が日光東照宮に参拝するために、宇都宮城の本丸御殿に宿泊したという。そのため、城主は二の丸に居住したというのは面白い。将軍に随行するお供たちが宿泊するため、高台にある日光街道沿いに町が栄え、普通はお城よりも低い場所に造られる”城下町”だが、宇都宮では町が城よりも上にあるという”城上町”となっているのも面白い。これらのことから、江戸幕府が宇都宮を重視し、副題の”江戸”に欠かせない町だとの理由がわかった。

 次にタモリは、大谷石で造られた「カトリック松が峰教会」に入る。大谷石が、教会のパイプオルガンの音響に効果的なことは想像できた。味わい深い表面と柔らかく加工し易い高級石材の大谷石は、帝国ホテルや築地本願寺など明治以降の東京の町づくりを支えた石材であったという。

 そしてタモリは、大谷石の地下採石場に入り、ゴムボートに乗って地底湖を探検。採石のためなぜ坑道が斜めになっているか、”ミソ”と呼ばれる大谷石の不純物の話を聞いて納得。その地下空間の冷水を汲み上げ、ビニールハウスで特産品の「とちおとめ」の栽培に生かされていることは、初めて知った。

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コメント

大谷観音に地下巨石探検、数年前に行きました。まだ机の中に写真が眠っているのでそろそろレポートしなきゃ!もう霜月、あっという間に年末の声が聞こえてきますね~!鮮やかな蝶と花、目が奪われます。週末からずっと素晴らしい秋晴れが続いていますね~。こんな日が長く続いてくれないかと思います。今朝は相当冷えましたね。

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