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2018年9月12日 (水)

初秋の上高地

 2018年9月1日~3日、2泊3日の乗鞍岳山行の3日目。

 

 本ブログ記事「乗鞍岳・剣ヶ峰と白骨温泉」の続き。
 

 9月3日(月)、信州・白骨温泉から車で初秋の上高地へ。「大正池」から「河童橋」まで散策する。天気は曇りから、晴れ。

 宿泊した白骨温泉「丸永旅館」で、朝6:00起床。朝風呂に入って、すっきり。

 7:30~朝食。温泉の湯で炊く温泉がゆ(写真の左下)が出た。温泉の香りがして、どこか健康になった気がする。旅館のホームページには、「朝は胃にやさしいお粥(かゆ)が一番、自然治癒力を高め、元気な一日の始まりを・・・」とある。質素な朝食で、分量もこのくらいがちょうど良い。

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 標高1400mの信州の山奥、緑に囲まれた宿。9月上旬とはいえ、朝夕はちょっと肌寒くて、暖房が欲しいくらい。写真は部屋から見える自然の樹木。

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 ロビーには、燃料の薪(まき)があったが薪ストーブは未だ置いてなかった。テレビの下は、使われていなかったが石油温風ヒータだろうか。

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 8:25、「丸永旅館」を出発、湯川沿いの山道(県道300号)を北上し、梓川(あずさがわ)に沿った国道158号線にぶつかった所が、沢渡(さわんど)。いくつかの駐車場があり、松本方面からマイカーで上高地に行くには、ここに車を置いてシャトルバスに乗り換える。

 8:40、沢渡の市営第2駐車場(足湯公園)に車を駐める。近くのタクシー会社の人から、シャトルバスよりタクシー利用を勧められる。タクシーに4人乗れば、一人当たりシャトルバスより安くなるらしい。

 正面は、駐車場前にある温泉山小屋の「ともしび」。8:45、駐車場をタクシーで出発。

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 タクシーは梓川に沿った国道158号線を北上。坂巻温泉を経て、釜トンネルの手前で上高地と、平湯・高山市街に向かう分岐。釜トンネルと上高地トンネルを抜け、県道24号線(上高地公園線)を北上する。上高地へは、1975(昭和50)年から釜トンネルの手前でマイカー規制が行われている。また冬季は、閉鎖されるそうだ。

 9:00大正池バス停に着き、タクシー代3,500円。バス停にある「大正池ホテル」。

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 ここから河原に降りて行くと、西の方角に日本百名山の「焼岳」(やけだけ、2455m)の姿を映す「大正池」。

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 「大正池」の立ち枯れの木々は、上高地を代表する風景のひとつであったが、あまり見当たらない。「大正池」は1915(大正4)年、「焼岳」が大噴火をおこして噴出した多量の泥流により、梓川がせき止められてできた。水没した林は立ち枯れとなり、幻想的な景色をもたらしていた。

 「焼岳」の噴火でできた当初の湖面積は、現在の2倍以上の3.9平方Km。水面上の立ち枯れの木々は、昭和初期には2000数百本もあったという。しかしその後、土砂の流出のために縮小を続けていて、立ち枯れの木々は倒れたりして、だいぶ少なくなったようだ。

 「大正池」は年々、上流から流入する土砂が堆積しているため、浅くなってきている。下流に建設された水力発電「霞沢発電所」の調整池としても利用されていることから、東京電力が冬場に土砂を浚渫(しゅんせつ)しているという。仮に東電が浚渫を取りやめた場合、7~8年もすれば、池は土砂で埋まってしまうそうだ。

 焼岳は、長野県と岐阜県の県境にある北アルプス唯一の活火山。今でも噴煙を上げる。写真は、「焼岳」山頂のズームアップ。

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 約2,300年前のマグマ噴火により、現在のようなドーム型の火山となった。1963年(昭和37年)に水蒸気爆発が起こし、泥流を「大正池」まで押し出した。「焼岳」の火山活動は周辺に、上高地温泉、平湯温泉・・・等々の豊富な温泉を生み出している。多くの人々が親しんでいる名山のひとつで、 歌人・島木赤彦や高浜虚子なども「焼岳」の歌を詠んでいる。

 北の方角(梓川の上流)は、雄大な岩稜の「穂高連峰」(3190m)の姿。

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 「上高地」の風景には、「穂高連峰」は切っても切れない。「穂高連峰」は、上高地のいろんな場所からその姿を望める。

 「穂高連峰」は、北アルプスの最高峰「奥穂高岳」(3190m)を中心に、前穂高岳(3090m)、北穂高岳(3100m)、西穂高岳(2909m)などからなり、日本第3位の「奥穂高岳」が日本百名山。国内第一級の岩場も多く、登山愛好者の最も人気の高い名山のひとつ。

 梓川を上流に沿って歩く。沢には多くのカモ。

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 梓川に沿った林間の遊歩道を歩く。ヤナギ、シラカバ、カラマツなどが見られる。秋の七草・オミナエシが咲く。

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 9:30、再び梓川の河原に出る。立ち枯れた木が何本か立っている。だいぶ青空が広がって来たが、雲はもう秋の雲。

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 カラマツ林の遊歩道。

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 「田代湿原」に出ると、再び「穂高連峰」が姿を現す。草原は、もう草紅葉(くさもみじ)。

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 10:00、澄み切った「田代池」。「田代」とは水田のこと。上高地に周囲に降った雨は砂礫層の下を通って伏流水となり、田代池に噴き出す。地底には、枯れた水草が積もり、また周りの土砂が溜まって次第に湿原となっていく。

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 10:35、梓川に架かる「田代橋」を通って、川の対岸に渡る。この橋の反対方向に1933年(昭和8年)に開業した「上高地帝国ホテル」がある。

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 源泉かけ流しの温泉宿「上高地温泉ホテル」。

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 このホテル前のベンチから、「六百山」(ろっぴゃくさん、2450m)と「霞沢岳」(かすみさわだけ、2646m)が良く見える。左端のピークが「六百山」、右端のギザギザの山が二百名山の「霞沢岳」。「霞沢岳」の左下の縦の筋は、「八衛門沢」(はちえもんさわ)。

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 10:50、英国人宣教師ウェストン碑(レリーフ)。

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 日本近代登山の父、ウォルター・ウェストンが、1893(明治26)年に上條嘉門次を案内人に前穂高岳に登頂した。氏は登山家として日本各地の名峰を制覇し、上高地にも訪れて上條とともに北アルプスに挑んだ。そして1896(明治29)年、著書『日本アルプスの登山と探検』で上高地と「穂高連峰」、「槍ヶ岳」を広く世界へ称賛した。

 11:15、上高地のシンボル「河童橋」に到着。

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 芥川龍之介が何度となく訪れた上高地の「河童橋」を題材に、1927(昭和2)年小説『河童』を発表している。

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 「河童橋」から梓川を望む。「穂高連峰」はちょうど雲隠れ。

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 「河童橋」の周辺には、ホテルやレストラン、カフェ、売店やおみやげ屋が立ち並び、シーズンには「上高地銀座」と呼ばれるほど混み合う。

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 「河童橋」を渡った後、梓川に沿って下流に向かって歩く。振り返ると「河童橋」が小さく見える。背景の山は、「穂高連峰」の峰々一つの「明神岳」(2931m)。

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 林を抜けて、上高地バスターミナルに向かう。

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 11:30、上高地バスターミナル着。観光センター2階の食堂で昼食。ざる蕎麦830円。

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 帰りもシャトルバスでなく、予約してあったタクシーを利用。12:00、上高地バスターミナルを出発。

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 12:20、沢渡の市営第2駐車場に到着。タクシー代は、上高地バスターミナルから4,200円。

 シャトルバスなら往復2,050円。タクシーは往復で7,700円。4人で割れば、一人1,925円。待ち時間なしで乗れて、125円のお得。駐車料金は、1日(日帰り)で600円。

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 12:25、沢渡の駐車場を出発。松本ICから長野道へ。

 途中、長野道の梓川SA、上信越道の横川SAで休憩。

 自宅には、16:45到着。2泊3日の乗鞍岳山行を終わる。

 

 上高地に7年前に行った時は雨の中だったが、今回は天気に恵まれて気持ちよく歩けた。つい最近まで下界で猛暑の毎日を過ごしていたが、高地でもあるが9月に入って、もう秋を感じる。残念ながら、秋の草花は多くは見なかったが。今回は、「大正池」から「河童橋」までの3.3km、そこからバスターミナルまでのおよそ3.8Km、のんびりした散策。「明神池」(河童橋から往復6.5Km)までは時間都合で行けなかったが、上高地は何度行ってもいいものだ。

 

 本ブログの関連記事

  「乗鞍岳・上高地」 2011年09月26日投稿
  http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/20110718-2690.html

 

 ★ ★ ★

●上高地の生い立ち

 上高地は、北アルプス(飛騨山脈)の谷間(梓川流域)にある「大正池」から「河童橋」、明神、 徳沢、横尾までの約10km、最大幅約1km、標高1,500mにある平坦な盆地である。松本市に属する。この高度でこれほどの広さの平坦地は、日本ではあまり例がないという。 温泉があり、「穂高連峰」や「槍ヶ岳」の登山基地ともなっている。手つかずの大自然が残っていて、最近は年間120万人もの人々が訪れる山岳リゾートである。

 上高地が現在のような高い山になったのは、約260万年~80万年前の隆起運動による。この隆起とともに、かつて岐阜県側に流れていた梓川が、深い谷を刻んだ。上高地の細長い平地は、約1万2千年前に焼岳火山群の白谷山の噴火活動によって、川がせき止められ、巨大な池(古上高地湖)が生まれた。そこに周囲の山々から、土砂が堆積したと考えられている。その土砂の厚さは、「大正池」付近で300mほどもある。古上高地湖を満たした水は、南東の鞍部からあふれ出し、松本盆地に向かう現在の梓川になったとされている。

 写真は、ウィキペディアコモンズ「奥穂高岳山頂から見下ろす梓川上流部の上高地と大正池」より転載。左手の山は「霞沢岳」、右手は「焼岳」、中央に「乗鞍岳」。

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●上高地の名前の由来
 
 上高地の名前の由来を調べると、「かみこうち」は漢字表記で「神垣内」、「上河内」、「神河内」、「神降地」などといくつか説がある。穂高神社の祭神・「穂高見命」(ほたかみのみこと)が、「穂高岳」に天から降臨し、穂高神社奥宮と明神池で祀られいたことから、「神垣内」と呼ばれていた。

 また昔、峠の下の村の領地として「上口」、または「上河内」と呼ばれていた。戦前まで上高地の入口でその中心地であったのは、「徳本峠」を下りた真上にそびえる「穂高岳」(現在名は「明神岳」)のある「明神池」のある辺り。「穂高岳」は、穂高神社(穂高大明神)の御神体。現在の明神地区は特別な神域で有ることから、「上」の代わりに「神」を使い、「神河内」と呼ぶ事が許されていた。全体を呼ぶ場合は、「上河内」から後に「上高地」と書くようになったという。

 なお、昭和初期に釜トンネルが出来る前は、上高地へ入るには島々宿(国道158号線沿いで、旧安曇村役場があった)から「徳本峠」越えするのが主要ルートだったそうだ。

 

●上高地と登山

 明治政府が造幣技師として招いた英国人・ガウランドが、1877年(明治10)に「槍ヶ岳」を登山、北アルプス一帯を「Japan Alps=日本アルプス」と命名した。

 その昔日本の登山は、狩猟や戦い、旅のための山行であったり、信仰や修行としての登拝であった。その登山をレジャーやスポーツとして広く知らしめ、上高地や「穂高連峰」、「槍ヶ岳」を世界に有名にした英人宣教師ウェストンの功績は、「日本近代登山の父」として今日でも広く称えられている。

 日本山岳会は、ウェストンに対し登山を日本に浸透させた功労者として、1937(昭和12)年に梓川沿いのこの地に記念のレリーフを掲げた。その10年後の1947年(昭和22)から、毎年「ウェストン祭」が開催されている。

 1916年(大正5)、のちの首相となる東久邇宮殿下が「槍ヶ岳」に登山するにあたって、島々宿-「徳本峠」、明神-「槍ヶ岳」の登山道が整備されたそうだ。このころから徐々に広く大衆登山へと山は開かれ、上高地は観光地として知られていったという。

 一般観光客が多くこの地を楽しむようになったのは、昭和に入ってからであった。1927(昭和2)年、芥川龍之介が何度となく訪れた上高地・河童橋を題材に、小説『河童』を発表した。同年、秩父宮殿下が奥穂高・槍ヶ岳の縦走登山に訪れるなど、注目を集めた。その後国の名勝および天然記念物に指定、それまで山小屋や温泉宿もまばらであった上高地に、初の山岳リゾートホテル「上高地ホテル」(現在の「上高地帝国ホテル」)が開業した。

 戦後の昭和30年代頃(1960年頃)から登山ブームが起こり、次第に観光客は増加して、県道は整備され、バスやマイカーの乗り入れも頻繁となった。反面、自然への影響は深刻さを増し、1975年(昭和50)県道24号線(上高地公園線)のマイカー規制が開始されたのだった。

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コメント

先日小生も上高地の名峰「霞沢岳」にテント2泊3日で行ってきました。まさにこのコースを歩き、明神から右に曲がって登山道を上がるコースです。真下に帝国ホテルの赤い屋根を見下ろせ前穂・常念岳なども遠望できし素晴らしかったです!今月下旬に記事公開します。

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