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2018年9月の4件の投稿

2018年9月25日 (火)

秩父・琴平丘陵

 2018年9月22日(土)、琴平丘陵(埼玉県秩父市)ハイキング。

 

 秩父のシンボル「武甲山」(標高1304m)の山麓に、南北に続く丘陵地帯「琴平丘陵」は、ハイキングコースが整備されている。影森駅を出発、雑木林、杉林の尾根道には護国観音、岩井堂、長者屋敷跡へとアップダウンが続き、三角点のある場所は398.8m。鎖場・ロープ・鉄梯子が必要な岩場もある「修験の道」。桜や芝桜で有名な「羊山公園」を経由し、終点は西武秩父駅。標準歩程は、約7Km、2時間40分。

 

 この日の秩父地方の天気予報は曇り、午後から小雨の予報。朝、家を出るとどんよりとした曇りだったが、次第に青空が見えて来た。10:51、秩父鉄道の影森駅で下車。

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 11:10、ハイキングスタート。踏切を渡り、昭和電工の前から三峰口駅に向かう線路に沿って道を進む。駅から700mほど歩いた所、11:20秩父三十四所観音霊場の27番札所 「大渕寺(だいえんじ)」の入口。

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 石段を登って、本堂に参拝する。

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 さらに石段を上った先に、観音堂の「月影堂」がある。

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 観音堂の裏山へ急坂の山道を登る。

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 西の方角が開け、特徴のある台形の形をした奥秩父の日本百名山「両神山」(1723m)が顔を出す。

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   きつい登りの後、11:40市街地を見下ろす位置に立つ「護国観音」。高さ15m。

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 こんな大きい観音像を山中にどうやって設置したのだろうか。この辺りは「大渕寺」の裏山にあたる。観音様の正面は、秩父市街、奥秩父、奥武蔵の峰々の眺望が良い。

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 「両神山」の右手に目を移すと、西上州の「二子山」(1166m)。写真左の三角形の山。

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 西上州の山とされることもあるが、群馬と埼玉の県境で奥秩父に属する「二子山」は双耳峰、両峰ともに石灰岩からなる岩峰。低山とはいえ岩場を登る上級者向け。

 途中にロープの岩場ある雑木林の山道を登り下り。栗やどんぐりの実が落ちている。

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   足元がちょっと危なかしい、鉄製の小さな橋を渡る。

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 12:12、清水寺(京都)に似た「岩井堂」。ここは秩父札所26番「円融寺」 の奥の院。

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 300段余りの石段を下ると「円融寺」に至るが、ハイキングコースはお堂の裏へと続く。

 12:20、仏国禅師の座禅石と伝えられる大岩。木陰に隠れていて良く見えないが。

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 仏国禅師(または仏国国師)については、本ブログ記事を参照されたい。

  「秩父・大陽寺」 2013年5月22日 投稿
    http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2013/05/post-3386.html

  「秩父・大陽寺(つづき)」 2013年5月23日 投稿
    http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2013/05/post-3145.html

 

  12:21、突然コースに大仏座像や石灯籠が現れる。

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 このすぐ先に「修験堂」があって納得。秩父修験者(行者)たちがここで修業した。

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 この堂から鉄製の急な階段を降りる。

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 「修験堂」は、巨岩の上にあったのだ。昔は縄梯子を使って登り下りしたのだろうか。

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 「長者屋敷跡」と呼ばれる石碑の前に東屋(あずまや)が建ち、休憩によい場所だ。12:40~13:10、昼食・休憩。

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 石碑には「長者屋敷 琴平神社林木園 下影森共有山賛助 紀元2630年」と書かれている。

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 紀元2600年が1940年(昭和15年)だから、紀元2630年は1970年(昭和45年)にあたる。

  13:19、「大山祇神(おおやまつみのかみ)」の鳥居と祠。説明板によると、山の神で武甲山登山者や山仕事の村人ための守り神。当初「武甲山」山腹に鎮座していたが、石灰石の鉱区開発のため1985年(昭和60年)この地に遷座したという。

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 この先にも歴史を感じる祠や石碑などがある。
 
 13:33、琴平丘陵のピークだろうか、標高398.8mの三等三角点。この先は下り。

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 つづら折りの急勾配の坂道をひたすら下る。逆コースからだと、結構きつい登り。

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 やがてせせらぎが聞こえ、13:48、沢のそばに山の神(?)の祠。沢の上流に沿って進む。

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 13:51、「武甲山」登山口の碑。かつて武甲山登山者が利用した「裏山道」があった。石灰石採掘のため1985年(昭和60)から、この登山道は閉鎖されている。

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 平坦な広い砂利道に下って来た。やがて民家の裏の山道を歩く。

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 「熊出没注意」の黄色い看板のある分岐。ここから右へ「羊山公園」の丘陵に向かう。

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 14:19、羊山公園の「芝桜の丘」付近、公園の馬場だろうか。 「武甲山」の眺めが良い。

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  「武甲山」の左手に双耳峰の「二子山」(883m)も見える。群馬県境にある「二子山」と同名だが、こちらは奥武蔵「武川岳」(1052m)の峰続きにある「二子山」。

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 やがて「羊山公園」の舗装道路となって坂道を登と、14:53秩父市街が一望できる「見晴しの丘」に到着。

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 15:00~15:30、園内の「武甲山資料館」に入館。入館料200円。

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 武甲山の地質、歴史、石灰岩、動植物、産業について展示、解説されていて勉強になった。

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 秩父市には、ほかにも「秩父まつり会館」や「秩父ふるさと館」、「ちちぶ銘仙館」 など、他市に比べて資料館の数が多い。

 公園から市街地に至る出入口付近「牧水の滝」に、旅の歌人・若山牧水の歌碑があった。1920年(大正9年)4月、牧水が当地方を訪れて詠んだ。(写真をクリックすると拡大表示)

 「秩父町 出(で)はづれ来れば 機をり(機織)の うた聲つづく 古(ふ)りし家竝(いえなみ)に」

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 「羊山公園」を出て、15:50~西武秩父駅前温泉「祭の湯」で日帰り入浴、汗を流す。入浴料1,080円(土日祝)。

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 16:35~「祭の湯」の食事処「秩父湯台所」でハイキング慰労会。18:15、解散。

 それぞれ、西武秩父駅から18:25発の特急ちちぶ池袋行、秩父鉄道御花畑(おはなばたけ)駅から18:35発の秩父線寄居行に乗車。帰路へ。

 

 この日、秩父地方の天気予報は曇り、午後から小雨の予報もあったが、晴れて良かった。冷たい小雨で11月下旬並の気温だった前日の18℃にくらべ、当日の秩父の最高気温は29℃、平年並みだったようだ。

 岩が多く歩きづらい山道、アップダウンが連続していて、あまり楽なハイキングではなかった。蒸し暑さはあったもののほとんど林の中のハイキングで、直接陽射が届かなかったので助かった。

 琴平丘陵ハイキング軌跡(地図をクリックすると拡大表示)

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 ★ ★ ★

 西武秩父駅前温泉「祭の湯」は、西武グループの会社。「西武園ゆうえんち」などの多数のアミューズメント施設を運営する「西武レクリエーション株式会社」(本社は所沢市)が経営。2017年4月24日にオープンしたばかりだったので、利用は初めて。露天風呂と内湯(高濃度人工炭酸泉、シルク湯、岩盤浴など)、おみやげなどの買い物、 食事(フードコート、レストラン、宴会)、ほぐし処(リラクゼーション)などの施設がある。
 

 「武甲山」の山岳地図を見ると、山頂に近くの分岐点に「長者屋敷ノ頭」というポイントがある。武甲山や琴平丘陵の「長者屋敷」の由来は、日本に広く分布する長者伝説の一つだろうか。

 富裕者(長者)の栄枯盛衰を語る伝説は、その長者が住んでいたという屋敷跡とか、黄金を埋めたとか、またはそのゆかりの地とか、長者の栄華が伝えられる場所がある。滅びた長者の財宝のありかが歌で知れる『朝日長者』、炭焼が黄金を得る『炭焼長者』、『わらび長者』、『わらしべ長者』などの長者の昔話が有名。琴平丘陵の「長者屋敷」は古城跡という資料もあるが、どんな長者の屋敷があったのか、気になる。
 

 「羊山公園」の入口には、「牧水の滝」として1,021平方mの日本庭園があり、この歌碑とともに人工滝、水車や池が造設されている。歌碑は、1955年(昭和30年)初秋に建立、夫人の若山喜志子の筆によるもの。隣には喜志子歌碑も並んでいる。

 宮崎県出身の国民的歌人・牧水は、大正時代に秩父を数回訪れている。大正9年4月の訪問では、熊谷から秩父鉄道に乗って長瀞(ながとろ)で宿泊。翌日秩父駅で下車し、徒歩で秩父市街(当時の秩父町)から妻坂峠を越え、名栗で宿泊。そして、飯能へと向かったという。

 秩父の町では、歩きながら家並みから機織りの音を聞いている。当時は絹織物「秩父銘仙」の生産が盛んであった。この歌は、歌集『くろ土』(大正10年)の「秩父の春」に収録されているそうだ。

2018年9月12日 (水)

初秋の上高地

 2018年9月1日~3日、2泊3日の乗鞍岳山行の3日目。

 

 本ブログ記事「乗鞍岳・剣ヶ峰と白骨温泉」の続き。
 

 9月3日(月)、信州・白骨温泉から車で初秋の上高地へ。「大正池」から「河童橋」まで散策する。天気は曇りから、晴れ。

 宿泊した白骨温泉「丸永旅館」で、朝6:00起床。朝風呂に入って、すっきり。

 7:30~朝食。温泉の湯で炊く温泉がゆ(写真の左下)が出た。温泉の香りがして、どこか健康になった気がする。旅館のホームページには、「朝は胃にやさしいお粥(かゆ)が一番、自然治癒力を高め、元気な一日の始まりを・・・」とある。質素な朝食で、分量もこのくらいがちょうど良い。

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 標高1400mの信州の山奥、緑に囲まれた宿。9月上旬とはいえ、朝夕はちょっと肌寒くて、暖房が欲しいくらい。写真は部屋から見える自然の樹木。

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 ロビーには、燃料の薪(まき)があったが薪ストーブは未だ置いてなかった。テレビの下は、使われていなかったが石油温風ヒータだろうか。

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 8:25、「丸永旅館」を出発、湯川沿いの山道(県道300号)を北上し、梓川(あずさがわ)に沿った国道158号線にぶつかった所が、沢渡(さわんど)。いくつかの駐車場があり、松本方面からマイカーで上高地に行くには、ここに車を置いてシャトルバスに乗り換える。

 8:40、沢渡の市営第2駐車場(足湯公園)に車を駐める。近くのタクシー会社の人から、シャトルバスよりタクシー利用を勧められる。タクシーに4人乗れば、一人当たりシャトルバスより安くなるらしい。

 正面は、駐車場前にある温泉山小屋の「ともしび」。8:45、駐車場をタクシーで出発。

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 タクシーは梓川に沿った国道158号線を北上。坂巻温泉を経て、釜トンネルの手前で上高地と、平湯・高山市街に向かう分岐。釜トンネルと上高地トンネルを抜け、県道24号線(上高地公園線)を北上する。上高地へは、1975(昭和50)年から釜トンネルの手前でマイカー規制が行われている。また冬季は、閉鎖されるそうだ。

 9:00大正池バス停に着き、タクシー代3,500円。バス停にある「大正池ホテル」。

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 ここから河原に降りて行くと、西の方角に日本百名山の「焼岳」(やけだけ、2455m)の姿を映す「大正池」。

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 「大正池」の立ち枯れの木々は、上高地を代表する風景のひとつであったが、あまり見当たらない。「大正池」は1915(大正4)年、「焼岳」が大噴火をおこして噴出した多量の泥流により、梓川がせき止められてできた。水没した林は立ち枯れとなり、幻想的な景色をもたらしていた。

 「焼岳」の噴火でできた当初の湖面積は、現在の2倍以上の3.9平方Km。水面上の立ち枯れの木々は、昭和初期には2000数百本もあったという。しかしその後、土砂の流出のために縮小を続けていて、立ち枯れの木々は倒れたりして、だいぶ少なくなったようだ。

 「大正池」は年々、上流から流入する土砂が堆積しているため、浅くなってきている。下流に建設された水力発電「霞沢発電所」の調整池としても利用されていることから、東京電力が冬場に土砂を浚渫(しゅんせつ)しているという。仮に東電が浚渫を取りやめた場合、7~8年もすれば、池は土砂で埋まってしまうそうだ。

 焼岳は、長野県と岐阜県の県境にある北アルプス唯一の活火山。今でも噴煙を上げる。写真は、「焼岳」山頂のズームアップ。

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 約2,300年前のマグマ噴火により、現在のようなドーム型の火山となった。1963年(昭和37年)に水蒸気爆発が起こし、泥流を「大正池」まで押し出した。「焼岳」の火山活動は周辺に、上高地温泉、平湯温泉・・・等々の豊富な温泉を生み出している。多くの人々が親しんでいる名山のひとつで、 歌人・島木赤彦や高浜虚子なども「焼岳」の歌を詠んでいる。

 北の方角(梓川の上流)は、雄大な岩稜の「穂高連峰」(3190m)の姿。

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 「上高地」の風景には、「穂高連峰」は切っても切れない。「穂高連峰」は、上高地のいろんな場所からその姿を望める。

 「穂高連峰」は、北アルプスの最高峰「奥穂高岳」(3190m)を中心に、前穂高岳(3090m)、北穂高岳(3100m)、西穂高岳(2909m)などからなり、日本第3位の「奥穂高岳」が日本百名山。国内第一級の岩場も多く、登山愛好者の最も人気の高い名山のひとつ。

 梓川を上流に沿って歩く。沢には多くのカモ。

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 梓川に沿った林間の遊歩道を歩く。ヤナギ、シラカバ、カラマツなどが見られる。秋の七草・オミナエシが咲く。

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 9:30、再び梓川の河原に出る。立ち枯れた木が何本か立っている。だいぶ青空が広がって来たが、雲はもう秋の雲。

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 カラマツ林の遊歩道。

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 「田代湿原」に出ると、再び「穂高連峰」が姿を現す。草原は、もう草紅葉(くさもみじ)。

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 10:00、澄み切った「田代池」。「田代」とは水田のこと。上高地に周囲に降った雨は砂礫層の下を通って伏流水となり、田代池に噴き出す。地底には、枯れた水草が積もり、また周りの土砂が溜まって次第に湿原となっていく。

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 10:35、梓川に架かる「田代橋」を通って、川の対岸に渡る。この橋の反対方向に1933年(昭和8年)に開業した「上高地帝国ホテル」がある。

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 源泉かけ流しの温泉宿「上高地温泉ホテル」。

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 このホテル前のベンチから、「六百山」(ろっぴゃくさん、2450m)と「霞沢岳」(かすみさわだけ、2646m)が良く見える。左端のピークが「六百山」、右端のギザギザの山が二百名山の「霞沢岳」。「霞沢岳」の左下の縦の筋は、「八衛門沢」(はちえもんさわ)。

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 10:50、英国人宣教師ウェストン碑(レリーフ)。

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 日本近代登山の父、ウォルター・ウェストンが、1893(明治26)年に上條嘉門次を案内人に前穂高岳に登頂した。氏は登山家として日本各地の名峰を制覇し、上高地にも訪れて上條とともに北アルプスに挑んだ。そして1896(明治29)年、著書『日本アルプスの登山と探検』で上高地と「穂高連峰」、「槍ヶ岳」を広く世界へ称賛した。

 11:15、上高地のシンボル「河童橋」に到着。

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 芥川龍之介が何度となく訪れた上高地の「河童橋」を題材に、1927(昭和2)年小説『河童』を発表している。

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 「河童橋」から梓川を望む。「穂高連峰」はちょうど雲隠れ。

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 「河童橋」の周辺には、ホテルやレストラン、カフェ、売店やおみやげ屋が立ち並び、シーズンには「上高地銀座」と呼ばれるほど混み合う。

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 「河童橋」を渡った後、梓川に沿って下流に向かって歩く。振り返ると「河童橋」が小さく見える。背景の山は、「穂高連峰」の峰々一つの「明神岳」(2931m)。

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 林を抜けて、上高地バスターミナルに向かう。

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 11:30、上高地バスターミナル着。観光センター2階の食堂で昼食。ざる蕎麦830円。

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 帰りもシャトルバスでなく、予約してあったタクシーを利用。12:00、上高地バスターミナルを出発。

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 12:20、沢渡の市営第2駐車場に到着。タクシー代は、上高地バスターミナルから4,200円。

 シャトルバスなら往復2,050円。タクシーは往復で7,700円。4人で割れば、一人1,925円。待ち時間なしで乗れて、125円のお得。駐車料金は、1日(日帰り)で600円。

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 12:25、沢渡の駐車場を出発。松本ICから長野道へ。

 途中、長野道の梓川SA、上信越道の横川SAで休憩。

 自宅には、16:45到着。2泊3日の乗鞍岳山行を終わる。

 

 上高地に7年前に行った時は雨の中だったが、今回は天気に恵まれて気持ちよく歩けた。つい最近まで下界で猛暑の毎日を過ごしていたが、高地でもあるが9月に入って、もう秋を感じる。残念ながら、秋の草花は多くは見なかったが。今回は、「大正池」から「河童橋」までの3.3km、そこからバスターミナルまでのおよそ3.8Km、のんびりした散策。「明神池」(河童橋から往復6.5Km)までは時間都合で行けなかったが、上高地は何度行ってもいいものだ。

 

 本ブログの関連記事

  「乗鞍岳・上高地」 2011年09月26日投稿
  http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/20110718-2690.html

 

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●上高地の生い立ち

 上高地は、北アルプス(飛騨山脈)の谷間(梓川流域)にある「大正池」から「河童橋」、明神、 徳沢、横尾までの約10km、最大幅約1km、標高1,500mにある平坦な盆地である。松本市に属する。この高度でこれほどの広さの平坦地は、日本ではあまり例がないという。 温泉があり、「穂高連峰」や「槍ヶ岳」の登山基地ともなっている。手つかずの大自然が残っていて、最近は年間120万人もの人々が訪れる山岳リゾートである。

 上高地が現在のような高い山になったのは、約260万年~80万年前の隆起運動による。この隆起とともに、かつて岐阜県側に流れていた梓川が、深い谷を刻んだ。上高地の細長い平地は、約1万2千年前に焼岳火山群の白谷山の噴火活動によって、川がせき止められ、巨大な池(古上高地湖)が生まれた。そこに周囲の山々から、土砂が堆積したと考えられている。その土砂の厚さは、「大正池」付近で300mほどもある。古上高地湖を満たした水は、南東の鞍部からあふれ出し、松本盆地に向かう現在の梓川になったとされている。

 写真は、ウィキペディアコモンズ「奥穂高岳山頂から見下ろす梓川上流部の上高地と大正池」より転載。左手の山は「霞沢岳」、右手は「焼岳」、中央に「乗鞍岳」。

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●上高地の名前の由来
 
 上高地の名前の由来を調べると、「かみこうち」は漢字表記で「神垣内」、「上河内」、「神河内」、「神降地」などといくつか説がある。穂高神社の祭神・「穂高見命」(ほたかみのみこと)が、「穂高岳」に天から降臨し、穂高神社奥宮と明神池で祀られいたことから、「神垣内」と呼ばれていた。

 また昔、峠の下の村の領地として「上口」、または「上河内」と呼ばれていた。戦前まで上高地の入口でその中心地であったのは、「徳本峠」を下りた真上にそびえる「穂高岳」(現在名は「明神岳」)のある「明神池」のある辺り。「穂高岳」は、穂高神社(穂高大明神)の御神体。現在の明神地区は特別な神域で有ることから、「上」の代わりに「神」を使い、「神河内」と呼ぶ事が許されていた。全体を呼ぶ場合は、「上河内」から後に「上高地」と書くようになったという。

 なお、昭和初期に釜トンネルが出来る前は、上高地へ入るには島々宿(国道158号線沿いで、旧安曇村役場があった)から「徳本峠」越えするのが主要ルートだったそうだ。

 

●上高地と登山

 明治政府が造幣技師として招いた英国人・ガウランドが、1877年(明治10)に「槍ヶ岳」を登山、北アルプス一帯を「Japan Alps=日本アルプス」と命名した。

 その昔日本の登山は、狩猟や戦い、旅のための山行であったり、信仰や修行としての登拝であった。その登山をレジャーやスポーツとして広く知らしめ、上高地や「穂高連峰」、「槍ヶ岳」を世界に有名にした英人宣教師ウェストンの功績は、「日本近代登山の父」として今日でも広く称えられている。

 日本山岳会は、ウェストンに対し登山を日本に浸透させた功労者として、1937(昭和12)年に梓川沿いのこの地に記念のレリーフを掲げた。その10年後の1947年(昭和22)から、毎年「ウェストン祭」が開催されている。

 1916年(大正5)、のちの首相となる東久邇宮殿下が「槍ヶ岳」に登山するにあたって、島々宿-「徳本峠」、明神-「槍ヶ岳」の登山道が整備されたそうだ。このころから徐々に広く大衆登山へと山は開かれ、上高地は観光地として知られていったという。

 一般観光客が多くこの地を楽しむようになったのは、昭和に入ってからであった。1927(昭和2)年、芥川龍之介が何度となく訪れた上高地・河童橋を題材に、小説『河童』を発表した。同年、秩父宮殿下が奥穂高・槍ヶ岳の縦走登山に訪れるなど、注目を集めた。その後国の名勝および天然記念物に指定、それまで山小屋や温泉宿もまばらであった上高地に、初の山岳リゾートホテル「上高地ホテル」(現在の「上高地帝国ホテル」)が開業した。

 戦後の昭和30年代頃(1960年頃)から登山ブームが起こり、次第に観光客は増加して、県道は整備され、バスやマイカーの乗り入れも頻繁となった。反面、自然への影響は深刻さを増し、1975年(昭和50)県道24号線(上高地公園線)のマイカー規制が開始されたのだった。

2018年9月11日 (火)

乗鞍岳・剣ヶ峰と白骨温泉

 2018年9月1日~3日、2泊3日の乗鞍岳山行の2日目。

 

 本ブログ記事「乗鞍高原から畳平」の続き。

 9月2日(日)、乗鞍畳平(標高2702m)の宿を出て乗鞍岳・剣ヶ峰(3026m)に登るが、霧のため展望なし。下山途中に霧が晴れ、山頂を振り返り畳平を見下ろす。山奥の秘湯・白骨(しらほね)温泉泊。

 乗鞍岳(のりくらだけ)は北アルプス(飛騨山脈)南部に位置し、剣ヶ峰(標高3,026m)を主峰とする山々の総称。長野県松本市と岐阜県高山市にまたがる。

 

 畳平の「銀嶺荘」で4:30起床。まだ暗い4:50、朝食前にご来光を拝むために、長袖シャツにフリースを羽織り、ヘッドライトを装着して外に出るが濃霧。

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 「鶴ヶ池」や「お花畑」の傍を通って、標高2716mのご来光絶景ポイント「県境広場」に、5:05頃に到着。

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 ご来光を見る登山客が10数名は集まっている。付近の「富士見岳」(2817m)や「大黒山」(2772m)の峰から見るため登る人達もいる。日の出時刻は、5:20頃。

 しか視界は全く無い。この辺りは、岐阜県と長野県の県境にあたる。

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 5:35、あきらめて宿に引き返す。5:45、「銀嶺荘」着。

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 7:00~「銀嶺荘」のレトランで朝食。

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 左上は、初めて食べる岐阜名物の朴葉(ほおば)味噌。味噌にネギ、椎茸などを朴の葉に載せて卓上コンロに載せて焼き、ご飯に載せて食べる。

 8:00、「乗鞍岳・剣ヶ峰」登頂へ向け出発。不要な荷物を入れた大型ザックを「銀嶺荘」に預け、サブザックを背負う。

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 畳平から石段を降りて、「お花畑」入口の前の木道を通る。濃霧で視界は悪い。

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 左手の「富士見岳」(2817m)入口の前を通過。

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 旧コロナ観測所と東大宇宙線観測所に向かう砂利道を歩く。

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 途中で、旧コロナ観測所に行く分岐を右に見て直進。左手は深い絶壁、右手は今にも落石しそうな岩山の「摩利支天岳(まりしてんだけ、2872m)」を巻きながら進む。

 8:40「肩の小屋」に到着。収容人員200人の比較的大きい山小屋だ。ここは標高2800m。山小屋の外のベンチで、10分ほど休憩。

 この小屋を出たところが、「剣ヶ峰」への登山口。右手に赤い屋根の東大宇宙線研究所がある。岩がゴロゴロした急坂の登山道をしばらく登ったところで、振り返って「肩の小屋」を見下ろす。

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 登山道の周りは、ハイマツが群生。

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 さらに大きい岩だらけの険しい登り。標高が高いので、空気が少なく息苦しい。

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 振り返ると、「肩の小屋」は霧でもう見えない。

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 登山道は、細かい砂、白と黒い小石の混じった道に変わる。

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 「朝日岳」(2975m)と「蚕玉岳」(こだまだけ、2980m)の鞍部に着くと、赤土の尾根。

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 9:45、ここが「蚕玉岳」の山頂。

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 「剣ヶ峰」山頂の直下にある「頂上小屋」は、売店のみの営業。晴れていれば、この辺りから、北アルプス絶景が眺望できるのだが。

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 黒い大きな岩がゴロゴロした最後の急登。10:00、予定時刻通り「剣ヶ峰」山頂(標高3026m)に到着。

 山頂は狭く、「乗鞍本宮奥宮」がある。ここにあった寒暖計は、気温6℃を指している。

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 南側の「剣ヶ峰」の山頂標識の向うには、晴れていれば重厚な木曽の「御嶽山(おんたけさん)」(3067m)が見えるそうだ。


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 天気が良ければ、西側の眼下に火口湖としては日本有数の高所にある「権現池」、遠望に霊峰「白山」(2702m)。北側の遠望は、峻険な「槍ヶ岳」(3180m)や「穂高連峰」(3190m)などの北アルプスが続き、東側は遠くの「八ヶ岳連峰」(2899m)まで信州の山並みが続くというが、残念。

 10:15、下山開始。しばらく下ると、少しずつ霧が晴れて来た。しかし遠望は効かない。

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 「肩の小屋」を見下ろす。正面の山は、「摩利支天岳」と白いドームのある旧コロナ観測所。

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 「肩の小屋」の左手の赤い屋根は、東大宇宙線研究所。

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 11:00、「肩の小屋」に到着。ベンチで20分ばかり休憩。

 しばらく下って振り返ると、さっき登った「剣ヶ峰」は、霧がだいぶ晴れて来ている。

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 肩の小屋直下にある広大な「乗鞍大雪渓」では、9月になっても夏スキーをやっている。斜面は、45度くらいに見える。

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 後ろを振り返ると、左から「剣ヶ峰」、「蚕玉岳」、「朝日岳」がくっきり。

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 望遠レンズで撮影すると、「乗鞍本宮」や鳥居、右下に「頂上小屋」が確認できる。

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 下るにつれ、右手の「富士見岳」(2817m)、左手の「不動岳」(2875m)がくっきり見える。正面の池は「不消ヶ池」(きえずがいけ)、霧がかかった「恵比寿岳」(2831m)。

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 「富士見岳」の山頂。

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 「摩利支天岳」(2872m)と旧コロナ観測所を左手に見ながら下る。

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 右手の「不動岳」(2875)のすそ野、「富士見岳」の西側にある「不消ヶ池」(きえずがいけ)は、畳平の飲料水源としているため立ち入り禁止。1年中雪が消えない美しい池。左手は「摩利支天岳」、

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 赤い屋根の畳平バスターミナルが眼下に見えて来た。手前は木道のある「お花畑」。

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 「お花畑」では、この時期は夏と秋の花の端境(はざかい)期だろうか、咲いている花がなさそうなので、散策の予定は割愛する。

 左手の「魔王岳」(2763m)の麓、中央は水が少なくなった「鶴ヶ池」に面して、山小屋というよりホテルスタイルで人気のウッドデッキがある「白雲荘」。右手は「大黒山」(2772m)。

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 12:10、畳平に到着。

 「乗鞍中之社」の隣の白い建物が、今回宿泊した「銀嶺荘」。1階は土産売り場や乗鞍郵便局、2階は食堂、有料トイレと客室がある。後ろの山は、入山禁止の「恵比寿岳」(2831m)。シャトルバスや観光バスが並ぶ。

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 ザックを預けた「銀嶺荘」に戻り、レストランで昼食。マウンテンサイクリングのライダー向けと思われるステーキとサラダの「自転車ランチ」980円を注文。

 背負っていたサブザックをザックの中にまとめ、シャトルバスに乗車。13:05畳平バスターミナルを出発。

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 14:00、乗鞍高原観光センターの駐車場に到着。

 駐めておいた自家用車に移り14:10、白骨温泉に向けて出発。

 上高地乗鞍林道の山道を15分ほど北上すると、山奥の秘湯・白骨温泉(長野県松本市安曇)。

 14:25、静かな木々に囲まれた、かつらの湯「丸永旅館」に到着。この時の気温19.5℃。

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 ここは標高1400m、夕方ともなると半袖、半ズボンでは、肌寒い。予定していた白骨温泉街を散策しようとしたが、中止。ここ一帯は、10軒ほどの温泉宿が散在し温泉街というのは無いようだ。この「丸永旅館」は、白骨温泉の中でも南の端に離れていて、湯川の近くの白骨温中心からは、1.5Kmほどの道のり。

 部屋数11室の小規模な宿で、家庭的な雰囲気。白濁した乳白色、秘湯感のある温泉は、源泉かけ流し。風呂は内風呂、露天風呂(混浴)、それに貸切風呂がある。温泉で疲れた体を癒し、緑に囲まれた部屋でのんびり過す。

 この辺り一帯に湧き出す10数箇所の源泉は、それぞれ微妙に異なる湯の質、色や香りの多様さが白骨温泉の特徴だそうだ。温泉宿のすべてが、その源泉や宿の環境の由来する「湯号(ゆごう)」(屋号のようなもの)を持つ。ここ「丸永旅館」は、桂の木に囲まれた宿から、湯号は「かつらの湯」という。

 18:00~夕食。鯉・岩魚といった川魚と山菜を中心にした田舎料理。

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 左上から、しし肉(鹿か猪か?)の陶板焼き、鯉の甘露煮、信州蕎麦。右上から、鯉のあらい、豆腐の長芋焼き、馬刺し。後から焼きたてが来た岩魚の塩焼きは、写真にない。

 夕方から夜にかけて、雨がシトシト。明日は雨が止んで、曇りの予報。登山の疲れと下山祝いの酒で、NHK大河ドラマ「西郷(せご)どん」を観たあと、21:00頃就寝。

 天候が悪い中、畳平からの夕陽・夕焼け、満天の星や天の川、雲海からのご来光の写真撮影ができればと、かすかに期待をしていたが、濃霧のためにどれも実現せず、残念だった。畳平のお花畑も夏の終わりで、花の開花時期ではなかったのも、前もって気がつかなかった。

 「剣ヶ峰」山頂からの大パノラマ、北アルプスのすばらしい眺望が出来なかったのも残念だったが、昔から念願だった百名山「乗鞍岳・剣ヶ峰」を踏破できて満足。標高差324mの初級コースの山はもう少し簡単に登れる山だと思っていたが、さすがに空気の薄い3000m級は、そんなに甘い山ではなかった。
 
 本ブログ記事「初秋の上高地」へ続く。    

 

 本ブログの関連記事

   「乗鞍岳・上高地」 2011年09月26日投稿
    http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/20110718-2690.html

 

 ★ ★ ★

 乗鞍岳は、今から100万年も前からの火山活動で形成され、最後に「権現池」を火山口として噴火し、主峰の「剣ヶ峰」、「朝日岳」などの8峰が山頂部のカルデラを構成する。周囲には、「摩利支天岳」、「富士見岳」など15の峰、7つの湖と8つの平原があり、広大な裾野が広がる。

 我々は信州側からアプローチしたが、昔の乗鞍岳登拝者の多くが飛騨側から登ったそうだ。特に飛騨側の岐阜県高山市からは、颯爽(さっそう)とした大きな山容を望むことができるという。乗鞍岳は、飛騨の山だったのだ。その姿が馬の鞍に似ていることから、乗鞍と呼ばれた。昔の人に言わせれば、戦後畳平までバスが通じるようになったのは、驚異だった。

 白骨温泉は、鎌倉時代には既に湧出していたと伝えられ、温泉宿は元禄年間に信濃の人により開かれた。「乳白色の湯」として知られているが、湧出時には無色透明、時間の経過によって白濁するという。白骨温泉はかつて「白船」とも呼ばれていた。中里介山の小説『大菩薩峠』の中で、「白骨」と呼んでから一躍有名となり、現在の呼称が定着したという。

 その昔「白骨の湯に三日入ると三年は風邪をひかない」と言われていたほどで、胃腸病、神経症、婦人病、慢性疲労等に効能があるそうだ。文人の中でも、歌人の若山牧水はこの温泉を好んで訪れた。1974年、国民保養温泉地に指定された。

 2004年7月ある週刊誌で、日帰り浴場の「野天風呂」を始め一部の旅館やホテルで入浴剤を混入して白濁を偽装をしていることが報道された。その8年くらい前から源泉の一部で、白濁が薄くなって客から指摘されたことが偽装の動機だった。この騒動をきっかけに、日本中で温泉表示の偽装問題として大きなニュースとなった。一連の問題への対応として、長野県では信州温泉の信頼回復のため、「温泉表示認証制度」を2004年11月から始めた。

2018年9月 8日 (土)

乗鞍高原から畳平

 2018年9月1日~3日、2泊3日の乗鞍岳山行の1日目。
 

 9月1日(土)は、信州・乗鞍高原を散策した後、乗鞍畳平(標高2702m)へ行く。

 乗鞍高原(のりくらこうげん、長野県松本市)は、乗鞍岳の東麓に広がる標高1100m~1800mの高原。夏は避暑、夏~秋は登山、冬はスキーのほか温泉を目的とする観光客が多い。一部は、中部山岳国立公園となっている。標高1600m付近には、「休暇村乗鞍高原」がある。 乗鞍岳は、剣ヶ峰(標高3,026m)を主峰とする山々の総称。長野県松本市と岐阜県高山市にまたがり、北アルプス(飛騨山脈)南部に位置する。
 

 秋雨前線が西日本から東日本にかけて停滞しており、関東甲信越では雨や雷雨、所により激しい雨との予報。台風21号も列島に接近している。 

 自宅を6:25に出発、朝からあいにくの雨。関越道を自家用車で走り、いつの間にか雨は止むが、上信越道の横川SAでは霧が立ち込める。長野道の梓川(あずさがわ)SAで車を降りると、肌寒い。松本ICで高速を降り、梓川に沿って国道158号線を西進。

 県道84号線(県道乗鞍岳線)から乗鞍高原の「乗鞍高原観光センター」駐車場に10:25到着。気温は、21℃。

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 所々に青空も見えるが、乗鞍高原から仰ぐ乗鞍岳方面には霧がかかる。

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 「乗鞍高原観光センター」を車で10:50に出て、5分ほどで「善五郎滝」の入口に着く。 

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 ここから、シラカバやミズナラの明るい林の中を進む。

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 滝の轟音が聞こえ、やがて水量の豊富な「善五郎滝」が姿を現す。横殴りの水しぶきを浴びながら撮影。

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 イワナに引き込まれて滝壺に落ちた釣り師「善五郎」から名付けられたといわれている。落差21.5m、幅8m、滝幅いっぱいに水が落ちる端正な滝。「三本滝」、「番所大滝」とともに「乗鞍三滝」と呼ばれる。

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 「乗鞍高原観光センター」に戻り、11:35~12:00食事処「オアシス」で昼食。豚丼900円。

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 シャトルバスの出発までまだ時間があるので、「一瀬園地」に車で行く。

 「ネイチャープラザ一瀬」付近の駐車場に車を駐め、12:25~12:45遊歩道を散策。

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 牛のいなくなった草原。

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 大正時代の初めころ放牧がおこなわれていたそうだが、今は明るい草原に真っ先にシラカバが増えて来たそうだ。

 美しいせせらぎの「一の瀬川」の周辺にスモモの木を散見。

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 春に白い花が咲き、この時期に収穫するスモモ(李)は、モモに比べ酸味が強い。

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 秋の七草の一つオミナエシ(女郎花)。もう秋の気配。

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 周りには、同じ秋の七草のススキの穂(尾花)も群生していた。

 再び「乗鞍高原観光センター」に戻り、13:00出発のシャトルバス(アルピコ交通バス)に乗車。往復乗車券は、2,500円。

 県道84号線は、乗鞍高原から先を「乗鞍エコーライン」と呼ばれる。山岳道路を上って行くと、車窓にスキー場のリフトをいくつも見る。やがて「三本滝」のバス停から先に、マイカー交通規制のゲートがある。乗鞍岳山腹の狭くて曲がりくねった道路は、ハイマツだらけの森林限界に至ると視界は良好となるがやがて霧に包まれ、穂高連峰の眺望は無い。

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 約50分で「畳平(たたみだいら)バスターミナル」に13:50に到着。ここは、標高2702m。日本一高いバス停だそうだ。「銀嶺荘」に、14:00チェックイン。風呂も電気もある旅館スタイルの山小屋。

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 「銀嶺荘」の左手の建物は、乗鞍岳をご神体とする「乗鞍中之社」。剣ヶ峰に、「乗鞍本社」がある。

 畳平の湿原「お花畑」遊歩道を散策し、夕日・夕焼けを見る予定だったが、霧雨のため夕食まで部屋で過ごす。

 18:00~夕食。質素な料理だが、牛鍋は飛騨牛か? ここは、岐阜県の飛騨高山。

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 夕食後も霧雨で、予定していた畳平からの天体観察・撮影もかなわず。

 翌朝の霧が晴れた日の出撮影を期待して、20時就寝。

 本ブログ記事「乗鞍岳・剣ヶ峰と白骨温泉」に続く。

 

 ★★★

 畳平には、長野県側からは1960年代に県道として造られた「乗鞍エコーライン」があるが、岐阜県側からは県道5号線の「乗鞍スカイライン」が通じている。両線とも2003年からマイカー規制が行われており、バス、タクシー、自転車以外の一般車両は通行できない。なお冬季は閉鎖されている。

 岐阜県側の「乗鞍スカイライン」は戦時中、陸軍航空本部が航空エンジンの高地実験を行うための軍用道路として建設され、乗鞍航空実験所が畳平に設置されたという。戦後は岐阜県の県道として整備され、また大型バスが通れるように現在の道幅となった。

 乗鞍は、山岳自転車レース(マウンテンサイクリング)のメッカとしても知られている。「全日本マウンテンサイクリング in 乗鞍」は、乗鞍高原~畳平の「乗鞍エコーライン」で繰り広げられる自転車ロードレース。スタートは乗鞍高原観光センター前、ゴールは畳平の長野・岐阜県境で 全長20.5Km、標高差は1260m。往路(上り)のみのタイムレース。

 毎年8月の最終日曜日に実施されていて、今年は第33回、8月26日(日)に開催された。1986年に開始された国内で最も歴史の古い自転車ヒルクライムの1つで、ゴール地点の標高2,716mは、国内自転車レースで最高所。また4,000名余りという参加者は、国内有数規模の大会であるという。

 以下3枚の写真は、「マウンテンサイクリング in 乗鞍実行委員会事務局」のホームページより転載。

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 大会は、ロードレーサーとマウンテンバイクの部があり、さらに男女・年齢別などでクラス分けされているそうだ。最上級の「チャンピオンクラス」は、前回大会で1時間20分以内の記録を出した者のみが、年齢・性別問わずエントリーできる。そのクラスのコースレコードは55分30秒、シャトルバスの所要時間50分とあまり変わらないと知って驚く。また観客受けを狙ったコスプレのライダーが多いことでも有名。

 今大会で、夜泣峠付近で61名の参加者が蜂に刺された、というTVニュースを思い出す。全員が軽症で済み、大会は続行された。蜂はキイロスズメバチ、ガードレールの支柱根元の中に蜂の巣があったそうだ。主催者側は、事前に雑草や蜂の巣除去などを行っていたそうだが、発見することができなかったという。大自然の中で静かに暮らしていた蜂も、この日の賑やかさにびっくりしたのだろう。

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