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2018年6月19日 (火)

橿原神宮と飛鳥の里

 2018/5/26(土)~28(月)、2泊3日の奈良・大和路探訪の旅。

 《大和は国のまほろば、史跡が点在する奈良大和路をめぐり、古代の歴史・文化を学ぶ》

 

 3日目の28日(月)は、伝説上の神武天皇を祀る「橿原神宮」(橿原市)と7世紀日本の中心だった「飛鳥の里」(明日香村)を回る。本ブロク記事「山の辺の道」のつづき。

 5月27日(日)、ダイワロイヤルホテル「THE KASHIWARA」(橿原市)に宿泊。28日(月)、6:30起床。7:00~8:10、朝食前に「橿原神宮」を散策。
 

●橿原神宮 (橿原市久米町)

 ホテルから地下道をくぐって近鉄橿原線を渡ると、徒歩1分ほどで橿原神宮前駅。

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 駅前のロータリーから真っ直ぐ「橿原神宮」へ大通りが伸びる。徒歩10分くらいでで第一鳥居。ここから広い参道を進み第二鳥居をくぐって、右へ折れると「南神門」。

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 『古事記』『日本書紀』において初代天皇とされている神武天皇と皇后を祀るため、神武天皇が即位した「橿原宮」があったとされる畝傍(うねび)山の東南麓、約50万㎡もの広大な神域に、1890年(明治23年)「橿原神宮」が建てられた。

 第一鳥居から5分で外拝殿。後方は畝傍山。

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 外拝殿から見る内拝殿。内拝殿の奥には、幣殿と本殿がある。外拝殿で参拝。

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 本殿は、1855年(安政2年)建立の京都御所賢所(かしこどころ、内侍所ともいう)を移設したもので、重要文化財だそうだ。

 ともかくこの神宮は、外拝殿前の広場や参道が広いのに驚く。左手は、外拝殿前から見る南神門。

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 奈良時代に造成された「深田池」。

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 8:15~朝食。この日は朝ゆっくりしたあと、9:15レンタカーでホテルを出発。

 「飛鳥の里」(現・明日香村)は7世紀、日本の政治・文化の中心だった「飛鳥京」があったところ。今は、のどかな農村。車で行けない道や駐車場のない所があって、サイクリングで回るのが定番のようだ。飛鳥駅前に「明日香レンタサイクル」(1日900円)がある。6年前はレンタサイクルでめぐったが、今回はレンタカー。

 国道169号線を南下。近鉄吉野線飛鳥駅前(ホテルから2.4Km)を通過し、10分ほどで高松塚古墳の南側すぐの所、細い道を進んで田園の中の小さな駐車場に車を駐める。

 

●高松塚古墳(明日香村)

 壁画で有名な「高松塚古墳」は、広大な「国営飛鳥歴史公園」の中にある。

 写真は、高松塚古墳の2012/11/1撮影のもの。

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 こじんまりした「高松塚壁画館」に、9:30入館。ここの入館料は250円だが、「高松塚壁画館」、「石舞台古墳」、「亀形石造物」の3箇所の特別共通券600円を購入する。

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 常駐のボランティアガイドの解説を聞く。館内は、銅鏡などの副葬品のレプリカ、模写された壁画、実寸大の石室の模型が展示してある。

 「高松塚古墳」の発掘調査は、1972年(昭和47年)3月から開始、やがて石室に鮮やかに彩色された壁画が発見され、「戦後最大の考古学的大発見」と大いに国民の関心を引くこととなった。古墳は1973年特別史跡、また極彩色壁画は1974年に国宝に指定された。 

 藤原京期(694年~710年)に築造された終末期の古墳で、下段の直径23m、上段の直径18m、高さ5mの二段式の円墳。石室は幅1.0m、高さ1.1m、奥行き2.7mと、2人がしゃがんでやっと入れる程度。被葬者は、諸説あって不明。

 写真は、順に「高松塚古墳」石室の西壁の「女子群像}、西壁の「白虎」、北壁の「玄武」(蛇と亀の霊獣)。出典はいずれもウィキメディア・コモンズ。

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 2004年にカビの大発生によっては壁画の劣化が発覚、大騒ぎになった。墳丘の発掘調査と石室の解体修理が、2006年10月から開始された。2007年3月には「国営飛鳥歴史公園」内に修理施設が完成。石室は解体された後、この修理施設へ移され、修復が行われている。

 最近では、「高松塚古墳」の壁画修理作業室の一般公開が毎年行われており、ガラス越しに修復作業の現場を観ることができるという。

 当初予定してなかったがボランティアガイドの勧めで、公開中の「キトラ古墳壁画」を次に見に行くことにする。

 

●キトラ古墳(明日香村)

 「高松塚古墳」から車で南へ5分弱、10:35に石室内の壁画が公開されている「キトラ古墳」に着く。

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 「キトラ古墳」の墳丘は、小高い阿部山の南斜面にある。上段が直径9.4m、高さ2.4m、下段が直径13.8m、高さ90cm二段式の円墳。

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 名称の「キトラ」は、この地域の字名「北浦(きたうら)」がなまったという説、盗掘者から中を覗くと亀と虎の壁画が見えたというのを聞いたという説などがあるそうだ。

 1983年(昭和58年)、石室内の彩色壁画に「玄武」が発見された。高松塚古墳に次いで2例目となる大陸風の壁画古墳として注目を集めている。

 1998年(平成10年)の探査で「青龍」、「白虎」、「天文図」が、2001年(平成12)には「朱雀」(すざく、しゅじゃく=赤い霊鳥)と「十二支像」が確認された。発掘後に湿気のため石室内にカビが発生したため、壁画ははぎとられて保存されている。2000年(平成12)、国の特別史跡に指定。なお、被葬者は諸説あるが、不明。

 円墳であり、「四神」(ししん)を描いた壁画があるなど、「高松塚古墳」と似ている。しかし、壁画などに唐の影響が「高松塚古墳」ほどにはないことから、遣唐使が日本に帰国(704年)する以前の7世紀末から8世紀初め頃に作られた古墳と見られている。なお「四神」とは、中国の神話、天の四方の方角を司る霊獣で、東の「青龍」、南の「朱雀」、西の「白虎」、北の「玄武」のこと。

 2016(平成28)年9月、「キトラ古墳」周辺地区を「国営飛鳥歴史公園」の一部として整備し、「キトラ古墳壁画体験館 四神の館」が開館した。

 「四神の館」に入館(無料)。入口は、地下1階にある。

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 ちょうどこの日は運よく壁画が期間限定で公開中。受付で予約して、11時からの見学時間が来るまで地階の展示室を回る。展示室には、映像や原寸大石室模型の展示を通じて、キトラ古墳と古代飛鳥を知ることができる。室内は説明員もいて、写真撮影も可。

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 「キトラ古墳」の原寸大の石室模型。幅1.0m、高さ1.2m、奥行き2.4m。

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 地上1階に上がると、そこは「キトラ古墳壁画保存管理施設」。保存のために石室から取り出された「キトラ古墳」壁画(東壁の「青龍」と「十二支の寅」)の実物をガラス越しに鑑賞する。肉眼で擬人化した寅(高さ16cm、)をかろうじて認識できたが、「青龍」(高さ20cm)は龍の赤い舌が右側にかすかに見える程度だった。

 「十二支の寅」の写真は、「平成30年度キトラ古墳壁画 第7回公開」のパンフ(文化庁・奈良文化財研究所)より転載。

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 「青龍」の写真は、「特別史跡キトラ古墳」バンフ(文化庁・奈良文化財研究所)より転載。 

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 今回公開の対象ではなかったが、比較的鮮明な北壁の「玄武」(蛇と亀の霊獣)を掲載する。写真は、「特別史跡キトラ古墳」バンフ(文化庁・奈良文化財研究所)より転載。

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●国営飛鳥歴史公園館(明日香村)

 11:45、「高松塚古墳」のあった「国営飛鳥歴史公園」に戻り、「石舞台古墳」、「甘樫丘」(あまかしのおか)、「キトラ古墳」などの拠点施設である「国営飛鳥歴史公園館」に入館(無料)。展示のジオラマ(立体模型)で、これから行く飛鳥史跡の位置を確認する。

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●亀石(明日香村)

 12:00、昔から「亀石」として親しまれている亀そっくりの形をした石造物。飛鳥時代ものらしい。駐車場はないが、150mほど離れた所に中央公民館の駐車場を利用させてもらう。

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 「橘寺」か「川原寺」に関係のある飾り石、何かの境界を示す標石、土俗信仰を現わすもの、とかの推測がされているという。

 伝説によれば、昔々奈良盆地一帯が湖であった頃、対岸の当麻(たいま)の蛇と川原の鯰(なまず)が争い、当麻に水を吸い取られ、川原あたりは干上がって湖の亀はみんな死んでしまった。亀を哀れに思った村人たちは、「亀石」を造って供養をした。亀石は、以前は北を、次に東を向いたという。そして今は南西を向いているが、西を向き当麻のほうを睨みつけると、奈良盆地は一円泥の海と化すと伝えられている。

 

●橘寺(明日香村)

 12:10、聖徳太子ゆかりの風情ある古刹「橘寺」。聖徳太子生誕の地とされている。創建年代は不明。聖徳太子が建立したといわれる七大寺(聖徳太子建立七大寺)の一つ。

 山門前の駐車場(10台)(写真手前)は無料だが、寺の前の道は狭い。拝観料350円。

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 本堂右手の馬は、聖徳太子の愛馬「黒の駒」像だそうだ。本堂(太子堂)内に入り拝観。堂内は撮影禁止。

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 室町時代に作られた聖徳太子座像(本尊)は、重要文化財。残念ながら写真は資料やネットで入手できなかった。堂内に聖徳太子像がいくつかあって、どれが重要文化財だったか記憶にない。

 また観音堂には、如意輪観音坐像(重要文化財)が安置されているそうだが、拝観せず。

 境内に不思議な石造仏「二面石」がある。高さ約1mほどの石造物で、左右に善相と悪相が彫られており、人の心の二面性を表現しているという。

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 この寺の前から見た三輪山の眺めが良いそうだ。三輪山が頭部に、右の巻向山、左の龍王山を両翼に、さながら大鳥が飛んでいるように見え、「飛鳥」の由来ともいう。

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●石舞台古墳 (明日香村)

 巨石を積んだ横穴式の日本最大級の石室を擁する古墳。蘇我馬子の墓とされる。国の特別史跡。入場料250円だが、特別共通券(600円)で入場。

 有料駐車場(500円、200台)があるが、「国営飛鳥歴史公園」石舞台地区の無料駐車場(14台)が運よく空いていた。

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 元は土を盛りあげた墳丘で覆われていたが、その土が失われて、巨大な石を用いた横穴式の石室が露出している。発掘調査により、前方後円墳でなく一辺が50mほどの方墳であったとされる。周囲には濠と堤がめぐらされていた。土が持ち去られ、墓が暴かれたのは、蘇我氏に対する懲罰だとされている。石室内に、人が10人以上は入ることが出来る。

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 昼食は、「石舞台古墳」の西隣にある特産品販売所「明日香の夢市」の2階、農村レストラン「夢市茶屋」で。古代米御膳1,080円、古代米カレーセット860円がお薦め。

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 ●亀形石造物と酒船石 (明日香村)

 「亀形石造物」、「酒船石」の両方とも駐車場はない。すぐ近くの「奈良県立万葉文化館」(月曜休館)の無料駐車場(110台)は閉鎖されていたので、その入口に駐める。

 「亀形石造物」は7世紀半ば、斉明天皇の祭祀に使われたとされている。入場料(文化財保存協力金)300円だが、特別共通券(600円)で入場。

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 亀形石造物は全長約2.4m、幅約2mで、頭や尻尾、足もある。亀形の右手にある小判形の石造物は、長さ1.65m、幅1m、排水口は亀の頭に繋がっている。小判形の石造物の右手は湧水設備。全体を石敷と石垣が囲む。

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 ここから丘陵を上り、竹林の中を少し歩くと「酒船石(さかふねいし)」がある。長さ55m、幅2.3m。遺跡の右側が、江戸時代に切り取られ、欠損している。酒、あるいは薬を造るための道具などの諸説がある。ここは入場料なし。

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 以前から「酒船石」は知られていたが、「亀形石造物」と周辺の遺構が2000年(平成12年)に発掘されたが、それも含めて「酒船石遺跡」とも呼ばれることもあるが、二つは別物という説もある。
 

●飛鳥寺 (明日香村)

 寺の前の駐車場(無料、20台)に駐める。「飛鳥寺」は、当時絶大な権力を持つ蘇我馬子が、6世紀末(596年)に創建。本格的な伽藍配置の日本で最初の仏教寺院。

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 本堂内は撮影可。拝観料350円。「研修生」の名札を付けた人(僧侶?)から解説がある。

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 本尊は「飛鳥大仏」と呼ばれる日本最古(7世紀初期609年)の仏像(釈迦如来像、銅像)が鎮座する。像高は、275cm。落雷、火災などで損傷が激しく、大幅に補修されているが、重要文化財。飛鳥寺跡は、国の史跡に指定。

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 当初は法隆寺の釈迦三尊像と同じような三尊形式だったが、両脇侍像は失われている。釈迦像も鎌倉時代の落雷火災で甚大な損害を受けている。後世に大幅な修理を受けているが、当初の顔、耳や指の一部分が健在だという。

 「飛鳥大仏」(釈迦如来像)の左手に安置されているのが、聖徳太子孝養像(木造、室町時代)。太子が16歳時に父親(用明天皇)の病気回復を祈願している姿。右手には、阿弥陀如来坐像(木造、藤原時代)を安置。

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 創建時の飛鳥寺の伽藍は、五重塔を中心としその北に中金堂、塔の東西に東金堂と西金堂が建ち、その外側に回廊をめぐらし、更に講堂を含む壮大なものであった。寺域は東西約200m,南北約300m。

 百済から多くの先端技術者たちが日本に呼ばれ、瓦の製作をはじめ、仏堂や塔の建設に関わった。これらの技術を身につけた人たちやその弟子たちが、全国各地の寺院造営に関わるようになったのだそうだ。

 飛鳥寺(法興寺)復元図の出典:ウィキメディア・コモンズ。

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 平安時代887年と鎌倉時代1196年の2回、火災により伽藍を焼失後は寺勢は衰え、室町時代以降は荒廃した。本尊は長い間、屋根もない露坐、あるいは簡単な仮堂の屋根の下だった。現・本堂は江戸末期に再建されたものだが、往時の壮大な伽藍の面影はない。

 しかし発掘調査の結果、現在の飛鳥寺本堂の建つ場所は、まさしく馬子の建てた飛鳥寺中金堂の跡地であり、本尊の釈迦如来像は補修が甚だしいとはいえ。飛鳥時代と同じ場所に安置されているという。

 本堂から狭い廊下を順路に沿って進むと展示室がある。第一展示室では当時の土器など発掘調査での出土物、第2展示室では発掘調査のパネル写真や仏像が展示されていた。

 14:05、飛鳥寺を出発

 14:25、近鉄大和八木駅の北側のオリックスレンタカー店(橿原市内膳町)でレンタカーを返却。

 近鉄大和八木駅そばの「かしはらナビプラザ」1階の観光センターで休憩。観光センターと「平宗」八木店で、奈良の特産品を購入。

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 大和八木駅15:10発の京都行き近鉄特急に乗車。京都駅で新幹線「のぞみ176号」に乗り換え、19:03東京駅着。

 

 関連ブログ記事

  「飛鳥路」2012年11月17日 投稿
    http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/post-f6a4.html

 

 ★ ★ ★

 今回予定していたが、時間がなくて行けなかった史跡や博物館などを列記しておく。 

・猿石(さるいし) (明日香村): 欽明(きんめい)天皇陵と隣接する吉備姫王(きびひめのみこ)墓内にある4体の奇石。吉備姫王は、欽明天皇の孫で皇極(こうぎょく)天皇、孝徳天皇の母、天智・天武天皇の祖母。駐車場所なし。

・鬼の雪隠と俎板 (明日香村): 昔、鬼が俎板(まないた)で旅人を調理して食べ、雪隠(せっちん)で用を足したと伝説がある。実際は古墳の石室が分離したものとされている。付近の道路も狭く、車の駐車場が無いので注意。

・明日香村埋蔵文化財展示室(明日香村): 明日香村が発掘した文化財の展示室。旧飛鳥小学校の学舎だった。入館無料。「飛鳥寺」の北西400mにある。

・飛鳥宮跡: 「石舞台古墳」の近くの田園の中にある。駐車場なし。ここで大化の改新の幕が明けたという。宮は、藤原宮以降には固定化したが、天皇が代々飛鳥内で遷都したという。下の写真の出典は、ウィキメディア・コモンズ「飛鳥宮跡 石敷井戸」 。

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 以下は、月曜日休館で、残念ながら計画に入れなかったところ。

・飛鳥資料館(明日香村): 奈良文化財研究所の博物館。高松塚古墳の出土品や飛鳥の復元模型など。「飛鳥寺」の北西400mにある。

・奈良県立万葉文化館(明日香村): 『万葉集』を中心として奈良の古代文化を学べる。「亀形石造物と酒船石」の入口そば。

・奈良県立橿原考古学研究所付属博物館(橿原市畝傍町): 橿原考古学研究所が発掘した県内各地の出土品。藤の木古墳の出土品や円筒埴輪など。古代日本の歴史を目でたどることが出来る。

・橿原市藤原京資料室(橿原市縄手町): 694年に遷都された藤原京の宮跡西側にある資料室は、1/1000復元模型や出土した柱や瓦などが展示。

 

 なお、藤原宮跡の東側(橿原市木之本町)には、奈良文化財研究所の資料室があるが年中無休。下の写真は、「藤原宮跡 資料室案内」(奈良文化財研究所)から転載。

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