山の辺の道
2018/5/26(土)~28(月)、2泊3日の奈良・大和路探訪の旅。
《大和は国のまほろば、史跡が点在する奈良大和路をめぐり、古代の歴史・文化を学ぶ》
2日目の27日(日)は、「平城宮跡」(奈良市)、「法隆寺」(斑鳩町)、「山の辺の道」(桜井市)を回る。本ブロク記事「法隆寺」のつづき。
「山の辺の道」は、桜井市から天理市の山裾沿いに、南北に続く古代の道。『古事記』や『日本書紀』にも登場する「日本最古の道」と言われている。のどかな山里の道に沿って、周辺には古社寺や古墳などが多く点在する。
14:00、「法隆寺」の観光自動車駐車場を出発。県道4号線、磯城郡田原本町を経由して14:45桜井市三輪の「大神神社」の参道沿いの駐車場(無料)に到着。
この日は、何かの祭事があったのだろうか、日曜日だからいつもそうなのか、参拝客で混み合っていた。4つある駐車場も神社に近い場所は満車で、遠くの駐車場に駐める。
「三輪山」(みわやま、467m)の西麓に立つ「大神(おおみわ)神社」は、日本で最も古い神社の一つ。本殿はなく、国のまほろばと称えられる秀麗な山「三輪山」を御神体とする。別名「三輪明神」。
三輪山(神体山)と大鳥居。出典:ウィキベディアコモンズ。
「大神神社」の前を「山の辺の道」が通っている。ここから北へ、崇神(すじん)天皇陵までの4.6Kmの「山の辺の道」を散策、そこからJR柳本駅までの合計6.1Kmのハイキングを計画していたが、すでにこの時点で予定スケジュールより30分以上遅れている。
「大神神社」より250m離れて、当社の摂社である「狭井神社」(桜井市三輪)に参拝。
境内には、古代祭祀の霊地、神が鎮座するという「三輪山」(標高467m)の登拝口がある。6年前の2012年10月には、ここからお祓いをしてもらって登拝した。
少し薄暗い谷間に下りて行くが 小さな川は万葉集でも詠まれた「狭井川」なのだろうか。のどかな風景の中を歩く。6年前に来た時はもっと未舗装の道だった気がするが、だいぶ石畳などで舗装し、整備されている。
この付近で柿の木が多く見られるが、奈良は柿の産地なのだ。
のんびり歩きながら「狭井神社」より15分ほど、15:35「玄賓庵(げんぴあん)」。
ここは、9世紀ごろに桓武・嵯峨天皇に厚い信任を得ながら、俗事を嫌い三輪山麓に隠棲した玄賓僧都(そうず)の庵。僧都は、僧正に次ぐ僧の地位。
ひっそりとし た小さな寺だが、世阿弥の作と伝わる謡曲「三輪」の題材となった由緒ある古刹。「木造不動明王坐像」(重文)と大日如来の二像が安置されているが、撮影禁止。
玄賓が隠棲した庵は、山岳仏教の寺院として三輪山の檜原谷にあったが、明治時代の神仏分離により現在地へ移されたという。ここでしばし休憩。
古道らしいひっそりとした「山の辺の道」。途中何組もの夫婦連れや家族連れのハイカーに会う。
山の辺の道を進んで、谷合いから明るい尾根筋に向かう。15:55、開けた境内の「檜原(ひばら)神社」(桜井市三輪)の到着。
「檜原神社」も「大神神社」の摂社、天照大神を祀る。万葉集などに「三輪の檜原」と数多くの歌が詠まれた台地の上にある。「三輪山」をご神体とするため本殿、拝殿はない。
「檜原神社」から真西の方向、「金剛山」(標高1125m)の北に位置する「二上山」(雄岳517mと雌岳474m)を望む。手前は桜井や橿原の市街か。
境内には以下のような、「二上山」の案内板が設置されている。
「正面のラクダのコブのような形をしたトロイデ式火山が二上山です。右側の雄岳の山上には大津皇子のお墓があります。大津皇子は天武天皇の皇子でしたが、あまりにもすぐれておられたので謀反の罪を着せられ二十四歳で死を賜りました。皇子の死を悼んで、お姉さまの大伯皇女がうたった「現身の人なる吾や明日よりは二上山を弟背と吾が見む」という有名な歌が万葉集にのこっています。」
ここ檜原台地は、大和国中を一望する絶好の地。春分・秋分の日の頃には、三輪山から昇った朝日が夕方には「二上山」の雄岳と雌岳の間に沈む様子は、神々しくて幻想的だそうだ。
時間がだいぶ押して来ていている。この先の「山の辺の道」のコースを省略して、16:00頃今来た道を引き返す。
狭井神社の手前で計画に無いスポットであるが、「久延彦(くえひこ)神社」(大神神社の末社)の近くにある小山「大美和の杜展望台」に登る(16:30)。
ここから東には、ご神体「三輪山」の秀麗な姿。
西の方向は、奈良盆地が一望できる絶景の場所。春には桜の咲きほこる。
遠望では、「金剛山」(標高1125m)、「葛城山」(959m)、「二上山」(517m)、更に写真にはないが右手遠くに「生駒山」(642m)まで広く望むことができる。中景は、万葉集にも歌われた「大和三山」。近くには「大神神社」の大鳥居や桜井市内の町並み。まるで、古代人が見た風景を目の前りにする。(写真をクリックすると拡大)
なお「大和三山」は、「天香久山」(あまのかぐやま、152m)、「畝傍山」(うねびやま、199m)、「耳成山」(みみなしやま、140m)の3つの山々の総称。藤原京跡(橿原市)を囲む一辺3Kmの三角形の頂点に位置する。各山とも歴史的風土特別保存地区、国の名勝に指定されている。
16:50、「大神神社」駐車場に到着。本日宿泊先の橿原市内のホテルに向かう。
17:30、ダイワロイヤルホテル「THE KASHIHARA」(旧「橿原ロイヤルホテル」)に到着、ホテルの地下駐車場にレンタカーを入れる。このホテルは、橿原神宮前駅東口より徒歩約1分(橿原市久米町)、「橿原原神宮」へは徒歩10分の位置にある。
入浴後、ホテル近くの居酒屋「まる」で夕食。この店は、6年前に入った居酒屋「四万十」の隣の店だった。
10:15頃、就寝。旅の3日目の28日(月)は、橿原神宮と飛鳥の里を回る予定。
次は、本ブログ記事「橿原神宮と飛鳥の里」につづく。
関連ブログ記事
「三輪山と山の辺の道」 2012年11月16日 投稿
http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/post-89a1.html
★ ★ ★
午前中のスケジュールがきつくて、「山の辺の道」では時間が足りなかった。もっともガイドブックでは、桜井市のJR三輪駅から「大神神社」、天理市の「石上神宮」を経て近鉄天理駅までは、全コースは約14Km、歩行時間約3時間45分、所要時間約7時間とある。
6年前の前回(三輪山登拝も含む)も今回も、計画したコース通り行けなかった。やはり、1日たっぷり時間を見る必要がある。
今回計画して行けなかったスポットは、以下の通り。
・相撲神社(桜井市穴師): 穴師坐兵主(あなしにいますひょうず)神社の摂社。野見宿禰(のみのすくね)と當麻蹶速(たいまのけはや)が初めて天覧相撲を行ったという所。
・景行(けいこう)天皇陵(天理市渋谷町): 渋谷向山(しぶたにむこうやま)古墳は、日本武尊の父である12代目の景行(けいこう)天皇の御陵とされている。龍王山の麓の丘陵を利用した全長300mの前方後円墳。途中に田舎家の休憩処「卑弥呼庵」がある。時間があれば、立ち寄って和風コーヒー(400円)、抹茶(600円)など。
・崇神(すじん)天皇陵 (天理市柳本町): 濠をめぐらした全長242mの前方後円の行燈(あんどん)山古墳。大和政権の実質的な初代大王、第10代崇神(すじん)天皇の御陵とされている。この先に空海創建の古寺「長岳寺」(重文宝・阿弥陀三尊像、拝観料350円)が建つ。時間があれば立ち寄ってみたいところ。
ここから「山の辺の道」を外れ、JR柳本駅へ約1Km。途中「黒塚古墳」前を通過する。
・柳本駅(天理市柳本町): ここから、JR桜井線・王寺行、2駅目で、17:36三輪駅(桜井市大字三輪)。三輪駅から5分ほどの大神神社の駐車場へ戻る。
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