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2017年12月25日 (月)

谷中・根津・千駄木界隈-その1

 2011年1月29日(土)、谷中・根津・千駄木界隈を歩く。

 

 本ブログ記事は、7年前の2011年1月31日作成の「2011年新年ウォークの記録」と、2011年2月3日製作の写真集「2011年新年ウォーク 東京散歩 谷中・根津・千駄木界隈の横丁、路地裏歩き」から再構成して公開する。

 谷中・根津・千駄木界隈、通称「谷・根・千」の横丁、路地裏歩き。鴎外、漱石、光太郎など文豪が暮らした千駄木、古い民家が残る根津、70もの寺が集まる谷中を巡り、上野恩賜公園から湯島に向かう新春のウォーキング。参加者は9人。

  (写真は、クリックすると拡大表示します。)

 

① 千駄木駅

 JR西日暮里駅より地下鉄千代田線に乗換え、千駄木駅で下車。 綾瀬方向の2番出口を出る。10:37、千代田線千駄木駅の2番出口を徒歩で出発。不忍通りを北上する。

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 不忍(しのばず)通りに沿ってしばらく歩いたあと左折し、10:46「狸坂」を上る。坂の上一帯は「狸山」と呼ばれていた。

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 10:46、都指定文化財の茶室「半床庵」を通り過ぎる。

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② 高村光太郎旧居跡(10:52)

 明治45年、光太郎が設計した木造の風変わりなアトリエに住居を移し、後に智恵子と住む。昭和20年に戦災で焼失したので、花巻市に疎開。旧跡案内があるのみだが、通りかかった千駄木マダムが、跡地は自分の家だと親切に案内してくれた。

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③ 宮本百合子実家跡(10:58

 宮本百合子の実家跡。この実家で少女期と晩年を過ごした。旧姓中条ユリ。日本共産党元議長宮本顕治の妻。代表作に『播州平野』、『伸子』。昭和26年にこの地で没。

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 11:00、旧安田楠雄邸庭園をちょっとのぞいてみる。

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 大正8(1919)年に建設された近代和風建築として価値が高く、都の文化財に指定。
 財閥の安田家が住んでいたが、財団法人日本ナショナルトラストに寄贈された。

 このあと「団子坂」を横断して「藪下通り」へ。

 

④ 観潮楼跡(11:06)

 森鴎外が、明治25~大正11年の60歳で亡くなるまで30年住んでいた「観潮楼跡」。昔、東京湾まで見下ろせたという。現在「鴎外記念館」として工事中で、平成24年秋開館予定。 

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 「観潮楼跡」の歩道脇の案内板「舞について」。

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 鴎外の小説『舞姫』をイメージした天女の彫刻が歩道わきにあり。

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 「藪下通り」を下る。

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 11:16 江戸時代の屋敷森が残っている「千駄木ふれあいの杜」。太田道灌の子孫で太田摂津守の下屋敷があった。

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 藪下通りの日本医科大の高架連絡通路を抜けた。

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 文教区散歩道にあった「猫の家」を示す地図。

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 文京区散歩道から藪下通りを戻り、11:28 急な階段を上って、「猫の家」に向かう 。

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⑤ 猫の家(11:31)

  夏目漱石旧居跡。日本医科大学の敷地に碑が立っている。ここを舞台に『我輩は猫である』を執筆したので、「猫の家」と呼ばれている。英国から帰国後の明治36年から、3年10カ月住んだ。

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 家屋は、愛知県犬山市の明治村に移築されたそうだ。夏目漱石旧居跡の案内板。

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 夏目漱石旧居跡の塀の上には猫がいた。

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⑥ 聖テモテ教会(11:40)

   森鴎外の小説『青年』に出てくる「東京聖テモテ教会」。

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 聖テモテ教会の反対側は、東大の敷地。「青年の散歩道」の看板が立つ。この先に「S坂」がある。

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 11:44、S坂を下る。S坂は小説『青年』に、「割合に幅の広い此坂はSの字をぞんざいに書いたように屈曲して・・・。」と描かれ、一高の学生が「S坂」と呼んだという。

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⑦ 根津神社(11:46)

 S坂を下りるとすぐ根津神社の入口。

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 根津神社は、日本武尊が1900年近く前に創祀したと伝える古社。東京十社の一つ。立派な楼門が見える。手前は神橋。

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 根津神社境内のツツジ(左手)の名所らしい。
 
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 唐門をくぐる。

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 社殿は権現造りの傑作とされ、国重文に指定。近世の神社建築としては都内で最大規模。根津神社の社殿に到着、参拝。

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 境内の寒桜が咲いていた。

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 境内にある「つつじ苑の記」。

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 実物も文字は読みにくかった。以下抜粋する。

 「当根津神社の社地は、江戸時代もと甲府徳川綱重の下屋敷であり、当時よりつつじの名庭であった。没後五代将軍徳川綱吉は、この邸地に壮大な造営を行い、今に残る華麗な社殿、神門などを奉建、神苑には更につつじを増植し、以来この地は「つつじが岡」と称せられ実に名勝であった。昭和45年「文京つつじ会」を結んで花季には「つつじ祭」を催行、その充実と発展とに努め、往時の「つつじが岡」に勝る盛観を見るに至った。本年第十回つつじ祭開催に当り有志一同相謀り記念に本碑を建立、その由来を後昆に伝える所以である。昭和54年4月吉日 根津神社宮司 内海元撰」

 根津神社の境内にある鳥居が連なったトンネル。この先に稲荷神社がある。

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 根津神社の境内に六代将軍家宣の胎盤が納められている。ここは甲府藩徳川綱重の屋敷だった時、家宣が生まれたことに由来する。

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 根津神社をあとに、根津神社を出た後、根津教会を見て、お化け階段、異人坂を経て、不忍通りへ。根津教会が見える。

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 12:13、東大のお雇い外国人教師が通ったという「異人坂」を下る。

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⑧ 串揚げ処「はん亭」

 言問(こととい)通りを横断し、12:20串揚げ処「はん亭」の建物に到着。明治~大正に建てられた木造の3階建ての日本家屋。不安定に見えるが、関東大震災にも耐えた。

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 串揚げはん亭の玄関か。

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 串揚げはん亭の不忍通り側は、道路拡張で削られ、現代的な外装となっている。

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 不忍通り側は、道路拡張で建物の一部が削られたという。  0:05:10 

 12:30~13:10、不忍通りと言問通りとの交差点付近の蕎麦処「杉むら」で昼食。ネギ南蛮蕎麦(\800)を注文。

 ウォーキングマップ

Walkmap

 この後は、本ブログ「谷中・根津・千駄木界隈-その2」につづく。

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