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2017年12月の3件の投稿

2017年12月25日 (月)

谷中・根津・千駄木界隈-その2

 2011年1月29日(土)、谷中・根津・千駄木界隈を歩く。

 

 本ブログ記事「谷中・根津・千駄木界隈-その1」の続き。

 本ブログ記事は、7年前の2011年1月31日作成の「2011年新年ウォークの記録」と、2011年2月3日製作の写真集「2011年新年ウォーク 東京散歩 谷中・根津・千駄木界隈の横丁、路地裏歩き」から再構成して公開する。

 谷中・根津・千駄木界隈、通称「谷・根・千」の横丁、路地裏歩き。鴎外、漱石、光太郎など文豪が暮らした千駄木、古い民家が残る根津、70もの寺が集まる谷中を巡り、上野恩賜公園から湯島に向かう新春のウォーキング。参加者は9人。

  (写真は、クリックすると拡大表示します。)

 

⑨ 玉林寺(13:16)

 不忍通りと言問通りとの交差点付近の蕎麦処「杉むら」で昼食後、言問通り沿いにある曹洞宗「玉林寺」へ。

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 都の天然記念物の「大椎(シイ)の木」があるそうだ。裏の墓地の周りを探すが、確認できず。寺から家裏の細い抜け道で、ちょっと迷子になりそう。玉林寺に参拝。

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 勝山藩下屋敷跡の大名時計博物館入口をのぞく。

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 大名時計博物館、赤字坂を経て、明治38創業の染物屋「丁子屋」をのぞく。

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⑩ へび道(13:47)

 くねくね曲がった道は、今は暗渠(地下水路)になっているが、藍染川が流れ不忍池に注いだ。狭い道で自転車に注意。

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 へび道沿いの民家の庭に、黄色いフォックスフェイスの鉢植え。

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   再びお寺が並ぶ「三崎(さんさき)坂」に出る。ここで、同行者の一人と別れる。

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 三崎坂にある臨済宗の「全生庵」の前には、「山岡鉄舟墓」、「三遊亭円朝墓」、「弘田龍太郎墓・曲碑」の案内板があった。 

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 「全生庵」入口にある「山岡鉄舟墓」の案内板。

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 「全生庵」入口にある「三遊亭円朝墓」の案内板。

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 「全生庵」入口にある「弘田龍太郎墓・曲碑」の案内板。

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⑪ 観音寺築地塀(14:10)

 「観音寺」の築地塀(ついじべい)の前で 震災で一部崩壊したが戦災は免れた。築地塀は台東区の「まちかど賞」に選ばれた。

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 14:14、「蛍坂」を下る。昔この付近は「蛍沢」という蛍の名所だったそうだ。

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⑫ 岡倉天心記念公園(14:17)

 日本美術の発展に多大な貢献をした岡倉天心の邸宅と日本美術院があったところで、小さな児童公園になっている。六角堂の内部には、天心巫像が安置されている。

 下の2枚の写真は、2013/1/12撮影したもの。

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 公園では谷中キッズが遊んでいた。

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 「よみせ通り」商店街(写真下)を経て右折すると、JR日暮里駅に続く「谷中銀座」。

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⑬ 谷中銀座(17:26)

 両側に下町風情の残る庶民的なお店が並ぶ。観光客で混雑している。意外と道幅は狭い。

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 谷中銀座の「肉のすずき」はメンチカツが人気があり、行列ができていた。

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 その先に有名な「夕焼けだんだん」がある。作家・エッセイストの森まゆみが名付けた。

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 「夕焼けだんだん」を上って、谷中銀座を見下ろす。この方向の夕日が絶景だという。

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 「夕焼けだんだん」は野良猫の天国らしい。

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 階段を過ぎると、いつのまにか歩道が車道に変わる。 直進するとJR日暮里駅に続く。

⑭ 谷中初音(はつね)小路(14:39)

 谷中銀座から日暮里駅に向かう道の途中で右に折れ、左手の路地が「谷中初音小路」。古い木製のアーケードが印象的で、小さな飲食街が並ぶ。

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 奥に入って行くと行き止まりで、共同トイレがあった。   

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 工事中の「朝倉彫塑館」(彫刻・彫塑家の朝倉文夫のアトリエ跡)を通り過ぎる。
 
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⑮ 谷中墓地(14:48)

 都立の谷中霊園。徳川慶喜や鳩山一郎、横山大観、渋沢栄一など有名人が眠るという。霊園内で右折するとメイン道路のさくら通りとなる。

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 「さくら通り」からみた墓地はこんな感じ。有名人の古い大きい墓が多い。

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 途中、「下町風俗資料館」の付設展示場(旧吉田酒店)を通り過ぎる。隅田川に架かる言問橋に通じる「言問通り」を横断。

 

⑯ 東京芸術大学(15:05)

  芸大正門前を通過し、上野公園の「奏楽堂」から大噴水に通じる「芸術の散歩道」を歩く。芸大生卒業・修了制作の造形物を1年間展示しているらしいが気が付かず。

 

⑰上野恩賜公園(15:19)

 徳川家光が江戸城の北東の鬼門を封じるため、この地に寛永寺を建てた。戊辰戦争で彰義隊が立てこもり、一帯は焼け野原となったが、明治6年日本初の公園の一つに指定。

 家康、吉宗、慶喜が奉られている「上野東照宮」に行くが、残念ながら社殿は工事中だった。

 上野公園内にある「上野東照宮」の案内板。

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 上野東照宮の社殿は、工事用の防護壁を隠す巨大な写真にだまされた。

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 上野動物園の入口付近にある小松彰仁親王銅像と案内板。

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 公園内の路上で大道芸を見る。

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⑱ 不忍池(弁天堂)(15:35)

  天海大師は不忍池を琵琶湖に見立て、竹生島になぞらえて弁天島を築かせた。時間の都合で露店が並ぶ「弁天堂」前を通過。池には、一面葦ばかりが目立つ。

 

⑲ 湯島天神(15:50)

 不忍通り、春日通りを経て、湯島天神へ。

 江戸・東京の代表的な天満宮で菅原道真公を祀ってある。江戸時代、富くじでも庶民にも親しまれた。湯島天神の夫婦坂の階段を上る。

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 湯島の白梅」が咲いていた。受験シーズンで、参拝客も多く、すざましい数の合格祈願の絵馬があった。

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 湯島天神は受験生の参拝客が多い。

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 湯島天神の梅園には紅梅も 2月8日から3月8日は、梅まつり。

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⑳ 居酒屋「ふくろう亭」(16:00

  予定時刻ぴったしに到着。途中2人が都合で帰宅したので、参加者は7人。

 同行者の知人が脱サラして始めた居酒屋「ふくろう亭」で、打上げを兼ねた新年会を開く。所在地は、文京区湯島3丁目36‐3

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 ここまでの徒歩は、約20,000歩、12km。約3時間半(休憩含めず)。   

 19:35、お開き。2次会は上野広小路のカラオケ店「BIG ECHO」 で約1時間。

 21:00ころ、JR御徒町駅から帰路へ。

 ★ ★ ★

 寒い日だったが、ウオークには良い日和だった。スリーデーマーチよりも疲れたような気がするのは、都会の雑踏とコンクリートのせいだろうか。東京には、ほかにも名所・旧跡が多く、今後のテーマにも良いと思う。

 計画通りの全コースを歩き切ったが、幹事のYさんの下見が完璧なのか、記憶力がすばらしいのか、よくも細かい路地や裏道を憶えたなと感服した。歩きながら、前もって用意した私の地図を追いかけたが、いくつか分からなくなった。

 なお、この記録の記事の一部は、Yさんの計画書を引用・参考にさせていただいた。

 ウォーキングマップ

 

谷中・根津・千駄木界隈-その1

 2011年1月29日(土)、谷中・根津・千駄木界隈を歩く。

 

 本ブログ記事は、7年前の2011年1月31日作成の「2011年新年ウォークの記録」と、2011年2月3日製作の写真集「2011年新年ウォーク 東京散歩 谷中・根津・千駄木界隈の横丁、路地裏歩き」から再構成して公開する。

 谷中・根津・千駄木界隈、通称「谷・根・千」の横丁、路地裏歩き。鴎外、漱石、光太郎など文豪が暮らした千駄木、古い民家が残る根津、70もの寺が集まる谷中を巡り、上野恩賜公園から湯島に向かう新春のウォーキング。参加者は9人。

  (写真は、クリックすると拡大表示します。)

 

① 千駄木駅

 JR西日暮里駅より地下鉄千代田線に乗換え、千駄木駅で下車。 綾瀬方向の2番出口を出る。10:37、千代田線千駄木駅の2番出口を徒歩で出発。不忍通りを北上する。

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 不忍(しのばず)通りに沿ってしばらく歩いたあと左折し、10:46「狸坂」を上る。坂の上一帯は「狸山」と呼ばれていた。

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 10:46、都指定文化財の茶室「半床庵」を通り過ぎる。

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② 高村光太郎旧居跡(10:52)

 明治45年、光太郎が設計した木造の風変わりなアトリエに住居を移し、後に智恵子と住む。昭和20年に戦災で焼失したので、花巻市に疎開。旧跡案内があるのみだが、通りかかった千駄木マダムが、跡地は自分の家だと親切に案内してくれた。

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③ 宮本百合子実家跡(10:58

 宮本百合子の実家跡。この実家で少女期と晩年を過ごした。旧姓中条ユリ。日本共産党元議長宮本顕治の妻。代表作に『播州平野』、『伸子』。昭和26年にこの地で没。

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 11:00、旧安田楠雄邸庭園をちょっとのぞいてみる。

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 大正8(1919)年に建設された近代和風建築として価値が高く、都の文化財に指定。
 財閥の安田家が住んでいたが、財団法人日本ナショナルトラストに寄贈された。

 このあと「団子坂」を横断して「藪下通り」へ。

 

④ 観潮楼跡(11:06)

 森鴎外が、明治25~大正11年の60歳で亡くなるまで30年住んでいた「観潮楼跡」。昔、東京湾まで見下ろせたという。現在「鴎外記念館」として工事中で、平成24年秋開館予定。 

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 「観潮楼跡」の歩道脇の案内板「舞について」。

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 鴎外の小説『舞姫』をイメージした天女の彫刻が歩道わきにあり。

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 「藪下通り」を下る。

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 11:16 江戸時代の屋敷森が残っている「千駄木ふれあいの杜」。太田道灌の子孫で太田摂津守の下屋敷があった。

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 藪下通りの日本医科大の高架連絡通路を抜けた。

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 文教区散歩道にあった「猫の家」を示す地図。

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 文京区散歩道から藪下通りを戻り、11:28 急な階段を上って、「猫の家」に向かう 。

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⑤ 猫の家(11:31)

  夏目漱石旧居跡。日本医科大学の敷地に碑が立っている。ここを舞台に『我輩は猫である』を執筆したので、「猫の家」と呼ばれている。英国から帰国後の明治36年から、3年10カ月住んだ。

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 家屋は、愛知県犬山市の明治村に移築されたそうだ。夏目漱石旧居跡の案内板。

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 夏目漱石旧居跡の塀の上には猫がいた。

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⑥ 聖テモテ教会(11:40)

   森鴎外の小説『青年』に出てくる「東京聖テモテ教会」。

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 聖テモテ教会の反対側は、東大の敷地。「青年の散歩道」の看板が立つ。この先に「S坂」がある。

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 11:44、S坂を下る。S坂は小説『青年』に、「割合に幅の広い此坂はSの字をぞんざいに書いたように屈曲して・・・。」と描かれ、一高の学生が「S坂」と呼んだという。

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⑦ 根津神社(11:46)

 S坂を下りるとすぐ根津神社の入口。

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 根津神社は、日本武尊が1900年近く前に創祀したと伝える古社。東京十社の一つ。立派な楼門が見える。手前は神橋。

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 根津神社境内のツツジ(左手)の名所らしい。
 
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 唐門をくぐる。

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 社殿は権現造りの傑作とされ、国重文に指定。近世の神社建築としては都内で最大規模。根津神社の社殿に到着、参拝。

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 境内の寒桜が咲いていた。

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 境内にある「つつじ苑の記」。

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 実物も文字は読みにくかった。以下抜粋する。

 「当根津神社の社地は、江戸時代もと甲府徳川綱重の下屋敷であり、当時よりつつじの名庭であった。没後五代将軍徳川綱吉は、この邸地に壮大な造営を行い、今に残る華麗な社殿、神門などを奉建、神苑には更につつじを増植し、以来この地は「つつじが岡」と称せられ実に名勝であった。昭和45年「文京つつじ会」を結んで花季には「つつじ祭」を催行、その充実と発展とに努め、往時の「つつじが岡」に勝る盛観を見るに至った。本年第十回つつじ祭開催に当り有志一同相謀り記念に本碑を建立、その由来を後昆に伝える所以である。昭和54年4月吉日 根津神社宮司 内海元撰」

 根津神社の境内にある鳥居が連なったトンネル。この先に稲荷神社がある。

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 根津神社の境内に六代将軍家宣の胎盤が納められている。ここは甲府藩徳川綱重の屋敷だった時、家宣が生まれたことに由来する。

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 根津神社をあとに、根津神社を出た後、根津教会を見て、お化け階段、異人坂を経て、不忍通りへ。根津教会が見える。

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 12:13、東大のお雇い外国人教師が通ったという「異人坂」を下る。

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⑧ 串揚げ処「はん亭」

 言問(こととい)通りを横断し、12:20串揚げ処「はん亭」の建物に到着。明治~大正に建てられた木造の3階建ての日本家屋。不安定に見えるが、関東大震災にも耐えた。

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 串揚げはん亭の玄関か。

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 串揚げはん亭の不忍通り側は、道路拡張で削られ、現代的な外装となっている。

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 不忍通り側は、道路拡張で建物の一部が削られたという。  0:05:10 

 12:30~13:10、不忍通りと言問通りとの交差点付近の蕎麦処「杉むら」で昼食。ネギ南蛮蕎麦(\800)を注文。

 ウォーキングマップ

Walkmap

 この後は、本ブログ「谷中・根津・千駄木界隈-その2」につづく。

2017年12月 1日 (金)

渡良瀬遊水地と桐生川源流林

 2017年11月17日(金)、渡良瀬遊水地の夜明けと桐生川源流林の紅葉。


 未明、自宅を出発。埼玉県行田市、羽生市を経て、栃木県栃木市藤岡町の「渡良瀬遊水地」に向かう。
 
 

●渡良瀬遊水地(第一調整池北部) 5:30~7:00

 北エントランス、旧谷中村合同慰霊碑付近から土手に上がる。ここは第一調節池の北部で、ヨシ原が広がるが左手には渡良瀬カントリー倶楽部がある。

 東の方角からの日の出を待つ。

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 日の出時刻は、6:20頃。

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 ヨシ原が赤く染まる。

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 遠くに茨城県つくば市の独立峰「筑波山」(標高877m)が美しい。

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●渡良瀬遊水地(池内水路) 7:05~8:10

 渡良瀬川と並行する第一調節池の地内(ちない)水路。

 池内水路は、調節池に溜まった水を排出する水路。カモやシラサギが見える。

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 水路では、漁が行われている。

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●桐生川源流林 9:55~11:25

 渡良瀬遊水地から佐野市(栃木県)を経て県道66号線を北上、群馬県桐生市に入る。

 桐生ダムのダム湖「梅田湖」に架かる梅田大橋を渡って右折し、桐生川上流の「桐生川源流林」に向かう。細い道を3Kmほど上った所にある「梅田ふるさとセンター」で小休止。

 ここから、更に上流に向かって3Kmほどの間、渓流と紅葉のスポットを探す。

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 渓流には、いくつも滝があるらしい。ここは「千代の滝」と呼ばれる滝。

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 根本山(ねもとさん、標高1199m)より流れ出る桐生川は、桐生市街で渡良瀬川に注ぐ。 梅田湖上流の「桐生川源流林」は、桐生川に沿って周囲にモミジをはじめ、ヒノキ、ナラ、ケヤキ、スギなどの樹木が群生、「森林浴の森日本百選」にも選ばれている。澄んだ渓流には、イワナやヤマメが棲息。根本山へは、ハイキングコースとして登山道も整備されているそうだ。
 

 
●梅田ふるさとセンター 12:05~13:20

 梅田大橋を渡って、桐生川に沿って細い道を3Kmほど上ると、「梅田ふるさとセンター」(桐生市梅田町五丁目)がある。

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 店内に入ると、地元の新鮮野菜やふるさと饅頭など特産品、おみやげなどが並ぶ。オリジナルの手打ち蕎麦やうどんが、おいしいとか。平日だが昼時で、館内は混み合っている。

 天もりそば850円を注文。

 13:20、センターを出て桐生市街、群馬県太田市を経て、帰路へ。
 
 

 ★ ★ ★

 「梅田村」は、群馬県の東部、栃木県と境を接し山田郡に属していたが、1954年(昭和29年)に桐生市に編入され、新たに桐生市梅田町となった。

 根本山を水源とする桐生川は、忍山川や高沢川などの支流と合流しながら梅田町内を南に、更には桐生市街地に流れている。桐生川下流域の町内南部が梅田町一丁目、川を遡るにつれて、二・三・四・五丁目となる。町域のほとんどが山地で占められており、根本山や鳴神山(なるかみやま、980m)など、足尾山地の山々が連なる。
 

 「渡良瀬遊水地」については、本ブログの次の関連記事を参照。

  「渡良瀬遊水地ウォーク」  2016/06/29 投稿
   http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2016/06/post-6b27.html

  「渡良瀬遊水地」 2014/03/28 投稿
   http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2014/03/post-6b27.html

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