宮崎県高千穂町
2017年11月24日(火)、神話と伝説の町・宮崎県西臼杵郡高千穂町へ行く。
本ブログ記事「延岡市北浦町と北川町」(2017/11/16投稿)の続き。
http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2017/11/post-6a14.html
11月23日(月)、「ホテルメリュージュ延岡」(延岡市紺屋町)に宿泊。翌日24日(火)8:00、貸切バスは参加者20名を乗せホテルを出発。延岡市北方町、西臼杵郡日之影町の国道218号線を走り、高千穂町に向かう。
●天岩戸神社 9:00~9:25
8:55、バスは「天岩戸神社」(西本宮)前の駐車場に到着。
「天岩戸神社」は、古事記・日本書紀に書かれている天照御大神(あまてらすおおみかみ)の天岩戸伝説の舞台となった場所。岩戸川を挟んで西本宮と東本宮が鎮座し、両社とも天照大御神を祭神とする。川上には、八百萬(やおよろず)の神々が集まり相談したという「天安河原(あまのやすがわら)」がある。
天岩戸神社の入口、「ひむか神話街道」の案内板の横に、現代的な顔をした「アマテラスオオミカミ(天照御大神)」の像があった。銘板には、提供:米良電気産業株式会社とある。
天岩戸神社西本宮の入口。(写真の出典:ウィキメディア・コモンズ)
鳥居をくぐってすぐ参道右手に、何故か松尾芭蕉の句碑がある。「梅が香に のっと日の出る 山路哉 はせを」
苔むした古い碑だが、芭蕉がここに来たはずはない。説明板には、「俳聖松尾芭蕉の句集『炭俵』の中になじみ深い句で、まさに高千穂地方早春の光景そのものです」とある。「はせを」は芭蕉の古い表記で、現代では「ばしょう」と読む。
建立されたのは安政2年(1855年)。大勢の門人達がここで句会を開き、その記念にこの地にふさわしそうな芭蕉の句を選んで建立したという。しかしこの名句は、高千穂でなくてもどこの場所にも当てはまるような気がするが。
参道にある案内板を見るとわかるように、岩戸川を挟んで東本宮と西本宮がある。西本宮のちょうど対岸に「天岩戸」、上流に「天安原宮」がある。(クリックすると拡大表示します。)
御神木の「おがたま(招霊)の木」。モクレン科で常緑樹。
「おがたまの木」は、その枝を手に天鈿女命(あまのうずめのみこと)が岩戸の前で踊ったとされ、その時の踊り(舞)が現在の神楽、枝が神楽鈴(巫女が持つ鈴)の原点ともされる。4月頃白い花が開花、秋に房状の実を結ぶ。花は、常陸宮家の御紋章。
右手の神門をくぐり、拝殿に向かう。
拝殿に参拝。この拝殿のちょうど背後に当たる場所に、「天岩戸」洞窟の遥拝所がある。
参拝後、拝殿前で神職の方にお祓いをしてもらう。拝殿の右手にある扉の先は、聖域になっていて残念ながら写真撮影禁止。
神職が扉を開き、後に付いて通路を歩くと、遥拝所がある。川の対岸に樹木に覆われて見えないが、天照大御神がお隠れになったという「天岩戸」の洞窟がある。洞窟には誰も立ち入ったことが無く、入口は崖崩れで埋まっているとのこと。御神体の岩戸に向かって手を合わせる。
今回は行けなかったが、西本宮から岩戸川に沿って徒歩約10分(約500m)で「天安河原」と呼ばれる河原に着く。その中心にある洞窟に「天安河原宮」がある。(写真の出典:ウィキメディア・コモンズ)
天照大御神が「天岩戸」にお隠れになったので、八百萬の神々は「天安河原」に集まって相談した末、この洞窟の前で宴会を開くことになる。河原には、ケルンのように積み重ねられた石が多数ある。近年、石を積み重ねて祈願すると、願い事が叶うとされるようになったという。
「天岩戸神社」入り口まで戻って、駐車場に 「天岩戸」をこじ開けた手力男命(たぢからおのみこと)の像があった。天岩戸神楽30番で、手力男命が岩の戸を取り払う舞だそうだ。
●高千穂あまてらす鉄道 9:55~10:35
かつて宮崎県北部で旧国鉄高千穂線を継承して運営していた第三セクターの「高千穂鉄道株式会社」の高千穂線は、2005年(平成17年)の台風により甚大な被害を受け、復旧することなく全線廃線となった。
「高千穂あまてらす鉄道株式会社」は、同線を引き継いで運営する計画で設立された会社。現在その線路の一部を活用して、スーパーカートによる高千穂駅~高千穂橋梁の往復5.1Km、30分の観光トロッコ列車を運行している。
高千穂あまてらす鉄道のチラシ。田園風景や絶景スポットを楽しめる、高千穂観光の最近の目玉となっているそうだ。(写真のダブルクリックで拡大表示します。)
ホームの左手のブルーシートの下に、白とピンク色のグランド・スーパーカートが停車。
グランド・スーパーカートは、2017年(平成29年)3月から運行開始した。2500㏄のディーゼルエンジンを搭載が動力車2台が、30人乗りの客車(トロッコ列車)を牽引する。
午前10:00から40分おきに10便が往復運行。毎週木曜と悪天候の場合は運休となる。
発車してしばらく走ると、トンネル。天井のイルミネーションに歓声が上がる。
二つ目のトンネルを抜け、国道218号線を横切った後の進行方向右側の風景。田園風景と県道7号線のカーブ。写真左手に、岩戸川に架かる国道218号の「雲海橋」。
木々のトンネルを走る。
天岩戸駅を通過する。
天岩戸駅を過ぎると、列車は岩戸川の渓谷に架かる高千穂橋梁の前で停止。運転手は風の状態を確認し、長さ525.5mの橋梁を渡り始める。
客車の床の中心部には強化ガラスの床が設置、走り過ぎる線路の様子や高千穂橋梁の最高地点(105m)での直下で停止して眺めを楽しむ。
水面からの高さ105mは、鉄道橋梁としては日本一の高さを誇る。完成は1972年(昭和47年)。真下を流れる岩戸川を、おそるおそる覗き込む。
岩戸川の下流に架かる1975年(昭和50年)竣工の「雲海橋」。橋のたもとに道の駅がある。
岩戸川の上流に架かる県道237号線(旧国道218号線)の「鹿狩戸橋(かがりどばし)」。
橋梁を先に進むとフェンスで覆われたトンネルがある。このトンネルの全長は3kmもあり、今のところ通行が許可されていない。ここが折り返し点。
運転手は旧高千穂鉄道に勤務されていたのだろうか、車内から絶景ポイントや高千穂鉄道の歴史などを案内してくれる。鉄橋の上でしばらく停車して、周囲に広がる絶景やガラス床から直下の眺め楽しませ、シャボン玉を飛ばすなど、お客さんを喜ばそうと努力されている。
当初は軽トラックを改造したスーパーカートで、トロッコをけん引していたそうだ。最大で18人乗り、現在も不定期で運行しているという。SL型のほか、新幹線型などがある。
旧高千穂鉄道で使用していたディゼルカー TR-202の運転体験が、元鉄道運転手の指導のもとでできるそうだ。料金は、1人30分で10,000円。
旧高千穂鉄道の廃線を受けて、駅舎や線路を活用して未来にその鉄道遺産を伝え、地域の文化や経済活性化のための「まちおこし」に取り組む「高千穂あまてらす鉄道」の努力に敬意を表したい。
●高千穂峡 10:45~11:50
高千穂峡(五ヶ瀬川峡谷)は、延岡市に注ぐ五ヶ瀬川の上流にある。日本の滝百選で有名な「真名井の滝」付近の峡谷。台風21号の影響で増水のためか、貸しボートの利用は中止されていた。
阿蘇の火山活動によって、約12万年前と約9万年前の2回に噴出した火砕流が、五ヶ瀬川の峡谷沿いに流れ下った。この火砕流の堆積物が冷却・固結し柱状節理となった岩層を、五ヶ瀬川の侵食によって長い年月をかけて谷底深く削り、再びV字峡谷となった。高さ80~100mにも達する断崖が、7kmにわたり続く。
1934年(昭和9年)に国の名勝、天然記念物に指定され、日本を代表する景勝地の一つとして知られるようになった。1965年(昭和40年)には「祖母傾国定公園」に指定。
峡谷に沿って遊歩道が整備されており、上流に向かって進むと荒々しい柱状節理をはっきりと見ることができる。写真の右上には、変形した柱状節理も見られる。
更に遊歩道を進み「槍飛橋(やりとびばし)」を渡る。高千穂峡を跨ぐ平成・昭和・大正の「三代橋」と呼ばれる橋が並ぶ。上から国道218号バイパスが通る鋼鉄造りの「神都高千穂大橋」(平成15年完成)、コンクリート造りの「高千穂大橋」(昭和30年完成)、大正時代の石橋の「神橋(しんばし)」。
「神橋」から上流側の「神都高千穂大橋」を望む。
「神橋」の東たもとから更に上流へ遊歩道を通って「高千穂神社」へ行けるが、下流に向かう遊歩道を歩き、元の真名井の滝付近の「御橋(みはし)」に戻る。
なお「高千穂神社」は、日本神話のニニギノミコト以下の日向三代皇祖神を祀り、源頼朝が天下泰平祈願のために畠山重忠を代参に派遣して多くの神宝を奉納したと伝えられている。
「御橋」付近に戻り、釣り堀もあるおみやげ屋で休憩。
ここには、若山牧水の歌碑がある。「幾山河 越えさりゆかば寂しさの はてなむ国ぞけふも旅行く」
説明板によると、「牧水は明治18年宮崎県東郷町に生まれ、延岡中学を経て早稲田大学に入学した。この歌は牧水が22歳上京以来三度目の帰省の途中、帰路中国地方を回って帰郷した時の歌で、処女歌集「海の声」に掲載されている。北原白秋とは早稲田大学時代、級友として親交がある。昭和38年4月建立。 」
すぐ近くに1941年(昭和16年)3月に来町してこの地で詠んだ北原白秋の歌碑(1949年(昭和24年)11月建立)もある。
11:50、高千穂峡を後にして、延岡へ。
●道の駅「北方よっちみろ屋」 12:35~12:45
延岡市北方町、国道218号の道の駅。九州中央道の出入り口と国道218号線との交差点に隣接している。「よっちみろ屋に寄っちみろや」というネーミングがおもしろい。
延岡市街地に入り、昼食に名物の鮎料理を食べに行く。
●鮎の炭火塩焼き 13:05~14:00
延岡市の大瀬川(一級河川の五ヶ瀬川水系)に架かる大瀬大橋の付近、300年の伝統があるという「延岡水郷鮎やな」。向うに見える山は、愛宕山。
一昨日、日向灘を通過した台風21号の影響か、鮎やなは河原に撤去してあった。
鮎やな近くの堤防にある「あゆ処 国技館」(延岡市大貫町)に入店。
昼セットA(鮎の塩焼き2尾、鮎飯、赤だし、なます、お新香など)は、1,900円。
骨の抜き方を教わって、焼きたての鮎を始めて食べる。旅館で塩焼きの鮎を食べたことはあったが、炭火で焼きたての鮎は初めてで、ホクホクしたでとても美味しい。
14:10「ホテルメリュージュ延岡」に戻り、14:40ホテルを出発、宮崎へ。
★ ★ ★
高千穂を舞台にした天岩戸伝説のあらましは、次のようである。
天照大御神は、弟の須佐之男命(すさのおのみこと)が大変な乱暴者で、あまりにひどいいたずらにお怒りになり、天岩戸と呼ばれる洞窟にお隠れになった。太陽の神が隠れると天地は真っ暗になり、さまざまな禍(わざわい)が起こり始めた。
八百萬の神々は「天安河原」に集まって相談した末、岩屋の前で宴会を開くことにした。芸達者の天鈿女命(あめのうずめのみこと)が賑やかに舞い踊り、そのおかしな踊りに皆笑い転げる。その騒ぎに何事かと、天照大御神が天岩戸の扉を少し開いたところ、手力雄命(たじからのみこと)が岩戸を開いて扉を投げ飛ばし、天照大御神は天岩戸から出ていただいた。天地は再び明るくなり、平和が戻った。
須佐之男命はその後反省して出雲国に行き、八俣大蛇(やまたのおろち)を退治された。岩戸神楽の中では、この話の神楽歌が歌われている。また、手力男命が放り投げた岩戸の扉は、宙を舞い信州の戸隠山(とがくしやま)へ落ちたと伝えられる。
天孫降臨伝説もそうだが、天岩戸伝説は天上界の出来事であって、地上のことではない。しかし「ここが天岩戸である」とする場所や神社は、全国に何十ヶ所もある。高千穂はその中でも、日本神話に出てくる伝説や地名が多くあることで知られる。
「天岩戸神社」の東本宮と西本宮は、元来は独立した別の社であった。西本宮は「天磐戸」と呼ばれ、古来からご神体の天岩戸の洞窟を拝む遥拝所だったようだ。東本宮は、「岩社 岩神」または「氏社」であって、天岩戸からお出ましになった天照大御神を祀っていた。皇祖神をを祀るとはいえ、朝廷の国家的な祭祀ではなく、地元を治める氏族や住民の信仰であった。1871年(明治4年)、それぞれは「天磐戸神社」と「氏神社」と改称、その後1970年(昭和45年)に両社が合併、現在の「天岩戸神社」の東西本宮を称するようになった。
現在、一般的に「天岩戸神社」と呼ばれ参拝客が多く訪れるのは西本宮で、社務所は西本宮に置かれている。しかし西本宮は本殿が無く、歴史的には遥拝所だった。信仰の中心は、むしろ天照大御神を祀って来た東本宮であったと考えられている。
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投稿: Trip-Partner | 2020年1月13日 (月) 19時24分