紅葉の志賀高原-その2
2017年10月13日(金、上信国境の渋峠を経て、草津白根山と志賀高原の紅葉を観に行く。
本ブログ記事「紅葉の志賀高原-その1」の続き。
7:00、最寄りの駅前からマイクロバスで出発。参加者14名。あいにく朝から雨だが、昼頃には止むとの予報。
8:07、関越道の渋川伊香保ICを出て、国道353号を走る。中之条町から利根川支流の吾妻川に沿った国道145号線を西に進み、「道の駅 八ッ場(やんば)ふるさと館」で休憩。
写真は、「道の駅 八ッ場ふるさと館」。ウィキメディアコモンより転載。
道の駅は、渋川伊香保ICからおよそ1時間、長野原町の国道145号線八ッ場バイパスと県道375号線の「不動大橋」(湖面2号橋)との林交差点に位置し、JR川原湯温泉駅から西へ3Kmのところにある。2013年4月に開館した。
レストランには「八ッ場ダムカレー」というメニューがあった。ダムの形を模したカレーは、どこかにもあった。しかし館内のヤマザキショップ(コンビニ)には、「八ッ場ダムカレーパン」(180円)という珍しいパンがあって、一番人気だそうだ。カレーとホワイトソースをチーズ(ダム)で仕切ってある。
長野原から国道292号で草津に向かい、10:10草津白根山レストハウス駐車場に着く。
●草津白根山 10:10~11:10
山頂付近には「湯釜」、「水釜」、「涸釜」と呼ばれている複数の火口湖がある。そのうち「湯釜(ゆがま」)が一番大きく直径約300m、水深約30m、水温約18℃の火口湖である。写真は、ウィキメディアコモンより転載。
登山道入口付近(写真右手)からは、湯釜や展望台らしきものは見えない。昔、駐車場から10~15分くらいかけて火口の縁まで登って、エメラルドグリーンの湯釜を見たことがあったが、現在は500m圏内の立ち入り規制により登山を禁止されている。
駐車場の西側に遊歩道(写真左手)があり、「湯釜西側展望台」までは距離が長くなっているが、徒歩で15~20分で登れるそうだ。見上げると、湯釜見学に登る人たちが写真左手に小さく見える。
湯釜の見学をあきらめ、雨の中をカッパを着て国道の南麓にある「弓池園地」をめぐる。
この弓池も(明治35)の噴火で出来た火口湖だそうだ。今では、池と平らな湿原になっている。
●平床(ひらとこ) 10:40~12:00
志賀高原の平床に着く頃には、雨が止む。
山にかかる霧も次第に晴れてくる。晴れの日と違って、白樺の紅葉もしっとり。
●木戸池 12:05~12:15
木戸池は、白樺やダケカンバに囲まれた池。また雨がシトシト降り出す。
●蓮池 12:35~13:15
雨は完全に止む。蓮池の前にある建物は、「志賀レークホテル」。池には、ヒツジクサ(羊草、スイレン科)が浮かぶ。昨年見た時よりも、水が少なくなっている。
ホテルの対岸に、総合会館98バス停のある「志賀高原 山の駅」がある。
この山の駅は、2011年に廃線となった「志賀高原ロープウェイ」の発着場「蓮池駅」だった。ロープウェイ搬器が今でも施設内に展示されている。休憩、食事、おみやげ、スキーやトレッキングウェアのレンタルなどの複合施設となっている。昭和のなつかしい紙芝居も展示してあった。
施設内の「山の食堂1959」で昼食。志賀高原では、良質な根曲り竹が自生するという。根曲り竹定食(1,150円)を注文。タケノコとはまた違う食感を味わう。
(写真は、志賀高原リゾート開発株式会社のHPから転載)
レストランの窓や駐車場から北東の方向、霧がかかる東館山(ひがしたてやま、左手、1994m)と寺子屋峰(右手、2125m)の中腹の紅葉を見る。この辺りは発哺(ほっぽ)温泉のホテルやスキー場があり、かつてはここ蓮池駅からのロープウェイの発哺温泉駅があった。中央の山は、岩菅山(いわすげやま、2295m)か。
●一沼 13:20~14:15
「丸池」の近くにある大駐車場に車を停め、ヒツジグサのが浮かぶ「一沼」へ。
雨は止んでいるが、沼には霧がただよう。
大駐車場の周囲の紅葉も素晴らしい。
●澗満滝(かんまんたき) 14:20~14:40
澗満滝展望台に行ってみると濃い霧で、遠望できた滝は全く見えずがっかり。
展望台への紅葉の林の中に、炭焼き小屋がある。木炭と木酢酢も販売されてた。
「財団法人和合会」による説明板が立っていた。志賀高原一帯は、昔から沓野(くつの)地区(山ノ内町)の入会地で、白箸、木炭、竹細工に用いる根曲り竹、用材、薪(たきぎ)、干し草などが生産されていた。特に木炭の生産は盛んだったが、終戦後に林業から観光業に移行した。現在忘れられようとしている炭焼き小屋と炭焼きガマを、区民の手によって復元した・・・とある。和合会は、志賀高原の大部分の土地の所有者だそうだ。
●小野りんご園 15:00~15:15
国道292号線沿いの、中野市のりんご園に寄るころには、青空が出て来た。
上信越道の信州中野ICから帰路へ、途中の横川サービスエリアに寄って「峠の釜めし」(1000円)を買って帰る。
18:05、最寄駅前に到着。18:45、自宅着。
★ ★ ★
気象庁は過去に何度か、活火山である草津白根山の噴火警報・予報を発表し、その都度地元の自治体はそれに対応した規制を行ってきた。
2014年6月気象庁は、火山性地震などの火山活動の活発化の兆候が現れたため、噴火警戒レベルを火口周辺規制の「レベル2」に引き上げた。これを受け、群馬県は付近の国道292号8.5Kmを通行止めにし、草津町と嬬恋村は登山道の一部を立ち入り禁止とした。
その後2014年6月に規制が緩和され、日中に限り国道292号の通行は可能になったが、途中山頂の半径1キロ以内を走る2.5Kmの区間は駐停車禁止、草津白根山レストハウスや駐車場は閉鎖された。
2017年6月には火山活動の低下により、活火山であることに留意する「レベル1」に引き下げられ、立ち入り規制が湯釜火口の1キロ圏内から500m圏内に緩和された。これを受け国道292号の規制が解除され、駐車場とレストハウスの営業も再開された。
★ ★ ★
八ッ場(やんば)ダムは、利根川の主要支流である吾妻川の中流域、群馬県吾妻郡長野原町に建設が進められている多目的ダム。現在の完成予定は、2020年(平成32年)。
吾妻川流域の多目的ダム建設計画は、建設省によって東京及び利根川流域の水害を守るため、1952年(昭和27年)に発表された。その後、吾妻川の酸性問題で一時立ち消えになったが、1964年(昭和39年)に水質改善が可能となりダム問題が再燃。この間首都圏の水需要に対応するため計画規模を拡大、利根川水系最大規模の矢木沢ダム、下久保ダムに次ぐ1億トン級規模のダムとして、1967年(昭和42年)現在の地点に建設を決定した。
だが計画発表以降、水没地域である長野原町において反対運動が起きた。地元の人々は長い間ダム反対の姿勢を崩さなかったが、日々続く抗議運動は精神的・肉体的にも大変な苦しみであった。やがて高額な補償金を示され、疲れ果てた人々はダム建設を容認せざるをえなくなったり、地元を離れる人も相次いだ。
1986年(昭和61年)、「八ッ場ダムの建設に関する基本計画」が2000年(平成12年)の事業工期として策定。その後2008年(平成20年)までの3回の計画変更で、建設目的や工期変更で、最終的には工期が2010年(平成22年)まで延長、総事業費が2,110億円から4,600億円に増額された。
1994年(平成6年)、建設省は付帯工事に着手した。国道145号線が水没して集落がダム湖で分断されるため、湖岸となる地区に国道145号八ッ場バイパスを建設、県道の3線とJR吾妻線の付替線が建設され、2014年(平成26年)10月までにほぼ完成した。両岸を結ぶ橋として、八ッ場大橋(湖面1号橋)が2014年(平成26年)10月開通、不動大橋(湖面2号橋)が2011年(平成23年)4月に開通した。
写真は、建設中の八ッ場ダム湖面2号橋(不動大橋、2009年9月撮影)。ウィキベディアコモンズより転載。
民主党政権下で八ツ場ダム建設中止の発表で、建設中の八ツ場ダム湖面2号橋は頻繁にテレビに登場し、すっかり有名になった。
2011年4月に開通した不動大橋(2012年12月撮影)。ウィキベディアコモンズより転載。
衆議院選で民主党が圧勝し、2009年(平成21年)9月の政権交代による影響を受け、ダム本体工事の入札が延期された。民主党はマニフェストで、「川辺川ダム、八ツ場ダムは中止。時代に合わない国の大型直轄事業は全面的に見直す。」としたことを受け、鳩山内閣の前原国土交通大臣は、八ッ場ダムの事業中止を表明した。
国の突然の方向転換に対し、長年にわたり国との対立の末に苦渋の決断を下して、代替地転居と事業完成を待っていた地元の人々は、大きく反発した。事業資金の一部を負担した東京、群馬、埼玉、千葉、茨城、栃木の各都県知事からも、建設中止に対する批判や負担金返還の声が上がった。
2011年(平成23年)9月野田内閣が発足、新入閣の前田国交大臣(建設省河川局OB)は、八ツ場ダムの建設再開を表明、建設予定地の長野原でこれまでの混乱を謝罪した。また当面凍結されていた高速道路の一部区間や整備新幹線などの大型公共事業の再開も次々と決定した。
2012年(平成24年)12月、自民党政権の第2次安倍内閣が発足する。国土交通省は2014年(平成26年)8月、本体工事を清水建設など3社のジョイントベンチャー(JV)が一般競争入札で落札したと発表。2019年度(平成31年度)の完成を目指し、本体工事を2015年(平成27年)1月に開始した。
建設中の八ッ場ダム(2017年5月撮影)。ウィキベディアコモンズより転載。
一時は公共事業を再評価し、いくつかの無駄なダム計画が中止された。しかし政府や関係自治体は、八ッ場ダムは利水の面で開発単価が安い、利根川全体の治水対策の中で吾妻川流域の豪雨への備え、水資源の需要はまだ十分ではないとして、ダム推進の立場をとっている。それに対して首都圏の水需要の減少予測、洪水対策は堤防の強化で十分なこと、建設による自然破壊などを理由に、八ッ場ダム建設に批判的な意見はいまだに少なくはない。
一方公共事業では、国交省からの公益法人と企業への天下り、競走入札を行わない不明朗な随意契約、不適正な予算規模、政治家・官僚・業者の癒着などの問題も指摘されている。
何十年も論争が続き、完成した今でも国や賛成派と反対派が裁判で争っている長崎県の「諫早湾干拓事業」は、失敗した大型公共事業の事例であろう。国の大型事業は、いったん計画が走り始めたら、高度経済成長が終わっても、時代が変わっても、取り巻く条件が変わっても、止まらない。八ッ場ダムは、いったい何だったのだろうか。
政・官・業の癒着やしがらみ、国民の税金の無駄遣いに対して、民主党の公共事業を見直すマニュフェストに期待をした。しかし、政権交代すると、その政策が迷走してしまったのは残念だった。原子力発電も巨大なダム建設もしかり、公共事業の失敗事例は、子供や孫の世代の未来に負の遺産を残す。
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写真が素晴らしい
投稿: MARI | 2017年12月17日 (日) 20時02分