延岡市北浦町と北川町
2017年10月23日(月)、宮崎県延岡市に行く。
前日22日(日)は宮崎への移動日、台風21号が接近している。
九州への上陸はなさそうだが、沖縄・九州の東岸沖を通過するため、羽田空港発の宮崎空港行は始発便から午前中の便は欠航となった。
搭乗予定だった羽田空港12:00発宮崎空港行きのソラシドエア057便も欠航。空席のあった17:05発の同061便を仮予約して、出発ロビーで待機する。
16時頃になって061便は、羽田に引き返すまたは福岡空港着陸の条件付きで運行することになり、20分遅れの19:05、無事宮崎空港に到着。この日、延岡市内で宿泊の予定を変更して、宮崎市内のホテル「東横イン」に宿泊。
台風21号は去ったが、23日(月)の午前中に延岡北浦町で予定していた「宮野浦八十八ヶ所巡り」(詳細は後述)のハイキングは中止となった。
午前9時頃宮崎を出発、11:35延岡市内の「ホテルメリュージュ延岡」前で友人らと合流。
延岡市の北部・北浦町の「道の駅北浦」に一緒に行く。
●道の駅北浦(12:05~13:25)
国道388号線を車で北上、約30分で到着。
「道の駅北浦」(延岡市北浦町古江)は、日豊海岸国定公園内の国道388号沿い、「下阿蘇ビーチリゾート浜木綿村」の中にある。キャンプ場、常設テントやケビンと呼ぶ宿泊施設、オートキャンプ場、河川プール、アウトドアやマリンスポーツなどのレジャー・スポーツ施設がある。
道の駅の手前に下阿蘇ビーチが広がり、砂浜の向うは日向灘、島浦島(しまうらとう、または島野浦島)が浮かぶ。
正面が、約4Km沖にある島浦島。有人島で、町名は延岡市島浦町。
昔、この地域で塩づくり(揚浜式塩田)が行われていて、塩田と製塩所には「塩の資料館」が併設されているそうだ。北浦の名産品として、「月の塩」が販売されている。
道の駅の「海のレストラン海鮮館」で昼食。北浦で水揚げされるという旬の活魚「刺身定食」1,680円と地元特産の「あげみ」を単品で頂く。
漁師たちが定置網漁や底引き網漁で水揚げした大物や状態の良い魚種は市場へと流れ、「あげみ」は残った雑魚をムダにすることなく、家庭で魚のすりみを揚げたもの。
鹿児島の「さつまあげ」、宮崎では県南・飫肥の「おび天」、県北は「あげみ」。前者は砂糖や黒砂糖を使っているのに対して、延岡の「あげみ」は、砂糖を使わずに塩味に仕上げているそうだ。ふわふわの食感で、風味もいいし美味しい。刺身もコリコリとした食感で新鮮。
●西郷隆盛宿陣跡資料館(13:50~14:20)
東九州自動車道(無料区間)の北川ICから車で5分、延岡市北川町の「西郷隆盛宿陣跡資料館」(延岡市北川町長井俵野)を見学。
西南戦争で、北川町の俵野で薩軍最後の宿陣となった旧児玉熊四郎邸は、1933年(昭和8年)に史跡として県指定を受ける。現在は、「西郷隆盛宿陣跡資料館」として資料館として整備され、西郷隆盛ゆかりの遺品や戦争資料が展示されている。入場料:無料。
西郷が、重要書類と共にここで焼いたとされる日本で一着しかなかった陸軍大将の軍服(複製)。
来年2018年のNHK大河ドラマは、「西郷どん」が放送予定。
可愛岳(えのだけ)のふもとに位置しているこの地は、神話・天孫降臨のニニギノミコト(瓊瓊杵尊、天照大御神の孫、神武天皇の曽祖父)が葬られた地として古くから伝えられ、宮内庁の「御陵墓参考地」として治定されている。写真中央に鳥居があり、その先に陵墓があるそうだ。
資料館には、ニニギノミコト御陵墓の写真があった。
西郷隆盛が西南戦争においてこの地に宿陣した最大の理由は、この裏手に陵墓があるので、天皇の祖が眠る地に官軍が鉄砲や大砲を打つことが出来ないと考えたとされる。可愛岳(えのだけ)は、天孫ニニギノミコトと西郷が時空を超えた出会いによって、鹿児島まで帰ることが成功した「出会いの聖地」とされている。
なお、ニニギノミコトの埋葬地「可愛山稜(えのさんりょう)」は、ここ宮崎県延岡市北川町、鹿児島県薩摩川内市の新田神社、宮崎県西都原市古墳群のほか、南九州の各地にに言い伝えがあるという。
14:40、今晩宿泊する予定の「ホテルメリュージュ延岡」に到着、チェックイン。
17:25頃、ホテルの前の五ヶ瀬橋から五ヶ瀬川の夕日を眺める。
18:00~20:30、「ホテルメリュージュ延岡」のパーティルームで、懇親会(参加者20名)。
翌日は、高千穂観光の予定。
★★★
■北浦町と北川町
北浦町は宮崎県の最北東部に位置し、東臼杵郡におかれていた町。日向灘に面した東側には、リアス式海岸が形成されていて「日向松島」と呼ばれている。2006年2月に延岡市へ編入された。
北川町は、宮崎県の最北部に位置し、東臼杵郡におかれていた町。2007年3月、延岡市に編入された。両町は、大分県と接する。
■台風21号
10月16日に西太平洋のカロリン諸島で発生した台風21号は、発達しながら日本列島に向かって北上。20日(金)、2015年(平成27年)の台風第23号以来となる半径800Km以上の強風域を持つ「超大型」台風となった。さらに21日(土)午前7時時点では、中心付近の最大風速が44 m/s以上の「超大型で非常に強い勢力」の台風に成長した。
沖縄・九州、四国、近畿や東海地方を暴風域に巻き込みながら、速度を上げて東海沖に進んだ。その後も勢力を維持したまま北上を続け、23日(月)午前3時頃には静岡県御前崎市付近に上陸。上陸時の中心気圧は950hPa、最大風速は40m/s。本州の広い範囲を暴風域とし、神奈川県、東京都、関東地方を通過した。
23日(月)8時頃には茨城県日立市沖に抜け、15時頃は北海道の東の海上で温帯低気圧となった。台風は北から寒気を引き込んだため、23日は北海道で広く雪が降った。なお、「超大型」での上陸は、1991年(平成3年)以降初めてのことだそうだ。
台風の影響で各地で暴風、また前線の活動が活発化して大雨が各地で長時間続いた。飛行機の欠航や列車の運転見合わせが相次ぎ、交通機関は大きく混乱。22日(日)は、衆院選投票日だったが、投票率にも影響を与えたようだ。離島などの一部地域においては、繰り上げ投票が実施。また、京都で毎年10月22日に行われている「時代祭」は29年ぶりに中止されたほか、各地で祭りやイベントが中止または延期された。
■宮野浦八十八ヶ所巡り
宮野浦は、延岡市の海岸沿いの北端にある半島、北浦町古江のそばの漁港である。現在では、延岡市街から車で30分。
江戸時代後期、宮野浦地区で疫病や火災が頻繁に起こったことから、当時京阪地方との交易で莫大な富を得た宮野浦の中野忠之丞の発願で、「四国霊場八十八ヶ所」の勧請が行われた。1819年(文政 2年)に、四国八十八ヶ所の土と、延岡で刻んだ八十八体の石仏を船で搬入したと伝えられている。
一方、延岡藩内藤家文書によると、石仏の設置については、忠之丞ではなく中野忠五郎という人物で、設置した年は1826年(文政9年)とされている。
「宮野浦八十八ヶ所大師祭り」が、毎年旧暦の3月21日に開催されるという。この「お大師さん」の日には、地区をあげて子どもから大人まで幅広い年齢層が参加し、巡拝する。一番札所から八十八番札所までは、約12km。参拝路は、地元の人たちの手で整備されていて歩きやすく、道のりは約4時間程度。途中6~7カ所で、赤飯やお茶・菓子などがふるまわれるそうだ。
俗に「お大師さま」というときは、弘法大師(空海)を指す。そういえば全国各地の「大師祭」は、弘法大師の命日である旧暦3月21日に開催されるというのに気づいた。
「延岡大師祭(今山大師祭)」も、弘法大師の命日に五穀豊穣、家内安全を願った春祭りが始まりでありとされるそうだ。現在は九州三大春祭りのひとつといわれ、地元では「おだいっさん」と呼ばれて、4月中旬の金~日曜の3日間、延岡市街を中心に開催されている。
■西南戦争
1877年(明治10年)、征韓論に敗れて鹿児島に帰った西郷隆盛を盟主に、士族による武力反乱「西南戦争」が勃発。薩軍は、熊本城を包囲したが落とせず、北上。熊本城への幹線道だった「田原坂」(熊本県植木町)で官軍(政府軍)と激突、死闘が繰り広げられた。物量で劣る薩軍は耐えられず、総退却。人吉、都城、宮崎、延岡へと敗走した。
旧児玉熊四郎邸は、延岡の「和田越の決戦」に大敗北を喫した西郷軍が、北川に逃れた際に立ち寄ったゆかりの家。北川町の俵野に宿陣をはった西郷は、ついに薩軍解散の命を出し、明治天皇から拝領した陸軍大将の軍服を裏庭で焼いたとされる。
その後、可愛岳(えのだけ)突破を敢行して南進。鹿児島に辿り着いた西郷は城山に籠城するが、官軍の総攻撃で西郷も被弾し、切腹して果てた。
明治維新後、特権身分を廃されて生活に困窮した士族は、各地で反乱を起こした。西南戦争は、一連の反乱の中でも最大で最後の内乱で、およそ7ヶ月に渡り鹿児島、熊本、大分、宮崎の各県を戦場として、官軍6万人、薩軍3万人が動員され、両軍合わせて1万4千人の命が失われた。
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来年は西郷どんの大ブームですね!延岡は3年前に九州の難関峰「大崩山」登山で2年連続で訪れました。もう完全に師走の雰囲気になってきました。この週末は強烈な寒波が来る天気予報、完全に冬の様相ですね。今年の秋は比較的訪れが早く長く楽しめると思ったら10月は台風などで毎週末が雨、11月3連休はいい天気でしたが、その後はまた天気に恵まれずもうあっという間の冬の到来に季節の巡りは早いものだと感じております。
投稿: ローリングウエスト | 2017年11月17日 (金) 22時24分
>ローリングウエスト様
コメントありがとうございます。
10月と11月は旅行が多くて、まだ投稿できてない記事が5、6件あります。
これから年末にかけて、なんとか書き上げます。
投稿: ものみ・ゆさん | 2017年11月20日 (月) 12時23分