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2017年7月19日 (水)

小田原と熱海の旅

 2017年6月28日(水)~29日(木)、1泊2日の小田原と熱海の旅。
 
 
 【6月28日(水)】 乗用車2台に9人が分乗、最寄駅前を9:45出発。

 関越道、圏央道、東名高速を経て、小田原厚木道路の小田原西インターを出て国道1号線を走る。

 

 12:00、小田原城址公園に入場。

 小田原城は、戦国時代は北条氏(後北条氏)の拠点、江戸時代は小田原藩の藩庁。城跡は、国の史跡に指定。

 1971年(昭和46年)に再建した常盤木門(ときわぎもん)をくぐると、本丸。

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 小田原城の天守閣ちかくにそびえるクロマツの巨樹。樹高30m、 幹回り5.3m。

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 天保年間(1830~1844)に書かれた史料には「御本丸多聞櫓(たもんやぐら)の近き方に七本松という老松あり」と記されていて、この松はその1本とされる。倒木防止の鉄骨に支えられて痛々しい。

 天守閣は、1960年(昭和35年)市制20周年記念事業として総工費8千万円をかけて復興された。江戸時代に造られた模型や設計図を基づき外観を復元、内部は歴史資料の展示施設となっていて、「外観復元天守」に分類される。

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 天守閣は3重4階、付櫓(つけやぐら)を接続した複合天守。地上38.7m、鉄筋コンクリート造、延床面積1822㎡。

 天守閣に入館(入館料500円)。甲冑、刀剣、絵図、古文書など小田原の歴史や、武家文化に関する資料が展示。

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 江戸時代の小田原城ジオラマ模型と本丸の図面。

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 北条氏の領土拡大の図。緑の線は、初代の北条早雲の頃。オレンジは、5代北条氏直の時の関八州(現在の関東地方)240万石とされる最大版図。(ダブルクリックで拡大表示)

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 最上階に上がり、標高約60mから南の方角を望む。

 右手に伊豆半島、半島の先端が真鶴岬。左手に相模湾が一望。伊豆半島は霞んでいて良く見えない。

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 北の方角は、眼下の小田原駅。遠く丹沢山地も見えない。

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 13:00、小田原城址公園を出る。

 

   国道1号線(旧東海道)沿い、なんとお城のような外観の和菓子店、「ういろう」本店(小田原市本町)に立ち寄ってみる。

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 この日は水曜で、「ういろう」本店は定休日。

 「ういろう」本店のすぐ近く、国道1号線沿いの「柳屋ベーカリー」」(小田原市南町)に、13:20入店。大正10年創業というレトロな建物と店内の老舗のパン屋。

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 ショーウィンドウには、10種類の薄皮アンパンのサンプルと有名人のサイン。

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 昼食用に「大正金時」と「つぶし」の2種類の薄皮アンパン。ジャムパン、カレーパン、メロンパンなどの普通のパンもある。

 このパン屋の近くに「筋違橋町(すじかいばしちょう)」の石碑が建っていた。筋違橋町は、江戸時代は旅篭屋が並ぶ東海道筋の通り町9町の一つ。


 13:40、小田原城址公園の駐車場を出て、JR熱海駅の東北1.5Kmほどにある「伊豆山神社」(熱海市)に向かう。

 14:30、伊豆山神社の 駐車場に到着。伊豆山神社は、古くは「走湯(そうとう)大権現」、「伊豆山権現」とも呼ばれ、平治の乱によって伊豆国に配流された源頼朝と北条政子が崇敬した神社。 駐車場から、長い石段を登る。

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 本殿までの参道は、本来は伊豆山浜から837段もの石段を上るハードなものだそうだ。そのため、我々のように本殿のすぐ下の駐車場から、約170段ほどを上るのが一般的。

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   茅の輪(ちのわ)をくぐり、本殿に参拝。

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 頼朝と政子が平家打倒を祈願し、二人の逢瀬の場としても有名な神社。強運守護のほか、縁結びや恋愛成就の神様として人気があるそうだ。
 
 頼朝と政子が腰掛けたという「腰掛石」。

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 本殿の裏山、1時間の山道を登ると「本宮」(奥の院)もある。

 ※「伊豆山神社」の詳細については後述。
 

 15:20 伊豆山神社の駐車場を出て、熱海の市街地へ。予定の大正時代の建築物「起雲閣」も休館日。

 とりあえずホテルにチェックインすることに。

 

  15:50 、国道135号沿いの大江戸温泉物語「ホテル水葉亭」(熱海市伊豆山)着。

 ロビーは6階、部屋は2階~11階。レストランが1階、浴場は地下1階にある。ロビー、客室、大浴場からは、相模灘の絶景が眼下に広がるオーシャンビュー。

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 大江戸温泉物語株式会社(本社:東京都中央区)は、熱海の老舗ホテル「水葉亭」(1951年開業)を昨年2016年9月に取得、リニューアルして2か月前の2017年4月28日にオープンした。

 ホテルロビー(6階)の窓から、熱海温泉のホテル街を望む。

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 ホテルの客室に荷物を置き、16:25熱海駅前まで散策する。

 ホテルからすぐ、国道135号沿いに「秋戸郷(あきとのごう)跡」の石碑が建っている。秋戸郷は、北条政子が平氏の手より隠れ逃れた場所。

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 ※「秋戸郷」の詳細については後述。

 16:45、徒歩20分ほどでJR熱海駅前に到着。

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 駅改札の左手に「ラスカ熱海店」のおみやげ・食品売り場。 

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 駅前の正面に第一ビルのアタミックス名店街、右手にはアーケードの仲見世商店街と平和通り商店街がある。目当てのお土産、饅頭と大福は日持ちが短いので、明日買うことにする。

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 駅前の広場ににある熱海鉄道の蒸気機関車。東海道本線が開業する前、小田原と熱海の間を結んでいたレールの幅も小さい軽便な鉄道線。明治40年~大正12年まで走っていたそうだ。

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 駅前のアーケード「平和通り名店街」をぶらぶら歩く。

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 帰りはホテルの送迎バスで17:20駅前発、5分でホテルに着く。

 入浴後、18:50~20:30飲み放題のバイキング。21:55~23:50カラオケ。24:00頃就寝。

 

 

 【6月29日(木)】 5:50、起床。1階の庭に出て、離れの露天風呂に行ってみる。オープンな露天風呂から広がる相模湾の眺めは素晴らしい。

  7:40~1階レストランで朝食バイキング。

 9:00、送迎バスでホテル出発。

 前日に行ったJR熱海駅駅ビル「ラスカ熱海店」で、「石舟庵」の石舟庵饅頭(8ケ入)864円と塩豆大福(2ケ入)400円。

 

 9:55送迎バスでホテルに戻り、10:30 ホテルを車で出発。真鶴へ向かう。
 

 11:15、真鶴半島の突端「真鶴岬」(神奈川県真鶴町)に到着。

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 磯辺まで降り、名勝の「三ツ石」を見る。

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 三ツ石海岸を見ると、この真鶴半島が溶岩で出来ているのがよく分かる。真鶴海岸は、「箱根ジオパーク」の一部。明らかに、伊豆半島の地形とは異なることに気づく。

 ※「箱根ジオパーク」の詳細については後述。

  11:50、 真鶴岬を出発、 国道135号線を戻り、福浦漁港」(静岡県湯河原町)へ。12:05、海鮮食堂「みなと食堂に入店。

 福浦漁港と漁港にある「みなと食堂」。

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 しめさばの刺身680円(税抜き)。

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 金目鯛煮付定食(金目鯛煮付、サザエ刺身、地魚フライ)2,300円(税抜き)。新鮮さ、ボリューム満点。

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 13:00「みなと食堂」を出て、再び真鶴駅から真鶴岬へ向かう道沿いへ。

 創業60余年という干物の店「二藤商店」 に13:10~20。特上あじ280円×4枚購入。

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 135号線沿い西湘バイパスの手前。蒲鉾で有名な「鈴廣」の石橋店(小田原市石橋)に、13:40~50立ち寄り。

 14:00、前日は定休日だった小田原市のお城の「ういろう」本店へ入店。

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 小田原銘菓「ういろう」、1本648円。室町時代から続く米粉の蒸し菓子。

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 「ういろう」は元々、外郎(ういろう)家が作る薬のことを言っていた。その後、接客用に考案された米粉の蒸し菓子のことを「お菓子のういろう」と呼ぶようになったそうだ。

 店内に入ると、観光客が数人。和菓子を売っている横に薬局が併設されている。

 薬の「ういろう」は、別名「透頂香(とうちんこう)」という万能薬。仁丹と良く似た形状・原料で、元々は中国の王が被る冠の匂い消しに使われていたと言われ、日本に伝来した600年以上前から外郎家が代々変わらぬ製法で作られている。他の薬局や通販では販売していない。

 ※「ういろう」の詳細については後述。
 

 前日に行った近くの「柳屋ベーカリー」に寄るが、もう午後2時を過ぎている(閉店は午後4時)せいか、薄皮アンパンはだいぶ品薄、一部は売り切れで買うのをあきらめる。

  14:15、「ういろう」本店の駐車場を出て、帰路は小田原厚木道路を経て、往路を逆順。

 17:00出発地に到着、17:30自宅着。

 

 ★ ★ ★

●伊豆山神社

 頼朝に始まる鎌倉将軍は、毎年正月の恒例行事として、「伊豆山権現」 (伊豆山神社 ) と「箱根権現」 (箱根神社) に参詣するという「二所詣(にしょうもうで)」を行った。

 戦国時代には小田原の後北条氏の格別の崇敬を受けたが、豊臣秀吉の小田原征伐で焼失した。江戸時代に入ると、山麓の阿多湊(熱海)が湯治場として名が知られ、焼失していた社は再建、代々の徳川将軍にも崇敬されて多くの寄進を受け興隆がはかられた。明治になって、神仏分離令によって「伊豆山神社」と改称。

 本殿の裏手にある「伊豆山郷土資料館」は、残念ながら水曜は休館日。ここ資料館には、伊豆山神社の所蔵品を中心に伊豆山地区に代々伝わる郷土資料を展示。中でも、北条政子が頼朝の一周忌の日に自らの髪の毛を除髪してこれを刺繍し、伊豆山権現の法華堂に飾ったという「頭髪梵字曼荼羅(とうはつぼんじまんだら)」(複製)が展示されているそうだ。

 伊豆山神社は、本殿からさらに山道を登り、「本宮」まで行ってこそが本当の参拝といわれている。本殿の右奥には「白山神社遥拝所」があり、山中の「白山神社」を遥拝するために設けられた場所だが、伊豆山神社の「本宮」への登り口にもなっている。
 
 「本宮社」までの所要時間は約1時間ほどで、今回はとても時間がない。途中の病気平癒、厄難消除の神様の「白山神社」までは約20分、縁結びを叶えてくれる神様「結明神本社」までは約40分ほどかかるそうだ。(写真のダブルクリックで拡大表示)

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 ●秋戸郷

 1180年(治承4年)8月、源氏再興のため挙兵をした源頼朝は、伊豆国の目代(もくだい=国司の代官役)の山木兼隆を討ち、伊豆国を制圧して相模国へと進軍するが、石橋山の戦いで敗北。数日間山中をさまよった後、真鶴から船出して安房(現、南房総)へと脱出した。

 その間、北条政子と娘大姫は走湯山(伊豆山)に隠れ住んで頼朝の安否を気づかっていた。9月になって、伊豆山権現の別当(寺務を司る僧職)の文陽房覚淵(もんようぼうかくえん)の計らいによって、平氏の手から逃れるため政子らは密かに秋戸郷に移動した。

 秋戸郷は走湯山の神域の東南隅に位置し、浜の方からしか入れないうえ船着場も近い。神域に護られ、平氏方の追っ手をくらませることが出来た。それから1ヶ月後、多くの関東武士の支持を得た頼朝は鎌倉に入り、秋戸郷を発った政子は頼朝と再会を喜び合った。

 

●箱根ジオパーク

 「箱根ジオパーク」は、2012年(平成24年)9月に日本ジオパークに認定。神奈川県西部の小田原市、南足柄市、箱根町、真鶴町、湯河原町の2市3町が位置する箱根火山周辺地域である。この地域は、フィリピン海プレート、ユーラシアプレート、北米プレートの3つのプレートが重なり合う位置にあり、火山から噴出した溶岩流や火山灰などは多様な火山地形を造り出している。

 山間部には箱根に固有の動植物が生息し、豊かな自然環境に恵まれ、この地域に散在する温泉の恵みは、古くから人々に享受されている。 また、温暖な相模湾に面して、魚種も豊富で古くから漁業が盛んである。

 

●ういろう

 14世紀の中国で、元が明に滅ぼされたとき、筑前博多に亡命した陳延祐(宗敬)は、陳外郎と名乗り、医術や占いに従事していた。外郎(ういろう)は、中国での官職名・礼部員外郎(れいぶいんがいろう)から取った。その子、外郎宗奇が足利義満の招きで朝廷に仕えて家伝の外郎(ういろう)薬を献上、また外国使節の接待に菓子「ういろう」を自ら考案した。

 小田原外郎家は、京都の外郎家の分家として、1504年(永正元年)には北条早雲の招きで小田原に移住した。家祖は外郎宇野藤右衛門定治(定春、ういろう・うのとうえもん・さだはる)で、本家4代目の外郎祖田の子とされる。

 以後小田原外郎家は、京都の本家とともに外郎薬の製造を代々行ってきたが、後北条家滅亡後は、豊臣家や江戸幕府においても保護がなされ、後に本家が衰亡した後は、独占的に外郎薬を製造するようになり、現在に至っている。

 現在、全国にある菓子「ういろう」の中では、名古屋ういろうの知名度が高い。江戸時代から日本各地にういろうの製法が広まり、製造販売が行われるようになっていて、現在でも各地の名物となっている。ういろうの発祥にはそれそれの伝承が存在し、原材料や製法は地域や製品によって、見た目や味、食感は様々である。

 小田原外郎家のパンフレットによると、今日全国に展開する菓子「ういろう」は、この京都外郎家に仕えた職人が拡げたものが、その起源だと主張している。小田原外郎家はういろうの元祖との自負から、「ういろう」の商標登録について特許庁を相手に裁判を起こしたが敗訴した。

 小田原以外の菓子「ういろう」は、全国各地に次のようなものがある。

 名古屋は、うるち米からできる米粉を主原料とする。老舗「青柳総本家」は、1879年(明治12年)創業。「青柳」の屋号は旧尾張藩主・徳川慶勝から贈られたという。1964年(昭和39年)に東海道新幹線が開通した後は、「青柳ういろう」は車内販売によって全国的に知られるようになり、日本一の販売量を誇る。

 また1659年(万治2年)創業、名古屋の「餅文総本店」は、尾張藩第2代藩主の徳川光友に仕えた陳元贇(ちんげんひん)から製法が伝えられたとの伝承があり、名古屋ういろうの元祖だとし、「献上ういろ」などを製造販売している。「大須ういろ」は1949年(昭和24年)の創業、「ういろ」や「ないろ」等の名称で製造販売している。

 三重県の伊勢ういろうは小麦粉素材、黒砂糖を用いたういろう。伊勢神宮前の「虎屋ういろ」、「柳家ういろう」、多度大社前の「丸繁」などがある。伊賀ういろうは、米粉に餅粉が含まれ、江戸中期創業の「かぎや餅店」と明治末期創業の「いせや」。

 京都では、1855年(安政2年)創業の「五建外良屋(ごけんういろや)」が「五建ういろ」を製造販売。また一般的に、茶席などで提供されるういろう皮で餡を包んだ上生菓子、ういろうに大納言小豆を載せた「水無月(みなづき)」、ういろうを使った「ちまき」などが作られている。

 神戸の歴史ある長田神社商店街にある「長田のういろや」は、1877年(明治10年)から「ういろ」を作り続けている老舗。米粉と砂糖と葛粉を使用。

 山口のういろうは、ワラビの粉に砂糖を加え、蒸して作られる。室町時代に秋津治郎作が製法を考えたとする説があるが、明らかではない。県下では山口市や岩国市のほか多くの地域で作られており、ういろうが名物の県として知られる。

 徳島では、「阿波ういろ」と総称される。寛政年間(1789年~1800年)にサトウキビ栽培が伝わり、それをもとに作られた砂糖の一種「阿波和三盆糖」が出来た祝いとして、徳島藩主や領民たちが旧暦3月3日の節句のときに食したのが始まりとされる。

 宮崎では、1877年(明治10年)頃から旅館を営んでいた鈴木サトが売り始め、やがて観光地・青島の名物となった。最近では地元の日向夏や宮崎マンゴー入りも販売されている。

 関連ブログ記事「小田原方面の旅」 2015年6月28日投稿
  http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2015/06/625-2421.html   

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コメント

伊豆山神社は一昨年訪問しました。頼朝・政子のあいびき場所ですね。小田原城は最近改築されリニューアルで人気が大復活ですね!昨年から小田原北条市にかなり凝っており本を読みあさっています。秋あたりに20年ぶりに小田原城訪問します。一夜城や山中城も訪ねる予定です。

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