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2017年6月 1日 (木)

宮崎市街から高岡町と綾町

 2017年5月21日(日)~23日(火)、宮崎市街から宮崎市高岡町、宮崎県東諸県郡綾町へ行く2泊3日の旅。

 
 5月21日(日)、長崎自動車道、九州自動車道を経て、宮崎自動車道を走る高速バスの車窓から、雄大な「霧島連山」を望む。

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 ●宮崎市街

 やがて宮崎市街に入り、繁華街「橘通り」(県庁前付近、一番街付近)を走る。

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 バスはJR宮崎駅西口前に、13時前に到着。左手のビルは、「JR九州ホテル宮崎」。

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 宿泊した「JR九州ホテル宮崎」の5階から見下ろすJR宮崎駅(左手)と西口前。

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 つい笑ってしまう「すみません回送中です」の宮崎交通のバス。県内の人にはこんな光景は見慣れているだろうが、バスを見てびっくり。腰の低い土地柄か、お客に対するバス会社の優しさが伝わる。JR宮崎駅西口前にて。

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 JR宮崎駅東口前。

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 歓楽街「西橘通り」の入り口「一番街」は、昼も夜もけっこう賑やか。

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●宮崎市高岡町の天ヶ城公園

 5月22日(月)、宮崎市郊外の宮崎市高岡町「天ヶ城(あまがじょう)公園」に行く。

 高岡町は、宮崎県の中部に存在していた東諸県郡の町であったが、2006年1月に宮崎市に編入された。

 「天ヶ城公園」は、標高120mの丘にある。宮崎市街に注ぐ大淀川の流れと、西に霧島連山、東に日向灘、宮崎市街地が望めるという。1,300本の「千本桜」と呼ばれるソメイヨシノや、5万本のツツジが有名。

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 公園内の右手に城風の建物「天ケ城」(宮崎市天ケ城歴史民俗資料館)、広大な芝生の広場の左手には遊具があった。

 天ケ城歴史民俗資料館は、大淀川と生きてきた町の人々の生活や、薩摩藩に属した高岡が、かつて日向の中心であった当時の武家社会、高岡の歴史・風土・産業などを紹介しているという。

 大手門のような入場口に行くと、なんと「開館日:土・日・祝日」。ただし花見のシーズンだろうか、「特別開館期間:3月15日~4月14日(この期間は休館日はありません。)」とある。平日5日間は、閉館している資料館なんて聞いたことが無い。残念だった。

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 天ヶ城は、薩摩島津家17代島津義弘が1600年(慶長5年)、日向伊東氏の攻撃に備えるために築城した城。

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 関ヶ原の戦いのあと、島津義弘が東の国境を守る拠点として、島津領内各地から数百人の武士を移住させ、ここ久津良名(くつらみょう)に「天ケ城」を築き、12ヶ村をまとめて高岡とした。

 1615年の一国一城令によって廃城となったが、城下町的な機能を持つ「麓」と呼ばれる地域を形成した。(島津藩では、武士たちが住むところを「麓」と呼んだ。)

 天ヶ城公園から見下ろす大淀川の流れと高岡の街並み。

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●宮崎県綾町(あやちょう)

  高岡町から綾町へ移動する。綾町は、宮崎県の中西部に位置する東諸県郡の町だが、宮崎都市圏に属する。

 綾は、奈良時代から日向の国の交通の要衝で、鎌倉から戦国時代までは伊東氏、江戸時代は薩摩島津氏が統治した。基幹産業は農業で、有機農業(自然生態系農業)に町ぐるみで力を入れており、綾牛・綾豚・綾地鶏などの畜産品は有名。

 昼食に、評判の「そば処まる」に入る。古民家の畳の座敷で、手打ちそばを味わう。えび天せいろそば1,000円は、リーズナブル。

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●綾の照葉大吊橋(てるはおおつりばし)

 綾町の本庄川(綾南川、大淀川の支流)に架かる吊り橋「綾の照葉大吊橋」に行く。入園料は350円。

 長さ250m、高さ142mの歩行者専用の大吊橋は、1982年に架橋。歩行者専用の吊り橋としては高さにおいて、2006年10月に大分県玖珠郡九重町の「九重"夢"大吊橋」(高さ173m)に破られ、日本で2番目。

 周辺の森は日本一の規模を誇る照葉樹林が広がっていて、2012年にユネスコエコパークに登録された。写真左手前の石碑は、「照葉樹林の自然 日本一」とある。

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 ユネスコエコパークは現在、志賀高原、白山、大台ケ原・大峯山・大杉谷、屋久島、綾、只見、南アルプスが登録されている。

 橋のたもとに「歩く吊り橋世界一」、「日本一悠久の森へ 新照葉大吊橋」の石碑が建つ。

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 対岸に向かって恐る恐る渡る。橋の揺れはあまりないが、強い風が吹くと人が飛ばされそう。また桁が網状で、足元から谷が透けて見えるので怖い。
 
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 対岸に渡ると、この先は照葉樹林の自然を歩く遊歩道がある。「山ヒルに注意」の看板と「遊歩道は土砂崩れの為、通行禁止」のロープが張られていた。

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 橋のスタート地点を望む。向うに見える建物は「照葉樹林文化館」。照葉樹林の植生や昆虫、鳥、動物の自然生態系と人々の暮らしが展示されているそうだ。

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 谷を見下ろすと、遊歩道をつなぐ「かじか吊り橋」が架かる。

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●綾・国際クラフトの城

 「綾・国際クラフトの城」は、伝統工芸や歴史・民俗資料の施設と綾城(あやじょう)がある。入園料は350円。

 門をくぐると左手に、綾で生まれた名刀工・田中国廣の像がある。

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 田中国廣は子供の頃から鍛刀に励み、長じて1586年(天正14年)に打った刀は、日州古屋住国廣作として国の重要文化財に指定されている。

 また国廣は文武両道にも秀れ、伊東氏が没落する際、伊東満千代(伊東義祐の娘の子、後に遣欧使節の伊東マンショ)の侍臣(じしん)として、大友宗麟を頼って豊後へ逃がした功績も残している。

 

 園内に建つ「綾城」は、1985年(昭和60年)、時代考証により中世風の城館の天守建造物が建設された。綾町産の木材を使って建てられた山城。

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  綾城は、いまから650年ほど前の元弘年間(1331年~1334年)に足利尊氏の家臣であった細川小四郎義門が築城したとされる。義門の子・義遠は綾氏を名乗り、数代この城にて綾を支配したが、その後伊東氏の配下に入り、伊東48城の一つとして島津と戦う重要な拠点(支城)になっていた。

 1577年(天正5年)に伊東氏は家臣団の離反と島津氏の攻撃を受けて滅亡。その後は島津氏の支城となり、1615年に江戸幕府の一国一城令により、綾城は廃城となった。

 城内には、ジオラマ、甲冑、刀剣、武士の暮らしのパネルなど、歴史資料が展示されている。

 マネキン人形と音声で、島津氏に追われた伊東氏が綾城で、豊後に逃げる算段をしているシーンが説明されている。左に立っているのが、都於郡(とのこおり、現在の西都市)城主の伊東義祐、真ん中で座っているのが綾城主の佐土原遠江守、右が刀工の田中国廣。

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 綾城の最上階から見下ろす綾町の街並み。

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 園内には、「綾城」のほかに「工芸館」や「工芸体験館」の建物がある。

 綾では、草木染めによる染織、地産材による木工、竹細工、陶芸やガラス工芸など、様々な手工芸作りが盛ん。また良質のカヤが産出されるため、碁盤や将棋盤などの最高級品は、綾で創られたものが珍重されるという。写真下の「工芸館」では、これら工芸品が展示・販売されている。

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 「工芸館」の一角の展示室に、「昭和の暮らし」の展示があった。数十年前のラジオや扇風機などの家電製品、蓄音機やレコード、ポスターやパンフレット、「平凡」や「明星」の娯楽雑誌、アイドル写真集、人形やおもちゃ、コーラなどの空き瓶や空き缶、置物などなど・・・、いつまで見ていても飽きない。

 特に、大小のビクターの犬はたくさん展示されていて、懐かしかった。

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 その他園内には、「工芸体験館」や「綾陽校記念館」があるが、入館せず。

 「工芸体験館」では、織物や陶芸のオリジナル作品作りの体験ができるそうだ。

 「綾陽校記念館」は、明治時代に建築された綾小学校の校舎をこの敷地内に移築し、町民から贈られた農具や生活用具の他、明治時代の教科書などを展示する歴史資料館となっているという。

 

 5月23日(火)の帰路、宮崎空港から羽田空港へ向かうソラシドエア機。眼下に伊豆大島、中景は伊豆半島、遠景に富士山。

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 ★ ★ ★

 高岡町の天ケ城は、石垣などは古そうだが、実際に存在した天守閣を復元したものでない。いわゆるコンクリート造りの「模擬天守」とよばれる観光用の建物だ。

 こういった模擬天守は、全国各地に作られていている。筆者は、歴史をねつ造、誤解するのものとして否定する。どうしてもこんな城を建てたければ、復元したものではない模擬天守閣だと、パンフレットや城に入口に明確に説明すべきであると思う。

 綾城も、中世の城として元々資料や設計図は残されていなかった為、各地の城を研究をして設計図を作った「模擬天守」である。築城に関しては、「日本城郭協会」にお墨付きを頂いているそうだ。綾城を建てるにあたって、江戸時代ではなく全国でも珍しい中世の城にした点、コンクリート造りでなく、全ての材料が綾産の木材だという点が面白い。

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