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2017年6月24日 (土)

大分・豊の国探訪の旅-その3

 2017年5月26日(金)~28日(日)、大分・豊の国の自然と歴史を訪ねる2泊3日の旅。

 

 本ブログ記事「大分・豊の国探訪の旅-その2」の続き。

 【3日目】は、八幡神社の総本宮「宇佐神宮」と古代仏教文化の里「国東半島」をめぐる。

 

 5月28日(日)朝、「ホテルルートイン中津駅前」にて起床。6時45分からホテル内のレストランで朝食バイキング。

 7時15分、ホテルを早めに出発、国道10号線を東へ走る。宇佐神宮の4kmほど手前の赤い橋「瀬社橋」から上り坂、その頂上付近に御幡交差点がある。そこで、事前に申し込んでいた宇佐市観光協会の観光ガイドWさんと、7時50分に合流。

 ガイドの案内でここから10号線を外れ、天皇から派遣された勅使が通ったという細いまっすぐな道(勅使街道)を2Kmほど進む。この道は宇佐神宮の「呉橋」、「西参道」に通じる。

 

●極楽寺 -宇佐市南宇佐

 まず、宇佐神宮のすぐ近くにある「極楽寺」に入る。宇佐神宮の神仏習合の歴史を知る上で、非常に重要なお寺だそうだ。

 極楽寺の弥勒堂に安置されている「弥勒大仏」は、かつては「宇佐八幡宮弥勒寺」の講堂の本尊仏だった。明治の廃仏毀釈騒動の時に難を逃れ遷座。県の有形文化財に指定。

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 現地の案内板には以下のようにあった。

 「元宇佐神宮境内にあった弥勒寺講堂の本尊仏であったが、明治初年の神仏分離令によりこの極楽寺へ招来された。 弥勒仏は正しくは弥勒菩薩であるが、五十六億七千万年後に如来(仏)となることが確定されているので、弥勒仏(如来)と称され、仏像としても如来像としても作成される。 本像は丈六(一丈六尺、筆者注=約4.8m)の大仏である。」


●宇佐神宮 -宇佐市南宇佐

 宇佐神宮は、全国に約44,000社ある八幡宮の総本社、通称「宇佐八幡」。「石清水八幡宮」、「筥崎宮」又は「鶴岡八幡宮」とともに「日本三大八幡宮」の一つ。祭神の八幡大神(はちまんおおかみ)は、応神天皇の神霊とされる。宇佐神宮は、神仏習合発祥の地。神仏分離以前は弥勒寺と一体のものとして、「宇佐八幡宮弥勒寺」と称した。参拝料無料。

 極楽寺から表参道入口を経て、8時30分寄藻川(よりもがわ)に架かる太鼓橋の「神橋」を渡る。

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 神橋を渡ると「大鳥居」が見え、広くてまっすぐな「表参道」が続く。

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 大鳥居の手前右側に「黒男(くろお)神社」がある。御祭神は、武内宿禰命(たけのうちのすくねのみこと)。景行天皇、成務天皇、仲哀天皇、応神天皇、仁徳天皇と5代の天皇に240余年もの間、忠臣として仕えた伝説上の人物。古くから大鳥居の外に鎮座、八幡大神をお護りしている長寿、忠誠、奉仕などの神様。

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 大鳥居をくぐり長い表参道を進むと、右手に宝物館、初澤池(はつさわいけ)、参集殿、神宮庁、左手に絵馬堂、菱形池、能楽殿があって、8時50分手水舎(てみずや)でお清め。

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 手水舎の先、右手の「春宮(とうぐう)神社」には、菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)を祀る。応神天皇の皇子を祀る2つの摂社の一つ。

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 勉学に励んだことから学問の神様として敬われている。菟道稚郎子は応神天皇に寵愛され、皇太子に立てられていたが、異母兄の大鷦鷯尊(おほさざきのみこと、仁徳天皇)に皇太子の座を譲った。

 参道は、「祓所(はらえど)」で左に曲がり、本殿がある「上宮(じょうぐう)」のある亀山(小椋山(おぐらやま)ともいう)に向かって上る。
 
 写真は、うっそうとしたイチイガシやクスノキの自然のままの常緑広葉樹林(国指定天然記念物)に囲まれた石畳、石段の参道から、上り口にある鳥居を振り返る。

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 「若宮神社」の手前の参道に、三角形の石が二つ並ぶ「夫婦石」がある。夫婦やカップルは、手をつないで左右の石を一緒に踏む、独り身なら両足で二つの石を踏むと幸せになれるそうだ。

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 参道の左手にある「亀山神社」は、上宮が鎮座する亀山の中腹に鎮座。祭神は亀山の神の大山積尊(おおやまつみ)。ガイドに言われてこの神社の礎石をよく見ると、亀の形をしていた。

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 「西大門」前に建つ木造の鳥居「宇佐鳥居」は、県指定有形文化財。宇佐古来の形式をもつ鳥居として知られる。大きい反りのある笠木(かさぎ、2本の柱の上の横木)に桧皮葺(ひわだぶき)の屋根をかけ、額束(がくづか)はなく、柱上に台輪(だいわ)を置いている。大鳥居をはじめ、他の宇佐の鳥居もすべてこれと同じ形式。写真は、2016/1/26撮影。

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 文禄(1592年~)のころ改築されたとされる「西大門」は、唐破風(とうはふ)に安土桃山風の彩色を施した構造で桧皮葺。

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 西大門をくぐると亀山山頂に鎮座する立派な「上宮(じょうぐう)」に到着。目の前に見える建物は、左から一之御殿、二之御殿、三之御殿の本殿を囲む回廊である。拝礼は一般的な2礼2拍手1礼でなく、出雲神社と同じく2礼4拍手1礼。三御殿に参拝する。

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 三之御殿前にそびえる推定樹齢800年のクスノキは、御神木(写真右手)。EXILEのUSA(うさ)さんが祈願、テレビ番組で紹介されてパワースポットになった。

 回廊の中の本殿は、よく見えなくて写真が撮れない。写真下は、(公社)ツーリズムおおいた「おおいた風景写真集」より転載。

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 宇佐神宮の本殿は、八幡造(はちまんづくり)という古来の様式を今に伝える貴重な建築として国宝に指定。二棟の切妻造平入の建物が前後に接続したマクドナルドの”M”の字の形をしている。両殿の間に大きな黄金の雨樋(あまどい)が渡されているという。桧皮葺(ひはだぶき)で、白壁、朱漆塗柱の美しい建物が並んでいる。

 本殿の奥殿を「内院」、前殿を「外院」という。神様の夜のご座所である内院には御帳台(みちょうだい、寝所)があり、昼のご座所である外院には御椅子が置かれているそうだ。

 一之御殿は、八幡大神(はちまんおおかみ、応神天皇)を祀る。

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 「南中楼門」は、皇族や勅使が通る門。入母屋造り檜皮葺の重厚な造りで、二之御殿の前にある神宮内郭の南正門。県指定有形文化財。

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 南中楼門の奥にある二之御殿は、比売大神 (ひめのおおかみ)を祀る。宗像三女神(多岐津姫命・市杵島姫命・多紀理姫命)ともされる。

 三之御殿は、応神天皇の母である神功(じんぐう)皇后を祀る。

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 現在の本殿は、一之御殿は1860年(万延元年)、二之御殿1859年(安政6年)、三之御殿1861年(文久元年)の建立。

 上宮から下宮に向かう途中に「若宮神社」がある。八幡神の応神天皇の若宮(皇子)である大鷦鷯命(おほさざきのみこと、仁徳天皇)と他の皇子を祀り、除災、厄除けの神様として知られる。写真は2016/1/26撮影。

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 亀山の山麓に鎮座する「下宮(げぐう)」は、弘仁年間(810年~824年)、嵯峨天皇の勅願により創建。上宮からの分祀で、祭神は上宮と同じ3柱。

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 古代から国家の大事を決する時、「若宮神社」の拝殿で亀占(きせん)を行っていた。その時に用いた亀甲を焼いたものを、この下宮境内の「兆竹(さましだけ)」を用いて「”冷ました”とされている。

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 写真下は、古くは壮大な「弥勒寺」という神宮寺が、廃仏毀釈により取り壊され、礎石のみが残っている。

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 かつて弥勒寺があった境内は、八坂神社や北側には神宮庁(社務所)と宝物館が建っている宇佐神宮境内の西側一帯だった。

 呉橋くればし)は西参道の途中、寄藻川に架かる屋根のついた神橋。鎌倉時代以前からあるとされ、呉の国の人が掛けたという伝承がある。県指定文化財。

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 この橋は、10年に1度、勅使のみが渡ることが出来る。普段は橋の両端の扉に、鍵が掛けられている。

 宇佐神宮を10:10分に出て、3Kmほど北にある「県立歴史博物館」へ向かう。


 

●県立歴史博物館(宇佐市大字高森字京塚)

 「県立歴史博物館」に10時15分着。九州最古の前方後円墳など6基の古墳群を有する「宇佐風土記の丘」内にある歴史博物館。

 宇佐神宮や国東半島の六郷満山(ろくごうまんざん)の八幡・仏教文化などを中心に、大分の歴史・文化を体系的に展示。観覧料金310円。

 写真は、博物館ロビーにある熊野磨崖仏(大日如来像)の複製。

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 「富貴寺大堂」の実物大の模型。中央に阿弥陀如来坐像が見える。

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 富貴寺大堂に安置されている木造の阿弥陀如来坐像と壁画の複製。

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 博物館の観覧チケットには、富貴寺大堂の壁画、極楽浄土の世界が描かれている。

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 時間の都合でこれら展示以外の見学は簡単に済ませ、博物館を10時55分に出て東進、国東半島の豊後高田市へ向かう。


●富貴寺(ふきじ) -豊後高田市田染蕗(たしぶふき)

 国東半島の県道34号線を桂川に沿って東に向かう。やがて桂川支流の蕗(ふき)川に沿って分岐し、3kmほど道なりに進むと県道655線との合流点付近に富貴寺がある。博物館から車で走ること25分、11時20分に「富貴寺」に到着。

 石段を上ると、ユーモラスな石造の仁王像のある仁王門。拝観料300円。

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 「富貴寺大堂」は、近畿以外に所在する数少ない平安建築の一つで国宝。

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 本尊の木造阿弥陀如来坐像は、榧(かや)の木の寄木造り、平安時代藤原期の作で、極楽浄土の大堂壁画と合わせて国の重要文化財。富貴寺境内全体は、国の史跡に指定。

 歴史博物館で見た富貴寺大堂、壁画、阿弥陀如来坐像の実物を目の当たりにする。

 堂の中は、撮影禁止。下の写真、阿弥陀如来坐像は「豊後高田市フォトギャラリー」より転載。仏像の金箔は剥がれ、壁画の彩色は失われている。

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 富貴寺大堂の境内には、貴重な石仏や石塔が建っている。南北朝時代とされる十王石仏と一番右端によく見えないが奪衣婆(だつえば)の石仏がある。

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 十王は、中世以降に国東半島に持ち込まれた信仰で、閻魔(えんま)大王をはじめとする地獄の裁判官。大堂壁画の極楽浄土の世界と対比して安置されたと考えられる。奪衣婆は、三途の川の渡し賃を持たない亡者の衣服を奪い、罪の重さを量る仏様。

 笠塔婆(かさそとば、左の写真)4基は、鎌倉時代に立てられたと伝えられる。県指定有形文化財。国東塔(くにさきとう、右の写真)は、国東半島独特の宝塔の一種。一般の宝塔には台座がないが、国東塔は基礎と塔身の間に蓮華座の台座があるのが特徴。

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 富貴寺の門前の食事処「榧(かや)の木」で昼食。山かけそば750円。富貴寺前を12時25分に出発、県道655号を南下する。

 
 

●元宮磨崖仏と大門坊磨崖仏 -豊後高田市真中

 計画外だったが、観光ガイドの案内で富貴寺から3.4Kmの県道655号沿いの右手にある「元宮磨崖仏」に立ち寄る。12時30分着。

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 不動明王を中心として、凝灰岩の岩壁に6体の仏像が薄肉彫りで刻まれていたが、1体は欠損しているという。国の史跡に指定。室町時代の作とされる。風雨をさけるための比較的新しい屋根が設けられていて、賽銭箱、香炉、花立てなどが設置されていた。

 元宮磨崖仏から更に県道655号を500mほど進むと、右手に「大門坊磨崖仏」がある。

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 豊後高田市真中の大門坊という寺院の境内の凝灰岩の岩壁に、薬師如来、大日如来など数体の仏像が刻まれている。日当たりが悪いせで苔が生え、雨ざらしの状態で風化が進んでいる。よく見ないと、どこに仏像が彫ってあるのか分からない。制作年代は、鎌倉期と推定。大門坊磨崖仏を12時45分に出る。



●真木大堂 -豊後高田市田染真木

 更に県道655号を南下し、富貴寺より5.2Kmの県道沿い右手に「真木大堂」がある。12時45分着。

 古刹「伝乗寺」は、六郷満山の最大規模の本山本寺で、多くの学僧を集めた学問所、平安時代に建てられた。広大な境内の中に、七堂伽藍を備えて田染地区だけでも36の寺坊があって隆盛を誇ったが、約700年前に焼失したそうだ。

 写真は、ウィキベディアコモンズ「真木大堂」から転載。

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 現在の「伝乗寺」の本殿。木造の仁王像(阿形と吽形)。国東半島で石造の仁王像は多いが、木造はまれだという。

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 「真木大堂」は、その伝乗寺の堂宇のひとつ。火災の難を免れ、現存する木造9体の国指定重要文化財の仏像は、空調の効いたこの一堂に集めてありガラス越しに拝観(拝観料300円)できる。

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 堂内は撮影禁止。下の3枚の写真は、「豊後高田市フォトギャラリー」より転載。

 白い水牛に乗った大威徳明王(だいいとくみょうおう)は、顔、手、足がそれぞれ6つある。次の写真は、不動明王と二童子立像。

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 阿弥陀如来坐像と4体の四天王立像。

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 真木大堂の境内にあった石造物。国東塔と庚申塔。

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 真木大堂発13時15分、県道655号を更に南下する。

 

●熊野磨崖仏 -豊後高田市田染平野

 真木大堂より2.6Km、「胎蔵寺」の駐車場に13時20分着。拝観料300円。

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 「胎蔵寺」横の山道を登る。鳥居をくぐると急な石段が続き、さすがに息が切れる。乱積みと言われる自然石の石段は、登って行くほど乱雑で歩きにくい。鬼が一夜にして積み上げたという言い伝えがあるそうだ。

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 開けた広場に出ると熊野磨崖仏が現れる。平安後期藤原時代の作とされ、国の重要文化財、史跡。日本最古・最大級の不動明王(約8m)と大日如来(約6.7m)。

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 胎蔵寺を13時50分出発。県道655線に出た所で、観光ガイドが指さす方向の峰の中腹に大きな洞穴がある。国東半島にはこういった洞窟がたくさんあって、修験者たちが籠って修行したという。

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 県道655号線を北上して真木大堂付近まで戻り、これまで案内していただいた観光ガイドのWさんと別れる。朝早くから午後2時くらいまで、案内して頂いたWさんに心から深謝。

 県道34号線を東進、大分空港(国東市)近くでレンタカーを返却、空港に余裕を持って15時10分に到着。ソラシドエア92便は、大分空港を定刻通り16時50分出発。羽田空港18時30分着、21時20分自宅着。
   

 

 ★ ★ ★

 「宇佐神宮」は、皇室からも崇敬される「伊勢神宮」に次ぐ宗廟(そうびょう)として、実在したとされる最古の天皇・応神天皇を祀る。応神天皇は、大陸文化を取り入れて国を繁栄させた天皇として神格化された。571年(欽明32年)宇佐の地で八幡大神として崇められるようになり、725年(神亀2年)に宇佐神宮が創建された。

 東大寺の大仏建立の際、東大寺の守護神に宇佐八幡の分社を勧請(かんじょう)したのが「分社」の始まり。それ以後、石清水八幡や鶴岡八幡など、多くの八幡社が造られるようになった。

 奈良時代、僧・道鏡が皇位を得ようとした「道鏡事件」は有名な話。勅使の和気清麻呂(わけのきよまろ)が宇佐神宮の神託を問うために参宮するなど、歴史の舞台となった。戦前には、清麻呂は皇統の断絶を救ったとして、楠木正成とならぶ勤皇の忠臣と見なされ、十円紙幣に肖像が印刷された。

 2015年(平成27年)10月、10年に一度の「勅司祭」(天皇の勅使が派遣されて行われるる祭祀)が執り行われた。勅使御奉迎の打上花火や提灯行列、奉納行事や野点(茶席)などの行事が催され、また勅使が渡る「呉橋」が一般開放された。この祭りは、宇佐市民や観光客で大賑わいだったそうだ。
 

 観光ガイドの説明で、宇佐神宮には3つの発祥の地であることを知る。

 一つ目は、「神仏習合」の発祥の地。二つ目は、「神輿(みこし)」の発祥地。そして三つめは、宇佐神宮における最古の祭祀で、全国各地で行われる「放生会(ほうじょうえ)」の発祥の地でもある。

 東大寺の大仏参拝のために、八幡神が神輿に乗って宇佐から上京したという言い伝えがある。以後、神輿は神の移動手段として、全国に広まっていったという。

 720年(養老4年)、大和朝廷は隼人(はやと)の反乱を鎮圧するため、一万人の兵を南九州に送る。宇佐の人々も八幡神を神輿(みこし)に乗せて現地に赴き、3年にわたって抵抗する隼人を平定して帰還した。いつのまにか八幡神は、大和朝廷の守護神とされた。

 その後、隼人の霊を慰めるため「放生会」をすべしとの八幡神のお告げが下る。隼人の霊に見立てた蜷(にな)や貝を、海に放つ祭典がとり行われた。これが、現在でも宇佐神宮の重要な祭礼「放生会」(仲秋祭)の始まりで、宇佐は全国各地で行われる「放生会」の発祥の地なのである。

 

 国東半島の中央にそびえる最高峰・両子(ふたご)山(標高721m)から、谷々が放射状に海岸へと広がり、約28谷を六つの里に分け、六郷と称した。国東半島の中央部は両子火山群の溶岩ドーム、溶岩台地で、その周囲は火山噴出物で形成されている。

 この地に開かれた天台宗の寺院全体を総称しして「六郷満山」と呼び、奈良・平安・鎌倉時代より、全国八幡社の総本社「宇佐八幡」の庇護と影響の下で、神仏習合の独特の寺院集団と山岳信仰が形成された。往時には半島一帯に185の寺院、洞窟・僧坊を含めて約800の大小の堂、また石仏・石塔が点在し、「ほとけの里」と呼ばれる六郷満山仏教文化圏が開かれ、山岳地域の険しい山道を歩く修行が行われるようになった。

 両子山の中腹にある寺院「両子寺」は、山岳修行の中心。深い緑に包まれた神秘的な境内、山門を背景にした仁王像、本堂、護摩堂、奥の院等、往時の佇まいを伝える。

    
    
 関連ブログ記事
   
 「宇佐八幡神と渡来人」 2016/02/09投稿
  http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2016/02/post-85d4.html

 「大分県立歴史博物館」2016/02/03投稿
  http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2016/02/post-855d.html

 「宇佐神宮」 2016/02/01投稿
  http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2016/02/post-d1af.html

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コメント

八幡神社の総本宮「宇佐神宮」と古代仏教文化の里「国東半島」、3年前に徹底的に廻り本当に素晴らしかったです!今回初回されたコース全て訪問しました。是非とも世界遺産に指定されるべき場所ですね。

>ローリングウエスト様
「宇佐神宮・国東半島」を世界遺産にしようという運動があるのですね。十分価値のある場所だと思います。

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