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2017年2月 7日 (火)

秩父神社の節分祭

 2017年2月3日(金)、秩父神社(埼玉県秩父市)の「鬼やらい節分祭」に行く。

 

 「追儺(ついな)」とか「鬼やらい」とか呼ばれる行事は、節分などの季節の変わり目に、古来から全国的に行われている鬼を追い出す祭り。

 「秩父神社」は埼玉県秩父地方の総鎮守であり、「三峯神社」、「宝登山神社」とともに秩父三社の一つ。秩父市の市街地、秩父鉄道秩父駅のすぐ近くにある。付近を山梨県甲府に至る国道140号線、長野県茅野市に至る国道299号線が通る。
 

 途中道路が渋滞したりで、秩父神社についたのは10時20分ころ。

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 裃(かみしも)を着た年男・年女の氏子たちが社殿でお祓いを受けている。

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 神主を先頭に、年男・年女たちは社殿から神門をくぐって平成殿(社務所)に向かう。

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 やがて金棒を持った赤鬼や青鬼たちが境内にやって来て、踊ったりしながら騒ぎ立てる。

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 平成殿の2階に上がった年男・年女たちが、豆を撒き鬼を追い出す。

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 豆は、白い御供物の袋に入っている。福引券も入っているそうだ。
 
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 鬼が逃げ出すと同時に、観客は飛んでくる豆に必死に手を広げ、地面に落ちた豆を拾う。

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 豆まきが終わると、鬼は幼児を怖がらせたり、抱き上げたりして記念撮影。でも泣き出す子供が多い。

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 神楽殿では、打ち出の小槌を持った福の神(大黒様?)が、笛・太鼓に合わせて踊りながら豆を撒いていた。

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 このような豆まきが、午前中は10時半、10時、11時40分、午後は14時、15時と、5回繰り返されるという。

 

 午前の部が終わり、神門をくぐって拝殿に行って参拝する。

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 秩父神社の社殿は、本殿・幣殿・拝殿が一つにまとめられた権現(ごんげん)造り。

 拝殿の立派な彫刻、扁額(へんがく)には「知知夫(ちちぶ)神社」とある。

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 拝殿の正面左手にある彫刻「子宝・子育ての虎」は、左甚五郎の作とされる。

 (写真は、クリックすると拡大表示します。)

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 彫刻の下には、「赤子には肌を離すな、幼児には手を離すな、子供には目を離すな、若者には心を離すな」と親の心得が書かれた札があるそうだ。母虎は、何故かヒョウ柄だ。

 拝殿東側の彫刻。

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 本殿東側の彫刻「つなぎの龍」は、これも左甚五郎作と伝えられる。夜な夜な近くの池に青龍が現れるため、鎖でつながれたという伝説がある。

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 彫刻「北辰の梟(ふくろう)」は、本殿北側の中央に彫刻されたフクロウ。

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 このフクロウは、体は本殿(南)を向いているのに、顔だけ180度逆の方向(北)を向いていて、祭神である「妙見菩薩」を守っているという。妙見菩薩は「北辰菩薩」とも呼ばれ、北辰すなわち北極星を神格化したものとされる。

 本殿西側の彫刻。

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 本殿西側の左下にある彫刻「お元気三猿」。有名な日光東照宮の「見ざる・言わざる・聞かざる」に対して逆に、「見て・聞いて・話せて」といつまでも元気に願って、「お元気三猿」と呼ばれている。

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 西側幣殿(幣殿は、本殿と拝殿をつなぐ建物)の彫刻「瓢箪(ひょうたん)から駒」。馬に関する諺(ことわざ)の「瓢箪から駒」は、意外なところから意外な発見や出会いがあることで、その意味は開運招福。社殿の西側にはこの諺に因んだ彫刻が施されている。

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 なお、「秩父夜祭」では、祭神は御輿だけでなく神馬に乗って御旅所に渡るため、12月3日には本物の馬が2頭奉納されて神幸の供をする。

 拝殿西側の彫刻。

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 午前中の行事が終わって拝殿で参拝の後、11時50分ころ神社を出る。

 運よく豆袋を2袋拾った。中には豆と紅白の砂糖菓子が入っている。福引券はなかったが、家に帰ってからありがたく豆を頂く。

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 ★ ★ ★

 毎年12月1日~6日の秩父神社の例祭「秩父夜祭」は、国の重要無形民俗文化財」(秩父祭の屋台行事と神楽)に指定。京都の「祇園祭」、飛騨の「高山祭」とともに日本三大曳山祭にも数えられる。また18府県で計33件の祭りの「山・鉾・屋台行事」の一つとして、2016年12月ユネスコ無形文化遺産へ登録が決定した。(写真の出典は、ウィキメディア・コモンズ)

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 この祭りは、寛文年間から300年以上続き、歴史的にも文化的に価値が高いとされる。提灯で飾り付けられた豪華絢爛の山車(笠鉾・屋台)の曳き回しや冬の花火大会は、全国に知られている人気のある祭りの一つ。

 

 秩父神社の現存する社殿は、天正20年(1592年)に徳川家康の寄進によるものとされ、江戸時代初期の建築様式をよく留めている。埼玉県の有形文化財に指定。

 御由緒によると、秩父神社の創建は第10代崇神(すじん)天皇の代に、八意思金命(やごころおもいかねのみこと)の子孫である知知夫彦命(ちちぶひこのみこと)が知知夫国(ちちぶのくに)の初代の国造(くにのみやつこ)に任命され、祖神を祀ったことに始まる。一説には紀元前87年に創建とされる。武蔵国(むさしのくに)成立以前から栄えた知知夫国の総鎮守として現在に至る。

 関東でも屈指の古社のひとつで、中世以降は関東武士団の源流である秩父平氏が奉じる妙見信仰(妙見菩薩)と習合し、江戸時代まで「秩父妙見宮」と呼ばれた。明治の神仏分離令により「秩父神社」の旧社名に復したという。平成殿(社務所)の2階からは、「奉祝 御鎮座 二千百年」の垂れ幕が下がる。
 

 
 節分は、もともと各季節の始まりの日である立春・立夏・立秋・立冬の前日を指していて、「季節を分ける」ことを意味している。昔から節分を境に季節が変わり、邪気(鬼)が生じると考えられていた。やがて江戸時代頃より、節分はもっぱら立春の前日のみを指すようになる。この日には、各地で豆まきや鬼追いの行事が行われる。これらの儀式の多くは、本来は旧暦大晦日の行事であったものが、節分の日に行われるようになったという。

 秩父神社では、夜7時半から「節分追儺祭」の神事がある。「奉幣(ほうべい、神に供物を捧げる)」行事、「撤豆(さんとう、豆まき)」行事、「引目(ひきめ、弓で矢を放つ)」行事、そして「鬼やらい(鬼払い)」と、往古の形式にならって行われるという。

 そして日中は、「鬼やらい」や「豆まき」、神楽殿では「福神舞」などが行われ、境内では甘酒がふるまわれ、抽選券のくじ引きが行われる。平日にもかかわらず、多くの人々で賑わっていた。

 
 

本記事に関連するブログは、以下の通り。

  ・「三峯神社」 2013/05/24 投稿
     http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2013/05/post-4a2b.html

  ・「秩父・大陽寺(つづき)」 2013/05/23 投稿
     http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2013/05/post-3145.html

  ・「秩父・大陽寺」 2013/05/22 投稿
     http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2013/05/post-3386.html

  ・「宝登山神社」 2013/03/08 投稿
     http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2013/03/post-3b82.html

  ・「長瀞・宝登山のロウバイ園」 2013/03/07 投稿
     http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2013/03/post-6267.html

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コメント

so long good-bye ~! I hgope see you agein someday

久しぶりのご来訪嬉しかったですね。また興味があるようでしたら除いて見て下さい。秩父は昨年34ケ所観音を全て参拝しましたので近日中に結願記事を公開いたします。秩父夜祭も3年前に行きましたが素晴しかったです。

秩父神社の節分祭って凄い賑やかなんですね。 ず~と前、行った事がありますが

彫り物もこんなに沢山の、凄いのがあるなんて全然見てないし、ビックリです。

今度ゆっくり行ってみたいと思います。

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