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2017年1月31日 (火)

白山・本郷界隈-その1

 2017年1月29日(日)、文京区の白山・本郷界隈を歩く。

 

 1月最後の日曜日の天気予報は、高気圧の中心が次第に東へ離れ、西からは低気圧や前線が進んで天気は下り坂に向かうが、日中の気温は九州から関東では3~4月並みの暖かさが続く見込みだという。

 この日は、1月と思えないぽかぽかの良い天気。東京の最高気温は12℃。3月中旬並みの暖かさだった。

 Yさんの計画で、数年前から毎年1月に実施している東京の名所・旧跡巡りを兼ねて新春のウォーキング。今回の参加者は、6人。

 

 最寄り駅を電車で出発、池袋、巣鴨で乗り換え、地下鉄三田線白山駅に9時40分頃到着。

 

●白山神社(9:50~9:55)

 9時45分、白山駅A3出口前からスタート。

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 以前から東京に「白山」という地名の由来を知りたいと思っていたが、今回「白山神社」から来ていることを知る。白山は、中学、高校、大学などの教育機関が多数あるところ。特に東洋大学の白山キャンパスが、地下鉄白山駅のすぐそばにある。

 緩やかな坂道を上り、高台にある白山神社に徒歩3分ほどで到着。

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 所在地は、文京区白山5丁目。桜の木に囲まれた拝殿の後方には、東洋大学のビル。

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 白山神社は、加賀の国(石川県)の「白山比咩(しらやまひめ)神社」が総本宮とされ、全国に2,700社ほどの白山神社があるそうだ。 白山は、富士山、立山に並ぶ日本三霊山の一つで、山岳信仰として崇められてきた。

 天暦年間(947~957)に加賀の国の一宮白山神社を、現在の本郷一丁目の地に分祀したと伝えられる。後に2代将軍秀忠の命で、現在の小石川植物園内に遷座、その後5代将軍職につく前の綱吉(館林藩主)の屋敷の造営のため、明暦元年(1655)現在地に再度移った。当社は、綱吉の生母・桂昌院の崇敬が篤く、綱吉の厚い庇護を受けた。

 ちなみに小石川という地名も、白山神社の総本宮のある加賀の国石川郡(石川県)より名づけられているそうだ。

 白山神社は、「東京十社」の一つ。明治政府により当社は、氷川神社の勅祭社(ちょくさいしゃ)に次ぐ准勅祭社とされていたが、戦後は社格は廃止された。1975年(昭和50年)、昭和天皇即位50年を奉祝して関係神社が協議し、元准勅祭社から東京23区内の10社を「東京十社」とし、東京十社めぐりが始まった。東京十社めぐりは、七福神めぐりと同様に、「ご朱印帳」を片手に「記念絵馬」を集めるという参拝ツアーが行われている。

 境内には紅白の梅がちらほら咲いていた。白山神社は6月のあじさいで有名だが、「白山旗桜」という品種の桜、紅枝垂れ桜や染井吉野があり、4月の風情ある桜も知られている。

 

●本念寺(10:05~10:10)

 白山下の交差点から「白山通り」を北へ巣鴨方面に向かうと、左手に日蓮宗の「本念寺」(白山4丁目)がある。

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 この寺の裏の墓地に、江戸後期の天明年間(1781~1789)を代表する文人・狂歌師であり、御家人の太田南畝(おおたなんぽ)の墓がある。号は蜀山人、狂歌名を四方赤良(よものあから)と言う。

 太田南畝の名は、江戸時代の狂歌とともに、確か日本史の教科書の出ていた。俳諧から川柳が生まれたように、和歌から狂歌が生まれた。狂歌は元禄の頃から上方で行われていたが、江戸では天明のころから流行、洒落と滑稽と即興が特徴。

 19歳で平賀源内に認められ、狂詩文『寝惚(ねぼけ)先生文集』 (1767) を刊行して文名を高めた。幕府官僚であった一方で、以後狂歌、洒落本、漢詩文、狂詩文などで町人文学の中心的存在となった。狂歌三大家の一人とされる。昼は真面目な役人、夜は引く手あまたの文化人であった。

 境内に入ると「ひと声掛けてからお入り下さい」の張り紙があって、寺の裏に回ると一般の墓地がある。

 左の墓石が南畝の墓かと思い写真を撮ったが、後でよく見たら右側の墓誌のないのっぺらぼうの墓石が「南畝大田先生之墓」と刻んあった。右隣は「大田自得翁之墓」とあるが、南畝の父・吉左衛門の墓だそうだ。

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●小石川植物園(10:20~11:20)

  白山下交差点に戻って、御殿坂を下ると「小石川植物園」(白山3丁目)の正門がある。以前にこの植物園の前を通過したことがある。

 入園料は、400円。ここは東大の植物学の教育・研究施設で、正式には「東京大学大学院理学系研究科附属植物園」。

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 日本でもっとも古い植物園であるだけでなく、世界でも有数の歴史を持つ植物園の一つ。園内には数多くの由緒ある植物や遺構が今も残されており、国の史跡および名勝に指定されている。

 綱吉が将軍になる前に「白山御殿」が建てられ、貞享元年(1684)に幕府が設けた「小石川御薬園」が前身。明治10年、東京大学が設立された直後に附属植物園となった。台地、傾斜地、低地、泉水地などの地形を利用して、様々な植物が栽培されている。
 
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 植物園の本館。研究室、植物標本室、図書室などがある。

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 ニュートンのリンゴの木。

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 物理学者ニュートンの生家にあったリンゴの木は、接ぎ木によって科学施設で大切に育てられていた。1964年(昭和39年)英国の国立物理学研究所長のゴードン・サザーランド卿から、当時日本学士院長の柴田雄次博士にニュートンの木の苗木が贈られた。

 しかし、この木はウイルスに感染していたので隔離栽培されていたが、植物園の研究によりウィルス除去に成功、一般公開されている。これらの木から更に増やされたニュートンの木の分身が、今では日本の各地にあるそうだ。

 ニュートンのリンゴの隣には、遺伝学の基礎を築いたメンデルがブドウの育種の研究を行なった「メンデルのブドウ」が分譲されている。園内には他に、1894年に平瀬作五郎が裸子植物から精子をはじめて発見したというイチョウがある。

 

 薬園保存園、植物分類標本園などを回る。

 旧「小石川養生所」跡の井戸(東屋の下)の傍に咲いていたカンザクラ。

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 小石川養生所は、貧困者の救済の為の無料の医療施設で、江戸時代「享保の改革」の下層民対策の一つ。養生所は、山本周五郎の時代小説『赤ひげ診療譚』でも有名。関東大震災の際には、被災者の飲料水として大いに役立ったという。
 

 青木昆陽の甘藷(サツマイモ)の試作跡の記念碑。食糧難の時の食物として、昆陽は幕府の許可を得て栽培を試み成功した。これを機にサツマイモは、全国で栽培されるようになった。

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 クスノキの巨木。

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 梅園の紅白の梅の花も、もう咲いている。

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 日本庭園。ここは、綱吉の幼児の時の邸宅だった白山御殿と蜷川能登守の屋敷跡に残された庭園だった。

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 本郷から小石川植物園内に移築されたかつての「東京医学校」本館(現・総合研究博物館小石川分館)は、重要文化財。

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 東京医学校は、明治初期に東京府に設立された官立の医学教育機関(医学校)で、東京大学医学部の直接の前身である。

 

 園内には、花の季節ではないので入場者も少なかったが、ソメイヨシノ並木やカエデの並木などもあり、春・秋にはきっと人出も多いのだろう。

 

 小石川植物園を出て、千川通り(都道436号線)を南下し柳町小学校前を過ぎると、正面に立派な28階建ての文京シビックセンター(写真の出典:ウィキメディア・コモンズ)と東京ドームの屋根が見える。

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 文京シビックセンターは、文京区役所、大小のホールや区民施設などが入居する総合施設。

 

 えんま通り商店街アーケードの「そば処さくら」に入り、昼食(11:30~12:15)。

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●源覚寺(12:20~12:25)

 千川通りのこんにゃくえんま交差点の脇に、浄土宗の「源覚寺」(文京区小石川2丁目)がある。眼病治癒の信仰を集める「こんにゃくえんま(閻魔)」のお堂に参拝。

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 「こんにゃくえんま像」は鎌倉時代、運慶派の仏師の作とされる高さ100cmの木造坐像。像内に寛文12年(1672年)の修理銘がある。文京区指定有形文化財。えんま像の右側の眼が黄色く濁っているのが特徴。

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 えんま像については、次のような言い伝えがある。

 宝暦年間(1751年~1764年)に一人の老婆が眼病を患い、このえんま様に21日間の祈願を行っていた。夢の中にえんま様が現れ、「満願成就の暁には私の片方の眼をあなたに差し上げよう」と告げたという。

 満願の日、老婆の眼はたちまち治癒し、えんま様の右目は盲目となった。以来この老婆は、感謝のしるしとして好物の「こんにゃく」を断って、それをずっと供え続けたという。

 以来この源覚寺のえんま像は「こんにゃくえんま」や「身代わりえんま」と呼ばれ、人々から信仰を集めている。現在でも眼病治癒などのご利益を求め、こんにゃくを供える人が多い。供物台上には、ビニールに入ったこんにゃくや、こんにゃく芋が置かれていた。

 夏目漱石の『こころ』や樋口一葉の『にごりえ』にも「こんにゃくえんま」が登場、ほかにも時代小説や落語の噺の中にも取り上げられているそうだ。源覚寺の周囲一帯は、門前町としてに賑わい、江戸時代から続く縁日には多くの人々が押しかけ活気にあふれるという。

 

 12時25分、「源覚寺」を出て小石川から本郷に向かう。

 以下、本ブログ「白山・本郷界隈-その2」に続く。

 

 関連ブログ

  「池袋周辺の史跡めぐり-その1」 2012年1月29日投稿
   http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-e97a.html
 
  「白山(はくさん)-その1」 2014年7月31日投稿
    http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2014/07/post-a43e.html

 

 

 

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